審査員物語8 三木考える

14.11.27
審査員物語とは

三木は先週、ナガスネに行って「ISO14001入門コース」という講座を聞いてきた。1日のコースで内容は初心者である三木が見てもたいしたことはなかったが、一緒に受講した人たちから聞いた話がためになったと思う。
来週は「環境側面評価コース」というのを受講する予定だ。インターネットで見ても、先日の受講者から聞いた話でも、ISO14001認証においてはこの環境側面評価というステップが、一番難関で手間がかかるらしい。評価するための数値がうまくでるまでに、ふた月とか三月かかったとネットに書いている人もいた。数値計算とはどういうことなのだろうか。ISO規格には書いてないのだが・・
ともかく環境側面について規格はわずか5行しかなく、三木がいくら読んでもどこがそんなに大変なのか一向に分からない。というかどんなことをするのか規格には全然書いてない。

三木は勉強計画表を取り出して見る。
まず、公害防止管理者の勉強はこれから5ヶ月で修了しなければならない。そうしないと国家試験に間に合わない。三木は既に公害防止管理者の通信教育を始めていた。送付されたテキストをみると、けっこうな量である。大気と水質の二科目を同時進行というのは、少し無理があったかもしれないとちょっと後悔した。とはいえナガスネに採用される条件として二つの資格を要求されているのだから、頑張るしかない。
今は一番目の公害総論という章をやっている。水質と大気の二つを見比べると、公害総論はまったく同じことに気がついた。これはよかったと三木は喜んだ。

勉強計画表
ところで公害なんて三木が子供の頃あったようだが、三木自身は大気汚染で苦しんだり汚い川を見た記憶はない。東京オリンピック開催のために川の汚染はだいぶ改善されたとあった。その他の公害もひどかったのは1960年代前半らしく、当時三木は10歳くらいだったからあまり記憶になかったのだろう。
ともかく三木は昔から受験勉強、特に暗記ものは得意なので公害総論はなんとかなるだろう。

それから審査員研修コース受講のためには、その前にいくつかのISO講習を受講することにしており、これもまずは一つ終わった。
危険物と特管産廃はこれからひと月くらい公害防止の勉強と研修の受講を受講してみて、受験日を決めるつもりだ。こちらは年一回でなく、結構試験の回数があるようでなんとかなるだろう。
それからと三木は計画表の下の方に目を移した。ええと、氷川が当社のISO審査立会でナガスネのものがあれば連絡してくれることになっている。
そういえば数日前、例の鬼軍曹、佐田氏に会ったとき三木が置いてきた計画表に、佐田氏が朱書きしたものが郵便で送られてきた。中をみるといくつかコメントが書き込んであったが、ナガスネ流をよく理解することが重要ですとあった。ナガスネに行くにはそれをよく理解しなければならないということなのだろう。まあ、誰でもいうことは同じだなと三木は思った。

計画表をながめてとりあえず気がかりはないことを確認して先週の講習の復習に入る。
三木はノートを開き講習会でノートにメモっておいた重要なことや疑問点をながめる。もうこのノートはあと数ページで終わりだ。三木は1冊目のノートはここまでにして2冊目を作ろうと思う。
さて、今回の講習では疑問点が多々あった。

ひとつ、
地球環境問題というのは企業にとってどんな関わりがあるのだろうか? 地球温暖化と言われてもピンとこないが、多くの学者が大変だと言っているのだから温暖化すると困ることが多いのだろう。しかしどう考えても三木の立場で、温暖化を止めることができるとは思えない。
 ワカラン
ワカラン
製品を売るときに省エネ製品を勧めるとか、お客様に無駄のない正しい使い方を教えることは大事だろう。しかしそんなことで温暖化が止まるはずがない。もしそんなことで温暖化が止まるなら大問題であるはずがない。
ある雑誌、週刊誌だったろうか? 宮崎駿の映画「となりのトトロ」の時代に戻れば、温暖化が止まるなんて書いてあったのを見たことがあるが、そんなことはありえない。トトロの時代設定は昭和30年代らしいが、過去のデータを見ると昭和30年代ではもう人間の消費エネルギーも大きくなり過ぎだ。昭和30年でなく、江戸時代まで戻ればなんとかなりそうだというのはいくつかの本や新聞で読んだ。江戸時代なら日本の産業革命前で、再生可能エネルギーがほとんどだったからそれは正しいように思う。
正確に言えば当時から石炭は使われていた。特に九州地方において、風呂屋、製塩などに広く使われた。また新潟では石油を照明や燃料に使っていたというのをネットや本で読んだ記憶がある。
だが江戸時代に戻りたいとか江戸時代の暮らしでも良いと考える人が今どきいるはずがない。江戸時代どころではない。三木は昭和20年代後半の生まれだが、昭和30年代に戻りたいとは思わない。当時は暖房もろくなものはなく、冬は寒かった。そして夏はエアコンもない。いや扇風機もなかったなあ〜、夏暑い夜は蚊帳の中でパンツとランニングで汗をかいて我慢していたのを思い出した。それどころではない、夜照明が行燈しかないのを我慢できる人が今いるはずがない。
じゃあ、企業の立場で温暖化を止めることはできるのだろうか? そりゃ生産活動を止めれば温暖化は止まるかもしれないが、とてもそんなことはできないだろう。
それでは企業と温暖化はどう関係するのか? 三木はイマイチわからない。

ひとつ、
認証制度の意義について受講者と講師でやりとりがあった。あれが良く分らない。
そういえば先日、今となってはもう何年も前のように思えるがわずかひと月前に、六角氏に会ってお話を伺ったときもそれが話題になったことを思い出した。
ISO規格ができて、それを利用したというかそれに基づいた認証制度というものができた。認証とはいったい何を提供するビジネスなのだろう?
ワカランワカラン
ワカラン
三木も営業を長いことしてきた。その間、社内教育もあったし会社が金を出して大学の経済学や経営学、マーケティングなどの公開講座などを聞きに行ったこともある。それだけではない、機会があれば自腹で講演会、講習会を聞きに行った。それに今までもいろいろな本を読んでいた。生産管理や営業に関するものや、マッキンゼーやボストンコンサルティングの新しい考え(流行)についての本も読んできた。企業というものはお客様に製品やサービスを提供する。そして顧客満足を図ることによりビジネスを継続していくことができる。ということになっている。
認証が提供するものは、形ある製品ではないからサービス(役務)であるのは間違いないが、それではいかなるサービスを提供しているのだろうか?
三木だってULなんてのは知っている。あれは法的な義務ではないが、UL認定を受けないと火災保険が支払われず、現実的には販売できない。だがUL認定とISO認証は違う。だってISO認証にはUL認定のようなことと関連がなく、ISO認証してもメリットがない。
三木の頭に、バブルという言葉が浮かんだ。バブルとは経済学では「ものそのものの価値ではなく、今後価格が上がるだろうという期待によって実態以上に評価されること」だと六角が言ったことを思いだす。六角はそのときISO認証そのものが売買できるわけではないから、そういう言い方もおかしいとも言った。
しかし別に認証そのものが売買されなくても、当事者が実質以上にそのものに価値があるとみなせば、それはバブルと同じことだろう。つまりISO認証とは組織のマネジメントシステムが規格に適合していることを第三者が認めることであるが、当事者あるいは認証機関以外の第三者がその組織がすばらしいと立証された、すばらしいパフォーマンスを出すだろうとみなせば、いや単にエクセレントカンパニーとみなされるならそればバブルと言ってよい。つまり早い話が誤解に基づく過大評価にすぎない。その誤解によって、いや誤解させるために、認証というものが考えられ、認証ビジネスというのが存在しているのではないだろうか。
講師の須々木取締役はそれを知っていて認証ビジネスをしているのか? あるいは知らずに役に立つのだと信じているのか?
盆栽
いや、そう考えた三木が間違っているのだろうか?
すばらしい盆栽があったとき、その盆栽は何万、何十万、あるいは何百万の値で売買され、売買されなくてもいくらの価値があると評価される。だが盆栽に興味がない人にとっては一文の価値もない。
ISO認証とはそういうものなのだろうか?
だが、そう言ってしまえば世の中のものはすべてが単なるバーチャルな価値なのだろうか? 不換紙幣だけでなく兌換紙幣であっても、本位となる金であれ銀であれ、その価値を認めなければ無価値なのだろうか? 金(きん)は使いみちがあったから価値があったのではなく、価値があると思われたから価値があるのだろうか?
不換紙幣は発行者が保証するから価値があるのではなく、他の物と交換できるから価値があるのだろうか? 再帰という語があるが、お金の価値は再帰そのものなのか?
再帰とは、事実であろうとなかろうと、そうであろうと思うことによって行動が規制されること。「大人はこうあるべきだ」と考えることによって、それなりの判断や行動をすることなど。
入れ子構造の意味での再帰や、再帰代名詞の再帰と本質は変わらない。
価値の話になるとマルクスまで戻るのか、いやそれ以前までだろうか?
コイン 通貨とは価値があるから使われるのか、単に実用のためだろうか?
だが、とまた三木は思う。もしすべての会社がISO認証した場合、認証していない会社に対して優位を示すことができなくなる。ということは認証する会社が増えれば増えるほど、価値がなくなるということになる。それもおかしな話だ。
とすると認証と貨幣は比較することができなのか? いや、それは経済学でいう需要と供給の関係と同じなのだろうか? あるいはインフレに相当するのだろうか?

ひとつ
前と関連するが、ISO14001規格の目的とするところは、遵法と汚染の予防である。そう前文にある。遵法と汚染の予防が、地球環境保護と関連するのだろうか?
もちろん定義には「汚染の予防」とは、「汚染を回避し、低減し管理する、工程、操作、材料又は製品を採用することで、リサイクル、処理、工程変更、制御機構、資源の有効利用及び材料代替を含めても良い」とある。だから言葉通りの汚染の予防と1対1ではないが、地球環境問題を解決することが汚染の予防だと言っても間違いではないだろう。
だがそのためにはとりあげた汚染の予防が、地球環境問題の改善にいかほど寄与するのかを考えなければお笑いだ。気は心であってはいけないだろう。そういう観点から見れば、一企業がマングローブを植えますとか、販売している製品のリサイクル率を上げたところで、地球環境問題解決のためにはあんまり意味はなさそうだ。 リサイクル
そういうことはやはり行政というかあるいは国際機構がテーマと達成目標をその効果を勘案して決定し、それを各国、各業種、各企業に割り当て実現するような方法を取らなければ実現できないだろう。
つまりISO認証とか環境活動なんて、一企業が行うことは、ビジネス上の宣伝効果、あるいは費用削減でしかない。ボトムアップで地球環境保護はできず、トップダウンでのみ地球環境保護ができそうな気がする。具体的には、例えば省エネならISO規格による自主的活動に期待するよりも、省エネ法による規制(といっても努力義務だが)による方が効果は確実だ。その他、経済的手法(電気代の設定など)も取られており、それらがISO規格の寄与率よりも大きいことは間違いない。
だとすると認証の意義以前に、ISO規格の価値というか意味というか、なんなのだろう? 意味がないのかもしれない。
そもそも、ISO14001認証すれば地球環境保護になると語った人はいるのだろうか? リオ会議で地球環境保護のための基準を作ってほしいということへの回答がISO14001なのだそうだが、ISO14001がその要請を満たしたかどうかはわからない。
いや遡れば、リオ宣言の内容が正しいのかどうかも証明されているわけじゃないと三木は思う。

ひとつ、
認証を受けた企業に不祥事があったとき、認証機関に責任はあるのだろうか?
いや、認証機関は企業がISO規格を満たしていることを間違いなく確認しているのだろうか?
ワカランワカランワカラン
ワカラン
いいかげんに審査しているなんてことはないのだろうか?
前述したように認証の価値がバブルであるならば、責任以前に認証は無意味である。認証に意味があるならバブルではない。つまり認証がなんらかの責任を負うならば価値があり、責任を負わないなら価値がないといってはおかしいだろうか?
三木はどちらとも判断できない。
いずれまた考えるときがあるだろうと、その旨をノートに記す。

ひとつ、
具体的なことになるが、環境目的をどう理解すればよいだろう?
ナガスネが単純明快に環境目的とは3年後の目標だというなら、そう割り切るのが簡単であり、将来従事するだろう審査において、そう信じることは実用的な考えであることは間違いない。
だが・・・・もし審査の場で「3年以内に達成しなければならない課題があったとき、それは環境目的にならないのか?」と問われたらどう答えるべきか? 三木はその返答が思いつかない。
現実にはそんな質問をしてくる企業の人はいないのだろうか? いても期間が3年間なければダメだと言いきればいいのだろうか?
ともかく、これはナガスネの見解を知ること、そしてそれをそのまま答えればいいのだろう。それをノートに記した。

ひとつ、
環境目的以外にも規格の理解はなかなか難しいようだ。とはいえ、これは規格を理解するのではなく、ナガスネの規格解釈をまる暗記することだなと三木は見切った。
ワカランワカランワカランワカラン
ワカラン
そして気がついた。先ほどの疑問もナガスネの統一見解があるなら、それを全部暗記してそのまま答えればよいのだ、三木が考えるまでもないことだ。
深く考えずに、ナガスネの講師が語ることをそのまま暗記して、もし質問を受けたならそれを答えればよいのだ。考えてみれば簡単なことだ。認証に意味があるかどうかは定かではないしそれは別問題なのだから。
とにかく何か疑問があったならそれを考えることよりも、三木が考えることではなく、ナガスネがそれをどう解釈しているかを把握することが要諦である。来週以降の講習は無用なことを考えずにひたすら聞いて信じることが大事だろう。
と思いつつ、そんな明快な解があるとは思えなかった。もしナガスネに統一見解なるものがあるならば、それはトリックというか欺瞞であるように思えた。あるいは故意でなければ単なる勘違いではないのだろうか。だが、もしナガスネの見解に矛盾があって破綻しているならどうしようか?

とりあえず研修で考えたことはそんなところだろうか、三木はノートを読み返した。
三木は立ち上がり給茶機でコーヒーを注いで席に戻る。再びA3の紙にプリントした計画表を眺める。ナガスネの講習は5つとも申し込んだ。連続ではなく一週おきに受講するようにした。先週の講習を黒く染める。形ばかりだが、少し進捗があったので三木はうれしい。
それからインターネットで危険物の講習を調べた。今月末にでも受講を申し込もう。受講前に危険物の本を買って勉強した方が良いかと思っていたが、今日の佐田氏からの手紙をみると各種資格の勉強法が書いてあった。そこには危険物取扱者の試験については、会場で参考書を売っているからそこで買い、講師が大事だと説明するところにアンダーラインを引いてそれだけを完璧に暗記すればよいとあった。
昔のことだが、三木はアマチュア無線をしたくなったことがある。そのとき資格を取るために「完全丸暗記」なんていうタイトルの本を買って、それを本当に丸暗記したらほとんど満点で合格した。あれと同じ伝でいけるというか、そのほうが効率的で有効なのかもしれない。それはそれでいこう。
特管産廃も講習をひたすら聞いて、居眠りをしなければよいらしい。ネットで「特管産廃+合格率」とググったら「冗談ですか」なんてのが見つかった程度だ。それから推察すると、受講すればほぼ合格するとみて良いだろう。
計画表に今日したことを書き込み、注意書きを加除して今日はこんなところかなと思う。会社で給料をもらって勉強しているようで申し訳ないが、試験に合格して出向しなければならないのだから、まあ、いいかと三木は楽観的に思った。

講習会の復讐を終えると、公害防止管理士の通信教育のテキストを取り出した。分厚いが毎日の通勤で読んでいる。いろいろと勉強法も工夫している。公害概論は暗記ものなのでテキストを自分が読んで録音し、混雑で本を読めないときはイヤホンで聞いている。だけど計算問題とかになるとこの方法は使えない。どうするかなと考える。受験勉強と同じく、公式を小さなカードに書いて電車の中で見ることにするか、あるいは・・
福島の田舎には電車はない。みなマイカー通勤だ。公害防止の会合で知り合いになった他社の同業者は公害防止のテキストをカセットに録音して毎日の通勤でカーステレオで聞いていた。結果、水質1種、大気1種に合格したのだが、計算問題はどうしたのかは聞いていない。

電話が鳴った。時計を見るともう4時半を過ぎていた。今日もこれで終わりだなと思いつつ受話器を取る。
三木
「ハイ、三木です」
氷川
「おれだよ、氷川だよ」
三木
「やあ、いつもお世話になっていて・・・・」
氷川
「あのさ、今月末に千葉にある関連会社の工場でISO14001審査がある。初めての審査だそうだ。いまどき初回審査なんてめったにないから絶対に参加しろよ」
三木
「それはありがとう。ところで初回審査ってなんだい?」
氷川
「おまえなあ〜、ISOで飯食っていくっていうならある程度の言葉を知らないとだめだよ。まあ、言ってもしょうがないか。
ISO審査は認証を受けるとそれ以降毎年行われる。しかし毎回同じ時間をかけて審査するわけじゃない。初めてのときは初回審査と言って十分に時間をかけて行われるんだ。しかし2回目、3回目のときは維持審査といってその、おおよそ初回審査の半分くらいの時間で審査する。簡単になるんだ。
4回目のときは更新審査といって維持審査よりは多いけど初回よりも少し工数を減らして審査される。
当たり前のことだが、最近は新規に審査を受ける会社が減ってきているだろう。だからウチのグループでも初回審査なんてめったにない。見学するなら初回審査がためになる。お前は幸運だよ」

はじめて1年目2年目3年目4年目
初回審査 維持審査 維持審査 更新審査 維持審査
ISO14001認証は1997年から立ち上がり、2002年頃には大手企業はほとんど認証してしまい、新規登録はかなり減少してきた。
そのために当初CEARのルールでは主任審査員になるときに初回審査を行うことが必要条件であったが、2011年頃になるともう初回審査は絶滅危惧種となり、初回審査に参加することが困難になりその要件は削除された。そうしないと主任審査員になれないから、認証機関や審査員から要請があったと聞く。
三木
「なるほど、それはありがとう。千葉か、朝、辻堂から行くにはちょっと遠いかな?」
氷川
「おい三木よ、俺の友人で藤沢から佐倉に通勤している人さえいるんだよ。前泊するなんて甘ったれるんじゃない。
あのさ、当日だけでなく数日前から工場に通ってどんな状況かを見学するとためになるぞ、老婆心ながら」
氷川はそこの工場長や部長と親しいから話をつけておくという。三木は氷川に感謝した。

三木は電話を切ると、再び給茶機に行ってコーヒーを注ぐ。岸本がそばに来た。
コーヒー
美奈子
「三木部長、ちょっとお話しできますか?」
三木
「ハイ、美奈ちゃんなんだろう?」
美奈子
「三木部長が勉強ばかりしていて、引け目とか感じていないか気になったものですから」
三木
「まあ確かに、みなさんがお仕事をされているのに私は勉強というかお金にならないことをしているわけで、引け目どころか負い目というか申し訳ないと思っているよ。でもまあ、私も試験に合格しないとみなさんにますます迷惑をかけてしまうわけで、それなりに頑張っているつもりだ」
美奈子
「それならいいのですが・・・・」
三木
「美奈ちゃんは私のことをだいぶ心配されているようですが、部長とか課長から言われているのですか?」
美奈子
「そういうわけではありません。でも部長も課長もみなさん三木さんのことを気にかけていますよ。ああ勉強の進み具合もですが、三木部長の精神状態を心配されているのですよ」
三木は岸本の言葉をそのまま信用したわけではないが、業務部長や総務部長も気にしているのだろうなと彼らに少し感謝の気持ちが沸いた。
三木
「それは・・・・大変ありがたいことです。営業本部としても成り行きで私を引き取ってしまって大変ですね。せめてこれ以上迷惑をかけないように頑張らなければならないね」
美奈子
「それはそうなんですが・・・あまり自分を追い込んだりしないように願いますよ」
三木
「そうだ、勉強の計画表を作ったのでそれを課長と美奈ちゃんに提出しなければならないな。それから毎週進捗を記入したものを送って週報代わりとしよう」
美奈子
「それはぜひお願いします。」
三木
「そうそう、さっき環境管理部の氷川君から、今月末に千葉の関連会社でISO審査があると連絡があった。それで見学することにしました」
美奈子
「日帰りですか?」
三木
「そうです、ただ状況を知るために審査前と審査後にも行くつもりです。時間的に厳しいから直行直帰します。お金の方は大丈夫、電車賃だけだから一日1000円ちょっとだよ」
美奈子
「分りました。せっかくですから審査のときだけでなく、今から週に一日くらいお邪魔して状況をご覧になったほうが良いのではないでしょうか?
実を言いまして、本社でISO14001認証したのは一昨年でしたが、あのときはもう大騒ぎでした。三木部長がそんなご経験がないなら見ておくのは参考になると思います」
三木
「なるほど、確かに今頃は必死にいろいろな作業をしているのだろうなあ〜
氷川君に調整を頼んでみよう」
話が終わったつもりだが、岸本は三木のそばを離れない。
三木は気になって声をかけた。
三木
「美奈ちゃん、どうかしたの?」
美奈子
「あのですね、私思うのですけど・・・
三木部長はご自身のご心配をされていらっしゃいます。それは当然です。でもISO審査というもののお客様は誰なのかということをお考えになったら、また別の見方もあるかと思います」
三木は岸本の言葉を聞いて一瞬戸惑った。
三木
「ISO審査のお客様?」
美奈子
「審査を受ける会社が、審査をどう考えているのか、審査に何を期待しているのか、そもそも審査を受けることになった理由もあるでしょうし、それが満たされるのかどうかとか
私はこの会社で何度もISO審査を受けました。私はお客様の立場でしたけど、審査員の方は私たちをお客様だとは思っていませんでしたね。ご自分こそがお客様だと考えていらしたようで・・・アハハハハハ」
確かに言われる通りだ。今までISO審査の意義はなんだろうと考えていたが、三木は審査員の立場で考えていた。ISO審査がサービス業ならば、サービスを提供する立場だけでなく、サービスを受ける立場で考えなければならないはずだ。

ワカランワカランワカランワカランワカラン
ワカラン
振り返れば三木が30年してきた営業において、主役はお客様だと常に考えていた。三木は営業にいた30年、ウソをついても売ろうとか、口先でごまかそうと思ったことはなかった。お客様が本当に必要なものはこれだろうと自分なりに考えて、お客様を説得したことはある。それがお客様のためになると考えたからだ。そのとき客から変に思われたり苦情を言われたこともある。だけど三木はそういう商売がお客様のためであり結局は長続きすると思っていた。そしてそれは今までのところ間違いはなかったようだ。
だが、ISO認証についてはどうなのだろうか?
そしてサービスを提供する側が認証とはなんだろうと悩むようであれば、サービスを受ける側は悩む以前にそのようなビジネスの存在意義をみとめるはずがない。
となると「ISO認証の意義はなんですか」と質問した受講者は一般消費者あるいは一般市民として当たり前の疑問であり、その疑問に応えることができなければ、ISO認証制度の存在意義を説明することができないじゃないか。
三木はまた悩むのである。

うそ800 本日の裏話
火曜日にN様と飲んだときのこと、「三木部長は顧客のことを考えていないぞ」というお言葉が・・・
いえ、顧客を無視していたわけではありません。三木さんの右往左往をメインにしたかっただけです。ともあれ私は顧客満足を図る人間ですから早速今回のお話では美奈ちゃんに顧客重視について語らせました。
ところで私が過去20年間にお会いした審査員の何割が顧客の立場で考えていたでしょうか。認証して2年ほど経ち、イギリス人に代わって初めて日本人の審査員が来たとき、「御社に貢献する審査をします」とのたまわった。貢献できる能力があるのかと突っ込む前に、「当社に貢献する」なんて言うのではなく「御社の顧客に代わって御社の品質システムを審査に参りました」とかあるいは「御社の顧客に貢献する審査を行います」と言うべきじゃないだろうか。なにせ当時のISO9001は明らかに「品質保証規格」で認証機関は顧客の代理人だったのだから。あの審査員は本当の顧客を分ってなかったのだろう。

うそ800 本日の見直し
ハッと気がついて文字数を数えた。
10,300文字だった。まあこのくらいは許容内だろう。



名古屋鶏様から突っ込みを頂きました(2014.11.27)
ご自分こそがお客様だと考えていらしたようで
「神」を自称する審査員なら、おりました。おっと「お客様は神様です」だったか・・・


まさに再帰性ですね
いや、催奇性かな
  それとも再起不能かも

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