異世界審査員20.標準化その1

17.09.11

*この物語はフィクションです。登場する人物や団体は実在するものと一切関係ありません。
但し引用文献や書籍名はすべて実在のものです。民明書房からの引用はありません。

異世界審査員物語とは

私が高校を出て最初に就いた職場は製造現場である。何も知らない私は周りの人たちを作業のプロだと思った。半世紀も前のことだから自動化ラインとかNC機械などはない。旋盤とかフライスなど人間が操作する単能機である。だけど実際の売り物を作っているわけだからプロ、本職と思うのは当然だ。右も左も知らない私はそういう先輩の仕事を見て真似をした。真似せずにはなにもできない。
人に歴史あり、
おばQにも髪があった
時代もあるのだ

だが半年もすればおかしいと思うようになる。塗料の配合をしている人をベテランだと思っていたら、硬化剤の割合を間違えて大量の不良を出した。本当はビュレットを使うことになっていたのを目勘でやっていたという。
ある工作機械の一部のボルトを締めるときはトルクレンチを使うことになっているのに、手加減で締めてミスした先輩(?)もいた。
二回りも年上の人とよく休憩時間に一緒になった。その人も私もタバコを吸わないので、喫煙者から離れて座っていたのだ。その人がいろいろ話を聞かせてくれた。戦争から復員して就職したが、誰も仕事を教えてくれない。入社当時のこと、何という機械か忘れたが幅数センチ、長さ30センチくらいの直刃を取り付けてカンナのように削る機械があった。その人は刃を取り付けろと言われた。でも説明も何もない。どうすりゃいいのかと何時間も考えていたそうだ。通りかかった人が、それを取り付ける時はダイヤルゲージを使って機械と並行をだすのだと教えてくれたそうだ。周りの人は誰も教えてくれなかったと語る。ひょっとして教えてくれなかったのではなく、教えることができなかったのかもしれない。
私はそんな職場で先輩(?)のすることを盗み見てなんとか仕事を覚えようとした。おかしいと思いつつ、ほかにどうしようもない。
一、二年後、製図の仕事に就いた。そこでは過去の図面を何百枚か写図をさせた後、さあ今日から本チャンだという感じである。教育システムなんてない。門前の小僧、習わぬ経を読めという乱暴な方法である。
こんなことでいいのかと思った。その後10年くらい経ち、現場監督というか下級管理者になったとき、私は自分の職場の仕事を一つ一つその手順を5W1Hに細かく文書化していった。もちろん実際に私がしてみて、漏れがないか、間違いがないか、その手順でやれば問題ないのかと何度も試した。そしてそれに基づいて教えて仕事をさせるようにした。
塗料配合をしている人がいた。当時、強制乾燥設備はなく、その人は空模様を眺めて、溶剤(ソルベント)や希釈剤(シンナー)の種類を選び配合比を決める。それはその人しかできないと言われていた。だれもそのテクニックを知らない。その人は悪い人ではなかったが、自分の技を教えようとはせず、自分はすごいだろうという態度をしていた。
当時、私は現場の有機溶剤濃度を測定していたので、そのついでに数か月のあいだ日々の温湿度と、その人が調合する塗料をガスクロで分析し溶剤と希釈剤の種類と割合を記録した。結果は、日々の温湿度と配合比は関数関係にあった。勘だけでそれをしていたその人が素晴らしい技量があったのは間違いない。しかし達人しかできないのでは工場管理上困る。私は種々の塗料について、温湿度と溶剤、希釈剤の配合表を作り、それで塗料配合をさせた、別の人に。そして問題は起きなかった。それだけでなく従来より改善したのは、溶剤、希釈剤の割合と乾燥時間の表も作ったことである。もう乾燥不良も起きない。
元の担当者には異動してもらった。恨めしい目で見られたことを覚えている。義理と人情の観点からみれば私は冷たいと思うけど、管理者としては適切だろう。特定の人しかできない仕事があっては困るし、技術技能を出し惜しみする人はいらない。
振り返ると、ISO9001が制定された1987年のはるか以前から、私が勤務した仕事すべてにおいて、標準化、文書化、それに基づく教育というのをやってきた。誰かに教えられたわけではなくすべて手探りである。自分が考え実行し監査し是正してきた。まさに劇団ひとり、ひとりISOである。そんな私がISO審査員から、手順は決めていますか、文書化していますか、などと聞かれるとは笑止千万

伊丹と上野が会議室の黒板の前で話をしている。先週砲兵工廠で木越少佐から、次回は標準化の話をしてくれと要求された。それで今日は次回どう進めるかの打ち合わせである。

上野
「標準化といいましたが、標準化とはなんですか? いやそもそも標準とは何ですか、話を聞いていると、ふつう使っている標準という言葉とは意味が違うようです」(注1)
伊丹
「まあどんな言葉でも、分野において特有の意味で使われることはあるからね。
一般に工業においてはなにごとかについて決められたものが標準で、標準を決めることが標準化だね」(注2)
上野
「なにごとかと言いますと?」
伊丹
「まずは製品がある。この前、鍛冶屋の納期改善があったじゃないか。草刈り鎌を作るにも、人の手の大きさとか刈り取るものが違えば刃先の形とか切れ味とか大きさを変えていたといったね。でも調べてみたら言うほどの違いはなく、せいぜい数種類あればよいことが分かったと言ったね」
鎌
上野
「はい、いろいろ調べると、鍛冶屋が思っていることと実際は違うのですね。最初はお客様一人ひとりに合わせて違う鎌を作っているような話でしたが」
伊丹
「もちろん思い込みもあるだろう。だけど調べてみればそんなに多様性はないだろうね。人間の手が倍も違うことはないだろうし。だからある程度の種類があれば間に合うだろう。皆が満足できる範囲で種類を減らせれば標準化ができる」
上野
「そういえば以前は軍艦も同形艦というのはあまりなく1隻ごとに違いましたが、最近は同じ形のものを何隻も作っていますね」
伊丹

「そう、それが標準化だ。標準化するとどんな利点があるだろう?」

*本当を言えば、日清日露戦争当時は保有している艦艇数が少ないため同形艦がなかったということだろう。

上野
「同じものを製造すれば慣れてきて製作時間がだんだんと短くなりますよね」
伊丹
「そうだ、それを習熟といい、1台目より2台目は時間が半分になり、累積生産が2倍になるごとに2割から3割コストが減っていくと言われる」
上野
「となると種類を減らして同じものをたくさん作ることが最善ですね」
伊丹
「とはいえ軍艦などは大量生産するものではない。仮に毎年1隻作っていて5隻目の頃には時代遅れになってしまうこともある。だから標準を固定してしまうことが良いとも言えない」
上野
「なるほど、よくわかります。それからいつも同じ仕事をすればミスもなくなります。同じことでしょうけど品質は安定します」
伊丹
「そのほかに能率向上がある。これは上野さんの専門だね」
上野
「能率向上となると思いだしたのですが、先日伊丹さんは作るものを標準化するだけでなく、作業方法も標準化しなければならないとおっしゃいましたね」
伊丹
「そう、具体例として・・・・近頃は南条さんがお昼を作ってくれるからここで食べているけど、ここに来た頃は毎日お昼になると、近所の食堂を食べ歩いていた。
出てすぐの路地を曲がったところに蕎麦屋があるでしょう」
蕎麦
上野
「はい、ありますね」
伊丹
「あそこのオヤジはいつも店の中、客の見えるところで蕎麦を打っているんだよね。眺めたことはあるかい?」
上野
「いえ」
伊丹
「あのオヤジの動きを見ているとさすがだと思う」
上野
「伊丹さんは蕎麦好きで、お眼鏡にかなったのですか?」
伊丹
「私は蕎麦なんて特に好きなわけじゃないし、どういう蕎麦打ちが正しいのかわからないよ。
そういう観点でなく作業能率の観点からさ、まさに上野君の専門だよ」
上野
「はあ?」
伊丹
「今度、南条さんに昼食を断って、お昼は蕎麦屋で食べてごらん。参考になるよ」
上野
「もうすぐお昼ですね。ちょっと食べてきますよ。続きはお昼休みの後にしましょう」


昼休みが終わってまた伊丹と上野が集まる。

伊丹
「蕎麦屋のオヤジを見て気が付いたことはありましたか」
上野
「私は蕎麦には全くの素人でして、蕎麦打ちが上手いか下手かはわかりませんでした。ただ思ったのはオヤジの動きには無駄がないなということです」
伊丹
「無駄がないというのは具体的にはどういうことになりますか? 上野さんは能率技師ですから具体的に言えるでしょう」

*能率技師とはその当時、経営コンサルタントのこと。

上野
「うーん、そうですね、手を動かすときに逡巡がないというか、物を取ろうと手を伸ばした先に道具がなかったとか、あるものを取ろうとして気が変わって別の道具をとるということがないということとか・・」
伊丹
「なるほど、それは別の言い方をするとどうなりますかね?」
上野
「なるほど、能率を考える時は細かく明確にそして原因を突き止めるわけですね」
伊丹
「感覚ではダメだと上野さんが言いましたよね」
上野
「そうですね、逡巡がないということは、次に何をするのかということがしっかりと頭に入っていて使う道具を理解していること、どこにそれがあるかを把握していることになりますか。まとめると、実施手順を理解している、必要なものがどこにあるかを把握しているということです」
伊丹
「後半は、ものは常に定めたところに置くと言い換えるべきかもしれませんね」
上野
「なるほど、人間が主体的に置くわけですからね」
伊丹
「私も蕎麦屋のオヤジがベテランだと思ったのもそれです。特に後半ですね。仕事している職人をみると、一人前になると道具を置く場所が変わりません。道具から手を放すとき1寸のずれもありませんね。彼らは難しい理論じゃなくて、そういうのを体で覚えているんです」
上野
「伊丹さん、現場の能率向上を図るときは道具類を同じ場所に置けということですね」
伊丹
「そうです。我々としては、常に同じところに置くようにさせることです。例えば作業台に工具類や部品を置くところを白線で描いて、そこからはみ出さないようにさせるという手もあります」
上野
「しかしそこまで細かいことを言うと、作業者に嫌がられるかもしれませんね」
伊丹
「それによる効果を理解させれば嫌がられることもないでしょう」
上野
「なるほど、伊丹さんのおっしゃる作業の標準化とはそういうことですか?」
伊丹
「もちろん置き場所だけではありません。一番はもちろん作業順序です。右手で工具を取り、左手で部品甲を取り部品乙の上においてというふうに細かく決めます」(注3)
上野
「うーん、ますます作業者に嫌われそうです」
伊丹
「考え方だけどね、一つの仕事を複数の人がいろいろな方法でしているとする。そのとき一番上手な人がいるはずで、まずはみんながその人の方法でやってみるべきだろう。それが標準化だ。
そのとき真似をするなら徹底的に真似するんだ。そしてそれよりも良い方法が見つかったなら躊躇なくそれに切り替える。そういうことを先日説明したと思うが」
上野
「とはいえ、そこまですると人の気持ちを無視というか・・・」
伊丹
「能率改善を指導する人は信念を持つべきでしょうね。それは単なる金儲けとか生産を上げるということではありません。働く人を楽にするのだということです。
作業改善とか能率改善は、仕事する人を、ラクをしたい、面倒なことはさせない、仕事のミスをなくすためだということを自分自身が信じ、ほかの人にも信じさせなければならないでしょう(注4)
上野
「私はそこまで考えたことはありませんでした」
伊丹
「すべての仕事は道に通ずるといいますが、私たちが日々働くのは仏の教えを実現するためです。能率改善だって同じでしょう。ムダをなくす、負荷まあ苦しみですかそれを減らす、より人間らしい仕事をするように変えるわけです」

上野は伊丹の言葉を聞いて、単なる能率改善とか作業改善を目指すだけの人ではないなと感じる。明らかに上野よりも一枚上手というかレベルが違う。

上野
「伊丹さんのお話では作るものの標準化や方法の標準化だけでなく、そのための背景というかインフラも標準化しなければならないということでしたね」
伊丹
「そうです。一度にいろいろ話すと考えが飽和してしまうかもしれません。
しかし標準化とは創造性を押さえつけるとか人間性をなくすものではないということも忘れないように。標準化とは何のためにするのかという目的を思えばわかるでしょう」
上野
「顧客は互換性のある品質の安定したものが手に入る、働く人は仕事が楽に安全に技能の向上が図れる、管理者は品質、能率の安定、が図れる」
伊丹
「そいじゃ、上野君もやる気が出てきたようだから、次回の砲兵工廠の講義は君にしてもらおう」
上野
「ええっ、とんでもありません。伊丹さんは私に教えてくれたことの数倍の知識経験があるわけです。私の聞いたことだけでは薄っぺらな講義にしかなりません」
伊丹
「その通りだ。剣道三倍段というからね。私は講師三倍学と言っている。
講義で話すことの三倍くらいの知識がないと質問されたときの対応にも困るだろう。でもあと20日あるのだから、上野君が事例を考えたり想定質問に備えておけば大丈夫だよ」

うそ800 本日のご苦情
某氏からご苦情をいただきました。
異世界審査員の毎回のタイトルが内容と全然関係ないじゃないかとのことであります。
まあ、なんといいましょうか、やはり人間ができていないからでありましょう。もう今からやり直しは無理ですので、生まれ変わったら頑張りますとしか・・・

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注1
私は標準とは、明治時代にstandardの翻訳語として作られた言葉だと思っていた。しかし明治以降に使われるようになった漢語のリストをみると標準化とか標準型というのはあるが、標準そのものはない。また芥川龍之介、有島武郎、石川啄木らは1910年代の作品で、"標準"を普通の言葉として使っている。ということは標準という言葉は明治になって作られたのではなく、過去からあったことは間違いない。
ただ彼らが小説の中で使っている標準は今工業で使われているニュアンスとは違う。となると外国で規格や基準として使われていたstandardを訳すときに元からあった標準を充てたのではないかと思う。
なお、standardとは元々は軍勢を集める時に目印として掲げる旗であった。その後、貴族や国王の旗や紋章の意味になり、規則や法律の意味となり、原器や基準の意味になった。
注2
JISZ8002:2004における標準化の定義
実在の問題又は起こる可能性がある問題に関して、与えられた状況において最適な秩序を得ることを目的として、共通に、かつ、繰り返して使用するための記述事項を確立する活動。
注記1 この活動は、特に規格を作成し、発行し、実施する過程からなる。
注記2 略
注記3 旧JISZ8101では"標準化"を"標準を設定し、これを活用する組織的行為"としている。この意図するところは注記1と同一である。

なお上記規格の”付属”において"標準"とは
a)関連する人々の間で利益または利便が公正に得られるように、統一し、又は単純化する目的で、もの(生産活動の産出物)及びもの以外(組織、責任権限、システム、方法など)について定めた取り決め
b)測定に普遍性を与えるために定めた基本として用いる量の大きさを表す方法又はもの(単位、原器、ゲージ、見本など)
と解説している。
注3
ギルブレスがサ−ブリック分析を唱えたのは1915年、この物語よりも遅い。ということは世界的にまだ作業を細かく分析するという発想はなかっただろう。
注4
「おはなし社内標準化」緒方健二、日本規格協会、1979、ISBN4542901122を参考にした。


外資社員様からお便りを頂きました(2017.09.11)
おばQさま
改めて異世界審査員の時代背景を見たら、昭和ではなくて、1912年頃 大正の始め相当なのですね。
始めに、国会議事堂のことがあったので、カンチガイしておりました。
となると時代は米国でT型フォードの月産が1万台を超えた頃で、「テイラー・システム」の向こうを張って日本で生産合理化や標準化ができれば、日本も質を上げる工業化が期待出来るのですね。
国内の時代背景を考えれば、この後 「日呂戦争」で膨らんだ軍事費を削減するために、軍縮が始まると思います。
史実では、職業軍人が大量失業して、この失業対策のために学校教練の教官として送り込まれる。
階級でいえば大隊長クラスが、失業して学校で生意気盛りのティーンに馬鹿にされながら指導する屈辱的な状況。
山本夏彦氏は、軍縮で軍人をいじめたから、国民は226、515で仕返しをされたと言っております。
もし異世界で生産管理システムが導入されていれば、これらの軍人は民間企業の品質管理や生産管理の指導ができるのかもしれません。 そうなれば生産現場の底上げができるのですね。
史実では軍縮で浮いたお金で、師団の近代化、具体的には戦車や機動兵器(トラック等)の導入、時代遅れのライセンス兵器の一新など、後に批判された時代遅れ師団体制を確信する、立派な計画(軍備整理要領)は存在していたのです。
なぜ出来なかったかといえば、国産メーカが不在で、大正時代から陸軍(政府にあらず)が必死に補助金を出して工場を作らせ、国産トラック、乗用車などを作らせたが生産数は少なく、結局 タクシー、トラックも結局は輸入が頼りの結果に。
裾野の工業力、品質管理能力と経験の欠如が、ダメ兵器を生んだ主因だった。
当時の陸軍でも、先を見据えた計画があったが、負けてしまったから陸軍は批判されて抗弁(いくら指導しても国産では出来ないじゃないか!)もできませんが、異世界ではよい展開ができるのではと期待しております。

外資社員様 毎度お世話になっております。
この物語の開始時点は明治末期と想定しています。明治天皇崩御、第一次大戦はこれからとしています。
日本はそれほどではなかったですが、第一次世界大戦での総力戦によって国民すべてが戦争に参加する事態になり、品質管理、品質保証が広まるというお話にしようかと思っております。
外資社員様のおっしゃるとおり、
 裾野の工業力、品質管理能力と経験の欠如が、ダメ兵器を生んだ主因だった
アメリカの科学的管理法とか流れ作業などの開始時期をみると、日本とそんな差がないのです。もちろん資源の問題はありますが、もうちょっと頑張れば技術的遅れはもっと何とかならなかったのかなと思うのです。
とはいえ化学工業、マザーマシンなどベースを考えるとやはり歴然とした差はあったのでしょうか?
1960年代末期、自由化だと恐れおののいたとき、GMとトヨタの差は10倍でした。でも40年間で追いつき追い越しました。1910年に10倍の差があっても1940年にはなんとかならなかったのかと?
とはいえ、それをいうならアメリカは日本がそうなるのを恐れてハルノートとなったわけですから、まあならなかったのでしょうね。日本が頑張れば頑張るほど反力も強くなって結局どうにもならなかったのかもしれません。
ただ内部的には陸海の軋轢とか砲熕兵器や銃弾の標準化と品質管理、輜重の重要視、輸送船護衛戦術などの改善を図ればもう少し兵隊の悲劇は救われたのかなと思います。戦わず戦死ではどうしようもありません。
とはいえ過去を嘆いてもしかたありません。今の日本が、近隣諸国(特定アジア)にどのように対応するのか、どのように戦うのかというのを戦略から考えていかねばなりません。
田原総一朗が「北朝鮮のミサイルは挑発や暴挙ではない、米国への講義のメッセージだ」と語って北朝鮮を弁護したそうです。
それを言うなら、過去の北朝鮮の悪事の数々、そして条約や協議をことごとく破ってきたことをどうみるのか、サヨクの論理はわかりません。こんなぼけ老人が日本に物申すとはちゃんちゃらおかしいと思います。
北朝鮮に金を払って核ミサイル発射するのを止めてもらうべきと語った有名人もいます。イヤハヤ

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