2018.09.26
お断り
このコーナーは「推薦する本」というタイトルであるが、推薦する本にこだわらず、推薦しない本についても駄文を書いている。そして書いているのは本のあらすじとか読書感想文ではなく、私がその本を読んだことによって、何を考えたかとか何をしたとかいうことである。読んだ本はそのきっかけにすぎない。だからとりあげた本の内容について知りたいという方には不向きだ。
よってここで取り上げた本そのものについてのコメントはご遠慮する。
ぜひ私が感じたこと、私が考えたことについてコメントいただきたい。
書名 著者 出版社 ISBN 初版 価格
★ 蒸気船★ 田中 航 毎日新聞社 ★ なし★ 1977.10.15 ★ 980円★
私が書いているヘボ小説
「異世界審査員」 で
太陽熱発電 が出てきた。
なにも調べずには書けないので図書館の蔵書検索で「蒸気機関」で検索すると9割以上が蒸気機関車の本であった。現物を手に取りパラパラと見て、蒸気機関について書いてあるものを数冊を借りてきて読んだ。
その中でこれが最も面白く、いろいろと考えるネタになったので書く。
蒸気機関の一般的なことは、みなさん高校や大学で習っただろうから、エンタルピーなんてのは省く。本を読んで「オッ」とか「アッ」と驚いたり感動したりしたこと、そしてそこから愚考したことを書く。
蒸気機関を始めて考えた人は古代ギリシアのヘロンと言われている。彼が考えたものは蒸気で回転させるもので、正確には蒸気タービンの逆で、ジェットエンジンの元祖のようだ。彼が考えたように蒸気の持つエネルギーから運動エネルギーを取り出すには、直接上記の持つ圧力を放出して回転運動にするのが直感的である。それに初めから回転運動として取り出した方が、一旦レシプロで直線運動として取り出したものを、クランクとコネクティングロッドで回転にするのに比べるとバルブ類も不要である。
しかしニューコメンにしてもワットにしても、回転運動ではなくシリンダーとピストンを使った往復型のエンジンを作った。なぜかというと蒸気タービンから得られるものは回転数が大きくその代わりトルクが小さく、そのままでは使えないから。
蒸気機関の最初の用途である、揚水ポンプ、蒸気機関車、蒸気船などで欲しい回転数はせいぜい100rpm(毎分の回転数)であり、タービンで得られる回転数が数千rpmとか1万rpmでは手に負えなかったのだ。当時 飛行機はなかったが、もしあれば飛行機のプロペラも先端部の速度が音速を超えると問題が起きるから、実用化するには2000rpm程度に減速しなければならない。
現在 自動車やバイクのガソリンエンジンでは、数千とか1万rpmが当たり前であるけど、車輪の回転数は800rpm程度である。高速回転であるジェットエンジンはどうかというと、エンジンのタービンは1万rpm位だけど、この回転は圧縮機を回すだけで、動力を取り出すわけではない。動力は推力そのものだ。
全然関係ない話ですが、身近なもので最も回転数が大きいのは、歯医者が手で持ってキィーンと削る機械が40〜50万rpmでトップらしいです。
蒸気タービンでは低速が得られないなら、蒸気タービンの出力を減速したらいいじゃないかとなる。大きな動力を減速する方法となると歯車しかないが、インボリュート歯車がちゃんと作れるようになるのは19世紀後半である。
18世紀末、ワットが往復運動からクランクシャフトで回転運動を取り出す蒸気機関を開発したと同じ頃、ポルトガルで蒸気タービンが試作された。その話を聞いたワットは「高速回転を使いこなせるようにならないと蒸気タービンの時代は来ない」と語った(p.191)。アイデアは技術で裏付けられなければならない。アイデアは優れていてもそれを実現する技術が追い付かなければ絵に描いた餅である。
絵に描いた餅で終わった発明はものすごい数になる。レオナルド・ダ・ヴィンチのアイデアの9割は絵に描いた餅だろう。
レオナルド・ダ・ヴィンチが考えて絵とか文章で書き残したものはたくさんある。
ポンプ、迫撃砲、蒸気砲、ボスポラス海峡の橋、ハンググライダー、ヘリコプター、自動演奏楽器、羽ばたき機、装甲車、外輪船、でも9割9分は当時の工業力の未熟や動力源がなくてアイデアで終わった。
蒸気機関で動く船が作られても、航行できる距離は積載する石炭や薪で制限された。それで最初は河川とか沿岸で使用された。
当然、最初に大西洋を横断する蒸気船はいつ? だれが? ということが関心事になった。1838年グレート・ウェスタン社のグレート・ウェスタン号とブリティッシュ・アンド・アメリカン・スティーム・ナビゲイション社のブリティッシュ・クイン号が世界初の蒸気船による太平洋横断への挑戦を表明した。
ブリティッシュ・クイン号は大西洋横断の航海中に嵐にあい、向かい風で積載していた石炭を消費してしまった。これでは追いかけてくるライバルのグレート・ウェスタン号に追い越されてしまう。
そのとき船長は何を考えたか?
船内のありとあらゆる可燃物を燃やしたという。ベッド、椅子、机、天井や壁の板材、マストさえも叩き壊して薪にした(p.85)。私のセンスではもう感動しかない。その発想力、実行力、まさに開拓者魂だ。
その結果、ブリティッシュ・クイン号はニューヨーク港に世界で最初に大西洋を横断した蒸気船として入港した。ライバルのグレート・ウェスタン号はそのわずか4時間後に入港した。4時間の違いでも1位と2位の差は無限だ。アホな
蓮舫 に聞かせてやりたいお話である。
優勝者はただひとり、栄光はトップが独り占め、2番じゃダメなんです
!
ちなみに:
リンドバーグは初めて大西洋横断飛行をしたわけではない。
世界で初めて大西洋横断飛行をしたのは、1919年5月アルバート・リード中尉他5名であったが、このときは途中で着水していたので無着陸ではなかった。
無着陸横断飛行を初めてしたのは1919年6月のジョン・オルコック他1名であった。
リンドバーグが大西洋を飛んだのは前者よりはるかに遅い1927年であった。リンドバーグは世界で初めて単独無着陸横断飛行をしたのである。
最初 蒸気船を推進する方法は、外輪船といって船体の中ほど左右に大きな水車を付けて回した。幕末にペリーが率いてきた黒船がそれである。なぜこういう形になったかというと水車は昔からあり、そのイメージから考えられた。
蒸気船といえば外輪船という時代が半世紀続いたが、クリミア戦争(1853)で外輪を大砲で撃たれると身動き取れなくなって鴨にされた。そこで外輪からスクリューに替わった(p.180)。大砲で外輪は狙えるけど、水中にあるスクリューは狙えない。
これより少し前、イギリスでは外輪船とスクリュー船のどちらが良いかを決めるのに、同じサイズ、同じ重さの外輪とスクリューの船を作り、無風のときに綱引きをさせた。後知恵だけど、綱引きで勝つためなら速度を遅く水量を多くする策はあっただろうが、そのときは考えが回らなかったのだろう。ともかくこの競技は何度か行われたが、毎回スクリューの勝ちだった(p.179)。
なんかマクデブルの真空の実験(1654)のようだ。ヨーロッパ人というのは大勢の人の見ている前で実験をしてシロクロつけるのが好きなのだろうか?
余計なことだが:
動力(kgm/s)の表記はいろいろあるが(速さkm/h)×(推力kg)でも表される。
同じ動力でも吐き出す水の速度を遅くすれば推力は大きくなる。この綱引きのルールで勝利を狙うなら外輪船、スクリュー船共に、ルールに特化すべきと思ってしまう。
そういうことで19世紀後半から蒸気船は外輪からスクリューに替わっていく。
しかしアメリカの大河を航行する船にはずっと外輪船が使われた。というのは、河の水深が浅く、喫水が深い船は航行できず、スクリューがあると破損する危険が大きかった(p.115)。
19世紀を通して、アメリカの大河では豪華な蒸気船が幅を利かせていた。昔のアメリカ映画では、大きな河を走る外輪船の中で博打をしたりダンスをするシーンがあった。「風と共に去りぬ」でもそんなシーンがあったような気がする。「怒りの河」(1952)では開拓民が河を外輪船で移動する。時代設定は分からないが、金が見つかりすべての品物が急激に値上がりして問題になるお話だから1850年頃だろう。
アメリカの河川の外輪船を駆逐したのは、スクリュー船でも鉄道でもなく、第二次世界大戦だった。戦争によるミシシッピ河流域の工業化、河川の浚渫、そして戦後余剰となったディーゼル船が使われるようになり外輪船と蒸気機関で動く船は消えた。
参考:
Steamboats of the Mississippi
蒸気タービンが現れたのは1897年19世紀末のこと。最初に作られたタービニア号はなんと34.5ノットを出した。この結果、イギリス海軍はそれ以降の軍艦は蒸気タービンにすることに決めた(p.194)。
最初に蒸気タービンを備えた戦艦はあの「ドレッドノート」(1906)だ。弩級というのは大砲だけじゃなく全体が革新的だったということがよく分かる。
気になったので1900年進水の
戦艦三笠 はどうだったのだろうと思って調べたら、三気筒の蒸気機関であった。おそらく最後の蒸気機関搭載艦だったのだろう。
三笠は横須賀にあるが、残念ながら蒸気機関は見学できない
エンジンが蒸気機関から蒸気タービンに替わって進歩が終わりではない。石炭焚きから重油焚きになり、ディーゼルエンジンになり、そして今は輸送船には帆船が復活し、風のある時は金属製の帆を使うように進歩は止まらない。
面白いのは煙突である。蒸気船時代はいくつもエンジンがついていると強い速いイメージがあり、客寄せのためにダミーの煙突を付けた。氷山にぶつかって沈没した有名なタイタニック号も、煙突は4本あるけどエンジンの排気は前3本だけで4本目は厨房からの排気だったそう。中にはまったくのダミーでその用途は、手荷物を保管したりお客様のペット(犬・猫)を飼っておく場所だった。
ディーゼルエンジンの時代になると、ダミー煙突をなくしたのはもちろん、煙突を目立たないようにして、我こそはディーゼルエンジンなりとアッピールしたそうな。
面白い話がある。帆船時代、商船と軍艦は共に大砲を装備していて外観の差はなかった。蒸気船時代になって民間の船が武装しなくなったのは、各国の海軍力が強くなり海賊や私掠船が姿を消し、戦時でなければ武力攻撃を受ける危険がなくなったからだという。
第一次大戦時、ドイツは当初は敵国イギリスの商船を拿捕はしても武力攻撃をしなかった。しかし戦況が厳しくなると「無制限潜水艦作戦」を宣言した。平和主義とか国際法なんてのは平時限定だ。一旦事あれば、それはすぐ反故にされる。そうでなければ自分が死ぬ。絶対者がいなければ弱肉強食の世界になるのは自然の摂理。
ピースボートが航海できるのは地球のほとんど全域で戦争がなく、それぞれの国家が強力な軍事力を持つからである。反戦を唱えるなら弱肉強食の世界に備えなければならない。つまり国家の軍事力を否定するなら、私人が軍事力を持たねばならない。国家権力が裁定してくれないときは自力救済しかない。
これって矛盾だよね?
ピースボートがソマリア沖の海賊から身を守るために、海上自衛隊に護衛を依頼したのは有名な話。自衛隊に護衛を頼まないためには、自分が武装するしかない。
そのときは
「ピースボート」ではなく「ウォーシップ(軍艦)」 と名乗ろう。
蛇足だが戦争反対を叫ぶデモでは、警官や反対勢力に暴力をふるう人をいつも見かけるが、あれはなんでしょうか?
他人の暴力は許さないけど、自分が暴力をふるうのは良いというのは素晴らしいダブルスタンダードですね
船の変遷(本書を基におばQ作成)
本日の思い
歳を取ったせいか、新しい発明発見よりも技術の発達・技術史を描いた本を読むのが面白い。興味を持つと夜の1時2時まで読むこともしばしばである。世の中に貢献せず、自分の好奇心で読書ばかりしていて申し訳ない。
ともかくこの本で二日間楽しめた。感謝、感謝
最後に言い訳、私にとって面白くても、普通の人には面白くないかも
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