異世界審査員14.講義その2

17.08.21

*この物語はフィクションです。登場する人物や団体は実在するものと一切関係ありません。
但し引用文献や書籍名はすべて実在のものです。民明書房からの引用はありません。

異世界審査員物語とは

小説には、未来の技術が手に入れば、すぐに実用できるようなことを書いているのが多い。例えば、架空戦記なる小説のカテゴリーがある。そこでは1940年の日本が20世紀末あるいは21世紀の技術を得て、近接信管、ホーミング魚雷、ミサイル、半導体を使った高性能レーダーを作り戦争に勝つというお話が満載だ。そういうことを考えると楽しいか? みじめじゃないのか?
あるいは異世界ものというカテゴリーがある。そこでは科学技術の遅れている異世界にいった主人公の持つ知識で、その世界を改革していくというお話がたくさんある。荒唐無稽と言ってしまえばそれまでだが、そういうことは現実に可能だろうか?
農業において灌漑や有機肥料の指導程度なら農業技術者一人でなんとかなるかもしれない。しかし医療、機械製造など多くの分野では不可能だろう。現代の医者が100年前に行ったとき、仮に診断はできたとしても薬が手に入らないし手術する器具も設備もなく、小説や漫画のように活躍することは難しそうだ。ましてや製鉄や半導体製造となるときわめて多くの分野の支援が必要となる。なぜなら科学技術というものは浜辺で作る砂の山のようなもの。頂上に砂を積んでも斜面を流れ落ちるだけで高くはならない。山を高くするにはものすごくすそ野を広くする必要がある。

具体例を考えてみよう。現代の天才技術者が一人1940年にタイムスリップして、アメリカのムスタング並みの戦闘機を作るとしよう。彼は今現在の技術すべてを知っていたとする。でもガスケットやパッキンを作れるでしょうか? 電線の絶縁被覆は? 知識があっても彼の注文に応えてくれる工場はないでしょう。
知りませんでした: ガスケットとパッキンとは同じ意味かと思っていたら違った。ガスケットとは動かないところの漏れ止めで、可動部の漏れ止めをパッキンとJISで定義されている。

ピストン、シリンダ、ピストンリングなどを精度よく作れるでしょうか? 第二次大戦時、日本は水冷エンジンを作るのが不得手でした。いや不得手ではなく機械加工のレベルが低かったのです。機械加工だけでなく材料も熱処理も当時問題山積でしたが、そういったことの解決も一人の手におえるわけはありません。 ムスタング 故障の多い機関砲、不発の多い弾丸、油の漏れる油圧ポンプ。(注1)
じゃあ数人の技術者がタイムスリップすればいいのか? それでも無理でしょうね。ムスタング並みの飛行機を量産しようとしたら1960年代の日本全体がタイムスリップしなければできないと思います。私たちが今の暮らしをするには、現在の科学技術の知識だけでなく、現在の生産技術、生産能力、輸送力が必要で、そしてそれを支える教育を受けた1億の人がいなければどうしようもないのです。
異世界のファンタジー小説では、現代の科学技術の知識で問題を解決していくものが多々ありますが、まず不可能でしょう。そんなことより魔法を使うとか、こちらの世界から完成品をそのまま持っていくという設定の方が納得できます。
じゃあ北朝鮮はどうして核爆弾を作りICBMを作れるのかといえば、よそから技術だけでなく完成品や部品も持ってきているからです。ロシアのロケットエンジン、遠心分離機の鋼板やモーターはすべて輸入品、計測器は日本から調達、簡単じゃないですか。あなたまさかミサイル発射台の自動車を北朝鮮が自前で作っているとはお考えではないでしょう。あれは中国からの輸入品です。

では一人の人が100年前に行って製造現場を良くすることができるだろうか? ここで良くするとは、能率向上、品質向上、仕掛かりなどの改善と考えてください。私はできることはかなり限定的だろうと思います。しかし限定的ではあるけれど彼が示したアイデアによって彼がいないときよりも相当速いスピードで改善を進めることができるだろうと思う。但し技術者が一人で頑張っても限度がある。この物語の時代はまだノギスも一般に普及していなかった。計算尺もない。伊丹が統計的手法を教えようとしても、そのハードルはものすごく高く多いのだ。

次なる疑問がある。未来の情報を受けた団体、国家は他を大きく引き離して発展できるかというとそんなうまくはいかないだろう。
過去の出来事をみると多くの発明発見は、お互いにまったく関わりのない複数の人・機関によってほとんど同時に行われている。それはか細いながら他人の研究の情報による触発ということもあるだろうし、我々の知らない要因があるのかもしれない。だがそういうことによって一人抜け勝ちということにはならないのではないかという気がする。つまり一国が超兵器を開発すれば、必ずや同じことを思い付く国がでてすぐに追いつき結局バランスは変わらないのではないだろうか。
とはいえエネルギー順位が高きから低きに移りその差でエネルギーを発生させると同じく、先進技術を持つものは指導によって対価を得ることは当然であり、そのビジネスは止めることはできないだろう。この物語の伊丹もそれで生きていくつもりである。同時に向こうの世界の人も背景はわからずとも新しい知識は貪欲にいただき活用する気満々である。

砲兵工廠で講義をしてからひと月が経った。明日は第二回の講義の予定だ。
ちょうど今日、木越少佐から今回の講義にあたって若干の変更をいれると通知の手紙がきた。
明日の講義を控えて、その手紙を見て3人が語り合っている。
ひとつ受講者に海軍工廠その他のメンバーも入ること、
ひとつ受講者は下士官以上にするので話のレベルをアップすること、
ひとつ講義は2時間としその後の1時間は質疑とする。
ひとつ終了後に宴席を設け出席者の質疑討論を行いたい。

伊丹
「おやおや、なんだか大事になってきたようですね」
工藤社長
「2時間で2両だったのだから、3時間なら委託料も3両にしてもらわないと・・・」
上野
「話のテーマは変えますか、そのままとするのですか?」
伊丹
「もう明日だから今更変えようもない。前回の続きで、検査から入って品質管理と品質保証につないでいくつもりだ」
上野
「品質管理? 品質保証? 何ですか、それ?」
伊丹
「あっまだそういう言葉は使われていないか。これは要注意だな。というかそれをネタに話せば明日はおしまいか、アハハハハ
まあホラを吹くのは得意だから任せておいて、上野さんは最後の宴会で私の分まで飲む方を頑張ってほしいよ」
工藤社長
「酒が飲みたいわけじゃないが、どんなふうに話が進むか関心があるから、俺も夕方から参加するよ。伊丹さんが引き抜かれでもしたらこの会社はおしまいだ」
伊丹
「そうですね、変な方向に行ってしまうと困ります」


翌日、砲兵工廠である。前回と同じ部屋だが伊丹と上野が着いたときには既に部屋は満杯だった。
伊丹はおやおや人気があるならいいけど、ダメ出しされるのは御免だよと内心思う。まあ自然体、自然体と自分に言い聞かせて話を始める。笑わせてナンボとは落語家みたいだと思う。

伊丹
「前回、検査について話をしましたが今日は検査に続く作業というか、検査の結果で何をすべきかということを考えます。
検査とは何らかの基準があって、対象物をその基準に照らしてあっているかあっていないかを判断することです。
では検査をして良品のみを受け入れるということで仕事はおしまいかと言えばそうではありません。検査して悪いものがあったなら、悪いものを納めないようにさせる、悪いものができないようにするという行動をしなければなりません。これを品質管理といいます。
なぜ品質管理が必要かとなればいくつも理由があります。
まず受入検査は多くの場合抜取検査です。あるいは全数検査であっても検査のミスや検査の条件によって不良を良品として受け入れてしまうことがあります。ですから全体の品質が良くなければ悪いものが混入する危険はあるわけです。
また、検査することも費用が掛かっているわけで、検査をなくすように努めなければならない。検査をなくすとは全数良品が当たり前にしなければならない。
製造業者も不良を作れば儲かりません。我々は業者がつぶれても構わないということはありません。買う方だって業者が潰れては困ります。
では悪いものを納めないようにさせるにはどうするかということになります。道は二つありますが、ひとつは業者に納品前に検査をしっかりさせて悪いものを納入させないこと。これは既にどこでもしているでしょうけど、いまだ受入検査で不良が見つかるということは完全でないわけです。
もう一つの方法は、不良ができる原因を突き止め不良を作らないようにすることです。前回も申しましたが5Mといいますが、不良発生を見つける切り口として5つのMが考えられます。
ともかく不具合がどの工程で発生したのか、なぜ発生したのか、どうすれば不具合がなくなるのかということを追跡していきます。現実には現在の技術では解決できないこともあるかもしれません。それはそれで仕方がないですが、その場合でも確率的な発生割合を定め、その想定した割合に収まっているかどうかを監視しなければなりません。その範囲を外れたらやはり異常として対応しなければなりません。
不良を作らない仕組みを作り維持することを品質保証と言います。
製造管理のレベルとして、検査から品質管理更に品質保証と向上していくという考えもあるかもしれませんし、そうではなくそれらは一体であり品質改善の一連の流れであるという見方もあるでしょう」

伊丹は品質管理とはなにか、品質保証とは何かということを具体的事例を盛り込んで平易に説明をした。

参考までに: 品質管理という語が使用されたのは日本では第二次大戦後、アメリカでも1930年代である。品質保証に至ってはアメリカでも第二次大戦末期からであった。
この物語は1910年頃なので、それよりはるか以前である。
もちろん品質管理的、あるいは品質保証的な発想をしていた人はいただろう。

質疑の時間である。海軍の軍服が立ち上がる。おそらく海軍工廠から来た人だろう。
誰か
「品質保証という考えについていたく感心した。しかし話を聞くと管理項目がすべてわかっているという前提のようだ。製造条件が不明なときはどうするのか?」
伊丹
「おっしゃるとおり管理するということは、管理項目と管理指標がはっきりしていなければなりません。まったくの新規品であれば管理できないということになるでしょう。
しかし多くの場合、まったく新しいものというものはないのではないでしょうか。機械加工、布製品、塗装など皆経験の蓄積があります。過去にどのような条件のときに不具合が起きたのかということが分かっていれば、そうならないように管理すべきことはわかると思います。
もし全く新規のものがあったとして、従来と同じ管理をしてその記録を取っていれば、不具合が起きたときの製造条件記録をみて、その条件ではダメであるという情報が得られます。それを積み重ねることにより管理項目を見直しすることにより不良は低減していくでしょう」
誰か
「確率的に満たすとか満たさないとかとはどういうことか?」
伊丹
「例えば公差というものがあります。みなさんは公差をどのように定めているのでしょうか?」
誰か

「公差? 公差とはなんだね?」(注2)
公差とは 100±0.05 のように許容差を示す方法。
図面に書くのは簡単ですが、これを実用するには製造、検査などにおいて、公差の精度を測定できる計測器が必要です。
伊丹
「100ミリと言っても100ミリにはできません。それで100ミリより大きい方はいくらまで、小さい方はいくらまでと許容差をつけますね」
誰か
「いや100ミリと言ったら図面上は100ミリだろう。もちろん寸法ピタリにできることがないのはわかっているが」
伊丹
「おっしゃるようにシャフトの径を100ミリといっても100ミリピタリには作れません。ですから太い方は100.1ミリまで、細い方は99.8ミリまでとか定めないのですか?」
誰か
「おいおい、そんなもの決めてもどうやって測るんだ?」
伊丹
「はあ〜、実際にはどうしているのでしょう?」
誰か
「外削りと内削りでは内側の方がはるかに難しい。それで穴の方を始めに加工して、軸の方をそれに合わせて加工することになっている」
伊丹
「なるほど、長さといいますか寸法を測る方法はないのでしょうか?」
誰か
「あればいいが・・・教えてほしい。品質以前に物をどう作るかということが困難だよ」

伊丹は天を仰いだ。話を始めるには測定器、それもノギスとかマイクロメータ程度を持ち込まないとダメなんだろうか?
ノギスは外国で初期的なものが作れた程度、マイクロは日本では10年後に作成20年後に普及だったはず。それに仮に持ち込んだとしてもメートル原器からのトレーサビリティはどうするのだろう? そんなこと気にもしないか?
統計的品質管理といっても計算尺はまだ実用されていなかったはず。標準偏差どころか平均値を計算するのにはソロバンを使う事に気が付いた。ソロバンの使えない伊丹は唖然とした。
そういったインフラというか基本的なツールがない時代に品質保証なんて語るのは間違いなのか?

その後、海軍工廠から来た数人の技術者から質問があったが、伊丹は頭が真っ白でそのやりとりを後で思い出すこともできなかった。伊丹は自分の無力を感じた。自分はこの世界で何か貢献できるものはないのだろうか?
ノギスがない、マイクロメーターがない、計算尺がない、ないないづくしのこの世界で21世紀の製造管理の考えは無力なんじゃないか?

その夜の飲み会はあまり突っ込んだことに至らず、もっと検査についての考えを教えてほしいとか、不良対策の流れを具体的に示してほしいというような話で、伊丹はほっとした。


翌日である。例によって工藤、伊丹、上野の三人が額を突き合せて会議をしている。
工藤社長
「どうも昨日はノリが悪かったようですね」
伊丹
「ノリが悪いというか無力を感じまして・・・原因はわかっているのですよ」
上野
「そりゃ何ですか?」
伊丹
「品質管理にしろ品質保証にしろ、そのためには管理指標を数値化して数字で管理するという発想になります。あからさまに言わなくても不良対策にしても通常の状況把握にしても、数値化しないと対策につながらないのは自明です。じゃあ、いかにして寸法を測るかというところでこけてしまう。
それから数字を知ったとしても計算する方法がない。あるのは筆算かそろばんしかない。でも割り算掛け算がいくつも重なるようなことを一般の人が手軽にできるとは思えない。標準偏差に至っては開平を計算するだけでひと仕事だろう」
上野
「まさしく私もそう感じました。伊丹さんの世界にはデンタクっていうのありましたよね。ボタンを押すだけで掛け算でも割り算でもできるのがありますよね、ああいったものをこちらに持ち込むわけにはいきませんか」
伊丹
「それは・・・・ちょっと、こちらの世界を乱してしまうのではないでしょうか」
上野
「あれを売り出せば手軽で普及して大儲け間違いなしですが」
工藤社長
「陽二よ、そういった方法は昔から禁じ手なんだ。安易な方法は良い結果をもたらさない。向こうの世界の道具をこちらに伝えるにしても、こちらの誰かが考え出したことにしないと技術のリープがとんでもないことを引き起こす」
上野
「それじゃ・・ええと、二つのことが必要ですね。精度よく寸法測定する器具、それは元になるようなものを伊丹さんが作って砲兵工廠に売り込むということでいかがですか」
伊丹
「簡単な測定器と言えばノギスだが、その基本となるようなものを作るということか」
上野
「それから計算する機械ですが、皇国大学で計算尺という話を聞いたことがあります。10年程前の欧州視察団が持ち帰ったそうです。なんでも木製で可動するふたつの物差しで掛け算、割り算ができると聞きました」
工藤社長
「10年前ならもう実用化されているのじゃないか?」
上野
「そう簡単ではないらしいです。というのはご存知のように扶桑国は湿度が高く、視察団が持ち帰った計算尺は木製だったので狂ってしまい使い物にならなかったそうです」
伊丹
「誰かが研究していることを期待したいですね」
工藤社長
「でも物差し2本で計算するって魔法か手品みたいだな、いったいどうするのか?」
上野
「もう300年も前のことですが対数というものが考えられました。普通の物差しを2本使うと足し算、引き算ができます。対数の物差しを使うと掛け算、割り算ができるのです。
ソロバンが一般的でない欧州では計算尺が使われているそうです」
工藤社長
「なるほど、じゃあともかくそれを研究している人を探してみよう」

結局、伊丹がノギスを考えること、工藤と上野が計算尺を探すということになった。

うそ800 本日の反省
今日、普通に見掛けるものでも100年前になかったものがほとんどです。
どの家庭でも輪ゴムとか爪楊枝があるように、ノギスなんてどの工場にもころがっているわけですが、それもない。標準偏差を求めろと言われたら、今ならエクセルでも電卓でも簡単に求められます。でも100年前はそうじゃありません。
じゃあ100年前に行って品質管理を教えようとしたらどうしたらいいのでしょうか?
とても手に負えそうありません。テーマの選択を誤ったかと反省です。

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注1
ネットを彷徨っていてゼロ戦の真実というウェブサイトを見つけた。
そればかりではないが、小高登貫や穴吹 智などが語るのをみると、高性能戦闘機よりも故障しないでちゃんと動く飛行機がほしいという願いがにじみ出ている。
しかしそういう未完成というか不完全な飛行機を駆って戦い勝利をつづけたのだから彼らはまさしく天才だった。尊敬するほかない。
零戦 参考図書:「蒼空の河」穴吹 智、2000、光人社
★参考図書:「あゝ青春零戦隊」小高登貫、1985、光人社
★参考図書:「空のよもやま物語」わちさんぺい、2008、NF文庫
注2
私は1960年代に工業高校で寸法公差というものを習い、その後、ボーナス公差とか幾何公差なんて考えが追加されてきたのを知っている。しかし普通の寸法公差というものは昔からあると考えていた。
実際は、なんと1938年にイギリスのStanley Parkerが考えたものだそうです。彼はそれを"true position"(真の位置)という名称で顕したそうです。
それは第二次大戦のたった1年前のことです。ということはそれ以前は許容差とか互換性というものはゲージとか現物によってのみ表されていたということなのでしょうか?
公差の歴史を調べようとしましたが、まるっきり雲の中で情報が足りません。


外資社員様からお便りを頂きました(2017.08.21)
おばQさま
連載、いつも楽しみにしております。

>現代の天才技術者が一人1940年にタイムスリップして、アメリカのムスタング並みの戦闘機を作るとしよう。彼は今現在の技術すべてを知っていたとする。でもガスケットやパッキンを作れるでしょうか?
まさに仰る通りだと思います。 史実では日本の戦闘機は、エンジンが駄目だったので遅れをとったといわれています。
でもドイツからBf109に搭載されたDB601のライセンスを受けて、図面、治具、現物を貰って技術指導まで受けているのですね。
結局、同等の品質の金属加工ができない、冶金処理が出来ない、ベアリングもダメ、伝送系も駄目。
結局、当時の日本の工業の裾野では、手に余ったから、飛燕は首なしになって、五式戦になりました。
という事は、設計の天才がタイムスリップしようが技術の裾野がないと駄目なのです。

宗教関係の師匠は、砲兵で南方に行ったのですが、電話線(ケーブル)の品質が悪くて兎に角困ったといっておりました。
砲兵は観測所と大砲を結んで砲撃の修正を行います。 無線はノイズが多くて使い物にならない。結局、中国でも南方でも電話線を引いたそうです。
日本の電話線は、銅線を紙と布で巻いた構造。
中国は乾燥しているから何とか使えましたが、ジャングルの湿気で絶縁が全くダメ。望遠鏡による観測もジャングルでは不可。
電線一つとっても、当時の日本は問題があったので、真空管なんて、もう...

>何ならできるか?
権限がどのくらいあるかにも依りますが、マネジメントや組織の改善ができれば随分とマシになったと思います。
これは工業の裾野がなくても、組織の意識が変わればできることですね。
陸海軍の戦略や教育まで立ち入るのは、難しそうですから、とりあえず、コンサルが指摘できそうな問題を考えてみました。
1.名人主義なのに名人を大事にしない。
当初の日本軍の活躍は、部隊内の名人によるもので、特に飛行機はそうでした。
英米に比べて貧乏な日本が少数精鋭主義に走るのは当然で、間違っていません。
しかし、それらの名人を使い捨てにしたり、適切な処遇を与えなかったのが問題です。
学歴がないだけで下士官のまま将校にしなかったり、指揮官に任じるシステムがない。
名誉や給与面でも適切な処遇がなかった。 大卒の素人の甲幹とベテランが同じ尉官。
これは、ドイツが撃墜王に、佐官以上の階級に任じ、褒章休暇や名誉を与えたのと大きく異なっています。
戦争当初は名人がいたから、勝ったし、不利な体勢でも負けなかった。名人は育成に時間がかかるから消耗します。
にも拘わらず、飛行機には防弾がなく、海に落ちた将兵や、島嶼に残された貴重な名人を救助しなかった。
こういう個人的な努力と能力に頼るくせに、正当な評価や対価を与えないのは、今のブラック企業にも共通しています。
名人には休みも与えず、困難な作戦に当て続けて死なせてしまった。
名人が死に絶えても、名人しか出来ない作戦を立案し続けて、出来ないのは現場の必勝の観念が不足しているという作戦指導だった。

2.CSを評価するシステムが無かった
これはISOに絡んだ話題だと思います。
兵器のユーザは兵隊、しかし兵隊は与えられた兵器にクレームを言えなかった。
欠陥兵器を使いこなすのが名人、旧軍での射撃の名人は銃を自分で修理できる人のこと。
ドイツの撃墜王は休暇と勲章をもらい故郷でリフレッシュ。
日本の撃墜王は、連日出撃後、毎晩 基地で自分の飛行機に積み込む銃弾をチェック
こうしないと、勤労奉仕で作られた機銃弾がジャムるか、最悪 暴発し機体が壊れるから。
そんな状態を上官や指令は知りながら「現場はよくやっとる」と、パイロットが夜に検査までしている状態にご満悦。
現場兵士のCS改善など考えてもいなかったし、業務効率の向上なども考えていなかった。

このあたり、ネタとしては如何でしょうか? すでにお考えでしたか? 失礼しました。

外資社員様、毎度ありがとうございます。
以前、お勧めを受けて山本七平の本を何冊か読みました。その中に観測者から砲兵への連絡の電線がダメとかいうことが書いてありました。絶縁不良は材料の問題です。それは化学工業の問題で、塩ビをジャンジャン使っていた国と、紙と布の国ではもう比較になりません。
私はただただ悲しくなります。
ただ技術の問題だけかとなると、外資社員様がおっしゃるように日本では隊長以上活躍した撃墜王でも士官になれないというのはおかしな話ですね。もちろんそれは飛行機乗りだけでなく、歩兵も海兵も皆同じです。
アメリカ軍が功績をあげるとその場で昇進させるとか日本ではなかったのではないでしょうか?
亡くなったダニエル・イノウエ上院議員は、イタリアの攻城戦で活躍したとき、その場で中尉になったと記憶しています。日本では戦死して初めて特進ですからモチベーション上がりませんよね。
そんなことを悲観的に見ると、日本はダメダナーという気もしますが、見方を変えると日本人は個々人が一生懸命するということであり、それをいかせばものすごいことになると思います。
まあ、それを次世代に期待しましょう。

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