システム構築というウソ 2007.05.06

最近、たまたまある中小企業(80人くらい)の社長さんとお会いした。この社長、近頃は取引先からグリーン調達とかいって環境マネジメントシステムはあるかとか、製品に含まれる化学物質情報とか識別など要求されて、一体どうしたらいいか困っている。わが社には環境マネジメントシステムがなくて・・・と謙遜する。
私はその会社には義理も恩義もなくコンサルを頼まれているわけでもないから、まあまあ大変ですね、というようなことをいってお茶を濁した。
本音をいえば、おせっかいな私のことだから、一宿一飯の恩義がなくても、「そんなにお困りでしたら、明日から私がお手伝いしますよ。三日もお邪魔したらお客様の要求に応えるようにしてあげますよ」と言いたかったのはいうまでもない。 
でも会社の仕事が終わってからボランティするひまはない。
実を言って、それは単なるおせっかいからではなく、そういう仕事が自己啓発になると考えているのだ。
私の見たところ、その会社はちゃんと製品が含有する化学物質を把握しているし、それに関する文書や記録もあるようだし、それらをとりまとめる仕組みも動いていると思える。ただ、社長さんがお客様の要求に会社の業務やどの文書が対応するか思いつかないというか、お客様が一体何を要求しているのかを理解できないに過ぎないように思えた。

実を言って、私は環境マネジメントシステムがない会社というのは存在しないと考えている。もちろん品質マネジメントシステムの存在しない会社もない。ついでに言えば機密情報管理や安全衛生のシステムの存在していない会社もない
そういったしくみは会社に限らず、すべての組織に必要不可欠の機能として具備されているのであり、ありてあるものなのである。知能のあるなしに関わらず、神経系がない動物が存在しないのと同じこと。

ただ、会社に存在して運用されている仕組みが、環境マネジメントシステムとか品質マネジメントシステムという名前がついていないので、気がつかないのだ。だいたい仕組みというのはひとつであって、いろいろなマネジメントシステムがあると考えることが間違いであって、統合マネジメントシステム(GMS)として存在している理解するのがあるべき姿である。
いや、それも間違いだろう。本当は統合マネジメントシステムなんて呼ぶまでもなく、我が社の仕組みとか当社のルールということにすぎなく、空気のように存在を気にしないのが理想なのだろうと思う。
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孫悟空がいくら暴れても
お釈迦様の手のひらの上

ISOに限らず、過去さまざまなマネジメントシステムを考えてきた人々は、ルイス・アレンをはじめとする組織論の手のひらを出ることはなく、しかも孫悟空のようにその手のひらにいることにさえ気付かなかったのだろうと思う。
異議は承る
今現在、マネジメントシステムと呼ばれているものは、1987年に「品質保証の国際規格」としてへりくだってデビューしたものが、いつのまにかつけあがり増殖し自分たちを「マネジメントシステム」なんて大言壮語を語るようになったとしか、私には思えない。 会社が備えなくてはならないあまたの機能の一部を、マネジメントシステムと呼ぶことは針小棒大であるし、ましてそれらが独立して存在するようなことをいうのは詐欺に近い。
「品質保証の国際規格」に基づいて第三者認証するスキームについて私は否定しない。二者が取引するとき、下請負契約者(懐かしい!)が備えるべき条件を提示しそれを満たしているかをチェックすることは当然だし、購入者に代わり第三者がそれを行うこともおかしくなく、それがすなわち第三者認証であった。
しかし「○○マネジメントシステム」という銘打って要求事項を作り上げ、それに基づいて第三者機関がチェックすることが良いことであったのかは・・・止めておく 

会社・組織はその発祥時から必要十分な機能を持っているのである。そしてお客様が要求するさまざまなことに対して、そのつど機能を追加したり仕組みを変えたりして対応してきたのは大昔からである。お客様に限らず、法律が変わればそれに合わせて費目の見直しや労働安全や公害対策や・・その他もろもろを行ってきた。
マネジメントシステムなんて言葉があらわれるはるか以前からすべての組織は生きて動いて環境変化に対応してきたのである。
そういうことを踏まえて考えれば、突然あらわれた「○○マネジメントシステム規格」に合わせて、会社のマネジメントシステムを構築したなんてまじめな人なら口が裂けても言えるはずがない。
そもそも、マネジメントシステムとは何だ?
組織が人で構成されるなら、その本質は人であり、人をいかに動かすかということが組織論そのものである。
社会人にとって最重要課題は人間関係である。これを否定する人はメイヨーのホーソン工場に行って勉強してほしい。
手っ取り早く生産・品質をあげるのは下手な工夫をするより熱意と能力をあげることであり、仕組みを作ったり記録を残すのはそれが一過性でないようにするための手段に過ぎない。
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マネジメントシステム構築なんて言葉はウソである。語義から考えて、マネジメントシステムを構築できるわけがない。ちまたでシステム構築したと語っているのは、組織のマネジメントシステムを外部に説明するようにしたということ、あるいはマネジメントシステム規格と称しているものとその会社の仕組みの対照表を作ったということに過ぎないと私は考えている。
マネジメントシステムを構築しました、マネジメントシステム構築を指導します、マネジメントシステム構築をコンサルしますという人は・・・みな嘘つきである。 
もちろん、すべての会社が環境経営や品質管理(広義)の仕組みが完璧であるわけではない。しかしそれは当然である。ISO9001でもISO14001でも、その目的はコンプライアンスを含めたパフォーマンスの向上であるが、そのためにマネジメントシステムの継続的改善を求めているのだから。
マネジメントシステムに到達点はなく、すべての会社・組織はその仕組みを見直してよりよりパフォーマンスを求めている。求めるどころか、そうしないと会社・組織は生存競争に負けてしまうのである。

まじめな社長さんへのアドバイス
システム構築なんて言葉を作ったもんだから、それが一人歩きしているだけですよ
社長さん悩むことありません。貴社がしていることを堂々とあなたの言葉で語りなさい。


本日の提言

マネジメントシステム構築という言葉を使うのを止め
代わりに規格要求事項への適合説明といいましょう




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