指揮命令の謎

12.07.03
この拙文は今まで多くの認証機関の方、それも幹部、営業マン、社員の審査員、契約審査員などから聞いているお話と、私の経験を基に書いた。もし現実と異なるところがあれば、それは私の不徳の致すところである。

軍隊において命令は絶対である。「右向け右」と言えば、右を向かなければならず、命令に従わない輩(やから)は罰せなければならない。極端な場合、例えば戦闘状態において、敵前逃亡をすれば銃殺と決まっている。
「お前は簡単に決まっているというが、何に決まっているのか?」というご質問を予想する。そういうツッコミは大好きだし、突っ込まれて困るようでは駄文といえど書いてはならない。
陸軍刑法というものがある。正しくはあったのだ。そこに定めてある。海軍刑法も同じだ。
陸軍刑法(明治41年法律第46号)
第75条 故ナク職役ヲ離レ又ハ職役二就カサル者ハ左ノ区別二従テ処断ス
第1号 敵前ナルトキハ死刑、無期若ハ5年以上ノ懲役又ハ禁錮二処ス
これは洋の東西を問わない。もっとも処刑方法はいろいろで、海賊の場合は目隠しをされて海へジャンプすることとなる。

同様に指揮官が軍刀を持っているのは、敵を切るためではない。部下が言うことを聞かないときに、ぶった切るためである。これも古今東西を問わない。外国でも中世やナポレオン時代を描いた映画を観ると、敵がいなくても見えなくても、命令するとき上官はサーベルを抜いている。言うこと聞かんと切るぞというボディランゲージである。命令は絶対であるが、それが絶対であるためには、命令する者が力を持っていなければならない。
だが、このような軍隊における指揮従属という関係が作られた時代は、地域によりいろいろである。ハリウッド映画などを観ると、古代ローマの戦闘では完全な団体戦であって、指揮官の命令で全体一団となって戦っている。そして逃亡者は死刑、逃亡者を看過したものも死刑とローマ時代に定めてあった。さすがローマはすごかった。(「ローマ人の物語」などによる)

やあやあやあ、とおからん者は音にも聞け 他方、日本では戦いというものは源平合戦や元寇を思い浮かべてくれればわかるように個人戦闘が主であり、団体戦が始まったのは戦国以降だ。といっても戦国時代でも、大名と武将と侍そして足軽という連鎖は、実は硬直したものではなく、武将が大名を気に入らないと部下を連れて別の大名のところに転職(?)することは珍しくなかった。侍もそうだし、足軽に至っては派遣社員かアルバイトのようなものである。現在の自分の立場や処遇を考えれば、報酬が良い方に、勝つ見込みの高い方に付くことは当然だ。
これは戦う双方が同じ人種同じ言葉であり、戦争も相手を、それも非戦闘員を含めて全滅させようという戦いではなかったからだろう。旧約聖書でも戦った相手は非戦闘員も皆殺しは普通だし、モンゴル軍も相手は皆殺し、十字軍もしかり。これは戦う相手が、人種、宗教、言葉みんな違うから同じ人間とはみなしていないからだろう。日本人が白人だったら、東京裁判はなかったのではないか?
他方、日本では相手を全滅させたなんてのは天草などの宗教的なものだけ、普通は指導者一族の全滅だけだ。
織田信長 そして上下関係だけでなく、指揮官にしても自分の部隊がどのような状態かを掌握していなかったらしい。本能寺で信長を討った明智光秀は13,000人の兵を率いていたというが、その人数の根拠は軍師が軍勢をながめて、それくらいいるだろうと光秀に言ったことからという。光秀に限らず当時の兵力は出入りも多いので、まあこれくらいだろうというあて推量がほとんどだったらしい。
話がそれてしまった。ここでは日本において絶対権力のもとに組織化された軍隊による戦闘はあまりなかったということを言いたいだけだ。

日本だけではない。アラビアのロレンスは「一個師団一人の軍隊を一万師団率いたのは私以外いない」というようなことを書いている。軍隊というものは組織化されて上意下達で動くわけだが、アラビア人はそのような発想がなく、集まった1万人は組織化されず、ロレンスが直接一人一人を指揮したというお話である。
師団とは司令部を持つ軍の単位である。
ついでながら、師団という発想はナポレオン時代に確立したという。
しかし、いずれにせよ、戦争をするには命令権が確立し、命令すれば実行するという関係がなければ、戦いができず、それこそ支離滅裂である。

まあ、軍隊そして戦闘状態は普通にみられる状態ではない。一般の企業や組織を考えよう。
会社でA製品を売ると指示されたとき、俺はA製品を売るのは嫌だとB製品を売るとしたらどうだろう。仮にB製品を売ることが正しい選択であろうとそれは命令違反であり、命令違反は懲戒の対象であることは明白だ。絶対にB製品を売ることが正しいと考えたなら、その会社のルートに基づいて上長に具申するのが正しい処置であり、それが受け入れられず、かつA製品を売るのが嫌なら退職するのが正しい選択である。日本には職業選択の自由があるから、いつでも辞めることができる。
ゲゼルシャフトにおいて、目的を果たすためには構成員は定められた役割を遂行することが求められ、命令に従うことが要請される。
命令されるのは嫌だという考えもあるだろう。それはちょっと待ってくれ
企業であれば、従業員は己が好んで入社を希望し、会社に入ったという前提があるから、法で定める範囲において上長の命令には従わなくてはならない。そしていやならいつでも退職することができる。
これはどの会社でも就業規則に決めているはずだ。まさか常時雇用の者が10名もいない認証機関があるとは思えない。いやまっとうな会社なら従業員数に関わらず就業規則を作り、社員に示しているだろう。
(参考 厚生労働省のモデル就業規則、労働基準法 第89条、第90条)

軍隊における服従の根拠は、国民は国家という組織に所属し、その国家が決めた法律に従わなくてはならないという論理である。民主主義国家においてその国の政治や軍事に発言することは有権者の権利である。同時にそれに従うことは義務である。参政権のない国家においては従軍する義務はないと私は考える。
そして命令に従わない者に対しては、独断専行の結果が良くても処罰しなければならない。さもなければ515事件、226事件、石原莞爾のようにドンドンとおかしなことになってしまう。もちろんそれは軍隊以外の、企業であれ、行政機関であれ、学校の先生であれ同じである。
ここまで異論はなかろうね、

ISO認証機関がアイソス誌などのアンケートへの認証機関の回答や、認証機関のウェブサイトに掲載していることと、実際に審査を行っている審査員の考えや審査方法が異なることは多々見かけることである。
どんなことか? ということは、このウェブサイトで多々語っているから省略する。
ここで考えたい問題は、現実の審査員の判断基準の正誤ではなく、認証機関の考えがなぜ担当者である審査員に徹底されないのかということである。

これは聞いたことであるが、某認証機関では契約審査員はお客様扱いだという。定期的な会合では、「このような考え方でしてほしい」「このような対応をしてほしい」というようなお話をしていると聞く。とにかく契約審査員に対して腰が引けていて、命令できないらしい。
認証機関と審査員が対等の契約であるならば、仕事に関しては「このような考えですること」「このような対応をすること」「従ってもらえなければ契約解除」と、なぜ言い切れないのか?
命令することができないのは需要と供給の力関係があるのかもしれないが、私はわからない。

業界設立の某認証機関は○個師団なんて、昔の自民党のようなことが言われているそうだ。業界設立だから、取締役も審査員もほとんどが業界各社からの出向者である。そのために認証機関の公式な職制よりも、出身企業ごとの人のつながりが強くて、それを揶揄して○個師団という。はたしてそのような命令系統がしっかりしていない組織が、ビジネスという戦いを勝ち抜いていけるのか?
いや、もっと重大なことがある。我々審査を受ける組織は、認証機関の考えを基に審査するのではなく、審査員個人またはその出身企業の考えで審査されたらたまらない。金返せと言いたくなる。私は実際そういう経験がある。
認証機関のウェブサイトやアイソス誌などで、認証機関の社長が「当社はこのような考えで審査をします」なんてにこやかな顔をして立派なことを語っているのは通例であるが、実際にやってくる営業マン、審査員はその社長が語っている理念や規格解釈などと異なることは多い。
審査でルールを守っていない事例が見つかり「会社のルールが守られていないのは、環境方針が徹底されていないからだ」と4.2の項目で不適合にした審査員(ご芳名、時、所、確認済)がいたが、その論理で行けば「認証機関の社長の言葉を実現していないのは、認証機関の品質方針が徹底されていないからだ」と言い返したい。というのは、認証機関はISO17021に基づき組織の方針を審査員はもちろん、契約審査員、技術的専門家すべてに徹底しなければならないからだ。
「トップマネジメントは,この方針が認証機関のすべての階層において理解,実施及び維持されることを確実にしなければならない」(ISO17021:2007 10.3.1)

しかし不思議なことではないか?
通常の会社でどんな製品を開発するとか、どの製品の販売に力を入れると決定し実施するということは普通にある。そのとき、企業によって製品は異なるし、同じカテゴリーの製品であっても、仕様はもちろん販売方法は異なって当然だ。たとえIBM-PCのような標準に基づく製品分野であってもそうだ。
だが、ISO認証とはどうなのか?
ISO審査登録とはISOマネジメントシステム規格で仕様というか審査基準は定められ、その審査方法はISO17021やIAF基準などで定められている。第三者認証制度は、完全にグローバルに共通で標準化されたビジネスなのである。
ISOとは元々、国際標準化機構の略称である。
日本工業標準調査会ウェブサイトより
標準化(Standardization)とは、「自由に放置すれば、多様化、複雑化、無秩序化する事柄を少数化、単純化、秩序化すること」ということ ができます。 また、標準(=規格:Standards)は、標準化によって制定される「取決め」と定義できます。標準には、強制的なものと任意のものがありますが、一般的には任意のものを「標準(=規格)」と呼んでいます。

ISOマネジメントシステム認証という標準化されたサービスにおいて、審査基準や審査方法の、ばらつき、バリエーションが許されるものだろうか?
まして所属団体の決まりでなく、担当個人の考えで好き勝手に、更にはどんどんと審査基準が変化していくようでは困る。まさに遺伝子の塩基の複製が異常でがん細胞が発生したようではないか。あるいは組織における無管理という組織のがんそのものかもしれない。
もう20年も前から、審査に来る審査員の違いが大きく、A審査員に言われてしたことがB審査員はダメと言われたというISO担当者エレジーは巷でよく聞かれた。まさに標準の対極にあるこのような混沌は、いまだに解決されていない。 このへんにも日本のISO認証制度の問題がある。
国際標準の理解や審査が標準化されていないとは、悪い冗談だ。
ところで、このような問題を是正する仕組みはあるはずだ。
まず認証機関内部で「実際の審査のモニタリング」「ISO規格からの逸脱は認めない」「逸脱は処罰する」が必要だろう。実際にどのように行っているのか知りたい。
少なくても審査報告書で審査員による違い、矛盾が存在するわけだから、その対処、是正が必要だろう。
次に認定機関はなにをしているのだろうか?
私は認定機関には縁がなく、これについては見当もつかない。まあ、頑張っているのだろう・・・今後に期待したい。

ISO認証の信頼性という意味はいろいろある。だが審査を受ける企業から見た信頼性とは、認証機関が替わろうと、審査員が替わろうと、常にISO規格に基づく変わらない審査基準で行われるということだろう。
信頼性とは、JIS Z 8115:2000「デイペンダビリティ(信頼性)用語」では、「信頼性」を「アイテムが与えられた条件の下で、与えられた期間、要求機能を遂行できる能力」と定義されている。企業がISO審査員に期待するのはまさにこれだ。企業が期待するISO審査の信頼性とは「審査員替わろうと認証機関が異なろうと、審査対象の組織を、与えられた審査基準で、与えられた環境において、適正な審査を遂行できる能力」である。
認証機関はサービス業として、常に一定品質の審査というサービスを提供する義務がある。

ラーメン サポーズ、美味いラーメン屋をひいきにしていて、あるときコックが替わりおいしくなくなったら、行くのを止めるのは当然のことだ。
ISO審査が審査員によって審査基準、審査手法が異なったら、認証機関を鞍替えするか、認証を止めるのも当然だろう。それを防ぎ、お客様の企業を引き留めるのは、ひとえにおいしいラーメンを提供することを継続したり、常にまっとうな審査を提供することでしかない。
不断の努力とは、つまり絶え間ない努力である。
ちなみにコスト競争になるのは、製品やサービスが同等の時に取らざるを得ない手段であり、元々提供するサービスが他社に比べて劣っているときに値下げしても蔑まれるだけである。誇り高い認証機関は、まっとうな是正処置を行うと期待したい。

うそ800 本日のまとめ
認証機関によるバラツキ、審査員によるバラツキは過去より言われている。決して私が偏屈なための個人的見解とか、揚げ足取りではない。認証が与えるものが信頼性であるなら(IAF/ISO共同コミュニケ参照)、おのれの審査の信頼性をあげなくてどうするね?
今の世で、真に第三者認証を必要としている企業は少ないと思う。
多くの企業は認証制度がなくても困らないのだが、お付き合いしてあげているのだ。
だがそれも程度問題で付き合いきれなければ、愛想を尽かしてISO離れするのはこれまた自然なことでしょう。



名古屋鶏様からお便りを頂きました(2012/7/3)
上下関係のハッキリしない組織ってのは統制がとれないものですね。いや、いい迷惑という以外に言葉がございませんわ。

名古屋鶏様 毎度ありがとうございます
ま、株主会社からくる社長を古手審査員が尊敬できないってことも・・ry

Yosh様からお便りを頂きました(2012/7/4)
某認証機関では契約審査員はお客様扱いだという。

日本で、誰かが”お客様は神様です”といふておられた筈ですが?<勿論嫌みです。

Yosh様 お金を払う人を神様と呼ぶのはわかります
お金を払って神様と呼ぶのは・・・謎です

外資社員様からお便りを頂きました(2012.07.04)
おばQさま 興味深い話題を有難うございます。
某認証機関では契約審査員はお客様扱いだという。定期的な会合では、「このような考え方でしてほしい」「このような対応をしてほしい」というようなお話をしていると聞く。とにかく契約審査員に対して腰が引けていて、命令できないらしい。

これは日本型組織の特徴として興味深いですね。 親会社から来た役員や役職者なども似たような立場と聞いた事があります。
こういう「お客様」が、どこに帰属しているかの意識調査は、非常に興味深いですね。
審査員が、実際には契約によって働いているのではなく、他の組織や規約(例として親会社という共同体)に依っているのではないでしょうか。
これは、西欧型の契約社会では殆どない事象です。
山本七平は、このような日本型組織を、「疑似共同体」と呼びました。 疑似共同体では、見かけ上は雇用契約や委託契約が存在しますが、実際には共同体のルールで動いています。
ですから、労働者の権利である有給休暇の取得も、定時退社も、周囲の同意や賛意が無いとできません。
疑似共同体組織は、上手くいっている成長期には、人々が自主的に協力し合い 上手く動きますが、危機には問題が露呈します。
典型的な例は、大変な会社のサービス残業で、本来は労働に対価を支払うのは当然ですが、「会社が大変なのだから」の一言で、労働の原則すら守られません。
もし審査員が、出向元や退職した企業に「疑似共同体」に帰属し続けており、認証会社もそれを看過しているならば、指導できないのは当然です。
原理原則である業務委託契約や雇用契約よりも、疑似共同体のルールが上位である事を、認証機関は黙示で認めているからです。
ISOとは、おばQさまが、常々仰っているように原理原則の世界であり、それを国際的に運用する規格と思います。
原理原則である審査員との契約を優先できない認証機関が、人様の会社を審査しようという事自体が、矛盾に満ちています。
興味深いのは、認証機関が、自分達が 見えない原則、「疑似共同体」のルールに縛られている事に気づいているかです。
妙な審査をする審査員を無くすには、まず 審査員も、認証会社も、契約に優先するルールが存在しているかに気付けるかにかかっているような気がします。

外資社員様 毎度ありがとうございます。
うーん、ご教示いただいたことを基に、いろいろと考えをめぐらすと、思い当たることは多々あります。まさに日本のISOとは標準化とかグローバルスタンダードとは正反対のところにあるのではないかと思います。
JABをはじめ、業界が設立した認証機関は業界傘下の企業から役員も審査員も職員も出向してきます。そして今まで私もそれがおかしいとか異常とも思いませんでした。当たり前だと思っていたのです。
もっとも以前、ノンジャブの認証機関の社長からそんなのはおかしいという話を聞きました。その方以外そういう現状についておかしいと語った人がいないということも事実です。
じゃあ、日本ではISO認証という制度は根つかないのかということになりますが、私はそうではないと思いたい。
1990年代初めにISO認証という制度が日本に入ってきたとき、その精神なり仕組みを理解していない人が、元手もいらず技術もいらないと思った審査という事業を、自分たちで取り込み流出費用を削減し、かつ企業内の不要な人の活用を図ろうと考えたということではないのでしょうか。
良い人、いや認証ということを理解した人たちが認証機関を経営し、審査に当たればそのたくらみは成功したのでしょうけど、素人が集まってもだめだった。しかし間違いであるということにさえ気が付かないもので、どんどんと悪化した。だけど、審査を受けるのは出身母体だし、後輩が対応しているのだから文句を言うなということだったのではないでしょうか?
認証機関も玉石混交で、「お荷物」とか呼ばれている認証機関もあります。なにせ指導者がISO17021を理解していないのですから、まっとうな審査ができるはずがありません。そしてそういう現実をその認証機関が気付いていないというのも面白いことです。(ほんとうはおもしろくないですよ)
そういう認証機関の審査を受けている企業の担当者はかわいそうですね。
幸い、私は引退しましたので今はハッピーです。
さて、これからどうなるのか、ウオッチしていきたいと思います。
ところで、ISO9001とISO14001の6月末の登録件数が発表されましたが、依然として減少傾向は止まりません。一年前に比べてISO9001は2%減、ISO14001は1%減、関係者はどう考えているのでしょうか?
案外、あと50年は大丈夫とか、おれが引退するまでは・・・なんてことかもしれません。そんな審査では価値がありませんよね


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