経営に寄与する審査 3

14.05.15
アイソス誌2014年6月号を読んだ。昨年までは「JABマネジメントシステムシンポジウム」の講演録が日本規格協会の「標準化と品質管理」誌に載っていたのだが、今年はアイソス誌掲載なので買ったのだ。仕事を辞めたとはいえ、やはりJABが認証制度についてどんな考えを持っているのかを知りたい。
2年ほど前にシンポジウムで飯塚教授が語ったことについて釈然としないので、それについてJABに問い合わせたことがあった。すると講演者の発言・見解はJABの見解ではないという回答であったが、そんなことはないだろう。JABの考えを講演者は代弁しているか、そもそもJABが講演者にしないだろうと私は考える。

ともかく久米理事長の語ることはJABの考えそのものであろう。
久米さんは第三者認証のメリットについて大いに語っている。しかし久米先生の語ることは良く分らない。無学な私には支離滅裂に聞こえる。
  1. 認証とは一流の認証機関による場合メリットがあるという(p.12)
    一流の認証機関とは、自分たちが認証した企業では規格不適合によるトラブルは最低限に抑えられていることを、その実績から自信を持って言える認証機関である(p.14)だそうだ。
    • 認定機関の認定を受けている認証機関は一流の認証機関なのでしょうか?
    • それともJABが認定した認証機関には一流と二流があるのでしょうか?
    • 実績によって一流であることを立証するというなら認定は不要ですよね?
    • 具体的な一流の認証機関を教えてください。知り合いに勧めますから。
    いったい久米先生の語っていることは意味があるのか? それとも単なる文字の連なりなのか? 良く分らない。
  2. これまで体系的に品質管理を行ってこなかった企業では、品質マネジメントシステムを導入して認証に挑戦することで、品質活動を体系化してそのレベルアップにつなげていくことができる(p.13)
    まず、品質マネジメントシステムを導入とはどういう意味なのか? これが分らない。前後の文脈から想像するに「第三者認証を受けること」のようだ。ということにすれば、私も同意する。
    しかしそうすると、今まで体系的に品質管理をしてきた企業は第三者認証を受けるメリットがないということになりますが、それでよろしいでしょうか。
  3. ISO9001の認証制度では定期的にサーべーランス、更新審査が行われます。これを積極的に利用することで、品質活動の継続を計っていくことにつなげることができます。(p.13)
    同意しません。
    「ISO審査員がこう言った」と言って社内に何かを実施させるとか、「審査があるぞ!」といって文書や記録を見直している企業の話はよく見かける。そんな組織は最低レベルの管理状態だと私は考えている。日常ルールに従い業務を執行していて、いつ二者監査があろうと、行政の立ち入りがあろうと、気にしない企業が立派ではなく当たり前のレベルであると私は考えている。
    久米先生の語る認証制度を利用するという意味がわかりません?
  4. 第三者審査の利点はその客観性にある(p.13)
    JAB認定の認証機関で客観性があり審査の力量がある認証機関はいかほどあるのでしょうか?
    製造物責任で訴えられた企業はJAB認定の認証機関から認証を受けていなかったのでしょうね?
    事故を起こした車の電子制御システム関連のメーカーや下請けはJAB認定の認証機関から認証を受けていなかったのでしょうね?
    一流の認証機関とは実績によって立証するのですよね?
先細りのJAB理事長に久米さんがなったとき、ピンチヒッターか守護神の登場かと思ったが・・・現実を見ていないのは前任者と変わらないようだ。
実は久米先生は末尾の方で「NATOが作った品質保証要求事項が原点である」と書いている。若干違うと思うけどまあ細かいことには妥協すればそのとおりだ。だからISO9001認証は品質保証に過ぎませんよと言い切れば久米さんはまっとうだと思う。そう言いきれずに「とはいうもののまったく利益につながらないわけではない」と無理するから支離滅裂になってしまうのだよ。私はそう思う。

アイソス誌の14ページにシンポジウムの写真が載っている。
有楽町朝日ホールといってもいろいろな座席配置があるが、写真から見るとAタイプ(636席)のように見える。とするとこの写真は最後部から3列目くらいで撮影したものだろう。
講演者がいるから休憩時間ではないようだが、写真に写っている人数は150名ないし180名か。写真の外にも座っている人がいるだろうし、数え漏れもあるだろうが、それを考慮してもマックス230名だろうか?
座席の半分は埋まっていないから300名ということはないだろう。
昨年まではJABは参加者数を公表していたが今年は発表していない。仮に300名として過去からの推移はどうなるかというと・・
過去の討論会の入場者数(注1)
開催年入場者数 
2007年13回750名グラフ
2008年14回800名グラフ
2009年15回700名グラフ
2010年16回600名グラフ
2011年17回500名グラフ
2012年18回400名グラフ
2013年第1回(注2)約400名グラフ
2014年第2回推定300名グラフ
2015年第3回約400名グラフ
注1:
2014年以外の参加者数はJABウェブサイトから引用
注2:
2013年(2012年度)から品質と環境を合わせて「JABマネジメントシステムシンポジウム」と改称。
朝日ホールの平日日中の利用料金は32万円(2014年時点)、資料などの諸費用がかかるとしても参加料1万円なら300名入れば元は取れそうだ。とはいえ、2015年の入場者数は200名になるのかな? それとも今後は開催されないのかもしれない。

アイソス誌ではないが、最近読んだものに、あるISO関係者が「審査において気付きを与えることが審査の価値」と書いていた。その方は審査において、企業に役立つ情報提供や改善の気付きを与えることができる。それによって企業に貢献できるし、それが認証の効果だと語る。まあどんな考えを持とうとも自由だし罪になるわけではない。でも、そうなのだろうかと私はその文を読んで納得できなかった。

そんなことからISO認証が経営にいかに寄与するのかということを改めて考えた。
そもそもISO認証で品質改善や企業の改善が可能なのであろうか?
ISO17021:2011には、これに関してどう書かれているか?
まず用語及び定義において
3.3注記 教育・訓練が,マネジメントシステム又は審査に関係し,その内容がだれでも自由に入手できる一般的な情報に限られる場合で,教育・訓練を手配し,講師として参加することは,コンサルティングとはみなさない。すなわち,講師は,適用に関する固有の解決策を提供しない。
これは審査ではなく研修の場においてのことであるが、そこで一般論を語るのは良いが、特有あるいは固有(specific)の問題についてはご法度ということだ。

本文では
9.1.9.6.2 マネジメントシステム認証スキームの要求事項によって禁止されていない限り、改善の機会を特定し、記録してもよい。
これは「改善の機会」があっても良いということであって、必須ではないということだ。ということは審査の目的は改善の機会を提案することでないことは間違いない。

「改善の機会」というものは定義されていない。まあ一般的な意味だと解釈しておく。ともかく「改善の機会」を特定してもよいが,具体的な解決策を示すことはいけないことになっている。
なお、ISO規格では「口頭なら」とか「独り言なら」という但し書きはない。すべて文書にして残すことが鉄則であろう。そして口頭とか独り言についてはその責任を追及しないのだろう。それは同時に書き物となっていない「口頭」とか「独り言」には価値も見出さないのだろう。つまり口頭とか独り言では情報提供はしたことにならないのだ。つまりそれは価値を提供したこととみなされない。いや、これは私の推測である。
ともかくISO17021:2011を読む限り、審査の価値とは「改善の機会」を提示することではなく、適合か否かを調査判定した事実のみであること、そして「改善の機会」はあってもなくてもよい刺身のつまであると読める。
しかし先ほどの某ISO関係者としては「審査の価値」は報告書に書いた「改善の機会」にあり、組織側としては、審査報告書に書かれた「改善の機会」に価値を見出すべきだということになる。もっとも報告書に書いてない口頭での気づきや独り言はISO17021からいって、「改善の機会」の提示にあたらないのはもちろんである。
いや、これは私のアイデアではなく、ISO17021にそう書かれているということを確認していただければよい。このISO関係者が口頭での気づきや独り言についてどうお考えなのかはその文からは読み取れなかった。

じゃあ、審査で出されている「改善の機会」とは具体的にどんなものなのだろうか? 知り合いから頂いた最近の認証機関(複数)の審査報告書に書かれている「改善の機会」を見てみた。
当然であるが、述部が「改善の余地がある」と書いてあるということではなく、「改善の余地」という項目に記載されている物である。

    なお、バイオレット文字は引用部、緑文字部は私のコメントである。引用部分は冗長性をなくすために述部の言い回しを一部変えたが、論点は変えていない。

  1. 順守評価を実施したとき、測定値は半年前のものであった。評価時期の適切性に改善余地が見られました。
    測定結果が法規制以内か、運転が安定しているかは測定したときに判断しているのだろう。手順に基づいて測定や報告その他の方で定めていることを実施しているかを見るのが順守評価ではないのかな?

  2. 開発中の新製品において重量低減を目標にあげていますが、その重量低減による環境貢献が具体的に把握されておらず、改善の余地があります。
    環境に配慮するために目方を軽くするなんて私は聞いたことがない。競合他社とのスペック競争に負けないように、運賃を下げるため、材料費を安くするため、そんな理由じゃないんだろうか?

  3. 調達先6社に対して環境配慮の改善を要請しています。これが目的・目標にあげられていなかった。目的目標に盛り込んで行うべきです。
    あ、そうですか、それを目的目標に追加すると改善になるのか・・・しかし、先生!どういう改善になるのでしょうか?

  4. 環境側面に有害・有益の区別がされていない。
    すみません、審査員の先生、有害な側面と有益な側面の違いを説明してください。
    まさか先生の妄想ではないのでしょう!?


  5. 規格要求の「文書が読みやすく」に対して、マニュアルの記述が分りにくいので改善の余地があります(誰が読んでも分りやすく)
    legibleってどんな意味ですか?
    先生のお話は誰が聞いても分りにくくて・・・


  6. 本来業務に根ざした有益な側面の更なる発掘が必要です。
    発掘したら有益な側面を唱えた方のご遺体が出てきましたヨー

  7. 目的目標のテーマを事業計画から抽出することで、環境活動と経営の融合が期待されます。
    元々環境活動って経営の一部でしょう!
    一体のものを融合することは当社ではむずかしいなあ〜 カマトト


  8. PCB保管庫の換気改善を図る余地があります。
    PCBは危険物です。危険物は危険物保管所に置かなければなりません。危険物保管所は消防法で設置基準が決められていて、それに従い消防署の許可を受けて設置しております。つまりご提案の改善の機会は消防署の判断がまずかったと?
    1997年、私はこれと全く同じ不適合を頂いた。審査員のレベルは17年経っても変わらないようだ 


  9. 近隣の小学校の工場見学を多々受け入れていますが、これを外部コミュニケーションの記録にすることが改善の余地です。
    これを読んでばかばかしいと思った私は頭が悪いのか?
    小学生が見学に来たことを記録すると、マネジメントシステムの改善につながるという理屈を説明してほしい。


  10. 審査所見報告書が外部文書として管理されていません。
    当社では内部で作成したものも外部から入手したものも、すべての記録や文書をその重要性に基づいて管理しています。センセイのおっしゃるのは「外部文書」というラベルが貼ってないということですか?

  11. 法的要求事項一覧表に条例の規制の詳細が記載されていない。改善の余地があります。
    詳細実施手順は規定に定めていた。なんでもかんでも一覧表に書き込んだら良いというものでもないだろう。仮に法規制や実施事項を全部一覧表に書けば「法規制一覧表と規定の役割を整理する改善の余地があります」なんてね

  12. 物流ルートの改善を進めていましたが、これがCO2削減の目的目標や実施計画に盛り込まれていませんでした。
    いや、当社では物流ルートの改善は儲けるため、お客様に早く届けるためです。キリッ

誰か! ここに書かれた「改善の機会」が改善に当たるのか説明してくれ 
それ以前にこれら複数の審査員はISO規格を読んだことがあるのか?
いや、認証機関の中には私をうならせるような「改善の機会」もあるのだろう。

審査の価値は「改善の機会」ではなく、審査そのものであるというならばそれは当たり前ではある。
あるいは審査の価値は、受査企業の経営に寄与することだと考えているのだろうか?
それもどういう意味か定かではない。規格適合(あるいは不適合)という情報を提供する以外になんらかの改善効果を与えること、それも現場レベルあるいは即物的なことではなく、企業の経営レベルに貢献する情報提供をしなければ「経営に寄与する」とは言わないのではないかと私は思う。
認証することによって売り上げが伸びようと、それを経営に寄与する審査とは言わないと私は思う。
しかし企業が成長するあるいは社会に貢献するためには、その提供する製品やサービスによってであり、マネジメントシステムが改善されても製品やサービスの品質、コスト、納期が改善されるとは思えないが?

審査がいかなる価値を持つのか、平均的な審査員や認証機関はどう考えているのだろうか?
一般の審査員がこれについてどう考えているかどうか、それはアンケートでもしないとわからない。
認証機関はどう考えているのだろうか?
ここでは審査が経営に寄与するかどうかについてだけ見てみることにする。JAB認定の認証機関がISO認証あるいは審査が「経営に寄与」すると語っているのかどうか、各認証機関のウェブサイトを全文検索してみた(すべて2014.05.08アクセス)。

認証機関「経営に寄与する」と記載しているか否か
日本規格協会ない
日本検査キューエイ「ISO審査活動を通じて少しでも登録組織皆様の発展に寄与できればと思っています」(これはあたりまえだろう)
日本化学キューエイ サイト内検索して気が付いたことであるが、この認証機関の品質方針に明文としては載っていないが、htmのMETA行に
「品質方針 - 日本化学キューエイ株式会社は、受審企業の企業文化を理解し、利害関係者の視点を大切にして、質の高い審査をすることにより経営に役立つ審査を提供します。」
と入れている。
META文だからブラウザでは当然表示しない。これは 検索エンジンにはかかるように、対外的には表明していないということなのだろうか。私はいささか不誠実を感じる。
日本ガス機器検査協会ない
日本海事協会ない
日本海事検定キューエイ協会ない
高圧ガス保管協会ない
日本科学技術連盟 「経営に貢献する審査手法を活かし、改善に寄与する審査を実現して参ります」
私にはどういう意味かわからない。
日本品質保証機構なし
日本ボイラ協会なし
SGSジャパンなし
電気安全環境研究所 『「経営に役立つ審査」を実践し、先進的な「マネジメントシステム認証」を行います。』(2013.06事業案内パンフレット)その他あり。
日本能率協会なし
建材試験センターなし
ロイドレジスタークオリティアシュアランスリミテッド 「お客様の経営に寄与する"ビジネスアシュアランス"を掲げ、ステークホルダーの利益を確実にするサービスを提供しています」2010年6月22日地球温暖化のページ
どういう意味なのだろうか?
利益であろうとなかろうと「確実にする」なんて言って良いのかな?
日本エルピーガス機器検査協会なし
日本建築センターなし
DNVビジネス・アシュアランス・ジャパンなし
日本自動車研究所なし
日本環境認証機構 社長方針その他に明確に述べている。それも「経営に役立つ審査、世界に通用する審査、そしてそれぞれの企業に応じたきめ細やかな審査を方針として審査を行ってきました。」と「行います」ではなく「行ってきた」という過去形で言い切るあたり実証されているらしい。スバラシイ
それを実証する過去の審査報告書を見てみたいと考えている。
三重県環境保全事業団なし
防衛基盤整備協会なし
株式会社 マネジメントシステム評価センター 「高い専門知識と豊富な経験を持つ審査チームが、一次審査、二次審査、サーベイランス審査及び再認証審査を通じてあなたの組織を深く理解し、確実な経営に寄与出来るような審査に努めます。」
「努めます」だから論理的ではある。ところで「寄与する」とはどういうことなのだろう?
ペリー ジョンソン レジストラー インクなし
日本燃焼機器検査協会なし
ベターリビングなし
UL DQS Japanなし
発電設備技術検査協会なし
国際規格認証機構 OISCの審査登録サービスとは? 経営改善に寄与する審査を実施します。
国際システム審査株式会社なし
BSIグループジャパンなし
トーマツなし
アイエムジェー審査登録センターなし
和歌山リサーチラボなし
株式会社 ISO審査登録機構なし
テュフ・ラインランド・ジャパンなし
北日本認証サービスなし
株式会社 日本審査機構なし
AUDIXなし
インターテック・サーティフィケーションなし

43社中9社、つまり2割が経営に寄与する審査をすると表明していることになる。それらの認証機関がなにをもって「経営に寄与する」と考えているかはわからないが、単に規格適合を審査するだけではないと考えていることと推察する。なぜなら「組織の成長・発展に寄与できるような有効な審査を行ないます」ということは、「組織の成長・発展に寄与でしない審査」も存在するという前提でなければ意味のない文章だからだ。もし「組織の成長・発展に寄与でしない審査」が存在しないなら、「当社は審査を行います」で間に合う。

じゃあ、「経営に寄与する」ということはいったいどんなことなのか? 少なくてもISO17021を見る限り審査員(あるいは認証機関には)「改善の機会」の提示以外は認められていない。
更なる問題がある。「改善の機会」を示して、組織に気付きを与え、あるいは教育をすることが可能なのであろうか?
宮本武蔵は「我以外皆師」と語った。どんな人にも学ぶところはあり、どんな人でも周りを感化することはできるであろう。中国ではどうしようもない人を反面教師と呼んでセンセイ扱いしている。
だけど常識で考えて、年に1度一日とか長くても三日程度やって来て、現場を見てヒアリングして経営に寄与するようなことが見つかるものだろうか? ボストンコンサルティングであろうとマッキンゼーであろうと、ドラッカーであろうと、1日ないし3日間訪問しただけで経営改善が提案できるはずがない。私はそう思う。
ちょっと待てよ、それほど経営に寄与できると発言するならば、その認証機関の経営状況は順風満帆、左団扇なのだろうねえ〜
認証機関を止めて経営コンサルをした方が儲かるよ
それにISO審査員よりも著名な経営コンサルタントの方が社会的地位は高い。

ところで2009年にIAFとISOが共同で出している「認定されたISO14001認証に対して期待される成果」及び「認定されたISO9001認証に対して期待される成果」は2014年現在まだ有効なはずだ。
そこでは審査において、気づきを与えるとか教育効果などという言葉はない。
偉大なる飯塚教授がISO認証の意義は「外部へ信頼性を提供する」ことと「改善のツールとなる」と語った。それが現実的に正しいのか否か、どうだろうか?
私は経験的には「偽」であるように考えている。
もちろん飯塚先生初め多くの人が「真」と信じていることは間違いないだろう。まさか「真」と考えていないことを語るはずはない・・・・ということにしておこう。

一旦、出発点に戻って考えてみよう。
上記はこうも言いかえることができるだろう。
ISO認証は勘違いに始まって、20年経っても勘違いのままなのではないだろうか?
わからんわからない

うそ800 本日の振り返り
経営に寄与する審査とは過去2回書いている。その1その2
同じことを三度書くとは、わたしも進歩がない。

うそ800 本日の勘違い
勘違いをしているのは、久米先生や飯塚先生ではなく私だろうか?



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