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当時、山田には部下はいなかった。
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「岡田さん、ご相談の件は了解した。本日の午後2時から1時間にしよう」
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岡田はうなずいた。
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約束した時間になったので山田は岡田に声をかけて、パントリーでコーヒーを注いでー打ち合わせコーナーに行った。 岡田もコーヒーを持ってきた。 | |
「岡田さん、何でしょう?」
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岡田の言うのももっともというべきか、それともそんなこと自分で考えろというべきか、山田はしばし考えた。そもそも山田は畑違いの環境保護部に異動してきたときに、自分はどうだったのだろうと思い返した。初めはISO14001担当だったので、規格をしっかりと理解しようと思って、本を買って読んだものだ。そして平目を思い出した。平目が退職してもう3年くらいになる。元気にしているのだろうか? | |
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「とりあえずエコ検定を受けようと思うのですが・・・」
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山田は岡田の声で現実に引き戻された。 「エコ検定ですか・・・エコ検定は高校生や大学生向きかもしれませんが、うーんちょっとこの職場での役に立つかというとどうでしょうかねえ?」 | |
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「エコ検定が易しすぎるということですか? 調べたのですが、エコ検定の上には環境プランナーとかどんどん上級資格があるとインターネットに書いてありました。環境プランナーになるといろいろなことができるそうです」 山田は何と言ってよいのかちょっと迷った。 |
「うーん、基本的なことですが、エコ検定や環境プランナーは資格ではないと思いますよ。まあ知識の確認というべきでしょうかね。資格というのは国家資格であろうと民間資格であろうと、何事かを実施できるという許可であり、誰でもできることの力量を評価するだけではないですから。 TOEICの点数が低くても英語を話して悪いことはありません。しかし危険物取扱者の資格がなければガソリンスタンドで責任者になることはできません。 それに、エコ検定も環境プランナーも我々の仕事をしていると当然以下のレベルであって、それに合格しても意味というか価値がありません。というかオゾン層破壊が今の仕事に出てくるとは思えません。エコ検定レベルの力もないというならテキストを通勤電車の中で読む程度で間に合うでしょう。いずれ本を1冊読む程度のエコ検定合格に意味はありません」 | |
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岡田はギロッと山田をにらんだ。 「じゃあ、どんな勉強をしたらよいのでしょうか?」 |
「自分の仕事で何を必要としているのか、日々のお仕事で力不足を感じたものを勉強すべきではないでしょうか?」
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「といいますと・・・」
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「正直言って、岡田さんが日々どんな仕事を中野さんから指示されてしているのかわかりません。そして岡田さんがその仕事においてどんなことがわからないのか、どんな疑問を感じているのか、私はわかりません。ただ、勉強とは知らないことを知ることですから、今不明なこと疑問を感じたことをひとつひとつ勉強することだと思いますね。そのうち、既に確立したことを学ぶだけでなく、誰も分っていないことを自分が考えていかなくてはならなくなります。研究は大学だけでなく、会社だって世界でまだ誰もしたことがないことを拓いていくわけですよ」
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「今している仕事でわからないことって・・・」
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「今どんなお仕事を中野さんに指示されているのですか?」
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「今年の他社の環境報告書を読み比べて、掲載されている項目の一覧を作れと言われています」
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「そうですか。じゃあ、そこでなにか疑問を感じたり、仕事をする上での自分の力不足を感じたことはないのですか?」
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「環境報告書はもちろん日本語ですから読めますし、項目の比較は読めばわかります。まとめとしてエクセルファイルにするのですが、エクセルは一応使えます。ということで、特に問題というものは感じてません」
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「どんな切り口なのか、どんなまとめ方をしているのでしょうか? 環境報告書のガイドラインとの比較をしているのですか?」
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「ガイドラインってなんですか?」
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「環境報告書に記載する項目は、適当に決めてよいわけではないのですよ。一般社会が知りたいことってあります。それでいろいろな機関があるべき環境報告書のガイドライン、指針ですね、そういうものを定めていて、一般企業はそういったガイドラインを参考にどんな情報開示をするのかを考えて編集しているのです」
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「そういうガイドラインがあるとは知りませんでした。具体的にはどんな機関が出しているのでしょうか?」
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「一例をあげると環境省が『環境報告ガイドライン』というものを策定して示しています。これは何度も改定されて現在は2012年版になっています。国際的なものとしてはGRIガイドラインがあります。最低この二つは読んでおくことが良いでしょう。もちろんガイドラインはガイドであり、従う義務はありませんが、社会が期待している項目に応えるのは企業の義務でしょうし、それに応えないことは会社が信頼されないと言っては大げさかもしれませんが、環境報告が信頼されないということになるかもしれません。 中小企業で認証を受けるのが多い、エコアクション21では簡易な環境報告書の指針を示しています。エコアクション21の認証を受ける場合は指針ではなく義務となりますね」 | |
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「そういったものを読むとなにがわかるのですか?」
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「各社の環境報告書の掲載データが各種ガイドラインとの差をみると面白いです。まず自社の優れていることについては絶対に載せるでしょうけど、載せたくない項目については理由を付けて載せないでしょうね。例えば、環境報告書は生産高あるいは売上高当たりの環境負荷を示すべきとあるのですが、上場企業以外や財団法人などは売り上げ特に事業ごとの売り上げなどを示したくないので事業分野ごとは載せないのが普通です」
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「意味がよく分りませんが・・・」
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「たとえば普通の会社なら事業ごとの売り上げと個々の事業で使っているエネルギーや電力を報告書に記載するのも当然でしょう。そうするとそれぞれの事業の生産効率あるいは環境効率というのかな? そういったものが外部の人に分かってしまいます。 しかし個々の事業の売上あるいは個々の事業のエネルギーなどを掲載していなければ、環境効率はわかりません」 | |
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「ああ、そういうことですか。でも、それがどういう意味があるのですか?」
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山田はいいかげんいやになってきた。 「どういう意味があるのか、考えてみてください。 ところで一般的な企業の環境負荷というものを知っておくといろいろ便利です。どのくらいの規模の工場なら1年間に水を何万トン使うかとか、電力の使用量kWhでも金額でもいいのですが知っておくと便利です。その他に廃棄物と売り上げの関係などもありますね。売り上げに対して廃棄物が多ければリサイクルが遅れていると言えるでしょう。 もっとも我々が見ると売り上げに比べて廃棄物が少ない場合は、理由を付けて数字を調整しているケースが多いです。本当を言えば、廃棄物なんてそんなに減らせるはずがありません。魔法を使えるのは魔法使いだけです」 | |
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「そういう数字を知っているとどんなことに役に立つのですか?」
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「売り上げと水の使用量を知れば水の再利用などの技術レベルとか投資状況がわかります。わかってどうするのかと言われたら当社との技術の比較ができるでしょう。 化学物質の使用量は環境報告書ではアバウトな数字しかありませんが、PRTRってご存知ですか?」 | |
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「知りません」
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「そうですか、勉強することがたくさんありますね。俗に化管法とかPRTR法と呼んでいるのですが、正確な名称は私も覚えてませんが、その法律で使用している化学物質の種類と量を行政に報告しなければならず、行政はそれを公表するのです。そういうのをみると化学物質の使用状況と売上高から技術力はバレバレになりますね」
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「山田さんは他社のそういったデータを見て何を考えるのですか?」
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「そりゃいろいろなことがわかりますから、当社の環境活動に反映しますよ。環境報告書に載るデータは微々たるものだから役に立たないと思うかもしれませんが、我々は他社の工場に立ち入ることができないですから、環境報告書の数字を垣間見ただけでもいろいろと推定し当社の方向を考えるの役立ちます。中野さんが他社の報告書を調べるのを岡田さんに頼んだのはそういう意味があるわけです」
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「そうなんですか・・・」
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「公害防止管理者って、ご存知ですか? 知らない、いやあ、岡田さん、エコ検定以前にもっといろいろなことを勉強する必要がありますね。公害防止管理者とは法律で定める環境施設があると、それを運転する人が持たなくてはならない国家資格なのです。 環境報告書には公害防止管理者の必要数や保有者数を書いているところもあります。 それでね、同じ業種、同じ規模の工場で公害防止管理者の必要数が違うと、多い方は技術が遅れているのか、投資していないと思いますね。現在は公害防止管理者を必要としない設備に切り替わりつつあります。まあ、排水処理設備などはしょうがないかもしれない。 また、必要数よりも保有者数が多ければ教育が熱心ともいえるでしょう。 必要者数が奇数の場合、報告書の編集者が間違えたのか、報告書の校正のレベルが低いと思います」 | |
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「奇数だとどうしてまずいのですか?」
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「公害防止管理者は原則、主担当と代理者を選定して届けることになっています。だから基本的には偶数です。一部の都市では法律以上に厳しい規制をしていて、法律以外の環境施設にも公害防止管理者の資格者を要求しているケースがありますが、そういったときは代理者まではいらないということもあります。まあ、外部の者は完璧なデータを入手することはできませんが、手に入るデータからだけでも結構面白いことがわかります」
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「公害防止管理者という資格は難しいのですか?」
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「公害防止管理者には水質、大気、騒音・振動、粉じん、ダイオキシン、その他いろいろあるのですが、一昨年、横山さんが水質1種という難しい方の資格をとりましたよ。今年は時期的に無理ですが、岡田さんは来年ぜひ受験してください」
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岡田は、横山が合格したというのを聞いてギョットしたようだ。 「そうですか、じゃあ私は来年ぜひ受験したいと思います」 |
「話しているうちにいろいろと考えが浮かんできたんですが、環境にこだわることはありませんね、会社経歴書とか財務諸表も読み方を勉強しているといいですよ」
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「そういったことがどんな関係があるのでしょう?」
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「現在では企業の価値というか資産や負債の中に、環境負債も記載するべきということになっています。だから地下水汚染や土壌汚染があれば資産価値が下がります。 また、過去に大きな環境問題を起こしているような会社はそれを明記しているところが多いですね。もちろん私たちは商売柄事故を起こした企業を知っているわけで、そういう会社が5年もすると事故のことを忘れたふりして掲載していないと不正直な会社だと思います」 | |
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「でも悪いことを書いたらかえって評判を落とすことになりませんか?」
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「IBMのCSR報告などでは使い込みとか法違反の罰金なども掲載されています。そういうのを見て、普通は評価はあがりますね。正直な会社だと思いますから」
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「そうなんですか・・・」
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「岡田さん、岡田さんは大学院まで出ている修士なのですから、今私と雑談したことからいろいろなことに気が付いたはずです。一度に全部というのは無理ですから、まずなにかひとつ調べてみると良いでしょう。環境報告書の写真がきれいだとかグラフがよくまとまっているということより、社会が知りたいことを情報公開しているかということをみると、その会社の透明性がわかりますよ」
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