審査員物語48 大震災その1

15.10.01

*この物語はフィクションです。登場する人物や団体は実在するものと一切関係ありません。但しここで書いていることは、私自身が過去に実際に見聞した現実の出来事を基にしております。

審査員物語とは

三木は都内馬喰町で小規模な商社の審査をしていた。一見するとISO認証など必要ない業種業態だと思うが、名目上ではあるがこの会社は建設業でも登録しており、入札の際にISO認証が必要らしい。いや、正確に言えば必要というよりもあったほうが良いということだろう。
一拠点で数十名の小規模な組織なので審査は三木一人で一日だけだ。同僚に気を使わず自分のペースで自分の考えで審査できるのははっきりいって楽だ。人によっては審査員が複数いると責任が分散されるからか楽だという人もいる。しかし三木は規格解釈の異なるメンバーと仕事をするのは他の審査員と解釈を調整したりもめたりしないように気を使うので疲れる。
お昼はそこの管理責任者である業務部長が近くの蕎麦屋に連れて行ってくれた。午後になり営業各部のヒアリングをしていると、突然グラグラとする。
業務部長
「おっ地震ですね。このビルは築浅ですから大丈夫ですよ」

三木も建物が新しそうなのでそう心配せずにいたが、揺れは収まらずだんだん激しくなる。もはや審査どころではない。全員が立ち上がって窓の外を見る。
三木
「うわー、電柱が揺れて電線が物凄い有様ですよ」
業務部長
「アレレ、あの車、電柱にぶつかっている。地震のせいだろうか」

ますます揺れが大きくなる。ロッカーの上に置いてあった小さめの段ボールが滑り落ち、中から出たカタログらしいものが床に広がった。それだけでおさまらず更にドンドンと棚の上から物が落ち始めた。ものが落ちるというよりも流れるという感じだ。
業務部長
「うわー、これはいかん」

業務部長はよろめきながら会議室を出る。審査を受けていた営業部の担当者2名と三木も後に続いた。
会議室を出ると全員がうずくまっている。こういうときは机の下に入るのが基本らしいが、どの机の下にも物が一杯おいてあり机の下に入れそうがない。それで多くの社員は机のそばに這いつくばっているのが精一杯のようだ。
悲鳴が聞こえるので三木が声の方を見ると若い女性が涙を流して叫んでいる。特段怪我をした様子はないが恐怖なのだろう。いや三木もこのまま世界が終わってしまうような気がした。

「煙が上がっているぞ」という声がする。若い社員は恐れ知らずで窓際で外を見ていた。
三木も揺れる中よろよろと窓際に行くとはるか遠くビルの合間から煙が見える。普通の火事の様子ではなく、テレビで観た油田とかオイルタンクの火災のように煙の幅が広く真っ黒な煙があがっている。だいぶ遠い。5キロ以上はあるだろう。窓から見る限り、近隣で火災が起きている様子はない。
三木を見てその若者は「いつもは見えないビルが揺れて見え隠れしているんですよ、すごいですね」と声をかけてきた。
ビルの窓から外を見ているといろいろなことがわかる。まず道路を歩いている者はいない。人も落下物を避けてかビルの中とか、ある程度広い空間で何かにつかまっているか這いつくばっているかしている。揺れが始まってだいぶ経った今では車はすべて止まっている。
三木はさあどうしようかと思ったが、ともかくこの地震が収まらなければ何もできない。

10分もするとだいぶ揺れが収まったように思える。誰かがテレビをつけると周りの人がドット集まってテレビを観る。テレビ局も混乱しているようでアナウンサーが状況を語っているが、内容は本人が体験した範囲だけのようだ。どこで何が起きたのか判然としない。
腕時計を見ると地震が起きてから何十分も経った感じではあるが実際はまだ数分しか経ってないようだ。ひとたび揺れが収まったと思ったらまた大きな揺れが始まった。
業務部長が大声を出し、安全な体制をとれと怒鳴った。
揺れは収まるように見えたり大きくなったりものすごい時間続いた。その間テレビを観たりインターネットあるいは窓の外を見てみながそれぞれのことを語っている。
 電車が停まっている。
 東北では壊滅的だそうだ。
 あの火災は千葉の製油工場らしい

やがて、もう建物が破壊するとかこの世の終わりというほどには思わなくなった。揺れが収まったというよりも、ある程度の揺れには慣れてきたのだろう。
幹部が社員全員を集めて、本日はもう終業するという。そして外部との連絡要員を残して全員業務解除であること、帰宅するなら安全に配慮して退社しても良い、あるいは安全と思われる場所に移動しても良いこと、この建物に残ることは推奨しないということを伝えた。解散したものの、すぐに職場を去るものはなく、三々五々と集まってどうしようかと話をしている。
業務部長が三木に話しかけてきた。
業務部長
「三木審査員さん、申し訳ありませんが、あなたの身の振り方まで対応できません。この地域の避難場所へ移動をされても良いし、あるいは個人の判断で対応するか、お任せします」
三木
「分りました。審査については一時中断としまして、一段落してからその時点で対応を協議したいと思います。私は一旦会社と連絡を取って対応を決めたいと思います。ここまでご対応いただきありがとうございました」

今日は三木は近場ということもあり着替えなどはなく、持ち物は審査資料とノートパソコンだけで荷物が少ない。それになによりも遠隔地でなくて良かった。ここからならなんとか自宅までたどり着けるだろう。
時計を見ると午後4時近くなっていた。訪問先のテレビやインターネットで情報を集めていたが、電車は動いていないようだ。とりあえず会社に連絡を取ろうとしたが携帯は通じず、メールも通じているのかどうか確信は持てない。固定電話も訪問先の状況を見て通じないのは分っていた。自宅にも携帯電話は通じなかったが、メールで無事であること、もしかしたら今日は帰宅できないことを送信した。

表に出ると若干寒いが荷物を左袈裟にかけて歩き出した。道には会社を出て自宅に向かう人が動き出したようで結構にぎわっている。揺れはしているものの三木はすぐには身の危険はないと考えて道を歩く人に混ざって歩きだした。電線が大揺れしているところもあるが断線して路上にたれているところはなさそうだ。ここは馬喰町だから新橋まで4キロくらいだろう。このへんは何度も来ており歩いたことはないが14号線というか中央通りというのか道なりに歩けば迷うことはなくたどり着くだろう。
三木はコンビニを見かけるとすぐに入り、お茶とおにぎりを買おうとした。ペットボトルはまだ棚にあったがおにぎりもサンドウイッチもいや食品の置いてある棚は既に空になっていた。それでも酒の肴になるような乾き物の棚は残っておりそれらをいくつか買った。それから又歩き出す。
別に義理堅く会社に向かうこともないのだろうが、自宅に帰るにしても東京駅か新橋駅経由になるだろうと考えて、とりあえず新橋にある会社方向に進むのが良いように思えた。軍隊用語なら『一般方向南西』とでもいうのだろう。

表はけっこう寒かったが1キロも歩くと体の中から温まってきた。地震の被害は岩手や福島がひどいという放送だった。10日ほど前まで宮城県で審査をしていた三木は、あちらは真冬で外に避難しても寒かろうと同情した。まだこのとき三木は津波の被害を知らなかった。
建物の壁際には剥げ落ちたタイルとかところによっては看板が落ちていたりする。ビルのそばは危ないなと思い、歩道から出て車道のわきを歩く。車は走っていないが車道の真ん中を歩く気にはならなかった。
路上には障害物もあり人通りも多く、スタスタと歩けるわけではない。日本橋まで30分かかった。まわりのビルは特段被害を受けた様子はない。ただ細かく見れば外壁のはがれや看板の落下がある。それから歩道に凸凹ができている。全体的に凸凹になるのではなくあちこち断層のように割れ目が入り割れた部分には数センチの段差ができている。
道路を歩く人がどんどんと増えていく。歩道は危険だと考えてみな車道を歩く。物凄い人の流れで逆方向に進むには道の端を歩くしかないような有様だ。三木も流れに沿って14号線を歩く。

銀座三越あたりにたどり着いた頃には三木は足が痛くなった。まだ3キロも歩いていないが普段歩く習慣がない三木には3キロでも大変だ。歩道の生け垣のそばに座り込んだ。人がぞろぞろと南に歩いて行く。みな、これから10キロや20キロ歩くのだろう。となると真夜中か明け方になる。既にあたりは夕闇となり、少しでも歩いた方がいいのか、それともどこか避難所があればそこで明日の朝まで待った方が良いか三木は迷った。
小浜です
小浜です

どれくらいたっただろうか、三木さんと呼びかけられてハット気が付いた。
同期で審査員になった小浜だった。彼はまだ60になっておらずナガスネで審査員をしている。
小浜審査員
「三木さん、大丈夫ですか?」
三木は立ち上がった。
三木
「足が疲れたほかは大丈夫です。小浜さんはどうしてここに?」
小浜審査員
「私は幸いというべきか錦糸町で審査をしておりまして、審査を中止して今ここまでたどり着いたというわけです」

錦糸町からは馬喰町の倍はあるだろう。三木は小浜が健脚なのに驚いた。
三木
「錦糸町からここまで! そりゃだいぶあったでしょう。
それで小浜さんはどこに行こうとしているのですか?」
小浜審査員
「私は横浜に住んでおりまして、なんとか帰宅しようかと思っておりましたが・・・」
三木
「何か問題でも」
小浜審査員
「実は家内と連絡がついて、横浜も海岸近くは地盤沈下とか液状化とかかなり被害があったようです。幸い私の住んでいるあたりはたいして被害もなく、家内が言うには無理せずに電車が動いてから帰ってきた方が良いというのです」
三木
「えっ、携帯が通じますか?」
小浜審査員
「通じたり通じなかったりです。今はもうダメみたいですね」
三木
「そうか、メールは打っていますが私の場合は家内と連絡がつきません。家内が大丈夫かどうか・・・」
小浜審査員
「三木さんはどちらですか?」
三木
「辻堂です」
小浜審査員
「辻堂なら横浜と同様と思います。海岸でなければ大丈夫と思います。それに不安になってもしょうがありません」
三木
「それもそうですね。ともかく我々が二次災害に合わないようにしなければ」
小浜審査員
「実を言いまして、有楽町に行こうかと思っているのです。ご一緒しませんか?」
三木
「有楽町? なにかあるのですか?」
小浜審査員
「古い付き合いの飲み屋がありまして、無理して帰るならそこで一晩飲もうかと思ったのです」
三木
「えええっ、こんなときに飲むですって!」
小浜審査員
「行ってみなくっちゃわかりませんが、店が開いているなら飲むつもりですよ。別に罰も当たらんでしょう」
小浜は三木の様子を見て
小浜審査員
「三木さんはまだ歩けますか? どちらにしても電車は動いていませんし、だいぶ疲れているように見えます。まあそんなに遠回りになるわけでもありませんよ。少し休んで元気になったほうがよろしいです」

三木もそんなものかなと小浜と一緒に歩き出した。
人の流れから離れて西に10分ほど歩いた。小浜は山手線のガード下に飲み屋が並んでいる中の1軒に入る。1分もしないうちに顔を出して三木を呼んだ。三木もその店に入る。
中には三木のように帰宅しようとしていささか疲れた男たちが数人座って飲んでいる。
マスターというかオヤジが一人相手をしている。
酒 飲み屋のオヤジ 客3 客2 酒の肴 客1
オヤジです
飲み屋のオヤジ
「アルバイト連中にはみな帰れといいましたんで、私ひとりですわ。私は一人暮らしですし逃げるところがありません。まあここは大丈夫のようですから避難所と思ってください」

ビール 三木と小浜は空いているところに座る。
大地震が起きて電車が停まり、ここから遠くないところを何万人という人が歩いて避難しているというのにいささか現実離れしているような気がした。
ともかく二人はまだ頼んでいないのに置かれたジョッキをつかんで「乾杯」と言って飲む。まわりからも「乾杯」と声がかかる。
客1
「私は足がもう痛くて痛くて、自宅まで帰るのは諦めました。明日になれば電車は動くでしょうから、そうなったら帰りますよ」
客2
「私もです。5キロや10キロなら歩こうかとも思いますが、自宅まで20キロ以上ありますから」
三木
「お住まいはどちらですか?」
客2
「浦安です」
小浜審査員
「浦安ですか、途切れ途切れでしかニュースを聞いてませんが、だいぶ液状化現象が起きているらしいですね」
客2
「液状化とは?」
小浜審査員
「地面の水が滲み出して地面がドロ沼のようになってしまうらしいです。埋立地だと起きやすいそうです。今回の地震で傾いた家がだいぶあると報道されていました」
客1
「まあマンションとかショッピングセンターは基礎をしっかりするから大丈夫でしょう」
客2
「うちはマンションですが、大丈夫でしょうか?」
小浜審査員
「マスター、テレビはどうなのよ?」

オヤジがカウンターの下にあるらしいテレビを観ているのを見て小浜が声をかけた。
飲み屋のオヤジ
「力を貸してください。みなさんがテレビを観られるようにしましょう」

小浜が立ち上がりオヤジと二人で小さめの液晶テレビをカウンターに持ち上げた。客全員がテレビを見つめる。ちょうどそのとき津波の映像を映していた。
客3
「うあー、ひどい」
三木
「こんなのを見ると我々は幸運だとしか言いようがないですな」
飲み屋のオヤジ
「まったく大地震が起きて津波に襲われる映像を飲みながら見ているのですからね」
小浜審査員
「そうはいっても自分を責めたり卑下したりすることもないでしょう。とりあえずは電車が動くのを待つというか祈るというか」
客2
「浦安まで歩けないことはないですね」
客1
「浦安まで20キロですか。普段運動していないときついですよ。私は丸の内で働いていまして、丸の内では毎年帰宅困難者訓練というのをしております。私も二三度参加したことがありますが、20キロ歩くのはきついですよ。
それとたどり着いた先でゆっくり横になれるならよろしいですが、万が一ご自宅が避難地区になっていたらそうもいきません。ご家族が避難所に行っているとなると探すのも大変です。とりあえず明日まで様子を見た方がよろしいですよ」
三木
「避難困難者訓練というのを聞いたことがありますが、訓練で普通の道路を歩くのと落下物や凸凹になった路面を歩くのは違うでしょうね」
小浜審査員
「路上には乗り捨てられた車もあるでしょうし・・電柱が倒れているかもしれません」
客1
「そうでしょうね。訓練では途中途中で食料や水がいただけますし、それに日中ですから」
客2
「わかりました。私も暗い夜道を20キロも歩く自信がありません」

オヤジが一人外に出ていった。
中のメンバーは変な雰囲気ながら酒を飲み続ける。
10分ほどしてオヤジが入ってきた。
飲み屋のオヤジ
「大通りまで行ってきましたが、いやあ、ものすごい人の波が南へ南へと流れていますね」
三木
「みんなは夜中も歩くのでしょうか?」
飲み屋のオヤジ
「止まる場所も休む場所もないでしょうね。横浜まで何キロですかね?」
小浜審査員
「30キロ、いや35キロはあるかな?」
飲み屋のオヤジ
「そいじゃ夜明けまで10時間歩いても着かないんじゃないかな。普通1時間4キロと言われますけど、そのペースで10時間は歩けませんからね」
小浜審査員
「私は横浜ですが、明日電車が動いてから帰りますよ」
客1
「明日になれば電車は動きますかね?」
小浜審査員
「どうでしょう? 正直言ってわかりません」
客3
「昔、東京大空襲なんてありましたけど、あれだけ爆撃を受けた翌朝に始発電車が定刻で走ったと聞いたことがあります。JR、当時は国鉄ですが彼らは職業意識の塊で、ただもんじゃないですよ」
客1
「そうか、日本はまだ捨てたもんじゃない」
客2
「日本沈没したわけじゃありませんからね」
飲み屋のオヤジ
「テレビが言ってましたけど、関西じゃ地震を感じなかったし、もちろん何の被害もなく生活も活動もいつも通りだそうですよ」
客2
「日本は広いんですねえ〜」
三木
「マスター申し訳ないが今晩はここにお世話になりたいですが」
飲み屋のオヤジ
「どうぞどうぞ、別に今日は営業しても誰も目を付けたりせんでしょう。さっき看板はしまってきましたから。フトンはありませんが、横になりたかったらそのへんに寝てください」

三木は覚悟を決めて飲むことにした。小浜もよくこんなところを知っていたものだと感謝した。
いつのまにか避難者一同仲良くなっていつか落ち着いたらまた会って飲もうなどと名刺交換もした。


三木は少し眠った。翌朝目が覚めると他のメンバーはガン首揃えてテレビを観ている。三木も後ろからのぞいていると、地下鉄は一部を除き8時過ぎには動くらしい。山手線はそれよりも少し遅く、総武線や東海道線もなんとか午前中には全線動くような話だ。やがてひとりふたりとオヤジに挨拶して店を出ていく。
三木が小浜の考えを聞くと、動きだし始めはすごい混雑だろう、それでお昼頃に乗るつもりだという。なるほどと三木も思う。それじゃ三木もそうしよう。
小浜と三木も9時過ぎには店を出た。小浜は乗れる交通機関をいろいろ探してみると言って三木と別れた。
電池が大丈夫かなと携帯を取り出すと着信がある。見ると妻の陽子からだ。
我が家の被害は食器棚の中身が落ちたほか特段なし。
子供たち二人も安全です。
あなたからのメールは確認しました。
帰宅を急ぐ必要なし。ご自身の安全を計ってください

三木は妻からのメールを見て安心した。
三木が自宅に着いたのはその日の夕方であった。東海道線に乗ったのは午後早い時間だったが、いつも辻堂駅から乗るバスは動いておらず、7キロくらい歩いた。
ともかく無事に我が家に帰ると、ホッとしたのだった。


地震は金曜日に起きて、帰宅したのは土曜日の夕刻である。
日曜日に三木は自宅を点検した。食器棚から落ちたものは妻の陽子が片付け済であったが、本棚や下駄箱や納戸などは危険でないためにそのままになっていた。三木は妻と一緒に片付け、その後、内装、外装、塀などのチェックである。壁がねじれたためか壁紙が下地に沿って裂けていたが、大きな被害はなさそうだ。いずれ大工に診てもらわないとならないだろうが、建て直しということはないだろう。作り付けの戸棚のドアは隙間が上下均一でなくなっていたが、スライド蝶番なのでドライバで簡単に調整がきいた。
食器棚の中身はかなり破損したが、これくらいなら被害が小さいと思うしかないだろう。
三木の家はタンスはひとつふたつしかなく、ほとんどウオークインクロゼットなので倒れた時の危険はない。陽子が無事で会って良かったと思う。

路線バス 駅までのバスは当面運休つまり走らないとバス会社の広報があった。バスのコースの途中の道にひび割れが起きたことや道路沿いのブロック塀の倒壊があり、その対応と安全確認に数日かかるという。
月曜日から三木は岩手県の工場の審査の予定だったが、これは先方がどうなのか見当もつかない。
会社に電話したが誰も出ない。しょうがない、三木は直接電話をする。だいぶ呼び出し音がした後に受話器がとられた。
?
「ハイ、○○工業です」
電話
三木
「ナガスネ認証の三木と申します。ISO認証されている企業様に大震災の状況をお聞きしております。まずはこのたびの大震災のお見舞いを申し上げます」
?
「これはこれは、わざわざすみませんねえ〜、私は工場長の八島です。幸い建屋はなんとかもったのですが、中はもうぐちゃぐちゃです。生産できるようになるには半月以上はかかると思います。もちろんそれはウチの中ことで、流通の問題、客先や納入元の調査をしなければ事業継続も判然としません」
三木
「怪我人などはいらっしゃらなかったのでしょうか?」
?
「幸い社内でけが人は出ておりません。ただ従業員のご家族には亡くなった方もいらっしゃいますし、ご自宅が損壊した方も多く、かなりの方が避難所生活をしています。
実のところまだよく把握しておらず現在調査中でして、それがはっきりするには数日いやもっとかかるでしょう」
三木
「わかりました。それでは審査につきましては御社が一段落した時点でご連絡いただけますでしょうか。明日から御社のISO審査の予定でしたが、一旦それはないということを確認しておきます。今後のことですが、御社の状況によってはISO認証のそのものもご検討されるでしょうし」
?
「そうですねえ〜、ともかく状況を良く調べて今後の事業の方向を決めました後に、三木さんにご相談いたしたいと思います」

三木はお礼を言って電話を切った。とりあえず明日からの出張はない。もちろん今日の夕方に岩手まで新幹線が走っているわけでもない。そもそも実行不可能だ。
三木は審査スケジュ−ルを立てている会社の事務方の携帯に電話したが通じない。それで今のやり取りをメールしておいた。

うそ800 本日の言い訳
大地震の日に夜通し酒を飲んでいたなんてアリエナイとか、不謹慎なんておっしゃってはいけません。この審査員物語は常に事実を基にしております。どこのなんという店かというのは秘密でございますが。


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