*この物語はフィクションです。登場する人物や団体は実在するものと一切関係ありません。
但し引用文献や書籍名はすべて実在のものです。民明書房からの引用はありません。
課題 甲 | 課題 乙 | |
A党 | ||
B党 |
自動小銃を南武少佐に渡してひと月ほどしたとき、伊丹に南武少佐から一席設けたいとお誘いがあった。日にちを聞くと1週間後である。 伊丹はなぜかいやな胸騒ぎがする。南武が伊丹を秘密警察に売ったのではないかという気がする。 とりあえず了解した旨とお礼を伝えて電話を切る。 しばし考えて工藤に相談する。 ![]() | |
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「俺も怪しい気がするね。最悪伊丹さんは覚悟するとして、奥さんは向こうに避難したらどうだろう」
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「そうですね、早い方がいいでしょう。家内もだいぶ向こうに行ってないからうまいこと話して明日からでもしばらくあちらに行ってもらいましょう。 しかし私は覚悟してとはどういう意味ですか?」 |
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「南武少佐のほんとの狙いがどうあれ、伊丹さんが一旦姿をくらませば、こちらの仕事を続けるのは難しいだろう。今回、最悪の場合は拘束されたら、拘置所であろうと刑務所であろうと逃げる手配はするよ。伊丹さんがいる部屋に向こうの世界への出入口を作りゃいいんだから」
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![]() 伊丹はいろいろ考えたが、まさかその場で殺すことはあるまいと思う。最悪の場合は工藤の助けを期待しよう。もっともこの御仁、自分は行かずに伊丹と藤原をイラクに行かせたから信用できない。 その夜、伊丹は妻の幸子に1週間ほど元の世界に行って来いと言う。勘の良い幸子は伊丹の意図を読んで了解した。とりあえず兄の家にいるという。まさか同棲している息子の所には転がり込めない。 伊丹は一段落したらこちらから連絡するから、それまではこちらに来るなと言っておく。 翌日の夜、伊丹は幸子から兄の家に着いたという電話を受けた。 ●
伊丹は料亭なんてところには、元の世界でもこちらの世界でも行ったことがない。いささか気後れしたし、ましてや相手が南武少佐では怪しさ200%だ。伊丹は乗り気ではなかったが夕方会社を出た。伊丹が出かけるのを工藤は会社の門のところで不安そうに見送った。● ● 新橋にある会社から赤坂まで2キロくらい歩く。この時代、地下鉄もないしタクシーもない。歩きたくないなら人力車である。 ![]() 伊丹は立派な部屋に案内される。部屋には南武のほかに軍服がもう一人いた。兵科によって襟章の色が違うそうだが伊丹は分からない。だが目つきが鋭いので憲兵だろうと見当をつけた。 ![]() | |
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「やあ伊丹さんと一緒に飲めるなんてうれしいですよ。こちらは私の友人の岩屋少佐だ」
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「伊丹です。よろしくお願いします」
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「伊丹さん、だいぶ警戒してますね。ご想像の通り私は憲兵です。でも伊丹さんを逮捕しようとか尋問しようなんて考えてませんよ」
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「警戒も何も、私は言われた通りにここに来ただけで」
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「とはいえ奥様は安全なところに避難させたと」
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「いえいえ、家内の兄が顔を見せろとうるさいので、たまには里帰りさせただけです」
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「お互いに本音で語り合いましょうや、私が伊丹さんに興味を持っているのは確かですが、別に拘束するつもりはありません。ただいろいろお話を聞かせてほしいだけです」
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「私は逃げも隠れもしませんから、お話は飲みながらということにしませんか。料理も美味しそうですし」
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「肝が据わってますね」
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「御冗談を。せめて最後の晩餐くらいはとらしていただきたいですね」
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「それじゃ乾杯といきましょう」
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![]() 三人は日本酒を注いで乾杯する。 ![]() |
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「まず南武少佐が私に話を持ってきたことは責めないでほしい。伊丹さんに他言しないと約束したそうだが、おかしなことを見聞きすれば、軍人なら上官もしくは関係部署に伝えるのはやむを得ない」
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「まあ、当然ですね。この刺身は旨い」
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「気に入っていただいてうれしいですよ。正直なところ私もこんな高い店に来たのは何度もありません。それだけ伊丹さんに気を使っているということです」
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「取り調べにしろ酒を飲むにしろ、こういう店は初めてなもので、苦手と言いますか作法も知りません。もっと下々向けの店の方が気を使わなくてよかったのですが」
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「私も同じです。とはいえ話が他の客に聞かれるとか、店の者が漏らすとか懸念しますので、うかつなところは使えないのです」
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「なるほど、あなたのお仕事も大変ですね」
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「早速ですが伊丹さんの世界はここよりも100年ほど先行しているとか」
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「正直申しまして私もよく分かりません。まずこの世界と似てはいるのですが同じではありません。この国は扶桑国で向こうは日本国といいます。こちらには皇帝陛下、あちらは天皇陛下、ロシアとの戦争も向こうでは勝って、こちらでは何とか引き分けて講和したとか。向こうは朝鮮を併合したけどこちらはしていない。 ですから単純な比較はできません。ただ科学技術は100年くらい差があるようです」 |
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「伊丹さんはこちらの技術を進歩させようとしていると伺いました」
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「南武少佐殿からお聞きになったと思いますが、向こうの日本は第二次世界大戦で負けてから70年、いまだに二等国扱いで敗戦国と呼ばれています。朝鮮は日本のことを戦犯国と呼びます。ふざけた話です。日本は戦争に負けたけど、犯罪を犯したわけではない」
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「ワシもそれを聞いたとき、はらわたが煮えくり返ったよ」
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「憤りで言いますが、日本が戦争をしたとき、朝鮮も日本の一部だったわけです。そして朝鮮人というのは存在せず日本人だったわけ。それが戦争に負けたら、我々は戦勝国だと言い出したわけですよ」
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「そんな言い分が通ったのですか?」
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「いやいや、そんな話が通るはずがありません。なにしろ日本と戦争したわけじゃありませんから。それで彼らは戦勝国でもなく敗戦国でもないので第三国人と呼ばれました。でもそれもおかしいですわ、だって第三者ではなく当事者であり敗戦国民だったのですから」
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「あげくにいつまでも日本を戦犯国と呼ぶ・・・・ふざけた国だ」
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「私はそういう事実を悲しむというか、なんとかしなければと思っていました。偶然にもこちらの世界に来て、この時代であれば今からなんとかすればもっとうまく立ち回れないかと思ったわけです」
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「伊丹さんのように情報を持っているなら能率技師などという仕事ではなく、政治家とか軍部と組んでこの国を動かしていくべきじゃないですかね」 ![]() ![]() ![]() |
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「岩屋さん、もう全くの本音で語りますからそう受け取ってください」
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「望むところです」
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「私はこの国が進歩して国力をつけてほしいと願っていますが、あまり干渉しすぎてはいけないと考えています。向こうの進んだ科学技術をこちらに持ち込んだり、
![]() アドバイスや指導をしても発明発見や物事の判断をするのはこちらの人であるべきです。現物そのままとか余計な情報を持っていてはいけないのではないかと思います。それで私は今まで技術についてもこうしたらどうだろうといイメージだけ伝えて、具体的にはこちらの人に考えてもらうようにしてきました。 それともうひとつは向こうの歴史とこちらの歴史が微妙に異なっています。向こうの出来事を基に、こちらで対策しても予想が外れる恐れがある。それはかえって危険でしょう」 |
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「予想が外れるのはやむを得ないとして、向こうの世界の動きを知っていれば何も知らないよりはより良い選択ができると思いますが」
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「何ともいえませんね。向こうの知識や情報をいかに使うかという選択肢はいろいろと考えられます。 繰り返しになりますが、ひとつは向こうの発明発見の情報のみ伝えて、具体的にはこちらの人に発明発見してもらうという方法で、これは今まで私がしてきた方法です。 ひとつは向こうの機械などを持ち込んで、こちらの科学技術を急速に進化させる方法。これはこの国だけでなく外国にも影響を与えてしまいます。最初の10年くらいはなんとか予測できるでしょうけど、それ以降は向こうの歴史を追い越してしまうのではないかと懸念します。 ひとつは国策レベルで向こうから科学技術だけでなく政治とか外交その他社会全般のあらゆる情報を持ち込むもの。その場合はもう完全に将来が予測不可能になるでしょう。岩屋さんがおっしゃったのはこの最後の選択でしょうね」 |
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「なるほど、あまりこの世界の流れに干渉せずに、少しだけ改善を図るということですか。しかしどれも大した違いがないようにも思えますね」
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「うーん、そう言われるといずれも程度問題で、この世界を乱してしまうことに変わりはありませんか」
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「伊丹さんの時代の兵器をこの世界に持ち込めば100年の差で圧勝でしょう。そういう選択はありませんか?」
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「どうでしょうか。まず兵器だけ持ってくるのか、操作する兵士も持ってくるのか? 向こうの兵器は、小銃のような古典的なものを除いて、高度な機械であり、それも単体ではなく多数の機械が連携して機能するものですから、高度な教育、数学や電気や機械の知識がないと使えないのです それと戦争できるだけの物量の兵器を向こうから持ち込むことは、向こうの世界で問題を起こします。向こうの世界では、戦争を防止するために軍艦や部隊の移動を相互に監視していて、大掛かりな移動があればすぐに発見されます。向こうでは軍艦はどこを航行しているのかはお互いに把握しているのです ![]() 何十年も向こうの兵器を作ろうと研究していたら、その間に外国の間諜が情報を盗み出すでしょうし、逆に外国が先にその開発に成功したらと考えると・・・考えたくないですね。 また兵器というのはその国の地勢とか戦略があって存在します。扶桑国の状況と日本の状況は異なりますから、日本の兵器をここに持ってきても適切とは思えません。具体的には現在の日本の兵力は防衛主体で攻撃する兵器がないのです。 それと今の日本の軍備は戦勝国であるアメリカの管理下にあります。アメリカ大使館には日本管理委員会 今の日本の軍隊は自衛隊といいますが、そこでどんな軍艦を整備するか、軍用機を調達するかということはすべてアメリカの指示に従っている状況です」 |
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「戦争が終わって70年経ってもそうなのか。それが戦争に負けるということか、」
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「そういうことです。だからこそ、この世界のこの国は戦争に負けないでほしい。いや勝ち残ってほしいのです」
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「だけどさ、そういう大局を考えると、伊丹さんが工廠の生産性向上とか品質向上を指導したくらいではどうにもならないのと違うか」
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「うーん、そう言われるとなんとも・・ しかし私の持っている技術技能でこの国に貢献しようとするとそういうことしかできない」 |
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「先ほど言ったように政治家とか軍人への情報提供とか教育とかあるでしょう」
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「ひとつには私の話など聞いてくれるかどうか定かではありません。私が総理大臣にお会いしたいと言ったところで相手にされないか
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「向こうの世界から政治、軍事、経済の専門家を招待することは可能ですか?」
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「物理的には可能でしょうけど・・・具体的にはどうするのでしょう? いくらなんでもこれぞと思った人を誘拐するのはなしでしょう。 あるいは向こうで人材募集の看板を出すのでしょうか。そうするにはへたすると向こうの政府の協力も必要になるかもしれない。しかし向こうで大声を出したら、向こうの世界の外国から干渉が入るでしょう。 実際にするなら、必要な人物をよく吟味して噂にならないよう静かに一本釣りをするしかなさそうです。はっきり言って、お金とか名誉ではなく、歴史を変えることができると誘えばついてくる人はいるでしょう」 |
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「向こうとの通路はどうなっているのですか?」
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「私にはわかりません。工藤社長はご存知でしょう。例の自動小銃を購入したときは、向こうの世界の外国につなぐ道を作ってくれました。まさか工藤社長本人が行かず私に行かせるとは思ってませんでした。あの人もけっこうずるいところがありますよ」
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「そいじゃ工藤社長をしょっ引いて締めよう」
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「南武よ、お前は荒っぽいなあ、とても設計者とは思えないよ。いつも言ってるだろう。俺たちはやくざじゃないんだ。法に基づいて動かなくちゃ・・・」
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夜が更ける頃には岩屋少佐の質問も途切れた。 | |
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「いや伊丹さん有意義な話でした。伊丹さんが来た経過と向こうの状況の概ねは分かりました。とはいえ今時点では、どうすべきかは見当がつきませんね」
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「向こうの世界を忘れて、今まで通り皆さんが時代を切り開いていくという選択肢もあります。今までと何も変わらず同じことを続けるだけです」
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「とはいえ情報が多い方が選択肢は増えるでしょう。 なにはともあれ私の仕事は伊丹さんに関わることを調べて報告することです。個人的には向こうの世界の情報を収集したいですね」 |
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「岩屋さんのご質問が一段落なら、私が聞きたいことがあるのですが」
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「はい、なんでしょう?」
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「今現在、向こうの世界から来た者にはもうひとり、藤原さんがいます。彼についてはどういう扱いをされるつもりですか」
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「今のところ、なにもするつもりはありません。一応調査はしましたが、あの方の性格からみて、我々が接触するのはよろしくないと判断しました。基本的に向こうの世界についての情報提供は伊丹さんを窓口とするつもりです」
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「それを聞いて安心しました。彼は少し前までウツになっていましたので、あまり気苦労をかけたくありません。私側でもお宅との関係を知っているのは私と工藤社長だけに限定します。 それでは最後の質問ですが」 |
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「難しい質問でなければよろしいのですが」
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「簡単です。私はこれから帰宅してよろしいのでしょうか? それとも拘置所行きですか?」 |
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「ああ、もちろんご帰宅されて結構です。人力車を呼びましょう。渋谷にお住まいでしたね。ここから遠くはありません、半道 |
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注1 | 日本共産党の2017年総選挙のキャッチフレーズは「アベ政治を止めろ」だった。止めてからどうするのかは定かではない。
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注2 | 自衛隊は日本に存在する組織の中で、教育と訓練の占める割合が一番多い組織である。営利企業なら、そんなことは絶対できない。 なお教育とは頭で覚えることであり、訓練とは体で覚えることである。 | |
注3 | 船舶の位置サイト「ライブ船舶マップ」 もちろん軍事行動をするときは所在地の情報発信はOFFにされる。民主党の原口議員の言うようにグーグルアースではわからない。とはいえ、多くの国が軍事衛星を飛ばしているわけで、行き先が分からなくなることは少ないだろう。 | |
注4 | 日本管理委員会というものはなくなったと思っていたが、今でもあるらしい。
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注5 | 私の子供の頃、距離をキロメートルでなく里(約4キロ)を使っていた。1里の半分を半道(はんみち)と言った。 メートル法になったのは私が小学生の時1959年である。 |