経営に寄与する審査 2 09.08.30

本日は「経営に寄与する審査」のパート2である。映画でもゲームでも小説でも、続編、その3、Wなんてのを見かけるともうネタ切れかと思ってしまう。私の経験では、まずはじめのものが一番面白く、二番煎じ、三番煎じはおもしろくない。「赤毛のアン」は素晴らしいが、第5巻くらいになると息切れだよルーシーおばさん。
私自身も、ネーミングに独創性のなさ、脳みその足りなさを実感する。
でも男は顔じゃない、中身だ。このウェブサイトもタイトルじゃない、中身だ!
中身もないと言われると・・立つ瀬がない。

「経営に寄与する審査」とはなんぞや? とは既に語ったので本日はない頭をひねり、別の観点から考える。
正直なことを言って、私はウェブサイトを更新しなければならないから何を書こうかと考えたことはない。私は現実に困っていることとか、問題提起など主張したいことがあるから書いている。そして現実は問題山積だから書くことに事欠かない。
旧約の預言者や桃太郎侍ではないが、この世の悪を裁くために語っているのだ。
だから単なるISO規格の条項解説とかシステム構築のルーチンなんぞを書く気にはならない。規格を論じても、ありきたりの規格解説ではなく、実際の経験での悩みとか提案を書いているつもりだ。
「経営に寄与する審査」というのは、「審査を受ける組織の経営に寄与する審査」という意味だとしよう。そんなこと当たり前だ、当たり前のことをなんで長ったらしく書くんだ?と思われた方、ISOの世界では定義をしっかりしておかないといけないのです。そうしておかないとお互いの議論がかみ合いませんし、それが議論の成果を出すもとになるのです。
実をいって「経営に寄与する審査」が「審査を受ける組織の経営に寄与する審査」を意味するとは限らない。以前、私は「認証機関の経営に寄与する審査」という意味ではないかと考えたことがある。

おっとその前に、審査を行う基となっている「第三者認証」とは何かを考えなければならない。
これも言いがかりではない。「審査」とは「第三者監査」のことであり、「第三者認証」がなければ「審査」は存在しないからだ。
ISO規格による第三者認証とはなんぞや? ということは過去より議論されてきた。
偉大な飯塚先生が2009年3月の「第15回JAB/ISO 9001公開討論会」で説明したものに

ISO9001=QMS認証制度+ISO9001QMSモデル(式−1)

というものがある。
しかしながら、(式―1)は左辺がISO9001というい品質マネジメントシステムの「規格」であり、右辺が「制度」となっていて、明らかに左辺と右辺の単位があわないからこの数式は間違いだ。
とりあえずこの式を尊重して、その意味を最大限に善意に解釈して

第三者認証制度=品質保証の保証+品質マネジメントシステムの保証(式−2)

と書きなおそう。こうすれば左辺と右辺が、動詞と名詞、あるいは重さと長さのようなデメンションの合わない(式−1)と違い、つじつまがあう。
「品質保証の保証」とは変なようだが、文字通りの意味であって、その組織の品質保証を外部の者が裏書きすることである。「品質マネジメントシステムの保証」も同様に、その組織の品質マネジメントシステムが適合・有効であると(ほとんどの場合は組織の経営者に対して)保証することである。

さて、この(式−2)を基に「経営に寄与する審査」を考えていく。
審査は認証制度の運用であるから、(式−2)は更に次のように書き換えられる。

QMSの審査=品質保証の審査+品質マネジメントシステムの審査(式−3)

保証する相手を考えれば当然ながら、右辺の第一項は顧客の視点で行われるものであり、第二項は組織の経営層の視点で行われるものと考えられる。だから審査は顧客の代理人としての目と、組織の経営者の目で行われることになる。そしてその性質は第一項は審査基準に対する適合判定であり、第二項は善悪のデメンションを持つ指導的な結論、あるいは報告になる。
ここで若干疑問がある。
一人の人が顧客と経営者というある意味コンフリクトがある二つのスタンスで同時に審査を行うことができるのだろうか?
内部監査員にさえ独立性・公平性・客観性が要求されるのだから、基本的にコンフリクトを有するようなことを業として行うことはおかしいのではなかろうか?
いや両面について客観的に公平にできるという人もいるかもしれない。
しかし経営に寄与するということ自体、観察したことに対して、善悪・良否という色で判断することであるわけで、客観的でないことを自ら白状している。
第三者認証制度そのものは「経営に寄与する」と明示しておらず、制度設計としては矛盾があるとは思えない。

上記(式―3)を価値という観点でみれば、

QMS認証の価値=品質保証の信頼性+品質マネジメントシステム改善効果(式−4)

と書きなおすことができると考える。

マスコミ一般市民

消費者
NPO
購入者

下流
認証組織供給者

上流
認証機関自治体

認定機関
右辺第一項の「QMS認証の価値向上」は顧客や市民、一般社会というステークホルダーにとって好ましいことである。というか、それそのものが第三者認証の価値だ。
ところで「経営に寄与する審査」といわれるものは、(式―4)の第二項の増加を目指すものと思われる。
第二項の増加による左辺「QMS認証の価値」増加は、「品質保証の信頼性」向上とは無関係であり、顧客や市民、一般社会というステークホルダーにとってはメリットはない。
経営に寄与する最たるものが、経営コンサルであるとすれば、それが顧客や一般社会にメリットをもたらさないことは論をまたない。
結果としてメリットをもたらしたとしても、それが目的ではない。


社会の第三者認証制度に対する信頼性を向上しようという観点からは、(式―4)の第二項の視点での審査は寄与しないのだ。「経営に寄与する審査」をドンドン進めても第三者認証制度の信頼性が高まらない。
じゃあ、どうするの?
簡単だ。右辺の第一項を増加すれば良い。
右辺の第一項の増加とは、審査において品質保証の観点でのチェックを強化していくことだ。元々認証機関は顧客の代理人と呼ばれていた。顧客の代理人という本来の役割を忘れて、審査を受ける組織の観点だけでは顧客(一般社会)からの信頼を得ることはできないのは式から言っても明白だったのだ。

顧客とは誰か?を考え直そうではないか。
今多くの認証機関は審査を受ける企業・組織を顧客と認識している
QMSにしてもEMSにしても、本当の顧客は消費者、一般社会なんだよ。それを忘れて目の前にお金を払う人を顧客と思い、その人におもねる審査をしているから、真の顧客である一般社会の信頼性を失ってしまっただけではないのだろうか?
じゃあ、信頼性回復は簡単じゃないか!

本日の提案
認証機関は、経営に寄与する審査ではなく、社会に寄与する審査を行うべきである。
社会に寄与する審査とは品質保証の観点で見ること。EMSにおいては遵法と汚染の予防の観点だろう。
だって9001は品質保証を目的とし、14001は遵法と汚染の予防が目的であった。
経営に寄与する審査を目指したから、道を踏み外してしまったのではないだろうか?

本日の総括
経営に寄与する審査とは、そもそも第三者認証の信頼性を向上させない。


ぶらっくたいがぁ様からお便りを頂きました(09.08.30)
顧客とは誰か?を考え直そうではないか。
今多くの認証機関は審査を受ける企業・組織を顧客と認識している。


いやあ、そうでもないと思いますよ。
店に入って30分もたつのに注文を聞きに来ないレストラン。
診察にあたって病状を患者自身に医学用語で言わせる医者。
醤油を頼んだのに間違えてソースが配達されたから「ちょっと、なんで間違えたのよ?」と詰問したら「注文を聴き間違えたのが原因です」と答える三河屋のサブちゃん。
出張修理に来るのにホテルの手配から送迎まで当然のように要求する設備業者。

ありえないでしょ、ふつう。

たいがぁ様 まいどありがとうございます。
今回は短文ですが、けっこういい線いっているかと思っています。

本題ですが、たいがぁさんは大きな勘違いをしています。
顧客とは、大事にする対象ではありません。
製品・サービスを受け取る人を言います。(ISO9000:2005 3.3.4)
ですから、認証機関は組織を顧客と認識はしていても、良いサービスを提供する必要はないと考えている可能性もあります。
いやあ、私も理屈をこねる男ですねえ〜


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