異世界審査員34.半蔵時計店その2

17.11.02

*この物語はフィクションです。登場する人物や団体は実在するものと一切関係ありません。
但し引用文献や書籍名はすべて実在のものです。民明書房からの引用はありません。

異世界審査員物語とは

私たちが使っている道具はたくさんあるが、道具の発祥となるといろいろな理由というか成り立ちがあるように思う。
ひとつは必要だと皆が認識して作られたもの、ひとつは必要性を認識していなかったがあるとき誰かが作り、それを使うとものすごく便利だったというもの。そして実はそんなに便利ではないが以前からあるとかなんとなく惰性で使っているというものも多いと思う。まあ人間なんて能率マキシマムを目指すこともないし、あまりシャカリキになると疲れてしまうから、多少いい加減というかある程度のところでいいのだと思う。
私は現場が作業しやすいように、品質が良くなるように、間違いが起きないようにと、いろいろとジグや工具を作ってきた。私が考えたのは上記で言えば、誰も必要性を認識していなかったことに私が考えたものを無理やり使わせたようだ。
私はシーケンスとか電子回路などを本格的に習ったことがないので、すべて見よう見まねで幼稚なものである。それでも多種多様なジグや補助具や取付具を作ってきた。そんなことでなにが一番難しいかというとフールプルーフ(ポカヨケ)である。見ただけで使い道、使い方が分かり、誤用が起きないという道具を作れたら最高だ。
自分が思いを込めて作ったものを使って不良が出たとか、それ以前に使い物にならないと言われると、次回からはもっとうまくやると息巻いたものである。もちろん私が作ったものは高度で複雑な機械や装置でなく、それこそ加工用のジグ、種々ゲージ、布のテンション測定器など、さまざまなものを作ったが、こんな仕事は俺にしかできないだろうという自信はあった。もっともそんな仕事で一人前になる前の修行途中で、品質保証に仕事を変わったので免許皆伝どころではない。

どうでもいいことですが、
ジグとは英語のjigが元であり私は昔からジグと呼ぶ職場で働いてきたので、治具とか治工具と書くことにものすごく抵抗がある。まあ営業などではofferを乙波と書く方もいるのでそんなことはどうでもいいことなのかもしれない。
ところで作業を楽にするものならなんでもジグあるいは冶具と呼ぶ方がいるが、それは間違いである。英語でjigは「a device that holds a piece of work and guides the tools operating on it.」である。単なる作業改善の道具の意味ではなく、刃物や他のツールの動きのガイドとなるものでなければジグではない。ワーク(被加工物)を押さえるだけのものはジグではなく取付具である。そんな問題が2級技能士の試験にあり間違えた思い出がある。半世紀前のことである。

半蔵時計店の初回は伊丹が製品企画の話をすることになった。伊丹は話の内容は重要だと考えていたが、時計店の希望に合うかどうかはいささか心配だ。もし、しょっぱなで客の気に入らないとなると、今後の契約に問題が残る。とはいえ初めから具体的な細かい話からめくらめっぽうに突き進むのも問題である。
招かれた部屋には所属や地位が不明な人たちが20名ほど座っている。

社員A 社員B 社員C 宇佐美 社員 社員
社員A 社員B 社員C 宇佐美 社員某 社員某

伊丹は初回は製品開発について話すと説明したのち、大きく三つの話をした。
ひとつは製品企画とはどういう手順でするのか、その目的、リソースの確認、マーケットの把握などを模造紙にいろいろ図表を描いたものを壁に貼り付けて解説した。
次に伊丹は懐中時計から腕時計への移行はまもなく急速に行われるだろう。だから腕時計の開発、デザインの研究を進めておくことが重要だという話をした。これは半蔵時計店の現在の事業に、安穏としていてはいけないという注意喚起のつもりだ。
最後に時計産業というのはどういう技術を開発しまたどのような技能者を育成していくべきか、事業戦略として時計産業の中でどのような地位を占めるべきかというような話を語った。
1時間半ほど話したが、みな静かに聞いているものの理解してくれたのか同感を得たのか感触が分からない。休憩後に質疑応答をしたいと言って休憩に入った。

伊丹が用足しから戻ると藤原が話しかけてきた。

藤原
「いやあ、伊丹さんのお話は分かりやすく、また奥が深いですね」
伊丹
「いやいや、実を言って聴講者から反応がないので不安です。同意でなくて反発でもなにか反応があれば良いのですが、こちらが話しても何のリアクションもないので心配です。
砲兵工廠では私がひとつ話すと、三つくらい異議や質問が返ってきますからね。それくらい真面目に聞いてくれているのかと思うと涙が出ますよ」
宇佐美
「あれ、伊丹さん、そうなんですか? 我々は伊丹さんがお話しているときは質問しちゃいけないのかと思って静かにしていたんですよ」
伊丹
「いえいえ、この場は学校の授業じゃありません。お互いが切磋琢磨してなにかを生み出さなければ意味のないことです。話中でもイチャモンをつけてくれた方がうれしいですし、そもそも、お宅がお金を払ってこちらの情報を買おうとしているわけです。ですからレベルが低いなら金返せ、異議があれば議論するのは当然です」
社員A
「えっ、そうなん! じゃあ、これから大いに語り合いましょう」

なし崩しに後半が始まった。

社員A
「懐中時計から腕時計に移るとおっしゃいましたが、なにか根拠があるのですか?」
伊丹
「現在、時計が必須の人となると軍人それも士官です。そういった人たちは懐中時計では使い勝手が悪いということで外国では戦争のたびに腕時計に変える人が多くなっています。この流れは必然ですから変えようがありません。御社も一刻も早く腕時計に対応しなければなりません」
社員A
「懐中時計と腕時計なら特段技術が変わることもないな」
伊丹
「いやいや、私は時計の技術には素人ですが、違いは分かりますよ。まず懐中時計と腕時計では大きさが違います。外形を懐中時計の7割くらいにしないと腕時計にしては大きすぎます」
社員B
「そうなんだよ、当社も腕時計を発売しなくてはならないと考えているんだが、小さく作るには今よりもそうとう中の機械を小さくしなければならない。単純に懐中時計にバンドをつけただけではバカみたいに大きいからね」
社員A
「それでは当社はすぐに腕時計を生産できないのか?」
社員B
「今開発しているのだが、あと3年はかかるだろうと思っている(注1)
社員C
「3年で完成するならなんとか世界に追いついていけるかな」
社員A
「腕時計に切り替わるのは何年先ですかね?」
伊丹
「あと数年でしょう。世の中の動きはどんどん早くなっています。そしてなにかきっかけがあると突然大きく変わります。あってはほしくないですが、次に戦争があればそのときは士官も兵も腕時計しか買わないでしょうね(注2)
社員B
「確かに我々だって時間を知りたいときに、チョッキのポケットから懐中時計を取り出すよりも左手をちょっとねじった方が楽だし速いよね(注3)
宇佐美
「製品企画のことですが、当初私はダイヤルゲージの発展ばかり考えていましたが、いろいろなマーケットとかリソースを考慮しなければならないのですね」
伊丹
「勘違いしてほしくないのですが、基本は御社の企業理念です。御社は何を目的としているかということが重要です」
宇佐美
「理念が基本とは?」
伊丹
「御社の企業理念が時計を世の中に提供することで貢献するのだというなら、測定器などを考えずに時計一筋で行くべきです。精密機械工業というカテゴリーならそれなりに、あるいは輸出して外貨を稼ぐというのが創立の意図ならそれなりに」
宇佐美
「まずは理念があって事業があるということですか」
伊丹
「当然です。どんな会社も団体も、あるいは学校も、創立の理念があり、その理念を実現するために事業を推進するわけです。御社が時計を社会に提供することを目的とするなら、計測器などに浮気をすべきではありません」
社員A
「なるほど、そう言われるとなるほどと思いますが、普段考えたこともありませんでした」
伊丹
「もちろん時計メーカーが計測器を作っちゃいかんということはありません。ただ企業理念と齟齬がないことは確認しておかなくてはなりません」
宇佐美
「私は当社が持っている技術でできるものがあればその分野に進出するものと考えていました」
伊丹
「いや理念実現のために、技術がないなら買ってくるという方法もあります。
会社の目的はなんだといえば、儲けることじゃありません。理念実現のため、そしてそれを継続するために会社を維持することです」
宇佐美
「そのためには儲けなければならない」
伊丹
「それは事実ですが、儲けるために事業をするというなら理念もへったくれもありません」
宇佐美
「伊丹さん、それは素面で語っているのですか?」
伊丹
「もちろんです。そうでなければ男に生まれてきた甲斐がないじゃないですか」
宇佐美
「自分が世俗に汚れているのを恥じますよ」
社員A
「おい、哲学はいいから実学をいこう。新製品として俺は厚さ計がいいと思う」
社員B
「厚さ計がいいと思う理由はなんですか?」
社員A
「まず現在のダイヤルゲージを基本にほんのちょっと追加すればできる。つまり技術的障壁が低い。
それからマーケットが多様であることだ」
社員B
「マーケットが多様って?
そもそも厚さ計の用途ってなんですかね?」
厚さ計(シックネスゲージ)
とはこんなもの
厚さ計
社員A
「おいおい、厚さを測ることっていろいろあるだろう」
社員B
「それは今あるノギスとかマイクロメーターでもできますよね」
社員A
「できなくはないが、あまり適切ではない」
社員C
「材質が柔らかいからですか?」
社員A
「柔らかいと測定圧が変わると正しい寸法が図れないからね。
それだけでなく端でなくある程度奥の方を測った方が正しい数字になるし」
社員B
「そういう計測器を買ってくれるのかなあ」
社員C
「普通は紙の厚さは重さで表すよね、それで困っていないなら需要があるのかどうか」
社員A
「重さで表すのは測定する機械がないからだろう。
和紙を漉くとか印刷するときとかは、重さより直接厚みが分かった方が便利だと思うな」
社員B
「これはそういったところに厚さを知る必要性を聞き取り調査した方が良いですね」
社員A
「それは良い考えだ。早速やってみよう。但しあまり手の内を見せると先を越される恐れがある」
社員B
「歩数計はどうですかね?」
社員C
「伊丹さんの話は漠然としていたが、俺は表示するのが時計のような指針で表すのと、桁ごとに数字で表す方法があると思った」
社員A
「歩数計は錘を揺らして歯車を一歯ずつ回していく、逆転させないためにはエスケープメントの逆とすると簡単にできそうだ」
社員B
「でも動きは同じ平面上ではなく3次元を考えないとならないよ」
社員C
「数取り器というのも用途を考えると売れそうだね」
社員B
「いずれにしてもダイヤルゲージの活用というよりも時計の延長と考えた方がよさそうだ」
宇佐美
「ちょっと待て、そういう細かいことはこれからでいいんだよ。まずはどういった分野を考えないと。まずは我々の持っているリソースって伊丹さんは言ったな。この国の言葉で言えば資源だ。我々が持っている技術とか設備そして販路などが使えるなら資源はある。新しい製品でもそういうルートが使えるなら参入障壁は低い」
社員B
「それをいうなら懐中時計から腕時計への転換を先取りすることが現在の事業維持のための最重要課題じゃないのか」
社員A
「先取りじゃないよ。外国をみればいかに遅れずに付いていくかというところじゃないのか」
伊丹
「ちょっと待ってください。この図表に書いた製品は単なる案です。新しいマーケットといっても家庭用品から軍需品までもっといろいろな分野があるでしょう。私の言いたいことは、もっといろいろ考えないといけないということです」
宇佐美
「伊丹さんがおっしゃるのは良くわかります。どうも具体例を見せられるとそれを基に考えてしまうようです」
社員A
「とすると、我々自身がもっといろいろと考えないといけないということですか?」
伊丹
「そもそも宇佐美さんからのご依頼は、ダイヤルゲージに続く別な計測器のアイデアが欲しいといことでした。それに対して我々は計測器というくくりで考えるのではなく、お宅がどういう分野でどんな製品を出すのかをまず考えなければならないよということを言いました。それはリソースがあるからではなく企業理念で決まるでしょう。そして決めたらそれを実現するためにリソースを確保するのです」
宇佐美
「なるほど、そこんところの順番が前後しているのですね」
伊丹
「まあお宅のダイヤルゲージ事業の規模が小さいということでしたら、新しい技術などを要さないもの、つまり厚さ計のようなものでお茶を濁すかですが」
社員A
「お茶を濁すとはひどい」
宇佐美
「その場合は市場規模が問題ですね。どう考えてもダイヤルゲージより厚さ計の需要は少ないでしょう」
伊丹
「そうです。実際に開発をするかしないかとなると、市場規模とか他社動向など相当調査しなければなりません。ダイヤルゲージのときは砲兵工廠が買うことは約束してくれましたし、他社が購入するように顧客に紹介もしてくれました。御社の独自事業となると御社がそのリスクを取らなければなりません」
藤原
「実際に作るにあたっては私がお手伝いします」
宇佐美
「うーん、藤原さんのところに頼めば売れるものを教えてくれて、それを作る方法もセットで指導してくれると考えていたのですが」
伊丹
「世の中そんなに甘くありません。そもそもそんなことは不可能です。事業は企業理念と密接に関わることで、外の人がどうこう言えるものじゃありません」

うそ800 本日の思い出
私も現役時代は講演とか説明会というものはたびたび行った。一番困るのは無反応だ。居眠りとか雑談もあるが、こちらが話すことを聞いているのかいないのか分からない。
それで私は毎回常に聴衆、ひとりひとりに話しかけた。今はパワーポイントを使うことが一般的だが、ワイヤレスマウスを持って歩けばページ送りとかできるからとにかく前にいるのではなく、歩き回って質問したりした。やはりいつ話しかけられるか質問されるかと思うと気が気でなく、居眠りも無反応も減った。
引退してから一度だけ定年後のことで公民館で話したことがあり、テレビ局も来たけど、あれが我が人生の最後の講演だろう。今後20年で何事かあるとは思えない。

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注1
日本初の腕時計は服部時計店が2013年発売である。
注2
腕時計は1899年のボーア戦争あたりから普及しはじめ、第一次大戦中に兵士が使用する時計は懐中時計から腕時計に100%変わった。(ウイキペディア)
注3
電車の運転手は今でも懐中時計を使っているが、彼らはポケットに入れておくわけではない。乗車すると前面に取り付けて、運転中、常時時刻を見られる状態で使う。結局、用途次第ということです。

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