マネジメントシステム物語38 ISOは経営の規格である

14.02.26
マネジメントシステム物語とは

片岡と佐々木の両氏が審査員研修も受けたこと、そして何度かISO14001認証指導にも行った、それに環境の資格の受験勉強もしている。そんなことで二人とも少しはISO14001とか環境管理について分ってきただろうし、また迷いごともあるのではないかと考えて、佐田は打ち合わせをもった。
佐々木 片岡 佐田
佐々木 片岡 佐田
佐田
「皆さんがここにきて、ひと月半になりました。お互いに出歩くのが多くすれ違いばかりでしたが、珍しく今日は全員がそろいましたので、ちょっと話し合いをしようと思います。
どうでしょうか、お二人ともいろいろ経験されたと思いますが、お悩みとかこれからのことについてご意見とかご希望などありましたらなんでもお話しいただきたいと思います」
片岡
「資格の勉強についてはまったく心配はいらないよ。受験勉強は高校入試からお手のものだ。来週、危険物の試験を受けに行ってくるつもりだ」
佐々木
「え、片岡さん、先駆けはずるいですよ。私に声をかけてくれればよかったのに」
片岡
「ごめんごめん、先週、佐々木さんが佐田君と出張だったときに、インターネットで調べて申し込んでしまったんだ。でもまず私が露払いとして受験してみて、様子をお教えするということでどうでしょうかな」
佐田
「危険物なら試験は月に何回もありますから、大丈夫です。佐々木さんがお暇なときに受験されたらいいですよ」
佐々木
「悩みごとではないけど、私は最近疑問に思うことが多い。まず一番の問題はISO規格の読み方だね。正直言ってどう理解すべきなのか、だんだんとわからなくなってきたよ」
片岡
「実は私も同じことを思っていた。審査員研修に行く前は、ISO規格を日本語とか英語とかで読んで、要求事項はだいたいのところ分ったような気がしていた。しかし審査員研修で須々木講師の語ることはおかしいと思ったけれど、じゃあどう読めばいいのかということがわからなくなってしまったよ」
佐々木
「片岡さん、私もそうです。環境目的が3年でなければダメだというのは、どうもおかしいように思います。しかしいったい環境目的とは何かと考えると、なんなんでしょうかねえ〜?」
片岡
「わからないことはたくさんある。環境目的というのはISO用語だよね。ISO規格がまったく新しい考えだということはないと思う。というと環境目的には従来からある何が対応するのだろう? 同様に環境側面もわけがわからない」
佐々木
「ISOの語句の理解とか規格で言っていることが、従来からしている何にあたるのかということも問題です。しかしそれとは違いますが審査員研修のとき、講師が『ISO14001は経営の規格だ』と語っていましたよね。ちょっと聞くとすごいことを言ってますが、いったい経営の規格ってなんでしょうかねえ? あれからずっと考えているのですがいったいどういう意味なのかいまだに私はわからない」
片岡
「ああ思い出した。確かに須々木って講師は、ISO14001は経営の規格だと言っていた。佐田君、あれはどういう意味なんだろう?」
佐田
「経営の規格ですか? どのようなときにそう言われたのか分りませんが、いろいろなことが考えられると思います。
まず思いあたるのは、ISOシステム規格の兄貴分はISO9001ですが、その名称は『品質保証の規格』となっています。弟分のISO14001は『環境マネジメントシステムの規格』となっていますから、マネジメントを経営と訳して、ISO14001は単なる品質保証ごときではなく、経営の規格であると大見得を切ったということかもしれません」
片岡
「ISO9001だって審査員やコンサルは、会社を良くするために使えるといっていたようだが・・」
佐田
「まあISO9001のときはそれを使って会社を良くしようと言っていたかもしれませんが、ISO14001にはズバリ『マネジメント』という言葉が規格のタイトルにも文中にもありますから、大きな違いがあると受け取った人はいるでしょう」

ISO9000sの1987年版でも1994年版でも、managementの語が使われていたのは、management representative、management responsibility、management review だけだ。そこでは定義さえされておらず「マネジメント」は単に経営層を意味することに使われていた。
過去からのそういった流れを思い出すと、ISOMS規格も一直線に変化(進化)してきたのではなく、規格文言も解釈も運用もブラウン運動のように漂ってきた感がある。


片岡
「なるほど、そう言われると単純なことだったのか。
そうするとISO14001は経営の規格だという意味は、ISO9001とは違うという意味に使われていたということになるのかな?」
佐田
「まあ、そこも微妙なところですね。『environmental management』という熟語はISO14001が現れる前からありましたが、以前は『環境管理』と訳されていて、その意味は公害防止だったのです。そんな過去からのことを知っている人は、『経営の規格』と言われると、ますます混乱してしまうかもしれません」
片岡
「ともかくマネジメントシステムの要求事項を書いたものは、経営の規格といってよいのだろうか?
もっともマネジメントシステムと経営って同じじゃないよね。そこも分らん」
佐々木
「マネジメントと経営は1対1ではないよね。それに経営の規格といえば環境管理とか公害防止なんてことじゃなくて、会社の方向付け、M&A、事業展開など、ものすごく高度なことを思い浮かべるけど」
片岡
「ちょっとうがった見方だけど、経営の規格と語る人は実際に経営をしたことがあるのだろうか? あの須々木講師は元大手音響映像機器の会社の環境部長だったと聞くけど、会社経営レベルのことをしていたのだろうか? 経営をしたことがない人が経営の規格だと言えるのだろうか」
佐々木
「恥ずかしながら実は私はベンチャーの社長を2年ほどしていたことがあるよ」
片岡
「ウチの会社が立ち上げたインターネットプロバイダ事業のことかい?」
佐々木
「そのとおり、ウチも流行に乗ってさ、インターネットプロバイダ事業を始めようとして子会社を作ったんだ。私が出向して社長になったわけ、アハハハハ、私が社長だなんて笑っちゃうよね」
佐田
「誰も笑いませんよ、で、どうでした社長業は?」
佐々木
「私も係長、課長、部長、本社の部長とおかげさまで順調に昇進してきた。仕事で決済する金額は自分が手にしたこともないような桁数だったね。どんな職務でも出ずるを制して入るを図れ、無駄をなくして効率を最大化、人に先んずるというのは真理でさ、職階が上になるほど裁量範囲は大きく、不確定要素も大きく、チョンボしたときの責任も大きくなる」
佐田も片岡も黙って聞いていた。
佐々木
「だけど社長になると、管理職のときとは大違いなんだよね。まあ子会社だから資金繰りとか株主対策といった心配はなかったけど、法律の手続きやら行政との対応とか、管理職が考えもしないようなことがたくさんあるわけ。売上だって今年いくら達成しようということようなわけにはいかない。日々の売上がたたないとパタリと倒れてしまいそれっきりになる。黒字だって回収できるのが先の話なら運転資金がなくておしまいだ。それに比べれば部長とかいっても、インフラとリソースは与えられるわけで、その上でアプリケーションを動かしているだけなんだなあ。そこが経営者との違いかなあ。
おっと、結局プロバイダ事業は伸び悩み、たまたま大手プロバイダが中小のプロバイダを買い集めて集約化しようとしていたので、渡りに船と売却してしまった。社内的には怪我を大きくしないうちに撤退して良かったと評価されたけど、私に経営能力がなかったのは事実だ」
佐田
「社長経験者の佐々木さんから見て、経営の規格とどういうものでしょうか?」
佐々木
「ISO14001を読むと経営者はリソースを確保せよ、組織や権限を決めろ、方針を示せとあるよね。確かに書いてあることは、間違いじゃないと思う。しかし経営者の仕事というのはそこまでなんじゃないだろうか」
片岡
「そこまでというと?」
佐々木
「ISO14001規格に書かれている要求事項はたくさんあるけど、経営者に関することは今言ったリソース、組織と権限、そして方針だけだと思う。残りのその他の要求事項がマネジメントシステムと思えるが、それらは経営あるいは経営者とは無縁だろう。
経営の規格とのたまわくなら、今言った、リソースを確保するにはどうするべきか、組織や権限を決めるにはどうあるべきか、方針を決めるにはいかに決断すべきかということを明記することが必要だ。
ISO14001に書いてあることは、そのような経営者に必要な高いレベルのことではなく、管理者層に関することじゃないのかね。マネジメントシステム要求事項とは、経営そのものではなくて、経営の道具にすぎないんだ」
片岡
「なるほど、ISO14001は経営レベルの基準や規範を示していないということか」
佐々木
「まあ正直言えば、経営者に役立つような基準とか規範というものは存在しないだろうと思う。そうだなあ〜こうすれば経営がうまくいくというものがあれば、それは規格ではなくガイドとか手引きと呼ばれるだろう。規格とは規制基準というかご法度集ということになるのかなあ〜それは経営者がまもるべき基準とか、経営者がしてはいけないことが羅列されたものなのだろうか?」
片岡
「ちょっと待ってくれよ、経営といってもリソースの確保とか事業の方向を決めるだけじゃなくて、従業員のモチベーションアップや日常管理とかも含まれるのではないだろうか。とすると経営のそういった部分、運用管理というか部下の指揮などにおいては使えるという意味ともとることはできないだろうか?」
佐々木
「リソースがあって、手順が決まっていて、それに基づいて実行するだけなら、そんなもの経営とは言わないだろう。経営はそもそも予測困難なレベルじゃないのかな。悪く言えばバクチ、よく言えば宗教か哲学がないと担えないように思うけど」
片岡
「予測できるなら、もはや経営ではなく単なる管理ということか」
佐々木
「管理でさえもなく、監督かもしれないね」
片岡
「なるほど、ドラッカーなんて哲学者が宗教者という感じだもんね」
佐々木
「スティーブ・ジョブスが今年アップルに返り咲いたね。彼がアップルを再浮上させることができるかどうか未知数だが、経営というのはああいった信念というかビジョンを持った人でないと務まらないのかもしれないね」

ジョブスがアップルに返り咲いたのは1997年であった。CEO就任は2000年である。あのとき2013年のアップルを予測できた人は少なかったと思う。

佐田
「日本にはジョブスはいなけど、みなまっとうな経営をしていますよ」
佐々木
「うーん、どうなんだろうね、ウチもそうだけど、日本の企業の役員のほとんどは下から上がってきた人ばかりだ。そういう人は経営者というよりも番頭なんじゃないだろうか。決まりきった業務を間違いなく執行することはできても、大改革とか新しいビジョンをもって事業を進めることはできないんじゃないのかねえ〜。真の起業家はいないと思うがね」
片岡
「ISO14001が経営の規格ではないとして、環境マネジメントシステムの規格というのは正しいのだろうか?」
佐々木
「マネジメントシステムってなんだっけ?」
片岡
「ええとISO9001にはもちろんでてこないし、ISO14001でも定義はないんだ。
規格を読んでいておかしいなあと思うことがあるけど、ISO14004:1996では『環境マネジメントは、組織の全体的マネジメントシステムの必須部分である』とある。ところが3ページ進むと、『環境マネジメントを持つことの利点』とある。必須部分でありながら持つことの利点とはなんだろう。持たないことがあり得ないなら、持つことの利点があるはずがない。論理が支離滅裂だ」
佐田
「ISO14001の定義では環境マネジメントは『全体的なマネジメントシステムの一部で、環境方針を作成し、実施し、達成し、見直しかつ維持するための、組織の体制、計画活動、責任、慣行、手順、プロセス及び資源を含むもの』となっていますね」
片岡
「環境マネジメントは全体のマネジメントシステムの一部ということは、どの組織のマネジメントシステムであっても環境マネジメントが含まれているということになる」
佐田
「規格が言っているのは、環境マネジメントはISO14001とイコールじゃないというだけかもしれません。言葉足らずなのか、悪く言えばごまかそうとしたのかも知れません。
ISO9001だって、昔から品質保証という概念はありどの会社でもそういう仕組みを作っていたし、発注先に要求していた。しかし企業によって品質保証要求事項がさまざまであったのでその標準化を図ったのがISO9001ということに過ぎません。
環境マネジメントという概念も実務も、どの企業も持っているし実務を行っているに違いありません。ISO14001はそれを体系化、標準化したにすぎないと思いますよ」
片岡
「そうか、もともと公害防止とか省エネなどの環境規制に対応していたはずだよね、そうでないと違法ということになる。ISO14001はそういった活動を体系化したに過ぎないと言われるとそう思える。
しかしそうなると経営の規格などと言うのはますますウソっぽいな」
佐々木
「じゃあISO14001規格がマネジメントシステムの規格でないことは間違いない」
片岡
「ISO14001は『環境マネジメントシステムの規格』と書いてあるのに、マネジメントシステムの規格でないとはどういうことよ?」
佐々木
「名は体を表さない。だってさ、『環境マネジメントシステム規格』と称していても、包括的マネジメントシステムの一部の環境マネジメントシステムに関する要求事項を決めたものであると書いてあることもおかしいじゃないか」
片岡
「ちょっと待ってよ、言っていることが分らない」
佐々木
「私は20年以上、情報システムを担当してきたんだけど、システムというものはサブシステムから成り立つ。サブシステムは大きなシステムの一部ではあるけれど、単なる部分ではなくシステムとしての機能を果たすものだ。パソコンでマザーボードとか電源とかハードディスクやフロッピィドライブなどいくつものコンポーネントというか部品に分けられる。それらはみな機能をもっていて役目を果たす。そうでなければサブシステムじゃない」
片岡
「それで?」
佐々木
「ISO14001では文書とか記録、教育訓練といったインフラ的な項目と、環境側面、目的目標といった環境管理に関する項目があって、どうもその構成が混乱しているように思える」
片岡
「なるほど、佐々木さんのおっしゃることがわかりましたよ。下手な絵だけれど描いてみるとこんなふうになるのかな」
片岡が書いた絵
佐々木
「そうそう、つまりISO14001では環境管理に関するシステムではなく全体的なインフラも含んでいて中途半端なんだなあ」
佐田
「脇から口を挟んで恐縮ですが、その図は実際とちょっと違うように思います。
企業の包括的マネジメントシステムはいくつかのサブシステムになります。しかし環境とか品質あるいは知的財産といったものがサブシステムとは思えません。そういったものが単独で機能するとは考えられません。
企業の包括的マネジメントシステムはこのようなサブシステムに分けられるのではないでしょうか。そしてそれぞれに品質や環境に関することが含まれているように思います。ISO14001規格ではいろいろなサブシステムに含まれている環境要素を集めてきただけでシステムの体を成していないように思います」

佐田は絵を描いた。

佐田が書いた絵

この関係は私がだいぶ前に提起している
ISO規格の2015年改定でも私の考えまで至っていないことも書いた。というよりも、そもそもISO規格の構成がおかしいというか間違っているのだ。いや規格の構成ではなく、マネジメントシステムそのものを理解していないと思われる。
佐々木
「なるほど、ISO14001は、『環境マネジメントシステムの規格』ではないということが理解できたよ。『包括的なマネジメントシステムにおける環境要素の規格』といえば良いのだろうか?」
片岡
「うーん、確かに佐田君の書いたようにISO14001の要素を集めてもマネジメントシステムどころかシステムというにはおこがましいようだ」
佐々木
「一体全体、ISOが経営の規格なんてのは僭称もはなはだしいけれど、ISO14001を環境マネジメントシステム規格と名乗るのもふざけた話じゃないだろうか?」
 僭称とは身分を越えた称号を勝手に名乗ること。
佐田
「ネーミングがかっこいい方が売れると思ったのかもしれませんし、あるいはシステムという語を本来の制度とか体制という意味ではなく、単にいくつかの要素の集合と理解していたのかもしれませんね」
佐々木
「いや、システムとは単に要素の集合じゃなくて、複数の要素が体系的に構成され、相互に影響しながら、全体として一定の機能を果たすハードなりソフトでなければならないが・・」
佐田
「佐々木さん、そう目くじらを立ててもしょうがないでしょう。名前は単なる名前に過ぎません。とりあえずは経営の規格でもないし、経営の指針でもないということは間違いないようです」
片岡
「佐田君、疑問は果てしないのだが・・・
ISO9001を認証した企業の製品は良い製品で、ISO14001を認証した企業の製品は環境に良いと語っている人もいるね」
佐々木
「私もそんなことを書いてある本をいくつも読んだ。ありゃいったんなんだろう」
片岡
「どう考えてもおかしいよね。ISO9001は品質保証の規格だから、品質を保証すると理解したアホがいたのだろうか?」
佐田
「確かに『品質保証』という言葉をみて、一般の方は品質を保証すると理解することはあるでしょうね」
佐々木
「でもさ、本を書くレベルなら、品質保証という言葉くらい分って書けよといいたいね」
片岡
「その程度のことも知らない人が本を書いているということだろう」
佐々木
「しかしISO14001認証した企業の製品は環境に良い、認証していない企業の製品は環境に悪いというのはウソもウソ、詐欺じゃないだろうか」
佐田
「実際にそんなことを書いている本がありましたか?」
佐々木
「これをご覧よ、『ISO14001認証企業の製品は環境への影響小』で、『ISO14001の認証がない企業の製品は環境への影響大』と書いてある」
片岡
「うわー、こりゃひどい。著者はISO規格とか認証ということ以前に、常識ってのがないのだろうか?」
佐田
「これは故意の虚偽の説明なのでしょうかねえ、それとも単純な無知なのでしょうか。へたしたら訴えられるかも。ああ、あまりにもバカバカしいから、こんな間違いを訴えたり批判する人はいないか」
佐々木
「品質保証規格が良い製品を保証するわけではないのに、ISO規格で会社を良くしようという発想はまた飛んでいるように思えるけどさ、良い製品と良い会社は関連があるのだろうか?」
佐田
「良い製品と良い会社の関連は理屈ではつながらないでしょう。また、ISO認証と良い会社というのは1対1ではありません」
佐々木
「1対1でなくても、ISO認証している企業と良い会社は重なるはずだよね?」
佐田
「確かに重なる部分はあるでしょうけど・・・ベン図というのでしたっけ、関係を書けば、こんなふうになるのかなあ〜」

佐田は図を描いてみた。
認証と良い会社の関係図
佐田
「左の図は一般の人が考えている関係ですが、現実は右の図のようになると思います」
佐々木
「佐田君の左の図は納得だが、右の図は納得できないが?」
佐田
「ISO認証するためにはもちろんISO規格を満たしていなければなりません。まあ世の中にはバーチャルなシステムとか審査で手心をお願いしてということも多々あるでしょうけれど、たてまえはそうです。
ですからISO規格適合の集合にISO認証の集合は含まれますが、ISO規格適合と良い会社は関係ありませんから、重なる部分も重ならない部分もあります」
佐々木
「へえ! 良い会社でISO認証していないケースはありそうだけど、ISO規格適合でなくても良い会社ということがあるということかい?」
佐田
「まず佐々木さんも同意されましたことから片付けましょう。ISO認証制度、いやISO規格が作られる前から良い会社というのはありました。というかあったでしょう。それも論理的には証明できませんけど・・
ですからISO認証と良い会社というのは一部が重なるだけで、重ならない部分も大きいでしょう。これは異議ありませんよね?」
片岡
「異議なし」
佐田
「ISO規格を満たしていない企業は悪い企業かと言えば、そうではありません。そもそもISO14001:1996の序文に『環境上の見直し及び監査を行っただけでは、組織のパフォーマンスが法律上及び環境上の要求事項を満たし、かつ将来も満たし続けることを保証するには十分ではないかもしれない。これを効果的なものにするためには、体系化されたマネジメントシステムの中で実施し、かつ全経営活動と統合したものにする必要がある』と自ら守備範囲が限定的であることを認めています。最後の『必要である』という断定は言い過ぎって気がしますけどね、規格制定者は意気高かったのでしょう、アハハハ
例えば選りすぐれた人たちの組織ならシステムがなくても最高のパフォーマンスを出すかもしれず、あるいは期間限定の事業体なら、短期間ですからシステム不要で遵法とパフォーマンス維持が可能かもしれません。
規格作成者たちがシステムがなくてはならないことを証明できなかったと同じく、私もシステムがなくても良いことを証明できそうありませんが、まっ私が正しいでしょう」
佐々木
「佐田君も自信たっぷりだね」
佐田
「数年前に発行された『ビジョナリー・カンパニー』という本をお読みになったことがありますか?」
片岡
「知ってる、知ってる。50年以上続く優れた企業はいかなるものか、その特徴を調べたものだよね。日本の企業ではソニーが取り上げられていたように思う」
佐田
「そう、それです。その本によるとビジョナリー・カンパニーとされた企業は、すべてある意味カルト的な信条があって、それに共感した従業員によって構成されているそうです。まあその他にもいろいろありましたが。ともかく確固たるマネジメントシステムが必要とは書いてありませんでしたね。
ちょっと違いますが、昔、『組織の三菱、人の三井』という言い方がありましたね」
片岡
「その後ろに『結束の住友』と続くんだよ」
佐田
「すみません、そこまでは知りませんでした。ともかく人が優秀なら組織はいらず、人が優秀でなくても組織がしっかりしていれば事は成るということでしょう。ISO規格の中にも品質でも環境でも、文書化の程度は組織の複雑さや構成人員の質によって異なるであろうと書いてありますね」
佐々木
「確かに有資格者だけを集めた組織では教育訓練はいらないだろう。ヘッドハンティングしてきたCEOに教育はありえない」
片岡
「私はね、ドラッカーとか野中郁次郎、ピーター・センゲ、キャプラン、アンゾフ、コトラー、アレン、アンリ・ファヨールなんて必死に読んだものだよ。管理職となればそういう知識が実務に役立つと思ったんだよね。今となると笑っちゃうけど」
佐々木
「いや、直接でなくても、片岡さんの日常の考えや判断において生きているのではないですかね」
片岡
「ともかくそんなものを読んできたから、ISO14001規格をみて『経営の規格』と思わなかったことは確かだ」
佐々木
「ちょっと話は戻るけど、その『ビジョナリー・カンパニー』に載っている企業が今後10年、20年後にどうなっているのか興味があるね。ひょっとして著者が首を吊るような羽目にならなければいいけど」
片岡
「そこまで考えていたら本なんて書かないだろう」
みなさん、『ビジョナリー・カンパニー』に載っていた企業がその後どうなったか、興味があればぜひ調べてみてください。発行されてから2014年までの19年をみると、決して他に比べてパフォーマンスが良かったわけではないようです。結局、ビジネスにおいては勝てば官軍ということが絶対の真理でしょう。もちろんコンプライアンスも大事ですから、勝ち残って悪さしなかった企業が褒められるというだけのことでしょう。

うそ800 本日のお話のトリガ
お酒 先日、N師と飲んだ。まず言われたのが「マネジメントシステム物語とあるのに、認証とか審査のことばかりで、いったいいつになったらマネジメントシステムがでてくるのか」とのお叱り!
そのときひたすら平服して「師匠、もちろん考えております、しばしお待ちを」お許しを願いました。
いや書こうとは思っていたんですよ、忘れていただけです。
書きたいことは多々あるけれど、水泳もしなくちゃならないし、古事記も邪馬台国も勉強しなくちゃならないし、マネジメントシステムについても描かなくちゃならないし・・
あ、なにもしなくていいですか、スミマセン

うそ800 本日の懸念
当初、30回でまとめるというかおしまいにすると決めていましたが、書くうちにどんどんと伸びて、この分では40回どころか・・・



まきぞう様からお便りを頂きました(2014.02.27)
おばQ様
マネジメントシステム物語も楽しみに拝見しています。30話で終わりかな…と思っていたので続いて嬉しく思います。
ただ最近の懸念はISOよりもマスコミとチュウカンの酷さです。日本叩きに熱心なことに対しへどが出そうになります。しかも同じ日本人のくせにチュウカンを擁護するようなマスコミ、電波使う権限与えてはならないと思います。
日本人は先の震災で多くを失いましたが、一人一人が誇り高く、一生懸命生きることの大切さを学んだのではないかと思っています。もちろんあまりに多くを失いましたから、キレイごとを言ってられない人も多いことと感じております。
マスコミのように、批判や自虐的な姿勢でいても、何も得るものはないのではないでしょうか。
一日本人として誇りを忘れずにいるべし、と心がけて生きたいものです。
とりとめもありませんが。
お身体にお気をつけください。

まきぞう様 まいどありがとうございます。
御意にございます。朝日新聞は反日の動きがあると大々的に歓迎の記事を書きますが、日本ががんばったという記事は決して・・
でもそれほど反日新聞が頑張っても民主党が壊滅したということは、日本人はばかじゃないということでしょう。それとも民主党があまりにもバカだったからということもありそうですが・・
私の寿命はあと15年くらいでしょうけど、息子やまきぞう様の時代は、私の時代よりも良くなってほしい、良くしたいと念じて余生を捧げるつもりです。
ISOなどと関わってはいられませんね 


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