ケーススタディ 子会社の監査 U

12.03.17
朝、廣井が中野と山田を集めた。環境保護部は人数が少ないので、定例会議というものはなく、なにかあればその都度、誰でも全員を集めて議論するならわしだ。
「今年の春の定期異動があったのでお伝えします。え、私がこんど環境保護部の部長を拝命しました」
中野は元から知っていたのだろうし、山田も多分そうなるのだろうと思っていたので、誰も驚きもしなかった。
「次に、山田君だが、部下もなく名目だけだが課長に任命する」
山田は驚いて思わず声を出した。
営業などラインの部課長は工場の部課長と横並びであるが、スタッフ部門である環境保護部や人事部・総務部といった部門はひとつ階層がずれていて、環境保護部の部長は工場長と同格、課長は工場やライン営業の部長相当なのだ。ということは、山田は課長職を経験せずに部長級になったわけだ。営業の課長レースで落馬して、もはや会社人生おしまいかと嘆いたのは、今からわずか2年前だった。
「まあ、それだけの仕事をしていると周りが認めたということだ、がんばってくれ」
山田は無意識に立ち上がり廣井に頭をさげた。
「ありがとうございます。今後も一所懸命に仕事に励みます」
「気負うこともない。部下もいないし今までとあまり変わらない。変わるのは出張清算を自分が決裁できるとか、今までも時間外なんてつけてなかったろうが、今後ははっきりと時間外がつかないということかな」
中野が山田の袖を引っ張った。
「山田君、課長といっても君が一番若いのだから、今回の廣井部長昇進と山田課長昇進の祝賀会は君が幹事だよ」
山田は了解しましたと応えた。

解散した後、自席で山田は廣井からもらった真新しい名刺をながめた。うーん、正直言って、悪くはない。帰ったら妻と娘に最初の名刺を渡そうと考えた。妻はきっと驚くだろう。そして喜んでくれるだろうと思う。その情景を想像すると口元が緩んだ。
とはいえ、そうニヤついてはいられない。今日は熊谷の代理店の監査に行くのだ。
先日の子会社の監査でちょっとトラブルがあり、今日は山田が工場の連中に、子会社に対する監査のお手本を見せる羽目になってしまったのだ。
熊谷までは在来線で1時間ちょっと、11時に会社を出れば、熊谷駅で昼飯をとっても約束の13時前には十分だろう。山田は時間をみはからって、中野に断って出かけた。

熊谷駅で12時50分に、山田は千葉工場の井上課長と森本と待ち合わせをした。監査する会社は駅から歩いて10分はかからない。もっとも熊谷は大きな町ではないから、10分歩いたら市街地から出てしまうかもしれない。
山田は子会社の監査をするのははじめてで不安がないと言えばうそになるが、自分が考える方法でトライできると思うと、うれしくて快い興奮があった。
森本や井上課長が見学というか、お手並み拝見と付いて来るのは、まったく気にならなかった。
駅の外は天気もよく、汗ばむほどである。花粉症の人は辛いだろうなと、花粉症とは無縁の山田は同情した。

待つほどのことなく、駅舎から井上と森本が現れた。
「やあ、井上課長お久しぶりです」
「山田さん、聞いたよ、課長昇進だって。もうお気楽に山田君なんて呼べないね」
「いやおかげさまです。今後ともよろしくお願いします」
森本は山田の課長昇任を知らなかったようであった。
「井上課長のほうが早く課長になったでしょう」
「おまえなあ、本社の課長ってのは、工場の部長だぞ」
井上がそういうと森本はぎょっとしたような顔をした。
「では参りましょう」
山田は話を終わらせた。

三人はのんびりと埼玉鷽八百販売(株)を目指して歩いた。待ち合わせは12時50分だったが、予定より早く出会ったので、あまり早く行ってもまずい。
道中、山田は話しかけた。話ができる程度ゆっくり歩いていたということだ。
「井上さんは工場の環境管理は本業でしょうけど、代理店などの非製造業の環境監査も同じようなものなのですか?」
「いや、正直あまり詳しくない。もちろん専門に非製造業の監査をするならそれなりに詳しくなるでしょうけど、年に数回しかしませんので、販売業や建設業などの業種特有の環境法規制を勉強しようという気にならないというのが本当のところですね」
山田は、井上が語ることはウソではないと思った。ということは、山田がこれから非製造業の監査について教育をしなければならないということだ。山田は工場の環境管理さえ知らないのに非製造業の監査の指導なんてできるのかという気も一瞬したが、2年前まで営業にいたのだから営業の流れは知っている。だからむずかしいことはない、と楽観的に考えた。
「前回はまったく問題なかったとありますね」山田が森本に声をかけた。
「私がマネジメントシステムを確認したところそうです。方針もありますし、環境側面も、法規制の把握も十二分です」
「なるほど」山田は別に森本の監査を疑う気はなかった。
「あ、あのビルです」森本が声を出した。
山田と井上は森本が示す方を見た。5階建ての小さなビルの屋上に、若干薄汚れている『鷽八百機械』と会社のロゴを描いた看板が見えた。
山田は腕時計を見ると12時3分くらい前だ。
「ぴったりですね」
一般に会社を訪問するのは、約束より2・3分遅れるのがよいという。早めでは先方に迷惑をかけてしまうし、5分遅れでは失礼だ。微妙なところだ。

代理店といってもお店があってその場で販売しているわけではなく、玄関を入ると、受付には液晶モニターと受話器があるだけだ。液晶モニターの後ろの壁には、金色の建設業の許可が掲示してある。埼玉県知事許可で、機械器具設置工事と電気工事の一般とある。
そんなものを山田が眺めている間に、井上は受話器をとって総務部と表示してある液晶部を押した。
「こんにちわ、鷽八百の井上です。ハイ、新潟部長さんをお願いしたいのですが、ハイ、ハイハイ、了解しました」
「今、来るそうです」
すぐにドアが開いて、60近いやせた方があらわれた。
「新潟でございます。井上様でいらっしゃいますか? ああ、森本さん、お久しぶりです」
「はい、今日は3名でおじゃましました。よろしくお願いします」
新潟は「3人か」と独り言を言って、液晶モニターの置いてあるカウンターの裏側を開けて、首にかけるネームホルダーをみっつ取り出した。
「最近はどこでもセキュリティが厳しくなりまして、申し訳ないのですが、これを首にかけてください」
三人が首にかけたのを見て、ドアの脇にあるセンサー部分に自分の身分証を当てて電子音を聞いてドアを開けた。
「すみませんが、おひとりずつ、カードをセンサーに当ててください」
山田は疑問を感じたので新潟に質問した。
「新潟部長さん、セキュリティが厳しいのは分かりますが、誰かがカードホルダーのありかを知っていたらどうなるのですか?」
「アハハハハ、大丈夫ですよ。みなさんには見えなかったでしょうけど、カードを取るときに、私のカードを当てないとロッカーが開かないのです」
なるほど、そりゃそうなっているのだろうと山田は勘違いした自分に呆れた。

会議室には鷽八百社の社長や、埼玉県知事、群馬県知事をはじめとする地元自治体の首長からの表彰状や感謝状がずらりと並んでいた。そしてまたその会社の歴代社長の写真が並んでいる。歴史のある会社のようで、社長の写真を数えると11枚あった。古い方から6枚までは白黒写真である。
営業にいた山田は、そういう雰囲気には以前から親しんでいた。中小企業とはいえ、その土地では鷽八百グループの代表であり、本社にとって代理店はお得意さまであり、大事にしなければならないことを良く知っていた。大事にするといっても言うことをなんでも聞くとか、甘やかすという意味ではなく、運命共同体としてお互いに研鑽を深めて鍛えあっていくという意味である。

新潟部長が一旦席をはずしたのと入れ違いに、中年の女性がお茶をもってきた。その後、その女性と新潟部長が再び現れた。
「えーと、こちらは山口課長です。当社はご覧の通り販売店ですから環境管理というものは総務のお仕事で、私と山口で対応させてもらいます」
私の経験では、販売店などオフィス系の中小企業では、総務課長や総務部長が女性というところはかなり多い。
「みなさんとお会いしていないのは私だけのようです。鷽八百の本社の山田と申します」
山田が一人立ち上がり、新潟と山口と名刺交換した。
新潟は名刺を見ると、おお、と声を出した。
「山田さんは本社の課長ですか。とすると今日はなにか重大問題が起きてご出馬されたということでしょうか?」
「いえいえ、そういうわけではありません。私が今年からグループ企業の環境監査担当となりましたので、状況を拝見したいと井上課長にお願いした次第です。ところが井上課長から、陪席するだけでなく実際に監査をしてみろと言われて、本日は監査の実技練習をさせてもらいます」
井上があわてて追加説明した。
「新潟部長さん、申し遅れましたが、本日は本社の山田課長が監査責任者を担当しますので、私どもは陪席させてもらうということでお願いします」
新潟は了解するしかないが、本社の課長である山田が来たことを気にしているようである。

「それじゃ、監査のオープングを始めさせてもらいます。私山田一人が監査員です。こちら二人はオブザーバー、つまり見学者とご理解下さい。
スケジュールですが、書面といいますか、ここで2時間程度お話をお聞かせいただきます。それから御社の廃棄物置場とか空調機や石油タンクなどがあれば、現場で確認させてもらいます。それにどのくらい時間がかかるのかあとでご相談したいと思います。
いずれにしても4時には終わって、私のまとめに30分程度、その後にみなさんと協議をして5時には終わりたいと予定しています。よろしいでしょうか?」
「では今回は私が御社を訪問したのははじめてですから、初歩的なことから質問させてもらいます。まず事業拠点といいますか、支店支社などは何箇所ありますか?」
山口課長が書類をめくって三人に配った。
../2009/meeting.gif 「私から概要を説明させていただきます。弊社は人員が約50名、ここは群馬県と埼玉県の境にありまして、群馬県側には自動車メーカーもいくつもあり、また電機メーカーもいくつもあります。鷽八百グループには群馬県には群馬販売がありまして、若干商圏はラップしています。まあ、そこはお客様次第ということで・・群馬県の会社さんでも当社と取引したいというところは当社が対応していますし、その逆もあります。
本社はここ熊谷にあり、支店は高崎市、太田市にあります。いずれもビルのテナントです。ここも1階から3階まで借りていて、4階は別の会社、5階はマンションになっています。
支店はもっと規模が小さく一部屋とか二部屋借りているだけです」
山田は配られた資料を良くながめた。なかなか分かりやすくまとまっている。こういうものを標準化して事前に準備してもらえば便利だなと思ったが、すぐにその考えを否定した。そのようなことで、お手を煩わすのは良くない。グループ内の監査なのだから、先方が持っているもので説明していただければ十分だ。余計な手間ひまをかけるなら、少しでも売上を伸ばしてほしい。
「いや、大変よくまとまっている資料ですね。よく分かります。
御社は過去から自前の土地や建物を持っていたことはありませんか?」
「40年ほど前までは、熊谷市内に自前の建屋があったといいます。今では当時のことを知っている人はいません」
40年か、1970年頃というところか、PCBは微妙だな・・・
「PCB機器などは持っていませんか?」
「当社ではそのようなものはありませんね」
「PCBの複写伝票なども保管していないのでしょうか?」
「私が入社したのは1975年ですが、そういう話は聞いたことがありません。また私が入社してから、二度引越しをしているのですが、そのような物はありませんでした」
「わかりました。ありがとうございます。
次の話になりますが、貴社は当社製品のみの販売でしょうか。それともその他の部品や材料なども扱っているのでしょうか?」
「基本的に当社グループの製品だけですが、お客様からいろいろまとめて納品してくれといわれることは多く、同業多社から品揃えをして納めるということは良くあります。中には潤滑油とかグリースもあります」
「輸入することもありますか?」
「今までは直接輸入はありません。輸入品を他社から購入して納めることはあります」
「玄関に建設業の許可が掲示してありましたが、建設工事を行っているのでしょうか?」
「まずいわゆる建設工事というようなものとは縁がありません。当社が部品販売だけでなく、いろいろと取りまとめて販売する際に小規模な取り付けなどもありまして、それで建設業の許可を受けています。実際には当社には工事部隊はなく、現地の工務店などに依頼することになります」
「倉庫とかショールームなどはありますか?」
「商品はすべて工場や他社から直送してもらいますので倉庫はありません。不良や契約がキャンセルになった場合はここに返送してもらいまして、検品後処理を決めてます。ショールームはありません。ほとんどがカタログ販売ですし、お客様が物を見たいといえばサンプルを持っていって説明すればおわりですから」
まず一通り概要は聞いた、では個々について進めよう。
「このビルはテナントに入っているとのことですが、エアコンは大家さんのものですか? 自社で設置したものでしょうか?」
「もちろんビルについています」山口課長は呆れたように言う。
「サーバーなどを設置していましたら、専用のサーバー室などには24時間稼動のエアコンなどを自社で設置していると思いますが」
「昔はそうだったかもしれませんが、今はハウジングサービスというのでしょうか、サーバーを市内の専門業者のところに置いてますので、そういうことは不要です」
「なるほど」山田は自分が営業にいた2年前とは様変わりしているなと感じた。
「じゃあ、社内にUPS(無停電電源装置)などは備えていないのでしょうか?」
「ありません。個人の使っているパソコンは、もし停電になればデータをあきらめることにしています。もっとも東日本大震災と原発事故が起きる前は、停電なんて考えられませんでしたが」
「なるほど、オフィスの一般ゴミなどは大家さんが掃除をするのでしょうか?」
「いや、社員が毎朝掃除をすることにしています。出たゴミはまとめて、ビルの廃棄物置場に出しておくと、管理人が契約している廃棄物業者に出しています」
「蛍光灯のランプは大家さんが交換するのですか? それともお宅の会社で交換するのでしょうか?」
「もちろんビル管理会社です」
「お昼は弁当屋でしょうか、お弁当持参ですか、それともその辺で外食でしょうか?」
「山田さんはおもしろい質問をしますね。前回の監査は森本さんでしたが、難しい言葉で質問されるので、私どもはその意味をよく理解することもできませんでした。
今日の山田さんのお話はよく分かります。あ、今のご質問ですが、営業の人たちは朝と夜しか会社にいませんので、当然お昼は出先で取ることになります。一日ここにいるのは、私たち管理部門の約15名で、女性はお弁当持参、新潟部長は外食派です」
「販売しているものに潤滑剤などがあるとのことでしたが、そういうもののMSDSなどは入手しているのでしょうか? MSDSというものをご存知ですか?」
「化学物質なんとかという書類でしょう。営業の担当者を呼びましょう」
山口課長は携帯で何か話した。ほどなく若い女性が現れた。
「山田と申します。本日は環境監査におじゃましています。お宅で販売している潤滑油などのMSDSは備えていますか? MSDSはご存知ですよね」
「坂本です。当社で取り扱っている潤滑油など、化学製品といえるものは約20件ありまして、すべてMSDSを揃えています。MSDSに関わる法律の改正もけっこうあります。法改正を調べるのも大変なので、毎年すべてを入手しなおすということにしています」
坂本と名乗った女性は、MSDSのリストが入ったファイルをさかさまにして山田に提示した。
「すばらしいですね。お客様からMSDSの要求というのはありますか?」
「ところがですね、今はインターネットもありますし、お客様から直接メーカーに依頼した方が手っ取り早いということもあるのでしょう。ここ2・3年でMSDSを要求されたのは1度あるかないかです」
「今年も既にMSDSに関して安衛法の改正がありました。お客様から要求がなくても、法律ですから対応できるようにしておいてくださいね。ありがとうございました。けっこうです」
坂本はあっという間に消えた。

一休みという感じでコーヒーが出された。
../coffee.gif 「山口さん、給茶機といいますか、冷水機などはありますか?」
「ありますよ。このコーヒーはドリップ式で淹れたものです。給茶機のコーヒーは正直飲む気がしません。お客様にはちょっと出せませんね」
「そうでしたか、このコーヒーはおいしいですね。ところで、その給茶機は買取ですか、リースでしょうか?」
山口は新潟部長と顔を見合わせた。
「どうだったのでしょうねえ? もう何年も前になりますが、日常の清掃とコーヒーやお茶の補給をするという契約で1台入れたのでが、機械そのものは誰の財産なんだろうね? 高いものではないだろうが」
新潟部長がわからんなあという顔で言う。
「とりあえずは深刻なことではありませんが、廃棄する際は所有者がフロン回収破壊法でフロンの処理をしなければなりませんし、その後に廃棄処理することになります。所有状況を確認して、廃棄時にどうするかをはっきりさせておくことが必要ですね」
「なるほど、そういうものにも法規制があるのですか?」
「オフィスから出る一般ゴミ以外の廃棄物としてはどんなものがありますか?」
「机、椅子やオフィス什器はなるべく大事に使ってますが、5.6年で定期的に総入れ替えをすることにしています。古くなるとやはり志気が下がりますから。交換時はすべて下取りしてもらいまして、廃棄物にならないようにしています」
「なるほど、パソコンやOA機器はどうでしょうか?」
「税法の関係で、以前はなんでもリースでしたが、最近は買取りが多くなりました。現在保有のパソコンはすべて買い取りで廃棄物処理がけっこう悩みになっています。パソコンメーカーのリサイクルルートに乗せると、一台あたり7千円から8千円になります。産廃処理すれば、文字通り金額の桁が違いますからねえ〜」
山田は話しぶりから、山口課長がそのあたりのことをしっかり認識していると感じた。
「そうなんですよね、でも産廃に出すと今は現地調査からなにから手間が大変です。一年間に廃棄するパソコンが10台くらいまでなら、リサイクルルートの方が総合すれば安いのではないでしょうか」
「私もそう思います。俗な言い方ですが後腐れないのがいいですね」
産廃としてでるものは、製品で旧品となって売れないもの、不具合で返却され工場責にならないもの、納品時に持って帰れと言われた梱包箱などがあった。
「工事の話になりますが、具体的にはお宅ではどのような工事をしているのでしょうか?」
「営業の担当者を呼びましょう」
白髪頭を坊主にした年配の人が現れた。
「営業部長の館山といいます。工事といいましても、大きな事ではありません。まず元請になることはありません。具体的にはですね、当社が扱っているボールねじなどを使っている機械の修理などで、ボールねじだけ交換というケースもあります。そういうときその作業が依頼され、私どもがお客様の工場の中で仕事するわけです。メンテナンスに毛が生えたくらいで工事といえるのか微妙ですが、ちゃんとしておくという社長の方針で建設業の許可申請をしています」
「そのような工事でも500万以上になるのですか?」
「なりませんね、ほんとを言って実は建設業の許可を返上しようかと検討中です」
「なるほど、そういった工事から廃棄物などが出ると思いますが、どのように処理していますか?」
「基本的に私どもは機械メーカーから部分的な仕事を下請けした形ですので、廃棄物は機械メーカーがすべて処理しています。そういった場合、もちろんボールねじやスライドレールだけじゃありませんので、コンクリート基礎をいじったりすることもあり、建設リサイクル法に関わることもあると聞いてます。まあ、私どもには関係ないですが」
「館山部長、お宅では製品を入れる袋とか包装紙とか使用してませんか?」
「まあ、物がものだからきれいな包装なんてしませんね。大概は工場からのダンボールのままお客さんのワゴンやトラックに載せるというのが普通で、我々が納品するにしても宅配便で送るにもダンボールのままです」
「出荷するのは宅配便ですか。トラックをチャーターすることはないのでしょうか?」
「私どもは倉庫を持たないので基本的に我々が注文を受けたら、鷽八百の営業に発注し、工場から直送が原則です。しかし中には少量の取引もあり、そういうものは工場からここに送ってもらい、私どもからお客様に渡すこともある程度です。宅配便で十分間に合いますね」
山田はこの会社はけっこうしっかりやっていると認識した。
「館山部長さん、ありがとうございました。もうけっこうです」

「山口課長さん、御社で行政への届けをしているものなどとして、どのようなものがありますか?」
「毎年6月のマニフェスト定期報告くらいでしょうか?」
「昨年のものを見せてもらえますか」
山口は用意していたと見えてすぐに取り出した。
同じファイルにマニフェストもとじてある。
「ついでに廃棄物契約書もみせてもらいますか?」
山口は待ってましたという風に取り出した。
山田は最初の監査の仕事がマニフェストのチェックだった。
契約書を見て、すぐに暴力団排除条項がないのに気がついた。

「新潟部長さん、山口課長さん、だいたい拝見しましたので、ここではもうよろしいでしょう。お宅では廃棄物置場はありますか? ある、暖房もビル管理会社ですよね、なるほど、返却品置場も見たいですね・・・」
5人は表に出ると空は晴れ渡っていた。
「ここが廃棄物置場です。まあ汚いところですが・・・」
山口課長が屋内駐車場の片隅に案内した。汚いといったが実際は整理整頓されている。
製品の空ダンボール、あきらかに売れ残りと見える年代物の製品、10年以上昔のものと思われるブラウン管のパソコン、そんなものが種類ごとに置いてある。
「廃棄物掲示板の寸法が60センチより小さいようですよ」
森本が声を出した。そしてズボンのポケットからスケールを取り出して測っている。
「幅が58センチしかありません。山田さん記録して置いてください」
「森本さん、ありがとうございます」
山田は機械的に返事をした。
山田はパソコンの陰におかしなものがあるのに気が付いた。
「山口さん、これはバッテリーですよね」
「そういえば営業の人が二ヶ月くらい前に、車のバッテリーが上がったから買った言って、支払い依頼がありました」
「バッテリーは希硫酸が入ってますので、特管産廃になってしまうのです。お宅ではどのような処理をしているのでしょうか? 売れるのですか?」
「いまどき売れませんよ。以前バッテリーを交換したときは、販売店で交換してもらったはずです。わざわざ会社まで持ってきて、無断でここに置くなんて困りますね〜」
山口課長は今気がついたようでブツクサ言っている。

クロージングとなった。
「新潟部長さん、山口課長さん、今日はお付き合いいただきましてありがとうございます。
では私の方から気がついたこと、是正していただきたいこと、良かった点などを申し上げます。その後、そちら様からそれについてご意見をいただきまして、調整しご同意いただいたことを報告とさせていただきます。
まず、悪い方からあげますと、
産廃契約書に暴力団排除条項がありません。埼玉県条例では神奈川県条例ほど具体的ではないのですが、これは契約書文言に盛り込んでいただきたい。
廃棄物置場にありましたバッテリーですが、この処分方法を考えないといけません。特管産廃なので、杓子定規に考えると特管産廃管理責任者も必要ですし、契約も新しくしなければならず、業者の調査など仕事が波及的に増えていきます。ちょっと大変です。バッテリーメーカーにリサイクルルートがあるはずなので、そこを経由して引き取ってもらうのが一番かと思います。当面の処置だけでなく、今後はそういったときは新品と引き換えに販売店に置いてくるとか、ルールを考えないといけませんね。
それから給茶機の所有者を確認して、不要となったときの処置方法を決めて置いてください。リースなら必ず返却すると決めておけばけっこうです。
それから原発事故以来、全事業所に対して省エネ指示が出ています。オフィスを拝見したところ、在籍していないパソコンのモニターが点いているものがありました。オフィスの照明ももう少し工夫してほしいと思います。費用節減の観点からもよろしくお願いします。
私の方の気づきは以上ですが、新潟部長さん、山口課長さんいかがでしょうか?」
「山田課長さんのお話を聞きまして、おっしゃったことは、私は確かに改善が必要だと理解しました。暴力団排除条項については、実は鷽八百社から役務契約については必ず盛り込むように指示が来ていました。この契約書は廃棄物業者が作ってきたものを、気がつかずそのまま押印したのです。内容につきましては、特に異存はありません」
突然、森本が異議を唱えた。
「山田さん、産廃置場の表示が2センチ足りなかったのは良いのですか?」
「森本さん、それは重大問題なのでしょうか? 確かに保管基準違反とおっしゃるかもしれませんが、罰則はありません。私は是正が必要ではないと判断しました」
「じゃあ、それで問題になったら、責任は山田さんが取るのですよね?」
「森本さん、当たり前じゃないですか。同様に、過去の監査の責任は森本さんにあります。
給茶機は森本さんが3年前にきたときにもありました。なぜ森本さんはそれに気がつかなかったのでしょうか? 今日私が取り上げた廃棄物契約書も3年半前に締結されたものでした。森本さんはそれに対してなにかお話しすることはありませんか?」
山田はいささかえげつないとは思ったが、びしっと問いただした。
「私はISO14001の規格適合を確認したのであって、遵法を確認したのではありません」
「新潟部長さん、山口課長さん、お騒がせしてすみませんね、ちょっとこの件についてはここではっきりさせる必要があるので、ごめんなさいね」
山田はそう断ってから
「森本さん、今の言は言い訳ですよ。あなたはISO14001規格適合をみていない。例えば廃棄物契約書の問題を考えて見ましょう。4.3.2では法を把握する方法があること、そして把握した法規制に対応する手順を作ること、それにアクセスできることを要求しています。それをどのようにチェックしますか? 法規制を把握する方法を聞き取りするのですか? そういう方法もあるかもしれませんが、有効な方法ではありません。
確実なのは監査員が適用を受けることが既知の法規制が把握されていて展開されているかを見る方法でしょう。そして私が知っている暴力団排除が抜けていたので、法規制の把握が弱いと考えました。それはあなたが大好きなISO14001でいえば4.3.2の不適合です。バッテリーだってあってはならないものが存在しているのですから、4.4.6でも4.5.1でも4.5.2でも不適合にできたでしょう。
でも規格では、なんて大上段に構えても意味がありません。常識で考えてまずいか、良いかという判断がまずあって、それを説明できれば良いのではないですか。ISO規格のために会社があるわけじゃなくて、会社を良くする手法のひとつがISO規格だと思いますよ。
じゃあ、本日はこれでおしまいにしましょう。解散」

玄関まで新潟部長と山口課長が送ってきた。
ドアを出たところで、新潟は山田に声をかけた。
「山田さんは、宮田輝という方をご存知でしょうか?」
「宮本輝ですか? 小説家の」
「いや宮本ではなく宮田です。NHKのアナウンサーで、もうとうにお亡くなりになりました」
「いえ、存じ上げません」
「その方は、のど自慢大会などの司会を担当されていましたが、そこで、じいちゃん、ばあちゃん、子供を相手に、家族に接するように話しかけました。山田さんの話し方を聞いていて、宮田輝のようだと思いました」
「新潟さん、ありがとうございます。誉め言葉と受け取っておきます」
山田は自信とうれしさで、まだ明るい日差しの中に元気よく踏み出した。
井上と森本はあわてて山田を追いかけた。

本日の補足説明
いつも私がこんな監査をしているのかというご質問には、イエスでもありノウでもある。
私のアプローチも話し方もここに書いたのと同じであるが、一人で自由に監査を進められることはない。監査といえど、暴走を防ぎ客観性を担保するために、多くの場合は複数のメンバーで行うので、一人で好き勝手にできるわけではない。それは当然だし良いことではあるが、監査員とすれば相棒がけん制するのでやりにくいと感じるのは正直なところだ。

本日の蛇足
外資社員様からツッコミが入るに違いない。
予定調和すぎるって
あるいは臭い芝居というのかもしれない・・・



名古屋鶏様からお便りを頂きました(2012.3.25)
いわゆる「ISOの講習」というのは「仕事とは依頼者の期待に応えるものである」という至極当然のことを無視したものが多いようです。
また、その悪しき薫陶を受けた弟子が・・・
鶏も昔、「やおや」というお題でそんな話を書いたことがありましたっけ。
(※文字制限がありますのでURLは省略します)

名古屋鶏隊長殿 戦線復帰でありますか?
そうです、オママゴトは環境側面だけでなく、内部監査も、法規制も、コミュニケーションも、
あれ 全部オママゴトか

名古屋鶏様からお便りを頂きました(2012.3.25)
以前にガチガチの認証機関信者に「今のISO審査はオママゴトだ」と言ったら「ISOはオママゴトではない!」と反論された記憶が。
確かに「ISOは」そうでしょうけどね、ISO「は」w

規格と審査を混同している関係者が多いのは事実のようです。
まずはそこからかと。

ぶらっくたいがぁ様からお便りを頂きました(2012.03.25)
拝見しました。
私もときどき営業部門の監査をします。法令順守の確認については、環境法令以外、例えば公取法、外為法、下請法、電安法とかが加わる違いはありますが、山田課長とほぼ同じやり方と視点でやっておりますので、共感できました。
もちろん、ISO規格票とかマニュアルを開くことなど皆無です。
ちなみに、産廃カンバンがもし59.9センチ角だった場合、森本氏は今度は公差を問題にするのでしょうかね?^^;

公差を問題にするのでしょうかね

残念でした
法令では60センチ以上とあり、公差を心配することはなさそうです


外資社員様からお便りを頂きました(2012.03.26)
佐為さま
何か、とても生々しい、実体験に基づいた雰囲気があって、突っ込み様がありません。
大手の会社では、確かに本社の課長は、工場や地方の事業所より一段上ですね。
その一方で、地方の大手企業の事業所は、地元の人にとってはそこで働く事は誇りでもあり、優秀な人も多いです。特に女性で管理職になっているならば、尚更でしょう。
また本社から来て地元出身でなくとも、工場長や部門責任書は地元の名士なのですね。
そんな雰囲気がでていました。
私も監査では、汚い所を見ろと教わりました。 トイレや廃棄物置き場などを見ると、管理状況が良く判ります。
勝手にゴミを捨ている人は、ある確率でいるので、それが無くなるか増加するかは、そうしたものが出た時に煩く言ったり問題になるかで判れるのだと思います。 ですから、工場側としても、「ISO監査で大問題になって関係者が面目を失った」という言い方は、工場の関係者の緊張感を持たせるには良いことだと思います。
というのも、管理する側の工場の人のプライドも刺激しますし、勝手に捨てる人にはダメだという抑止力になります。
いつも仰るように、環境監査は 日々の管理の積み重ねであって、ISOという特別な言葉で語られるものではなくそれを実施する側が理解できるものであるべきなのは、本当におっしゃる通りと思います。
ISOの監査や関係者は、国際語(または国内標準語)であるISO規格と、現場の管理との通訳であるべきだというのは宮田輝の例からも良く判りました。
外資社員

外資社員様
同じ感覚を有しているということをありがたく感じます。
外資社員様とは、会社は違いますが過去の価値観といいますか、そういうものを共有していることに安堵といいましょうか、そんな感じを持ちました。
私も大企業病なのでしょう。


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