JISQ14001は誤訳である

11.08.27
この1週間、あちこち出かけておりました。本業である環境監査もしましたし、マネジメントシステムの軽量化についてのご相談もありましたし、ISO14001規格の説明会なんてこともしてきました。私はなんでも屋でございます。レオナルド・ダビンチのごとく万能なのでしょうか、それとも単なる貧乏ヒマなしなのでしょうか?

そんなISO規格の説明会でのこと、ある参加者から「環境側面の原語はなんですか?」と聞かれました。その方はISO14001はまったく知らないですけど、海外駐在も経験して英語は堪能という方でした。
「Environmental Aspectです」と応えると、「ふーん、ちょっと変だね」という。そりゃそうだよね、英検2級、TOEIC630の私だって、変だと思う。アスペクトが側面なんだろうか? 側面と訳すのが適切なのだろうか?
そんな疑問を書いたこともある
環境側面と翻訳したわけだが、それを読んだ人が日本語的な意味で、環境というものの側面とか環境の局面であると思うのだろうか。あるいは、なにものかが環境と接している側面であると思うものだろうか?
環境側面とは環境とも側面とも関係ないんだよ、ISO規格の環境側面の定義を覚えるんだ!なんていってもそりゃ無理ちゅうもんですよ。そんなめんどくさいことをしなきゃ良かったのではないだろうか?
囲碁では筋という言葉を良く使うが、環境側面なんて言い回しは、筋が良くないね。無理筋か無筋というべきだろう。
囲碁で無筋というのは筋が悪いのではなく、もうどうしようもないレベルをいう。私は筋が悪かったが、無筋ではなかったと思う。

過去から科学技術あるいは思想であっても外国語を日本語に訳したとき、しっくりとくるものと来ないものがあった。原語で○○Aspectという言葉は果たして日本語にはどのように訳されているだろうか? ○○aspectという言葉が、みな○○側面と訳されたとは思えない。いやアスペクトを側面と訳したものは、ほとんどないようだ。 環境側面という言葉が、直感的にそれが何を意味するかが思い浮かばないことにはご同意いただけるだろう。だからこそ、「環境側面は点数で求めるんだ」というような、おかしな迷信が21世紀まで伝わり、魔女や狼男が童話の世界だけとなった現在でも、大の大人に信じられているのだろう。
もっとも、我が同志によると環境側面がわかりにくい点数方法でないと環境側面の講習会を開催しても人が集まらないという事情もあるらしい 

Environmental aspect を環境側面と訳したことは、誤解を恐れずに言えば誤訳ではないのだろうか? いや誤解されるのを覚悟で言えば、誤訳そのものであろう。
ではどのような言葉に訳せばよかったのだろうか。環境側面なんて新語を作らずに、そのまま環境アスペクトでもよかったかもしれない。もしカタカナじゃおかしいとおっしゃる人がいれば、その前にISO14001規格のタイトルにけちをつけるべきだ。そこには「環境マネジメントシステム」と書いてあるのだから。
私なら、要管理項目と訳したのではないだろうか。あるいはワンワードでなくて節や句でもよいのなら、環境に関わる重点管理項目とか、環境管理における考慮事項でもよかった。なぜならそれ以降の項番で環境側面の手順を作り、訓練し、運用し、監視し、コミュニケーションをはからなければならないのだから、そのまんまである。もっともそうすると規格があまりにも単純で見通しが良くなり、簡明でありがたみがなくなることを恐れたのかもしれない。
ともかく、要管理項目でも考慮事項でも良いが、そのような言葉としたならば、それを計算で求めるんですよという人があれば、それはおかしいんじゃないの!という声が出て当然で、点数というような迷信は打ち払われたように思う。だって管理しなければならないことを計算で出すなんてことは、会社で実務をしたことがある人なら信じないだろう。
どの職場でもいろいろな仕事がある。
新人を教育するとき、それぞれの仕事に環境への影響やその影響がどのくらいの期間続くのかとかその大きさを掛け算して何点以上であればしっかり教育して何点以下なら力量がなくても良いなんてことがありえるだろうか? それでも点数方法が良いという人は、もはや企業から追放すべきだ。なぜなら、そのような人が指導したら、事故がおき、違反がおき、汚染を引き起こし、ISO14001の規格の意図である遵法と汚染の予防を裏切ることは間違いない。
そして環境側面は点数が良いですよとささやくコンサルも審査員も、まさに悪魔の使いである。
たぶん、地獄に落ちるのだろう。
あと10年とか15年すると、地獄はうそを語っていたISOコンサルや審査員でいっぱいになるのだろうか?
そして地獄の鬼たちに罰則は計算でしなければいけないとか、有益な罰則と有害な罰則があるなどとアホを語るのであろうか?
ふと頭に浮かんだのだが、有益な環境側面と語る人たちは、もし要管理項目でも考慮事項と訳したときは困るのではないだろうか。有益な要管理項目ってなんだろうか? 有益な考慮事項ってなにさ!
環境側面という怪しげな言葉だからこそ、有益という形容動詞をつけることができたのではないだろうか?
異論、反論おありであれば大いに議論しましょう。
もっとも完全に有益な環境側面症候群に犯されている人とは議論にならないけどね♪

目的・目標というのも迷信になりやすい。いやいや、既に迷信となり、神話となり、日本の環境管理をエイズのごとく侵しているようだ。Objective(s)をISO9001と同じく目標と訳せば、誰も悩まなかっただろう。Objectiveを目標としたらtargetをどう訳すか困ったのだろうか?
そんなことで困ることはない。Targetは元々objectiveと同じものじゃない。Objectiveが到達点、的であるなら、そこに矢を当てるための狙いどころとか中間点ということに過ぎない。そんなことを書いたこともある。
だからtargetを目標としたのは完全な誤訳だ。Targetは管理ポイントとか経過点と訳していたら、J△○○社のようなおかしな発想はなかったはずだ。
ISO9001を読めばすぐに分かるようなことを、何年審査員をしていても理解しないのは不思議としか言いようがない。
あっ!あなたは環境だけの審査員で品質のほうはご存じないのですか。それはいたしかたありません、なんて私が言うわけがない。 いやしくも環境の審査員とおっしゃるならISO14004をご存知ですよね? お読みになられた、それはけっこう、そしたらobjectiveとtargetについては十二分にご存知ですよね。
もしご存じないとおっしゃるなら、ISO14004を読んでないのは間違いない。
もっとも読んではいても理解できなかったということもありえるが・・・

他にも誤訳があるのですか?
ありますよ、たくさん
Trainingを教育訓練としたのも大間違いでしょうね。私が訪問する会社の多くは、一生懸命に社員に教育訓練をしています。そんなことをせずに、お金儲けを考えていたほうが環境に貢献するように思います。
里山保全の重要性を貴重な賃金を払っている時間内に教育することにいかなる意義があるのか、私にはわからない。
オゾン層破壊の危険性を講義して、その理解度をテストすることは地球環境保護に大いに貢献するのだろうか?
ひょっとして、たぶん、いや間違いなく、私が間違っているのだろう。
いや、私は口に戸を立てるようなことができない人間ですから、その場で言いました。
「こんな無駄なことはおよしなさい」
するとその会社の方は「審査員に何を言われるか分からないので、止めることができません」
はあ!ISOとは会社のためではなく、審査員のためのものであったか!

順守評価というのは誤訳ではないが、かんぺきに誤字である。寺田さんは2004年改定時にいまどきは遵守と書いても読める人がいないと言い訳をいっていた。本当だろうか?
自動車の運転免許の試験では「遵守」という文字がたくさん出てくる。もし、遵守を読めないならみな運転免許試験の問題が読めないことになる。そんなことはない。
順守なんて国労の順法闘争のようなヘンテコ文字を使わず、遵守と書くべきであったろう。

今21世紀の日本において、ばかばかしいISO14001の審査が行われているのは厳然とした事実である。私から見ておかしな審査が、全体の10%なのか、20%なのか、30%なのかは分からないが、間違っても1割以下ということは絶対にない。

本日の結論
JISQ14001は誤訳である。
JISZ9901は1998年に小改訂された。これはISO9001が改訂されたのではなく、JISの翻訳が不適切ということで行われた。
ISO14001が改訂されなくても、JISQ14001を改訂しようじゃないか。小改訂なんて遠慮することはない。大幅改訂しよう。絶対に誤解されないように、しっかりとした日本語で「環境マネジメントシステム−それに求められるものと利用の手引き(原題)」を書き直そうじゃありませんか。
ついでに言えば、
そのような改定が行われても、企業のEMSもマニュアルも書き直すことは全然ありません。
だって、ISO規格に基づいてEMSを構築しているはずはありませんから。企業のEMSがISO規格を満たしていることを確認することがISO審査のはずです。
そうでないなんていっている認証機関がもしあれば、ISO17021に不適合でしょう。

本日の不安
嗚呼、私は認証機関とコンサルだけでなく、本日以降はISO14001翻訳・解釈作業グループからも命を狙われそうだ。きっと指名手配のポスターが印刷されていることだろう。
指名手配



おお!早速 ぶらっくたいがぁ様からお便りを頂きました(2011.08.27)
新人を教育するとき、それぞれの仕事に環境への影響やその影響がどのくらいの期間続くのかとかその大きさを掛け算して何点以上であればしっかり教育して何点以下なら力量がなくても良いなんてことがありえるだろうか?

マジメな話、ある力量評価テストの合格点が80点だとして、79点だと不合格で仕事をしてはいけないのでしょうか?
79点では力量不足で80点なら力量があると判断するなんて、そんなアホな会社など見たことがありません。
え? 採点の時、カサ上げするから79点になんかならないですって?^^;

たいがぁ様 早速のコメントありがとうございます。
私も以前から非常に気になっていたことがあります。
力量を確実にしろとありますが、人間の能力はイチゼロではありません。どんな仕事でも、はじめはまったくのトーシロだけど、先輩の仕事を見て少しずつ覚えていき、ある日突然ではなくて、いつとはなく「お前ももう一人前になったね」と親方に言われるのが常でございましょう。
ということは力量はいつの時点で確実になったのでしょうか?
「力量を持つことを確実にすること」というのは論理的にはナンセンスではないかと思います。
現実には、「力量を持つように育成を図り、不十分な場合は力量のあるものが指導監督する」ということではないかと思います。
ところで、ISO審査員は審査員補から審査員、そして主任審査員となるわけですが、この場合も力量があるものが審査員や主任審査員を務めるのではありません。候補者が主任審査員の指導監督の下に、審査員や主任審査員を勤めて、主任がOKしたらJRCAやCEARに申請することになります。
だから概念というか広いスパンなら「力量を持つことを確実にすること」なのですが、狭いスパンというかその過程においては「力量を持たせることを確実にする」ということかなあと思います。
ところで、そのような審査員の訓練をへて主任審査員になった面々があまり力量がないということはどうしてなのでしょうか?
これもISO七不思議のひとつでございます。


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