ケーススタディ 力量10 審査立会2

12.06.21
藤本部長は九州工場の審査立会した後にいくつかの審査を見学していたが、山田は藤本部長に可能な限りいろいろな多くのISO14001審査の体験をしてもらおうと、いくつもの関連会社に陪席させてほしいという依頼をしていた。
山田である
山田課長
山田が以前監査で訪問した神奈川にあるサービス会社から、審査に立ち会っても良いというメールがきたので山田は喜んだ。大きな工場の審査だけでなく、規模の小さな非製造業のISO審査にも立ち会って状況を把握してほしいと考えていたからだ。
この会社を審査している認証機関は九州工場を審査した認証機関と異なり、外資系の規模の小さなところだ。山田はその認証機関について何も知らなかったが、いろいろと違いがあってためになるだろうと思った。
今回も藤本部長一人で行ってもらうことにした。考えてみれば、藤本のために他の者が同行すること自体費用の無駄使いだ。
山田は鷽神奈川のISO担当の五反田という人に、認証機関に親会社の環境担当が立ち会う旨伝えてもらった。



山田は、実施詳細を藤本に伝えた。
その会社は鷽神奈川エンジエアリングといい、鷽八百社の製品を使用している工作機械の修理や点検を行っている。
藤本部長
藤本部長
従業員は社員、パート、派遣など含めて総勢約50名、主に関東地方西半分を商圏としている。作業は工作機械メーカーや機械を使用している最終顧客の工場で行う。事業拠点は、本社が横浜市内の雑居ビルにあり管理部門と営業担当の約20名が勤務しており、工場兼倉庫が本社から地下鉄で15分ほど離れたところにあり、そこにサービスマンと部品担当などが約30名いて、サービスカーで客先に出かけているという実態である。
審査は本社で午前半日、昼食時に工場に移動して午後半日工場で審査、翌日本社で午前中に審査員まとめを行い、11時からクロージングで12時に終了という結構タイトなスケジュールである。審査員は1名で岩口といった。



審査は朝9時からだったが、藤本は遅刻してはならないと、鷽神奈川本社のあるビルに8時過ぎに着いた。
怪しい男
審査員と
おぼしき男
1階にスターバックスがあったのでそこで時間を調整することにした。
あまり好きでもないラテを持って空いている席に座ると、隣に座っている藤本と同年輩の人がテーブルに書類を広げて、マーカーを引いたり、ポストイットを貼ったりしている。
つい藤本は覗き込んでしまった。すると、資料の冒頭に鷽神奈川エンジニアリング社なんとかと書いてある。さては今日のISO審査員はこの方かなと藤本は想像した。藤本は気さくというか考えなしというか、思い立つとすぐに行動する男だ。

藤本
藤本はその男性に声をかけた。
「すみませんが、岩口さんですか?」
岩口
「ハイ、そうですが、どちらさまですか?」
岩口と応えた男もあまり人見知りしないようである。
藤本
「私は鷽八百機械工業の藤本と申します。本日の鷽神奈川社のISO審査に陪席させていただくことをお願いしたものです」
岩口
「ああ、お話は聞いております。しかし、どうして私が岩口とわかりましたか?」
藤本
「実を言いましてお調べになっている資料に『鷽神奈川』と社名が大書してありましたので、ISO審査員の方かと・・」

岩口
岩口は苦笑いをした。
「これはまずいな、本当はこんなところで書類を広げてはいけないのですよ。どうもこんな商売をしていると、セキュリティの原則を破りがちで・・反省します」

藤本
藤本は名刺を取り出して、岩口に差し出した。
「私はこういう者です。審査を見学させていただくことはご了解されていると思います。今日と明日よろしくお願いします」
岩口もそれに応じて名刺を差し出した。
私がよそ様のISO審査に立ち会ったことは何度もあり、そのときこういった形で事前に審査員と名刺交換したことは多い。実を言うと審査員という人種は見慣れると一目でわかるようになる。蛇の道は蛇である。
藤本が岩口の名刺をみると、肩書が代表取締役となっている。
藤本
「これはこれは、岩口様は社長さんでしたか」
岩口
「中小企業ですから、社長といえど審査員をしなければ商売になりません。藤本様は本社でどういったお仕事をされている方なのですか」
藤本
「最近ISO認証の効果があるのかということが弊社で問題提起されておりまして、状況を調査しているところです」
岩口
「ISO14001認証しても環境法違反や環境事故防止に効果がないのではないか言われているのは存じております」
藤本
「私どもはそういった一般論ではありません。本社の環境保護部が工場や支社あるいは関連会社に環境監査を行っているのですが、そこで多くの不具合、軽い法違反とかEMSの問題などが指摘されています。しかしそれらにおけるISO審査では、それに関する問題提起がされたものは1割もありません。そこが疑問というか問題なのです」
岩口
「おお、そうしますと本日は私の審査の審判というわけですね」
藤本
「私はなんでも正直に言いますが、御社から認証を受けている組織は鷽八百グループに3社ありますが、そこではそういうケースはありませんでした」
岩口
「それは良かった。しかしながらISO審査に本社が立ち会っているということは、認証機関を信頼していないということですね」
藤本
「岩口さんの審査を拝見する前に、あまり手の内を見せてしまうのはどうかと思うのですが・・今まで私が審査立会したのは数回なのですが、どうも規格を正しく理解しない審査員や実際の環境管理をしたことのない審査員がいるようですし、どうでもよい規格解釈論議に終始しているのが気になります。おっと御社の審査を拝見するのは今回が初めてです」
岩口
「藤本さんの目的はよく分りました。その疑問には私が審査で応えるしかありませんね。さて時間ですからご一緒に行きましょうか」
二人はエレベーターで鷽神奈川のオフィスに上がっていった。



社長
社長である
五反田
五反田である
藤本と岩口は共に鷽神奈川は初めての訪問である。応接室で待っていると、社長 とISO審査窓口の五反田 の二人が現れて名刺交換をした。藤本は社長と五反田に今回陪席を許してくれたことに感謝の意を表した。

二人はそのまま応接室に座って「さあ、ぞうぞ」という。もうオープニングなのだ。
藤本はへえ!と言う感じだった。今まで鷽本体の工場のISO審査に2回、大手関連会社の審査に2回立ち会ったが、いずれも組織側は30名以上出席して、双方とも説明資料をプロジェクタで映してプレゼンをするというセレモニーが恒例だった。このように小規模なオープニングは初めてである。会社の規模が小さいからとも思えない。

岩口
「まず社長さんの今年の方針、必ずしも環境だけでなくて結構ですが、どのようなことを考えていらっしゃるのかを教えていただけますか」
社長
「昨今、事業環境は非常に厳しい。それで事故や違反を絶対に起こすなということが第一です。へんなことで事業の足を引っ張られると大変なことになる。具体的には、現場作業の安全、廃棄物の処理、交通安全、情報セキュリティ、これですね。例えば環境では不法投棄なんて時々報道されていますが、数万円節約しようとして危ない真似をしちゃいかんと強く言っています。もちろんそのための予算は確保している。
また自宅のパソコンで仕事をして、お客様の情報が漏れたというケースは何度も報道されている。当社では社員に限らず派遣の方にも全員に一台パソコンを持たせて、混同した場合は個人の責任であると言っている。そもそも会社で個人の仕事をしたら就業規則違反だし、自宅で会社の仕事をしたら労働基準法違反だよ。
また大震災以降、省エネが至上命令となっています。それで担当者に省エネの法規制と新製品の知識を持たせて、お客様に情報提供をさせることをしています。それが当社の売り上げとお客様の省エネにつながればハッピーです。
オフィスの省エネはビル管理会社から強制的に指示が来ますので、それに従っています。
社有車は10数台ありまして、安全運転は厳しく言ってます。最近は環境に良いとハイブリットを使うのがはやりですが、当社は部品や工具を運ぶので、そういう用途に向くハイブリッドはありません。それにリッター30キロ走るというけど、あの値段差を回収するのは無理と違いますか。我々は体力に見合ったことだけをしています。あれもこれもといっても結局は虻蜂取らずになる、目標を定めてそれに集中させてやらせています」
岩口
「すると御社の改善計画としては・・」
五反田
「ISOでは環境実施計画と呼ぶのでしょうけど、弊社ではそういう名称のものを作っておりません。社長が申しました廃棄物管理や省エネ運転については、職場安全衛生の年間計画の中に実施事項と目標を織り込んでいます。これですね、そしてお客様への情報提供については、製品教育については鷽八百社への講習会依頼、省エネ規制の説明会、講師は私ですが、そういったことを年間事業計画書に織り込んでいます。これですね」
岩口
「なるほど、このコピーをいただけますか。明日審査終わった時点でお返しします。
それで社長さん、その実施状況はいかがでしょうか?」
社長
「事故などは、起きたらすぐに報告してもらうことになっている。幸い今年度はまだない。実を言えば、そういった事故が起きると、鷽八百社に報告しなければならないことになっているのです。ご存じのように、今は連結決算と同じく連結環境経営です。弊社で間違いを起こすと、親会社の社長が記者会見で謝る羽目になってしまいます。
その他のことは毎週幹部を集めた会議で進捗を報告してもらっている」
岩口
「先ほど省エネ規制も厳しくなったとおっしゃいましたが、御社が関わる法規制はどのように把握しているのですか?」
五反田
「当社は官報をとるとか環境法の情報提供会社との契約などはしていません。規模が規模ですし、業務も限定されていますので手間もお金もかけられません。当社の商圏といいますか事業を行っている範囲は神奈川と東京の西側が主ですが、廃棄物はすべて持ち帰って工場から出していますので、不明な点は排出地である横浜市の資源循環局へ問い合わせて対応しています。省エネ規制などは商工会議所や鷽八百社から通知がありますので、それを受けて対応しています。社内の手順書といいますか文書はあまり作っていません。基本的に行政が作ったパンフレットや鷽八百社作成のマニュアルなどを活用しています」
岩口
「仕事でどのパンフレットやマニュアルを使うのかは、どのようにしてわかるのですか?」
五反田
「社内のイントラネットに業務ごとに引用するパンフレットやマニュアルの名称といついつの日付のものかを表示しており、そのマニュアルのpdfをアップしています。本社のごみの分別などはビル管理会社の分別と持ち込み先を書いた大きな紙をスキャンしてやはりイントラにあげています」
五反田はパソコンを立ち上げてそれをみせた。

イントラネット
岩口
「おお、仕事に関わる手続きや相談窓口が一目でわかりますね。これはいい」
社長
「小さな会社ですから、かっこつけてもしょうがありません。使う人がわかりやすく、結果がでるならみばえは二の次ですよ」

藤本は岩口の審査の手口をみていて、さすがにうまいものだと感心した。山田や森本の監査にも陪席したが、岩口の審査もそれらに勝るとも劣らない。もちろん岩口はプロの審査員なのだから当然かもしれない。しかし九州工場でみた審査はなんだ、あれはアマチュアなのか? とてもお金をもらえる仕事ではなかったと思う。
しかしと藤本は思った。岩口の審査を見て、すばらしいと理解できるには観察者が一定レベルでなければならないだろう。まったくの素人ならば、岩口が雑談しているとしか思えないだろう。そういうレベルの人は九州工場に来た三人の審査員がしたような、規格の文言をそのまま順々に質問する審査をすばらしいと考えるかもしれない。
昼前に岩口は社長と五反田にお礼を言って本社の審査はおしまいで、これから工場に行くという。
五反田
「私がご案内する予定です」
岩口
「ご厚意はありがたいのですが、五反田さんはお仕事があるのでしょう。私のために本来業務をやめてご案内していただくことは申し訳ない」
若干の押し問答をした後、岩口は五反田の随行を断って、藤本と二人で地下鉄に乗った。



横浜市営地下鉄はいつ乗ってもガラガラだ。東京に比較しての話だが・・
藤本は岩口に話しかけた。
藤本
「岩口さん、質問してよろしいですか?」
岩口
「手の内はバラしませんよ」
岩口は冗談を言う。
藤本
「岩口さんは五反田さんの案内を断りました。どうしてお断りしたのですか?」
岩口
「それこそが秘密のノウハウです・・笑
ISO審査とはお客様にとってはお金になる仕事じゃありません。私どもがお金をもらって行っているのです。それなのにわざわざ仕事を止めて案内してもらうということはおかしいと思いませんか?」
藤本
「それに関連するかもしれませんが、午前中のミーティングで先方が2名しかいませんでしたね。あれは普通なのですか?」
岩口
「藤本さんが今まで見ていたオープニングというものは、どんなものでしたか?」
藤本
「まず経営者、管理責任者、環境部門のメンバー、各部門の管理者その他、数十名というのが普通ですね。鷽神奈川の本社で働いている人が20名と聞きましたが、あの程度の規模でも10名くらい出席するのが普通でした」
岩口
「正直言いまして、そういうやり方がISO認証が不評を買うもとになっていると思います。管理責任者は必須でしょうけど、それ以外の方が出てきても発言するわけではないでしょう。そしてたぶん出席した各部門の管理者もほとんどは審査を受けないと思いますね」
藤本
「え!審査を受けない人はオープニングに出る必要はないのですか?」
岩口
「オープニングとはなんのためなのでしょうか?」
藤本
「すみません、思い出しました。ISO17021に規定がありましたね。要するに審査の手順や範囲、進め方の確認だったと思います」
岩口
「そうです。ですから経営層と担当者がいれば十分です。会社では一人一時間いくらと費用がかかっているのですから、審査のために出席を要請するなんてありえません。
それから経営層のインタビューは経営者がいれば間に合います」

藤本はだいぶ前のことだが、品質のISO審査の時に審査員がオープニングの出席者が少ないと文句を言ったと聞いたことがある。その審査員は大きな勘違いだろう。
そのような発言をした審査員がいるのかと疑問に思った方には、どの認証機関で審査員のご芳名と発言日時、場所をお教えできる。
岩口
「もう10年くらい前ですが、審査員が豪華な昼食をごちそうになったという事件がありまして、今ではどの認証機関も昼食は自前というのが普通になりました。そのときのごちそうが1万なのか2万だったのかわかりませんが、例えば五反田さんに案内させたとして、今日の午後いっぱいの仕事を止めれば数万円のロスを発生させることになります。審査という役務を受注した者としてそんなことをさせるわけにはいかないでしょう。そういう発想をしなければおかしいです」
ISO審査で、審査員にごちそうをふるまったという事件(?)は2000年代はじめに、いくつもの認証機関で行われたことが報道された。
しかしこのような供応が問題になったのは21世紀になってからのことであり、20世紀では当たり前のことであった。それもお昼のごちそう程度ではなく、夜の宴会、お土産、審査地でのゴルフその他いろいろである。
おっと送り迎えは当然であった。あるときタクシーを使って怒られた。ハイヤーか社長用の車でなければならないらしい。
藤本
「岩口さんとお会いしてまだ半日ですが、勉強になったことがたくさんあります。
心底、感服いたしました」
岩口
「認証機関のほとんど、全部といっていいですが中小企業です。いや中小企業庁の定義なんてことではありません。企業規模も売り上げも小さいです。最大手のJQAにしても認証事業の売り上げは40億もありません。
しかし認証機関の多くは、社長も審査員も大企業から来られた方が多く、何事も大企業の感覚で、中小企業の感覚を理解していない。審査そのものではないですが、そういう感覚が世の中とずれていると、それだけで批判・非難の対象になるでしょう。
審査も大企業の感覚で行う方が多いですが、もう言葉が通じないと思いますよ。法律を調べること、文書の版管理など、どれをとらえても大企業がしていることを従業員30名の企業でできるわけがありません。審査とは、規格の文言通りのものがあるかを見るのではなく、その企業の実質をみて規格を満たしているかを判断するのです」
藤本は岩口が審査の力量だけでなく、恐るべき人物と感じた。いや、力量とは人間力なのかもしれない。



二人は地下鉄駅前のマックで昼食を簡単に済ませると、工場まで10分程度歩いた。
工場はすぐに見つかった。工場といっても、民家が立ち並ぶ中にあるスレートぶきの鉄骨構造の二階建てで、見た目にも実質も倉庫である。建物の脇に車一台通れる通路があり、建物の後ろにサービスカーが止めてあるようだ。
岩口は腕時計を見た。予定開始時刻にはまだ30分ある。
岩口
「あまり手口をみせたくはないのですが・・私は審査前にちょっと周りを歩くのです。ご一緒しますか?」
藤本
「お供させていただきます」
岩口は工場の周りの道をゆっくり歩いて行く。
工場の周りを道路が囲んでいるわけではないので、道路を歩いて行くと工場が見えたり隠れたりする。
工場の裏側はマンションが建設中だ。遠くでよく分らないがマンションの基礎と工場との敷地境界までは数メートルもないようだ。岩口はなにかとメモをする。
藤本が見ても、マンションができれば工場の建屋が汚いのに苦情が来ることが予想される。
ぐにゃぐにゃした道を歩いて工場の前に戻ると予定時刻の5分前になっていた。
二人は建物に入った。入るとすぐにドアがありその前にインターホンがある。
岩口はインターホンのボタンを押す。
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「ハーイ、どちら様ですか?」
岩口
「ISO審査でお伺いしました岩口と申します」
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「はい、わかりました。開錠しましたので、ドアを入って階段を上がってきてください」

二人は階段を上がる。
二階に上るとオフィスがある。事務机は30くらいあるが、人は数人しかいない。オフィスの入り口で男性が待っていた。
吉岡工場長
「岩口さんと藤本さんですか?」
岩口
「はいそうです」
吉岡工場長
「どうぞ、こちらへ」

吉岡と名乗った男はオフィスの端のついたてで仕切った、折り畳みのテーブルとパイプ椅子が10個くらいおいてあるところに案内した。
吉岡工場長
吉岡工場長
一旦姿を消したのち、吉岡はお茶のペットボトルを3本持って現れた。オフィスの入り口にあった自動販売機で買ったものと見える。ペットボトルの表面には露が付いている。
三人は名刺交換する。
吉岡の名刺には工場長と書いてある。
吉岡工場長
「どうもむさくるしいところで申し訳ありませんね。
本社の五反田からは岩口さんのご質問に答えればよいとしか聞いていません。経理とか客先情報以外は秘密はありませんからご質問あればどうぞ」
岩口
「吉岡工場長、お忙しいところ、ご対応ありがとうございます。まず工場の概況を教えていただけますか」
吉岡工場長
「工場と言いましても名称だけでして、ここには機械もなければ工場に値する仕事もしていません。基本的に倉庫と返品や修理品の置き場、そしてサービスマンの駐在所というわけです。所属メンバーは30人くらいいますが、今日もほとんどのサービスマンは点検や修理を依頼された客先に行ってます。
今オフィスにいるのは、修理受付窓口と部品管理それに総務担当だけです。私も工場長という職名ですが、実際は総務部長的お仕事です」
岩口
「この工場は借りているのですか、自社保有ですか?」
吉岡工場長
「借り物です。ここに来て、もう7年くらいになりますか」
岩口
「お隣でマンション工事が始まっていますね」
吉岡工場長
「そうなんです。ここは音を出すような仕事はしてませんが、建屋が古いですし、こんな建物が目の前にあったのでは借景としては芳しくないですよねえ〜。しかも建設中のマンションは分譲マンションなのですよ。ここの大家さんから言われているのですが、もしマンションの住民から苦情があれば、この建物を壊して貸しビルを建てるような話です」
岩口
「それじゃ、お宅も大変ですね」
吉岡工場長
「まあ、所帯が小さいですし、その時はこの程度の倉庫でしたら探せばなんとかなるでしょう」
岩口
「ここでの今年の目標としてはどのようなことをしているのでしょうか?」
吉岡工場長
「社長から安全、コンプライアンス、情報管理でミスをするなと言われています。安全といっても現場で我々だけで仕事をするということはありません。先様の監督下で行うのでそれに従うしかありません。コンプライアンスといいましても談合などとは縁のない業態ですし、廃棄物については廃棄物処理業者は本社の五反田が調べて契約したところに委託することになっており、これまた自分勝手にすることもありません。一番気になるのは交通安全です。いまどきと思われるかもしれませんが、毎朝始業点検として、液漏れやブレーキ、ランプ類の異常確認をしっかりやっています」
岩口
「廃棄物の処理手順などは定めているのですか?」
吉岡工場長
「本社の五反田が仕事で必要なマニュアルなどをイントラにあげているので、それに従って仕事をすることになっています」
吉岡はノートパソコンを持ってきて、本社で見た画面を表示して説明した。
岩口
「なるほど、安全教育などをしているのですか?」
吉岡工場長
「五反田が結構まめな男で、計画を立ててやってます。彼はISO担当と言うわけではなく、総務なので、職場安全衛生の年間計画という作っています。このページです。名前は『職場安全衛生年間計画』ですが、社内で行う行事を一切合財盛り込んでいるのですよ。今年は交通安全教育、廃棄物処理教育、製品説明、省エネ法改正説明、いやはや」
岩口
「省エネ法といっても、お宅の仕事にはあまりかかわりはないように思いますが」
吉岡工場長
「おっしゃるとおり、この建物のエアコンも家庭用ですし、消費電力は一般家庭に毛が生えたくらいです。ただサービスマンは営業マンというのが当社の合言葉でして、訪問した先で、法改正情報を教えて、それが省エネ提案に更にビジネスにつながれば良いなと多少打算もありまして。そんなことで活動しています」
岩口
「成果はどうなんですか?」
吉岡工場長
「労働災害と交通安全はもちろんゼロ目標です。ただ目標を達成したから良いという結果主義ではなく、やはり会社のルールを守っているか、そのルールは適正かという確認のループが回ることでしょうね。そういうことを考えると十分機能していると思います。
客先への省エネ提案ですが、これはね・・・まだ成果はありませんね、
ただ昨年は廃棄物処理法改正とか、MSDSの改正施行とか客先にお知らせしたことが結構評判良かったです。だいぶ前ですが、フロン回収破壊法の改正のときは、客先から教えてもらって助かったという礼状までいただきました。情報提供即ビジネスというのも打算的すぎますよね。常日頃そういう情報提供をして頼りにされるということで十分でしょうね」
岩口
「先ほどのマニュアルが改定されたりすることもあると思いますが、そのときは五反田さんから通知があるのですか?」
吉岡工場長
「当社は派遣を含めて50名ですので、そういうことがあれば五反田からメールが全社員に行きます。当社は小さな会社ですが、どんな仕事も一人では完結させないという方針があります。だから廃棄物を出すとき民主党の公約じゃなかったマニフェストってのがありましたよね、ああいった帳票も書いた人ではない別の人が内容を確認するということを徹底しています」
岩口
「マニフェストを書いても良い人とか決めているのですか? 誰でも書いてよいのですか?」
吉岡工場長
「先ほどもお話したかもしれませんが、五反田が毎年廃棄物の講習をしているのですよ。これは全員参加で私もお客様窓口の女性も全員やります。そのときマニフェスト伝票の現物を全員に配って書き方の練習をします。それにマニフェストを書いたとき他の人が点検しますので、良し悪しは常にチェックされますね。間違いがあると叱られますよ」
岩口
「この工場で緊急事態などあるのですか?」
吉岡工場長
「危険物などはありませんが、やはり火災が一番ですね。それで消火器の使い方、避難訓練などは毎年してます。階段やドアの周囲には物を置かないことは徹底させてます。
大震災の時にこのあたりでも液状化がありまして、これは今後考えないといけませんね」
岩口
「オフィスで働いている人に質問したいのですが?」
吉岡工場長
「どうぞどうぞ、今いるのは6人くらいですが・・・」

吉岡はついたての囲いから出て、二人をオフィスへ案内した。
岩口
「ISO審査に来ております。質問してよろしいですか?
あなたは廃棄物マニフェストの講習会を受けたことがありますか?」
事務員
「毎年1回本社から五反田さんが来て書き方の練習をしています」
岩口
「こんなものですか?」
岩口は書類の中からマニフェストらしきものを取り出して、その女性に見せた。
事務員
「様式はそうです。でも、これって記載漏れが多いですね。ほらここ、数量でしょ、種類のチェック印もないし、交付担当者の押印もサインもない・・だめですよこれ」
岩口
「ああ、どうもすみません。
会社の業務で使うマニュアルがイントラネットにあるそうですが、そのマニュアルが改定されたという通知などを見たことがありますか?」
事務員
「しょっちゅうあります、というと大げさかな? 年に数回ありますね。私は庶務担当なので仕事柄記憶にあるのは『印紙税法の手引』の改定通知が去年暮れにありましたね。改定内容をチェックしたら印紙税の特例措置の延長とかで全然関係なかったですけど」

岩口
岩口は別の事務員に聞く
「あなたの仕事では今年の目標としてなにかありますか?」
事務員
「吉岡工場長から安全、廃棄物処理、情報セキュリティと言われているのですが、私は部品管理なのであまり直接関係するものはないのですよ。それで個人的には通勤時の安全を推進・・まあこれは当然ですが、
それと法改正について五反田からくる情報だけでは漠としているので、ここの人たちが関係することを調べてみんなにメールで知らせています。毎朝出すので、みんなから私の名前を付けて斉藤メルマガと呼ばれています」
岩口
「具体的にはどんなことをしているのでしょうか?」
事務員
「あんまし自慢するようなことではないのだけどね、
毎朝、始業前に官報、経産省、環境省、東京都、神奈川県の公報などを見て、商売につながることがないかと・・工場立地法の改正、エコポイントの開始とか終了とか、そんなことをメルマガもどきに書いてみんなに発信しているんだ。お客さんのところに行ってその話をしたら受けたとか聞くとうれしいね。
それに五反田は法律しかみてないので、私は条例の制定改定を見ている。当社の仕事は横浜、川崎、鎌倉、横須賀とか八王子の方まであるので調べると結構勉強になる。そして面白いものがあれば斉藤メルマガで知らせる」


その後、現場といっても倉庫を見て、岩口と藤本はおいとました。


藤本は、ちょっと話を聞かせてくれと岩口に頼んで横浜駅のファミレスに入った。
藤本
「岩口さんの審査は規格に沿ってではなく、いろいろなお話をしながら規格適合を見ているのがよく分りました。それは素晴らしいと思いますが、そういうテクニックは一般的でないようですが」
岩口
「普通の知能があれば規格項番順に質問するなんておかしいとおもいませんか?」
藤本
「まあ、そう言っちゃおしまいですが、世の中にはそういう審査員がほとんどです」
岩口
「よくプロセスアプローチとか仕事の流れといいますが、要するに常識で考えれば落としどころは決まります」
藤本
「そういう聞き方では監査のチェックリストは難しいのでは?」
岩口
「チェックリストはもちろん作りますよ。それはどこでもあるようなものです。但し、チェックリストに沿って質問するのではなく、チェックリストにある事項を漏れなく聞くようにするということです」
藤本
「なるほど・・・・
すみません、ぜひ知りたいことがあり教えてください。有益な環境側面についてどうお考えですか?」
岩口
「弊社ではISO規格にない言葉は使いません。それ以前にそもそも『著しい環境側面はなんですか?』と質問すること自体ありえないでしょう。『お宅にはどんな設備がありますか?』『どんな管理をしてますか?』『どんな事故を想定していますか?』そう質問すれば先方が何を著しい環境側面としているかわかります」
藤本
「環境側面の特定、著しい環境側面の決定方法についてはどうでしょう?」
岩口
「審査員が確認しなければならないことは、著しい環境側面を決定する手順が客観的で妥当なものであるかどうかです。 例えばの話ですよ、著しい環境側面を把握する方法の説明を聞いても意味がありません。その工場を見て私がこれは管理しなければならないと判断したものが、著しい側面になっていなければその時点でアウトでしょう」

藤本は九州工場で環境側面を点数で評価することに固執した審査員を思い出した。
あの審査員は、PCB機器の台数が減ったから著しい環境側面から落とさないと不適合だと言った。岩口審査員の語る理屈と正反対だ。
しかし、その違いはどうして発生するのだろうか?
 実際の環境管理をしたことがあるかどうかなのだろうか?
 あるいはPCBというものを見たことがないからなのだろうか?
 ISO規格そのものを理解していないのではないだろうか?
 単に常識がないのだろうか?
 大企業で地位が上がりハンコ押しの機械になってしまったのだろうか?
是正というかおかしな考えを治療するには、岩口審査員の爪の垢でも煎じて飲ませるしかないのかなとため息をついた。

藤本
「話は変わります。今日の岩口さんの審査を拝見しますと、社長の方針が規格適合であるかを調べるのではなく、社長の方針が展開され実施されているかを調べているように思えます」
岩口
「別に社長におもねるつもりはありませんが、審査員が社長を評価する立場にあると考えていません。そもそも経営者に対して、その経営は適正か間違っているかを評価するのがISO審査ではありません。経営者の考えが組織に徹底される仕組みになっているか、徹底されているか、末端の情報がフィードバックして有機的に動いているかマネジメントシステムを評価するにすぎません」
藤本
「おっしゃることはよく分ります。岩口さんは『評価するにすぎません』とおっしゃいましたが、現実には規格の文言が社内文書に書いてあるかどうかを点検するだけの審査員が多いようですね」
岩口
「ISO第三者認証制度というものはなにを目的にして、どの程度のアウトプットを出せば期待に応えるのかということを、常に考え、是正を図っていく必要があります。私は経営コンサルでもありませんし、株主の代理でもありません。その会社の仕組みが適正で、十分機能しているかを外部のものとしてチェックして経営者に報告することが仕事と思っています」
藤本
「しかし第三者認証と言うのは社会に対して、その会社のQMSやEMSが規格に適合しているかを表明することですよね?」
岩口
「そのとおり。でも経営者が優秀か否かを表明することではありません」



翌日のクロージングに藤本は陪席した。
岩口は社長方針が適正に展開され推進されていること、著しい環境側面に関して手順が定められて適正に運用されていることを確認したという。そしてマネジメントシステムは適正であり、手順の基づいて運用されていると語った。
その他に岩口は、工場の近隣でマンションが建設中であり、これへの対応を検討しておくことが必要だということを述べた。



藤本は横浜駅で岩口と昼飯を食べてから会社に戻ってきた。
山田
「藤本さん、今回の審査はどうでしたか?」
藤本
「うん、感動したよ。ああいう審査員もいるんだね」
山田
「なんだか分かりませんが、藤本さんが感動したなら今回の審査立会は成功ですね」

本日の登場人物名
私が過去20年間にお会いした審査員はたくさんいるが、この人はすごいと感じいった方は片手で数えるくらいしかいない。B○〇○の岩口さんはその一人である。それで今回は大変僭越であるが、お名前をお借りした。

本日の驚き
なんと13,000字も書いてしまった。史上最長かな?



名古屋鶏様からお便りを頂きました(2012/6/21)
鶏は不幸にして、このような「まっとうな」審査を受けたことも立ち会ったこともありません。しかるに、世の大半を占める閣下各位は、このような「まっとうな」審査を「しない」のではなく「するだけの力量がない」という可能s(以下略

鶏様
私は良い審査も受けていました。ただそれは非常にレアでした。
だからこそ、おかしな審査に敵愾心が・・以下略

ぶらっくたいがぁ様からお便りを頂きました(2012/6/21)
名古屋鶏様へ
それはお気の毒。
ウチではこういう審査が当たり前なので、ふつーに感じます。
これが「特別なこと」という認証制度の実態が異常なのですね。
もやは救いようがありませんが。

たいがぁ様
それは幸運です。
歌の文句でも、悲しみの数だけ優しくなれるとかいうじゃありませんか
生まれながらにして人権が守られている人と、自力で獲得した人は、人権あるいは選挙権の価値の認識が大きく異なると思います。
くだらないISO審査を受けるほど、規格を学び、審査の方法を考え、審査員をくじこうと弁論にたけて・・
ああ、偉大なるは悪徳審査員なり


外資社員様からお便りを頂きました(2012.06.22)
おばQさま
怒涛の連載、楽しく読み、また参考にさせて頂いております。
岩口さんの言葉、素晴らしいですね。
「認証機関の多くは、社長も審査員も大企業から来られた方が多く、何事も大企業の感覚で、中小企業の感覚を理解していない。」
これはISO認証だけの問題ではなく、公務員の天下りまで共通した問題ですね。
天下りなんて、高千穂の峰への天孫降臨じゃあるまいし、天下られた方は 本音では実力と立場の違うには敏感です。
そこにギャプがあっても言わないのは社会人としての常識なだけで、周囲の冷たい眼に気付けないのならば、「敬して遠ざけ」られるだけでしょうね。
岩口さんの行動を見れば、お客に合わせた合理性、その中でISOのツボを押さえるのが、本当の力量なのだと感じました。

外資社員様 まいどありがとうございます。
劇中、岩口氏に語らせていますが、ほとんどの認証機関は中小企業です。中小企業の定義も種々ありますが、売り上げが最大手で数十億、最頻値が10億足らずであれば、一般的な感覚で中小企業といっても間違いではないでしょう。もちろん中小企業だからどうこういうつもりはありません。ただその中小企業である認証機関から来る審査員が「中小企業の感覚を理解していない」のは悪いジョークだと思います。
私は若いとき従業員が数名からせいぜい50名くらいの下請、孫請の指導によく行ってました。そんな経験から、自分の会社でしていること、例えば作業手順書を作るとか、ジグを作るとか、生産計画を立てることなどと比較して、そんなことをしていないからレベルが低いと思うのは完璧な間違いだと知っています。小さな会社では社長の頭の中で処理できることは紙に書かないのは当然ですし、ワンロットしか作らないものであればジグを作らないほうがトータルコストがかからないかもしれません。
大企業の管理職からISO審査員になった方は、大企業の感覚で文書がないとか、仕組みがないとか、ハンコがないとか言いますが、実質はどうかということをみなければなりません。
あげくにISO規格にないにも拘らず、〇○がないとか、〇○した方が良いというのをたくさん見てきました。それでお金が儲かるなら企業は喜んでするでしょうけど、元々必要がなく儲けにつながらなければやる意味がありません。
でも振り返ると、これって中小企業に対してばかりではないですよ。大企業に行っても、審査員はご自身が知っている方法を勧めるというのはよく知られた習性です。つまり単に過去30年くらいの間に身に付けた習慣とか方式しか知らないということがその根本原因なのかもしれません。
ISO規格に書いてあること、その意味、目的をしっかりと理解して、審査に行った会社の方法が、規格の意味するところを満たしているかどうかを、虚心坦懐に判断できることが審査員の能力であるはずです。
そして日本で過去20年起きている悲喜劇は、すべてそういう言語能力がない審査員が引き起こしていると言っても過言ではないようです。
「御社のためを思って」、「こうした方が良い」、「規格にはありませんが」、「規格はこう読むのです」、そういう悪魔のささやきによってISOの評判をいかに悪くしてきたかというと、日本で二番目にISOを愛している私は悲しくなります。
ちなみにだいぶ前、ISOの権威である寺田さんにお会いしたとき、日本で一番ISOを愛している男ですと自己紹介しましたら、即座に君は二番目と言われました。


名古屋鶏様からお便りを頂きました(2012/6/23)
中小企業」ですか・・・
その割には皆さん、「いいところ」に本店をお持ちのようで・・・

名古屋鶏様
おっしゃるとおり、
以前私が調査しておりますwww

湾星ファン様からお便りを頂きました(2012/6/23)
岩口さんのようにまっとうな審査員「しか」居なければ、ここまでISOは流行ったでしょうか。
結局のところ、今の「おかしな」第三者認証制度を支えているのは、世の9割方を占めているであろう天動説派の企業ISO担当者だと思う今日この頃です。

湾星ファン様 毎度ありがとうございます
逆説的に聞こえるかもしれませんが、それが真実かもしれませんね
有益な側面で儲けた人、出版した本、講習会、銭儲けをしてGNPを増やしてくれたでしょう
環境側面評価のためにエクセルで計算し、そのために電力を消費して日本のGNPに貢献し、経営に寄与する審査と言って受注を増やして
すると、私はなんという大ばか者だ!
私は物事を簡単にして、仕事を減らし、GNPを減らしてしまう
もちろん違反も事故も減らしたと思うけど ww


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