2015年改定説明会資料

2013.09.18
ISO14001改定説明会資料 私のウェブサイトをご覧になっている方から、7月に行われた規格改定説明会の資料を送って頂きました。ありがとうございます。
私は、活字を読むのが大好きで、ISO規格が大好きですから、ISOに関する資料は猫にマタタビみたいなもので、更にこの資料はいろいろな意味でとても面白い。そんなわけで何度も読み返している。
どこが面白いのかと言いますと、ひとことでは言えません。
では本日はそれを読んだ妄想をひとつ、、

まず「次期ISO14001に必要となる組織の対応」とあるタイトルがいいですね。
これをみて真面目に講演を聞くとか、資料を読もうとされた方は、振り込め詐欺にあう恐れが多分にあります。お気をつけてください。
「何かおかしいか?」ですって、そんなことをおっしゃるようでは、そりゃもう完全に病魔に侵されていますよ。

ちょっと話を変わります。
この世に「ISOマネジメントシステム規格」というものが、存在していることは事実です。そして企業やNPOなど目的を持った組織、ゲゼルシャフトといってもいいですが、そういうものも存在しているのも事実です。ではこの二つはどう関わっているのか、どちらが主でどちらが従かを考えてみましょう。
ここではISO規格が主で組織が従とする考えを天動説と呼び、組織が主でISO規格が従とする考えを地動説と呼びましょう。天動説と地動説というのは同志ぶらっくたいがぁさんが唱えたアイデアです。ぶらっくたいがぁさんは、規格に会社を合わせるのを天動説、会社に規格を合わせるのを地動説と説明していましたが、まあ説明は違っても意味は同じです。
ちなみに元々の天動説とは、地球は動かず太陽をはじめとするすべての星々が地球を回っているという考えです。私たち人間が、太陽が上ると起きだして狩りをしたり木の実を採り、太陽が沈むと寝るという暮らしをしていた時は、そういう無邪気というか体で感じたままの単純な考えでも問題ありませんでした。しかし大航海時代と言いますが、沿岸が見えない遠洋を航海するようになると、その考えでは船の位置を測定することや正しい暦を作ろうとすると矛盾が起きてしまいました。そして自然界の動きをを矛盾なく説明するには、太陽も星々も動かず、地球と惑星と呼ぶいくつかの星が太陽を焦点のひとつとする楕円軌道を回っていると解釈するしかありませんでした。それを地動説といいます。
そんなことを中学で習ったと思います。まあ、ここでは比喩的に、直観的に納得してしまう考え方を天動説、直観とは違っても諸事を矛盾なく説明できる考えを地動説としましょう。
長い脇道でしたが、ここまで読んで思い当たることはありませんか?
、ない・・・・困りましたねえ〜

それじゃ練習問題です。資料のタイトルの「次期ISO14001」という語を差し替えて「消費税法改正に伴って必要となる企業の対応」という文章を考えてみましょう。この文はおかしくともなんともない。法律は国内において絶対の強制力を持ちますから、自然人も法人も否が応でも従わなければなりません。ですから法改正があれば、その対応を考えることになります。
では「秋からの新番組に伴って必要となる企業の対応」という文章はどうでしょうか?
テレビ番組はシーズンごとに一斉に切り替わり、端境期はざかいきにはひな壇番組などのバラエティが放送され、そこに新番組の出演者が出てきてジャンジャン宣伝します。とはいえ新番組の過半はスタート直後から視聴率が取れずに途中打ち切りとなるのは世の常で、それは平家物語の時代から変わりません。
捏造はいけません
番組が変わろうと私は対応しないよ
■■
いや、そんなことはどうでもいいのですが、この「秋からの新番組に伴って必要となる組織の対応」という文章は意味を持ちませんよね。テレビ朝日がどんなドラマを放送しようと、JRは列車の運行を安全に正確に行うことは変わりません。日テレが主演女優にだれを起用しようと、三菱重工が作る船に影響はありません。民放だけでなくNHKも同じ。
では「次期ISO14001に必要となる組織の対応」という文章はどのような意味を持つのでしょうか? どう考えても「次期ISO14001に必要となる組織の対応」という文章そのものが意味を持たない天動説としか思えません。
ISO14001が改定されても、売上何百億、何千億というあなたの会社が、いや失礼、お宅は一兆円企業でしたか、そういう会社が、たかがISO規格の改定ごときに影響されるわけがありません。
ちなみに日本のISO業界の売上なんて全体で300億程度、ガリバーと呼ばれるJQAであっても、認証事業の売り上げは70億前後でしょう(財務諸表が非公開なので推定)。売上規模から考えればJQAの認証事業は中堅企業とはいえず、大きめの中小企業というところでしょうねえ、
ということは、他の認証機関は零細企業なのでしょうか?
なにしろ売り上げが数億なんてところも・・・
常識で考えると・・・私は常識でしか考えられないのですが・・・お宅の会社が「当社に合わせてISO規格を改定しろ」と言っても全然おかしくないのです。実を言って、CDやDVDその他メモリーカードのフォーマットなどは、企業の人たちが自分たちが開発した技術を基にISO規格を作っているのが実態です。技術がある会社は世界征服ができるのです。
「ISO」でググってごらんなさい。そこで表示される半分はISOマネジメントシステム規格でしょうけど、あとの半分はCDやDVDの書き込みのフォーマットやカメラの規格に関するものです。
ということでこの資料の表紙を見ただけで、この規格改定説明会の資料を作った人は天動説ということが分りますから、眉に唾をつけて聞かねばならないということがお分かりでしょう。
長い前振りでしたが、では期待に胸を膨らませて2ページ目を開きましょうか・・・

ページごとに論評していくと疲れますし、読む方も面白くありません。ということで興味を持ったところのみチェリーピッキングしてコメントします。
チェリーピッキング
チェリーピッキングという語を知っている方は、2003年以前からISO14001に関わってきた方です。いや、別にそんなことを知っていても偉くもなんともないんですけどね、
  1. MSS共通要求事項に基づくものとした(p.2)
    ISO9000sの認証ビジネスが大成功したのを受けて、ISO14001を皮切りにISO9001とか労働安全、セキュリティ、エネルギー管理などなどマネジメントシステムと自称する仕組みの規格が粗製乱造されました。
    おっと粗製乱造なんて言うと、寺田のオジサン怒るだろうなあ・・
    なお、ISO9001よりISO14001の方がマネジメントシステム規格としては先輩ですよ。そんなことも知らない人はモグリです。

    マネジメントシステム規格というわけですから、どのカテゴリーの規格でも共通な要求事項と、対象分野に関する特有の要求事項が存在するのは必然です。ところがMSSによって共通な要求事項であっても内容が異なることがあり、おかしいんじゃないかということは誰の目にも明らかでした。そこでISOの中のJTCG(合同技術調整グループ)というところで共通の要求事項を決めて、それぞれのMSSはこの共通の要求事項を一語一句変えずに規格に盛り込みなさいとなったわけです。
    私はそんな動きが起きる前、1997年から共通の要求事項は同じでないとおかしいと考えていました。だってISO9001とISO14001では、共通項目である文書、記録、内部監査、その他マネジメントレビューなどに関する要求が異なるわけですよ。企業において、複数のMSSをお守りしている人ならその矛盾というか無駄を実感していたはずです。
    特に私は、ISOのために新しいルールを作るという発想がありませんでした。会社の従来からのルールからISOの要求に見合ったものを見繕って審査員に見せて規格適合であることを説明するというアプローチでしたから、同じ項目で規格によって要求事項が違うと対応に困りました。規格のレベルが低すぎです。
    ISOとは国際標準化機構の略称ですが、己の作る規格が標準化されていないということは、悪い冗談なのでしょうか?

    ただこの問題の対策として、私はJTCGのようなやり方ではなく、MSSの要素を完全に分離して、MSSの共通要素と専門分野の要素に規格を分けたがより良いと思います。構造化・パーツ化という方法は、どんなことにおいても使い勝手がよいですし、そもそも標準化とはそういうことなのですから。
    前述したように、私の場合は元からあるものを引用する手法でしたから、ISO規格も会社の規則と同じように制定した方が手間暇が省けることは言うまでもありません。
    そういうアプローチが理解できない方は、お勤め先の文書体系が最適化されていないのだろうと思います。
    この考えを図に示しますと、
    JTCGの考え 私の考え
    ISO9001
    品質固有の要求事項
    共通要求事項
    ISO9001 品質固有の要求事項
    ISO14001
    環境固有の要求事項
    共通要求事項
    ISO14001環境固有の要求事項
    現在の2015年版ドラフトはこの構造であるISO????共通要求事項

    私の考える構成にするとメリットがいくつもあります。
    まず認証業界の立場から見れば、環境や品質という分野まで立ち入らず、基本的なルールが適正かどうか見てほしいという会社があるかもしれません。そういう新しいカテゴリーの顧客に対応した「共通要求事項のみのベーシックMSSの認証」という新しいジャンルの認証ビジネスが創設できます。
    そしてそういう審査なら、特定のカテゴリーにおける力量のない審査員でも任せることができるでしょう。
    また企業側の立場から見ても、いろいろメリットがあります。まず個別規格ごとに要求事項が変わることを防止します。この場合はカテゴリー特有の加除ができません。
    あるいはどうしても共通要求事項に追加することが必要となったとしても、その場合は「固有の要求事項」部分に追加するしかなく、共通部分には手を加えることはできませんからね
    次にすべてのマニュアルに同じ文言を書くのではなく、共通要求事項マニュアルとして作っておいて、さまざまなシステム規格の審査のとき、共通要求事項はそのマニュアルを見せた方が楽です。これぞ標準化ですね、
    プログラムで同じ処理をさせるときその都度記述するのではなく、サブルーチンに任せる方法を思い出してください。どちらが楽でしょうか?

    まあいきさつはそうなんですが、既に公開されているISO9001とISO14001のドラフトを見るだけでも、共通な要求事項においても相当違うようで、その目的が達成できたのか、どうなのでしょう?

  2. ISOが考えるMSSの統合とは
    いろいろ書いてありますが、JABの見解として記載されている下記の文章が一番わかりやすい。
    • 規格要求事項の視点から組織のMSを捉えるあまり、ともすると組織の本来業務とは別の異なる仕組みとして、規格ごとに個別に構築、運用するケースが見られ、また第三者による認証審査も、これを見過ごすばかりか、むしろ助長しているとの利害関係者からの意見も見られる。
    • 本来、組織のMSは、組織のビジネス及び組織が社会の一員として行う付帯業務をマネージするただ一つのシステム
    • MS規格の要求事項は、各々の段階で第三者認証を受けるか否かではなく、組織のビジネスの流れに基づいた一つのMSの中に組み込まれ、統合一体化して、初めて有効に機能する。
    このJABの見解は地動説であり全く異存はない。
    しかし前のページで参考として「ISOがすすめるマネジメントシステム規格の統合的な利用」2009/04(ISBN 978-4542402379)という本を例に挙げている。この本では事業とMSS規格の関係についてJABの見解ほどまっとうではない。やはりMSS規格があり、事業があるというニュアンスであり、天動説なのである。私はこの本が出た2009年に読んでおかしいぞと感じたことを覚えている。
    この本に書かれている見解から、現在のJABの見解への変化は、4年という時間でのISO関係者の認識の前進なのだろうか? あるいは単に表現のゆらぎなのだろうか?

    だがJABの見解はものすごい危険をはらむ。それは「認証可能性」という問題である。
    「認証可能性」なんて言葉は聞いたことがない。実は今私が作った。
    1995年頃のこと、当時私はISO9001やISO9002の認証経験は複数あり、企業側のISO担当者としては素人ではないつもりだった。
    当時のISO9000シリーズはまさに即物的で、イエスかノウかが明白な判断基準であった。また私はそれ以前から品質保証業務に従事していたが、お客様と取り交わした品質保証協定書にはお客様が管理して欲しいことが具体的に書かれていて、二者監査においては、協定を守っている、守っていないが明確に判断できた。
    それは当然のことだ。仮に二者監査において監査員の恣意や被監査側との契約にない監査基準が適用されたら、それは契約違反で裁判沙汰になる。
    二者監査において監査基準は品質保証協定書と購入仕様書しかない。
    そんなことをしていた私が、マネジメントシステム規格を自称したISO14001のドラフトをみたとき、こんな曖昧模糊の規格では監査も審査もできないだろうと思った。
    注意、ISO9000シリーズは当時は「品質保証規格」であった。
    だがそんなイエスかノウか判定が困難な規格で、96年頃からISO14001のトライアル審査が始まり、97年から本格的に認証が開始された。当時見聞きした審査は、規格の意図が実現されているかを確認するのではなく、規格文言が書かれているかどうかを確認しているだけであった。
    そこでは「規格では○○することとありますが、マニュアル(あるいは規定)には○○すると書いてありません」なんて不適合がジャンジャンと出され、いやそれ以外の不適合はちっともなかったのである。それをみて、マネジメントシステムの審査とは、これほど簡単なものなのかと驚いた。
    そして我が愛しきISO9001も2000年改定で品質保証の厳格な規格から、いい加減でどうとでも解釈される品質マネジメントシステム規格なるものとなり、その結果は今あるとおりだ。
    ISO9001の1987年版あるいは1994年版が完璧であるという意味とは違う。改善個所は多々あったが、あの形式を変えずにレビューを進めるべきであったのだ。
    ISO14001:2015のドラフトを拝見すると、ますますいいかげんさ、いや上品に言えばあいまいさが増大し、もはや「認証可能性」は皆無としか思えない。
    ましてJABは規格要求事項がマニュアルに書いてあるかの有無を調べるのではなく、規格要求が組織に展開されているかをみろというのだが、そのへんに転がっている審査員にそんなことができるとは思えない。
    もしできるというなら、今までの規格ではなぜそういう審査ができなかったのだろう? 現時点なぜまっとうな審査が行われていないのか知りたい。

    いや、これは規格が悪いと言っているのではない。
    例えばISO26000というものがある。これは認証規格ではなくガイダンスである。ISO26000とは、これを読んで企業・組織を改善したまえという聖書かお経のようなありがたいしろものなのであろう。ISO14001:2015もISO26000と同じステージに至り、悟りを開いたというか聖人に叙せられたとしか思えない。
    この規格を良く理解して環境配慮の経営に努めなさいという位置づけなら納得であるが、果たしてこれを審査基準として認証審査ができるのかといえば、ちょっとできないだろう。もちろんできる・できないにかかわらず、IAF傘下の世界の認証機関はこの規格を審査基準として認証作業をおこなうのは既定の路線であるが、その審査は規格の意図を踏まえた妥当なものとなることは期待できない。少なくても日本の認証機関には無理だろう。その結果、1996年版のときと同じく、規格文言の有無を比較するだけの審査になるだろう。それは規格の意図とは無縁で、認証企業の遵法と汚染の予防とリンクするとは思えない。
    認証可能性のない規格だということは、要するに、認証審査は無理なんじゃないかということだ。
    認証規格であるならば、もっと具体的・即物的であることが必要であり、審査の判断に客観性が担保されなければならないのだ。漠然とあるべき姿を示すものなら、それは認証規格ではなくガイダンスとすべきだろう。
    ドラフトを読んで一番感じたことはそれだ。
    企業側からみても、消化不良になりそうだ。審査員が今までのように文言の有無をチェックするなら、その対応手順は明快だ。あるいは要求事項の展開方法を組織(企業)に一任してくれるならやりやすいだろう。しかし審査での判定が審査員に依存するばらつきがあるものならば対応に困る。
    それは従来以上に認証を受けた組織の格差は大きくなるだろうし、改訂版によれば今まで問題とされていた遵法やパフォーマンスが上がることもない。そういったことは認証の価値、信頼性といってもいいが、それを今まで以上に下げるだけだろう。

    しかしさらなる疑問がある。ISO26000では環境についても記述している。となると、「個別のMSは存在しない、総合的マネジメントシステムしかない」という論理からすると、そもそもISO14001が必要な理由があるのだろうか?
    ISO26000があればISO9001もいらないと言えるかどうか・・・
    それはいくつか検討事項があります。ひとつは現状のISO9001を品質保証規格として使っている組織においてはISO26000はその代わりにはならないでしょう。
    また品質経営という観点でも、製品やサービスについての要件は、現在の消費者関連の項目では記述が少なすぎます。
    認証可能性が審査可能性のパクリだと気が付いた方はプロです。

  3. プロセスアプローチの概念及び利用
    パワーポイントの15ページの絵にA部門からD部門のマネージャーが競馬馬のように左右を気にせず、ひたすら己が職務を遂行している状況から、4人のマネージャーが顔を見合わせて話し合いをしている状況を対比した絵が描いてある。
    この絵をみると、個別ISOマネジメントシステム規格による袋小路化とその非効率の弊害は、日本固有の問題ではなさそうだ。

    ところで対象を組織外のバリューチェインまでを考慮せよとあるが、よほどのレベルにある大会社しかこれには対応できるはずがない。あまり難しいことを要求しても多くの企業は対応できるはずがない。
    サポーズ(考えてごらんなさい)、
    認証機関において、社長が対外的に語っていることさえ末端の審査員に徹底できない現実、あるいは自分のところの契約審査員の管理レベルを振り返ればおわかりでしょう。

  4. 4.2 利害関係者の要求事項
    「利害関係者の要求事項を決定しろ」とある。これをみるとISO9001の製品に関連する要求事項の拡大化を思い出す。1987年版のISO9001では「契約の確認」といっていた、段々と対象範囲が拡大してきた。これを拡大生産者責任の拡大というのだろうか? 冗談です。
    しかし利害関係者の要求などそれほど明確にはできないだろう。だってISO9001よりもISO14001の利害関係者の方が多様であり、また今まで考えもしていなかった組織や個人がいつなんどき利害関係者に加わるかもしれないのだ。
    今韓国 では、2年前の福島第一原発事故による風評被害の損害賠償を求めるという動きがある(2013.09.16時点)。つまり日本からの輸入や日本近海で獲ってきた魚が売れないだけでなく、韓国近海で獲った魚の売れ行きが悪いのは福島第一原発の風評被害だという。この場合実際の被害ではなく、風評被害をどこまで認めるのか、どうなんだろう?
    買い手が放射能が怖いから買わないといっているのではなく、売れ行きが悪いのは買い手が放射能が怖いと考えているからじゃないだろうかと売り手が推測したことまでを、風評被害というのだろうか?
    ちなみに韓国は核廃棄物を鬱陵島(ウルルンド)の南方海域に投棄しており、ソウルの放射線量は東京よりもはるかに高いという。それじゃ、日本人は韓国に風評被害ではなく、現実の放射線暴露被害について損害賠償を請求しなければならない。
    いやそれどころではない。韓国では下水汚泥の7割を今でも海洋投棄しているし、下水処理場の能力を超えた下水を定常的に未処理で公共水域に放流している。そのため2013年現在、複数の海産物に大腸菌汚染が見つかっている。これについても日本は韓国に対して損害賠償をせねばならないのではないか?
    そんなことよりも輸入禁止にすべきだろうけどね

    話を戻す。
    審査ではこの項番についての情報にどの程度の精度を求めるのだろうか? 見当もつかない。
    審査員としても、どこまで把握していればOKとするのか、規格からは読めないだろう。読めないもので審査することは難しかろう。

  5. 4.4 環境マネジメントシステム
    「組織は(中略)環境マネジメントシステムを確立し、実施し、維持し、継続的に改善しなければならない」とある。この文章そのものが天動説だ。
    JABの見解によれば(私の考えも同じだ)、組織のマネジメントシステムは唯一無二であり、それを環境という切り口で見たものが環境マネジメントシステムであるのだから、この文章を変えなければならない。
    例えば「組織は(中略)この規格の要求事項を組織の既存のマネジメントシステムに展開し、実施し、維持し、そのシステムを継続的に改善しなければならない」としなければならない。

  6. 5.1 リーダーシップ及びコミットメント
    ちょっとしたところだが、ニュアンスが違うなあと感じるところがある。
    トップマネジメントのリーダーシップとは、社長が俺が俺がと表に出てくることではないだろうと思う。社長がそのウィルを明確に示してそれを組織に徹底することではないのだろうか?
    社長が環境方針を作れとか、社長が直接ああだこうだというのはその一つの方法であり、必須でもなく唯一でもないと思う。
    「社長は少しバカがいい」(ISBN 978-4872906004)を読むと、経営とかリーダーシップの表現方法というものには基本形がなく標準化などできないと思う。絶対に必要なのはトップの理念とそれを実現しようとする意思力であるが、それをどのような形で表すかについてはまったく王道はなく、それこそが経営の難しさなのだ。
    いやそういう考えでこの項番を読むと、この項番の文言はいかなる手法を使っても妥当だと読み取れる。しかしそうすると審査において「方針はありますか?」とか「どのように周知していますか?」ではなく、役員、管理者、担当者などすべての階層に渡ってこの文言が「火の用心」のごとく階層に合わせて展開され実行されているかをヒアリングしなければならず、そこからこの規格要求が実現されているかを読み取らなければならない。そんなことが並みの審査員にできるわけがなく、並み以上の審査員でも現状の審査工数ではできるはずがない。

    そしてより大きな問題であるが、そのようなものを審査したり認証する意味があるのかどうか?
    そもそも認証とは、誰に対して何を保証(assurance)するのか?
    社長に対して「あなたの会社は良い会社です」あるいは「だめな会社です」と報告するのが目的なら、社長方針の展開を確認することはあっても、社長の方針をとやかく言うことはないだろう。
    利害関係者に対するものなら、利害関係者は「遵法と汚染の予防(ISO14001の意図)」の情報を知りたいのであって、トップマネジメントの「リーダーシップ及びコミットメント」についての報告にいかほどの価値があろうか?
    無縁とは言わないけど、そりゃ隔靴掻痒だよ

  7. 6.1.4 著しい環境側面及び組織リスク及び機会の決定
    まずは「及び」の使い方を修正すべきだろう。真面目な話、規格翻訳グループのメンバーはこんな基本的なことも知らないのか? こんな文章を外に出すとは恥ずかしい。恥以前に言葉のつながりというか関係がよく分らん。
    まあそれはともかくとして、「組織は、その著しい環境側面及び組織リスク及び機会に関する文書化された情報を維持し、常に最新のものにしておかなければならない」
    もうこの文言を巡って、1996年以降続いている審査員の無理難題と企業側の応酬が目に浮かぶ。あるいは、2015年以降は新規に認証を受けようとする企業は少ないから、そんな神学論争は起きないのだろうか?
    それだけでなく、今回は規格要求が更に漠然としているから、拡大解釈しようとすればきりも限りもなく、縮小解釈をしようとすればこれもまた・・・

  8. 6.1.5 行動のための計画
    この項ができた理由はわからないが、従来よりも規格構成が論理的に整理されて良くなったと思う。中の記述がこのレベルで良いかどうかは更なる検討が必要だが、

  9. 6.2.1 環境目的
    6.15と6.2は実際の審査ではダブルところもあるだろう。そのへんでまたつまらない応酬が起きなければよいがと懸念する。
    「これは6.15ですか、それとも6.2.2ですか? どちらであるかをはっきりさせておかないと不適合です」なんて指摘が出る方に1万円賭けよう。
    昔ISO9001では「文書と記録とデータを明確に分けておかないと不適合です」なんて言われたものです。いつしかデータが消えて、これからは文書も記録も分けなくても良いようです。
    おっとIS14001では今でも「環境側面は有益と有害を識別しておかないと不適合です」なんて言ってますよね。(証拠が必要な方はご連絡ください)
    、ご存じない、じゃああなたはISO関係者じゃありませんね

  10. 6.2.2 目的達成のための計画
    やれやれ、これでやっと「環境目的の実施計画と環境目標の実施計画が必要だ」と騙る審査員はいなくなるのだろうね?
    「環境目的と環境目標のふたつの実施計画がない」という不適合を私は何十件も見てきた。審査報告書は各認証機関で保管しているはずだから過去の報告書を十分チェックして、あんな不適合を出した審査員は2015年改定規格への切り替えの時に、審査員登録更新を拒否してほしい。
    私に一度ならず三度までも「環境目的と環境目標のふたつの実施計画がないので不適合です」とほざいた審査員のMさん、今度会ったらただではおかないよ。命を取るとはいわないが、怒鳴りつけてやる。

  11. 7.2力量
    「組織のために行う人」という文言がある。2004年版の表現である「組織のために働く人」とドラフトの「組織のために行う人」が、原文でどう違うのか分らないのでコメントは差し控える。原文は従来と変わっているのだろうか? その対象範囲でまたもめそうな予感がする。

  12. 7.4.1 コミュニケーション一般
    「コミュニケーションを計画する際、組織は適切な利害関係者の要求事項(4.2)を考慮しなければならない」とある。
    これも原文が分らないのでなんともいえないが、考慮ということにどの程度の裏付けを必要とするのかわからない。
    前でのべたように、利害関係者とはどこまでかということ、その要求事項をどの程度の精度で把握するのかということも不明であり、ここはもめそうだなあ〜
    いや、もめるに違いない

  13. 9.1.2 順守評価
    結局、要求しているのは遵守を評価するためのプロセスの改善要求であり、具体的な遵法については要求していない。
    とすると法遵守を厳しくするんだとISO-TC委員が熱く語っていたのは妄想だったのだろうか?
    いやその方の妄想とは言いません、
    私の妄想だったのでしょう。

  14. 10.2 継続的改善
    「環境マネジメントシステムの適切性、妥当性及び有効性を継続的に改善しなければならない」
    前項9.1.2と同じくISO関係者は、今までさかんにパフォーマンスを向上しなければならないと語っていたが、この文章からは具体的パフォーマンス向上は義務ではないようだ。もっとも具体的改善を求めたらシステム規格ではなくなってしまうのは当然だ。 ハテサテ

うそ800 本日の最後っ屁
ISO14001の資料だけでなく、もうひとつの資料には「次期ISO9001に必要となる組織の対応」と書いてありました。ああ、天動説これに極まれり、
私がこんなことを書いているのをこの講演者(氏名不詳)が見たら、私を宗教裁判にかけようとするかもしれません。
おおっと、私は殺されるのは嫌ですから、すぐに宗旨を変えますよ。「ハイハイ、ISO規格は会社よりも優先しなければなりません」と大声で言いましょう。
もっともISO規格を尊重して企業が傾いたらどうするのでしょうか?
ちなみにガリレオは「それでも地球は動く」と言ったのではなく、「それでも動く」と言ったらしいです。とすると「それでも太陽が動く」という意味にもとれて放免されたのかもしれません。

うそ800 本日の御礼
資料を送っていただいたO様、楽しい時間を持つことができましたこと、御礼申し上げます。ありがとうございました。
とりあえずレポートはこれでよろしいでしょうか?



名古屋めし様からお便りを頂きました(2013.09.18)
ISO14001:2015改定案
名古屋めしと名乗らせていただきます。(名古屋鶏さんのパロディです)

ISO14001改定案の7.2力量の原文は
person(s) doing work under its control or on behalf that affects its environmental performance
です。itは組織の代名詞です。for itという記述はなくなりました。

2004年版と改定案を英語の原文で読み比べましたが、言葉づかいなど表現の違いはあっても、内容そのものには何も追加や変更はないと判断しました。
わが社ではこの規格改訂によって変えることは何ひとつありません。

MSS共通事項が加わったじゃないかという御仁もいらっしゃるでしょうが、ISO規格で最初のMS規格の14001の内容を環境以外の規格にも適用できるように表現を変えているだけですので、新たな要素は皆無です。
したがって、14001改定案は、同じ内容が繰り返し出てきます。
つまりMSS共通要求と14001固有事項が、意味が同じなのです。
これは審査員様のミスを助長するだけですね。

名古屋めし様 お便りありがとうございます。
「名古屋めし」と言われても、多種多様であるようで好きも嫌いも言えません。個人的には「ひつまぶし」が好きです。一度出張したとき、名古屋駅ビルで食べたことがあります。でも値段を考えたら高いですよね〜
それはともかく
現 行 person(s) working for or on behalf of the organaization
改定後 person(s) doing work under its control or on behalf
ですから同じとみて良いようですね。
じゃあとりあえずは安心と・・・

ところで名古屋めし様は英文はどこから入手されたのでしょうか? お金がかかったのでしょう?


名古屋めし様からお便りを頂きました(2013.09.19)
ISO14001改定案
ISO/CD.1 14001は、闇ルートではなく、まっとうなルートで入手しました。今年の4月に実施された日本規格協会によるISO/CD.1 14001改訂動向説明会に参加して、そこで入手しました。講師は吉田師匠でした。

名古屋めし様 毎度ありがとうございます。
私は2月の説明会を聞きましたが、無料だったからでしょうか、配布資料はなかったです。
講師は同じく吉田さんでした。


O様からお便りを頂きました(2013.09.18)
お問い合わせを頂いたのは数日前でしたが、それ以降やり取りがありましたので本日アップします。

@『特に私は、ISOのために新しいルールを作るという発想がありませんでした。会社の従来からのルールからISOの要求に見合ったものを見繕って審査員に見せて規格適合であることを説明するというアプローチでした』

このくだりについては、おばQさんだから仰れる事で、年に1回の審査の時なんかは、現場の人間のISOに関する意識が低いものですから、小生なんかは、規格への適合性を証明するのにひたすら汲々としております。
いろいろな考えがあります。まずそもそも論から行きますと、ISO17021規格を読めば組織側が規格適合であることを立証する義務はありません。組織側は、組織が規格適合であるようにする義務があります。しかし規格適合であるか否かの判断は審査側の責任です。
我々は不適合と言われたとき、その根拠と証拠を否定すれば責任は足ります。もちろん現在の審査員のレベルはそれが通用するレベルじゃありません。しかし本質はそうです。
私は現役時代、各職場には普通通りの仕事をすること、質問には誠意をもって答えること、分らなければそのままでよいこと、トラぶったらこちらが対応するとしていました。実際にトラブル、不適合は多々出されました。しかしそれを良く見て、審査員が間違いか企業に至らないところがあるかを判断するのが事務局であろうと思っておりました。
事務局は審査員より一枚上手でなければなりません。

A『MSSの要素を完全に分離して、MSSの共通要素と専門分野の要素に規格を分けたがより良いと思います。構造化・パーツ化という方法は、どんなことにおいても使い勝手がよいです』

この件については、よく理解できません。

言っていることは簡単なことです。
図に示すと次のようになります。

ISO規格体系案
要するに同じことを二回も三回も書くのは無駄だし、共通に使えるなら一つで十分というだけです。

B『基本的なルールが適正かどうか見てほしいという会社があるかもしれません。そういう新しいカテゴリーの顧客に対応した「共通要求事項のみのベーシックMSSの認証」という新しいジャンルの認証ビジネスが創設できます。』

ユニークなお考えで面白いと思いました。
考え方ですが、ISO9001やISO14001を認証するには事前にベーシックMSの認証を必要とするとすれば、ISO認証の価値が高まるのではないでしょうか?
認証機関の売上も倍増します。

C『さまざまなシステム規格の審査のとき、共通要求事項はそのマニュアルを見せた方が楽です。これぞ標準化ですね、』

これも、意味が良く理解できかねます、その前に今度のマニュアルの中身をどのようにしたら良いか今のところ全く理解しておりません、これから多分何件もセミナーなんかに出席して2年掛くらいで作り挙げるしかないかなと考えております。
図に示した通りです。

D現在のJABの見解への変化は、4年という時間でのISO関係者の認識の前進なのだろうか? あるいは単に表現のゆらぎなのだろうか?

先日のセミナーでは冒頭に挨拶の中で、今回の改訂の意義を、認証の為の審査・審査の為の運用に成っており、現業に即した運用ではなく、ISO固有の運用に成っており、これを改めるための大改訂であるとの言葉も有りました。
その講師のおっしゃることは間違いないでしょうけど、今更ですよね
今までそんな事態を放置してきたJABや認証機関の責任はどうなのでしょう?

Eマネジメントシステム規格を自称したISO14001のドラフトをみたとき、こんな曖昧模糊の規格では監査も審査もできないだろうと思った。

これは、どのようなことを仰っているのか、噛み砕いて説明いただけますか?
例えば7.3認識を取り上げましょう(たまたまそのページを開いただけです)
「自分の仕事に伴う、適用可能な法的要求事項及び自主的義務を含む、著しい環境側面及び関係する顕在又は潜在の影響についての認識を確実に持たせる」とあります。
あなたはなにをみて、どのようであれば規格を満たしていると判断するのでしょうか?
私の基準とあなたの基準が一致するとは思えません。いかがでしょうか?

F『「規格では○○することとありますが、マニュアル(あるいは規定)には○○すると書いてありません」なんて不適合がジャンジャンと出され』
G『JABは規格要求事項がマニュアルに書いてあるかの有無を調べるのではなく、規格要求が組織に展開されているかをみろというのだが、そのへんに転がっている審査員にそんなことができるとは思えない』


幸いにも弊社の審査会社においては、その様な審査員は居られませんでした。
それは幸いです。私は複数の認証機関の所見報告書を見ていますが、そのようなものはたくさんあります。

H『ところで対象を組織外のバリューチェインまでを考慮せよとあるが、よほどのレベルにある大会社しかこれには対応できるはずがない。あまり難しいことを要求しても多くの企業は対応できるはずがない。』

ISOでのバリューチェインとは、なにを謂わんとしているんでしょうか、弊社の関わる自動車業界ディーラーでは、車両販売以外の修理や車検・その他サービス・保険商品など本業以外の付加価値(バリュウ)の連鎖性を言っていますが、
なるほど、正直言ってそのようなものとは思いませんでした。私が思ったのは材料の上流から製品の下流までの流れです。採掘から製品の廃棄までの環境影響を把握できるのは一流メーカーくらいで、それを管理できるのは超一流メーカーでも困難だと思います。
普通の代理店が製造メーカーからの輸送はともかく、メーカーが調達するときの輸送をコントロールできるとは思いません。
そしてコントロールできなければ把握する意味はなさそうです。

Iリーダーシップ及びコミットメント

今回の大きな改正点は経営層にもっとISOに関して関心を持って貰うための規格改訂ではないかとも個人的には思います。認証返上が相次ぐ中何とか、企業(組織)内でのISOの位置づけを明確にするための考えがあるようにも、おもわれますが、弊社でも、一年に一回のマネジメントレビューと審査時のトップインタビューくらいしか関わっていないのが現状のように思います。
まず一番として、認証とは誰に対するものかということがあります。
経営に寄与するというなら依頼者は組織の経営者です。実はISO17021でもそうなっています。であれば経営者の方針の良し悪しを審査できるはずがありません。方針展開の良し悪しは言えるでしょう。
そのへんからいったい認証とは何かを議論する必要があると思います。
ほかにもありますが、私の本文をお読みいただけますか。

J「環境目的の実施計画と環境目標の実施計画が必要だ」と騙る審査員はいなくなるのだろうね?

このあたりは非常に明確になったような気がします、従来なら目的が長期的なもの、目標は計数を伴う短期的なものとの認識でしたが、次回改定からは、目標目的が一緒になる事になり、わかりやすくなったとおもいます。
実際の審査でもそれが徹底されると期待したいです。

K力量

色々と思いつくまま書きましたが、そもそも小生の様な退職前の人間にISOに関わらせること自体が不適合のような気がします。何せ、典型的なB型人間でその上、物ごとをおばQ様のように論理的思考が出来ないで、また昨今求められる、コミュニケーション能力低い一番の不適確な人間です。
おっしゃることとは違いますが、力量についての考え方もいろいろあると思います。私のウェブサイトへのコメントですが、従事する人の力量を確保するなんて現実の認識不足だと言います。そうじゃなくて力量のある人を従事させるのだろうというのです。
あるいは力量に見合った仕事を与えるのだという人もいます。
会社で実際に仕事をしているならそういうことが感覚的にわかります。
規格の文章を作った人はそういう現実を知らないように思います。
あなたのことについて言えば、上司は力量を持っていると判断したのか、あるいは仕事をしている中で力量を身に付けると考えているのでしょう。


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