審査員物語 番外編45 肥田物語(その3)

16.11.10

*この物語はフィクションです。登場する人物や団体は実在するものと一切関係ありません。但しここで書いていることは、私自身が過去に実際に見聞した現実の出来事を基にしております。また引用文献や書籍名はすべて実在のものです。

審査員物語とは

肥田がナガスネ出向の内示を受けてから10日ほど経つ。肥田は毎日、本田の講義を聞いている。具体的内容は認証制度とはどんなものかから始まり、認証ビジネスの置かれた状況、当社とナガスネの関わり、出向者の状況など、本田もISO素人の肥田に基本から現状の問題まで分かりやすく説いてくれる。ありがたい。しかし本田の話を聞けば聞くほど、ISO認証というものには裏もあるし、しがらみも問題も多々あるものだ。
そして毎日、朝から本田に教えてもらったことを反芻し、自分は何をすべきか、どうしたら良くなるかと考えている。どうせ出向が知れ渡った今、肥田のところに決裁伺いに来る部員はいない。重大な事項は後任者と相談するだろうし、そうでない事項は課長がハンコを押しているだろう。会議には自分でなく担当の課長に出るように言っている。要するに肥田はすることがないから今後の勉強をする暇があるのだ。

いろいろ話を聞くと
ISO認証制度というのは
実に奇々怪々だな

肥田部長
肥田だってバカじゃない。俺だってドクターだ、ナガスネに行ったなら問題すべてを解決してやるぞと思う。
とはいえ本田から話を聞くほど不明なことが増え、疑問がわいてくる。そしてまた本田の語ることが本当なのか、別の情報源からも話を聞きたい。肥田はネットでISOに関わる講習会・講演会を探して二つほど聞きに行った。正規な資格をとれるものでないので当日でも参加させてもらえた。
しかし聴講した講習会ではいずれもISO認証の効用は大であり、登録件数はどんどんと増えていて、未来は明るいと語る。
肥田は休憩時に講師に認証件数の推移とか将来性について質問すると、どちらの講師も認証ビジネスについて見解を持っておらず、認証件数がここ数年減少していることを知らない人さえいた。肥田はそれ以上突っ込まなかったが、登録件数の推移を知らずしてISO認証制度の未来は明るいと語る人の話を信用する気にはなれない。
その講師のプロフィルをみると認証機関の幹部で主任審査員をしているとある。それでいて認証というものをビジネスとして考えていないのか? あるいはビジネスの現実を知らないのか? 肥田はその講師とその認証機関に不信感を抱いた。単なる審査員でないのだから、認証機関という事業の将来を、もっと主体的に考えて行動しなければならないのではないか?

ISO認証制度について参考になる本がないだろうか? 環境管理部に戻ってきて書架をながめた。時は既に2009年、ISO14001の初歩的な本を必要とするような人は環境管理部にはおらず、本棚でISOがタイトルに付く書籍は規格の対訳本くらいしか見当たらない。ISO月刊誌が並んでいるのに気が付いた。

どうでも良いことであるが: アイソムズ誌は2006年に終刊しているから、2009年時点ではアイソス誌とISOマネジメント誌(2013年終刊)の二誌しかない。

肥田は書架から何冊か取ってパラパラと眺める。ISOマネジメント誌は担当者レベルを対象としていて、アイソス誌は業界関係者と企業の専門家レベルを対象としているようだ。だがどちらも毎月、同じような顔ぶれが同じようなテーマについて同じようなことを語っている。肥田も今までいろいろジャンルの本を読んできたが何事だって時とともに進歩するのが常である。
例えばオートバイならエンジンやフレーム構造など時とともに進歩しているのが、記事を見ても広告を見ても分かる。パソコン雑誌なら掲載されているCPUでもメモリーでも、容量も速度も日進月歩で1年前とは段違いである。だから普通の雑誌なら手に取った瞬間に、最近のものか1年前か数年前かは即座にわかる。だがISO雑誌の記事も広告も1年前と今月号の違いが見えない。「取得するISOから経営に生かすISOへ」という特集と、数か月前の「経営に寄与するISO」という特集の中身に違いがない。同じことを語っているなら毎月発行する必要はなく1回発行すれば終わりではないか?
にこやかに座談する顔ぶれは1年前と今と変わらない。それどころか出てくる顔がせいぜい20人くらいじゃないか。それも認証機関のトップとか大学教授だけでなく、企業の担当者さえ固定されているようだ。普通雑誌に登場する企業担当者といえば、同じ顔が出てくるなんてことはありえない。だがアイソス誌を見ると、どこかの生協のISO担当とか某電力会社の品質保証担当の写真が、毎月のように載っている。
肥田は斜め読みしていて不思議なことだと思う。ISO認証というのは趣味のカテゴリーに見える。というのは本を読んでいて感じるのだが、企業の経営つまり損益とか効率性という観点から論じている記事がないのだ。いかにISOの文言を満たすかとか、いかにシステムをエレガントにしたかとか、ISOの教育を行ったとかいう成果を書き連ねている。損益とか投資対効果を考えないということは、趣味の世界だと言い切っておかしくないだろう。
そういう見方をするとISO業界誌というものがない。普通は業界の動向とか関連する出来事を報じる業界紙あるいは業界誌というものが存在するのだが、ISOマネジメント誌はもちろんアイソス誌もISO認証制度について書いているが業界については書いていない。例えば認証件数が減ってきているから、いかに回天の策を打つべきかなんてことを書いたものは一つもない。掲載されているのは、規格改定の解説とか新しい規格は何を目指すとかあるだけで、ISO認証ビジネスについてはひとこともない。
それとまた重大なことに気が付いた。肥田は確かに優等生な管理者ではなかったが、常に企業に貢献しようと思っていたつもりだ。そんな肥田が考えてISOとは目的とは思えない。ISOは企業改善の手段、ツールだろう。ISOを完璧に実現することよりも、ISOを使って売り上げを伸ばすとか、ミスを減らすということになるのではないだろうか。ともかくそんなことについての記事もない。いや待てよ、ISO規格を満たせば売り上げが伸びたりミスが減ったりするものだろうか?

アイソス誌もISOマネジメント誌も初めの頃は1冊眺めるのに1時間くらいかかったが、数冊読めば10分もかからない。なんせ技術が進むとかテーマがどんどん深掘りされていくなんてことがないのだから。犬が自分のしっぽを追いかけているようなもので、スパイラルアップどころか同一平面をグルグル回っているだけだ。
もっと古いものがないかと本棚を探すが1年分しかない。庶務の女性に1年より前のはないかと聞くと、毎月最新号が来ると1年前のものを捨てるようにしているのだという。まあここは大手町だ。本棚のスペースも相当高くつくだろう。特に古いものを読みわけではなかったが、今との違いを知るために読みたかっただけだ。

くだらないことですが: 本を一冊保管するのに費用が掛かるものだろうか? そんなことを考えてみた。
この物語は大手町にオフィスがあるとしているので、大手町の一等クラスのオフィスビルの賃料を調べ書棚の面積とアイソス誌何冊入るかを実際に数え、 本 1冊ひと月の保管料を計算してみた。
結果は驚くべき金額になった。年に1回くらいしか見ない本なら即捨てるのが吉と思える。
私の話にはホラが多い。ぜひとも裏を取ってみてください。

肥田は誰かとISOの話をしたくなったが本田と語っても同じことの繰り返しではしょうがない。他に誰かいないだろうかとオフィスを見回した。環境管理部30名弱のうち、10名はいつも出張だし、何人かは外出か会議のようだ。今部屋には10人ほどしかいない。一番年上の氷川が大声で電話している。

氷川 「アハハハ、そりゃ勘違いだろう。届先は市長じゃない、県知事だ。そうそう、お前さんももう課長なんだからしっかりしてくれよ」

氷川は陽気な男だ。あと1年で定年と聞く。ということは肥田より4つか5つ年上だ。 電話
だが工場や関連会社から絶大な信頼があり、ぜひ嘱託で残してほしいと陳情を受けている。出世するよりも公害防止の指導をしたいと言って、管理職になるのを拒否したと聞く。肥田は氷川の人生観というか生き方は理解できなかったが、歴代の環境管理部長と同じく最高の査定をしていた。
氷川が電話を終えたので肥田は声をかけた。

肥田部長
「氷川さん、ちょっといいかな?」
氷川
「ハイ、なんでしょうか?」

氷川は立ち上がり肥田の机にやって来た。
肥田は立ち上がり、ちょっといって部長席の後ろにある小さな会議室に入った。

肥田部長
「私が来月認証機関に出向するってことはご存知と思う。なんせ人事千里を走るというくらいだからね」
氷川
「噂は聞いております」
肥田部長
「私はISOは全くの素人なので本田君に講義を受けている」
氷川
「そのようですね」
肥田部長
「本田君からはISO規格とか認証制度というのは聞いて分かったつもりになってきたところだが、ISO認証ビジネスという観点について本田君はあまり関心がないようだ」
氷川
「そりゃそうでしょう。我々、人様の事業がどうなろうと関心はありません。我々の関心事は自社の事業です」
肥田部長
「オイオイ、そう熱くならないで。それに私にとっては今後ISOビジネスが自分のビジネスになるのだし。いろいろ聞くとISO認証ビジネスは終焉に向かっているようだ」
氷川
「ボストン・コンサルティングの金のなる木と負け犬理論ですか。あまりそういうステレオタイプ的な考えをすることはありませんよ。どんな事業だって良いときもあれば悪いときもある。認証制度がおしまいってわけではありません」
肥田部長
「悲観することはないということか?」
氷川
「悲観とか楽観ということではなく、認証件数が減ったからといって、時代に合わなくなって寿命が尽きたのかどうかはわかりません。なぜ減少したのか、新規登録が減ったのか、認証返上したのか、認証組織を統合した結果なのかとか、現状を調べなければなりません」
肥田部長
「おっと、単純に減ったというのではなく認証組織を統合ということもあるのか」
氷川
「そうかどうかも分かりません」
肥田部長
「向こうに行けば売り上げ拡大というのが私の仕事になるだろうなあ」
氷川
「どんなビジネスでもマーケットの限界があります。それを超えて拡大しようというのはそもそも無理です」
肥田部長
「とはいえ数年前に比べて規模が小さくなっていると聞く。だから元の規模までは戻せるのではないかという気もするのだが」
氷川
「業界規模については昨年産構審がとりまとめた資料があります。それによると2005年で450億となっていますね。ただ規模は認証件数だけではなく、認証の値段との掛け算です。ここ数年は新規認証機関の参入で大分値崩れしてきました」

*産業構造審議会 新成長政策部会・サービス政策部会サービス合同小委員会(第5回)(2008)「平成20年4月22日‐配付資料4(10)


肥田部長
「聞いたよ。どんな商品でもサービスでもうま味があると見えれば新規参入者が現れ、供給過剰になれば値崩れが起きる。それを防ぐには参入障壁が高くないとならない。とはいえ認証ビジネスはイニシャルコストが少ないし、法的規制もなく参入障壁が低い。新規参入を防ぐには規制強化という古典的な方法しかないが、それは難しいだろう」
氷川
「外資系の認証機関もありますし、外国の認証機関が日本で審査しているケースもありますから、日本固有の規制は不可能でしょう。
もっとも中国では中国が認定した認証機関の認証しか認めないようですが」
肥田部長
「ほう、それは国際ルール違反じゃないか?」
氷川
「アハハハハ、部長、中国がグローバルスタンダードを守っているものってありますかね? 中国はジャイアンといっしょでやくざな国ですよ。ともかく日本の認証機関は保護を受けずに頑張るしかありません。しかしノンジャブは固定費も変動費も限界までさげて頑張ってますからね、」
肥田部長
「しかしナガスネは純粋な営利ではなく、出向者受け入れも目的にあるのか?」
氷川
「元々はそういう意味合いも強かったでしょうね。だから審査員は出資会社からというのもお決まりでした。しかし出資会社とその関連会社だけではマーケットが小さい。それで設立後まもなく審査員を出資会社以外からも採用するようになりました」
肥田部長
「ほう、それは?」
氷川
「我々以外の業界から客をとろうとすると、その業界からも出向者を引き取らなければならないというのは当然です」
肥田部長
「なるほど、だけどそれが行き過ぎたら元々の業界設立という意味が・・」
氷川
「そこなんですよ。そこんところが難しいというか、元々出向者を受け入れるという発想は矛盾含みなんでしょうね。
ナガスネの二三代前の社長のとき、人件費を下げることと、女性の活躍をアッピールするために新卒女性を何名も採用して審査員に養成したことがありました」
肥田部長
「ほう、面白い試みだな。それはどうなった?」
氷川
「そもそもの考えが間違いでした。出向者の人件費の半分は出向元が補てんします。部長級が審査員をすれば年収1000万になるでしょう。実際にはその他に人件副費、つまり健康保険、年金、通勤費補助、住宅手当、まあそんなものが主費の半分くらいかかりますか。仮に主費1000万、副費500万とすれば、ナガスネとしては主費と副費の半分750万くらいの負担になるわけです。
これに対してプロパーを雇用すれば新人であれば主費350と副費180くらいでしょうかね、まあ500そこそこ。とはいえ一人前になる頃には主費と副費で700くらいにはなるでしょう。となるとナガスネの負担は出向者を受け入れたときと、新人を育成して一人前にしたときはトントン。それじゃ経営的に意味がないし、そもそも設立の趣旨に反してしまう」

肥田はなにもない斜め上をながめて氷川の語るのを聞いていた。

氷川
「それで2年程度で取りやめになり、それからは出向者受け入れのみになったはずです」
肥田部長
「なるほど。契約審査員というのもあると聞いたが」
氷川
「そちらも状況をお聞きになったと思いますが、すべてを契約審査員にしたら出向者問題がおき、ゼロにすると人件費が薄まらないということになる」
肥田部長
「どちらに転んでもうまくない」
氷川
「ノンジャブなどでは契約審査員100%というところもあります。そういうところは出向者を受け入れるしがらみがありませんからね」
肥田部長
「いっそのこと出向者対策だと割り切ってしまうという選択肢もあるのだね」
氷川
「というか、それが実情です。それは別に恥ずべきことではありません。業界設立の認証機関はたくさんありまして、事情はどこも同じです」
肥田部長
「じゃあ割り切って問題ないのか?」
氷川
「現実はそうですが、しかし利益は出さなければなりません。出向者対策と言っても赤字垂れ流しでは出資会社が許しません。
それと問題はそれだけではありません」
肥田部長
「他にも問題があるのか?」
氷川
「現状は審査を受ける企業には潜在的な不満が多々あるのです」
肥田部長
「なんだろう」
氷川
「審査の質といいますか、まっとうな審査をしてほしいという要望です」
肥田部長
「オイオイ」
氷川
「我々からすればナガスネは出向対策であり外部流出費用を回収するためなのだから、そこに依頼しろという指示は、うれしくないけれど渡世の義理というのは理解します。ただISO規格を正しく理解していないとか、審査員の横暴とか規格の間違いは困ります」
肥田部長
「そういう話も聞いたことがある。とはいえ21世紀になってから審査員の質は良くなったと聞いているが・・」
氷川
「確かに1997年頃に比べれば良くなったと言えるかもしれません。特に食事とかお土産のトラブルは減りましたね。しかし一日14万も払うほどの審査かと考えれば・・・」
肥田部長
「審査費用が高いとも聞いている。だが先ほどの出向者対策と考えれば、その費用は単純に他の認証機関と比較できるわけではない」
氷川
「そうではあるけれど、まっとうな審査をしてほしいという願いは変わりません」
肥田部長
「氷川さんの口調からすると、ISO審査でのトラブルは多いのか?」
氷川
「多い少ないの基準はわかりませんが、ISO担当者が悩み苦しむ程度には発生していますね」
肥田部長
「そういう問題は氷川さんが担当しているのかね?」
氷川
「いやウチでは本田君が担当です。とはいえ実際はほとんど泣き寝入りですね」
肥田部長
「トラブルになるとまずいということか」
氷川
「といいますか・・・ISO認証制度では審査のトラブル対応手順は定まっています。しかし現実には企業側が苦情を申し入れても認証機関がノラリクラリと対応してくれません。そんなことに労力をつかうなら諦めようということになります」
肥田部長
「大人の対応というわけか」
氷川
「まあその結果として企業のISO対応コストを引き上げ、担当者の心証を悪くしているわけです。いつかは暴発するでしょうね」
肥田部長
「暴発というと」
氷川
「マスコミとかに密告とか、最近はスマホで動画も取れますからそういったものを流すとか」
肥田部長
「そこまでいかずとも認証をやめる会社もあるのか?」
氷川
「認証返上は既に起きています。当社グループで今年は2件ありましたね」
肥田部長
「返上とはいえいろいろしがらみがあるだろうから、それは決断だったのだろうなあ」
氷川
「そうですね。義理があるからこそ毎年2社程度で済んでいるわけです。
山内さんってご存知ですよね? 元、ここの部長だった方です。トラブルが起きるとあの方がいろいろと調整してくれているのでなんとか治まっているのです。
とはいえ恒久的な対策はなかなか難しいですね。ナガスネ10個師団なんて言われていましてね。アッ、お分かりと思いますが、ナガスネの株主会社は10社ありまして、出向者はナガスネの上司よりも出向元の査定権限者の顔色を見てますからね。ナガスネで取締役になっても部下に命令なんてできないんです」

肥田は先日、山内取締役と飲んだとき、苦情対応に苦慮していると語る山内取締役を軽蔑したのを思い出し、反省したのだった。

うそ800 本日の苦労
物語に矛盾が出ないように、肥田が登場した過去のお話16話を全部読み直しました。その文字数213,000字、厚めの文庫本2冊半。1日かかりました。アホらし・・
ちょっと待てよ、番外編だけで約177万字、厚めの文庫本20冊、良くも書いたものだ ┐(´-`)┌ 呆れてしまった。


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