2018.11.01
お断り
このコーナーは「推薦する本」というタイトルであるが、推薦する本にこだわらず、推薦しない本についても駄文を書いている。そして書いているのは本のあらすじとか読書感想文ではなく、私がその本を読んだことによって、何を考えたかとか何をしたとかいうことである。読んだ本はそのきっかけにすぎない。だからとりあげた本の内容について知りたいという方には不向きだ。
よってここで取り上げた本そのものについてのコメントはご遠慮する。
ぜひ私が感じたこと、私が考えたことについてコメントいただきたい。
昔マイブームなんて言葉がはやったことがある。いつだったかとググったら1997年の流行語トップテンだった。それとは全然関係ないが、今 私は倉山 満がマイブームだ。凝っていると言ってもいい。いや凝っていたと過去形だ。既に熱は冷めた。
倉山満
そもそもの始まりは、9月初めのアンチサヨクデモに参加したとき、顔見知りの人から読めと言われて、題名は忘れたが倉山 満の新書を1冊渡されたことである。デモに行くと、読んだ本を仲間に譲るというのはよくあることだ。ありがたく頂いた。
一読して文章に特徴があり面白いと感じた。
そのあと、
奥付 ( おくづけ ) を見てそう言えば倉山 満の本を読んだことを思い出し、過去の自分の書評をみたら2013年に
「嘘だらけの日中近代史」 という本の書評を書いていた。
まあ、そんないきさつから少し読んでみようかと図書館から倉山 満著というものを5冊ほど借りてきた。表紙から裏表紙までじっくり読んだのもあるし、興味のある章立てのみ読んだものもある。なにせこの人は、同じことで何冊も書いているのだ。新刊と思って読むと、以前のものと中身がほとんど同じということもある。
読み終わると図書館に返して、また新たに5冊くらい借りてくるというようなことを数回繰り返した。
下表に示すようにこの方は多作であるから読むのに事欠かない。とはいえ10冊を超えると、以前読んだなと思うようなものばかりになる。実は16冊読んで胸焼けしてゲップが出たから読むのを止めた。
また感じたことがもうひとつある。この人の書いたものを読むと、三橋貴明が思い浮かんでくる。何が似ているかというと本の書き方だ。
イメージであるが、お二人はものすごいデータベース(知識というべきか)を持っていて、どんなテーマの本を書くぞと決めたらキーワードをいくつか決めてデータベースから抽出し、それを適当につなぎ合わせて仕上げているという感じだ。というのは出てくる事例(エピソード)が同じであったり、同じ文章やグラフを使いまわしていたりというのが見受けられる。
ちなみにお二人がいかほど本を書いているかというと次のようになる。
発行年 倉山 満 三橋貴明
2007 0 1
2008 0 2
2009 0 6
2010 1 9
2011 2 10
2012 2 6
2013 3 8
2014 12 3
2015 9 4
2016 5 6
2017 8 5
2018 ? ?
過去8年平均 5.3 6.4
実際にはどのように書いているのか分からない。しかし2018年1月から10月までに15冊とは多すぎないか?
粗製乱造とまでは言わないが、こんなに多くの本を書くにはそれなりのテクニックがあると思う。
そして主張していることも取り上げている事例も本が違っても似たり寄ったり。まず5冊くらいじっくり読めば、それ以降この人たちの書いた本は要点を読めば間に合うように思える。
但し三橋貴明はデータが常にアップデートされるに対し、倉山 満のデータベースはスタティックだ。
おっと、そういうテクが悪いとは言わない。小説家だって同じようなもの。キャラクターがABC・・、ストーリーが甲乙丙・・、
アイザック・アジモフは
科学、言語、歴史、聖書
ノンフィクション、小説
など500冊以上書いた。
トリックがαβγ・・という持ち合わせがある作家なら、A・甲・α・・次はB、乙、β・・といった組み合わせで書いているにすぎない。浅田次郎も池井戸潤もみな同じ。だいたい5冊も読めばもうたくさんになる。同じ作家を10冊20冊と読む人もいるが、きっとマンネリが好きなのだろう。
この呪縛を逃れるにはマーガレット・ミッチェルのように1冊だけで書き逃げするか、アイザック・アジモフのように真の天才であるか、あるいはマンネリ上等と池波正太郎や片岡義男のように開き直るかしかない。
倉山先生は思想的カテゴリーを次のように分けている。この論をどの本でも語っていて、彼の考えのベースのようだ。
左派 右派
インテリ インテリサヨク 日本が嫌い 権力が好き 公明党
理論派右翼 日本が好き 政府の誤りを批判倉山センセ
アホ アホなサヨク 日本が嫌い 権力が嫌い パヨク 共産党、SEALDs
アホな右翼 日本が好き 政府におもねる ネトウヨたぶん私はここ
ともかくこれを唱えるだけでどの本でも毎回数ページを費やしているわけである。紙の無駄・環境破壊とは言わないが、冗長であることは間違いない。
まあ何をしようと考えようと好き好きだけど、自分のいるゾーン以外はダメというのはいかがなものか? 明治維新は高杉晋作と伊藤博文だけがしたわけではない。人斬り以蔵だって重要人物だ。倉山満が100人いても、それだけじゃだめなんです。
2017年10月21日 秋葉原駅前 この右側に「負けるな安倍総理」という
垂幕があり、それを支えていたのは私だ
倉山が平日1000人集められる政治家は立派だとほめるなら、平日に集まる1000人も誉めなければ片手落ちだろう。
2017年の衆院選で秋葉原駅前で雨の中大きな垂れ幕を、凍えながら支えていた自分をほめてやりたい。俺はテレビに映らなかったけど、持っていた垂れ幕は全国に放映されたし、今でも
YouTube にある。
同じくパヨクを馬鹿にしているが、SEALDsは国会公聴会で発言しているが、倉山センセは知る限り発言していない。知名度は
SEALDs >> 倉山 である。
だからパヨクと無視してはいけない、カルタゴは滅ぼさなければならない、パヨクは叩かなければならないのだよ、分かったか、倉山君、
同じくネトウヨを馬鹿にしてはいけない。倉山センセよりも世の中に影響力があるのはネトウヨだよ。2011年のTBS偏向報道抗議デモに参加した多くの人は2ちゃんを始めとするネットを見て集まった。私も参加した。倉山センセイは参加したのだろうか?
ちなみに私は2018年は10月までに、アンチサヨクのデモに39回参加した。
内政・外交で問題と感じれば官邸、政党、マスコミに意見メールを発信している。
慰安婦像設置都市には、つたない英語で抗議メールをジャンジャンと送った。もちろん駄々をこねるだけではなく、アメリカ軍の報告書や種々資料のURLを添付した。
「憲法9条にノーベル賞」への反対として、スウェーデンやノルウェーに数十通のEメールを送った。英語が不得手なのが悲しかった。倉山先生のように自慢はしないが全力で行動しているつもりだ。
おっと、某サヨク団体のように、国会デモに行くと弁当が出るとか、辺野古のデモに行くなら旅費がもらえるなんてことはない。倉山先生の区分では「アホなウヨク」である私は、電車賃も弁当も自分持ちである。月数千円の電車賃は年金生活者には負担である(ホント)。私はデモ暮らし(デモクラシー)をするプロ市民ではなく、ボランティア市民(義勇兵)である。倉山先生は右下とかアホなウヨクなどと言わない方がいい。それは自分を貶めることだよ。
倉山さんは消費税増税反対で安倍はダメという。私も消費税増税に大反対だが、安倍首相に辞めろと迫るのも後釜を考えると二の足を踏む。
政治とは最小悪の選択だ。それは投票における判断だけでなく、政治家の判断でもそうだ。倉山さんが理想を掲げて、それを絶対に譲らないというのなら、あなたは理想主義者であってもあなたの大好きな現実主義者ではない。
となると、倉山説の
理想主義者=現実主義者 というのは真ではないことになる。どうなんでしょうか?
中国政策、韓国対応、安全保障、財政などを考えると、石破ではダメだ、岸田もダメ、石原もダメ、小泉もダメ、麻生さんも困る、安倍さんしか残らないというのが現実でしょう。政治とは最小悪の選択なんです。
自民の政治家はどれもダメだ、自民党の目を覚ますために立憲民主党を選ぼうなんて言い出すなら、東日本大震災を忘れた鶏のような進歩のない人です。
倉山センセが高尚なことを語っても、日本は動かない。あなたの大好きな吉田松陰さんも言ってますよ、
草莽崛起 ( そうもうくっき ) って、
最後にもう一つ疑問がある。倉山センセはどの著作でも「想像の共同体」(
ベネディクト・アンダーソン )について一言も言及していない。あれ嫌いなのかな、どうなんでしょう?
本日の結論
倉山先生はかなり唯我独尊の性格らしい。それが悪いとは言わないし、唯我独尊であっても、その思想が正しいとか正しくないとは無縁である。ただそういう人には付いていきたくないと感じる。
倉山 満の著作はためにはなるが、彼は日本を動かす力があるのかと言えばないだろうし、活動スタイルが今の時代に遅れていると思う。三橋貴明の方が感覚も戦術もはるかに進んでいる。
それに倉山さんの著作には当たり外れが大きい。三橋貴明にはあたりはずれはあまりない。倉山先生と三橋貴明の一番の違いは、三橋はいつも己の意見の根拠とした出典を記している。そしてそのデータを基に異なった結論になるなら、反論してこいと明言していることだ。それは討論者として公明正大なスタンスである。私は三橋貴明が大好きでもないし、彼の考えを支持するわけでもないが、彼の本の書き方とか表現については大賛成である。
ちなみに倉山センセは三橋貴明が大嫌いらしい。
倉山センセへのエクスキューズ
昔、石原慎太郎は言いました。「俺は自分の思っていることの一部しか語っていない。更に俺の発言の一部を聞いて俺に反論するとは何だ」と、
大倉山先生の著作を全部読まず、更には憲法も地政学も知らずに文句を言ってくるんじゃねえーと言われそうですね。それは認めましょう。
大先生の著作を全部読んでないのは、私の街の図書館にあるものだけ読んだからです。自分の金で買う気はしませんでした。それでも十分かと思います。(2018年10月時点で51冊、内私が読んだのが16冊)
おっと、憲法対訳本だけは自前で買いました。図書館になかったし、期待したからです。そして
594円払ったのを後悔しました 。
以下、私が読んだ感想、気付きを書く。
一覧表は
下に添付 する。
■世界の歴史はウソばかり
細かいところはそんなこともあったのかと気づいたこともあるが、まあ、良く知られていることばかりだ。
気になったというか覚えておこうと思ったフレーズは下記のとおり。
「外国は武力があれば国家承認する」 (p.12)
「トランプはWASPでないからマスコミから攻撃される」 (p.154)
アメリカのジャーナリズムから攻撃されるのを見ると名門でないからかと思っていたが・・
「ファシズムはナショナリズムの反対である」 (p.178)
日本においてこれだけでなく立憲主義もリベラルもコンサバなどの言葉を、マスコミやサヨクがいい加減に使っていると思う。倉山先生もそう見えるけど?
■学校では教えない満州事変
延々と続く本であるが、頭に残ったのはただ次のフレーズのみ
「平和主義、英訳すればパシフィズム、パシフィズム、和訳すれば平和ボケ」
「民族主義は良く、国家主義は悪、どっちも原語はナショナリズム」
■日本史の英雄
選んだ20人は人によって好き嫌い、毀誉褒貶さまざまだろう。
冒頭に古事記の登場人物が4人も続くので、そうことに興味のない人は、そこでギブアップ・ドロップアウトするんじゃないかなw
逆に私は古事記、日本書紀大好きだから、倉山先生の解説に異議ありです。
記憶に残ったフレーズ、
「英雄とはその人がいたから今の日本がある人」 (p.10)
「日本の国体(体制)は1800年間変わっていない」 (p.23)
「日いずる処の天子、書を日没する処の天子に致す」 (p.57)
シューキンペーにそう言える総理が欲しい
「使命とは命を使うことなり」 (p.95)
この人、吉田松陰が好きですねえ〜、反面、坂本龍馬はお嫌いなようだ。
■右も左も誤解だらけの立憲主義
憲法とは何かと語るのだが、憲法典のみを読み考えてもダメだという。そう言われるとそうなんだろうけど、法律なんて学んだことのない、またこれから学ぶ時間もない私みたいな者は憲法を論じてはいけないのか?
いや、倉山大先生によると安倍総理を始めとしたほとんど全部の政治家も、憲法を知らんと一刀両断。学者から見ればそうかもしれないが、現実をみれば憲法をどうにかしないとどうにもならないだろう。
正義はこれだ!と叫んでもSEALDsも共産党も実存しているんだよね。そこが学者とリアリストの違いなのか? 現実はアインシュタインの相対性理論でなくニュートン力学で動いているのだよ、倉山君
まあ気が利いたというか使えそうなフレーズをメモっておく
「デモクラシーは平和主義にあらず」 (p.10)
「日本国憲法はポツダム宣言・サンフランシスコ平和条約・日米安全保障条約の三つの下にある」 (p.48)
兵頭二十八は「日米安保条約、サンフランシスコ講和条約、日本国憲法、極東軍事裁判、ポツダム宣言というのはセットである」と語っていて、その通りと思っていたが、セットはセットでも上下関係があったのか!
「過去の首相談話は憲法化していて覆すことはできない」 (p.50)
そういう気もするが、それならどうすればいいのか? これも分からない
「日本の主権者は内閣法制局である」 (p.63)
「内閣法制局こそ「左上」の総本山」 (p.67)
ひとつわかったことは、立憲民主党とは立憲主義とは無関係だということ。
■政府も学者もぶった切り!倉山満の憲法九条
参考になった。しかし欠陥が二つあると思う。
日本国憲法は日本語ではなく英語で読むべき ということ。我が愛しき日本国憲法は、部分的に和訳を間違えていたりするから。
これは私の暴論ではなく、終戦後しばらくの間、日本国憲法に疑義ある時は英文で読むべしと六法全書に日本国憲法英文(原文というべきか)が併記されていたという事実がある。
ということで日本国憲法の解釈は「英語で日本国憲法を読む」 島村 力、グラフ社、2001を勧める。
島村 力を読まなくても良いが、憲法解釈は英文を基にしてくれ。
安倍さんの改憲論をだいぶ批判している。そのお気持ちは分からんでもないが、現在の国会においては、日本国憲法を改憲しようという発言そのものが、憲法99条「天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負ふ」に反すると糾弾されるという現実を考慮すれば、どうすればいいのかと反論したくなる。私は改憲派というよりも安倍派かな?
■口語訳 日本国憲法・大日本帝国憲法
この本を読んだ感想を一言で言えば、「買って損した、金返せ!」
法律や憲法の原文は著作権はなく、廃止された憲法や法律も含め
電子政府 にもあり利用は無料である。値段を付けて売ろうとするなら付加価値がなければならない。例えば日本国憲法英語原文を改めて和訳するなら価値がある。そうでないなら金を出す意味はない。
こんなものいらない。
それと対訳本とは左右が同箇所でなければダメ。同じ個所をページをめくって見比べるようでは対訳本を名乗ってはならん。わずかな紙代をケチろうとしたのだろうか?
■常識から疑え 山川日本史
ちょっと待ってください、「常識」の語義を誤解してんじゃないですか、センセイ?
常識とは元々の日本語とか中国語ではなくコモンセンスの翻訳語です。
突っ込まれる前に:
なお「常識」は日本語にその概念が存在しないので中国語にあった言葉を新しい意味で転用した「転用語」という説もあります。しかし記載されていた中国語の辞典は日本からの輸入語を載せただけという論もありほんとのことはわからない。
ロングマン英英辞典によると、Common senseとは
the ability to behave in a sensible way and make practical decisions
「賢明なふるまいや現実的な判断ができる能力」ですよ、
日本では普通 常識って社会人が持つべき知識って解されていますね。つまり流行の歌とかタレントを知っているとか、政治家の家系とか不倫に詳しいこととか。センセイもその意味で論じているように見えます。しかしそうじゃないんですよね。常識って持つべき知識ではなく、持つべき知恵なんですよ。
常識という言葉の意味を疑わないとね
!
歴史とか地政学とか知らなくても、コモンセンスあると振り込み詐欺に騙されたり、サヨクのプロパガンダに洗脳されません。コモンセンスのない人をサヨクと言うのかしら?
コモンセンスあると
クール ( かっこいい ) です。あっ、センスと扇子は違いましたっけ?
本書で気が利いたフレーズと思ったこと、
「大阪の役も島原の乱も、背景にあるのはカトリックとプロテスタントの宗教戦争で、30年戦争の代理戦争である」 (p.52)
実はこれ、ネットの架空戦記で同様の記述がありました。ネット小説をバカにしてはいけません。おっとそのネット小説はこの本より早かったです。
しかしネット小説や架空戦記を読むと、職業小説家や学校の先生よりも、愛国心溢れるまっとうな考えの人が多いです。共産主義革命を!と叫ぶネット小説家を見たことありません。やはり日本人の本質はまっとうなのだなと思います。
もっともプロ作家(村上春樹)とかプロ映画監督(宮崎駿)はみな真っ赤っかです。プロ市民もそうですが、プロが付くとロクなもんじゃありませんね。これらはプロフェッショナルでなくプロパガンダの略かもしれません。
「(政治で)実際に強いのは拒否権を持っている方」 (p.99)
これは常日頃の国会とかサヨクデモで見かけますね、一番強い人は弱者とは語義矛盾ですね。
サヨクのデモでは常に車いすが先頭です。彼らは不自由な弱者ですから最強のプロ市民です。
■世界一わかりやすい地政学の本
まずこれは地政学の本ではなく、地政学を名乗った倉山満の近代史観ということ。
「皆がそれぞれの正義を持っている」 (p.7)
このフレーズはネット小説の異世界もので良く見かけますネ、リアル世界だと帝国主義とか民族自決とかノイズが多くて真理にたどり着けないけど、仮想世界では一挙に真理を手にするのでしょう。
「プロテスタント側についた幕府がカトリック勢力を追放したのが鎖国」 (p.25)
これもネットの架空戦記で良く言われてます
「中立とは両者の味方になることではなく、両者の敵になること」 (p.26)
ネットの異世界の姫様の言葉です。
「ブッシュJrが大統領になれたのはスペイン語で演説ができたから」 (p.36)
じゃ、日本では朝鮮語が必要でしょうか?
「地政学は学問ではなく、技術でなく、アートである」 (p.44)
確かに倉山センセのおっしゃるように科学ではなさそう。
「国内法は強制法、国際法は合意法」 (p.55)
「国際法の決着は戦争である」
「戦争ができるのは文明国で主権国家」
みな異世界の宰相が語っています。
第3章はやはりこの本程度では・・第一次大戦についての本を何冊か読まねばなりませんね。
■帝国憲法物語
一言でいうとなかなか読みごたえがあった。だいぶ前に伊東哲夫の「明治憲法の真実」を読んだが、伊東は関係者の熱意に重点があり、こちらは憲法の中身に重点がある。どちらも一読の価値あり。
しかし伊東哲夫とか倉山満を読むと、司馬遼太郎はほんとにクズだと感じる。赤川次郎と同じレベルとして読まないといけない。おっと、赤川次郎を貶しているわけではない。赤川次郎はれっきとした小説家であるが、司馬遼太郎は歴史家を騙った小説家ということ。
この倉山のお兄さんはかなり骨太というか真理を追究するタイプのようで、当面の危機をどうするかという妥協心はなく、こうあるべきだ、これしかないという信念があるようだ。彼にかかるとサヨクの天敵 安倍晋三も軟弱なご都合主義者になってしまう。ということは倉山のお兄さんは絶対に政治家には向かない。
だから保守的な法律家である西修とか高久泰文なんかとも相いれない。求道者は孤高の道を歩むのみ、といっても倉山兄さんの写真はいつでもお笑い芸人のようである。
ただ現実の世の中にこの倉山センセがなにをできるのかとなると、疑問符だらけですけどね、
実行不可能な正論を突きつけて主流派(政権担当者)を揺さぶるのは常套手段だ (p.60)
まさしく市民団体の主張や、サヨク政党の日常です。
でも、倉山先生もできもしないことを保守層にぶつけて皆を困らせているよう見えるんですけど? ということは倉山先生も絶対に保守の責任ある地位に就くつもりがないということなのでしょうか?
現実的な人間は勝負ができないとして、坂本龍馬や徳川慶喜を上げる。そして非常識(天才的)な人として大久保利通や高杉晋作を上げる。(p.100)
そうなんでしょうか?
文明国とは大国のこと (p.159)、大国とは軍事大国のこと
天皇制とは共産党の造語である (p.191)
これは言わずもがなの分かり切ったこと。しかし以前 同志と酒飲んで議論していて天皇制なんて言葉はないと私が言うと、学のある同志が「だけど既に定着しちゃったからしょうがない」と・・
■頑張れ瀕死の朝日新聞
勝谷誠彦との共著である。勝谷誠彦とはかの有名な「築地をどり」の勝谷である。20世紀は築地をどりを読むのが楽しみでした(遠い目)。
あのカツヤさんがまだ生きているとは驚きです。ウィキをみたら、私より10歳以上若いんだ。それも驚き!
2018.11.29追加:
11月28日 勝谷誠彦氏が亡くなったと報道された。
ご冥福をお祈りいたします。
20年も前、私はあなたの築地をどりを楽しんでおりました。向こうに逝かれても朝日新聞を揶揄してください。私はそちらに逝ってから読ませていただくのを楽しみにしております。
実を言って私は対談本はあまり好きでない。二人が会話してそれを本にしたものなど買う方からしたらコスパ悪そうだ。
実はこれ「カツヤマサヒコSHOW」というテレビ番組で2014年の放映を文字起こししたもの。だからお互いに言いたい放題でガス抜きしているだけのように思う。
お二人とも言いたい放題であるが、それだけ
買うまでもなく、図書館から借りるほどでもない。立ち読みして終わりだな。
いやいやいや、読むまでありません。
■面白いけど笑ってはいけない!国民の敵はここにいる
ウヨクと揶揄されている「はすみとしこ」さんとの対談である。
はすみさんの絵 も好きだし、主張も好きです。でもこの本はお勧めできません!
内輪ネタ、分かり切ったことばかりでつまらない。読んだ時間が無駄だった。
一言で言って、手抜きである。情報はスカスカしかない。この本が1400円とは暴利!
最低賃金で1時間半も働かねばこの本が買えないというのは異常である。この本は価格の値打ちがないと言おう。
■逆にしたらよくわかる教育勅語
言いたいのは分かる、堅苦しかったら手に取ってもらえないというのも分かる。今どき教育勅語をそのまま復活させようというのはアウトブデイトというのも分かる。私もそれと同じことを過去より語っている。
現代人に教育勅語をなじませるために、倉山センセのアプローチはアリだ。いや最善手だ。
実を言って私の同志は多い。頭のいい人もいるし、お金持ちもいるし、頭も良くなくお金もないけどデモとかメール攻撃なら徹夜でも頑張る私のような者もいる。それでいいと思う。
三橋貴明も、田母神閣下も必要だし、櫻井よしこも必要だろうし、倉山センセも必要なのだ。
学問のある人は学問で、政治力があるならそれを、知名度があるならそれで、デモに参加するのだって重要だからね、
教育勅語をみなが同じことを叫んでもしょうがない。教育勅語をまっすぐに推薦するのもあり、現代語訳して広めるのもあり、おちゃらけで推薦するのもあり。
この本の存在価値は多大だ。
私は
伊東哲夫の「教育勅語の真実」 も良いが、この本も良い。まじめに推薦します。
■大間違いの織田信長
読むには面白い、でも裏付け資料が記載されていない。
例えば
「戦後に突然ヒーローになった信長(p.39)」 とありますが、じゃあ江戸時代、明治、大正、昭和20年まで、戦後それぞれ信長の研究や講談や小説はいくつあったのか?
学者が本を書くとき引用文献をリストアップすべきか否かというのは一概に言えないが、呉善花さんは新書であっても、引用文献・参考文献のリストを何ページもつけている。もう一人上げるなら三橋貴明は分析したデータの出所をちゃんと示している。そういうのがあると裏を取ることができる。実を言って私はそういう引用文献をたどって読むのが好きだ。
「現実主義と理想主義は同じで、その反対語は空想主義と現状主義」 (p.125)
言い回しはカッコいいけど、事実はどうですかね?
「小氷河期は、足利義輝が将軍になった時代に終焉を迎えようとしています(p.105)」 とあるのはどうだろう?
戦国時代が小氷河期で始まったというのは定説である。しかしこの文章にひっかかったので、過去の日本の気温の変化をネットで見た。論文などのほとんどは1400年から1700年くらいまでを小氷河期としている。足利義輝が将軍だったのは1546〜1565年、彼が亡くなっても小氷河期の終焉まで100年ありますよ。信用できません(キリッ
Cf.「戦国時代は火山爆破連鎖と寒冷化で始まった」
■日本人が誇るべき《日本の近現代史》
倉山センセと杉田水脈議員の対談集。
私は前にも述べたが対談集は好きじゃない。同じ情報量を対話によって薄めているだけという気がしてならない。私は若いとき1ページ10円の価値がないと損したと思った。要するに私は貧乏人なのだ。
倉山センセはかなり天上天下唯我独尊という感じだが、小室直樹は尊敬しているようだ。確かに小室直樹は天才だもんね。実は私も小室直樹大好きです。
他方、司馬遼太郎はけちょんけちょんだし、半藤一利もいけないという。同感だ。なんかこの本の倉山センセには同意することが多いぞ!
私は司馬遼太郎に会ったことがないが、私の友人の一人が昔、司馬遼太郎を渋谷のスクランブル交差点で見かけたという。彼が言うには混雑する交差点の真ん中で立ち止まり空を見上げてさかんに頷いていたという。横断する人たちが司馬と知ってか知らずか迷惑顔で避けていったという。友人は「役者やのォー」と花の応援団のようなことを言う。
司馬は小説家としては大したもんだと思うけど、歴史家ではないし、ましてや作戦参謀が勤まるわけではない。彼が語る戦略・戦術はすべて想像(嘘)である。そして彼が明治や大正や軍隊そして戦前の社会を捏造して広めたと思っている。半藤も同じく井坂十蔵、
基本的に、この本の内容については同意する。ただ前述したように情報を薄めてページ数を増やしお値段を(以下略)
もしA4サイズとかA3サイズに企画書のようにまとめてくれるなら、ぜひそうしてほしい。紙代がかからないだけでなく環境にもよく、なによりも論者の意図がはっきりして良し悪しが分かりやすい。
■保守の心得
この本を読んでいると、揺れる船に乗ったような気分になる。つまり注意力をそらされて集中できず、数を数え間違いしてしまうような、ひとつの物事をじっくりと考えらないような気分になる。
この言い方は私が持ち合わせる最悪の謗り言葉である。意見が異なるとか間違っているでなく、論理的でないという指摘である。過去いくつもの
書評を書いてきた が、この形容をしたのは超ダメ本
「「朝日新聞」もう一つの読み方(渡辺龍太)」 だけだ。よって倉山センセは二番目の栄誉を受けたことになる。倉山センセが渡辺龍太と同じレベルとは思いたくない。頑張ってほしい。
いろいろ書くと面倒なのでタイトルにある「保守」だけ挙げる。
保守を論じるなら保守とは何かはっきり定義することが出発となろう。どうも倉山のお兄さんが考える保守とは辞書にある一般語の保守とは違うようだ。違っても良い、この書では保守をこう定義すると表明すればよい。
ところがこのお兄さん、「保守の心得」と言いながら
「保守とは何かを考えていただくこと(p.20)」 とあって、保守を定義しない。そして文中ときによりところによって、保守とは何かと語ることが変わっていくのです。曇時々保守、ところにより革新でしょうって、天気予報じゃねえか!
議論というのはそういうものじゃないだろう。論文もISO規格も定義から始まる。まず保守を定義してほしい。そしてお互いにそれをベースに論じなければ議論ではない。
とにかく倉山お兄さんが語るのは政治的保守なのか、思想的保守なのか、社会的保守なのか、日本という国を文化を維持することなのか(倉山さんが書いている)、あるいはなんなのか、それさえも分からない。要するにわけがわからんということでオシマイ、
まあ推察するにつけ、倉山センセのみが保守を体現していて、それ以外はみなエセ保守なのでしょう。
俺の目を見ろ 何にもゆうな〜
♪
それと倉山センセの本には必ず出てくるサヨク・ウヨク4分割説、同じアイデアなら1回聞けば十分。飽きたヨ。
■2018年9月から10月に読んだ、倉山 満 著作物(共著も含む)
注1) 並んだ順序は発行年である
注2) 以前読んだ本は含まず
注3) 評価★のクラス分け
★★★★★ : ためになった。多くの人に勧めたい
★★★★☆ : ためになった。もう一度読み直したい
★★★☆☆ : 読んだ甲斐はあった
★★☆☆☆ : 分かり切ったことで読むまではなかった
★☆☆☆☆ : 読むだけ無駄だ。時間を返せ、金返せ