「草地と日本人」

2014.09.29
お断り
このコーナーは「推薦する本」というタイトルであるが、別に推薦する本にこだわらず、推薦しない本についても駄文を書いている。そして書いているのは本のあらすじとか読書感想文ではなく、私がその本を読んだことによって、何を考えたかとか何をしたとかいうことである。取り上げた本はそのきっかけにすぎない。だからこの本の内容について知りたいという方には不向きだ。
よってここで取り上げた本そのものについてのコメントはご遠慮する。
ぜひ私が感じたこと、私が考えたことについてコメントいただきたい。

著者出版社ISBN初版価格
須賀 丈、岡本 透、丑丸敦史築地書館978-4-8067-1434-72012年2000円

ボールを転がすと、ボールは低い方に転がっていく。水は高きから低きに流れると言われるとおり重力があるからあたりまえです。まあ重いものに限らず、ものごとは落ち着くところに落ち着くようにできている。それが世の中の真理である。
さて、その土地がどのような植生になるか、つまり森林とか草原とか砂漠になるかというのは、土地の性質や気象条件などによって決まる。酸性の土地とアルカリの土地では生える草は異なると思うし、雨量が多いところ少ないところでも違うだろう。寒いところと暑いところでは生える草木が違うのは容易に想像がつく。
もちろん初めから草木が生えているわけではない。例えば今、西ノ島新島が太平洋に顔を出している。いつかどんどん大きくなって大陸になってほしいという気持ちはあるが、プレートテクトニクスからそれは無理そうだ。それはともかくこういった溶岩や火山岩だけの島でも噴火が止まり、そして浸食されずに安定して存在すると、いつしか鳥が種を運んで来たり、草や木あるいはその種が流れ着いて、草木が生え、虫が住み鳥が住み獣が住み人が住みつくというのがお決まりのコースである。ハワイだってグアムだって初めは草木がない(注1)

地球上では何も生えていない土地があると、下図のように変化していくそうです。
草草 矢印


草草草
草草灌木草灌木草 喬木喬木喬木喬木
裸地 →1年生草本多年生草本草地に木々が散在する森林
この絵描くのに結構時間かかりました _| ̄|○

そしてその植生は地質や気象条件によって最終的な状態に至る。それを極相という。当然ながら気象条件や火山噴火や海面下に沈むなどの変化がなければ、その植生は継続する。継続しなければ極相ではない。
我々が住んでいる日本列島が所在するところは温暖で雨量が多いので、長い年月が経つと、南2/3は照葉樹林、北1/3は針葉樹林になるらしい。それがこの日本列島の極相である。

今現在、日本の森林は国土の68%を占めている。日本よりも森林割合の大きい国はフィンランドとスウェーデンしかない。日本は世界三位の森林国である。
正確に言えば世界森林割合の国別ランキングでは日本は第15位であるが、その多くは島嶼国家などで、日本ほど大きくない。
ご注意、日本の国土は決して小さくはない。

日本には砂漠とか高山気候なんてところはほとんどない。
鳥取砂丘では、昔は農地に悪影響を懸念して砂地が広がらないように対策をしていたが、今は観光のために砂地が減らないように対策している。
空き地があればあっという間に草が生え、10年も経つと立派な雑木林になる。みなさんも家を取り壊した更地があると、そうなっていくのを見ているでしょう。田舎では放置された農地、宅地がたくさんありますが、5年もすると人がいたことが分からなくなります。まさに自然に還るというのでしょう。
私たちが生まれた時からあまり風景が変わらないから、今の景色に何の不思議も持たない。もちろん子供の頃は今より家が少なかった、道路がなかった、埋め立てが進んだというのは記憶にあるだろうが、その程度のことで日本の風景に対する印象が変わることはないだろう。
それじゃ、今の風景がずっと昔からあったのだろうか?

この本は昔の日本は森林が少なかったという。それもそんな大昔ではなく、明治以前は、今、森林となっている多くは草地であったという。
ちょっと待ってくれよ
日本の位置するところの極相は照葉樹林ではなかったのか?
ほっとけば日本列島は照葉樹林に覆われるはずではないのか?
実は昔の人たちは草地が森林とならないように、定期的に火を放ったり刈りはらったりして草地を維持していたという。それは想像だけではない。浮世絵や江戸時代に書かれた書物、それに幕末や明治初期の写真などから、100年前、200年前は、今ほど森林がなかったとこの本は語る。そして農民は草原を家畜の餌や肥料の供給源として使っていたとある。
土地利用のイメージとして、農地の外側に草原があり、その先は普通の人が足を踏み入れない奥山だった。今は農地の外側に里山がありその外側が奥山ということになる。

そうそう、この本は里山についても書いている。里山とはたきぎを取ったり、山菜やキノコをとったりする土地という解釈が一般的だろう。じゃあ里山はいつからあったのか?
現在、多くの人は先人の知恵で過去から里山が維持されてきた、里山は人と自然が共生するすばらしい姿だと言っている。
それは真実なのだろうか
この本は、里山という言葉は江戸時代には一部で使われていた形跡があるが、今のような概念で使われたのは1990年頃からだという。
えっ、20世紀末ですって、たった25年前ですか
里山が昔からあり、それは人間と自然の共生の姿であるという認識も夢まぼろしであったようだ。ほんの100年前、農村の田畑の外側を囲んでいた草地の利用価値が下がり、放置されると森林化して、こんどはその森林を利用しようとした結果、里山という状態になった。そしてエネルギー事情が変わり里山として利用しなくなったので奥山化しているというのが現在の姿だという。
そう考えると「里山を守れ!」なんて掛け声はむなしいというか、おかしなことと思わないか?
ビートルズはレットイットビーと歌った。

話はそれるが、私たちの常識というか思い込みは事実と異なることが多い。
浦島太郎や天女の羽衣では「白砂青松」の風景が舞台であるが、そもそも日本では松が生えるというのは荒れ地とか植生の初期段階だけだ。土地が豊かになると松は照葉樹に追い払われてしまう。白砂青松とは日本の固有の自然の風景ではないのだ。
京都嵐山では松の木が他の樹木との生存競争に負けてしまうので、景観を維持するためには常に松を植えなければならないと何かの本で読んだ。
マツタケはやせた松林にしか生えないという。日本でマツタケがとれないということは、悲しむべきことではなく喜ぶべきことだろう。そして北朝鮮でマツタケがとれるということは、悲しむべきことなのだろう。

話は変わる。「今昔マップ」というものがある。
残念ながら日本全国をカバーしておらず、一部の地域限定ではあるが、ともかく適当な場所をクリックするとモニター画面の左半分に昔の地図、右半分に今の地図が表示される。昔の年代は120年前から15年刻みくらいで、いくつか設定されているから好きな年代を選ぶことができ、時代と共に地形がどんなに変わってきたのかを見ることができる。
私の住んでいる千葉県東京湾岸を表示するとすごいことがわかる。
現在、工業地帯や住宅地になっている湾岸はほとんどが埋め立て地である。そしてそれは1970年代以降に埋め立てられたのだ。すごいもんだ。「今昔マップ」にはないが、もし300年前、400年前の地図を表示することができれば、江東区や江戸川区、そして市川から浦安、船橋、習志野、千葉までの沿岸部分のほとんどは海だったことが分るだろう。
日本の古い国というのは、京都から近い方に「上」か「前」、遠い方に「下」か「後」を付ける。例えば上野こうずけ下野しもつけ、越前と越後、備前と備後となる。しかし京都から近い方が「下」で遠い方が「上」という国がひとつある。それは私の住んでいる千葉県で、「下総しもふさ」が柏や松戸などであり、「上総かずさ」が君津や茂原のある房総半島の南部分である。なお房総の南端は「安房あわ」という別の国である。(注2)
なぜ上下が逆なのかというとその理由は簡単で、昔、まあ奈良時代から江戸時代頃までは、江東区や市川市のあたりは海であったので、江戸からは舟に乗らないと船橋や千葉に行けなかった。だから京都から来れば、三浦半島で舟に乗り東京湾を横断して、君津あたりに上陸するのが普通だった。そして船橋や柏にテクテクと歩いたわけだ。故に京都に近い方が「上総」であり京都から遠い方が「下総」である。
日本武尊ヤマトタケルノミコトも三浦半島から舟で上総に渡ろうとするのだが、途中海が荒れて遭難の危機にあう。そのとき海の神様を静めようときさきのオトタチバナヒメが身を投げ犠牲となるのです。ああ、かわいそう! 古事記を読むにも昔の地形を知らないと物語を理解できない。
千葉県には「袖ヶ浦」という地名が二か所ある。なぜか知らなかった。あるときなにかで、オトタチバナヒメの着物の左右の袖が流れ着いた二か所が「袖ヶ浦」と呼ばれるようになったと書いてあった。
地名の由来を知って、なるほどと驚いた。

江東区、江戸川区の海抜が低いことは今も昔も変わりはない。地理院地図(電子国土web)で江東区、江戸川区を見るとほとんどがゼロメートル地帯で私は不安になる。
なにしろ私は生まれてから50歳まで海抜250m以下に住んだことがなかった。
千葉県の最高峰がたったの408mである。最高峰なんて言うのが恥ずかしい。

徳川家康がどんな人だったのかわからないが、単に戦争がうまかっただけでなく、埋立てて江戸の町を作った偉大な建築家(土建屋?)であったことは間違いない。家康が江戸に来たときは日比谷公園も海、江戸城の東側はすぐ海だったそうだ(注3)
ちょっと遠いが霞ヶ浦だって過去1000年の間に大きく地形を変えている。今の霞ケ浦の形を作ったのは明治の人たちだ。(注4)
旧約聖書に「世は去り、世は来る、しかし大地は永久とわに(旧約 伝道の書1,4)」とあるが、日本なら「世は去り、世は来る、そして大地も転変する」と書かれるのではなかろうか?
そして思うのだが、「三番瀬を救え」とか「谷津干潟を救え」なんてことは自然保護ではなく、単なる記念碑的意味しか持たないのではないか。もちろん諫早湾干拓事業なんてのも、自然保護などとは無縁の利害関係者たちの争いに過ぎず、そういうコンフリクトに自然とか環境を言い出すのは不適切である。
何年か前、ISO審査で審査員が、「諫早湾を埋め立てしようとした人は、天に背いたのだ」なんて語っていた。その認証機関の本社は八丁堀だったが、あそこは江戸時代に埋め立てられた。埋立地から来た審査員はそんなことを語ってはいけないだろう。それとも八丁堀は埋め立てて良く、諫早湾は埋め立てては悪いのだろうか?
おっと今大騒ぎになっている辺野古埋立だって同じレベルである。噂では辺野古にはジュゴンが3匹いるらしいが、そもそも3匹じゃ生殖できないと思うがいかがだろう?(注5) 辺野古で大騒ぎするなら、三峡ダムのときは死にもの狂いで反対しなければならなかっただろうにと老婆心ながら・・・
いやカスピ海が干上がっているのはどうするのか?
どうしても埋立は悪いと言うなら、江東区、江戸川区は海に戻し、そこに住んでいる人たちはみなどこかに引っ越さねばならない。(注6)。いや幕張も海に戻し、君津の製鉄所も海に戻し、ディズニーランドも海に戻し、築地も汐留もお台場も新木場も銀座も羽田もセントレアも・・・
築地って築いた土地ってことですよね

結局人間は己の損得でしか動かないのであり、それを否定しては今の生活を否定することにつながる。私は環境といっても公害防止とか廃棄物を扱っていただけでよかった。環境保護を語るならば、自分は仙人暮らしをしなければ発言権はなさそうだ。もっともそんなことに頓着せずというか自己矛盾に気づかず自然保護を語る人は多いね。
おっと、この本がそのような意見を発信しているわけではない。私がこの本を読んでそういうことを考えたということだ。この本を読んで、自然を保護しなくちゃならん、里山を保全しなくちゃならん、サンゴ礁を・・と考えてもそれはそれで別に構わない。
ただそういう考えの方は、矛盾がないように構築しなければノイローゼになるのではなかろうか? もっともそんなことに気が付かないかも?

濡れ落ち葉 本日、気がついたとんでもないこと
日本人が自然と調和した暮らしをしていたという説はきれいごと、いやたわごとである。日本人の祖先はそんな高尚なことを考えずに、好き勝手に伐採したり、焼き畑したり、自然との調和など考えていなかったことは間違いない。それは禿山にした古代ギリシア人や砂漠化を進めている現在の中国人と同じだ。
インディアンが自然は子孫から借りているといったのも同じく勘違いだ。
じゃあ、なぜギリシアのように山が丸裸になったり、中国のように砂漠化しなかったのか?
それは日本海と偏西風のおかげである。
西から吹いて来る風は日本海の水を水蒸気として含み、日本列島にあたって雨を降らせる。日本に降る雪はすべて日本海の海水だ。日本列島の東半分にはあまり雪が降らないことから、それはわかるでしょう。寒くても水分がなければ雪は降らない。そのおかげで日本では木を切って土地を放っておいても自然と草が生え木が生え森林になるわけだ。
わが故郷の福島空港を作るとき、岩法寺山という海抜600mくらいの小さな山を削って谷を埋め滑走路を作った。親戚が空港の北西で農業をしているのだが、空港ができてから降水量が大幅に減ったという。あんなちっちゃい山でも地域の気候に影響していたと驚いたものだ。
そして偏西風が吹かないところ、吹いても海も湖もないところでは雨が降らない。ギリシアでは船や神殿を作るためそして燃料にするために森林を伐採してしまい、表土が流れて森は再生しなかった。イギリスにもかっては大森林があった。ロビンフッドの時代である。その後羊などの放牧と産業革命時には製鉄用に木を切った。コークスを使う技術がなかったから(注7)。そして素敵なゴルフコースになった。そして今中国は砂漠化推進という大事業をしている。それが成功することは間違いない。
そんなことを思うと、ますます自然保護なんて言葉を簡単に使うわけにはいかない。
まあ、老人のたわごとである。

濡れ落ち葉 最後にご注意
この本はかなり冗長で、読んでいて飽きる。お読みになるならそれを覚悟してください。


  1. ジェームズ・ミッチナー(1997)「ハワイ」、日本図書刊行会
  2. 「安房の国」と「総の国」から一字ずつとって「房総」という名ができた。
  3. goo古地図
    芳賀ひらく(2013)「江戸東京地形の謎」、二見書房
  4. 香取の海の変化についてはここが詳しい、その1その2
    1000年前の地形を見ると、北側から房総半島先端に行くのは大変だってことが分る。
  5. 環境省の調査報告では100匹くらいジュゴンがいないと存続できない(最小生存可能個体数)らしい。そうなると辺野古だけでは狭すぎて沖縄周辺の海域に生息していなければならず、辺野古に住めなくなっても全体を見れば影響は少ないとのこと。
  6. 埋立地をなくすと一番面積が減少するのは東京や千葉ではなく、大阪府らしい。
  7. 中沢 護人(1994)「鋼の時代」、岩波新書



O様からお便りを頂きました(2014.09.30)
おばQ様
昨日、小生も娘と一緒に琵琶湖博物館に久々に行って参りました
博物館の展示は、琵琶湖の名前があらわすように、基本的には淡水湖である琵琶湖に関する、魚類の展示などでしたが、 午前11時から、学芸員による、琵琶湖の成り立ちの説明があり興味があったので、聞いていましたら、まさに、おばQ様の書いておられるとおりでした。

琵琶湖は、400万年〜600万年前に誕生したそうです。それは三重象の化石や、鰐や、始祖鳥などの化石から、推定できるそうです
ですから、数百年前は、日本全体が、亜熱帯性の気候で、その後寒暖の繰り返しを経て、40万年前くらいに、現在の形になったそうです
その前数百年前から少しずつ移動してきたそうです。
三重象からもわかるように、数百年前は今の伊賀上野地域にあった、小さな水たまりから、変遷して、今の琵琶の形をした湖になったそうです。
人間の台頭は、まだ1万年くらいだそうです。

現在は、当時をしのぶものといえば、琵琶湖北方にある、マキノ高原にあるメタセコイアがあるくらいだそうで、メタセコイアは生きる化石といわれています。
マキノ高原には、それはきれいなメタセコイアの並木が形成されています。

学芸員の話によれば、人類が出現する前の数百年の間、たぶん、熱帯や温帯寒帯と、ずいぶんと地形を変化させて、現在の日本があると感じたものでした。

O様 毎度ありがとうございます。
最近考えているのですが、もうISOから足を洗って、千葉県や関東地方の地理を勉強したいなと思っております。
関東地方は元々海だったそうです。陸地だったのは房総の南端、東京から西、古河から北、関東平野は海だったのですね!
大昔じゃありません。1000年前です。驚きます。
大阪だってほとんどが海。神武天皇が東征してきたときは大阪のあたりは湾だったと言いますから、もう地形はあっという間に変わってしまうのですね!
そんなことを思うと、ISOなんて小さい小さい、こんなことにこだわっている私がいかに小さいかと・・・心を入れ替える次第です。やっぱりISOから足を洗った方が・・

九州で格闘中。様からお便りを頂きました(2014.09.30)
いつも楽しみにしています。
初めて連絡させて頂いております。
九州の工場で品質管理をしています。
環境ISOについては理解が出来ていませんが、ISO9001を使って工場管理技術を作っていても日々迷いながらの格闘です。
当ホームページを上司に紹介されて、遅まきながらこの半年ほどでマネジメントシステム物語を読ませていただいております。
先生のHPを読みながら、
表面上は舶来の管理の仕組みを使っているように見せながら、中国にもアメリカにも負けない工場を作ることを考えます。
今後とも連載のほどどうぞ宜しくお願い致します。

九州で格闘中様 お便りありがとうございます。
勘違いと思いますが、私は先生ではありません。年齢だけは先輩かとは思います。まあ、そんなこと気にせずケンカでも質問でも吹っかけてください。
ただISO9000にはもう10年も関わっておりません。現役時代も転職後はISO14001オンリーでした。あまり9000について難しいことを言われるとワカリマセン

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