異世界審査員29.ダイヤルゲージ

17.10.12

*この物語はフィクションです。登場する人物や団体は実在するものと一切関係ありません。
但し引用文献や書籍名はすべて実在のものです。民明書房からの引用はありません。

異世界審査員物語とは

最近技術史に凝っている。技術史といっても読みが同じ技術士ではない。いつどこでどんな技術が考えられたかとか、どんな機械が作られたか、というようなことである。

具体例として鉄道線路の幅はいつ決まったのか、ということを考えてみよう。
鉄道の線路の幅(軌間)は幾種類かある。世界の主流で日本でも新幹線や私鉄の一部で使われている標準軌と呼ばれるものと、JRを始め多くの私鉄で使われている狭軌と呼ばれるものが多い。私が子供の頃は新幹線は広軌と呼んでいたが、JRになってからは世界基準に合わせて新幹線を標準軌と呼ぶように変わった。

軌間

1435〜1500mmも広軌に入るわけだが、実際には存在しないようだ。

実は技術史の本を読んで知ったのだが、この標準軌や狭軌の寸法が決まったのは、昨日今日のことではないそうだ。昨日今日じゃなくて19世紀だとか18世紀だというのでもない。
古代インドのハラッパ遺跡に轍の跡があり、その幅は現在の狭軌とは数ミリしか違わないという(注1)。ハラッパの遺跡は紀元前1700年から3300年くらいらしいから、狭軌の歴史はなんと4000年になる。
標準軌のほうはそれほど古くない。イギリスで見つかったBC300年頃の物が最古らしい。
秦の始皇帝が轍の幅を決めたというのは有名な話だ。しかし始皇帝が生きたのはBC247-210、ハラッパやイギリスよりも歴史が新しい。ハラッパの轍の幅がインドから中東を経由してギリシアに伝わり、さらにローマまで伝わったのに、より近い中国に伝わらなかったというのは荷車や馬車が中国までこられなかったからなのだろうか?
ともあれハラッパで荷車を作った大工(?)は、己の仕事が世界中に伝わったことを知れば最高に幸せだろう。もっともその大工は後世に残そうとか自分の決めた寸法で世界を征服しようとかではなく、単にその時その長さの材料しかなかったとか、そんな理由だったのだろうと思う。
ISOMS規格はどうかと振り返れば、たった四半世紀の間に4回も改定、しかも内2回は大幅改定しているわけで、そんなくるくる変わる標準では4000年も伝えられ使われるはずはない。

ところでなぜ技術史に興味を持ったのかと言えば、この小説もどきを書くために関係書籍を読み始めたことである。何か書くにもいいかげんに想像だけでは書くことができない。この品物は100年前にあったのか、この計測器は?、この理論は?、となると調べなければならない。
そして調べると、へえと思ったことは片手ではきかない。
標準偏差が考えられたのはたった100年前の1894年というのだから、1910年のお話に「2σで管理する」と書いても、その文章が意味を持つとは思えない。それに日々数字を計算するのに計算尺もないからソロバンで2乗や開平をしなければならず、それは至難の業だろう。実際に統計的品質管理というものが実践に使われたのは先進アメリカでも1930年代後半だ。日本ではもちろん戦後である。
ノギスが普及したのはいつか、計算尺が使われるようになったのはいつからか、そんなことを調べるときりも限りもない。
そして調べることがまた面白くなってきた。市の図書館にある技術史という分類にある本は全部読んだ。とはいえ技術史の分類でもほんとに技術史が書いてあるのは10冊くらいしかない。あとは老技術者の自叙伝とかwindowsOSの現代史などである。
ともかくノギス、マイクロメーター、ブロックゲージ、平削り盤などが、いつどこで誰によって作られたか・発明されたかを調べた。メジャーな計測器や工作機械はウィキにもあるし、それについて書いた書籍や論文もあった。
しかし発明の経過が見あたらないものも多い。
あなた、ダイヤルゲージがいつ発明されたか、いつ頃実用化されたかご存知でしょうか?
計測器 ブロックゲージとかマイクロメーターなどと違い、ダイヤルゲージとなるとググっても発明者とか製作者のご芳名も年代も、論文や書籍も引っ掛かからない。もっとマイナーな計測器になると、ウィキに項目さえない。
好奇心オーバードライブ、アフターバーナーの私は、ダイヤルゲージを作っている会社とか、大学の技術史の先生に問合せしました。でもそういうのを研究したり、資料を集めているところってないですね。「技術というよりも単なる一製品だから技術史の対象じゃない」なんてお言葉をいただいたこともあります。
しかし最近アメリカのグーグルで検索すると、日本語より多くの情報がみつかることが分かりました。日本のグーグルで「ダイヤルゲージ+歴史」で検索してもろくなのが見つかりませんが、アメリカのグーグルで「history of dial gauge」で検索するといくつか引っ掛かりました。とはいえ検索で出てきた結果が2ページしかないのですから、ゼロではないが情報が少ないのは変わりません。
まあ、日々そんなことをして好奇心を満たしております。幸いにしてお金はかかりません。
そういう情報を集めると結構面白いです。おっと面白くない人も多いでしょうけど、人は人、自分は自分、多様性を尊重しなければ。どこかの政党も多様性なんて言ってましたが、党内も多様性に満ちていて分裂しちゃいましたけど

ある朝のこと、定例会議が終わって皆が立ち上がったとき、藤原が伊丹に声をかけてきた。

藤原
「伊丹さん、ちょっと相談いいですか?」
伊丹
「ナイショ話ならここで伺いましょうか」
藤原
「実を言いましていろいろやりたいことがあるのですが、やっていいか悪いか判断がつかないのでご意見を伺いたく」
伊丹
「深刻な話ですか?」
藤原
「いえいえ、そんなことじゃありません。だいぶ前、こちらに初めて来たときに伊丹さんが、こちらの世界には具体的な物を提供することはしてはいけない、情報だけ提供するようにとおっしゃいましたね」
伊丹
「ああ、そういうことですか。そうですね、一律的に断定はできません。個々の事例によって良し悪しを判断しなければならないでしょう。まず基本的にこちらの世界のものではなく、別の世界から来たものであると分かってしまうものはだめでしょう。
具体的には製造年月や製造会社名が刻印された銘板の付いている機械を持ち込むとか、まだこの世界で発見されていない理論を使った機械、例えば電卓とかはまずい。
だけど高精度ではあっても計算尺ならいいと思います。もちろん銘板なしで」
藤原
「今現場で指導しているのですが、やはり測定器を何とかしたいなと感じます。まず基準となるブロックゲージが欲しいですね。それからダイヤルゲージ。
実を言って私の工場に加工用で使っていたあまり精度の良くないブロックゲージ、多少歯抜けがありますがワンセットあるのですよ。それとダイヤルゲージをいくつか持ってきて使わせたいのですが」
伊丹
「私個人としてはダメと言いたいですが、私の意見だけでも拙いでしょう。
ここの総意という意味で工藤さんにも入ってもらっていいですかね」
藤原
「その方が良ければ」

伊丹は工藤を呼んできていきさつを説明した。

工藤社長
「お話はわかりました。そちらの世界のブロックゲージをもってくるのではなく、藤原さんが向こうで自作して持って来たらどうですか。この世界で高精度のブロックゲージはいらないでしょう。ノギスやマイクロを校正できる程度でよいのではないかな」
藤原
「私が作ったのでは、まともなブロックゲージより誤差がふた桁み桁大きくなってしまいます(注2)
工藤社長
「いやいや、百分の一ミリレベルいいんですよ。それ以上の精度は必要ありません。測定面の仕上げもリンギング(注3)するような面を、こちらの世界では作れるはずがありません。表面仕上げも山三つくらいでいいんですよ(注4)
藤原
「わかりました。そういうことでしたらそれなりの物を作ってきましょう。
それとダイヤルゲージも欲しいのです。これは単に削り出すだけでなくメカニズムがありますから、現物がダメとなると、作るのは簡単ではないですね」
ダイヤルゲージ
伊丹
「ダイヤルゲージというものは、もうこの時代に存在しているのですか? いや私は正直知らないのですが」
藤原
「以前、伊丹さんから技術史を勉強しろと言われましたので調べました。アメリカで1883年というから今から30年ほど前に特許がとられています。
ただ長らく物は作られておらず、ドイツのアッベ博士が1890年に製作して1904年頃から市販したとありました。欧州では一般企業で使われ始めているようです」
伊丹
「外国では6年前に市販されているのか・・・砲兵工廠にはなかったね」
藤原
「ありません」
工藤社長
「それは機械加工には必須なのですか?」
藤原
「必須とは言い切れませんが、あればものすごく重宝しますね。実際有用だから外国で作られ使われているわけです」
伊丹
「ブロックゲージは藤原さんが作ってくれれば、それだけで間に合うでしょう。しかしダイヤルゲージは1個2個では仕事にならない。何十個と必要になるでしょう。ですから単に入手するだけでなくこちらで継続して製作できないとまずい。
こうしたらどうだろう。細かな細工は砲兵工廠には不向きだから、時計屋に作らせたら」
工藤社長
「時計屋?」
伊丹
「銀座に半蔵時計店という会社があったと思います」
工藤社長
「ああ、昔は販売だけだったけど、10数年前から掛け時計と製造しているそうだ」
伊丹
「今では懐中時計とか目覚ましも作っているそうです。そこなら小さな歯車とかスプリングを作るのはお手の物ではないかと思います」
工藤社長
「分かった、そういうことなら我々ではなく砲兵工廠の藤田中尉あたりから製造依頼をした方がいいんじゃないかな。軍の仕事となれば本気を出すだろう。よし、そいじゃ次回藤原さんが砲兵工廠に行くとき、私も同行して砲兵工廠から開発依頼をしてもらうようにしましょうや。
いずれにしても藤原さんが作ったり、あるいは実物を持ち込むことはありませんよ。まあサンプルでもそれとなく半蔵時計店に見せるってのはアリかもしれませんが」
藤原
「なるほど、ではそのように」


工藤たちとの話の結果、藤原は21世紀の自分の工場でブロックゲージを作った。
フライスであらましを作り、知り合いのところで研削盤を借りて仕上げた。
あまりいろいろな長さのものをそろえることはできないので、数種類の長さを組み合わせて5セットほど作った。精度は10ミクロン程度で、21世紀ではそれをブロックゲージというのはおこがましいが、100年前では十分通用するだろう。平面はリンギングできるほど平滑ではないが、以前砲兵工廠で見かけたものよりははるかに良い。
ケースがないと格好がつかないと知り合いの大工に木箱を作ってもらう。
とりあえず基準となるものは作った。


木越少佐
何か面白い話
はあるのか
砲兵工廠へは工藤と藤原の二人で出かけた。
木越少佐はいくつもの部門を統括しているわけで、新世界技術事務所の相手をすることはないのだが、彼らが来れば必ず何か面白いことがあるのは知っているから必ず顔を出す。
ということで木越少佐、藤田中尉そして黒田軍曹が対応する。
藤原は黒田軍曹に何も言わずにブロックゲージを渡した。藤田中尉と黒田軍曹は一目でその価値を見抜いた。
ゲージブロック
藤田中尉
「ほう、これは・・・・藤原さん、精度はいかほどですか?」
藤原
「俺が作ったんでね、そんなに精密じゃない。せいぜい0.01ミリというところかね。もっともそれは室温が20度のときだよ。10度も違うと0.01ミリは伸び縮みするからね」
黒田軍曹
「いやいや、すごい精度ですわ。今使っている工廠の基準尺は百分の2とか3と言われていますが、実を言って誰も検証できません」
藤原
「今度からノギス類はそれで校正といか検査をしてほしい。まあノギスは百分の5だから温度を気にすることはないよ」
木越少佐
「それはプレゼントというわけか? つまりただかという意味だが」
藤原
「もちろんです。少しでもお役に立てばと思って私が作りました。もっとも寸法測定は私の所ではできませんから専門のところで測ってもらいましたが」
木越少佐
「藤原さんが作るところを見たいものだ」
藤原
「それは勘弁してください。手の内を見せてはオマンマの食い上げです」
木越少佐
「それはそうだ」
工藤社長
「実はお願いがあるのです」
木越少佐
「なんだ?」
工藤社長
「藤原が新しい計測器の案を持ってまして、それを作るのは藤原にも砲兵工廠でもちょっと難しいのです。それで私どもからではなく砲兵工廠から製造依頼をしてもらえないかということです」
木越少佐
「どういった計測器なのだろう」
ダイヤルゲージ
藤原
「ダイヤルゲージといいまして、欧州では数年前から使われだしたそうです。ノギスやマイクロメーターのように寸法を測るのではなく、変化を測るのです。この先端を対象物に当てて振れを測ったり、変化量を測ったりします」
藤田中尉
「この先端を当てれば回転軸の振れが目盛りで読めるのですね?
用途はいろいろありそうだ。旋盤の往復台に付ければ並行度がわかる。スタンドに固定すれば部品の検査や選別にも使えるな」
藤原
「中尉殿には用途も使い方も分かっちゃいましたか」
黒田軍曹
「ぜひとも欲しいですね。でも確かに作るのは難しそうだ」
工藤社長
「そうなのです。藤原が外国の雑誌で見つけたのですが、その図面をみると小さな変化を拡大するのに歯車を使っていて、作るのはちと難しいそうです。それでお願いですが、砲兵工廠から開発依頼をしてほしいのです」
木越少佐
「どこに?」
工藤社長
「構造から言って時計屋が良いのではないかと思います。依頼するときは完成したら砲兵工廠だけでなく他の工廠も発注する。また一般の企業でも買うだろうと言えば食いつくと思うのです」
木越少佐
「わかった。藤田中尉、お前片肌脱いで藤原さんと時計屋に行ってこい。上手くいけば海軍工廠の連中に恩を売れるぞ」
藤田中尉
「いえいえ、片肌脱ぐどころではありません。これはすごいですよ。すぐに話をしてみます」


数日後、藤田中尉と藤原は時計会社の本社に行って図を示して試作を頼んだ。実を言って藤原は21世紀から現物を数個隠し持ってきて、時計屋の設計者に参考用にと内緒で渡した。
その技術者は構造図を見て「大したことありませんね。懐中時計の方が難しい」とのたまわった。確かに構造的には懐中時計などよりもひと桁部品が少ないし仕組みは簡単だ。問題は精度だ。
技術者の言葉は嫌味でもなく自信過剰でもないことはひと月後に実証された。試作品を測ったところ1回転の指示誤差は0.03ミリくらいだからこの時代としては十分だろう。
即座に砲兵工廠は100個ほど購入した。更に海軍工廠からも注文が入り、話を聞いた一般企業からザクザクと注文が入って半蔵時計店は笑いが止まらない。すぐに計測器部門を設けた。
ちなみに、ピーコックブランドのダイヤルゲージメーカーである尾崎製作所が創業したのは、このお話の6年後である。ミツトヨの創設者、沼田惠範がマイクロメーター製造の研究を始めたのはこの25年も後のことである。


砲兵工廠のある朝のこと、黒田軍曹が朝礼など一通り終えて自席に戻ると由比上等兵が待っていた。

黒田軍曹
「おはよう、なにかあったか?」
由比上等兵
「軍曹殿、問題発生です。先日、藤原さんが持ってきてくれたブロックゲージ5セットのうち、3セットが盗まれました」
黒田軍曹
「なんだと、よく探したのか?」
由比上等兵
「実は昨日夕方ないことに気づき、昨夜遅くまで関係者で工場内を探しましたがありません。ましてや一組の中の何個かではなく、箱ごと3セットないのですから盗難と判断しました」
黒田軍曹
「うわー、最悪だなあ。」

黒田軍曹は直ちに藤田中尉に報告し、藤田中尉は木越少佐に報告した。木越少佐もブロックゲージの価値は十分に理解していた。

木越少佐
「藤田、一刻も早く犯人を捕まえろ」
藤田中尉
「承知いたしました。憲兵隊に報告します。捕まえたら軍法会議ですか?」
木越少佐
「戦時じゃないから通常の窃盗で裁判所だよ。だけどさ、新世界技術事務所の連中に悪いことしちゃったな」
藤田中尉
「まったくです。ブロックゲージが何事もなく見つかるのを祈るばかりです」

犯人は数日後につかまった。工場ですごいものだという話を聞いた職工が、金になりそうだと盗み出し、大手の機械工場に持ち込んだのだ。買い取った企業は会社名などを記載していなかったので盗品とは知らなかったという。だけどこの時代、これほど精度の良い寸法基準があるはずがない。当然、大手企業か工廠からの盗難品だと疑うところだろうが、ブロックゲージ欲しさにそこは目をつぶったのだろう。憲兵隊もそこを追及できず窃盗犯のみ起訴してオシマイなった。

木越少佐
「今回は無事に戻ってきたが、これは管理の問題だ。これからは工廠への出入りに際しては身体検査あるいはそれに準じたことをして対策せねばならない。以前もノギスの盗難が多いと言っていたな」
黒田軍曹
「ハイ、その通りです」
木越少佐
「そういう問題があるなら、元から対策をしておかねばならんだろう」
藤田中尉
「少佐殿のおっしゃる通りです。早急に入退場者の許可、行動範囲の限定、身体検査などの方法を検討します」
木越少佐
「頼むぞ、俺もそう長くないんだからそれまで問題を起こしてくれるなよ」

少佐が去ると、軍曹が藤田中尉に話しかける。
黒田軍曹
「誠に申し訳ありませんでした。対策は数日中に立案し中尉殿に相談いたします」
藤田中尉
「頼むよ、少佐もあと1年か2年で定年だから、それまで大過なくと願うのもわかるよ」
黒田軍曹
「木越少佐殿も少佐でオシマイですか?」
藤田中尉
「オイオイ、他人ごとのようなことを言うなよ。昇進して中佐になれば定年は伸びる。
少佐殿を盛りたてて中佐、大佐にするのは俺たちの役目だぞ。彼のためというよりも俺たち自身のためでもある。俺も大尉までは自動進級だろうけど、その先は運もあるけど成果次第だ。軍曹だって軍曹で終わりたくないだろう。せめて曹長できれば准尉。階級が上になるほど定年も伸びるし俸給も上がる」
黒田軍曹
「アハハハ、中尉殿も冗談がきつい。そりゃ夢物語ですよ」
藤田中尉
「そうじゃないって、あのさ、伊丹さんがここの指導をするようになってたった1年で、不良は半減どころか2割程度まで下がってきた。組み立てだって調整作業とかが激減している。これからは藤原さんの指導で加工時間短縮と精度向上が進むことは間違いない。
そういう成果を積み重ね、俺は木越少佐をぜひとも中佐にしたいと考えているんだよ」
黒田軍曹
「藤田中尉殿はそんなに少佐殿のことを考えているのですか」
藤田中尉
「そりゃそうだよ。上が上がれば俺たちだって上に進めることになる。
しかし考えてごらんよ。あの伊丹さんて欲がないと思わないか。今まで改善したことは全部俺たちの成果にしてくれている。彼はいつもこの国が豊かになればいいというけど、まさに滅私奉公だね。
あれを見てると俺たちもそうとう頑張らないといけないね」
黒田軍曹
「分かります。我々も彼に応えなければなりませんね」
藤田中尉
「彼に応えるのではなく、努力は自分のためにやらなくちゃね」

うそ800 本日思ったこと
考えれば考えるほど、現代の知識を持って100年前に現れたとして、それを活用して金儲けをしようとか発明したことにしようと思っても簡単にいきそうがない。
例えばパソコンを作って大儲けなんて思っても、CPUをどうするか、メモリーはどうするか、ハードディスクはどうするか。モニターはどうする? 液晶も有機ELももちろんありません。それじゃブラウン管だといっても、秋葉原から買ってきてというわけにはいきません。ブラウン博士が陰極線管を発明したのが1897年、それを使った受像装置は1907年、走査線でテレビを実現したのが1925年です。パソコンを作るためにはそういった個々のパーツがそろわないとなりません。
工作機械の加工精度を上げようとしても、測定器がありません。ダイヤルゲージもない、ブロックゲージもない、恒温室もない、どうすればいいでしょうか?
物語をスタートしたときは伊丹がさっさと改善を進めて品質管理に進み、次は品質保証、目的地は第三者認証だと思ったのですが、技術というものは簡単ではないと実感しました。山を高くするにはすそ野を広くする必要があります。でもそれは一人ではできないし、一分野だけでもできません。
次は38式歩兵銃の更新用として自動小銃を開発しようと思うのですが、そのためには材料の均質化とか熱処理とか弾薬の開発などさまざまなハードルがあるわけです。まさかそんなこと新世界技術事務所の連中にできるわけがありません。困ったなあ〜

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注1
「新・機械技術史」日本機械学会編、丸善、2010、p.113
注2
ヨハンソンがブロックゲージを販売したのは1914年だ。
堀元義の「緋色の徽章」によると1940年頃、海軍工廠にあったものがミクロンの精度と書いてあったように記憶している。とすると1910年頃なら10μmなら立派なものだろう。
なおμmを「マイクロメーター」と呼ぶことは計量法上だめということを初めて知った。しかし「マイクロメートル」なんて呼ぶ人を見たことがない。
注3
リンギング(wringing)とは絞首刑の意味もあるが、ここではそうではない。
ブロックゲージは測定面(基準寸法の面)が鏡面仕上げとなっていて複数のブロックゲージを合わせると密着して二つのブロックゲージを合わせた寸法を作ることができる。これをリンギングという。
大正時代の工藤がリンギングを知っているはずがないなんて言ってはいけません。いや私もそう思いますよ。
注4
昔は仕上げ面の粗さの程度を▽の数で表した。▽はひとつからよっつまであり、俗に「ひと山」とか「ふた山」と呼んだ。今は数字で表す。

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