つまらない話 2007.07.22

以前くだらない話というのを書いたが今日はつまらない話である。
私はつまらない話しかしないが、本日の話は特につまらない、通常の3倍つまらないことを保証する。
3倍というのは意味がある。それはこれから説明する。

私はいろいろな講演会に行くし、また恥ずかしながら自分が講演会や説明会で講師を務めることもある。
『おばQの講演じゃあ誰も耳を貸さないよ』とおっしゃるあなた、あなたは正しい。
しかし、私の話の目的は、人を導くことではなく、不眠症の方々にしばしの安息の時間を与えることであり、その目的実現のために一生懸命なのである。
いや、本当を言えば、話の内容や質はともかく、私の話はおもしろいという評判である。だから居眠りする人は他の方に比べれば少ないのではないだろうか。
なぜか?それは顧客満足を目指して、自分が話したいことではなく、皆さんが聞きたいことを話すからである。
どうせ学校の授業ではない。義理で来たとか、忙しい毎日だけどたまには一息つきたいという方のためと考えている。
もちろん私の語ることにうそはない。

つい先日、某所で某協会主催の廃棄物の法規制の解説を聞きに行った。私のようなベテラン(?)でも情報や知識を常に取り入れないと時代にいけないのは言うまでもない。勉強しなければ話すことが枯渇してしまう。
それはともかく
日本の最大の環境問題は廃棄物である。京都議定書でもないし、騒音でもないし、公害でも熱帯雨林でもない。廃棄物がもっとも身近でかつ国家的な大問題である。少し拡大解釈すれば、土壌汚染も地下水汚染も、

moudoku.gif
PCB

PCBもダイオキシンも、今が旬のアスベストも変化した廃棄物問題である。だから環境に関わっていますというからには、日本の廃棄物問題について、現状、法規制、今後の動向について一応は知っていないと恥をかく。
もしあなたがISO14001事務局ですとか、環境配慮設計が担当ですといっても、廃棄物を知らないと失格です。そして製品配慮設計といっても廃棄物問題の応用問題というか廃棄物発生予防設計と言い換えても良いのです。もちろん廃棄物以外の省エネなどもありますが、とりあえず、
ともかく環境と廃棄物は密接な関係にあります。
講演を聴いていたが、まあ講師の語ることのほとんど全部は私の知っていることであった。というか基本的なことしか話をしなかった。どの分野でもそうだが、法律・施行令・施行規則で定めてる範囲については、疑問はおきようがない。法令(法律・施行令・施行規則)には日本語でしっかりと書いてあるから、小学校で国語を習ってきた人はちゃんと読めば分かる。
しかし現実は法律で決めていない状況とか、予想されていなかった状況というのが起きる。一体どうしたらいいんだろう? と頭を抱えてしまうのである。廃棄物についても同じである。
『教科書にないっ!』なんてマンガがあったが、教科書に書いてあることがそのまま現実にないのが普通である。
私はあらゆることに貪欲で『教科書にないっ!』のようなエッチマンガも真面目な本も同列です。
現実社会には教科書に書いてないことしかないというなら教科書は無駄か?といえば、そうではない。
何事も基本がなければ応用はない。囲碁で定石はずしをとがめるには定石を知っていなければならない。

だが、廃棄物関係の講習会とか講演会というのは、だいたい基本的なことしか説明しない。廃棄物契約書を締結しましょう。マニフェストを交付するんですよ・・なんてことばかり
その契約書だって行政の出しているひながたの空欄を埋める程度のことしか説明しない。
「契約書の文言が甲乙となっているけど、乙にだけにしてはダメなの?」 「契約期間が1年になっているけどそれより長くしたらだめ? 短くしたらダメ?」なんていう非常に初歩的な簡単な質問にさえ教えてくれない。
man6.gif 講師が知らないというのが正解かもしれない。
話を戻す。
先日某所の廃棄物説明会でも同じ事態であった。まあどっちにしろ私は暇つぶし、片目をつぶって聞いていた・・・両目をつぶっていたのではという声が聞こえたが・・・そうだったかもしれない 
すると受講者の中から質問があった。
正直言って質問の中身は忘れてしまったが講師はそれに応えることができず、ふにゃらふにゃらと言い訳していた。
私はまた片目をつぶってしまったが、頭は動き出した。
講演であろうと、新人に仕事を教えるにしても、教室で教えるにしても、教える内容と自分の知識がイコールであったら教えることができるはずがない。
たとえば掛け算九九を教えるとしてその周辺、九九を知っていればどういうメリットがあるのか、どういう使い方ができるのか、知らないとどういう時困るのかとか知っていないと、教えるということはできないだろう。携帯電話にさえ計算機がついている現代に、掛け算九九を覚えることが必要なのかと生徒から聞かれたら、待ってましたと回答できなければ、掛け算九九を教える以前に教師に対する尊敬を得られないだろう。
ということは皆さんの同意を得られると思う。
さてそういうわけで、一般の講習会で講師は受講者の何倍くらいの知識が要るだろうか?と考えたのである。
つまらないことを考えるものである 
受講者といっても初心者から講師と同等の方までいる。では解説することがらの何倍くらい知っているべきかと言い換えたほうが良い。つまり講演会、講習会で100のことを語ろうとするならば、講師はその何倍くらいの知識というか力量がなければならないかということである。

私はズバリ3倍300だと考えた。
講習会というのは想定される受講者のレベルより高いことを言わないと意味がない。もちろん受講者にもいろいろあるが、受講者の平均レベルより講義の内容が高くないとならないことは当然である。しかしレベルが高ければ良いかといえばそうでないことも自明である。どんな分野でも聞いて理解できない話をいくら聞いてもまさに馬の耳に念仏・・・時間の無駄である。
だから講義のレベルは受講者の平均的レベルの5割り増し150くらいのレベルが良いのではないだろうか?
5割り増しというと変だが、知識の量で5割り増しと想定しよう。
これより上だと消化不良になり、これより下だと来た甲斐がないと苦情が来る恐れがある。

さて、5割り増しの講義をすると仮定したとき、講義内容に関してレベルの高い受講者からも一般の受講者からも質問が来るだろうし、もっとわかりやすく説明してほしいという要求もあるかもしれない。もっと突っ込んだことを教えて欲しいという要望もあるだろう。これに対応するためには、講師は更に知識・情報を持っていなければならない。
さて何倍の知識量が必要か?
私はこれはズバリ2倍あれば良いと考える。
講演でいくつか事例を説明したとして、説明がわからないあるいはもっと他の事例を教えて欲しいといわれたとき、隠し持った持ちネタが顕示された説明資料と同量であれば十分対応できるだろう。そして講演以上に質疑時間があるはずがない。
あるいは質問者のレベルがこの講演の目的以上なので、本日はここまででご了承くださいという手もある。
よって5割り増しの二倍で三倍の知識があればよく、言い換えると三倍の知識がないと役目を果たせない。

昔から攻城戦においては攻める側は守る側の3倍の兵力が必要といわれている。攻撃側はそのくらいの余剰がないと対等の闘いができない。
講演も話す側は見方によれば攻める側である。聞く側は守る側であり、講師が話すことの何についてでもちゃちゃを入れることができ、かつ自分の方は知識レベルを問われないというアドバンテージがある。
そんなことを考えると講演側が説明する内容の3倍の知識・情報を持っていないと対等といってはおかしいかもしれないが五分に議事を進行することはできないという論にご賛同いただけるだろうか?
言い換えると、講師は公演内容の3倍の知識・情報がなければ講師を引き受けないことである。
すると今日の講師は力量不足、あるいは主催者の配役がミスキャストであったのだろう。
そんな結論にたどり着き、私は安心してまた眠りについたのである。

昔、梶原一騎のマンガに剣道三倍段(けんどうさんばいだん)という言葉があった。剣道は竹刀を使うから他の武術と試合をする場合、剣道初段が柔道や空手の三段と渡り合えると書いてあった。
剣道などしたことがない私には、本当かどうかは知らない。
しかしここで新しいトリビアが生まれた。

講師三倍学

(こうしさんばいがく)
インターネットで三倍段を探すと「指導者三倍段」というのがあった。
意味するところはこの拙文と類似だが、学問や講演内容に段位というのはそぐわない。やはり三倍段より三倍学の方が適しているのではないか? といってもダジャレの域を出ない。
さてはじめに戻る。
本日の駄文にみなさまがつまらないと思ったかどうか? しかし私は皆様のつまらなさの三倍のつまらなさのエネルギーを投じたのである。



ふっくん様からお便りを頂きました(07.07.25)
3倍のつまらなさ
つまらない話・・・なるほど、3倍の事柄を知らなければ講師は務まらないですか?
何を持って3倍と考えるのか、それに関する知識なのか?それとも説得力なのか、もし知識量は同じでも説得力やディベートの能力の長けた人なら3倍の知識量と思われるかもしれませんね。もっとも基本的な質問に答えられないのは論外かもしれませんが…。
私の知っている人には、知識量は大してないけどディベートでそれをカバーしている人もいます。
私も以前、小学生1年〜6年まで全ての人対象に宇宙の話をしましたが、どのレベルに合わせるか(しかも小学校の理科では殆ど教えていないらしい)ずいぶん悩みました。なんとかわかり易く簡単な分野に絞って話をしたんですがそれでもその後、マセタ子供が「どうやったら銀河ができるんですか?」などと小難しい質問などしてきて…困りました。
答えたけど、本当に彼は理解したのかな?それとも単なるからかいでしょうか?
まぁ、それはともかく…いつも思うのですが、講演会の受講料って高いですよね。あんな話で○万もらえるんだったら、俺が喜んで話をしてやるよ…って思うことが多いです。ちょっと分をわきまえない発言かもしれませんが、そのようなご経験はないですか?
(ちなみに私は小学校などでの話は原則ボランティアなので…(笑))
ふっくん様 毎度ありがとうございます。
ディベートというのは言い回しとか表現力という意味でしょうか? 通常講演会などで正式なディベートというのはないでしょうから?
そうですね、知ったかぶりで口先でつくろうというというのもありでしょうね。でも講演会なんかですと、聞くほうも一人前ですからボロを出さずにはすまないような気がします。
しかし「どうやったら銀河ができるのか?」とは究極の質問ですね。
それは天文学というより哲学というか宗教のカテゴリーであろうかと・・・
回答できる方がいるとは思えません。

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