異世界審査員104.地震その3

18.07.30

*この物語はフィクションです。登場する人物や団体は実在するものと一切関係ありません。
但し引用文献や書籍名はすべて実在のものです。民明書房からの引用はありません。

異世界審査員物語とは

関東大震災で10万5千人が亡くなったという。大惨事である。しかし先人は単に冥福を祈るだけでなく都市計画を考え、防災体制を考え、100年経った今も「防災の日」として大勢の人が参加して訓練している。それは真に是正処置を行い、それが風化していないわけで、素晴らしいことだ。そういうことの積み重ねで天災が即大災害につながることも減り、死傷者も減っている。
反省だけならサルにもできる
おいらだって
反省できるぜ
反省だけならサルにもできるというコマーシャルがあったが、問題が起きたら、原因を調べて対策を考え、それを実行することが再発を防ぐ唯一の道だ。
ISOとかPDCAとかいうけど、当たり前のことは昔から考えて実行してきたのだ。そんなもの新しい考えではない。

しかし第二次大戦の失敗や敗戦という結果をどう生かしたか見ると、単に武器を持ちませんとか、左の頬を叩かれたら右の頬も叩かれましょうなんていう自虐史観、自虐教育をするだけで、まっとうな反省をしないからダメだ。
戦争に負けたから、戦争をしませんというのは理屈に合わない。だって戦争とは相手がいなければ成り立たない。逆にいえば我が国が戦争をしなくても、他国が攻めてくれば戦争になる。
なぜ我が国と敵対国は利害が相反したのか、どうしてそれを平和的に解決できなかったのか、なぜ戦争をせざるを得なかったのか、ということをよく考えなければならない。
そもそも戦争をすることは悪いことではなく、戦争に負けることが悪いことなのかもしれない。それなら戦争に負けないことを考えればよい。あるいは良い戦争と悪い戦争があるのかもしれない。それなら悪い戦争はしてはいけないが良い戦争はしても良いことになる。良い戦争とは何だと突っ込まれそうだが、防衛戦争なら良い戦争ではないのか。私は無抵抗で殺されたくない

おっと、そんなことを語るとサヨクのみなさんは鬼の首を取ったように軍国主義だ、暴力的だと騒ぐ。だがサヨクの大好きな国はみな暴力で政権を取り、恐怖で国民を支配してきた。そして共産主義は常に膨張政策をとり外国への侵略をしてきたという事実がある。
ソ連は敵対勢力を殺して政権を取り、中国も人殺しで政権を取り、北朝鮮もポルポトも恐怖で人民を支配した。ハンガリーの人たちは「アメリカよ、助けてくれ」と叫びながらソ連の戦車に踏みつぶされた。天安門でも武器を持たない人々が戦車にひかれた。そしてチベットでは今チベット人という理由で大殺戮が行われている。自由主義国 日本では共産党は言いたい放題主張することができるが、共産主義国 中国や北朝鮮では反論する者には死が与えられる。
私は選挙で共産主義になった国を知らない。もしあったら、教えてください。
心せよ、大量殺戮は共産主義の伝統技だ
アメリカの核は汚いが、ソ連の核はきれいだと語った左翼もいた。放射能には良い放射能と悪い放射能があるそうだ、小沢一郎や山本太郎に教えてやれば、きれいな放射能を喜んで浴びるだろう。

話がそれた。
要するになにごとも論理的に考えて、原因に対応した是正処置を行わなければならないということだ。終戦記念日に黙とうをささげるよりも、尖閣列島を守ること、竹島を奪還すること、そのために行動することがあなたと家族の命を守ることである。
サヨクは安全なところで非難するだけだ。論理が通っているならともかく、わけのわからないことを語るサヨクもいる。
最近の朝新聞をとり上げよう。

朝日新聞 朝日新聞 社説 2018年7月26日
地域別の最低賃金の今年度の改定の目安が決まった。(中略)安倍政権の方針に沿った、3年続けての3%台での決着だ。今後、この目安を参考に、各都道府県の審議会で実際の引き上げ額が決まり、秋以降に改定される。
大事なことは、これが着実に実施されるようにすることだ。人手不足感が強く、賃金も上昇傾向にある今は好機だ。この機会を逃さず、底上げの歩みを加速させたい

朝日新聞 朝日新聞 トップニュース 2018年7月27日
最低賃金 首都圏は1千円目前 中小企業は悲鳴
日本総研の成瀬道紀・副主任研究員は、価格転嫁が難しい中小企業は事業を続けられなくなると指摘。
審議のあり方を疑問視する声も出ている。

新聞 朝日新聞 さん、
あなたは最低賃金を上げたいの 下げたいの
単に言いがかりをつけているだけですか
それとも社員が好き勝手している無管理状態なの


8月31日19:00
夕刻、皇居外苑のテントで記者会見が行われた。国内外の新聞社から20人ほどの記者が来ている。さすが大災害の当日だから、いつもの2・3割しかいない。それにほとんどの新聞社の社屋も被害を受けているだろうから、新聞や号外が出せるまで何日もかかるだろう。海外の通信社も本国に連絡できるのかどうか? まあ、政府が海軍に無線通信を支援させるだろう。
他に扶桑国駐在の外交官も数人いる。内務大臣の記者会見があると聞いて、兼安に要望して習志野からここまで車を走らせたのだ。既に消火された地域には工兵隊が出てきて、道路の整備作業をしている。一般人の通行は禁じられているが、佐倉連隊の表示をした車は停止されることなく外苑まで走ることができた。
なお、日本のラジオ放送は1925年3月22日開始であり、関東大震災のときにはまだ存在していない。

内務省とは国交省、厚生省、労働省、総務省(消防)、警察を合わせた職掌である。いや正確に言えば1945年にGHQによって分割されたというのが正しい。
後藤内務大臣
用紙
内務大臣 後藤新平みずから今回の大地震の被害状況について書面を見ながら説明する。
まだ死傷者数や被害の詳細は分からないが、哨戒機が東京近辺だけでなく関東全域を高空から写真撮影とそれに基づいて各警察や消防が現地調査を行っているので、被害地域と状況はだいたい把握している。
それを基に地震の規模、被害の概要、今まで行ってきた消火、避難救出、避難場所の運営などの概要を説明する。
最後に明日以降の実施事項を説明する。そして、さあ、何でも聞いてこいと質問を待つ。

死傷者数とか家を失った人の数など状況に関する質問は、調査中と答えても問題はない。しかし答えるに困る質問も多い。
無線機 被災状況を高空から撮影した写真について、どのような方法で撮影したのか?、 常時、高空を飛んでいる大型飛行機が見えるがあれはなにか?、地震の予知技術を公開せよ。多数の飛行機が爆撃や放水を行うのが非常によく管制されていた、その指揮管制方法を説明してほしい。
戦車隊や消防車の乗員が手にしている無線機はどのようなものなのか? アンテナが短いが周波数はいくつなのか?(注1)

この時代の無線機ではこのように多数の通信が混信なく行われることはできなかった。そしてそんな技術があれば、軍事においてきわめて大きなアドバンテージが得られることは明白だ。ハンディトランシーバーの様子や写真が世界に広まれば、それを研究し作ろうとする人は大勢いるだろう。数年以内に実現されるかもしれない(注2)

後藤大臣は地震が起きる前から中野部長・吉沢教授・伊丹たちと、予め技術情報に関してはどこまで開示して良いか悪いかを決めていた。それに基づいて回答する。回答できないことは、大学の研究者が今調査中だから一段落してからとか理由を付けて回答する。

国内の新聞社から、「2年前から防災訓練をしていたことは、地震が起こることが相当前から知っていたはずだ。公表しなかったのは一部の者がその情報を利用して利益を得ようとしたためだ」という揚げ足取り的な質問が連発された。
これについては過去、徳川時代からの地震発生間隔から推測されること、また20年ほど前に今村博士が将来帝都に大地震が起こることを予測していたことなどを話して、地震を予知していたとか、一部の者が利益を得るためなどとは笑止と回答する。そして報道機関が公器であるなら、避難者の消息を伝えるとか、生き別れになった人を探すなど国民のためになることを考えろ、現在は戒厳令下にあるのだから報道機関も被災者のためにできることをしなければならんと脅しをかける。 飛行艇 脇に控える警視総監や救急診療所の責任者がしかめっ面で頷くのをみて、質問者は謝罪して取り下げる。

外国の新聞記者が最後まで、高空を飛ぶ飛行機に円盤が付いているようだという質問を繰り返す。これについては説明できないと返す。

記者会見が終わってから後藤内務大臣と帝太子は、明日以降の打ち合わせをする。

帝太子
「まずは今もまだ燃え続けている火災を、早急に消すことだ。向こうの世界では三日目まで燃え続けたというが、我々はそれよりも早く消火できるのだろうな」
後藤新平
「どこで燃えているかは哨戒機で分かりますし、重大なところから順に消防隊を派遣しております。瓦礫で近づけない所は消防飛行機を活用します。明日の午前中には消火は終わるでしょう」
帝太子
「横浜や川崎も等閑視せずしっかりやれよ。負傷者の対応、死者の対応、次は焼け出された人の暮らし、やることはたくさんある」
後藤新平
「再建ですが、向こうの世界では焼け跡にすぐさまバラックが建ち、震災前同様のろくな道路のない下町に戻りました。それではそれこそ元の木阿弥です」
帝太子
「どうするのだ?」
後藤新平
「とりあえずこの外苑とか焼け野原にテントを建てて当面暮らす場所を提供し、速やかに帝都再建に関する法律を定めて、道路の拡張、行き止まりや無用の屈曲の廃止などを計って道路を計画します。そして仮設住宅を建てて・・水道も完璧に損壊してしまいましたから、今までに囚われない新構想で進めるつもりです」
帝太子
「例の都市計画か?」
後藤新平
「左様です。主要な道路は幅員100mとか50mにする予定です」
帝太子
「方向は支持するが、反対者も多いだろう。すべて利権と人情が絡む。道路を新しくするため換地すれば、土地は1割やそこら狭くなるわけで・・対策は考えているのか?」
後藤新平
「確かに銀座とか日本橋の旦那衆は反対するでしょう。それを抑えるために高橋是清御大と大渋沢お二人から協力の同意をとっています。高橋閣下には議会を、渋沢翁には経済界と銀座などの地主を説得してもらいます」
帝太子
「ほう、高橋はともかく、渋沢はこの都市計画で大儲けするのは間違いないな」
後藤新平
「渋沢さんが帝都の東側にも田園調布を作るなら、それは都市の価値向上に大いに結構でしょう(注3)それで儲けるのも彼の商売ですから悪とは言えません」


震災から半月ほど過ぎた伊丹邸である。今日は中野部長と工藤社長が来ている。
渋谷や新宿など山の手の地域は火災にあわず、地震の震度も江東区は震度6から6+であったが、渋谷や新宿では震度5−であった。関東大震災とは正確に言えば下町大震災なのだ(注4)
伊丹の借りている屋敷一体は特に地盤がしっかりしていて、家そのものは大した被害はない。家具がいくつか倒れたのと、ふすまの具合が悪くなった程度で済んだ。隣近所も似たようなもので、建屋の一部に被害があっても、倒壊した家屋はない。伊丹夫婦はこれからもこの屋敷を借り続けるつもりである。
伊丹は向こうの世界と縁が切れても、伊丹の事業に支障はないと考えている。そもそも向こうの世界のテクノロジートランスファーを仕事にしてきたつもりはない。自らの創意工夫で飯を食って来た矜持がある。だから向こうの世界とつながりが切れても困ることはない。

おっと、今日の話題は伊丹の暮らしや仕事の話ではない。さくらの身の振り方をどうするかという話である。
さくらを伊丹夫婦と中野部長、工藤社長が囲んで話がされている。

中野部長
「もう元の世界とつながらないというのは確実なのか?」
工藤社長
「中野様から依頼されてふた月ほど調べてきましたが、地震後の新しい世界とのつながりは確実でもう以前の世界にはつながりません。これからもさくらさんの国にはつながらないでしょう」
中野部長
「伊丹ご夫妻はここに残る覚悟をされていたとのことで私は関知しないが、さくらは帰るつもりだったのだろう?」
さくら
「はい、石原さんと小説を書いているのですが、それが完成までは大丈夫と思っておりました」
中野部長
「元の世界には戻れない覚悟はしたのか?」
さくら
「もう覚悟するとかしないという次元ではありません。帰れないという現実を認めるしかありません」
中野部長
「わかった。それでどうするのか? なにか計画とか希望があれば聞きたい。戸籍でも何でも手配しよう」
さくら
「私は暮らしていく手段がありません。私が働いて生活できるようになるまで暮らしの支援を頂けないですか。いずれ働いてお返しします」
伊丹
「そりゃもちろんだよ。たださくらはもっと勉強するつもりだったろう。それはどうなのかな」
さくら
「私はまだ向こうの大学を終えていませんし、もっと勉強したい。でもこちらは女性に開かれている高等教育機関は師範学校くらいなので、この国の大学は希望に適いません。過分な望みとは存じていますが、アメリカか欧州の伝統ある大学に留学したいです」
伊丹
「どんな学問を学びたいのか?」
さくら
「以前は大学院で理学系を希望していましたが、いろいろ体験したことから、政治学か政治史を研究したいと変わりました。将来の職としては大学教員になりたいです」
中野部長
「21世紀から20世紀を振り返れば、神の視点で100%完璧な予言ができるわけだ。大学教授もラクチンだろう」
さくら
「そう簡単ではないと思います。現実に今までの世界は、みな流れが違いました。政治力学の方程式があったとしても、多様な要素が関り、少しの違いよって流れが変わるのでしょう」
中野部長
「石原が今向こうでそれを研究しているはずだ」
伊丹
「とりあえず私の養子として戸籍を作ってもらい、アメリカなりイギリスなりに留学したらどうかな、幸子もそれでよいだろう」
幸子
「最近は私と喧嘩することも少なくなったからいいわよ」
さくら
「私はお金がありません。そのとき留学の費用はどうなりますか?」
伊丹
「もちろん私が出すつもりだが、留学するにどれくらいかかるのか分からない。中野さん、ご存じでしょうか?」
中野部長
「過去のいきさつ、つまりさくらさんのお父さんにはお世話になっているから、官費で留学は可能でしょう。
しかしどうでしょう、伊丹さんの養子になるより私の実子になった方が、過去の経歴を修正するのが楽です。
伊丹さんの戸籍は10年前に作ったそうですが、これから更に20年前に子供がいたという細工をするのも大変です。さくらの誕生から尋常小学校の在学記録、友達、そんなものをこまごま作るのがね、
帝族なら隠し子がいたことにすれば、探偵であろうと新聞記者であろうと過去を調べることはできない。戸籍が別だからね。それに帝族なら官費の留学は普通のこと。卒業したらどこかの皇国大学に中野々宮家のお姫様として押し込むことはできる」
さくら
「なんかあまりにも安楽な人生になりそうですね。でも援助は最小限を考えています。あまり皆様のお世話になってもお返しできるかどうか分かりません」
中野部長
「私の娘ならそれなりに育て教育するのは当たり前だ。見返りなんて息子にだって求めないよ。気がかりなのは私の実子にした後に、帝太子が養子にしたいといってくることだ」
さくら
「だいぶ前にそんな話がありましたね。でももう緊急事態ですから中野様の子にしてください」


地震の後処理は大変だった。死者は1万5千人を超えた。日本の死者10万5千人よりはるかに少ない1割5分に扶桑国では抑えたとはいえ、1万5千人が少ないわけではない。そして家を失った人は数十万人になる(注5)
事前の対策をもっと練り上手くやれば、これよりも少なくできたのかどうか、これから検討しなければならない。ともかく今はまだ死者の荼毘とか火災跡の処理段階だ。既にほとんどの道路と焼け落ちなかった橋は工兵隊によって通行可能となっている。これからすぐに、都市計画に基づく新しい道路を作る計画だ。

工藤と伊丹にとっては新世界技術事務所の再開が最優先事項だ。新橋にあった借家の事務所は焼失した(注6)とはいえ伊丹と工藤は重要書類を火災にあわないように避難していたので、建屋は賃貸だし損害は家財だけだ。
工藤と伊丹は新橋で事業再開はできないと判断して、新宿に事務所を借りることにした。どうせ彼らの仕事は事務所ではなく、客先でするのだから。
この時代、新宿は街はずれという感じで、オフィス街ではない。山手線の新宿駅から、北は大久保まで南は代々木まで家並みは続くが、それより北と南は田園だ。現在の都庁のところには淀橋浄水場があった。
従業員である上野や南条さんは無事であったが、お客様のほとんどが震災の被害を受けて事業継続できるかどうかという状況である。そんなわけで当分は仕事がない。幸いというかなんというか、中野部長から新しくつながった世界の調査を依頼された。

工藤は早速、伊丹とゆきを集めた。

工藤社長
「悪いんだけどよ、二人に向こうの世界の調査をしてほしい」
伊丹
「社長、なんでもかんでも私に振るのは止めてほしいですよ。正直言って危険な仕事だと思いますよ」
工藤社長
「誰かがしなくちゃならないことだし、伊丹さんは技術とか知っているから適任者だと思わない?
それに伊丹さん、ゆきは危険な目にあっても良いわけ?」
伊丹
「ゆきさんはご自分で考えればよいでしょう。私はお断りしたいですね」
工藤社長
「だけどさ、向こうの世界の技術レベルとか政治とか判断できるのは伊丹さんしかいないじゃないか」
伊丹
「わかりました、いつの日か向こうの世界で捕まるか遭難して終わりですか」
悪態をつきながら向こうの世界に行くのであった。


伊丹とゆきは向こうの世界に出ると、そこはまたもや千葉駅近くだった。ビルや通りを走る車を見ると、伊丹のいた日本の世界と変わらない。とはいえ向こうの千葉市とはビルの形もテナントも違う。服装は似ているがやはりちょっと違う。

伊丹は日本のコインを入れて自動販売機でジュースを買う。日本のコインが使えて商品が転がり落ちる。
お釣りをみるとコインは一見まったく同じだが、しげしげと見ると「日本国」の代わりに「秋津洲国」とある。扶桑国、敷島国の次は秋津洲か、ではその次は邪馬台国かなと伊丹は心中苦笑いする。
スマホのスイッチを入れると無料Wi-Fiがつながる。例によって「今日は何年何月何日」とサーチすると、

和暦で何日?正元3年9月27日
西暦で何日?2023年9月27日
曜日水曜日
今日誕生日の有名人 遠山景元(遠山の金さん)、高杉晋作、岸谷五朗

元号が違うし見た目も違うから前回つながった世界と違うのは確かだが、時間の流れは同じようだ。
さて、何をするにもお金が欲しいと伊丹が思っていると、ゆきが伊丹に声をかけてリサイクルショップに入る。なるほど、金目のものを売るのか、
ブランドではない本物の石の付いた3万ほどのブローチを売って紙幣を手に入れる。ゆきはもう一軒似たような店に行って指輪を売る。
ゆきが言うにはブランド物でないのは言うまでもないが、高くなく安くないものが換金しやすいという。質屋だと住所氏名など足が付く可能性が高いこと、防犯のために監視カメラが多いからという。同じ古物商の許可受けていても、リサイクルショップは甘いからという。

ゆきからお金を半分もらって分かれ、伊丹は本屋を探す。駅前には雑誌やベストセラーなどを置いている本屋はあるが、専門書やちょっと固い本を置いている本屋はなかなか見つからない。
だんだんとハードコピーの本が減り電子データになると、21世紀の日本と同じく本屋の数が少なくなるのか。いやアマゾンのせいだろうか。電子データの販売とか通販が主になるとこういう調査は難しくなるのか、それとも容易になるのか、伊丹には分からない。

やっと見つけた本屋に入り、工業関係の本を何冊か買う。気になったのでISO第三者認証制度についての本を探すといくつかあったので、これも数冊買う。
次に政治と経済の入門書、現代史、それから芸能、電気電子製品のカタログ誌、自動車、ミリタリー、服飾などの月刊誌、店の人がおかしな組み合わせだなという顔をしたけど気にしないことにした。
3万円分の重い本をぶら下げてウィンドウショッピングをする。
2時間後に待ち合わせ場所でゆきと会うと素早く戻る。見知らぬところに長居は無用だ。
ゆきは同族がいる感じはしなかったという。彼女がどれくらいの範囲なら感じるのかもわからない。あと何度か行かないと何とも言えない。

伊丹はそれからは会社にも行かず、自宅で入手した本を読み、向こうの世界の様子を探る。基本的に日本と同じように天皇陛下がいる民主主義国である。過去の歴史は入手した本だけでは分からない。
科学技術レベルはほとんど元の世界と同じだ。
そして入手した第三者認証制度の本をひも解く。この世界ではやはり第二次大戦があり秋津洲とドイツが負け、それから東西対決があったのだが、1990年まで持たず1970年代に共産主義国家は自壊してしまった。やはり共産主義という経済システムは自律性というか安定性がない人工的なものなのだろう。ともかく東西対決が早い時期に解消してしまったのでNATOも解体し、EEC(欧州経済共同体)が成り立つものの、EC(欧州共同体)へ進化せず、更にEU(欧州連合)に進むことはなかった。

その結果、第三者認証制度についても全く異なることになった。そもそもISO第三者認証制度というものは、EUが成立したからこそ世界のデファクトスタンダードとなったのである。 ISO規格本 EUがなければ各国が自国に合わせた品質保証規格を定めるのは当然だ。元々ISO9001とはイギリスの軍用の品質保証規格を民生用にしたBS5570であった。それが国際化する必要性はまったくない。必要となったのは複数の国が共通の品質保証規格を必要としたから、つまりEUが成立しなければISO9001は不要であり、第三者認証制度は国内だけで良かったし、あるいはそもそも不要だったのかもしれない。
秋津洲国の世界ではBS5570を基にISO9001という国際規格が制定されたものの、制定から30年経った現在まで、広く使われることなく埃をかぶっている。廃止にならないのは少しは需要があるのだろう。

当然その世界にはIAFもなく国際的な第三者認証制度もない。品質保証のISO規格はあるが、システム規格というものはない。
伊丹は思う。そもそも第三者認証制度というものは必要から生まれたものではなかった。それを必要としたのは、国際規格で金儲けができないかと考えた人だけだったのだ。そういえばと伊丹は昔を思い返す。ISO9001が登場した1980年代末、伊丹は設計部門の課長だったが、ISOで品質保証の規格を制定したというニュースを聞いたとき、同時に欧州のホワイトカラーの失業対策だという揶揄も聞いた覚えがある(注7)必要に迫られて制定されたというよりも、今までなかった新しい分野でお金儲けを考えたに過ぎないと感じた。

伊丹がそう思っている隣では、さくらと幸子とゆきが向こうの芸能やファッションの雑誌を見て、ダサいわねーとか破廉恥よねえとか黄色い声を上げている。

コーヒー

幸子

さくら

ゆき

ケーキ

かしまし娘(婆)たち
このところ、ゆきは毎日伊丹邸に来て、伊丹が買った本を読んでいる。
さくらは中野邸に移り住んだものの、執事がいたり小間使い(メイド)がいたり、あまりにも華族風味でちょっと苦手と、ほぼ毎日伊丹家に来ているのだ。コーヒーを飲みたいとき、自分で入れ、自分がカップを洗うのがいいという。

うそ800 本日の明るい兆し
おお、ついにISO第三者認証制度が出てまいりました。これは期待できるでしょうか?
そうならないと私困るんです。

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注1
どんな変調をかけているのかという質問はないだろう。この時代はなんとかAMの変調が実用になったくらいだ。FMの理論が考えられたのは1920年だが、実験放送は1935年、本放送は1941年から。

注2
トランシーバーなるものは1923年には存在していない。最初のトランシーバー(ウォーキートーキー)はアメリカ軍が1940年に作った。真空管5本を高電圧乾電池で駆動しAM変調、3.5〜6.0MHz、0.36W、今ならオモチャのようなものだけど、当時としては革新的で片手で持って会話できた。旧日本軍は第二次大戦時には実用的なハンディ無線電話はなく電信が主だった。

注3
田園調布は渋沢栄一が開発して、まさに関東大震災直前の1923年8月に売り出された。

注4
関東地方は、三浦半島と安房は太平洋プレートの堆積物がプレートが沈み込む際に剥離して50万年前に隆起してできた山地で、平野部は旧利根川の作ったデルタ、江東区など下町は徳川家康以降の埋め立てによって作られた陸地である。
だから関東大震災に限らず、デルタ部の震度は古い地形よりも大きい。
旧東京市の被害要因別の死者数分布と震度分布
東北地方太平洋沖地震 震度図

注5
東日本大震災で家を失った人の数は39万人、関東大震災では東京だけで150万人という。
「関東大震災時の救援」鈴木淳、2004

注6
新橋駅は鉄道唱歌「汽笛一声新橋を♪」と歌詞にもあるように明治時代からあった。もっとも初代「新橋駅」は今の汐留あたりにあったらしい。
蒸気機関車 しかし新橋駅はあったが、新橋という町名ができたのは、このあたりが関東大震災で焼け野原になったために、復興の際に全面的に町名が変更されて新橋という町ができたそうです。

注7
「ホワイトカラーの失業対策」という言い回しは1990年代初頭の規格解説本で見た。日本においてはまさしく「ホワイトカラーの失業対策」となったことは明白だ。1990年代初頭から2010年代に至るまで、企業において使い物にならない管理職、専門職の行くところが、業界団体設立のISO認証機関であることは否定できない事実である。
環境に縁のない人が環境計量士とか公害防止管理者の資格をとって、審査員をしている。それが大丈夫でないことは立証済である。
いや実は私も公害防止管理者は全部の他に、環境とつく資格をいくつも持っていますが、実際に役所に従事を届けたのは危険物(甲)と作業環境測定士くらいで、他は取っただけでございます。


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