異世界審査員12.再出発

17.08.07

*この物語はフィクションです。登場する人物や団体は実在するものと一切関係ありません。
但し引用文献や書籍名はすべて実在のものです。

異世界審査員物語とは

私が会社員人生でいくたびも見てきたことがある。それは新規事業立ち上げとか子会社の立て直しなどに、優秀な人とか一番出世の人が活躍を期待され遣されるというケースだ。もちろん一人ではなにもできないから、それを支える人が最低一人は付く。こちらはせいぜい課長止まりと思われる実務家タイプとか、現場上がりの古参下士官という人が多かった。まさにティピカルなエリートと非エリート、あるいはキャリアとノンキャリの組み合わせである。
その結果はどうかというと、優秀な人はみな失敗し親会社に戻って窓際になり、逆境に残った副官が必死に頑張り成果を出し、そこのトップになるというのがお決まりであった。
私はそんなケースを覚えているだけで片手は見てきた。なぜそうなるのだろうか?
優秀とみられていた人は優秀ではなかったのだろうか? 優秀な人は逆境に弱いのだろうか?
私は、優秀な人は優秀な人を使うことはできるが、優秀でない人を使うことができないからではないかと思う。旧帝大を出て大企業に入り同期トップで課長、部長になった人は、優秀でない部下を持ったことはないだろう。大企業では院卒・大卒だけでなく高卒であろうと優秀な人しか採らない。皆、一を聞いて十を知る人ばかりだから、上の人は細かいことまで考えたり泥臭いことをしなくても、アイデアとか方向を示せばあとは部下が処理してくれる。だから優秀な人は仕事ができるように見える。そして本人もそう思い込む。
中小企業ではそうはいかない。管理者はみずから企画立案し、それをわかりやすく伝え、実際に手本を示し、手取り足取り教えてやらせてみて、あたかも部下が考えて実行したように褒めなければならない。まさに山本五十六である。だからリーダーは頭が良いだけでは務まらない。
中小企業では会社を動かしているのはそういう能力のある人だ。実際私は中小企業に指導に行くと、現場の人は出入りも激しく技術・技能レベルは低いが、指導する側にはスゴイと思う人をたくさん見かけた。もちろんそんな人が1社に何人もいるわけではない。
じゃあ非エリートでもノンキャリでも、実力があれば大手企業で出世できるんじゃないかと思われるかもしれません。それは無理です。別に大企業が旧帝大出でないとダメというルールがあるわけではないでしょう。しかしエリートは自分よりエリートでない人の命令を聞きません。
実際私はそういうのを多々見てきました。自分の上司や同僚の前で「自分より優秀でない奴の命令は聞かない」なんて公言する若造もいました。この場合の優秀という意味は、自分よりいい大学を出たとか自分が認めた人という意味でしょう。露骨に口にしなくても、そう考えている人は多い。
高卒の人が課長になったとき、そんな部下がいまして初めは課長の命令を聞きませんでした。あるとき取引先と問題が起き、その部下が困り果てたとき課長が出ていきあっさりと解決してから部下はおとなしくなりました。私がその課長と飲んだ時、「別に仕組んだわけではない。しかしああいう奴は必ずコケる、そのとき力を見せつけるとおとなしくなる」と笑っていました。もし問題が起きなかったらその部下は増長したままだったでしょう。いや問題が起きてもすべて処理していけたなら、それはそれでまことに立派な実力者です。
でもエリートの多くは会社で大事に扱われますからコケずにトップまで上り詰め、大地震が起きると入院したり、不祥事が起きると「俺は寝てない」なんてボケをかましたりします。まあ非常事態はめったにないから、ほとんどの社長は引退するまでボロを出さないのでしょう。

異世界での認証事業もトラブルがなければうまくいったのでしょうか? いやいや誰かが悪いことをしたり、困難にぶつからなければ物語になりません。
そういえば私の母の兄(私の伯父)が若いとき小説家志望で、仕事に就かず家で小説()を書いていたそうです。それをみた祖父が、小説では悪人を描かなくてはならないから人間が悪くなってしまうといって止めたそうです。本音はバカなことをしないで働かせようとしたのでしょうけど。私の母は大正4年生まれ。戦争前の昭和初期のお話です。祖父も小説家志望の伯父も私が生まれるはるか前に亡くなりました。 アメリカ軍戦闘機 母は松の木の根っこ(注1)を掘っていて艦載機の機銃掃射を受けたりしましたが、しぶとく生き延びて戦後に私を生んだわけです。人間に大事なことは小説を書くことよりもしぶとさです。
私が福島に住んでいた時のこと、数軒隣の方が「うちの息子は小説家になるんだ」といつも語っていました。当時その息子は30くらいでした。私がそこを去って15年、きっとナントカ賞を取ったことでしょう。
おっと、私がこんな小説まがいを書いているのを、祖父が見たら嘆くだろうなんていっちゃいけません。私の物語は人生の深淵とか善悪を考えるものではなく、第三者認証を茶化すのが目的ですから。

工藤が会社を買収し、吉本取締役から工藤が社長に代わった。法人はそのまま継承である。
早速、工藤社長と伊丹の二人で、砲兵工廠に挨拶に行く。前任者がもめたことで仕事がもらえないかと心配していたが、木越少佐も切ろうとしていたわけではなく、伊丹がなぜ来ないのかということを問題視していただけで穏やかに話は付いた。
木越少佐は伊丹をどう使うか決めてなかったようだが、とりあえず毎月1回2時間の講演というか講義をしろという。お題は何でもよいが、毎回完結がよい。それで月2両払うという。2時間で20万円なら御の字である。
聴講者は兵、下士官、幹部の誰でも自由に参加する。そして聴講者が減ったり評判が悪ければ打ち切るという。工藤も伊丹も異存はない。それこそ伊丹の腕の見せ所である。

四井建設については工藤が一人で行くという。元々四井建設から日程管理についてご教示頂きたいという声がかかったわけで、こちらが物欲しげに行くことはないというのが工藤の考えだ。吉本社長の末期にもめたようだから、向こうが話はなかったことにするというならそれで結構という。
ところが行ってみれば状況は予想と違った。既に何人もが藤田中尉の論文を読んでおり、はじめは藤田中尉に講演を依頼した。ところが藤田中尉は軍務多忙につきとお断りし、その代わりとして新世界技術事務所の伊丹を推薦していた。そうなったからには四井建設も新世界技術事務所に依頼しなければならず、工藤が訪問したのでこれ幸いとなった。まあお互いハッピーだろう。そもそもは吉本社長が私利私欲に走ったために行き違いが起きただけだ。

とまあ、そんなわけでとりあえず仕事は2件確保した。もちろんそれで社員4名が食べていけるわけではないが、なにもないのとは大違いだ。
工藤と伊丹はこれから中小の工場を回って仕事の確保をする予定だ。
それと新人の上野に基本的なことを教えて戦力にすることも喫緊の仕事である。

伊丹にはそれだけでなく重大な仕事があった。引っ越しである。伊丹は稲毛にマンションを持っている。そこには24になる息子が住むことにした。息子は大学を出て就職したとき親元を離れたいとのことで、錦糸町にマンションを借りて一人暮らしをしていたが、実情は懐具合がピーピーらしい。家賃がタダになるのはありがたい。通勤時間は20数分長くなるが、今どき通勤が30分や40分は普通だろう。息子は家具と家電をそのまま使うという。
ということで物はほとんどもってこない。どちらにしても電化製品がない時代だ(注2)。掃除機ない、冷蔵庫ない、洗濯機ない、テレビもない、あるのは白熱電球くらいだ。家具も時代が違うから使いようがない。

妻の幸子は着るものを気にしている。こちらは着物オンリーかと思っていたら、けっこう洋服を着ている成人女性が多いのだ。とはいえこの時代の洋服では元の世界に戻れば、コスプレと思われそうで、とても着て歩けるものではない。行き来するときはどちらでも目立たない服装でなければならない。むしろ着物一本でいったほうが、どちらでも通用しそうねという。伊丹の母から譲られた箪笥の肥やしになっていたのが生かせるわという。
伊丹が南条さんにそんな話をしたら、小紋とか紬などちゃんとしたものを日常生活では着ません、綿のものですと言われた。こちらではお出かけでも掃除洗濯でも和服ではあるから、礼装や外出着だけでなくジーンズやTシャツ代わりも必要だし、ワンピース並みのカジュアルなものも必要なわけだ。南条さんにじゃあどんなものをそろえたらいいのかと聞くと、現代日本では和服とは正装とか高級品しかないから向こうでは売ってないという。こちらに来てからで大丈夫と言われた。
伊丹も上野と一緒に行ってもらって今風()の洋服、蝶ネクタイ、靴などをそろえた。今までは21世紀の服装で歩いていたが、腰を据えるならこの世界のスタンダードに合わせないとまずい。人は見た目が100%ではないが極めて大きい。

工藤は一族の不動産屋を使い、渋谷駅近くに敷地150坪に平屋建40坪のちょっと豊かな人が住む家を探してくれた。渋谷駅から歩いて10分といっても、この時代にはいたるところに畑が広がっていた。

ご参考までに: 現代と過去の地図が左右に表示される今昔マップというのがある。渋谷駅にポイントを置いて、1896〜1909年のラジオボタンを押せば図の半分は畑である。100年の差は大きい。

伊丹は渋谷駅から山手線に乗り新橋まで、30分はかからない。直線の倍以上走るが、山手線内を走る都電も地下鉄もないからしょうがない。明治・大正時代は山手線内の山の手が高級というか普通の人の住宅地だった。

ちなみに: 山の手とは山手線の日暮里から浜松町よりも西側のことで、その東側が下町である。関東大震災、東京大空襲ともに大きな被害を受けたのは下町だ。
元々下町とは埋め立て地あるいは非常な低地である。剣客商売など江戸時代ものをみるとこのあたりは水郷で田舎の代名詞である。もっと遡り徳川家康が秀吉に関東に飛ばされたときはここを利根川が流れていた。家康はそれを銚子まで動かしたのだからすごい。
参考1. 参考2.
江戸時代には諫早干拓よりも大きな地形改造をしていたのだ。私個人は諫早干拓に賛成・反対の立場ではない。しかし某ISO認証機関のえらいさんが、「諫早干拓は神を恐れぬ事業」だと語っていたのを聞いて、そりゃねえだろうと思った。だってその認証機関の本社は東京の築地にあるからね。築地とは元々「築いた土地」で埋め立て地の意味で、それが地名となった。

幸子がこちらの世界に来て、伊丹と工藤と一緒に家を見に行く。
二人で住むには広すぎる。サザエさんの家が7人家族で30坪らしいが、それより広いのに二人しか住まない。
家の中を眺めながら話をする。
異世界の暮らし
楽しみだわ
ウフフフフ

幸子
伊丹の家内の幸子です
幸子
「ちょっと二人には広すぎますね」
工藤社長
「二人って?
奥さん、女中も住むんですよ。何名必要ですか?」
幸子
「えっ、女中って?」
工藤社長
「向こうの世界では、お手伝いさんとか家政婦とかいうそうですが」
幸子
「そんな、専業主婦ですから家事は私がするつもりです」
工藤社長
「いえいえ、伊丹さんほど収入があれば女中の一人や二人いるのが普通です。
離れがあるでしょう。廊下でつながっていますが、ここは女中部屋です。二人住めるように4畳半が二間あります」
幸子
「二人分も家事仕事があるのでしょうか?」
工藤社長
「うーん、こちらではまず家電品がありません。それで洗濯も掃除もすべて人力です。旦那さんのシャツの襟も洗っても型崩れしないなんてものじゃありません。毎回アイロンをかけなければなりませんが、奥さんは炭の入ったアイロンが使えますか?
炊事も電気釜もなければ電子レンジもありません。かまどの火加減を調節するのも付きっ切りですよ。風呂を沸かすのもマキ割もありますし、マキをくべるのも人、煙突掃除もあります。もし女中がいなければ奥さんは朝から晩まで働きづめになりますよ。
女中二人いれば奥さんは何もしないで済みますし、奥さんが外出するとき一人お供したほうがなにかと安心でしょう。それに初めての世界でしょうから、話し相手、相談相手になります」
伊丹審査員
「工藤さん、心配なのはお金です。二人も雇えますか?」
工藤社長
「女中の給料は大体米9俵。向こうの世界では月10万くらいですか、あるいは大卒ホワイトカラーの初任給の半分ですから・・・それで考えてもやはり10万くらいかな。いずれにしても伊丹さんの給料で二人は雇えます」
伊丹審査員
「なるほど、それじゃ二人手配できますか。一人は一族の方にしてほしいですが」
幸子
「料理が上手な方がいいですね」
工藤社長
「二人とも一族から探しましょう。家事だけでなく奥さんが外に出る時、お召し物とか化粧とかチェックもしないとならないですし」
幸子
「よく分かりました」
伊丹審査員
「なるほど、いろいろ覚えないと暮らしていけないね」
幸子
「まあそういうことも女中から学ぶということで」
結局、そこに決めた。なにしろ伊丹も幸子も右も左もわからない。すべてが工藤頼みだ。
駅まで歩きながら雑談をする。
工藤社長
「道路が舗装されてないですから埃っぽいでしょう」
幸子
「でも排気ガスがないから服が汚れませんね。ただ道路に馬のフンがたくさん落ちていますね」
工藤社長
「車がないですから人も荷物も運ぶのは馬車しかありません。鉄道馬車は最近は電気に変える工事をしていますが、馬車まで電気にするのは難しそうです。
馬糞と排気ガスを天秤にかけるとどちらが良いですか?」

ご参考までに:
馬をつないでおく石
馬をつないでおく石
どの店先にもありました。
縦横40センチくらいです。
街中を馬車が走り、フンがいたるところに落ちているなんて聞いて驚いてはいけない。私が小学校の頃、田舎町ではそれが当たり前だった。商店の店先には馬を結ぶ穴の開いた石が置いてあった。昔の話ではない。1950年代末だ。
5歳違う家内は街を荷馬車が歩くを見たことがないという。とはいえ家内の父は運送会社の馬車引きだった。家内が物心ついたときは、くろがねの三輪トラックに乗っていたが。
一言付け加えておくが、馬糞は牛糞と違ってあまり汚い感じはしない。ただ馬が尿をするとはじくから皆近づかなかった。

幸子
「そうですね、こちらかな。富士山がきれいに見えるなんて驚きです」
伊丹審査員
「便利さのその代償をどう考えるか。我々の仕事は便利に速く楽にしようとしているわけだが、それは無条件で手に入るものではなく、ツケが怖いね」
工藤社長
「でもこの国だけがのんびりしていると、50年前のように外国に支配されそうになりますからね」
伊丹審査員
「おっしゃるとおり。今も西欧の国々は日本を植民地か属国にしようとしていますからね。
難しいなあ〜」
工藤社長
「奥さんはこちらの世界に拒否感はなかったですか?」
幸子
「悪い意味にとってほしくはないのですが、お友達が何人もタイとかメキシコとかに駐在していました。みなさん大邸宅とか本物のマンションに住んでいて、タイではアヤさんといいましたが、女中さんですよね。二人くらいいてお友達は何もしないの、家事はもちろん、子供の送り迎え、病院に連れて行くとかみなしてくれるの。
本人は毎日テニスとか観劇とか習い事とか。もう王侯貴族かって暮らしですよ、そんなのを見て、一度はそんな暮らしをしてみたいと思ってました」(注3)
伊丹審査員
「オイオイ、お前にそんな趣味があるって知らなかったぞ」
幸子
「ですから悪い意味にとってほしくないって言ったでしょう」
工藤社長
「この社会は貧富の差が激しいですから、女中のような仕事もないと困るのです。それに豊かな社会ではないですから勤労意欲は高いですよ。
そしてお金のある人は、貯めておかないで使ってくれないとお金が回りません。優雅な暮らしが悪いわけではありません。
ただこの社会はまだ老後とか病気の時の社会保障というものがありませんから、そこらへんは考慮してください。石田さんの二の舞は御免です。まあ、ここでの暮らしを楽しんでください」

うそ800 本日のまとめ
やっと伊丹が腰を落ち着けて仕事を始める条件ができました。伊丹の活躍に期待しましょう。活躍できなくても痛くも痒くもありませんが。

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注1
第二次大戦末期、航空機用ガソリンがなくなって松脂から有機燃料をとろうとした。もちろん労力もなく家庭婦人が駆り出されたのだ。

インターネットをググると松根油は実用化されなっったとか一部地域のみだったとあるが、私が子供の頃、母からだいぶ根っ子堀りをしたと聞かされた。またB29もグラマンも爆撃、銃撃に飛んできたが、母が戦闘機に銃撃されたことはなかったらしい。銃撃されて殺された知人や友達はいたらしい。
しかし敵国の子供とか一般市民を銃撃し多数を殺したとはとんでもないことだ。アメリカ許すまじ

注2
主な家電製品の現れた時期を下表に示す。
名称発売年我家の購入年備考
白熱電球1890
手回し蓄音機1910買わず電気製品ではない
私が小学校の時はこれで音楽を聴いた
電気アイロン19151955それまでは炭のアイロンだった
炊飯器19241972頃これが現れる前はオコゲがあるのが当たり前
ラジオ19241958私が子供のときは近所にいって外で聞かせてもらった
洗濯機19301967当時は脱水なし
冷蔵庫193019701972に結婚した姉は金がなくて買えなかった
白黒テレビ19531965オヤジはお金がないと言いたくなくて、受験勉強の邪魔になると言っていた
電気こたつ19551970当時はこたつの枠も足もなく、ヒーターだけ買ってきて掘りごたつにつけた
食洗器19602007マンションを買ったらついていた
カラーテレビ19601972白黒テレビが壊れたので代わりを買おうとしたら電気屋のオヤジにこれからはカラーだと勧められた
電子レンジ19651980買うのが夢でした

注3
私が差別意識があるとか人より階級が上になりたいということはない。
私の家は貧乏だったから母は女中をしていた。専属というか長期ではなく、子供が生まれたとか病気したとかいう家から頼まれることが多かった。別に雇い主が上ということもなく、その家の子供にへりくだることもなく、そこの子供と普通に遊んだりしていた。ただやはり金持ちは家も家具も食い物も違うなあということは実感した。

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