2018.01.25
お断り
このコーナーは「推薦する本」というタイトルであるが、推薦する本にこだわらず、推薦しない本についても駄文を書いている。そして書いているのは本のあらすじとか読書感想文ではなく、私がその本を読んだことによって、何を考えたかとか何をしたとかいうことである。読んだ本はそのきっかけにすぎない。だからとりあげた本の内容について知りたいという方には不向きだ。
よってここで取り上げた本そのものについてのコメントはご遠慮する。
ぜひ私が感じたこと、私が考えたことについてコメントいただきたい。
書名 著者 出版社 ISBN 初版 価格
工作機械の歴史 L.T.C.ロルト 磯田 浩 訳 平凡社 4582532039 1989.2.20 3200円
定年後嘱託で2年少し働いたが嘱託も止めてから、もう6年近くになる。引退した理由は、私の姉が62で亡くなった。子育てやパートなどで遊ぶ暇もなく働いて、夫(義兄)が定年になってこれからと思ったら、あっという間もなかった。それを見て私は会社を辞めてすぐ死ぬのは嫌だ、少しはのんびりとというか遊びたいと思った。会社からはもう少しいてくれと言われたが、そういう理由でお断りした。
ところが会社を辞めてみれば、特段趣味もなく毎日することもない。なにか自分に合った趣味とか習い事はないかと、公民館とか図書館とかいろいろなことに首を突っ込み、興味を持てば勉強会とか講演会に行った。まああちこち見て回ったが2・3年もすれば一巡してしまう。やはり一番興味があるのは私が過去20数年仕事をしてきた機械加工とか塗装である。会社人生後半は品質保証(含むISO)とか公害防止なんてのを担当してきたが、こちらはなぜか愛着がない。
そんなわけでここ数年は工作機械や加工方法がどういう風に確立されてきたのかということから始まり、今は公差の考えとか公差の表記がどのようにして成り立ってきたのかということに興味が移っている。そういったことに関する本を読んだり、博物館に行ったりしている。
昨年には呉市にある「
大和ミュージアム 」に行った。そこには大和の模型(と言っても26メートルもある)とか実物の軍用機とか魚雷が飾ってあった。そしてそれらを作るための当時の図面や工具とか測定器なども多々展示してあって興味深く見て来た。
まあそんなことをしているが、なかなか公差の歴史そのものズバリというものがなく、悶々としていた。
Googleでも図書館でも「公差」で検索すると、ヒットした9割は幾何公差だ。「公差+歴史」では100%が幾何公差の歴史だ。アマゾン、グーグル、市の図書館、近くの大学の図書館などで「技術史」とか「図面の歴史」とかをキーワードにして探したが、なかなか昔ながらの寸法公差の歴史に関する書物や論文に巡り合わない。
それで計測器メーカーとか大学の先生などに、そういうことに興味があるのだが、参考になる書籍や論文を教えてもらえないか、あるいはどのようなアプローチをしたらよいのかという問い合わせをした。大学の先生を知っているのかと言えば知りません。研究者のデータベースというのがあり、そこに専門分野が載っているのです。技術史を専門にしている先生を探して、メールしたわけです。
ご返事くださった方は半分もなかったが、一人の先生がこの本を教えてくれた。
私の市の図書館にはなかったが近隣の市にあり取り寄せてもらいました。そしたらちょうどというかたまたまというべきか、体の具合が悪くなり運動もできず、一気呵成に読んだ。
結論は、一言で言って
感動 した。こんなにすごいと思った本は20年ぶりだ、イヤ、ほんと
もちろん欠点もある。まず訳が硬いし、翻訳のとき固有名詞を間違えたのかなと思うところが多々あった。だけど元々書いてある内容が、興味がありかつ知らないことばかりだったので、読んでいてワクワクした。
公差について書いてあったのかといえば、それはわずか数か所だった。しかしそれだけでも読む甲斐がある。
ワットは蒸気機関を発明したのではなく、改良したということはご存じでしょう。もちろんちょっとした改良ではなく、発明と言ってよいほどの偉大な革新ですが。
蒸気機関であろうとガソリンエンジンであろうと、レシプロエンジンならピストンとシリンダーがなくちゃいけません。この摺動部の隙間(クリアランス)ってどのくらいなのでしょうか。
* 摺動とは「すべらせること」です。私生まれてから70年間これを「しゅうどう」と読んでましたが、正しくは「しょうどう」だそうです。いやあ〜、無知を恥じます。勉強になりました。
ネットでググると、今のガソリンエンジンは直径で百分の4ミリとか5ミリとありました。その隙間をピストンリングで塞ぐのだから漏れは極めて少ないと思います。
じゃあ、初期の蒸気機関はどうだったんだろうとなります。
1710年代にニューコメンが最初の蒸気機関を作ったとき、そのシリンダー内径は55センチ、このときピストンとシリンダーのクリアランスはガタガタだった。それでピストンを麻で包み水を含ませて蒸気の漏れを防いだという。燃焼ガスでもないし高温高圧の水蒸気でもないから、それでなんとかなったのだろう。
当然熱効率はべらぼうに低かった。0.5%くらいだったらしい。ニューコメンの蒸気機関は石炭を掘る時の漏水の汲み出しに使われたのだが、この水汲みだしの蒸気機関が掘り出した石炭の三分の一を消費したというから、なんのために石炭を掘るのか悩んでしまう。
1776年にワットが作ったものは、内径125センチでシリンダー内寸の誤差は1シリングコインの厚さより小さかったとある(p.62)。1シリングコインといっても、時代によって価値も大きさも材質も違います。1700年代の1シリングコインは径が23.6ミリ、重さ5.66g、銀が92%(残りはたぶん銅か亜鉛)とありましたので、計算すると厚さ1.3ミリになります。
これクリアランスではなくシリンダーの直径の誤差ですよ。誤差が1mmとは結構大きいと思いますが、当時は画期的だったんですね。誤差がこの程度ならクリアランスは直径で5〜6ミリあったのかもしれません。
2020.07.05追加
「精密への果てなき道」 という本を読んだ。
その本の「星々、秒、円筒、そして蒸気」という章で、ワットの蒸気機関について書いてあった。そこでは当時の1シリングコインの厚さは2.5ミリであり、その程度の隙間のバラツキがあったと書いてある(p.75)。
隙間ではなく隙間のバラツキである。
なおその後蒸気機関を数百台生産することにより、そのバラツキは6ペンスコインの厚み程度になったとある(p.76)。これは1.3ミリである。
いずれにしても隙間でもなく公差でもなく、バラつきであることに注意。
その程度の精度なら、寸法を測るのはノギスとかでなくものさしで間に合ったでしょう。いやノギスがなくてものさししかなかったから、この程度しかできなかったのかもしれません。
ワットの揚水機関の
熱効率 は2.7%だったそうですが、それまでに比べれば大躍進です。
ちなみに蒸気機関車は復水器もないけど、熱効率は10%だそうです。立派、立派、
この本によると図面に公差が記入されるようになったのは、1885年頃らしい。
公差以前の話だが、寸法を測ること自体が大変だったという記述を散見する。やはり測長機を発明(1856)したホイットワースと、ブロックゲージを作った(1901)スウェーデンのヨハンソンがエポックメーキングだったのだろう。そしてそういうものが普及しないと、正確な寸法が測れないし、寸法を測れなければ誤差を認識できない。そもそも互換性という発想がなく現物当りでものつくりをしていたなら、公差を記入する意味はなさそうだ。
1903年、ランチェスターは自動車の軸と軸受けを作る時、内径の公差をプラスに外径の公差をマイナスにすると発想したとある(p.270)。
まさにIT公差のHとかgという公差域クラスの発想だ。この公差の指定方法によって、単純にあるべき数字を定めてその上下に均等の公差を付けるのではなく、表記や管理を簡単にすることができたという。
ということは、このときは既に図面に寸法公差を記入するというルールが成立していたことになる。もちろん全部の寸法ではなく特定の組み合わせにおいてだけだったのだろうけど。
私は工業高校の機械製図では、IT公差という名で習ったが、軸をマイナス・穴をプラスに定めた理由とかメリットなどを教えられなかった。もし呼び寸法の扱いやすさ、限界ゲージの整備、管理上の負荷などを含めて、公差体系を決めたのだと教えられたなら、もっと興味が持てただろうと思う。
320ページの本で公差について記述があるのはそれくらいだったのだが、それだけでも読む価値はあった。以下本を読んで思い付いたことをあげる。
このタイトルが「工作機械の歴史」(A short history of machine tools)という本を、イギリス人だけで超初期の金属加工機械から近代(1910年頃)までの歴史を書き綴れるとは羨ましい。やはり先進工業国は歴史があるのだ。
もちろんイギリス人以外にも、アメリカ人、フランス人その他の欧州人の名前が少数出てくるが、残念なことに日本人だけでなくアジア人もアフリカ人も一人も出てこない。残念というか悲しい。
とはいえイギリスも既に過去だ。第二次大戦以降はアメリカが工作機械や測定器の先進国になった。何事においても諸行無常だ。
イギリスがいつかアメリカに追い越されると思わせるエピソードがある。1832年アメリカでの話(p.189)。
「蒸気船造船業者に、なぜそれほど船を華奢に作るのかとたずねた。すると蒸気船の技術は日進月歩だから新しい船はより進歩している。長持ちするように作っても、壊れる前に製品が陳腐化してしまうと言われた(要約)」
物を作るというのは独りよがりではダメだ。顧客(使用者)がなにを求めているのか、社会はどう変化するのか、そういうことをものづくりに反映しないと、製品力は低くまた製品寿命は短いだろう。
20年も前、会社の部長の奥さんが乗っていたスクーターが壊れたという。その部長は設計者を集めて一説ぶった。壊れたことが不満だったのではない。
「ホンダはすべての部品の寿命が一斉に来る。お前たちもそういう設計をしろ」
いう易く行うは難し。さすがホンダ!
日本について考えると、明治維新というか開国というか、それが1860年頃というのは実にタイミングが良かった。当時の最先端機械は見れば理解できる程度であったから。理解するとはそのものを見て分かるだけでなく、過去からの発達とか経過を知らないといけない。
その頃はまだ互換性も実現されていなかったし、今現場で見かける測定器もなかった。だから日本も先進国の後追いではあったけど、一応レースに加わることができた。もし開国があと50年遅かったら先進国を追いかけるのは難しかったろう。そして計測器などは日本人が工夫する余地なく、先進国から完成したものが入って来るだけという状況になってしまっただろう。
私は寸法精度というものは測定、加工、図面指定の三面から進化してきた と考えていた。それは間違いないだろうが、進化する理由は必要性があったからだ。それに気が付かなかったということに気が付いた。
ワットがそれまでのシリンダーの精度では満足しなかったのは、見た目や感じが悪いからでなく効率をあげるためであり、ホイットワースはボルト・ナットを常にペアにしておかなくても良いように、コルトは西部開拓地で銃が壊れたとき、修理に出さなくても部品を交換すれば使えるようにするためであった。
必要は発明の母であり、技術革新の母である。
この本に「機械の中に熟練を組み込む」という言葉が何度も出てくる。
熟練工でなくても誰でもできるように、人が代わっても同じにできるように、これこそが工作機械発展の原動力だろう。いやそれは工作機械だけでなく作業の標準化をもたらし、工業だけでなくすべての業種において仕事の標準化、合理化、改革を起こしてきた根本原因だ。
日本はそこが弱い。製造業だけでなく非製造業においても、業務の標準化、自動化、機械化という点ではいまだ道遠いと思う。弱いというよりも、技能や熟練に重きを置きすぎているのではないか?
熟練工や卓越技能者を顕彰するのは止めて、「機械の中に熟練を組み込んだ人」を褒めたたえるべきではないか。いや、私がいろいろなジグやゲージを作ってきたからではないけど。
製造業だけでなく、ベテラン販売員を讃えるのではなく、販売員の作業手順を標準化、明文化した人を讃えるべきだ。そういう発想が足りないのが日本の大問題だと思う。
形削盤というのは1836年にナスミスが発明したという。私が二十歳頃、これを使っていたのでちょっと懐かしい。いまじゃ形削盤などどこでも使っていないだろうし教科書にも載っていないだろうけど、50年前は一人前の工作機械だった。今工場で活躍しているNCマシンも50年経てば工学史の中に出てくるだけになるのだろうか?
紙テープとかRS232Cなんてのは既に博物館入りしたようだ。
本日のちゃらんぽらん
この本を読んで感動したと書きましたけど、現役時代にこの本を読んでも、感動どころか面白いとは思わなかったでしょう。公差がどのように発明されたかとか進歩してきたかなんてことも興味がなかったですね。現役のときはいかに速く安く作るかということだけ頭にあって、自分がしている仕事がどのように築かれてきたかなんてことを考える余裕もなく、考える意味も理解できなかったでしょう。
要するに昔 機械加工に携わっていた暇な老人が、過去を懐かしむにはお似合いということです。
だからか〜、技術史を研究する人がいないのは。
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