システム構築のうそ 2

11.08.09
私は1980年頃から品質保証という仕事に関わってきた。といっても品質保証部門にいたわけではない。それどころか、当時は品質保証なんて言葉を知っていたわけでもなく、品質保証とはいかなるものかを知っていたわけでもない。
では、始まり、始まり

日本の建設業は階層化されている。ゼネコンがお仕事を取り、それを下請に出し、孫請けに出すという構造になっていて、実際に仕事をする段階になると発注者が払う半分以下の金額で仕事をすることになるという。残りのお金はピンはねの積み重なりで消えてなくなる。
そんなことは建設ばかりではない。時代の最先端と思われているソフトウェアだって、F社とかN社が元請になり、その仕事が下請け、孫請け、彦請け、玄孫請けとなり、実際に仕事をするのは重労働、低賃金、家に帰らず机の上で寝るようなことが当たり前の世界だ。
想像で語っているわけではない。私の姪っ子の夫はそんな仕事をしている。

1980年当時、私は製造業で電子機器の組み立てをしていたが、それだって似たようなというか、同じ形態、同じ構造だった。幸いと言うか私の勤めている会社は、ピンはねの連鎖の末端にあったのではなく、発注者であるブランド名の会社から直接か二番目に受注する位置にあった。そして当然、その仕事を下請に出し、ピンはねをしていたのである。もちろん全部を下請に出しだのではなく、かなりの部分はみずから組み立てをしていたが、仕事量の変動は外に出して吸収するのは世の常だ。
1980年代初頭でも品質保証要求というのはあった。私は現場の人間で、品質保証協定とはいかなるものかなんて理解していなかった。しかし実際に下請けに指導に行けば、物を作るということを教えるだけでなく、いろいろなことをすることになった。
つまり従業員30人とか50人くらいの会社にある製品を作らせるということになったとしよう。ものを作るには、組み立て手順や注意事項の指導、コツ、冶工具の手配、副資材などいろいろある。そしてそれとは別の項目として、我々が発注者から品質保証を求められているので、我々も下請に品質保証を要求することになる。だが、そんな中小企業に品質保証体制どころか、まともな職務分掌や文書管理、出荷検査体制、計器管理システムなどがあるわけがない。といって発注者は実際の仕事を下請でしているのは百も承知であるから、私が指導に行っていた下請まで品質監査に来るのも当然だった。
だから私のような現場の人開が、下請の品質保証体制の指導をしなければならないことになる。
もちろん私も始めは先輩に習ってそんな仕事をしていたのだが、ほどなく一人で製造から品質保証から出荷検査から担当することになる。そして私が指導にいった会社でトラブルがあれば責任は全て指導に行った私にあるわけだ。
先輩といっても一人ではないが、そんな人たちの仕事を見ていると、発注者によって異なる品質保証要求事項に合わせて、文書を作ったり、計器管理をすることにしたり、要するに作文をするのである。
簡単だ、
いや、それは簡単ではないのに私は気がついた。
当時の仕事の状況は、A社の仕事が終わると、B社の仕事、次はと短期間あるいはロット単位で発注者が変わりますから、それにあわせた品質保証体制を説明するのは大変です。
電子機器といってもたいした高度なものではない。プラスチック筐体の小型スピーカーとか、家庭用カラオケとか、そんなものであった。
相手に合わせて毎回異なる品質保証体系を文書化するのは大変な労力だし、うそをつくのは、本当のことを語るより気を使う。つじつまがあわないとうそはばれる。
一番いいのはうそをつかないことだ。
ではうそをつかずに品質保証要求を満たすことはできないのだろうか?
私は考えた。どの会社だってそれまで破綻せずに経営をしているということは、企業に必要な要件は満たしているということだ。それは文書化されていないで、社長の頭の中にしかないこともあるし、システムとなっていないで担当者の機転とか非公式なコミュニケーションでカバーしているところもあるかもしれない。いや、中小企業ではそういう要素が大半を占めている。しかしともかく、それで会社が動いている、しかもけっこううまく動いていることは間違いない。だったら、それをそのまま会社の仕組みとして表に出したらいいじゃないか、と思ったのである。
発注者が品質監査に来るたびに、計測器に校正期限のラペルを貼ったり、設備の点検票を掲示してチェックした振りをして、そのお客さんの仕事が終わると、みな外して捨ててしまうというのはあまりにも異常である。
私はまず体制は、下請のあるがままの職務分掌表に○○担当とか、出荷責任者とか追記した。見栄えが良くても実際と違う品質保証体制図など描いても、描くだけ無駄じゃないか。
../nogisu.jpg 計測器も元から管理しているものだけ管理していることにして、それ以外は管理していないことを明記した。だって電子機器組み立ての下請で、ノギスもマイクロメーターも校正なんてしてませんよ。
というのはそれらの用途が、ねじの寸法を測って現品の間違いないことを確認する程度なんだから、0.2ミリや0.3ミリ違っても困ることはありません。もちろん機械加工をしている会社ならそういったものを校正するのは必須だろうけど。
検査計器だって親会社(我々)が渡した完成良品サンプルを下請けが検査して、我々が校正している計器で測定した数値に近ければOKというのも実態。だったらそういう計器管理をしていると書けばいいじゃないかと思いました。
そして考えたら・・考えなくても・・すぐ実行という性格の私は、そのような品質保証体制を文書化して発注者に出しました。連中はそれを持ってやってきて品質監査をしました。いつもしていることをそのまんま書いただけだから、監査の当日に特段することはなにもなく、社長も従業員も質問されると迷わず答えました。監査に来た人はそのような仕組みに何もいいませんでしたし、結果はOKでした。
そんな下請の指導は何度もしました。何十回といってはうそですが、10社近くはしたように思います。
もちろん私か勤めていた会社も発注者から品質監査を受けたわけですが、ある程度仕組みができていましたから、相手の品質保証要求事項に合わせて、会社の規則や要領書から該当するものを抜き出して品質マニュアルと称するものを作成していました。もっとも、それは私ではなく、品質管理の連中がしていました。
発注者によって品質保証協定書あるいは品質保証要求事項は大きく異なりました。だから勤め先にしても、下請けにしても相手の要求に合わせて実際の会社の仕組みを見直すなんてことは不可能であり、ありえなかったのです。

1990年頃に、私は現場管理者として力量がないことが明白となり、首になりました。そして品質保証という部署ができてそこに異動になりました。今まで品質管理がしていた顧客の品質監査対応などを専門にするというわけです。
品質管理(狭義)と品質保証の違いは分かりますよね?
まもなく1992年のEU統合がありました。そして現れたのがIS09000という黒船です。
多くの方はISO9001認証のことを品質システムの構築なんていいますが、私はそんな仕事をしていましたからシステム構築なんて言葉を聞くと笑っちゃいます。 IS09000 であろうと、顧客の品質保証要求であろうと、ISO14001であろうと、私の勤めている会社の過去からある仕組み、システムが、外部の要求を満たしていることを説明することに過ぎません。だってお客さんから要求されるたびに会社の仕組みを変えるなんてことができるわけがありません。
IS09001に合わせて会社の仕組みを変えたとか、再構築したとおっしゃる方がいますが、本当にそんなことをしているのでしょうか?
それはうそを語っているのか、あるいは品質保証というお仕事をしたことがなく、ISOしか知らないのでしょう。

よくISO認証をして会社を良くしようとおっしゃるお方がいるが、この方はマネジメントシステムというものを理解しているのだろうかと驚く。マネジメントシステムなんて構築できるものではありません。それは会社の文化そのものですから、新しく作ることは簡単じゃありませんし、変えることは困難でしょう。

内部監査がマンネリ化するとか、システムが会社に合っていないとか、経営者が本気でないとか、ISOのマネジメントシステムにいろいろと不満をお持ちのお方、
それって、それは単なる現象であり、真の問題はあなたの会社のISO対応のシステムに大きな間違いがあるのではないでしょうか?
あるがままの仕組みを、そのまんま東じゃなくて、そのまんまISOの仕組みにしたらいいじゃないですか?
人間も本性を隠すと性格が破綻してしまい、影で犯罪を犯すようになるのです・・本当でしょうか?
内部監査がマンネリ化するということは、単に内部監査員の力量がないのではなく、御社のマネジメントシステムが、はなっから間違っているのではないかという気がいたします。

本日のタイトル
もう4年も前のこと、同名で駄文を書きましたので、本日はパート2でございます
大人気の映画と違い、誰も読んでくれなくても続編ができるとはこれいかに?



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