*この物語はフィクションです。登場する人物や団体は実在するものと一切関係ありません。但しここで書いていることは、私自身が過去に実際に見聞した現実の出来事を基に書いております。
審査員物語とは
「やあ、三木さん、お久しぶりです」
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「いつもお世話になっております。またご教示をいただきたくお邪魔しました」
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「まあまあ、こちらへ」
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山田は5・6人が入れるくらいの小部屋に案内した。 山田はコーヒーをポットごと頼む。よほどコーヒーが好きらしい。 三木は出張先で買った田舎の饅頭を出す。 | |
「いつもお世話になってばかりで、あまり上品なものではありませんが横山さんに渡していただけませんか」
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「ありがとうございます。私たちは会社で甘いものを食べるのが好きなんですよ。毎日お茶してますよ」
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三木は山田の言葉を聞いて、本当のことだろうか? 単なる儀礼なのか判断がつかなかった。
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「先日はいろいろとためになるお話を聞かせていただきありがとうございます。規格解釈とかシステム構築ということについて教えていただきまして大変ためになりました。ただ現実にそれをどう展開するのかということでは悩んでおりますが」
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「わかります。現実があるべき姿から離れているとき、それを本来の道に戻すのはどうしたらよいかとなると、理屈だけではどうしようもありませんね」
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「今日は山田さんにお聞きしたいのは一つだけです」
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「ひとつだけ?」
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「第三者認証制度の意義ってなんでしょうか?」
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「いやあ、これは真正面からの大きな問いですね」
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「もちろん山田さんは回答をご存じなのでしょう?」
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「その問いに回答というのがあるかどうかわかりません。そしてこういった問題は正解があるわけではなく、かつその答えは流動的でしょう」
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「流動的とは?」
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「答は常に変化するということです。 三木さん、お金って何でしょうか?」 | |
「お金ですか? モノやサービスの交換手段でしょうけど・・・」
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「お金とは何かと考えると、正直言ってなんだか訳が分からなくなってしまいますね。今現在、お金を発行しているのはほとんどが中央銀行ですか。そこが印刷した紙きれを我々は価値があると信じて溜めこんだり、お互いの取引に使ったりしているわけです」
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「なるほど、お札には日本銀行券と印刷してありますね。日本銀行がお金をつくるということは、日本銀行が無から有を生んでいるということになる」
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「まあ完全な無からではないでしょうけど、通貨の額面から紙代と印刷代を除いた金額が通貨発行者の儲けになります。それをシニョリッジといいます」
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「しかし紙に印刷するとお金になるというのも不思議ですね。昔、兌換紙幣と不換紙幣なんて習いました。日本のお金は当然不換紙幣ですから、その価値を裏付けるものはなんでしょうか?」
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「なにもないというのが本当でしょうね」
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「なにもない? では我々はバーチャルなものを価値があると信じているわけですか?」
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「バーチャルかどうかはなんとも言えません。今の世界で日本円はドルと同等かそれ以上信頼性があるでしょう。なぜかといえば日本政府が転覆することもなく、日本が破たんすることもないと信じられているからです。日本経済は破綻するとか、国民一人当たりの借金がーと叫んでいる人も多いですが、現実には日本が大丈夫だと信頼している人のほうが多いので日本円に価値があるわけです」
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「山田さんは第三者認証と対比してお金の話をされていると推察します。先ほどおっしゃった流動的という意味ですが、信頼されれば価値があり信頼されなければ価値がないということですかね?」
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「そうですね。日本円が世界で信用されるということは、この紙切れを持っていけば他の国のお金にも代えてもらえる、あるいは物と交換できると思われているからです。 第三者認証に価値があるのかどうかとなれば、第三者認証したことを社会が評価するかしないかによるということでしょう。ですから第三者認証制度や審査が変わらなくても、世の中の認識や評価が変われば、認証の価値が変わるということです」 | |
「なるほど、おっしゃることはわかります」
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「となると第三者認証制度に意義があるか認証に価値があるかは、単に制度的なこととか審査の実態とは無関係ではないでしょうけどそのつながりは弱いですね」
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「社会的に認知されるかということですね」
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「そうです。具体的に言えば我々もISO14001認証を受けています。だけど当社ではだれも名刺に認証マークを入れてませんし、当社のウェブサイトにも認証しているとは書いてない。ビルに看板も上げないし、社有車にも表示していない。我々はそうする必要がないと考えているからです。いや正確に言えば、我々はそのようなことをしても世の中から評価されないと考えているということです。 もちろんISO認証工場と看板を掲げているところもあり、社有車にISO認証と大書しているところもあり、名刺に王冠マークとか富士山マークを入れている会社は多い」 | |
「というと企業によって認証の価値が異なるということになる。では社会の評価となると・・・そういった認証を受けた企業が認証をいかに評価しているかの総和ということになるのですかね?」
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「どうでしょう。認証の意義というのはそれが利用されるというか、商取引において参考にされるかどうかということでしょう。認証を受けた企業がそれをどう認識しているかということとは、あまり関係ないように思います。広い意味でのお客様がISO認証しているから大丈夫だと考えるか否かということですか」
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「商取引において第三者認証がどのように使われているかというと、公共事業における入札時の加算点とか、一般企業のグリーン調達の要件とかということですか」
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「そうなりますね。みんなが認証という情報を商取引において利用する、つまり認証していない会社より認証している会社から買うという購買活動をするのであれば、認証することに価値があるということになります。そうでなければ価値がないということです」
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「うーん、通貨と第三者認証が似ているのは分りましたが、お金の価値がなくなることはまずありません。今、第三者認証があまり参考にされていないのはお金のように国家の裏付けではなく民間の制度だからでしょうか?」
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「お金に国家の裏付けがあるということは正しくはありません。アメリカドルはアメリカ政府が発行しているわけではないです。あれは民間の銀行が発行しているのです」
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「えぇ!」 | |
「FRBって米国連邦準備制度理事会という立派な名前がついてますが、アメリカ政府とは関係ありません。日本銀行は日本政府の国有で株式の過半数を政府が持っているのに対し、FRBはアメリカ政府とは無関係な民間銀行です。アメリカだけじゃありません。香港ドルもいくつかの一般銀行が発行しています。中国の人民元の発行者は中国政府じゃなくて人民解放軍だったはずです」
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「お金とは国家が発行するものとばかり・・・」
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「国家でなくてもビットコインとか円天とか民間が作った通貨というものは存在します。 お金の始まりはいろいろあるでしょうけど、見方によれば借用証というか預かり証ですよね。私が三木さんにお金を借りて借用証を書いたとしましょう。三木さんが買い物の支払いにお金の代わりにその借用証を渡し相手がそれを引き取れば、その借用証は通貨そのものです。 手形なんてそのまんまですね」 | |
「うーん、ということは?」
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「いやいや、お金の話は単なるたとえ話です。今の話は、三木さんが国家の裏付けがあれば信頼があるのだろうかということでしたので・・・ともかくお金の発行者は国家だけではありません。 まあそれはともかく、通貨は誰が発行しようとそれが信頼されれば価値があり、信頼されなければ価値がないということです。 同様に第三者認証も回りから信頼されれば価値があり信頼されなければ・・・」 | |
「それは我々の日ごろの審査の内容次第ということですね。しっかりした審査をすれば認証の価値が上がるという・・・」
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「そうとばかりは言えないでしょう」
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「そうとばかりは言えないとは?」
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「しっかりした審査をすれば認証の価値が上がるとは言えない。先ほど言いかけましたが、認証の評価は審査の内容とは直接リンクしないと思います」
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「うーん、では認証の価値はどんな変数によって決まるのでしょう?」
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「過去からの歴史を見れば、登録数があるでしょう」
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「登録数とは・・・登録件数が少なければ価値があるということですか?」
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「そうですね、1992年頃ISO9000sの認証が始まった頃はISO認証したと聞くとその会社は立派だと思われたのはまあ納得できますね」
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「すると今の認証件数が多すぎるということですか?」
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「正直言って私も分りません。ただ登録件数が少なすぎると一般社会の認知度が低下しますから・・・」
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「つまりある程度の登録件数がよく、多すぎても少なすぎてもダメということですか?」
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「ある時期においてはそうだったと思います」
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「ある時期においてはとは?」
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「ISO9001の認証が1992年頃始まりました。そのときから1990年後半くらいまでの時期はそういう関係があったと思います。そしてある程度の登録件数になると、その相関は薄れてきたように思います」
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「山田さん、どうも禅問答のようでよく分りません。じゃあ、今現在で考えると、認証の信頼性はどのような関係で決まっていて、それを上げるにはどうすればいいのか教えてくれませんか」
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「まず認証制度が『認証は価値がある』というメッセージを常に社会に発信するということでしょう」
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「はあ? そんなこと当たり前じゃないですか。どの認証機関のウェブサイトでも、認証のパンフレットでも認証の意義とか価値を解説しています」
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「そうですかね? 認証制度のトップであるJABが認証制度は信頼できないといっているじゃないですか。それに従ってかどうか、どの認証機関も虚偽の説明による認証があると言ってます」
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三木は黙って斜め45度を見上げた。そんなことあっただろうか? そうだ、思い出した。もう2・3年くらい前になる。JABがISO認証は信頼されていないと言い出した。(この物語は今2009年である)審査員が審査でよく見ていないといって、節穴審査員という言葉を使ったのを苦々しく思い出した。そして企業が虚偽の説明をしているとも言った。JABの語ったことを言い換えればISO審査は価値がないということだ。それはひどい言いようではないか。まさに三木たちの存在の否定だ。 | |
「思い出しました。節穴審査員なる言葉を使っていましたね。私はメガネもかけていますが節穴にすぎなかったようです」
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「まあJABだって証拠があって言ったわけではないでしょう。不祥事が発覚したので、認証とはこんなものだというよりも、審査でしっかり見なかったのだと言った方が通りが良いと思ったのでしょう」
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「認証とはこんなものだというのもまた驚くべきことですが? それって認証の価値がないという意味ですか?」
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「ISO審査は抜取です。ISO17021に審査では見逃しが発生するとちゃんと書いてあります。ですから認証を受けた企業で不祥事があってもおかしくないのです。それに認証はパフォーマンスに対してではなく、システムに対してですからね。 審査で見逃しがあると言うと反論があるかもしれません。ええと抜取検査では不良が混入することを認めています。それがいやなら全数検査しなければなりません。 もちろん抜取だから不適合を見逃しがあって良いとは言えません。ISO審査の抜取の水準がいかほどで、不適合を見逃す確率がいかほどかということは第三者認証制度が社会に対して表明しなければなりません。商取引において抜取検査をするときAQLを契約で決めるのは当然ですし、それ以下であれば購入者は不良混入を飲むのも当然です。それを超えたら契約違反です」 | |
「ちょっと考えさせてください。 ええと・・・今の山田さんのお話を私なりに解釈すると、第三者認証の水準をちゃんと世の中に示して、その水準を維持していることを世の中に示すことが信頼性を得ることだということになりますか?」 | |
「そうですが、更にふたつ追加しなければなりません。 ひとつは第三者認証の信頼性の水準、抜取検査になぞらえればAQLといってもいいですが、それが世の中で受け入れられるレベルでなければならないということ。あまり不適合を見逃すようでは認証の意味がありません。もし受け入れられなければ水準を上げるために審査工数を増やすとか審査員のレベルアップが必要になります。 ひとつは水準を維持しているということを常に、まあ年1回でも良いでしょうけど、それを公開することが条件です。信用しろというだけでは信用してもらえません。正しい情報提供が必須です」 | |
「ええと、私の最初の質問は第三者認証制度の意義でしたが・・・」
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「同じことでしょう。第三者認証の目的は何かといえば、認証という成果物を活用してほしいということです。認証事業を行い認証件数が増えても、だれも認証したということを評価してくれない、活用してくれないということであれば、認証制度の意義はありません。 商取引において認証の有無が参照されるのであれば、認証制度の意義というか価値があるということです」 | |
「おっしゃることは分りました。とすると、認証の信頼性を上げるには我々制度側が認証には価値があるという情報発信をしなければなりません。そういったことはしているのでしょうか?」
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「それは私のような外部の人間よりも、制度の内側にいる三木さんの方が詳しいでしょうけど・・・認証機関のウェブサイトやパンフレットなどを見る限りですけどね、ほとんどの認証機関は他の認証機関に比べて当社の審査は素晴らしというニュアンスです。第三者認証がどのような価値があるのか、その価値はなにによって測られ、現状はいかほど信頼できるのかという情報発信はありません」
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「うーんそれどころかトップのJABが節穴審査員とか虚偽の説明ということを公式の場で語っているのですから、信頼性向上どころか逆ですね」
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「まさしく信頼性を低下させる情報発信だけしているように見えます。 認証の信頼性を上げようとするなら、論理的に説明すればよいのです。つまり認証の信頼性とはどういう指標で表されるのか、現実の信頼性はどれくらいなのかということを数字で示せばいいのです」 | |
「うーん、どうもそれでは信頼性を上げるとも思えませんね。通貨になぞらえるなら、通貨が暴落するときは買い支えるなど政府が為替介入することで信頼性を確保しようとするでしょう。認証の信頼性をそういった直接的で具体的な行動で支えるということはできないのでしょうか?」
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「だいぶ前、もう10年くらいになりますか、2000年頃、東京都がISO14001認証している企業は入札のときに優遇するなんて言い出したことがあります。その後その話はうやむやになりました。ところが最近は国土交通省がISO9001やISO14001を認証していると入札時に加算点を付けるということをしています。ああいったことは裏で第三者認証を活用してほしいという圧力があったと考えても不思議ではないでしょう」
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「つまりそういうことは為替介入と同じだということですか?」
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「証拠があるわけではないですが、認証を活用すべきという考えからの行動でしょう。認証がすばらしいから活用しようというのではなく」
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「なるほど、ともかくまわりが認証を信頼すれば信頼性が上がるということですか」
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「ああ、誤解させてしまったかもしれません。考えがいろいろあります。それは認証の信頼性の定義次第でしょう。認証件数を分母にして不祥事なり環境事故を分子にしたものを信頼性と呼ぶなら、それは絶対的な指標になるでしょうし、おっと、ここでいう絶対的というのは絶対温度と同じ意味で他に影響されないということです。 あるいは一般市民に『あなたはISO認証を信用しますか』というアンケートをした結果を信頼性というなら、それは相対的信頼性と言えるでしょうし、その信頼性は三木さんのおっしゃる通りでしょう」 | |
「でもさっきからの山田さんの論は信頼性とは周りの人が信頼することでしたよね」
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「アハハハハ、私も初めから確固たる考えで話しているわけじゃありません。最初の頃は、JABを始めとする多くが信頼性とはまわりが信頼していることだという論理で語っているからそれに合わせただけです。信頼性はまわりの人が信頼するかという相対的なものだけでなく、先ほどの絶対的信頼性とでもいうものもあるということでしょう。 通貨の比較も、為替相場によるものと購買力で評価されるものがありますから」 | |
「なるほど、いろいろな考えがあるが、どういう考えを取るかは私が考えなければならないということですね」
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「正直言って三木さんとか私が考えてもどうしようもないこととは思います。認証制度としてどうするのかはっきりさせて、それに向かって最善策をとらないとですね・・・ 信頼性を上げるということも、絶対的な信頼性であれば審査の方法を見直すとか審査員の力量をあげるとかあるでしょうけど、相対的な信頼性なら大キャンペーンを行うとか、少なくてもJABや認証機関が『認証は信頼性がない』なんて語ってはいけないというルールを設けるとかが必要でしょう」 | |
「あっ、すみません、ひとつ大事なことに気がつきました。認証は企業をよくすると言われています。信頼性はその観点からも定義できますね」
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「うーん、認証が企業を良くするのかというのは論理的に考えてどうなんでしょうか? 認証した結果企業が良くなるという理屈が私にはわかりません」 | |
「山田さんは認証は企業を良くしないという見解ですか?」
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「というか論理が逆ですよ。認証することによって企業が良くなるという事例を見たことも聞いたこともありません」
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「いやいや、どの認証機関のウェブサイトでも認証の効果とかその事例をあげていますよ」
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「確かに事例をウェブサイトやパンフレットなどにあげてはいます。でもそれがISO認証の結果であるという因果関係の証明がありません。 ウェブサイトや講演会で聞いた限りですが、認証によって改善された事例はISO規格とも無縁、認証とも無縁だと思います。言い換えるとISOがなくてもできたことばかりです。むしろISO認証するまで改善していなかったということは怠慢そのものです」 | |
「山田さんは認証によって改善されたものを知らないと・・・しかしISO14001では継続的改善を求めていますし・・・」
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「継続的改善を求めてはいるけれど、規格を満たせば継続的改善がなされるとは書いていません。良く規格をお読みになってください。ISO規格というのははっきり言えばいい加減、無責任なのです。あれをせよ、これをせよとshallがたくさんあります。でもそれをすれば良くなるかと言えば、良くなることを保証していません。規格にあるshallで必要十分であるという証明もない。深く考えずに『まあこれくらいはやってほしい』と規格を書いているだけのようにも思えます」
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「うわー、それは手厳しい」
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「手厳しいも何もありませんよ。規格は絶対じゃありません。というか規格を信用しなければならない理由がありません。ISO規格とおりにしたらうまくいくという保証がないのですから信用する義務もない。 私の論を否定するには絶対的信頼性という尺度で証拠を出すべきでしょうね。もっともそれができても状況証拠にすぎませんが」 | |
「状況証拠にすぎないとは」
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「規格要求を実施したら間違いなくこの結果になったという因果関係の証明です。規格を満たした会社はすべてすばらしいとしても、すばらしい会社のみが認証されたということかもしれないのですから 失礼な言い方かもしれませんが、三木さんについて考えてみましょう。三木さんが審査したことによって良くなった会社がありますか?」 | |
「うーん、確かに私が指導して良くなったという経験はありませんね」
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「それはおかしくとも何ともありません。審査はコンサルじゃないからです。 審査を受けた結果、それをフィードバックして会社を良くするかどうかの判断は企業にあります。審査員にはありません。だから審査員が自分の審査の結果良くなったと思うはずがありません」 | |
「なるほど、もし自分が審査した結果、良くなったと認識するようであれば審査ではなくコンサルだということですね」
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「ですから認証が企業を良くするという言い回しは単なる認証ビジネスの宣伝にすぎないでしょう」
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「なるほど、ところでもちろん山田さんも第三者認証制度の信頼性をあげるには賛成ですよね」
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「私の本音を言いますと・・・・第三者認証制度は私にとって大きな比重を占めるものではありません。認証制度が信頼されようとされまいと、なくなろうとどうでもいいのです。 その意味で私にとって相対的信頼性はゼロです。じゃあなぜこの会社が認証しているのかと言えば、まあ渡世の義理でしょうねえ」 | |
山田の意見は私の見解と受け取っていただいて間違いありません。というか私の思いを主張するためにこのウェブサイトを主宰しているわけですからね、 認証の信頼性とは何かというと、私は絶対的信頼性というものと相対的信頼性というものがあると思います。物理的信頼性と心情的信頼性というべきかもしれませんが、まあ二種類あるでしょう。どちらが正しい指標かということはありません。学問的というか技術的に不祥事を減らそうとか事故と認証の関係があるのかといったときは絶対的信頼性でなければ議論ができません。しかし認証している会社が評価されるかどうかは相対的信頼性によるでしょう。 では現時点の認証、私が関わっていたISO9001と14001に限ってですが、信頼性はどうなのかと言えば、私は絶対的信頼性はある、そして相対的信頼性はないと考えています。ただ絶対的信頼性、つまり認証している企業の品質や環境パフォーマンスは認証していない企業に比べて良いと考えてはいますが、それは認証することによってではなく元々が品質が良く環境パフォーマンスが良い会社が認証しているだけだと考えています。なぜなら審査は会社を良くする効果はないと考えているからです。 こういったことを研究した人はいないようです。2年前まではそういうことを調査したいと考えていましたが、今はもうどうでもよい、認証制度が崩壊あるいは消滅してもどうでも良いという考えになりました。つまり私においては相対的信頼性はゼロとなったのです。 私は5年くらい前まではISO規格とは世界の英知が作り上げた価値あるものだという認識でした。でも今はISO規格は、無責任な言いたい放題であって、しかもその結果を保証していないじゃないかと思うようになりました。継続的改善を求めてはいても、規格を満たせば継続的改善がなされることを保証するわけでもありません。そんな規格に価値があるのでしょうか? 正直言って、第三者認証制度そのものが裸の王様だったのだというのが私の見解です。 |