異世界審査員21.標準化その2

17.09.14

*この物語はフィクションです。登場する人物や団体は実在するものと一切関係ありません。
但し引用文献や書籍名はすべて実在のものです。民明書房からの引用はありません。

異世界審査員物語とは

大は世直しから小は作業改善まで現状を変えることは、上が言い出すこともあるし下が言い出すこともある。またそのトリガは、他所よそがやっているからという受動的理由もあるし、現状が問題だと認識した能動的なこともある。 変更の発議理由やその発議者によって、その変更が実効性を持ちかつ根付いていくか否かというと、そこにセオリーがあるとは思えず、ケースバイケース、イットデペンズのような気がする。
1970年代は日本全国で小集団活動というのが流行はやっていたが、そこでは作業手順を文書化して誰でもできるようにするというのは定番のテーマだった。まさにISOを先取りしたかのようだ。

注:ISO9001発祥は1987年であり、その時は既に小集団活動は下火になっていた。ISOMS規格が小集団活動を駆逐したわけではない。(注1)

ではそういう活動が根付いたのかといえば、どうだろうか?
実際のところ小集団の発表というものはほとんどが作文だったし、どんな良いルールを決めても定着するかどうかは定かではなく、定着しても時と共に風化し忘れられていくのも世の常。結局のところ、実際に仕事する人がルールが有効だと認識しなければだめだ。そして有効か否かはまさにIt depends on the circumstance.(状況次第)、いかに優れた方法でも、いつの世でも最適だということは決してない。だから周囲の環境、状況(circumstance)が変われば、それに対応して手順や基準を見直すことになる。手順・基準を文書化するという方法を選んだなら、常なる維持を行わなければならない。
ISO規格は継続的改善なんていっているが、より重要なのは継続的維持である。おっと継続的改善は continual improvement であるが、継続的維持は continuous maintenance である。ここ重要。 continual よりも continuous はハードであり、生半可な気持ちでなく、意地がないと維持できない。

注:continualは継続的ではなく正しくは断続的と訳すべきだろう。(注2)

さてここでいう文書化するものは何かといえば、ルールつまり規則もあるし、作業手順もあるし、基準もある。標準化の基準もあるし、標準化したもののリストもある。(注3)
そういったものを定めて文書化したならば、常に状況に合わせて改定をし続けなければならないということである。それを怠ると役に立たないルールはすぐ蜘蛛の巣がはり、やがてガイコツ、まさに形骸となる。 男
標準化とは適切に維持されれば尊敬され活用されるが、実態と相違が起きれば嘲笑の対象となり価値はマイナスになる。更に悪いことは、標準化をしようという声が二度と聞かれなくなることだ。
だが維持されるだけでも駄目だ。標準化が尊敬されるには、それが有効であることを実証し続けなければならない。人は昔すごい仕事をしただけでは尊敬されない。今でもすごいと思われなければならないのである。

今日は砲兵工廠での講義である。今回のテーマは標準化についてだ。
ところで伊丹の講義の最初の数回の聴講者は、砲兵工廠の製造部門の下士官や兵士が主であったが、今では砲兵工廠の各部門の士官と下士官が主たる聴講者である。それに近隣の工場や大学の先生、更には海軍工廠から聞きに来た士官もいる。講義する立場としてはうれしいどころか責任重大である。
今日の講師は上野である。もちろん伊丹も同行している。

上野
「標準化というのはなにものについても、あまりたくさんの種類を作らず、基準になるものを決めてそれを使うようにすることです。標準化の対象はなにかといえば製造する物も対象ですが、作業方法や使う工具や刃物なども対象です。
世の中に同種のものでも、いくつもの種類があるものがあります。例えば小銃の弾丸といってもひとつではありません。6.5ミリ、7.7ミリ、ご存じのように7.7ミリには2種類あります。 弾丸 機関銃になると7.7ミリ、7.9ミリ、12.7ミリ、13.2ミリ、20ミリこれは長さが4種類あります。(注4)
もちろん理由があるから種類があるわけですが、製造や供給するのがそれだけ複雑になります。場合によっては弾も銃もあるけど合わないから使えないということも起こるかもしれません。
これらの種類を減らせば、つまり標準化すれば、管理も減るし利便性が向上するでしょう。もちろん簡単にできるわけではありません。
そういった形ある物だけでなく、物を作る方法とか手順も標準化を考えなければなりません。
なぜ作業方法を標準化するのかとなりますと、これは明確な理由があります。
今、ある作業をしているとき、人によってやり方が違うとします。現実に現場を見れば同じ仕事であっても、人によって方法が異なるのは普通のことです。
でも考えてみてください。複数の方法があっても、最善の方法はひとつだと思いませんか。早く出来上がる、品質が良い、疲れないという方法はひとつだけのはずです。であれば作業を管理する者とすれば、一番良い方法をみつけて全員にその方法を取らせるべきです。
例えば旋盤で加工するとき、最初に切り込み何ミリにする、2回目は何ミリ、最後にバイトを替えて何ミリ削って仕上げるというふうに作業指示をすれば人による違いは少なくなるでしょう。また作業者は使う刃物とか加工順序を考えることもありません。
新人が入ってきても、教えることははっきりしています。最終的に全員が同じ方法で速く良いものを疲れないで作れることになります。
もちろん最初に作業標準を決める時、現状を良く把握していちばん適切な方法を選ばなければなりません。そしてまた旋盤でしたら作業者にバイトを研削させたりするのではなく、バイト研削専門の担当者をおいて標準化されたバイトを旋盤工に供給する条件整備が必要です」


上野の話が一旦途切れた途端、質問というか意見が飛ぶ。

藤田中尉
「話を聞くと立派なことだが、それは管理者側が技能を持っていなければならないということだ」
上野
「聞くところによりますと、工廠では一つの仕事が何日でできるか見積もるのが難しいとのこと。というのは仕事の方法を把握していない、あるいは仕事を指導することができないからではないのでしょうか」
木越少佐
「確かに、仕事の実際は職長や職工に任せているわけだ。我々管理者が作業条件を指示できるほど知識も経験も技能もない。そして実際の加工条件を把握するということは・・・なかなか難しい」
上野
「管理者が作業を事細かく知り、作業を指示することで、真の管理ができるはずです」
後堂少佐
「加工時間ばかりではないのだよ。職工に払うお金をどう決めるかということもある。現時点では出来高払いというのもあるし、職長が出してきた時間を元にということもある。そういうあいまいなことでなく、この仕事はどれだけの時間がかかるからこの金額が適正であるという形にしたいものだ」(注5)
藤田中尉
「管理側が作業を細かく指示できれば良いけど、実際にはそんなことができる技師も技術士官もいないよ。実際の仕事は職工でないとわからないんだ」
伊丹
「技師や技術士官が自分が作業できなくても、作業をみて、その中から最善の方法を選ぶことはできるのではないでしょうか」
藤田中尉
「我々が調査しようとしたとき、時間をかけて仕事をされても、我々はそれに気づくかないよ」
伊丹
「自分がやってみて手順を決めるという発想はないのですか?」
藤田中尉
「自分がですか・・・私も技術士官なんて職務についていますが、技術はあっても技能はありません。まして機械加工から熱処理から塗装から、なにからなにまで知っているわけではありません」
伊丹
「まずは実際の仕事をやってみたらいかがでしょう」
藤田中尉
「えっ、実際にですか・・・うーん」
木越少佐
「伊丹さんができると思うなら試してみようじゃないか。具体的には伊丹さんが作業の手順を決めて、それで未経験の者に教育してやらせてみる。その結果、経験者と同じくできるかどうか見てみたいね」

全員が伊丹を見つめる。
伊丹は顔色を変えない。

伊丹
「よろしいでしょう。では実験の手順を決めましょう。
まず木越少佐殿に対象とする作業を指定していただきます。
それを私が観察して手順や要領を決める。
私が未経験者に作業指導をする。
その作業者に仕事をさせて、以前から従事している作業者とかかった時間や仕上がりを比較する。
こういうことでよろしいですか」
木越少佐
「結構だ。作業はなににしようか? 黒田軍曹、今生産状況とか品質で問題だというものがあるか?」
黒田軍曹
「そうですね。それじゃ最近、生産に入った探照灯の部品はいかがでしょうか。扶呂戦争で、我が軍が闇夜に突入した時、呂支亜軍が探照灯で照らして応戦した話をご存知と思います。現在我が軍も探照灯を各部隊に配備するようただいま生産中です」
木越少佐
「探照灯は分かるが、どの部品のどの作業を対象とするのだ?」
黒田軍曹
「探照灯は電気製品でして、筐体にスイッチや電線の接続などの表示を印刷するのですが、それを、ええと・・」
藤田中尉
「シルク印刷だ」
黒田軍曹
「そうです、シルク印刷といいまして、木枠に貼った絹を通して印刷するのです。ほんの数年前に江戸小紋などの印刷技術を応用して発明されたそうです」(注6)
木越少佐
「それはむずかしいのか?」
黒田軍曹
「むずかしいのかどうか、ともかく今は工廠にその印刷ができる者がおりません。それでその仕事があるときは染屋から職人に来てもらっております」
木越少佐
「よし、それにしよう。そいじゃ次回、来月の講義までにその作業の標準化を考えてもらいたい。なにごとも口だけじゃだめだ。やってみてナンボだ」
伊丹
「承知しました。実際の仕事の見学とか私が実験する場所などは軍曹殿とお話すればよろしいのでしょうか」
黒田軍曹
「承知しました。準備は私がします」


講義を終えてから、伊丹と上野は黒田軍曹と相談する。

黒田軍曹
「いやあ、伊丹さんには無理を言っちゃいましたね
木越少佐殿もここで絶対権力があるわけではないのですよ。伊丹さんのアイデアを採用したことを批判されたりもしてましてね・・今日はちょっと虫の居所が悪かったのでしょう」
伊丹
「いえいえ、お気遣いなく。私も口だけ男などと言われては沽券にかかわります。このくらい片づける自信はあります」
黒田軍曹
「そいじゃ、まずは時間と場所ですが・・・先ほど申しましたように毎日仕事があるわけではないのです。それで・・」

次回は来週、工廠に職人が来て印刷するという。そのとき見学すること。
また印刷の道具、印刷する品物などは、その翌日にも黒田軍曹が準備して伊丹が印刷できる体制を整えるということになった。
さすが職人に手ほどきを受けることはできないという条件を出された。伊丹は了解した。


会社に戻った二人は会議室で話し合っている。

上野
「伊丹さん、大丈夫ですか?」
伊丹
「大丈夫って、何を心配しているの?」
上野
「だってシルク印刷というのは話にありましたが開発されてここ数年だというじゃありませんか。専門書もないでしょうし、大学の先生だって知らないでしょう」
伊丹
「おいおい、たかが職人がしている仕事だよ。よく見て重要なところを見極めれば難しいものではないだろう」
上野
「ほんとうに大丈夫ですか?」
伊丹
「失敗したところで砲兵工廠の仕事がオシマイというわけでもないだろうし、そうなったところで明日から食うに困るということもないよ。心配するな」

上野は心配そうな顔をして自分の席に戻っていく。
伊丹も内心、これは失敗できないなと思う。とはいえそんなに深刻とは思わない。

その週末、伊丹は現代の東京に行ってスクリーン印刷の入門書を探した。いささか卑怯かもしれないが、自習することがルール違反ではあるまいと伊丹は思う。そもそも木越少佐はルールなど決めてないのだから。
スクリーン印刷の基礎、トラブル対策の本、スクリーン印刷を使ったポスター制作の3冊を買い求め、一読すれば大体のことは分かった。要するにゴムヘラ(スキージ)の選択、溶剤の選択とインクの調整が肝で、あとは落ち着いてやれば大丈夫だろう。
正直言えば、実際にスクリーン印刷をしている人に指導を受けたかった。しかし週末のためにスクリーン印刷をしている知り合いを捕まえることができなかった。


翌週、伊丹は上野を連れて砲兵工廠に行く。
そして染屋の職人が印刷するのを見つめた。印刷物は縦30センチ、横50センチくらいの塗装した鉄板で、スイッチや電線の通る穴がいくつも開いていて、そこにスイッチ、入/切などの文字を印刷するのだ。伊丹から見ると、どうってことのないものである。

職人は黒田軍曹を知っていたが、伊丹と上野がどういう立場かは知らない。見学する二人に、これは難しいんだとか経験がいるとか軽口を叩きながら仕事を始める。
始めてみればインクが詰まったり滲んだりして、30枚ほど刷るのに数枚不良にした。伊丹が見て、熟練した職人とは思えない。
黒田軍曹の話では不良品は塗装を剥離して塗りなおせば良品になるという。ただこれでは今回の生産予定の30台はできないなと口をへの字に曲げる。
とりあえず印刷完了すると、職人は道具を洗いさっさと帰って行った。

上野
「伊丹さん、どうです?」
伊丹
「こんなもの、どうってことないよ。
軍曹殿、ちょっと試してみてもいいですかね?」
黒田軍曹
「えっ、もうやってみるのですか? 伊丹さんが練習する物がまだできてないのです」
伊丹
「ご心配なく、この失敗したものにしてみましょう」
黒田軍曹
「そんなことできるのですか?」
伊丹
「この上に紙を置いて試し刷りをしてみます」
伊丹は印刷をミスった品物の上に白い紙をおいて周囲をノリで止めた。
注 セロテープが現れるのは1947年、絆創膏ができたのは1921年である。

伊丹
「さっきの様子を見ていると、印刷する面と布地の隙間が数ミリになるように調整していたな。それからインクの固さだが・・こればっかりはやってみないと・・」

伊丹はスクリーンの上にインクを広げて刷ってみる。緊張と無縁の伊丹の態度に上野は驚いた。
スキージを動かしてスクリーンを上げると、印刷文字は滲みもなく詰まりもない。

伊丹
「こんなものかな。特段難しいとも思えないが、彼はどうして印刷不良を出したのか?
インクが均一な粘度じゃないからか、とすると溶剤とインクをよく混ぜてなかったのか?
滲んだのは布地を拭いたシンナーが乾かずに濡れていたのかな?」

伊丹がブツブツいう。何度か紙を取り換えて印刷してみて納得したようだ。
それから伊丹はノートを取り出して作業条件、作業手順をメモし、道具や器具などをスケッチした。
上野と黒田軍曹は、そんな伊丹を大丈夫かなという顔をして眺める。

伊丹
「黒田軍曹殿、大体わかりました。来週でも私が手順をまとめてきますんで、それでうまくいくかどうか試したい。そのとき教育する担当者も一緒に印刷の練習をさせたいですね」
黒田軍曹
「ほんとに大丈夫なんですか?」
伊丹
「大丈夫、大丈夫」


翌週である。砲兵工廠に伊丹と上野が来ると、黒田軍曹は印刷する準備していた。
教える相手はなんと由比上等兵であった。
伊丹
「由比上等兵殿、ご無沙汰しています」
由比上等兵
「私が伊丹さんの指導を受けます。よろしくご教示ください」
伊丹
「難しくないですよ。実を言って私も今日が初めてなんですが、なにごとにも初めてってのはあるもんです。
それじゃこれが印刷の手順と要領です。では説明しますから一緒に読んでみましょう」

由比上等兵だけでなく上野と黒田軍曹も伊丹から手順を書いた紙をもらい、一緒に伊丹の話を聞く。ひとつの動作ごとに1項目にまとめて、何をするのか、その目的、注意事項、良否の判断基準、簡単なコツが記してある。まさにサルでもわかるようにである。
それから道具類の確認に移る。伊丹は由比上等兵にひとつひとつ説明する。そして疑問がないかと尋ねる。
黒田軍曹が準備した品物をみると、なんと実際の製品が数十個ある。
伊丹
「軍曹殿、これって実物ですよね、いいのかなあ〜、それにこんなにたくさん?」
黒田軍曹
「先日の伊丹さんのご様子は自信たっぷりのようでしたので、今回生産分と先週、職人が出した不良分も印刷してもらおうかと思いました。ヘヘヘ。今週は職人を呼ばなくて済みました」
伊丹
「アハハハハ、仕上がりには自信がありますが、そいじゃ少佐立ち合いで実施する分がなくなってしまうでしょう」
黒田軍曹
「ご心配なく。そのときはそのときで」
伊丹
「そいじゃあ、由比上等兵殿、始めましょうか。
最初は私がこの手順を読み上げながらしますから、私のすることを見てください。
そのあとに上等兵殿に手順を読みながらやってもらいます」

伊丹が一項目ずつ読み上げながら作業をしてみせる。伊丹以外の面々はちゃんと印刷できるのか心配だったが結果は問題なかった。
ちなみにスクリーン印刷は素早くしなければならないと思っている人がいるが、印刷していれば乾燥棚車の移動とかあるわけで、泡を食うほど急ぐことはない。
伊丹が数枚印刷した後に、由比上等兵に代わる。最初はおっかなびっくりの由比上等兵であったが数枚も印刷するとすぐに慣れて全数刷り終えた。黒田軍曹がみるところ、先週職人が来て刷ったときより早く仕上がりも良いように思えた。なによりも不良がない。
終了後の片づけ、スクリーンの洗浄なども伊丹は由比上等兵に丁寧に教えて、やらせてみる。
伊丹
「そいじゃ次はみなさん立会いの下でお披露目ですね」


その2週間後、恒例の講義であるが、今回はまずは全員、伊丹の指導したスクリーン印刷を見てからということになる。
工場の片隅に、染屋の職人が待っていた。黒田軍曹は担当者に命じて準備をさせる。
首尾は職人が印刷したものは30枚中5枚不良、由比上等兵が印刷したもの30枚中不良なしであった。職人はそれをみてまずそうな顔をしていたが、何も言わずに立ち去った。
その後、全員教室に移動する。

黒田軍曹
「本日はご覧になられたように、伊丹さんがまったく経験のないスクリーン印刷について手順を作成し、弊方の由比上等兵に指導して実施させるという実験というか試行を行いました。
では今回の試行について意見交換をしたいと思います」
木越少佐
「木下藤吉郎と上島主水の槍試合は藤吉郎の圧勝に終わったか、あっぱれである、アハハハハ
ところで伊丹さん、まさかお前さんは以前このシルク印刷というものをしていたわけじゃなかろうな?」
伊丹
「それはありません。そもそもこの方法が発明されてまだ数年だそうですし、この国でシルク印刷をしているところがいくつもあるとは思えません」
木越少佐
「なるほど、言われてみればその通りだ」
藤田中尉
「じゃあ伊丹さんはどうして技量を身につけたのですか?」
伊丹
「職人がすることを見学しました。どんなことをするのか、順序、力加減とかコツと思われるものは何かなど、
それからシルク印刷についての記事を探しました。いくつか見つかりましたが、要はインクも塗料も接着剤も同じです。塗膜形成要素を溶剤で溶かし、希釈剤で薄めるというだけです。ただ気温や湿度とのかねあいと溶解度に配慮が必要というだけです」(注7)
藤田中尉
「そう言われてもピンときませんが、塗装も印刷も基本は同じということですか?」
伊丹
「そうです。基本を知っていれば、シルク印刷も塗装も接着も隙間のシールもみな同じです」
後堂少佐
「うーん、伊丹さんのお話を聞きますと相当広い知識をお持ちのようですね」
伊丹
「とりあえず、シルク印刷の指導というか作業の標準化について話しましょう。
まず私はシルク印刷についてはまったくの素人です。私がしたことは職人がシルク印刷をしているのを観察し、記録しました。それによって作業手順と使用する道具、コツらしきものはわかりました。
見学したとき職人が数個不良を作りました。そのときどんな状況であったのかも記録しました。また拝見していましたら印刷したとき、手順がいつも同じではありませんでした。なぜ順序が違うのか、それも考えました。そしてあるべき順序というのを推定しました。また不良が起きた状況から原因を推定して、それが起きないような方法を考えました。
それから各動作順に書き出し、それぞれの注意点、コツとおぼしきものをまとめました。それがこれで、これを由比上等兵に見せて、私がこの通り実行するのを見てもらいました。私もシルク印刷をしたのはその時初めてです。その後、由比上等兵に実際にやってもらいました。由比上等兵はもちろん初めてでしたが、不良を出さずに実行できました。本日は由比上等兵にとって2回目です」
後堂少佐
「イヤハヤ、たいしたものだ、」
伊丹
「驚くことはありません。今回の試行というか実験で示したかったことは、誰だって職人がしていることを観察すれば、その仕事の手順と要領をつかむことができるということです」
木越少佐
「だがそれが誰にでもできるとは思えない。そもそも職人同士でさえ先輩の仕事を盗むことは容易ではない」
伊丹
「それは先輩は自分のテクニックを隠そうとするからです。そうではなく先輩は持っている技術技能を後輩に教えようとするならば、誰でもたやすくその技を身につけることができるでしょう」
木越少佐
「それには賃金体系とか人事処遇も合わせて考えないとどうにもならんな」

うそ800 本日の疑問
先輩が後輩を指導するというのは当たり前のように聞こえる。しかしそれが正しいことなのか、いささか自信がない。
かって技は盗むものと言われた。もちろん先輩は盗まれないようにする。刀を焼き入れするときの水の温度を知ろうと手を入れた弟子の腕を刀で切り落した刀鍛冶の話を聞いたことがある。そこまではしないだろうけど料理人などでは今でもそういう関係と聞く。
その対極で懇切丁寧に指導したら後輩はしっかり学ぶのかといえば、真剣さが薄れるだけかもしれない。私はNCプログラムとかシルク印刷とかもちろんISO認証などを、自分がカットアンドトライで学んだ。後輩ができたとき、自分が苦労して得たことを教えようとしたが、誰もまじめに聞かなかった。これは人徳がないからだろうか?

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注1
小集団活動(サークル活動)は今でも盛んだと言われるかもしれないのでひとこと、
確かに21世紀の今でも広く行われているが、1980年代初めが最盛期で今は半数に減っている。
参考文献 「1990年代以降における日本の小集団活動」小川慎一、2011
注2
continualとcontinuousは意味が大きく異なる。
ISO14001でcontinualを継続的と訳したのは誤訳であると思う。
continual
ときどき、あるいは定期的に何度も発生すること。
オオカミが一晩中吠えているような状況。
日本語では普通は断続的というのではなかろうか?
オオカミ
continuous
時間が経過しても中断せずに継続すること。
コンピュータのファンがずっと音をだしているような状況。
冷却ファン
注3
手順、基準を無造作に口にする人が多いが中身を理解しているだろうか?
手順とはprocedureの訳でa way of doing something, especially the correct or usual way つまり何事かをするときの常套手段とか正しい方法のことだ。
黒沢 正一とおっしゃるセンセイが「手順とは段と序」と書いていたが、あれはダジャレだったのだろうね? もし本気ならいささか心配だ。
証拠「2004年改訂対応ISO14001やさしいガイドブック」黒沢正一、ナカニシヤ出版、2005、p.63にその記述がある。
基準とはstandardであり、the level that is considered to be acceptable 適合とする水準である。
注4
オットーメララ127ミリ砲 日本の場合輸入品から始まったという理由はあるが、制式採用のだけでも種類が多い。それは現在も同じで艦砲といっても米軍系とイタリアのオットーメララ系があり、自衛隊も大変だ。

護衛艦「こんごう」の主砲はオットーメララ⇒
注5
参考文献 「科学的管理法の日本的展開」佐々木聡、1998、有斐閣
注6
スクリーン印刷、俗にシルク印刷というものは、日本古来の捺染技術をヒントに1907年に英国人サミュエル・シモンが1907年に特許を取った。そんなに古くからあるものではない。
注7
私はいろいろな仕事をしてきた。見よう見まねで始めたスクリーン印刷もベテランになった。某中堅成型メーカーに指導に行ったこともある。
この文章を書くにあたり、オフハンドではいけないと昔使った参考書を探し出しました。半世紀も前の本ですので、紙もインクも劣化していてボロボロです。机上が剥落した細片でひどいありさま。まあ掃除機をかければいいんですがね
 「塗料と塗装」児玉正雄他、パワー社、1973
 「スクリーン印刷ハンドブック」日本スクリーン印刷技術協会、1973

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