ケーススタディ 監査は帰納的に

12.04.15
山田が給茶機のそばでコーヒーを飲んでいると、横山が話しかけてきた。
「山田さんて、ここに来るまで営業にいたのでしょう。でもあちこちでお聞きするのですが、環境監査のプロフェッショナルだそうですね。山田さんは、どのようにして監査の技術を磨いたのですか?」
山田はそう言われていささか驚いた。
「横山さん、誰がそんなことを言っているのですか? 私などまだまだ駆け出し、修行中ですよ」
lady.gif 「この前、中野さんのお供で岩手工場に行きました。震災からの復興を今年の環境報告書に載せるのです。工場再建にあたって環境配慮したこと、省エネや低環境負荷の工場ということを特集するのです。工場を訪問したとき、山田さんのお名前がでたのです」
「悪いうわさでないと良いですが・・・」
山田は懐疑的だ。
「ご冗談を、岩手工場で一月前にISO審査があったそうですが、そのとき審査員が山田さんのお名前を出して『ものすごくISO規格を理解している。太刀打ちできない』と語っていたというのです。岩手工場の方は、ぜひ山田さんに来てもらって、内部監査の指導をしてほしいと言っていました」
山田はそれには応えず、今までのことを振り返った。ISO審査といえば、もう本社だけで3度の経験があるが、一度として安心して審査を受けたことはなかった。と言ってもその不安は、会社に問題があるとか、指摘を出されるのではないかと心配したのではない。おかしな指摘を出されるのではないかと懸念したのだ。
山田が会った審査員はもう20名を超えたが、いずれも項番順審査しかできなかったり、パターンにはまった審査しかできない人たちばかりだった。あのような審査員が、まったく監査など受けたことのない会社に行って、しかも環境側面も法規制も知らない人を相手に、遵法が大丈夫かを監査できるだろうかと考え、できるはずがないと思った。

実を言いまして、私はISO審査をはじめて受けた1992年頃から1995年頃までは、会社に問題があって指摘を受けたことはあります。しかし97年以降、特にISO14001に関しては、会社の仕組みや遵法に問題があって指摘された経験はありません。もちろん指摘も不適合もたくさん出されましたが、それは審査員の解釈と私の解釈が異なるが故でした。そしてときたま審査員が法規制を知らないために、ナンセンスコールともいえる指摘を受けました。ただ、当時は審査員を敬っていた(?)ので、遵法上問題なくても審査員の言われたとおりにしていたのです。
今ですか?
今は引退しましたので、俗世間とは関わりがありません。審査員の皆さん、良かったですね。


会社で仕事をしている人は誰だって、毎日少しでも仕事を改善しよう、仕事に上達しようと考えている。なぜなら、それは会社の業績につながり、そしてそれが昇進や昇給と直結するから。だから売上を伸ばすには、お客様にどのようにアプローチすればよいか、なにかネタになることはないかと、小難しい日経新聞を読み、自腹を切って講演会や社外の講習会に行く。
飲み屋のお姉さんだって、お客さんと話を合わせるためには、巨人が勝ったのか、昨夜のJリーグで誰がシュートを決めたのか、アンポンタンの田中直紀防衛大臣がなにを語ったのか、ゴルフは、皐月賞は・・などを、新聞を読んだりネットで調べたりしなければならない。
ISO審査員は審査が仕事だ。仕事をする上で審査の質向上をどのように考えているのだろうか。日々改善を図り己の力量向上を図っているのだろうか? 先日の子会社の審査もそうだが、おかしな審査を見ると、力量向上に努めているとも思えない。
そういえばJRCAもCEARも毎年審査員の登録更新に当たっては、CPDを求めているが、あんなものではダメだと思う。

CPD(continual professional development)とは、専門能力の継続的開発のことで、監査活動に係わる知識や技能の向上を図ること。
具体的には本を読んだりする個人学習、後援会などを聴講する受動的な活動、自分が講演をする主体的な活動、開発や研究のプロジェクト活動があり、審査員と主任審査員が年間15時間、審査員補で5時間以上となっている。
笑ってしまうではないか。15時間でなにが身に付くのか?
高校生が英単語を覚えるにも、15時間じゃ100語も覚えられないだろう。
営業マンが年に15時間勉強すれば、業界動向、他社の状況、景気動向などを把握できるはずがない。職業人が業務上の力量を向上しようとするなら、毎日1時間としても年間300時間以上は必要になる。それが・・年間15時間とは

「山田さん、大丈夫ですか、どうしたの?」
山田が黙っているので、横山が心配そうに声をかけた。
「ああ、すみません、ちょっと考え事をしていました」
「山田さん、山田さんが監査を覚えた方法はどのようにしたのですか? 教えてほしいです」
「横山さん、そんなことを言われても監査なんて当たり前のことを当たり前にするだけのことです。監査とは翻訳後で原語ではauditといいます。つまり聞くことです。情報収集をするために相手の話を聞きとるというだけです」
「そんな簡単なことではないでしょう? コツを教えてくださいよ」
「ぜひとも僕にもご教示願いたいですね」
younman3.gif
いつのまにか森本がそばでコーヒーを飲んでいた。
山田はまあ、いいかと思った。午後のしばしの時間、この二人に話をするのも今後の役に立つだろう。二人とも積極的に聞きたがっているし、今急いでいる仕事はない。
「じゃあ、ホワイトボードのあるところに行こうか」
三人は打ち合わせコーナーに移動した。

「監査の力量とはなんだろうか? 森本さんは知っているよね」
「専門知識、監査の技能、個人的特質だったと思います」
森本は自信なさそうに答えた。
「正解です。それは監査の規格であるISO19011に書いてある。
専門知識とは、監査する分野によって異なる。異なるから専門知識なんだけどね。環境であれば、環境法規制、環境施設、化学の知識とか省エネ技術というものだ。専門知識は勉強するしかない。というか、勉強すれば身に付く。
監査の技能とは汎用的なもので、環境であっても品質であっても共通だと考えられている。本当にそうかどうか、僕は他のカテゴリーの監査をしたことがないのでわからない。ともかく監査の技能とは、調べたいことを相手に伝えて、相手の回答を読み取り、その情報から適合不適合を判定し、依頼者に報告するということに尽きる。まあその過程において、コミュニケーション能力だけでなく、目ざといこと、収集した情報と自分の知識と常にコンペアして、不整合を見つけそれを究明するという判断力が必要になる。これは勉強だけでは身に付かない。実際の経験の積み重ねやロールプレイによって力量は向上できるだろう。
個人的特質とは、偏見がないとか、粘り強いとか、社交的であるとかいろいろある。
L・M・ジョンソンという監査方法を編み出した人は、監査に向かない人が2割はいると言っている。まあ、営業に向かない人も、研究に向かない人も、単純作業に向かない人もいるだろうから、監査に向かない人がいてもおかしくはない」
「コミュニケーション能力といえば、営業をしていた山田さんなら監査が得意なのはうなずけますね。僕は環境部門でしたから不得手ですよ。先日山田さんがした監査を脇から見て、監査とはこういうものかと驚きました。今まで受けた講習会であのような監査をしてみせた先生はいませんでした」
森本が気弱そうに言う。
「そんなことはありません。誰だって相手の関心ごとや知識などを推し量り、自分が聞きたいことを聞くためにはどのような質問をすればよいかを考えれば、そのスタイルは同じになるでしょう」
「そうでしょうか? ISOの主任審査員が講師をしている公式審査員研修でも、質問は規格の文言をオウム返しにすることを教えられました。例えば『4.4.5a発行前に、適切かどうかの観点から文書を承認する』ということを確認するには、『発行前に、適切かどうかの観点から文書を承認していますか?』と聞くのです」
「森本さん、それってどう考えてもおかしいですよ。私はISO規格って読んだことがありませんが、普通の日本人が、その日本語を聞いて理解できるのでしょうか?」
横山が突っ込む
「横山さん、確かに一歩下がって考えるとそのとおりですね。『発行前に、適切かどうかの観点から文書を承認していますか?』うーん、確かに日本語ではあるけれど、通常の知識のある人にそういっても意味が通じるとは思えない。だからISO審査を受ける企業には、ISO規格の講習会に行ったり、コンサルの指導を受けて、ISO規格用語を十二分に理解して、審査員の質問が理解できるようになる必要があるのです」
山田は今までの経験を振り返りながらそう言った。
えーー、ますますおかしいです〜、ISO審査って、会社がISO規格に適合しているかを調査することで、ISO規格を理解しているかを調査することではないでしょう、おかしくないですか?」
横山はむじゃきだ。
「ハハハ、横山さん、そのとおりです。 ../musuko.JPG でもほとんどのISO審査では、そう聞かれるものだから、ISOの認証を受けようとする会社では、一生懸命審査員の言葉が理解できるように勉強しなければならないのです。あるいはISO認証代行業といって会社の人に代わって審査を受けてくれる人に依頼しなくてはならないのです。
そんなことはおかしいと誰でも思うでしょう。でもISO規格を知らない人に対してISO規格に適合しているかを調査することは、ISO規格を知っているだけではできません。相手の会社の状況を見て、それがISO規格に適合しているかを考えて適否を判断しなければならないのです。そういう力量をもった審査員は非常に少ないですね」
「山田さん、そこが問題なのですが、そういう状況での監査はどうすればよいのでしょうか?」
森本は真剣だ。
「うーん、それは社会人の常識というか、老人の知恵ってなものなのだろうね。横山さん、例えば横山さん、お友達の服装の趣味が変わったりすれば気になりますよね」
「あーわかちゃった。そんなときどのように聞くのかってことでしょう。最近では直接『振られたの?』って聞くのもありですよ。でも言いたいことはわかります。平穏のときは、髪を切ったとか、旅行に行くとかってしませんもの。外観とか行動が変われば、何かあったと思うし、山田さんが言うように、そういうときって、あたりさわりないことを聞いて憶測するのよね」
山田は横山の語るのを聞いて、横山になにがあって日常性の打破をして環境保護部に異動してきたのだろうかと思った。
「横山さん、そのとおり。監査でも同じです。ところで『失恋したの?』という質問は誰が聞いても分かるでしょう。でもISO規格には、一般人が分からない言葉や言い回しが多いのです。だから質問するときは直接的でないだけでなく、誰でも知っている言葉で質問することが大事です」
「でもそれではISO規格が意図していることを、正確に言い表すことができないかもしれないじゃないですか?」
森本が口を尖らせる。
「森本さん、重要なことに気がつきましたね。監査とは、要求を守っているかどうかを質問するのではなく、守っているかどうかを確認することなのです」
「それはどういう違いがあるのですか?」
森本は納得しない。
「例えばさっき森本さんが例をあげた『文書発行前の承認』をしているかどうかを確認するのに、『発行前に、適切かどうかの観点から文書を承認していますか?』というのも論理的には正しい文章だと思います。でもまず日本語としてこなれていない。そして相手が発行前、適切、承認なんて難しい言葉がたくさんあるので、耳から聞いただけでその意味を理解できるかどうか・・どうでしょうか?」
「発行前なんて誰だってわかるでしょう。適切という言葉も日常語です。承認が難しい言葉とも思えません」
森本もけっこうガンコだ。
「じゃあ、森本さん、承認とはどういうことを意味しているのですか?」
「え、承認ですか。確かにウチの会社で、承認という言葉はあまり聞かないですね。一般に決裁と言いますね。決裁と承認は同じですかね? ところで決裁とは部長がハンコを押すことかなあ〜、稟議の場合はどうなるんだろう?」
「すると私が承認と考えていることと、森本さんが承認と考えている意味は異なるかもしれませんね。そうすると『承認していますか?』という言い方では常に同じ意味になるとは限りませんね。それは困ります」
「山田さん、承認って元のISO規格ではどういう単語なのですか?」
横山が脇から口を挟んだ。
「横山さん、それはすばらしい発想です。そうです、私たちが使っているJIS規格はISO規格の翻訳です。ですから意味が分からないときは、原文を当たればよいのです。承認の原語はapproveです」
「それって意味的には最終決定ってことですよね。じゃあ誰が決裁するのか、あるいは決定するのかということになりますね」
「そのとおり、では『この文書は誰が承認するのか』というと聞く人によって意味が違うおそれがあるなら、どうすれば良いでしょうか?」
「私が言っていいですか? 『この文書は誰が決裁するのですか?』と聞けば会社で勤めている人なら分かると思います」
横山が顔を輝かせて言う。
「横山さん、決裁って言葉が全国共通とも限りませんよ。それに複数の方の了解が必要な場合とか、取締役会など会議での承認を必要とする場合もありますね。そういうときひとつの言い方で言い切ると、これまた誤解が生じるおそれもあります」
山田がそういうと、横山はほおをふくらませた。30歳といっても今はこんなものか?
「あのう、先日の山田さんの質問からの想像ですが、『文書の案が作成されてから発行されるまでの手順を教えてください』というふうに、直接的でなく間接的に質問すればよいのでしょうか?」
森本がおそるおそる言った。
「そのとおりです。そういう質問をすればa項だけでなく、誰が内容を確認するのかというb項も、版管理のc項なども相手がしゃべってくれるかもしれません。それはラクチンではないですか」
「なあんだ、そんなことなの! じゃあ監査ってお話がうまい人向きだわ」
横山がニコニコして言う。
「横山さん、そのとおりです。しかし、そのためには自分が知りたいことの内容をよく理解していて、それを相手が理解できる言葉で、目的とする情報が返ってくるであろう質問を投げなければなりません。そして、相手のよけいな情報がたくさんまじっている話の中から、規格を満たしているかどうかの情報を見つけることができなければなりません。それには注意力とテクニックが必要なのです」
「山田さん、直接的にいかないでからめ手にいくということですね」
森本は、ほめられて元気が出てきたようだ。
「そうです。監査とは、知りたいことを質問することはなく、知りたい情報を収集することなのです。問わず語りという言い方もありますが、相手に自由に話をさせて、それを聞いて、こちらが知りたいことが分かれば監査は終わりです」
「山田さん、監査は演繹的でなく帰納的に行うといえばよいのですね」
横山も負けじと口を挟む。
「そのとおり、そのためにはコミュニケーション能力が必要ですし、規格に限らず法律などを相手が理解できる言葉や表現に翻訳して発言し、相手の言葉を法律やISO規格の言葉に翻訳して適合かどうか判断する。それができるようになるには練習が必要ですね」
「山田さん、そのノウハウを教えてください。今考えると、直接的な質問しかできなかった僕の話は、子会社の人にとっては外国語と同じだったでしょうね。ISO審査員がそういう聞き方をするので、それがあるべき姿とばかりおもっていました」
「先ほど言ったように、ISO審査ではISO規格を理解した人を相手にしているからそれでなんとかなっているのでしょう。鷽八百社の本社のISO審査では、そのようなISO規格用語でしか質問できない審査員はお断りしています。私たちはISO規格適合、いや規格以上の仕事をしているつもりですが、ISO規格を勉強するつもりはありません。そんなことをする時間があれば、仕事をしてほしいですね。会社とはそういうところです」

本日の授業料
実は私は三日前に退職した。だから以降はこんなテクニックを解説していきたい。そのへんの審査員研修では教えていないので授業料をとりたい。
えっ、教えているですって?
おかしいなあ、このような聞き方をする審査員はめったにいない。もし教えているならば、プロセスアプローチできる審査員がもっともっといるはずだが。おっと、教えられても実行できないという可能性もあるよね 




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