*この物語はフィクションです。登場する人物や団体は実在するものと一切関係ありません。
但し引用文献や書籍名はすべて実在のものです。民明書房からの引用はありません。
時は1923年12月末、大震災からもう4カ月が過ぎた。この間いろいろなことがあった。
●
帝都及び横浜・川崎復興事業はもはや政策研究所とは関わりなく、純粋に立法と行政のマターとなって進んでいく。● ● ここは政策研究所である。集まったのは吉田部長のメンバー、米山、兼安、幸子、松葉杖からやっと解放された吉沢、熊田、そして工藤社長と伊丹、更にさくらがいる。 | |||||||||
「関東大震災対応もなんとかというところか。我々の成果は予想よりも良かったか悪かったか、皆どう思っただろうか。 私はどう頑張っても人間の力は自然には勝てないという思いだ。自然に逆らわずに生きていくしかない。江東区、江戸川区など、やはり人が住むにはリスクが大きすぎる。都市計画以前に、どういう土地なのかと考えて土地利用を決めなくてはならない。個人的には住居、商業、工業など市街地の大枠としての土地利用を定める法規制を作り、効率的で環境の良い都市を作るべきだろう。 後藤大臣もそう考えているようで、聞くところによると江東区、江戸川区は今後は住宅や工場の建設を規制するという」 | |||||||||
「部長、そうしますとあの広い土地をなにに利用するのでしょう」
| |||||||||
「まだ構想段階だが、緑地、農地、飛行場、競技場、イベント会場などにするつもりのようだ」
| |||||||||
「都心近くでもったいない気がしますね」
| |||||||||
「住宅地は山の手より西と、市川より東にするという。あの広い土地が緑地になれば気候も安定するだろうし災害にも強くなる。なによりもあまりにも連続した街並みより、森林や田園によって間隔を取ればより災害に強い帝都になるだろう。 それに江戸川から都心に通勤するのと、市川や船橋からでも大して時間は変わらない。 さて、これからも我々の課題は終わりはないが、当面の課題は大きく二つあると思う。 ひとつは欧州大戦終結からのブームが終わり、経済不況に入ること まず我が国の経済をどう底支えするかということが課題だな。それから扶桑国が戦争に巻き込まれないためにはどうするか、 もうひとつの課題は、新しくつながった秋津洲国とどう付き合うかということだ」 | |||||||||
「部長のおっしゃることはわかりますが、最初の課題はひとつとは言えませんね。経済問題、軍事的施策、外交政策など多面的な検討と対策立案が必要です」
| |||||||||
「いずれにしても、それを考えるのは我々だ」
| |||||||||
「第二の課題につきましては、向こうに我々のような一族がいるか調査中です。今までのところまだ接触しておりません」
| |||||||||
「技術とか社会的な技術情報の入手の価値はどうなのですか?」
| |||||||||
「伊丹さんのお話では技術的にはほぼ日本の世界と同じということです」
| |||||||||
「向こうの世界の調査を新世界技術事務所に委託することは可能ですね?」
| |||||||||
「おかげさまで震災復興のお仕事は多々頂いております。それで向こうの世界の調査丸ごととなりますと負荷オーバーです。 できればお宅の研究員の現地案内とか書籍の入手という仕事に限定していただきたい」 | |||||||||
「分かった。それじゃ異世界の担当として・・・岩屋さん担当してくれませんか」
| |||||||||
「かしこまりました」
| |||||||||
「さくらはどういう仕事をするのですか?」
| |||||||||
「研究所で採用したわけじゃない。来年からアメリカ留学の予定です。それまで行儀見習いでもしょうがないので、ここでお手伝いをしてもらうつもりだ」
| |||||||||
●
内務省と農商務省が主宰する震災復興計画 工業部会の会議である。今日は伊丹が参考人として招致され意見を述べるのである。● ● | |||||||||
「私の提案は大きく三つになります。それは近代化、体系化、標準化です。 まず近代化としては多くのものが破壊されたこのたびを、千載一遇の機会として活用しなければなりません。震災で被害を受けた工場は古い機械が多かった。 再建するにあたり過去と同じものではなく、最新式の高精度、高効率のものを導入すること、これが基本です。天井のラインシャフトからベルトで個々の機械を駆動するような機械は過去のものです。また工作機械だけでなく計測器や計算機なども最新化します。それにより欧米の製造工業に追いつくだけでなく、逆に差をつけ競争力を強化します。 次に体系化です。体系化といっても多岐にわたりますが、まず職工や技術者の育成方法を見直します。勘と度胸と経験とか、先輩はゲンコツと書くなんて封建時代では人が育ちません。一定の能力がある人ならだれでも一人前の職工や技術者にするという教育の仕組みを確立し、育成します。 また工場の管理、それは日程も、品質も、人の管理、原価管理もあります。そういったことを科学的というか論理的というか、理屈に基づいてやり方を決め、そのやり方に従って管理します。それにより品質、納期、コストが改善していきます。 どの大学を出た人でも同等の仕事ができる力量を持つ、どこでも同じ機械部品や電気部品が買え、どこでも同じ電気製品が使える、そういう社会ができれば無駄が省け、効率向上を生み出し、国力を増加させます。 そしてすべてを支えるものとして、学校教育における論理的な考え方と算数・数学が大事です」 | |||||||||
「そういう仕組みを作ることに伊丹さんは協力してくれるのか?」
| |||||||||
「協力はします。でも私がすべてはできません。教育制度から送電網や商用電源の共通化、はては道路標識の法制化など多岐にわたり膨大です。私にできることは、個々の案件の方向性を示すとか問題点があればアドバイスする程度だと思います」
| |||||||||
「標準化をしなかったら不具合があるのかね。というのは特段メリットがないなら余計なことをすることはないからね」
| |||||||||
標準化とは小銃は何種類あっても、その弾丸は1種類にするとか、扶桑国全国の電気の電圧も周波数も同じにするということです。そうすれば小銃と弾があわないとか、電気製品が使えないということはなくなります」 | |||||||||
「なるほど、そう言われるとよく分かりました」
| |||||||||
結果として新世界技術事務所は震災復興計画工業部会からコンサル契約をするにとどまり、傍聴していた工藤社長はホッとしたのである。いや工藤社長の本意は時間当たり売上が減ると困るというだけだ。審議会とかのメンバーになればお車代で終わりということもある。それでは経営が成り立たない ●
新世界技術事務所である。工藤社長と伊丹、ゆき、岩屋が議論している。● ● 新しくつながった世界の調査方法についての議論である。 | |||||||||
「やはり情報収集となると、向こうに事務所を構えて、書籍や論文などを収集しないとならないでしょう。まして今回は伊丹の奥さんのような人がいないから」
| |||||||||
「向こうの一族に事務所設立を頼もうと思います」
| |||||||||
「まだ向こうの工藤さんと同じような一族と連絡が付かないのでしょう。いや、それ以前にそういう一族がいるかどうか分からない」
| |||||||||
「仮に向こうにそういう一族がいたとして信頼できるものでしょうか。もしかしてこちらから行った者を向こうの官憲に売るとか?」
| |||||||||
「こういう特技というか能力がある者同士ですから、相手を裏切ることはないとは思うのですが・・・ご心配でしたら当面調査には私の一族だけ向こうに行くことにしましょうか」
| |||||||||
「いやそういうことではなく、大きな問題があると思います。 前回の日本の世界との関係と、今回は大きな違いがあります。向こうの世界でこちらの世界を知ってたのは吉本一族だけです。そして吉本一族はこちらの世界で新しい商売を始めようとはしたが、こちらを侵略する気はまったくなかった。 しかし今回は向こうに異世界へのドアを作る一族がいたとき、我々が向こうを調査するのと同じく、向こうもこちらを調査するだろうが、交易だけでなくこちらを侵略し支配しようと考えるかもしれない」 | |||||||||
「確かに・・・そういうことは思いつかなかった」
| |||||||||
「もし侵略の意図があれば、100年もの差がある軍事力でこちらを占領・支配することは簡単だろう。南米に攻め込んだスペインや原住民を虐殺したオーストラリアのように。それこそ赤子の手をひねるようなものでしょう」
| |||||||||
「向こうが侵略する可能性がありますかね? こちらには特段価値ある作物や技術はありません」
| |||||||||
「種々の資源を掘り出して向こうの世界に送るとか、いやいや向こうの連中がこちらに住み着いて支配階級になる可能性もある」
| |||||||||
「ありえるでしょうね。我々は向こうで我々に似た一族を見つけていないが・・・もしかしたら向こうは既にこちらに侵入しているかもしれない。我々が気付いていないだけということもある」
| |||||||||
「向こうの一族が日本や扶桑国にあたる国の住民でないということもありますね。私は扶桑国と実質同じ国の人間だから、この国に協力することは当たり前に思いましたが、もし向こうの一族が中国とか朝鮮とかロシアの国民ということもある」
| |||||||||
「うわー、そうは最悪だ。ゆき、向こうの人間がこちらに侵入しているかどうかは感知できないか?」
| |||||||||
「まだ感じていません。しかし出現するところは東京だけでないですし、あるいは外国かもしれません」
| |||||||||
「既にこちらに来ていて、アメリカとかイギリスと交渉しているかもしれませんね。そんなこと思うと恐怖しかないな」
| |||||||||
「最悪はそれですね。といって最悪を見ないことにするわけにもいかない。 まずは、ゆきさんの同類を感じる能力を強化して侵入を監視することがひとつ、あるいは全国に監視体制を作り上げるということも必要かもしれない」 | |||||||||
「ゆきのように同族を感知できる能力がある者は10人くらいしかいない。それほどの捜索網を作ることはできません。ましてや外国までなんて不可能だ」
| |||||||||
「これは中野さんに相談する必要がありますね。我々では結論が出せません」
| |||||||||
●
宮内省の帝太子執務室である。● ● 帝太子は中野からの定期報告を読んでいる。政策研究所はもう地震対策からも復興計画からも手を引き、これから起こるであろう世界的不況と第二次大戦に備える研究を進めるという。いつになっても心配事はなくならないものだ。 ともかく差し当たっては大事件はなさそうだ。 報告書を机の上に放り投げると、その後ろにひっついていた1枚ものに気が付いた。1枚ものの報告書なんて重要じゃないと思いつつそれを手に取る。 なになに・・・・小沢さくらを私の養女として引き取ることにしました。戸籍上は養女ではなく私の実子扱いになります。ご了承願います。 なんだと、俺が養子にしたいといっていたのに、まあ、中野のところにいるなら慌てることもないか、ゆくゆく中野から召し上げて俺の養子にして数年は可愛がって、それからは有力な財閥オーナーにでも降嫁させて・・・ なになに、ちょっと待てよ、アメリカ留学させるだと。まあ箔をつけるにはそれもありか。だが向こうで結婚相手を見つけて帰国しないなんてこともありそうだ。となると、留学前に俺の養子にしておいた方がいい。プリンセスなら行きずりの男と簡単に結婚できるわけはない。 | |||||||||
「オーイ、中野を呼べ、」 お忘れになった方へ、 帝太子とは現皇帝の嫡男で次期皇帝、中野は現皇帝の妹の息子で帝太子とは従兄弟になる。とはいえ上下関係は明確で主従の関係である。 |
<<前の話 | 次の話>> | 目次 |
注1 |
当時関東地方には近衛師団と第一師団のふたつがあった。史実では関東大震災の当日は、近衛師団は習志野演習場で演習中、第一師団は富士山麓で演習中だった。近衛師団長の盛岡守成は地震があっても演習を継続した。このために地震対応が遅れ被災者の混乱や虐殺が起きたという。 ちなみにそのときの近衛師団長 森岡は長州出身で陸軍大学校を優等で出たという。震災のときの判断ミスや稚拙な采配は汚点にならず、最後は大将になっている。あかんなあ〜 内閣府「災害教訓の継承に関する専門調査会報告書 第2章第2節 軍隊の対応」 「軍隊の対内的機能と関東大震災」吉田律人、日本経済評論社、2016 | |
注2 |
このお話よりも10年以上遅くであるが、川西航空機が開発した97式飛行艇は民間、軍用合わせて200機以上作られた。民間用は旅客機として日本と南洋諸島のサイパンやパラオとの航空路を飛んだ。 | |
注3 | ||
注4 |
ここでの「ブーム」とは一般語ではなく、第一次大戦後の1920年代のアメリカの高度成長のことをいう。 |