審査員物語61 山田を訪ねる

15.12.21

*この物語はフィクションです。登場する人物や団体は実在するものと一切関係ありません。但しここで書いていることは、私自身が過去に実際に見聞した現実の出来事を基にしております。

審査員物語とは

妻の陽子に退職前にお世話になった人たちに挨拶した方が良いと言われて、三木は今までお世話になった人と思い浮かべる。お世話になったと言ってもいろいろだ。就職してからの先輩や上司、仕事を教えていただいた取引先の方、ISO審査員になってからお世話になった方。
ISOについては鷽八百機械の山田課長が真っ先に頭に浮かんだ。山田はISO規格解釈とか認証の意味とか、三木が分からないとか迷った時にいろいろと相談というか問い合わせをしたものだ。山田は三木が知りたいことをズバリと答えてくれた。わかりませんとか、あいまいにはぐらかすことは一度もなかった。それは山田が誠実であるとともに、とんでもなく知識があり、そしてあまたのISO審査とそのトラブルを処理してきたという経験のたまものだろう。
三木はまっさきに山田に会おうと思いたった。彼には最後に会ってからもう2年経つ。今もあの職場にいるのかと少し心配だったがとりあえず以前のメールアドレスにメールした。すると翌日の朝には山田の都合の良い日時の回答があった。
ということで三木は鷽八百社を訪ねた。

三木が環境管理部の山田課長にアポイントがあるというと小さな会議室に案内されて、数分もしないうちに山田が現れた。
三木は立ち上がり挨拶する。
三木
「ご無沙汰しております。お忙しいのにお会い頂きありがとうございます」
山田
「いえいえ、こちらこそお世話になっております」
三木
「大震災では大変だったでしょうね。御社の岩手工場に被害があったと聞いております。環境部門でも、省エネその他、いろいろお仕事があったと思います」
山田
「まあ大変と言えば大変でしたが、被災地の方々を思えば大変だなんて言えません。
メールでは三木さんも引退するとか?」
三木
「そうなんですよ。もう63歳、あと半年足らずで64ですからもう十分働いたでしょう」
山田
「ハッピーリタイアメントですか、いいですねえ。私も定年になったらしたいことがたくさんあります。残念ながら、今はPCBの処理とか欧州の化学物質規制対応とか仕事に追われております」
三木
「今まで山田さんにはいくたびもご教示いただきまして本当に感謝しております。引退しますともうお会いすることもできないと思いまして、本日は最後の挨拶と、一つだけ教えていただこうと思って参りました」
山田
「なにをおっしゃいますか、いろいろな情報やお考えをお聞きして勉強になったのはこちらの方ですよ。それに三木さんが分からないことがあるのですか?」
三木
「ずーっと前のことですが、山田さんはISO認証をお金になぞらえてお話されたことがありましたね」
山田
「そんなことありましたっけ?」
三木
「ええと、あのとき山田さんは、お金というものは信頼されるから価値がある。第三社認証も信頼されるから価値がある。信頼されなければ存在意義を失うというようなことをおっしゃったと思います」
山田
「そうでしたか・・・それで今日はその続きということになるのですか?」
三木
「認証とは何かをもっと教えてほしいと思いまして、
ええとあれからお金とは何かといろいろと本を読みました。まずお金には働きから見るとみっつの機能がある。ええと流通手段、価値尺度、そして価値の保存でしたね」
山田
「三木さん、アナロジーというものは限界があります。そのときお金を例にあげたかもしれませんが、お金と認証をすべての面で比較できるわけではありません」
三木
「はい、もちろん存じております。ただそういう風に考えるとなかなか面白いというか意味深長だと気が付いたのです。
まず流通手段とは物やサービスを売買する手段ということになりますが、認証という制度では何が当たるかと考えますと、貨幣ではその目的のために均一性というものが要求されます。となると認証を受けている会社は認証されている面では同等というか互換というかそういう見方ができることになるのかなと思いました」
山田
「そういうものですか・・・・どうぞ進めてください」
三木
「互換というのは今認証を受けているA社から調達しているものを、認証を受けている会社なら転注できるのかということになりますか、まあ仮にそうしましょう。
これは考えるまでもなく認証しているというだけで転注できるはずがありません。なんとなれば認証の対象はマネジメントシステムであって、技術レベルとか品質レベルではありません」
山田
「なるほど、そういう風に考えると面白いですね」
三木
「となりますと、認証という通貨は流通手段にはなりえないということです」
山田
「なるほど、なるほど、」
三木
「いや考えるまでもなくISO9001とは元々が品質保証における要求事項を共通化しようというのが狙いだったわけですから、品質管理とか品質改善などを考えていたわけじゃありませんよね」
山田
「しかし2000年改定からISO9001とは品質保証に限定されず、品質マネジメント全体であると言い出したわけでしょう」
三木
「そりゃ口ではなんとでも言えますがね、2000年と2008年に改定がありましたが、規格要求の中身は品質保証に限定されていると思いますよ」
山田
「まあ現実はそうでしょうね」
三木
「そして価値の尺度です。適合とは規格要求を満たすことですが、満たした会社は同じレベルであることを意味しません。ISO9001では序文で『画一化を意図しない』とあり、ISO14001ではより具体的に『環境パフォーマンスが異なっていても規格要求事項に適合する』と明記しています」

今回のお話は2012年現在なのでISO9001:2008とISO14001:2004を基に話をしている。

山田
「なるほど、ISO認証とは規格要求レベル以上であることは保証しますが、現実にはどの程度なのかはわかりませんものね、おっとその範囲も規格要求についてだけですが」
三木
「例えば文書化についても組織の規模や活動、プロセスの複雑さや要員のレベルによって異なるとあります。だから元々が一面的・形式的なんですよ。
貨幣の価値尺度とはそんなものではなく、ある程度絶対的であり定量的ですよね。100万円のダイヤは50万のダイヤの倍の価値がある、現金20万より30万の方が使いでがあるわけですが、ISO認証している二つの会社があったとして、二社が同じ程度であるかどうかわからないのです。
つまり価値尺度としても使えないということです」
山田
「まあ最低限以上であるということはわかりますよね」
三木
「最低限が低すぎるんですよ。審査している私が言うのですから間違いありません。現行の審査基準ならまっとうな企業ならどこも審査にパスするはずですよ。実際に審査で不適合になっているのは説明が不十分とか手際が悪いだけで、最終的にダメというのを私は知りません。書面を見繕い文章の言い回しを直せばみな認証を得ています。認証機関もそれでOKして気にしません。根本的問題があるなんて思っていないからです。過去に認証取り消しを受けたのは、あとで重大な不適合が見つかったからではなく、不祥事や事故を起こしたから屁理屈を付けて登録証を巻き上げているだけです。
世間でISO認証が難しいというのは規格の意味を理解していないからにすぎません。いや企業が理解していないだけでなく審査員も理解していないこともありますね。だから現在ISO認証準備とは、企業の仕組みを見直すということでなく、いかに審査で対応するかということに力点がある」
山田
「まあ、確かに」
三木
「最後の価値保存ですが・・」
山田
「ええ、価値保存まであるのですか?」
三木
「だってお金になぞらえられるなら同様の性質は持っているはずでしょう」
山田
「そうだとして、規格要求事項が変わらない限り仕組みが備える機能は変わらないはずですよね」
三木
「うーん、山田さんのお考えと私が考えたのが方向違いなのかどうか定かではないのですが・・・いずれにしてもアナロジーにすぎないわけですが・・・とはいえ考えたのですよ。
マネジメントシステムに求められるものは、そのとき組織を取り巻く環境などの外部要因と、設備、技術、力量などの内部要因によって決まります。あるべき姿は環境の変化によって必然的に変わらざるを得ない。
山田さんがおっしゃる件については、要求事項を満たす方法は複数あります。状況によって選択が異なると思います。
ある時期に最適であることが時とともに最適でなくなり、常に最適に維持するために絶えざる努力がいる。つまり価値保存以前に、認証を受けたシステムは耐久性を持たず、時間とともに崩壊する」
山田
「確かにお金は耐久性を要求される。しかしお金そのものは何も仕事をするわけじゃありません。マネジメントシステムは仕事をする仕組みですから比喩として用いるのはそもそも不適だったのかもしれませんよ」
三木
「まあ細かいところは多々議論がありますが、私の疑問は今までの話を踏まえてのことなのです」
山田
「へえ、もっと続くんですか?」
三木
「遠い昔、取引は物々交換でした。しかしお互いに持っている二つのものがお互いにほしいというのはめったにあるわけじゃない。だからほしいものに交換する前に一旦別のものに交換することが必要になった。それはいつでもだれとでも交換できるものが望ましい。なによりも自分の大事な財産を一時的にも交換するのですから、客観的に価値のあるものではなければならない。ですから当初通貨として、塩や家畜、穀物など価値ある商品そのものが使われた。それを商品貨幣というそうです。
しかしその商品を持ち歩いたりあるいは自分が保有するだけでも大変な仕事となってしまう。そのためその後、商品貨幣そのものはそれなりの人が保管管理し、その預かり証あるいは引換券が使われるようになり、それが代表貨幣と呼ばれるようになったそうです。代表とはrepresentativeつまり管理責任者の原語である代表あるいは代理ですね」

商品貨幣(実物貨幣)
Commodity money
代表貨幣
Representative money
名目貨幣(法定貨幣)
Fiat money
お塩牛 兌換紙幣 1ドル札
商品貨幣とはそれ自体に価値があり、交換手段としても使われた。塩、家畜、宝石、穀物などが使われた。
パチンコの景品もこの一例といえる。
代表貨幣とは価値のあるものと交換できることの証書であり、兌換紙幣、預かり証、借用証、支払いを約束した手形などがある。
昔の兌換紙幣には「この券と引き換えに銀貨を渡す」と書いてありました。
名目貨幣とは政府などが貨幣とすると宣言することで価値があるとみなされたもの。
現行の貨幣のほとんどは名目貨幣である。

注1:
日本語で代表貨幣の原語は英語でRepresentative moneyである。あの管理責任者の原語Representativeである。
そもそもrepresentativeとはなにものかを代理するとか代表するという意味で、ここでは金や銀にいつでも交換できる紙幣や借用証を「金銀の代わりの通貨」と呼んだのである。同様に選挙で選ばれた人とか会社の代表者を示すのに使われる。
そういう本来の語義から言って、管理責任者を課長や係長が勤めて良いのかなんては論外である。当然ながら社長がrepresentativeを務めるのは最善である。
もっとも2015年ではrepresentativeがなくなってしまったようだ。
注2:
「代表貨幣は名目貨幣と同じものである」という経済学の入門書もあるが、これは明白に異なる。今現在、オーセンティックな兌換券がないからそういう言い方をしたのかもしれない。しかし債権や約束手形なんては一種の代表貨幣であり、それらは誰が見ても名目貨幣ではない。

山田
「なるほど・・」
三木
「しかし預かり証の元となる金や銀その他が実際はそれほど存在しない。もっとも希少性であるから故に貨幣たるわけですが・・・ともかく産業が発達して取引が増加しても金は増えません。でもそれでは経済活動が回らない。だから現在は国家やその他信頼される機関が発行する法定貨幣(名目貨幣)となったとききます」
山田
「そうしますと私が以前ISO認証に例えたのは今三木さんがおっしゃった名目貨幣においてのお話になるのですね。私は不勉強でそういった過去の通貨については知りませんでした」
三木
「いやいや、そこなんですがね、山田さんは名目貨幣についてのアナロジーをお話しされたのかもしれませんが、私はISO認証そのものがこの貨幣の変遷そのものじゃないかって気がしたということなんです」
山田
「なんか形而上のお話のようですね」

注:形而上とは形のないもの、五感では認識できないものなどの意味があるが、俗にはどうでもいいこと、屁理屈をこねることを言う。

三木
「まあ、老人のたわごとを聞いてください。
そもそも1987年にISO9001が現れたとき、規格は二者間の品質保証に使われる意図だったわけです。実際そのように規格の序文に書いてありました。それは貨幣になぞらえれば商品貨幣と全く同じですよね。例えば塩が通貨として使われたとき、塩を通貨と認めてもらえなくても塩は商品としての価値があることに変わりありません。まあ、だからこそ商品貨幣というわけですが。
始めのISO9001が商品貨幣と同じであったとは、実際に客観的な効果があったということですね」
山田
「なるほど、だんだんと三木さんの考えていることが分かってきたように思います。」
三木
「でしょう?
始めのうちシステム認証は、商品通貨と同じく実際に効果があるであった。しかしいつしか認証していると品質がいいと思われるようになりお神輿に担がれるようになった。するともうそれは代表貨幣になります」
山田
「つまり認証は素晴らしいものですよ、それを裏書きするものとして登録証がありますよというわけですね。
しかし待ってください、登録証を持って行っても何にも交換してもらえません」
三木
「その通り。ISO認証は品質の良い企業が受けられるということを信じ込んだ人は、ISO認証しようとか、あるいは認証している企業と取引しようという発想になる。しかしそれは単なる思い込み、バーチャルです。
それはもはや認証の本来の意味は忘れられ、登録証が通貨のごとき価値を持つと・・・もうそれは代表貨幣ではなく名目貨幣ですね」
山田
「なるほど、そして我々は名目貨幣となってしまった認証の意義を考えていたということですか・・」
三木
「おっしゃる通り、名目貨幣に価値があるかどうかは貨幣を見てもわかりません。発行者の権威というか裏付けに意味があるかどうかです」
山田
「だけど本来なら貨幣そのものに価値がなければ意味がない」
三木
「そうなんですよ。山田さんが通貨になぞらえたお話をされてからずっと考えていました。
問題は認証の価値というものを考えるとき、商品貨幣としての認証か、代表貨幣としての認証か、名目貨幣としての認証かを考えなければならないということです」
山田
「いや待ってくださいよ。現時点で名目貨幣となってしまった認証とは何なのかということではないでしょうか」
三木
「なるほど、そのほうがより適切ですね
今、ISO認証の価値が下がっていると語っている人がいますね、JABなんてもそういっています。しかし彼らは認証をどういうものと認識してそう言っているのかということが問題です。まず商品貨幣としての認証はもはや存在していないでしょう」

山田は首をひねってしばし考える。
山田
「まずひとつずつ確認していきたいのですが、三木さんがおっしゃる商品貨幣としての認証はもはや存在していないということは、認証に実用的価値がないということですね」
三木
「そのとおり」
山田
「でも本当に実用的価値がないかどうかはわかりませんね。と言いますのは、二者間取引のためではなく、組織をよくするためという言い方が最近は大手を振って歩いていますからね」
三木
「いえいえ、その論理は通用しません。そう言い逃れは日本では通用するかもしれませんが、IAF/ISO共同コミュニケでは『定められた認証範囲について、認証を受けた品質マネジメントシステムがある組織は、顧客要求事項及び適用される法令・規制要求事項を満たした製品を一貫して提供し、更に、顧客満足の向上を目指す。』と述べています。この日付は2009年ですが今でももちろん最新版です。
決して組織の向上を図るとは言っていません」
山田
「参りました。おっしゃる通りですね。いやちょっと待てよ、現行のというか2000年版以降の規格では、今更二者間取引用とは言えませんね」
三木
「なるほど、となると二者間取引用でないにもかかわらず『組織の顧客の視点からISO 9001 への認定された認証に対して期待される成果』(同コミュニケのタイトル)がそもそもおかしいことになる」
山田
「確かに矛盾ですね
でもちょっと待ってください、審査登録証には『この組織が規格に適合していることを確認した』とは記述していましたよね」
三木
「規格に適合していることがいかなる効果があるのかは記述されていません。だからこそISO認証は代表貨幣ではないのです・・代表貨幣であるなら発行者が何かに交換してくれなければなりません。つまり兌換紙幣を銀行に持っていけば金塊に交換してくれるとか同等のこと、例えば不祥事が起きたなら、ええと認証機関なんなりが後始末なり賠償なりをするということが必要になる」
山田
「それは審査契約に明記されていますよ。一切の責任を負わないと・・・
それどころか認証を受けた企業が不祥事を起こすと認証機関からお叱りを受けるという理不尽なことをされます」
三木
「つまり契約書に代表貨幣ではないと明記されているわけですね」
山田
「ともかく今までのお話で認証は単なる名目貨幣であるということがはっきりとわかりました。とうことで名目貨幣とは信用されたときだけ価値があるということであり、誰かが王様は裸だと言った瞬間に・・」

三木はポケットから財布を取り出し中から紙幣を一枚抜き出した。
三木
「これは1ドル札でして、ここに書いてある文章をお読みください」
山田は三木から1ドル札を受け取ってしげしげとながめる。
1ドル札
何ドル札でもよろしいですが、もし米ドル札をお持ちならご確認ください。ちっちゃな字ですがちゃんと書いてあります。
山田
「ええと『This note is legal tender for all debts, public and private』と書いてあります。私のつたない英語では『これはすべての公的あるいは私的な負債につかえる通貨である』というところですかね」
三木
「アハハハハ、私も英語不如意ですがそんなところでしょう。しかしアメリカはすごいね、お札一つとってもちゃんとこれはなにものかということを説明している。それに対して日本のお札にはそういったことが何一つ明記されていない。実を言って千円札をしげしげとみたのですが、千円ということと日本銀行券としか書いてない。日本の紙幣は何となく紙幣であって、何となく使っていて、なんだかわからないけど信用できそうなという感じですか」
山田
「それと同じく、ISOもなんだかわからないけど信用できそうなという感じですか」
三木
「いえいえ、ISOはなんだかわからないから信用できないんじゃないですか」
山田
「なにか価値あるものと交換してくれるという裏書きがない名目貨幣であれば、『このものを信ぜよ、信じて使え』という表明がなければ信用できないということですね」
三木
「その表明はこの1ドル札のように本体に書いてあっても、あるいは発行者、発行機関が宣言しても良いでしょう。今の日本のお札にはそんな宣言もありません。しかし日本政府は過去70年、破たんせずに継続してきた。だから実績として信頼されている。
ところがISO認証はそうじゃない。審査登録証に『認証とは何ぞや』ということも書いてないし、認証の歴史も短ければ、その短い歴史の間に不信をいだかせるようなことが起きたし、なによりも元締めがISO認証は信頼できないと宣言しているわけですから、信頼されるわけがありません。
どこの政府だって我国の通貨は信用できませんなんていいませんよ。ISO認定機関が認証が信頼できないなんて語るのはいったいどういう考えなのでしょうか?」
山田
「いやおっしゃるとおりですね。自らが運営している認証制度を自ら信頼できないと発言するのは理解できませんね」
三木
「まあ・・・認証制度の責任逃れかもしれません。自分たちが信用できると言えば責任を負わざるを得ない。責任を負いたくなければ自分たちは信頼できるものでないと言わざるを得ない」
山田
「それは偉大なる矛盾ですね。それじゃ誰からも信用されるわけがない。
しかし認証というビジネスはなんらかの裏書きをすることであり、裏書きとはすなわち他者の責任を負うということではないのでしょうか」
三木
「確かに他者の裏書きをするビジネスというのはいろいろありますね。公証人、信用保証協会、土地建物取引業保証協会なんて」
山田
「契約書の保証人だって同じですよね。いずれにしても一旦事が起きたとき責任を負わなければ信用されない」
三木
「つまり認証は裏書きじゃないということですね」
山田
「そうでしょうね。でもそれでは認証ビジネスとはいったいなんでしょうか?」
三木
「つまりそんな単純なこともわからずというか無視して、第三社認証というスキームを作ったのが間違いという事でしょうか?」
山田
「それならば、いったいどうしてこんな鬼子というか蜃気楼みたいなものがはびこったのか、それが疑問ですね」
三木
「それこそ私が知りたかったことです」
山田
「最初は品質保証要求事項を共通化、標準化しようという発想があった。それを実現というと大げさだけど具体化した。それはいい。
それがリオ会議あたりから持続可能性という蜃気楼を追い求めて、結果として具体的要求がない形式的なマネジメントシステムというものに結実した、このあたりからおかしくなったのでしょうね。
それとは別にEU統合という変革の中でISO9001がそもそも法規制ではなかったものが、一種のデジュリスタンダードと思われる混乱もあり、結局、誤解と混乱の中でおかしくなった。ともかくどんなしろものでも20年くらいは人々の関心を集めてビジネスを維持できたが、今やもうほころびがどうしようもなくなったということかもしれませんね」
三木
「私の会社員人生の最後の10年の仕事は無価値で私は世に貢献しなかったということですか?」
山田
「そんなことないでしょう。三木さんが10年間仕事ができたと思えばいいじゃないですか。それに三木さんが誰かに石を投げられる心配もないでしょうし」

三木は驚いて山田を見つめた。山田はドライで迷うということがないようだ。

うそ800 本日のネタばらし
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