こんなのありか?

11.06.06
同志、ぶらっくたいがぁ氏からメールがきた。彼はネットとか報道でISOに関わる面白いお話とか、面白くないお話をみつけると私に知らせてくれる。私にランダムナンバーを放り込んで、私のリアクションを眺めて楽しんでいるのだろう。それならば、私も期待に応えねばならない。

ぶらっくたいがぁ様からのメール
ISO認証といえばイコール「ISO規格に沿った新たな仕組みを導入すること」と世間が誤解している理由がわかりました。
なんと、JABがそう言っているのです。
JABホームページの「よくある質問」の中で、以下の一文を見つけました。

Q11.ISO 9001/ISO 14001の認証を受けるにはどうすればよいですか?
組織(企業等)の品質マネジメントシステム/環境マネジメントシステム(QMS/EMS)がISO 9001/ISO 14001に適合していることの第三者による証明である認証を受けるためには、まず、ISO 9001/14001規格を理解し、規格の要求事項に適合した仕組みを組織内に構築します。


いやぁ、こりゃ「勉強になりました」

なるほど、たいがぁさんは彼の投げたボールをいかに打ち返すかを見て、私の力量を測ろうというのだろう。神は語っていますよ、試みてはいけないと。でも私は神様じゃないからそんなことは言いません。受けてたちましょう。

ISO規格があって企業のマネジメントシステムをそれにあわせるという発想は、どう考えても間違っている。いや、そう言い切っては私が間違いといわれる恐れもある。でもそうではないと考えるのは私だけではない。実を言えば私は以前、ISO規格ありきという考えであった。
もう7〜8年前になるが、私はISO-TC委員に叱責されたことを忘れない。当時私はISO認証活動を進める前に、認証機関がどこかを確認して、また審査の前には審査員の顔色じゃなかった誰が審査に来るのか審査員のお名前を見て、彼らが望む形の仕組みを作って審査を受ける・・当然不適合などなく、それどころか審査員にほめられるような文書・記録を作り上げるということをしていた。そしてそれを内心誇りに思っていた。審査員におもねるというよりも、問題を起こさないことが自慢であり、言い換えれば私は審査員を子ども扱いしていたのだろう。
私のレパートリーは広く、ISO9001においては、BS■ならこう、J●▲ならこう、B▽ならこうと、ISO14001においては、J△C●ならこう、J●▲ならこう、B▽ならこうと、品質・環境共に、いくつもの審査機関対応のテクを磨いていた。
そのISO-TC委員はそんな私の話を聞いて、「おまえはアホだ」とのたまわったのです。
もっとも「のろまで愚図だ」とは言わなかった。のろまで愚図な亀子をご存知なら、不惑以上であることは間違いない。いや天命を知っているかもしれない。
そしてISO規格とは絶対でもないし、目標として目指すものではない。あたりまえの企業ならどこでも備えている程度のものを標準化して記述したに過ぎない。だから私のアプローチは間違いだといいました。真の審査対応とは、なにもせず、ただ今ある企業の実態を説明し、審査員を納得させることだというのです。それには私もグウの音もなかった。そんなことを前にも書いた。 私はそのとき一瞬にしてその思想に教化され、以降その教えを守り宣教に勤めて今日に至る。まさにキリストの幻に出会ったパウロである。

という私の信条からすると、たいがぁ様が教えてくれたJABの「規格の要求事項に適合した仕組みを組織内に構築します」には、あきれるどころか、笑うしかない。
まだ神を知らない者がいたとは
しかしたいがぁ様といっしょになって笑っては、それこそたいがぁ様に笑われてしまう。
さて、リアクションとしてはどのようなものが、たいがぁ様をへこませることができるだろうか?
気が利いたJABの批判がよろしいのか、上記のJABの論理を正当化する理屈をこねるのが喜ばれるか、あるいは・・と考えたのだが、ここはたいがぁ様が提供してくれた以上の笑い話でお返しすることにしようと思う。

たいがぁ様がJABの解説を持ち出したのだから、私もJABのお説を引用しようと思う。なにせISOについてヨタ話を語っている方はきわめて大勢おり、その中には本にして出版して恥をさらしている方も多いのですが、小者や無名者の首をとっても賞金にも名誉にもなりません。やはり賞金稼ぎなら大物を倒して名を上げなければ・・
あれ、宣教師から賞金稼ぎになってしまったぞ?
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まあ、日本ではISO-TC委員に次いで、JABは権威があると看做されていることは間違いありません。ヨシ、ではとりあえず本棚に何かないかと・・
というわけで、盲めっぽうにつかんだのは「環境マネジメントシステム審査員への最新環境情報講演会の講演録(2009年度)」(2010年発行)というものでした。ちょっと古いんじゃないか!なんていわないでください。本当に本棚に手を突っ込んでつかんだというだけなんです。

さて、中にJAB関係の記事はないかと目次を見ると、おおJABの部長補の中川さんという方が書いた「マネジメントシステムの有効性を審査する」なんていう記事がありました。まさに注文したみたいじゃありませんか。これ幸い
ところで部長補というのは聞いたことがありません。どのような職位なのでしょうか?
部長という言葉がつく役職にもたくさんあります。部長、部長付、副部長、部次長、専門部長、担当部長、部長心得、部長代理、部長待遇、巡査部長、部長刑事、刑事部長・・最後のほうは違ったか?
私も以前は上司から担当部長と名乗ってよいと言われていましたが、いくらなんでも私がそんな名称を名乗ったらあまりにもうそっぽい、というわけでそんなたいそうな名前を名乗ったことは一度だけしかありません。その一度とは某認証機関にいちゃもんをつけに行くときに肩書きのない平社員じゃかっこ悪いということで。まあ今は嘱託ですから・・というか名前が売れましたし(謎)

中川さんが書いたといっても、そりゃJAB内部で検証しているはずですから、講演会で述べた主張はJABの公式見解とみなしてよいでしょう。では面白そうなものはないでしょうか?
と探すまでもありません。すぐに見つかりました。

「認定・認証制度には、まず認定機関というのがあり、次に認証機関がありまして、ここに具体的にマネジメントシステムを運用構築する組織があるという構図になっています」

ninsho.jpg
図1
「環境マネジメントシステム審査員への最新環境情報講演会の講演録」より引用
引用のルールは

中川さんの説明と、この図1を見ると、疑問がたくさんある。
認証制度にははじめに「まず認定機関がある」のだろうか? JABは認定機関であるから、そこで働いている中川さんは認定機関を重要とお考えになり、認定機関をまっさきに説明したのだろうか? まあ多分そうなんだろう。
第三者認証制度において「まず認定機関がある」ということは間違いである。なぜそんなことが言えるのか? だって欧州でISO9001:1987を使った第三者認証制度が始まったとき、認証機関は存在したが認定機関が存在しなかった。その後、信頼性を確保するためか、お墨付きをつけておごそかにするためか、複数の認証機関が共同して認定機関を作ったのである。
そして現在も認定を受けない認証機関は存在し、そういった認証機関は認定を受けていないことで困ることもなく認証事業を営んでいる。日本でISO認証を受けている企業の3割が認定を受けていない認証機関の認証という説もある。3割も例外があれば、残り7割を一般化できないだろうと思う。
それにさ、JAB基準である「JAB MS200-2010 改2 マネジメントシステム認証機関の認定の手順」や「JAB R300-2006 品質システム審査登録機関に対する認定の基準についての指針」を読めば、認定を申請するためには、認証実績を積まなければならないと読める。つまり認定が先で認証が後ではなく、認証が先で認定が後なのである。当然、認証はするが認定は受けない機関も存在するのは必然である。
要するに認定機関は、第三者認証制度の必要条件ではないのである。必要条件ではないものを穀潰しというんでしたっけ?
【穀潰し】(ごくつぶし):定職もなくぶらぶらと遊び暮らす者。無為徒食の者をののしっていう語
それに組織を一番最後に持ってきたのもおかしいが、それよりも何よりも図の描き方が悪いんじゃないだろうか? どこの会社か忘れたが、お客様を一番上に、次に従業員、管理職、一番下に経営層を書いた組織図があったような気がする。
図1のように認定機関よりも認証機関よりも企業が下で、一般社会や消費者を一番下に描いているようでは、認証制度のお客様は一般社会だと言っても、それが口先だけということが良く分かる。心からそう思っているなら、こんなふざけた絵を描くはずがない。
本来であれば次のような絵でなければならないだろう。
単に左回転しただけではないよ、何が違うか分かるかな?
図2
おばQ作成・・著作権フリーですからご自由に引用してください

まあ、認定機関が認証機関よりも、一般消費者よりも、大事といっても犯罪じゃない。考えが間違っていても世の中にはそれほど害はないだろうから許す。

次に進もう。
また彼女は「認証の発行される数というのは、これは、MS認定・認証制度の信頼の指標となっているものだと思いますので、何か信頼に値しないようなことが社会で起こっているのではないかというふうに思えます」と語っている。彼女は、認証件数と信頼性が相関のあることを説明せず、認証件数が減っているのは信頼性低下の結果であるという。
ちょっと考えると、そんなことはないというのが世の中の常識だろう。違うか?
バイクが売れなくなっている。これは事実だ。しかしそれはバイクが信頼性を失ったからではない。若者の数が減ってきており、また若者がバイク離れをしているからに過ぎない。
今週刊誌やマンガ雑誌が大きく部数を減らしている。それは信頼を失ったからではない。単に携帯電話などの通信料がかさみ、マンガを買う金が足りなくなったからと聞く。
ISO認証件数が減ってきたのが、信頼性を失ったからと決め付けず、このデフレ時代に値段が高すぎるのではないか? 競合している認証制度と比べて費用対効果が低いのではないか? 認定料が高すぎるのではないか? 審査員の態度が悪くて企業が怒っているのではないかとか考えないものだろうか?
そもそも、認証件数が、認証制度の信頼の指標とみなせるという理由はなんだろうか?
私には分からない。それが正しいとするならば、第三者認証制度が始まった頃は、登録件数が少なかったから認証の信頼性はきわめて低かったわけだ。でもISO9000sなら1992年頃、ISO14001なら1997年当時には「当社はISOを認証しました」なんて広報発表までした会社がたくさんあったのです。
もし中川説が正しくて、登録件数が少なければ信頼性が低いなら、そんなことをしたのは恥さらしだったのだろうか?

論点を戻すが、彼女は「認証数は、認証制度の信頼の指標となっていると語っているが、その理由を説明していない。
いったいこれはどういう論理で説明できるのだろうか。信頼の指標として登録件数が使えることを説明するには、まず認証制度の信頼とは何かを定義し、信頼性と登録件数に関係があることを説明しなくてはならないのではないだろうか?
誰も気が付かないだろうから、そう言い切っちゃおうてなお考えでは、赤信号だけど車が来ないようだから大丈夫といって横断すると同じようなものではないか?
ここは笑い飛ばすことなく、JABの広報などを基に愚考してみよう。
IAF発行、JAB翻訳の「認定されたISO14001認証に対して期待される成果」(2010年12月20日発行)によると、
「定められた認証範囲について、認証を受けた環境マネジメントシステムがある組織は、環境との相互作用を管理しており以下の事項に対するコミットメントを実証している。
・汚染の予防
・適用可能な法的及びその他の要求事項を満たしていること
・環境パフォーマンス全体の改善を達成するために環境マネジメントシステムを継続的に強化していること」
参考までに
「認定されたISO9001認証に対して期待される成果」もほとんど同文である。興味のある方は 裏を取りたい方はチェック願います。
つまりこれを行うことが認証の目的であり、それを実現することあるいは実現しているだろうと思われることが信頼ということになるのだろう。私がいうのではなく、JAB発行のパンフレット・・実際はIAF作成でJAB翻訳・・にそう書いてあるのだから間違いないだろう。だが、この文章には登録数を伸ばすことがISO14001認証に期待される成果とは書いてない。
頭に浮かんだのだが、JABは日本適合性認定協会「マネジメントシステム規格認証制度の信頼性確保に向けたアクションプラン」(2009.8.18)で認証の信頼性をあげるために審査を厳しくするぞと語っている。しかし、審査を厳しくして怪しい会社に対しては認証をしなくなれば登録件数が減ってしまうのではないか? その矛盾の説明をぜひ中川様にお聞きしたい。

とりあえずたいがぁ氏へのご返事にはなっただろうか?
家内が起きだして朝ごはんだよ〜と声をかけてきた。パソコンを叩いていると叱られてしまう。

本日のお誘い
さて、みなさんもISOのトンデモ論理というのを見かけたら、ぜひともここにお知らせください。みんなで分析検討をしませう。

いつものことですが、この駄文を書くのに何分要したかといいますと、約60分でした。認証制度の絵を描くのを含めてですから、遅いことはないでしょう。やはり中身がない底の浅いお話は簡単に書けちゃうものですね。ということは、たいがぁ様や私にバッサリ切られるような文章は、お昼寝しながら書いているのでしょうか? まさか真面目に考えて推敲しているはずはありません。


速攻でぶらっくたいがぁ様から突っ込みがきました(11.06.05)
いやいや、力量を計ろうとかそんな畏れ多いことは考えておりません。
ISO規格に合わせて何か新しい仕組みを導入あるいは構築するというJABの考え方はあまりにもオカシイと思い、それが間違いではないことの裏付けが欲しかっただけであります。
取り上げていただき、ありがとうございました。

ところで、「認証件数が減っているのは信頼性低下の結果」というJABの考え方ですが、これもオカシイと思います。もしかすると逆かもしれません。
つまり、認証件数が減っているのは制度が信頼されているから、役に立っているからではないでしょうか。
以下、この珍説をお聞きください。

企業が認証を取得する理由は、外向きのものと内向きのものの2つがあります。
前者は世間や取引先にアピールするためであり、後者は認証(つまり審査)の力によって何らかの成果を得るかそのための仕組みを確立させるためです。
これは私が勝手に言っているのではなく、当のJABがそう言っています。
「ISO 9001/ISO 14001 の認証をとる意義、メリットなどを教えてください」という質問に、こう答えています。
1)事業参入機会の増大
2)事業参入機会逸失の回避
3)社会的企業イメージの高揚
4)社内経営管理システムの充実・強化、再構築

1)から3)は前者で、4)は後者に該当します。
審査を重ねることで「社内経営管理システムの充実・強化、再構築」が進み、めでたく製品不適合・苦情やカミ・ゴミ・デンキがメキメキ減少し、所定の成果が得られた企業がたくさんあるはずです。
そうなれば後はその仕組みを良好に維持するだけですから、もはや審査を受ける必要はありません。もちろん、継続的改善は大事なので仕組みを更にブラッシュアップしていくわけですが、そこまで進んでいれば別に審査員の手を借りずとも自社でできます。
つまり4)が目的の企業はその目的を達成したわけで、これ以上認証を維持するのは費用対効果的にムダですからどんどん返上することになります。
一方、1)から3)が目的の企業はそのまま残ります。
両者の比率はわかりませんが、4)の企業はそれなりにあるはずですから、認証件数が減っていくのは当然の帰結です。
つまり、これは現行の認証制度が有用であることの証左でありましょう。審査が功を奏して企業がどんどんよくなっているわけで、JABにとって喜ぶべきことではありますまいか。
めでたしめでたし。

ぶらっくたいがぁ様 毎度ありがとうございます。
第三者認証というのを考えると、実に不思議な制度でございます。
おっと、どこかの大学教授が語っているように、審査を受ける側がお金を払うから必然的に劣化するなんておバカなことではありません。
その1
認証件数が多いほうが良いかと言えば、仮に全企業がISO認証した瞬間に認証の優位性はなくなり、審査で付加価値あるいはコンサルをしなければ全企業が認証をやめてしまう可能性があります。
その2
認証とはシステムができていることを(ISO9000の定義で)保証するものなら、一般消費者が1個買いする場合には何の意味も持ちません。品質保証とは、継続的取引において初めて必要とされる概念です。
その3
果たして、外部品質保証と内部的効用を同時に成しえることが論理的にありえるのでしょうか?
外部品質保証が直接的に効果があり、内部的なシステム改善効果は間接効果とするなら、その効用は同等ではなく併記することは詐欺的行為のようにも思えます。
その4
認定を受けた認証機関と受けていない認証機関の差があるのかないのかを事実で証明しないと、認定・認証制度という言葉を使ってはいけないように思います。
存在するのは単なる第三者審査制度ではなかろうかと・・
もっとありますが、家内が晩御飯だよと呼んでおりますので、オシマイ

N様からお便りを頂きました(11.06.05)
中川さんの講演の内容を見ないで書いているので勘違いしているかもしれませんが、(私の立場で言ってはいけないのかもしれないですが、)感想のレベルとして

私は本業がシステムエンジニアなので、こうした図での矢印には敏感に反応してしまいます。少なくとも私のお客さんにこの図を見せたらいろいろ言われるだろうなという気がします。ただ、他人が作った図は簡単に批判できるので、かなり傲慢な部分もあるという前提で。

最初に「マネジメントシステム認証の信頼性確保の枠組み」の図を見てなんじゃこりゃと思ったのは

・矢印に乗っているのはなんだ?
・スタートはどこだ?
・一般消費者って誰だ?
です。

・矢印に乗っているのはなんだ?
信頼性の枠組みというのであれば、そこに乗っているのは、信頼性を担保させる何かのはずなのだが、これは制度の仕組みを言ってるだけなので、信頼性とは関係ない。
公正かどうかは、行為の中身で決まるもので、組織の機能分担と配置で決まるものではない。
「それぞれ」に”する”を付けると内容がわかるような気もするが、「審査」するはどこに消えた?この図に審査員がいる意味が分からない。

・スタートはどこだ?
通常、矢印はインプットとアウトプットをつなぐので、入りっぱなしのものはアウトプット、出るだけのものは最初のインプットとしてみます。そうしてみると、JABがスタートに見えるけれど、社会とか一般消費者、組織とは無関係に存在するのかな?
少し譲って、関係性を表していると考えても、片矢印は権力の一方的な行使に見える。

・一般消費者って誰だ?
点線矢印はこうなったらいいなというレベルなのだろうか?
少なくとも妻は、ISO9001なぞ知らないし、興味もない。
ISO9001は商品には付けられないので、「モンドセレクション」とは違い、スーパーなどではまず見ることはない。
値段と品質は当然見て買うけれど、アウトプットには興味はあるが組織内のマネジメントシステムは知ったこっちゃない。
せいぜい、ブラックな企業には自分の子供をそんなところに勤めさせたくないと思うかもしれないけど。

こうしてみると、この図は、審査をする人間が組織に「適合性評価制度」ってどんな仕組みなんですか?と聞かれた時に答える図なんだろうなという気がします。
認証の公正性も信頼性も関係ない図と考えると納得できるような気がします。
まずは感想として。

N様 毎度ありがとうございます。
まず、図1は中川さんが書いたのではないようです。「マネジメントシステム規格認証制度の信頼性確保に向けたアクションプラン」の付図としてもありましたし、JABのウェブサイトに認証制度の説明としても掲載されていました。要するにJABの公式見解であることは間違いありません。
しかし、N様のお便りを拝見して、私の見方も狭いなと感じました。
だって矢印の向きとか考えもしませんでした。私は、インプットとかアウトプットではなく、権力の行使でもなく、単なる行為者と行為の方向を示しているのだと思っていました。
それに最重要というか要点である審査がありませんね!
いったいどうしたのでしょうか?
これは私が考えるのではなく、N様に考えていただかないとだめですわ・・・

ぶらっくたいがぁ様から再度の突っ込みが・・・(11.06.05)
つい先日、ほぼ同時期に審査と某大企業の二者監査を受けました。
どちらも真剣そのものでしたが、心意気というか必死さというものが違います。
前者は当社が吟味の末に選定・移転しましたので、よくある「有益な環境側面の特定に改善の余地があります」とか「当機関の審査登録規則が外部文書に登録されていません」とか実務の何の役にも立たないアホ指摘をする審査機関とはまったく違います。当社の実務上の急所をズバズバと突いてきます。
それでも後者にはかないません。
後者からは、製品の瑕疵につながる不適合は微塵も許さないという姿勢がヒシヒシと伝わってくるのです。もし瑕疵があれば甚大な被害を受けるのですから当然といえば当然です。
これが「第三者審査制度」の限界なのでしょう。
「認証」などと大仰に構えるのではなく、以前のように慎ましく「審査登録」とするのがよいのではないでしょうか

ぶらっくたいがぁ様 毎度毎度ありがとうございます。そのへんの審査員より厳しいたいがぁ様の追求に、私も倒れそうです。
第三者認証は一般社会の代理人を自称して始まりましたが、不特定多数の代理人であれば責任の負い方がやはり甘くあいまいになるのは必然でしょう。
それに対して、第二者監査はもし万が一不具合があればその責任を負わなければならないのですから真剣になるのは当然です。
私も90年以前は第二者監査を受ける立場でした。それはまさに真剣勝負でしたね。監査に来ていたメンバーも、納入品に瑕疵があれば、社内で厳しく責任追及されるのは当たり前でしょうから。
実を言いまして、私も二者監査というか受け入れ検査に出向いたことも多々あります。私が検査して合格として納入品に不良があったときは隠れて修理したものです。メーカーに言えば「お前は合格にしただろう」といわれますし、社内では「何しに行ってきたんだ」と監査員三界に家なしであります。


ダストコマンダー様からお便りを頂きました(11.06.14)
こんなのありか
おばQ様こんにちは。
ここで取り上げておられる文章などは一字一句引っかかるものがあるのですが、まずは一つずつです。

経済産業省がこの制度に関与しているのが理解できません。
なぜわざわざ民間の制度に税金を使って口出しをするのでしょうか?
蓮舫さんに仕分けしていただきたいです。

もしJABがその責務を果たせないのなら、出来る他の組織に取って代わっていただければ良いことです。
もし他の狙いがあるとしても、きっと徒労に終わるでしょう。
排除したい審査期間は出ていくどころか、益々根を生やすでしょう。
審査の質に差異が無く、安いんですから。
公的組織がつまづく原因の多くは、人件費から逆算した製品価格による競争力の欠如と言われています。経産省の作文を読むと、この制度にも同じ匂いがしますね。
価格も品質のうち、価格は市場で決まるという、基本的なビジネス感覚がないんですね。
もし仮に、制度開始時からずっと料金がどこも横並びだったりしたら、それはそれで公取に相談すべき事態でしょう。

ダストコマンダー様 毎度ありがとうございます。
お願いですから、私にそう突っかからないでください。
日本のすべての民間活動は、すべてどこかの監督官庁の管理下にあります。ISO認証制度は経済産業省、エコアクション21は環境省、グリーン経営認証は国土交通省、監督官庁がひとつでない場合もあり、公害防止管理者は経済産業省と環境省、容器包装リサイクル法は厚生労働省、経済産業省、農林水産省などとなっています。監督官庁は担当する業界が悪いことをしないように見張るというより、世間が騒ぐとなんとかせねばと行動をとるのが通常です。たとえば漢字検定は国家資格ではなく民間の制度だといっても、何事かあれば文部科学省は関係ないとは言えないわけです。口出ししたいのではなく、問題があれば口出しせざるを得ないでしょう。
ISO認証制度が国民に不審を抱かれたりすることがあれば・・そんなことはないと思いますが・・監督官庁としては困るわけです。
新規参入者の値段が安いということは、なぜ価格が安いのかというより、なぜ価格が高いのかということでしょう。そして言い換えると今までカルテルだったのかという疑問を持たれるでしょう。カルテルというと洋風ですが、日本語では談合です。ビジネス感覚というよりフェアネスということでしょうか。それは監督官庁というより、認証機関の問題でしょう。そして審査を受ける企業の側にだって長年の間、ISO審査費用の値引きとかあい見積もりをしてこなかったというビジネス感覚の欠如もあったのではないでしょうか。
5年前、10年前から消費者あるいは購入者(個人・法人)が選択する眼をもって、良いものを安く買うのが当たり前なら世の中は変わっていたでしょう。
それからJABは経産省の外郭団体ではなく経団連が出資して設立しています。そしてJABの予算に国家予算から出ているお金はないようです。「ないようです」というのは調査事業収入2200万と指定調査事業収入450万というのがあり、その内容が分からないからです。でも総収入が10億を超えてますから。それは全体の2%にしかなりません。蓮舫さんがなくせと言えるのは国がお金を出している場合で、国がお金を出していなければそんなことは言えません。せいぜい口を挟むだけです。


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