異世界審査員28.陽二の悩み

17.10.09

*この物語はフィクションです。登場する人物や団体は実在するものと一切関係ありません。
但し引用文献や書籍名はすべて実在のものです。民明書房からの引用はありません。

異世界審査員物語とは

人間誰にも悩みはある。私なんて悩みだけでなく、恨み、僻み、後悔、その他雑念ばかりでできている。確かに世の中は不公平もあるし思うようにいかないことが満ちている。一生懸命努力したつもりでも、人がそれ以上努力すれば劣後となるのは当然、いや人以上に努力しても、評価する者の目に入らなければ、目に入っても評価基準が違えばそれまでだ。まあそういうことがあれば当事者にとって悩みとなる。
人は価値観だけでなく、倫理観も行動規範も違う。他人の行動に納得できないことも多い。高校を出て会社に入り同期の仲間と飲もうとなったとき、一人だけ俺は用事があるから行かないと言った奴がいた。まあ、それはどうこうない。俺は酒を飲まないという理由でも納得するし、俺はお前たちとは飲みなくないという理由もあってよい。
だけどその数秒後、上司がそいつを飲みに誘うと、いやあ今日は飲みたい気分だったんですよと、もみ手して上司と一緒に退社していくのを見て唖然とした。そいつは同期に先んじて係長になり課長になった。私が奴の生き方を嫌い、奴の昇進を妬んだのは否定しない。しかしそ奴が速かったのは昇進だけでなく、40代にして病を得て早世した。こうなると妬むことも恨むこともない。仮に私が同期で一番に出世しても、一番早く死ぬのは嫌だ。

それから数年して2000年頃、私は鳴かず飛ばずでいたが、他は皆、私より職階が上になり羨ましかった。ところが突然(でもないか)リストラの嵐が吹きまくり、出世しない私も出世した連中も皆等しく吹き飛ばされ、それまでの立場がリセットされた。 虎より怖いリストラ 私は幸いいいところに引っ掛かり、楽しく定年まで働けたが、そうでない同期も多かった。

現役を引退した今、私は毎日が日曜日、フィットネスクラブに囲碁クラブ、老人クラブなどなど、仕事もせずに極楽とんぼのように生きている。そういったところで知り合った方には大手企業の事業所長だったとか、海外生産会社の役員だったとか、生涯一平社員とか、元自衛隊でも佐官から下士官まで、まあいろいろいるわけだ。生涯年収がいくら違っても、レクサスに乗っていようが軽に乗っていようが車がなかろうが、老齢の身ともなればなんの違いもない。

なにかのときに元同僚の名前を耳にすることもあり、近況を聞くこともある。幸せに生きていれば私もうれしいが、そうでない日々を送ってる人もこれまた多い。親の介護とかご自身が病気というのは大変だね運が悪いねと同情する。しかし投機とか詐欺とかで家屋敷をなくしたとか、息子が引きこもりで養うために70になっても働いているなんてのを聞くと、単純に同情できない。
つまるところ、悩みというものは自分自身の中にあるのだと思う。だから他人を恨むのは筋違いだし、自分の努力で解決できるものではない。人生万事塞翁が馬、良いときもあれば悪いときもある。良いときは驕らず、悪いときはめげずに、どんなときも同じ態度で生きていくしかないと思う。そして真面目に働き、正しく生きればそれでいいのだと思うようになった。正しく生きていれば必ず報われると思うなら、それは欲深というものだろう。死ぬときに己の人生に恥じるところがなければそれで十分だろう。

藤原が仲間に加わってふた月になる。最初は砲兵工廠で切削加工の作業指導をしていたが、その卓越した技能と指導方法によってまたたくまにその名が周辺の工場に知れ渡り、引く手あまたの状態である。管理改善とか品質改善というものより、作業指導というものは過程も結果も短期的・即物的で分かりやすいからだろう。
藤原は異世界の仕事が多忙で、21世紀の(有)藤原製作所は開店休業状態である。ただ以前、酒席で藤原が言ったように、現場での指導検討のために自分の工場で試験をするとか工具や治具を作ることもあるし、工藤の21世紀の税務署から疑われないようにとのアドバイスもあり、ときどき仕事もしている。
そんなこんなで、藤原はウツを脱した。伊丹の妻幸子は自分が描いた脚本通りとなってウフフ状態だ。
おっと、藤原は奥さんが昔の暮らしに難色を示したこともあり、21世紀から異世界に通勤している。藤原夫人は幸子と違い、女中を雇ってなにもしないのは性に合わないようだ。今も近くのスーパーでパートをしている。

代わり映えしないのが上野である。同僚が一生懸命改善指導しているわきで駄々をこねたり足を引っ張ったりということを続けている。工藤も伊丹も口をへの字に曲げている。藤原は最初の数日でそれを見てとり、上野には挨拶するだけで近寄らない。上野も藤原が伊丹や工藤よりはるかに年上なので食って掛かるようなことはない。
工藤は叔父という立場、伊丹は上司という立場で、いろいろとアドバイスをするのだが・・
そんなわけで上野の仕事がないから、伊丹は外に行くときは上野を連れて行くことが多い。今日は皇国大学の教授数人に指導というと上から目線で聞こえが悪いが、生産現場の技術進化とか作業改善による変化などの講義をしにいく。

月2回2時間程話をすることで1両いただけるのである。砲兵工廠よりは安いが、向こうのように結果を出さなくてはならないといことはなく、技術史をよく勉強して異世界の時代よりも少し先における発明発見や技術的成果・社会動向などを、己の予測とか研究成果として話している。
事の起こりは上野が大学時代の指導教員から工事管理の話を聞きたいということを持ってきたことがあった。(第23話)そのときは事情を話して断ったのだが、それなら一般論としてということになり、お話することになった。もちろんただではできないので料金をいただくことになり、1両(約12万円)は大金で一人では負担できないということになり、教授3人が聞くということで始まったのである。
講義 はじめの頃はズルをしているようでいささか心苦しかったが、今は気にならない。伊丹も食っていかなければならないということもあるし、そういう漠然とした情報提供でも、この社会の発展に寄与すると確信したからだ。
その結果、これが大学教授たちに気に入られている。伊丹は未来から来た強みで、どんな発明発見がされたのかを知っているからそのニュース報道を見つけて解説する、また今後5年後、10年後にどうなるかということを自分の研究結果として予測する。大学教授たちはそこから取捨選択して論文を書いたり新聞に予測を寄稿したりしている。彼らもそういったことで、伊丹の講演料の一人当たりの負担を軽く超えるリターンを得ている。

中央線の御茶ノ水駅ができたのはほんの数年前らしい。伊丹がこの世界に来てまだ1年だから、御茶ノ水駅がない時代は分からない。御茶ノ水駅から皇国大学まで歩いて15分、苦になるほどの距離ではない。21世紀なら本郷3丁目で降りればすぐだが、この時代は地下鉄がないし2キロくらいは歩くのが当たり前だ。それでも中央線が開通する前は上野から歩くしかないから結構な距離だろう。歩くことを嫌う現代人の伊丹は、昔の人はすごいと只感心する。
そんなことを考えて歩く伊丹の後を上野は付いてくる。

時計をみると約束の時間よりまだ30分ほど早い。大学の庭のベンチに腰を下ろす。

伊丹
「上野さん、懐かしいでしょう。もう卒業して5年くらいですか?」
上野
「6年(27歳)になります。最近同期とか同窓生の活躍を見ていると辛いです。砲兵工廠の藤田中尉は私よりみっつ下(24歳)のはずです。技術士官は任官してすぐに中尉、私の年になれば大尉でしょう。役所勤めになった仲間はもちろん民間に就職した連中も皆既に役職についていますしね」
伊丹
「上野さんは今の状況が不満なのですね。どういう立場とか職に就いていたら満足ですか」
上野
「うーん確かに現状に不満は不満なのですが、人と比べてとか肩書とかではないんですよ。自分が成長したと感じられたらいいなと思います。ご存知のように伊丹さんと会う前、私は専門学校で教えていました。そのときは学生よりはるかに経験があり能率改善ということの専門家だと思っていたのです。というのは専門学校の講師になる前は能率技師と名乗って、生産方式の改善などの指導をして成果を出しているつもりでした。
伊丹さんのご高名を伺って修業したいとこの会社に入りました。でも伊丹さんの下で働くようになって、勉強になるよりも、あまりにも自分の力がないことに気づいてしまいました。私のしていたことはほんとうに初歩の初歩だったのです。専門家どころか駆け出しに過ぎません。このままいても伊丹さんのようになれるとは思えません」
伊丹
「アハハハハ、そんなことですか」
上野
「いや私にとっては、重大で深刻です」
伊丹
「私は茶化しているわけではありません。自分のことを笑ったのですよ。そもそもというか元々私は作業改善とか管理改善の仕事をしていたわけじゃない」
上野
「へえ〜、でも作業改善のお仕事をしてから長いんでしょう?」
伊丹
「いえいえ、こちらに来てからですから、そうですねえ今の仕事を始めて10か月くらいでしょう。こちらに来て半年は建設工事の現場事務所してましたしね」
上野
「つまり今している作業改善という仕事はまだ始めて間がないということですか?」
伊丹
「そうですよ。だから今まで引き受けた仕事はみな、私にとって初めてのものばかりです。経験と言えば上野さんよりも短いですよ」
上野
「それで今まで依頼されて解決できなかった問題はなく、すべて客が期待した以上に達成してきたのですか。まさに天才ですね」
伊丹
「そんなことないですよ。考えるのです。必死に考える、与えられた課題を解決できなければオマンマの食い上げですから、石にかじりついても頑張るしかありません。
ただね、藤原さんのように長い経験と技能がないとできない仕事もあります。固有技術、わかりますか、機械加工とか塗装とか、私はそういうことはできません。
私が対象とするのは管理技術、それも会社の組織とか権限といった階層が高いことでなく、直接作業者に対して仕事をどのようにやらせたり、進捗を管理したり、あるいは品質をあげるにはどうするかとか、そういう管理技術をしてます。おっとそれが得意とか専門というわけじゃない、先ほど言ったようにそれも私の専門外ですが、私には固有技術がないからそれしかないということです」
上野
「私も頑張れば伊丹さんのようになれますかね?」
伊丹
「なれるかどうかは断言できません。ただ上野さんを見ていると、いろいろと考えているのは分かります。しかし考えるだけでなく、試行してみるということが少ないのではないですか。例えば問題解決策を大規模ではなく試験的にやってみて様子を見るとか、あるいは問題解決のための策が三通りあるとして、そこから先はいくら考えてもわからないこともあるでしょう。だったらその三通りを実際にやってみてどれがいいのかをはっきりさせる、つまり実際にやってみるという行動が足りないように思います」
上野
「伊丹さんはそういう時は実験をするのですか?」
伊丹
「もちろんです。失敗をしないためにはいろいろ試行しなければなりません。いろいろ試してみないでこれだと思い込んだことをやってうまくいかなければ、それは単に失敗でおわりです。三つ案があってすべて試してみて一つでも成功したら、それは成功です。
と話しているうちに時間になりました。そいじゃ行ってみますか」
上野
「伊丹さんは皇国大学の先生方のお話を聞きに来ているのですか?」
伊丹
「いやいや、その逆で恥ずかしながら私が講義をしています」
上野
「えぇ!ここの教授に教えているのですか?」


10人ほど入れる部屋に3人の男性が座っていた。上野は大学時代の指導教員であった教授もいることに気が付き、目礼をする。
伊丹は挨拶して話始める。

伊丹
「本日は前回の続きで科学的管理法についての話です。
科学的管理法とはアメリカのフレドリック・テイラーという人が考えた仕事の管理方法です。それはひとつの学問体系というよりも、いくつかの即物的な手法をまとめて称しているという感じでしょうか。テイラーはscientific managementと名付けました。でも欧州では新しい理論や法則などに発明・考案した人の名前を付けて呼ぶことが一般的で、普通テイラーシステムと呼ばれています。
おっと科学的管理法とは私が訳した言い方で、まだ日本には定訳はありません。既に日本にこれを紹介した人は複数おり、それぞれ科学的操業管理法、科学的経営法などと訳されています(注1)

伊丹はそんな話を口で語るだけでなく、配布資料を配ったり、黒板に図表を書いたりして進めていく。伊丹の話だけでなく途中質問が入り、伊丹と聴講者あるいは聴講者同士での議論や意見交換が続く。

教授A
「前回のお話では、科学的管理法というのは生産分野だけでなくいろいろと適用されているようですが、どのような分野まで適用できるものですか」
伊丹
「テイラーは事務作業についても研究しています。ただアメリカで事務作業というとタイプライターを叩くことも入ります。この国にはタイプライターはありません(注2)、こちらでそれに該当する仕事といえば種々文書の清書でしょうか。
じゃあ純粋な事務作業、例えば銀行や会社のホワイトカラーの仕事にも適用できるのかといえば、もちろん科学的管理法の対象にできるでしょう。それらの仕事内容が現在のように曖昧でなく明確に定められていれば、その管理も細かくできて能率向上が図れると思います」
教授B
「事務作業を明確に定めるとは具体的イメージがつかめないが、どういう?」
伊丹
「そうですね・・・・・教授には秘書とか事務員とかついてますか?」
教授B
「理学部とか工学部にはいますね、文系はいないようだが」
教授A
「私は工学部ですが、私個人ではなく研究室に一人いますね」
伊丹
「教授Bさんの秘書さんはどんなお仕事をされているのでしょうか?」
教授B
「雑用と言ってしまえば終わりだが、まず私だけでなく研究室の予定のまとめと通知、学会、会議、出張の手配、そうそう出張旅費をはじめとする費用の管理、切符や宿の手配、論文の清書、郵便や電話の受付・発信とまあいろいろあるねえ〜」
伊丹
「そういうお仕事はどのようにするかを、規則とか要綱と言ったものに定めてありますか?」
教授B
「決めていない。だから秘書が辞めたりすると大変なんだ。まずどんなことをしているか、それぞれの業務の内容と手順、他所の部門とのやりとり、相手部門だけでなく名前と顔が分からなくてはなにもできないしね。
普通は秘書が代わるときは引継ぎをするのでなんとかなっている。もし前任者が引き継ぎをしないで辞めてしまったりすると悲劇だね」
教授C
「私の所では半年前に前任者が病気で引継ぎをせずに辞めてしまったが、ノートに実施することを細かく書いていてくれたので、現在の秘書はそれを見てなんとかやっている。1年もすればベテランになるだろうね」
伊丹
「それでは雇い主というか上司が、秘書の仕事を把握していなければ、怠業しても判らない、残業する必要があるかどうかわからないということになりませんか?」
教授B
「それはあるね。ただそんな悪いことをしない人だと信じている」
伊丹
「おっと私は性悪説で言っているのではありませんよ。上司は部下を管理しなければならない。管理とはギチギチと締め上げることではありません。部下に適正な仕事を与え、部下が適正に仕事をしているかを把握し、支援することです。
もし部下の仕事が多すぎて過労とか精神的に悩んでしまったらそれは管理者が悪いのです」
教授C
「仕事が忙しいことを部下は喜ぶと思うがね。普通は仕事がないよりあった方が良いわけだから」
伊丹
「そりゃ喜ぶ人もいるでしょけど、部下を遊ばせるにしろ残業させるにしろ管理者の責任であることは間違いありません」
教授B
「伊丹さんはどうしたらいいと考えているのかね?」
伊丹
「言いたいのは秘書の仕事の内容と手順を明確にする。そして秘書はその手順を見て仕事する、管理者はその手順通りしているかを確認する、そういう体制を作る必要があるということです。仕事量と仕事の内容はもちろん月給と関連します。
ああ、内容と手順を明確にすれば、月々の仕事量が見積もれます」
教授A
「ええと、趣旨は分かったが、それと科学的管理法とはどういう関係になるのかな?」
伊丹
「科学的管理法というのは、仕事の内容を明確にして、そこで使う道具や手順を定める、それを教え習得させ実行させるということです。そしてそれ以外の方法で仕事をさせないことです」
教授B
「それ以外の方法で仕事をさせないとは・・・命じた方法が絶対正しいということか。確固たる自信がないとできんな」
伊丹
「命じた方法が正しいというより、定めた方法で実行できなければ、そもそも上司が命令するのがおかしくありませんか。上司がどうすれば実行できるかわからないけど、うまくやれというのは無責任です」
教授C
「定めた方法が最適でないかもしれないよ」
伊丹
「もちろんおっしゃる通り定めた方法が最適でないかもしれない。神ならぬ人の身ですからそれは仕方ありません。でもともかく初めは最適と考えられる方法を基本と定めることです。そして、それより良い方法が見つかれば躊躇なく良い方法に改定するのです。基準がなければ改善はできません」
教授B
「ちょっと頭に浮かんだ疑問だが・・」
伊丹
「はい、なんでしょう?」
教授B
「仕事の最適方法を定めたら、人がいらなくなるということにならないかね?
今仮に複数の人がそれぞれ好き勝手に仕事しているとする。その中で最善の方法を選びそれに統一すれば、現状よりも早く簡単にでき、その結果仕事量が減る。そうでなければ最善の方法じゃないわけだからね。されば今までよりも雇用する人が減るはずだよね」
伊丹
「おっしゃる通りです。外国でも科学的管理法の学会などにおいてそれは問題提起されていて、技術的失業と呼ばれています。
おっとそういう問題が提起されているというだけで、そういう問題が起きているわけではありません。今後起きるかもしれないということです」
教授A
「なるほどなあ〜、作業改善は善とは言い切れないということか」
教授C
「ということは改善してはいけない、科学的管理法を導入してはいけないということになる」
伊丹
「仮定の話ですが、同じ品物を作っている会社がふたつあるとします。甲社は仕事を標準化しそれを全員に遵守させたとします。その結果、1個100銭だったものを50銭でできるようになりました。乙社は従来通りの製法を続けたとすると100銭のままです。お客さんは100銭のものを買わず50銭の方を買います。
最終的に甲社は従来甲乙が生産していた量を全部を生産して売り上げは当初に同じ従業員も従来と同じ賃金をもらい、乙社は潰れ乙社の従業員は失業者になりました。となると会社は潰れたくなければ改善に努めなければなりませんし、従業員は失業したくなければそれに協力しなければなりません」
教授A
「そりゃまた単純化した強引な論理だねえ〜アハハハ」
教授B
「もし甲乙両社が改善を図れば両社とも売り上げは半減し、従業員は半分に後の半分は失業者だ。そりゃひどい。仕事の効率を上げることが善でなくともせざるを得ないということか」
教授A
「でも物価は半減し、購買力は同じだ」
教授C
「ここで善悪という価値判断を考えるのはおかしいんじゃないかね」
伊丹
「先ほど言いましたように、この問題は実際に起きるのか、そして本当に問題なのか、経済成長によって問題にならないのかと議論されているところで外国でも結論は出ていません」
教授A
「わかった、わかった。そこからは我々が考えなければならないということだね。
もう時間のようだが、今日伺っただけでも研究テーマは片手にもなる。次回までに我々だけで議論したいね。そこでまた伊丹先生と議論することにしようや」
教授B
「伊丹先生、今日のお話を基にして我々は自分の名前で論文を書いてもよろしいのですな」
伊丹
「もちろんです。私の語ったことについていかなる権利も求めないという契約条件で、この仕事をいただいております。
それともうひとつ改めて申し上げておきますが、私は出典を明示して話しております。当然先生方はその出典をご確認の上で論文あるいは講義を行ってください。それをせずに私の話だけを基に論文などを書いた場合に、私の責任を問われても困ります。種々の論文や報道をどう読むかどう理解するかは人によって異なりますから」
教授B
「それは承知している」


講義を終えて外に出ると、伊丹はベンチに座り上野にも座れと言う。二人の前をときおり皇国大学の学生が通る。皆、真面目そうで誇りに満ちた顔をしている。100年前の日本で帝大に通う学生は本当のエリートだったろうし、自分たちもそれを自覚していただろう。この世界の皇国大学も全国から優秀な人だけが集まっているはずだ。
だからこそ皇国大学を出て役所や軍あるいは大企業で活躍すればいいが、そうならなかった人は悩みも大きく深刻になるのだろうと伊丹は思う。

上野
「今日、伊丹さんの講義を拝見しましたが、伊丹さんはすごい人ですね。
正直に申しますが、私は伊丹さんが、理論ではとか、外国ではといった話し方をしないから、学問がないと思っていました。そうではなく理論も外国の事情も知っていて、しかもそれを難しく語るのではなく誰でもわかるように話しているのですね」
伊丹
「私は先輩から、数式と英語を使わずに話ができなくちゃ一人前ではないと言われましたよ。それと論文や報道あるいは書籍などを根拠として話していますが、それだけでなくそれを基に自分が考えたことがなくちゃ価値がありません。外国の事例とか先人の功績の紹介だけではだめです」
上野
「伊丹さんはそういう学問があるから作業改善ができるのですね」
伊丹
「そうではありません。あなたはなぜ能率技師をしているのか?
ああ、言い方を替えます。あなたは何のために能率技師をしているのか?」

注:能率技師とは現代の経営コンサルタントのこと、

上野
「それは能率をあげて仕事が速くできるようにすれば、この国は発展すると考えているからです」
伊丹
「それは大局的な観点ですね。同じことかもしれませんが、私は働く人の立場で考えています。つまりこの仕事を楽に速く簡単にできるようにすれば、みなさんの仕事は楽になるといつも語っています」
上野
「なるほど、人に愛情がなければならないということですか」
伊丹
「いや打算的かもしれないけど、改善というのは現状を変えることであるわけだ。人間は本来保守的です。だから現状を変えることに抵抗がある。国が発展します、企業が伸びますといっても誰が協力してくれる?
そうじゃなくて、あなたが楽になりますよ、疲れなくなりますよ、急な残業があると予定が立たず嫌でしょう。そういうのをなくしましょうと相手をその気にさせて自主的に協力してもらうのです」
上野
「伊丹さん、話を替えます。
質問ですが、なぜ伊丹さんは最新情報や未来予測を教授連中に教えているのですか? そして伊丹さんの名を出さずに論文にしてよいなんて」
伊丹
「簡単です。まず私が持っている知識や知恵でこの国がどんどん伸びてほしいということ、そのためには私が語るよりも皇国大学の先生方が論文を書いたり講義で教える方が、私以上の影響力があること。大学の先生もどんな新しい情報があるかを探すより私が語ることを聞いた方が手っ取り早いこと、私が有名になっても何の得もないこと、そういう理由から今のようにしているのさ」
上野
「なんだか伊丹さんだけが損しているように思えますが」
伊丹
「損してるわけじゃないよ。私もお金をいただいているわけだし。
学者なら名を残すことに意味があるだろうけど、私は単なる能率技師というか、ほんとを言えば品質保証屋だからね、私の欲というか願いはこの国の製品品質が良くなってほしいということしかないよ」
上野
「伊丹さんはそれで本望なんですか?」
伊丹
「それで本望というよりも、それが本望というのが正しいがねえ〜」
上野
「そういう菩薩のようなお方に、私がかなうはずがありませんね」

うそ800 本日考えたこと
私は田舎生まれの田舎育ち働いてきたから、都会なんて知らない。高校しか行ってないから大学とはどんなところか分らない。そんな人生を50年してきました。
大学生 52歳にして職場を変わると大卒が当たり前どころか、8割がマスターで残りはドクターというところでした。それも大学を出ただけじゃありません、同僚は大学の先生と共同研究をして論文を学術誌に載せたり、上司が大学の非常勤講師をしていたりと、私は驚いてしまいました。
その後、自分も大学通信教育を受けたり、大学院にも行きました。その結果感じたことは、大学も大学院も大したことないということでした。高卒だってすごい奴はすごいし、東大だって大したことがないのはたいしたことはない。
じゃあ大学や大学院に行かなくても良いのかといえば、絶対に行った方がいい。その方が安楽な人生を送れることは間違いない。

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注1
参考文献:「科学的管理法の日本的展開」佐々木聡、有斐閣、1998
注2
英文タイプライターは古くから研究され特許も多々ある。しかし実用的なものは1867年にクリストファー・レイサム・ショールズが発明したものである。その後レミントンがレバー式のQWERTY配置の物を作り、これが商業的に成功した。このお話の1910年頃はタイプライターは機構、配置も統一され一般企業で多々使われていた。
和文タイプライターは1915年に発明された。


外資社員様からお便りを頂きました(2017.10.10)
おばQさま
いつも連載 楽しく拝見しております。

いつもながら、ピンポイント反応ですみません。
今回は学歴に関する部分です。
戦前の資料を見ると、当時はエリートだったはずの大学出でも、人間性に問題がある描写があります。
特に、軍隊の中では、高学歴なら下士官か下級将校にもなりますので、いじめる側になり、社会的に弱いもの(農村出身者や低学歴)は、軍隊の中でも弱い立場だったという記載が、ずいぶんと印象に残っています。
私自身は、大学の工学部を出ましたが、高専から編入した学生が優秀だったのが印象に残っています。
理系でも、高校は普通科から大学受験が一般的ですが、専門性を考えると工業高校や高専が重要なのですね。
一方で、戦後の工業高校の地位低下は著しくて 理系志望でも高校は普通科が当たり前。
結局 日本の製造業の凋落の原因は、すでにあったのだと思います。

お書きになっているような、生産管理、品質管理については、産業育成の面でも非常に重要なのですが、理系大学の中でも、しっかりとしか教育をしているところは少ないと思います。
文系か理系の二択で考えれば、両方の要素を持っています。
もちろん、このような学科は、いろいろな大学にありますが、本当に役に立つような教育をして、それを会社に入っても活かせている人は少ないのだと思います。
この分野の応用に、OR(オペレーションリサーチ):戦略研究の分野があると思います。
私の行っていた大学では、この分野の大学院を置いただけでも、左翼系がデモに来ました。
結局、そんな風土では、本格的なORなどもできず、日本国内の企業では導入できていないのだと思います。
70年代から90年代くらいの日本の情報家電の発展は、米国により作られたレールの上を、資本と人を投入して成功できました。
その一方で、戦略立案の部分の立ち遅れが、モバイル化や、水平分業の点で遅れをとりました。
これらのキーワードは1990年から、散々 言われてきたけれど、本気で取り組んで、会社を変えることは、すでに上手くいった体験を棄てて、変化することを困難としました。
私自身が、米国で国際標準化の仕事をしていた時に感じたのは、海外の連中はORや生産管理の勉強や仕事を、普通にしてきた人々でした。
結局、そうした体験の有無が、2000年以降 産業力の差になってきたようにも思えます。

いつも、おばQさまが指摘されている、ISO認証の日本国内の問題点。
なぜ、それが海外では、あまり無いのか不思議に思っていました。
結局 この分野にかかわっている国内の末端には、ORや生産管理とは縁遠い人がいるからかもしれません。
生産性の向上が基本にあれば、審査の方向も、無駄な作業を無くし生産性の向上を自ずと考えるように思います。
もちろん、そこまですべての審査が、そのように出来るとも思えませんが、少なくとも それを阻害するような審査や指摘はしないのだと思います。
最近、海外の審査員の経歴と審査を見て、お互いに話してみて、そんなことを思いました。

外資社員様 毎度ありがとうございます。
問題が多岐にわたり階層も複雑でもう手に負えませんん。
外資社員様のお便りにジャストミートではなく、お便りをきっかけに頭に浮かんだことを書きます。
昔、1960年頃までは科学も技術もシンプルで目に見えたということもあると思います。私も中学や高校のとき、オヤジのスバル360のクラッチ板交換とかスピードメーターの修理くらいしていました。車が好きという人が修理屋でアルバイトしていてやがて車メーカーに入った人を知っています。またバイクが好きでレースに出たとかいう人も知っています。それは製造業だけでなく商業でもサービス業でも、全体が見えるというシンプルさがあったと思います。
しかし今現在は車と行ってもキャブとエンジンとミッションというわけではなく、サーボモーター、コンピュータ、センサーと多岐にわたり一人の人が車をばらして組み立てるなんてことはもはや不可能です。
全体像をつかむことは難しく、自分が担当する仕事は高度ではあっても非常に狭いことというのはやはり仕事や製品に対する愛着とかが違うのではないかと思います。
話は飛びますが、審査員の経験によって審査能力は大きく違うと思います。アフリカの奥地にプラント監査に行って野獣にあったと語った審査員もいました。周囲数十キロに人がいない石油掘削現場のプラント監査をしていたという人は、審査においても臨機応変、得られた情報が不十分なら不足分を探るということはお茶の子さいさいでしょう。1990年代前半はそんな人がたくさんいましたが、21世紀には企業の品質部門にいたとかISO事務局だったという人ばかりのようです。酒だ女だとごねる人がいなくなったのは幸いですが、経営という観点でなく、管理レベル、監督レベルの方が多いようでこれも困ります。

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