持続可能性なんて無理! 10.07.18

今人間は地球が人間の活動を吸収できなくなったと大騒ぎしている。明日にも地球最後の日は来るようだ。まず人間が出す温暖化ガスのせいで地球はどんどん暑くなり、人も植物も生存できなくなるらしい。そして温暖化に伴い海面上昇が起きて、島々は沈みバングラデシュのような国は洪水に悩まされるようになる。人間が増えすぎて、食料が足りなくなり大規模な飢餓がおきる。異常気象は熱波だけでなく寒波をもたらし人々は大勢死ぬらしい。もちろんそれだけでなくイナゴも大発生して疫病もはやるだろう。
いやはや、旧約聖書に出てくるヨブ記の苦しみを私たちは実体験できるらしい。ありがたいことだ。現代は非常に暗黒時代なのだろうか? 人間の歴史の中で艱難辛苦の時代なのだろうか?

毀誉褒貶の激しい武田先生はある本で「これまで人類は何万年も過ごしてきて、ずっとイノベーションを繰り返してきた。いま、これでイノベーションがすべて終わるなら、そういう歴史的瞬間に私が生きたということは大変名誉なことだ。」と書いている。
私自身、武田先生に特段賛成する立場ではないが、この発言にはまったく同感する。若干言い換えれば「これまで人類は何万年も過ごしてきた。いま、ここに環境危機で人類が滅亡するなら、そういう歴史的瞬間に私が生きたということは大変名誉なことだ。」とも言えるのではないだろうか。もちろんそのような名誉ある時代に生きた可能性もゼロではないかもしれない。
そうでないほうが可能性が高いとは思う・・

書名著者出版社ISBN初版定価巻数
古代文明と気候大変動B・フェイガン河出文庫4-309-46307-02008/6/20950円全一巻
歴史を変えた気候大変動B・フェイガン河出文庫4-309-46316-22009/2/10950円全一巻

ブライアン・フェイガンの書を読むと人間はいつも限界の生活を送っていたと書いてある。限界の生活とは、食うや食わず、生きるか死ぬか、氏族が死に絶えるか子孫が再生産できるかの限度すれすれの生活を何万年もすごしてきたように思える。それが真実なのか大げさなのか、あるいは誤りなのか、私には判断する力はない。
しかしフェイガンの本は生き生きと昔の生活を描き出す。
今アルプスの氷河が後退しているのを多くの人たちが大変だ、異常な事態だと騒いでいる。
不都合な真実には100年ほど前の氷河のそばにあるホテルの写真と、今氷河がはるかかなたになったホテルの写真がある。氷河は毎年毎年小さくなっているそうだ。だから地球温暖化はものすごく進行しているよ、大変だよと語っている。そんな写真を見ていると、地球は温暖化どころかオーバーヒートして明日からは電気を使わなくてもお米が炊けるように思えてくる。
しかしフェイガンは1600年ごろ、氷河が前進してきて多くの村を飲み込み、農地を覆いつくし、家々を押しつぶした様を書いている。人々は氷河を恐れ憎んでもなすすべはない。依頼を受けて聖職者は「氷河よ止まれ」とお祈りした。不都合な真実にある氷河のそばのホテルはそういう氷河が前進したときの写真ではないのだろうか?
疫病や害虫の大発生などが起きると、聖職者が祈祷するのは洋の東西を問わない。そして効果がないのも洋の東西を問わない。
いったい氷河が前進しているのが正常なのか、後退するのが正常なのか、誰にわかるだろう? もちろん氷河の拡大、縮小はヒマラヤでもアラスカでも南アメリカでもグリ−ンランドでも同じことが起きたのだろう。それは何万年も、いや何千年も昔のことではなく、わずか400年くらい昔のことに過ぎない。
氷河ばかりではない。氷河期、小氷期でなくても人々は度重なる飢饉と飢饉の合間のわずかばかりの豊作の暮らしを続けていた。そして飢饉のときは疫病がはやり体力の低下した人々の多くは命を失った。
今日本の平均寿命は80歳を越える。それを正常と思ってはまったくの勘違いだ。昔、ほんの数百年さかのぼっただけで人間の寿命は驚くほど短かった。イギリスの1300年代、生まれてきた3分の一は子供のときに死に、子供のときに死ななかった人の平均寿命は24歳だったとある。これは妥当なところだろう。
jumyou2.gif
日本でも鎌倉時代の平均寿命は20歳そこそこだったらしい。日本人の平均寿命が50歳を超えたのはわずか60年前、1947年のことなのである。もちろん食糧事情が悪化すればあっというまに元に戻るだろう。

民族大移動も、ペストの大流行も、新天地開拓も崩壊もすべては神の思し召しならぬ、気温のわずかな上昇か下降かで起きた。
しかしペストの流行はすごい。ひとつの町が数日で全滅するなんて想像も付かない。それどころか国の人口が2年程度で3分の一になるなんて事が起きたのだ。日本では2005年にインフルエンザが流行して平均寿命が0.1歳短くなったそうだ。当時はそれが話題になったが、そんなものではないのだ。人口の6割が死ぬということは我々の想像を超える。
魔女狩りというのは集団ヒステリーとか言われているが、小氷期の飢饉続き、疫病続きの時代と一致するという。人々はいわれのない苦しみのうさ晴らしのスケープゴートに無実の人を魔女にしたのだろう。
1789年のフランス大革命も自由でも民権でもなく、天候不順の食糧難で起きたという。失うもののない人間はそれなりに行動するだろう。生まれた人間がほとんど天命を全うする社会と、誕生日まで生きながらえるのが半数、10歳まで生き残るのが更に半数、平均寿命が30歳前という社会では、価値観も人生観も異なるのは明白だ。冒険、命を惜しまない、刹那的で一攫千金という生き方になるのは容易に想像が付く。
共産主義が魅力を失ったのは社会が豊かで安全になったからだ。
いかなる地でも、共産主義革命を起こすには貧しく平均寿命が短く事故が多いことが必要条件である。

書名著者出版社ISBN初版定価
緑の世界史(上)クライブ・ポンティング朝日新聞4-02-259603-11994/6/251600円
緑の世界史(下)クライブ・ポンティング朝日新聞4-02-259604-X1994/6/251600円

話はぱっと変わる。
クライブ・ポンティングの「緑の世界史」は一転して異なる世界を描く。地球はかっては乳と蜜の流れる地であった。そして神が与えたもうたこの地をドンドンと汚染し改悪してきたのは我らが人類の祖先らしい。書は豊かな食べ物で満足せずにくだらない石像を作り、それがエスカレートして島の自然を破壊して今のイースター島を形作ったというお話から始まる。
人間はアフリカでおとなしく暮らしていればよかったのに、何の気まぐれか、偶然か、中東を経てヨーロッパやアジアに進出した。それが間違いの元だったようだ。
動物よりちょっとばかり賢かったわれらの先祖はマンモスを絶滅させ、おおかみを殺し、アザラシを殺し、森林を荒野に変え、ビーバーを殺し、バッファローを殺し、出会ったものをすべて略奪し、破壊し、根絶やしにしてきた。そして現在の地球がある。人とはとんでもない生き物である。
鯨を獲りつくしたのは鯨油をランプの燃料にした西洋人であって、日本人が食料とさまざまな道具の材料につましく捕鯨をしたからではない。グリーンピースやシーシェパードは日本人に八つ当たりするのではなく、100年前の西洋人の祖先を責めるべきである。

温暖化とか生態系保全などいまさら語ったところで意味がないというか、時宜を失しているのだ。環境保全をいうなら21世紀の今ではなく、人類がアフリカに発祥したときに教え諭さねばならなかったのだ。
人間はなぜ拡大したのかといえば、その原動力は人口圧・・つまり人口が増えてやむなく・・ということだったらしい。そして世界に広まるだけでなく人間の口の数を一定にするために、多くの社会では間引きが行われた。そうしなければ社会が崩壊してしまうのだろう。また老いた者は自ら命を絶つという習慣も生まれた。
間引きや姨捨山、あるいは戦争によって人口を調節するのが野蛮なら、人間を捕食するより上位の生物がいれば良いのか、あるいは飢餓と疫病がその役目を果たせばよいのか、究極の選択に迷う。
現在はバースコントロールという上品な間引きが行われている。
しかし過去の歴史を思うと、原始人は地球を大事にしてきたとか、アメリカインディアンは大地を先祖からの贈り物ではなく子孫からの借り物と思っていたなんて、ゼーンブうそとしかいいようがない。人間は存在するだけで悪でもなく善でもない。単なる生物であるということを認識し、それを是とするしかない。そして人間が生きていくためには資源とエネルギーを消費しなければならない。そんな性(さが)というか原罪をしっかりと認めなければうそ偽り、偽善に過ぎない。人間は生まれてきたことが既に罪であるという考えは正しかったのではないだろうか? そしてその罪を背負って生きていかなくてはならないということも間違いないようだ。
人間が存在することが罪であるなら、生物多様性を守ろうなんてそもそもできるはずがない。

この4冊、結構面白い。お勧めします。
4冊も正価で買えば大変ですがアマゾンなら中古本が安いです。


ふっくん様からお便りを頂きました(10.07.19)
いやはや・・・
職業柄、環境問題改善を推進する立場にありながら、実際に長く携わってきてこれほどに胡散臭いものはないと思うようになってはや10年…
先日、アメリカ式市場主義を阻止しない限り、環境問題は解決しない!なるものを聞きましたが…なるほど、そうかもしれませんが、本当に出来るか!って、理念や観念ではなく実際に出来るのか?「はとさん」みたいに最後の最後になってやはり今の生活(平和)を維持するには沖縄の基地は必要でしたなんて恥さらしなことを言うなよって…言えればよかったのですが。
たとえばこーいう人って、環境問題を訴えることは何よりも正義なんでしょうね。はー、ブラックジャックの言葉ではないが、「正義か・・・そんなものこの世には存在しない」って感じです。
私のポリシーは環境問題は絶対に主役に躍り出てはいけない、脇役ではあるが名参謀…でないと駄目な分野だと。
企業内で、環境に配慮しますなんて言いながら…法律、条令の隙間を企業倫理ぎりぎりで動く企業などごまんとありますが、誤解を恐れずに言えば、むしろそっちが企業としてまともじゃないかと思います。明らかな法律違反は論外ですが、私の実体験として…一時すごく話題になったI産業、環境に配慮していますってすごい売り込みにきました。そういう企業に胡散臭さを感じます。実際にそうなりましたけど。
生物多様性が何ぼのもんじゃい!人間様の都合に合えば多様性という大義名分で保護して、都合が悪ければ、蜂や熊は言うに及ばずたとえ鹿でも駆逐するんだろう!多様性が聞いて呆れるわ!って何かの講演会でぶちまけたら、連れ出されるでしょうか?
ふっくん様 まいどありがとうございます。
そういう企業に胡散臭さを感じます
同感です。里山保全なんていって人を集めて下刈りなんてしている人がいますが、私から見ると胡散臭いそのものです。
お間違えないように、私は田舎にいたとき駆り出されて毎年汗だくになって里山の手入れをしてました。させられていたというのが本当ですが。で、思うのですが、里山というのは活用されるから手入れするわけですよ。単に郷愁だけで手入れする馬鹿いません。里山保全がかっこいいからとか、時代の流れに乗っているからというお考えで他人を勧誘して自分は手抜きというのはいかがなものかと・・ふざけんなということですよ。
本当に環境配慮の気持ちがあるなら、お住まいの周りからきれいにしていくべきですよね。
そんなやつに限って住まいの周りは・・・ry

木下様からお便りを頂きました(10.07.22)
フランス革命と人権
フランス大革命も自由でも民権でもなく、天候不順の食糧難で起きたという。
いわゆる進歩派の先生方の中にはフランス革命で人権が誕生したなどと主張する方々もいらっしゃいますが、サイモン・シャーマの記述「人権宣言のインクが乾くか乾かないうちに、国民議会は……反革命の陰謀を探るための委員会を設置して、郵便物は開封する、逮捕状なしに人は逮捕する。正規の手続きを踏むことなしに拘禁はする、移動の自由は妨害する始末です。」というのを見ると眉つばかと。
フランス革命の立役者だったロベスピエールの最後を見るに、これは単なる暴動だと思ってましたが、天候不順の食糧難ですか。敗戦直後の日本では陛下が各地を視察なさったのがよかったのでしょうか。
木下様 ご無沙汰しております。
人間きれいごとだけじゃ生きていけません。
過去人間の英知と思われた出来事はほぼ本能レベルの意思決定なのかもしれません。
第一次大戦を止めたのは・・・・インフルエンザでした。
関が原で東軍が勝ったのは西側が米が不作だったからという説もあります。
まあ、すべては単純ではありません。複数のできごと、取りまく条件が重なり合って結果が決まったわけでしょう。
でも、そんなたいそうなものではなさそうです。

上々様からお便りを頂きました(10.07.27)
持続可能性なんて無理について
環境を壊してどうのこうのと話は進んでおりますが、人類の歴史のほとんどは食料を確保するための戦いの連続であったものと思います。
直接食料にするための動物との戦いや、作物を取りに来る別の人間との戦いや、現代では食料を買うための資金を得るための別の人間と戦いとなっております。
それでも今では最低限生きるために食べるだけであればかなりの人間が生き残っております。一見、食べるためには戦う必要が無くなったかの様にも見えます。
これは肥料や農薬の発達により農業生産性が非常に上がったせいであると考えられます。
ところが、これらの農業資材の生産には大量のエネルギーが使われております。
それを考えると現在の地球の60億以上の人類を食べさせるための農業と言うものが、実はエネルギーに大きく依存していることが分かります。
そのような大量のエネルギーはいつまで使えるのでしょうか。もっとも高効率の石油が無くなってきたら農業生産も維持できなくなるでしょう。
そうなるとあっという間に人類生存の危機にさらされるかもしれません。
上々様 毎度ご指導ありがとうございます。
おっしゃるとおり、食料とは実はエネルギーを変換したものでございます。
日本の農業はガソリンがなければ農機具は動かず、ポンプも水を送れず、取れた野菜を市場に輸送する事もできません。それどころか化学肥料、農薬、温室栽培の暖房その他もろもろ、すべてエネルギーがなければ作れません。そんなことを前に書いたことがあります。
結論から言えば、食料自給率とはエネルギー自給率とほぼ同義となるのではないでしょうか?
仮にお米が1億人分自給できても、それを炊事するエネルギーは日本にはありません。ガスにしても電気にしてもみな海外から来ています。
その事実を悲しいとかパニックになるということではなく、その現実を捉えてどう安全保障の手当てをするかということが大事です。


本の目次にもどる