第9条1項 (2005.09.17)
「日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。」

えー、毎度バカバカしいお話を一席
本日は思い込みについて考えたいと思います。

私はこの世に出てからずっと製造業に従事してきました。製造業、そうです、物を作るのが仕事でした。
nogisu.jpg 製造業においては宿命といいましょうか、規格に合わない不良品ができるのは避けられないのです。
もっとも半導体などでは不良品などと聞き捨てならない言葉を使わず、歩留まりなどとやむをえないんだという言い訳がましい表現をしております。
直せずに捨てるしかないから、お釈迦様とかオシャカと呼ばれるかわいそうな不良品
私もたくさん不良品をつくってきました。でも不良を作ってはきましたが積極的に作ろうとしたのではありません。それどころか、常に不良をなくそう、品質を上げようと努力してきました。
そしてわずかではありましたがその功績はあったと自負しております。
お亡くなりになったソニーの元社長盛田昭夫さんの「メイドインジャパン」という本があります。これをお読みになると分かりますが、終戦後、「日本製品は安かろう悪かろう」といわれました。
安いけれど悪い、すぐ壊れる、そういうものがメイドインジャパンだったのです。悲しいことでした。
でも日本人は汚名を返上しようとして、品質を良くするために一生懸命努力しました。
いつの間にか、メイドインジャパンは高品質の代名詞となりました。やがて「ジャパンアズナンバーワン」となったのです。誇らしいことです。
それが品質管理です。

さてここに、不良品がでないようにしようと考えることは後ろ向きでネガティブなことだ。「私たちは不良が出ないことを信じる。」という社是の会社があったとしましょう。
まあ、それだけでは額に入れて飾るにはちょっと短いし韻も踏んでいませんので、かっこいい文章を考えて見ました。
「当社は、理想を目指し確信をもって生産することによって完全良品を達成するのであって、不良がでたときの対策や、不良を出さないための対策は、品質向上の手段としては、永久にこれを放棄する。」
いいですね〜 そうです、人間は常に理想を持つべきです。
不良がでたらどうしようなんて迷ってはいけません。不良がでないように手を打っておこうなんて無駄なことをすることはありません。不良がでないと信じるのです。
きっと、あなたの作る製品はすべてばらつきのないすばらしいものばかりでしょう。
そして、まさかとは思いますが不良がでたら、
それはあなたの信心が足りなかったのです。


chuuka.jpg もちろん日本には製造業ばかりではありません。飲食店もあります。
飲食店の最大の敵は隣の同業者ではありません。それは食中毒です。
どこの飲食店も、弁当屋も、仕出屋も、ホテルも、学校給食も食中毒を防ぐために組織体制を作り、消毒や食品管理の手順をつくり、教育を徹底し、温度管理や衛生管理、消毒などを実践しています。
そういった総合的な対策が食中毒を予防するのだということを多くの人たちが経験から学んできたのです。
しかし、どこにでも頑固一徹のオヤジさんがいます。
ある宴会場の料理長は「オメエ、食中毒を出さないために教育をするだと!管理組織を作るだと!なんちゅうやっちゃ、お前たち職人だろうが、職人の魂がないんか?おれはオレのやり方でやるぞ」と言いました。
そして食中毒予防の心得を作りました。
「ここ○○亭は、料理人の心構えとおいしい料理を提供することによって、食中毒が起きないことを誠実に希求し、食品の管理や組織体制などの無用なことは食中毒を予防する手段としては、永久にこれを放棄する。」
まさかそんなお店があれば、保健所から指導を受けないはずはありません 


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あるところにある国がありました。
その国民は、考えました。
「戦争は武器を持つから起きるんだよね、武器を持たなければ戦争は起きないんだ。」
「外国人も戦争は嫌いなはずだ、私たちが戦争をしなければ戦争が起きるはずがない」
「この国が世界に先駆けて軍隊を廃止しよう、平和は武器を捨てることから始まるんだ」
そしてその理想を憲法にしました。
「我が国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。」
名文です。アッツ迷文です。
そして労働組合は組合員に、学校では子供たちに、「軍隊は悪である。自分たちが戦争をしなければ誰も攻めてこない」と教えました。
政党は「平和はこの国だけで作れる」と主張し、選挙のたびにや候補者たちは「平和憲法が国を守る。軍隊は国を守らない。」と叫びました。
「国を守るためには軍隊が必要なんじゃないか?」と疑問を呈する人たちを「憲法を変えて戦争に行こう」と揶揄しました。
そして多くの国民は軍隊を持たなければ平和が維持できると信じたのです。

ある日、水平線上に外国の軍艦がたくさん現れました。
chainatank.jpg
これは中国の最新鋭戦車である。
翌日、その国は占領されてしまいました。
そして家庭も会社も工場も何もかも略奪され、多くの人が無抵抗のまま殺されました。生き残った人たちはすべて強制収用所に送られました。
彼らは悲しみに打ちひしがれ、心の中で思いました。
やり直しできるなら、本当の憲法を作ろう。みなが思ったのは次のような文句でした。

「我が国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、その平和を実現し維持するために武装する権利と行動する権利を持つ。」
でもそれは手遅れだったようです。



本日の教訓

思い込みは危険なことです

自分が何を思うと勝手です。でも他人がそれに拘泥されないことも当然です。


私は、この拙文をまったくのおふざけで書いたのではありません。
私はこのホームページに書いている論旨に責任を持っているつもりです。(そのエビデンスの信憑性について100%責任は負いかねるところはあります)

憲法9条第1項は前段と後段から構成されていますが、前段と後段はまったく論理的につながっていません。
「日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、」という前段には反対することがためらわれるところです。まあ面と向かっては反対できないでしょう。
しかし後段「国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。」は前段を受けていません。
「日本国民が希求」するから「武装しない」という理屈はどう考えても論理的ではない。
「日本国民が希求」するから「平和な社会を作る努力をする」という文章なら論理的でしょう。
あるいはこの条文の前段を「日本国民は、正義と秩序を希求している国際社会の現状にかんがみて」と添削すれば、現実的か否かはともかく、前段と後段が論理的につながった文章といえるでしょう。
要するに、この文章そのものがはじめから病的であり非論理的なのです。



憲法の文章が変なことに気づかない方へ次のような例ではどうでしょうか?
「私はあの人と結婚したくて、ブーケを買ったのよ」
前段は正直な気持ちでしょうが、後段はそれに論理的につながりません。
論理的になろうとすると、
「私はあの人と結婚したくて、胸が苦しいの。」
「私はあの人と結婚したくて、付き合うきっかけがほしい。」
「私はあの人と結婚したくて、あの人に見合うよう努力するわ」
「私はあの人と結婚したくて、もしできなくちゃ無理心中しちゃう」
どれでもお好きなのを選んでください。 



ななし様からお便りを頂きました(05.09.19)
ななし様とはお便りにお名前を記入されなかった方のことです。
はじめまして
どのお話もひねりが足りません。
最後のお話などもっとおもしろくするには、攻め込まれたあとそれまで「平和憲法が国を守る」と語っていた人たちはどうしたのかを書くともっとよかったのではないですか。

ななし様、お便りありがとうございます。
おっしゃるとおり、ひねりが足りませんでした。反省いたします。
これはひとえにお笑い芸人としての私の未熟さゆえでございます。
振り返れば、60年前に日本でまったく類似の事態が発生しています。それを踏まえて、いくつか考えて見ました。
  1. 今までしていたことは心底確信して実践してきたことではあり、その間違いを反省し責任をとり自決する。
    今の護憲論者、平和主義者の中にはチョットいないように思います。
  2. 理想を信じてきただけで、自決する覚悟もなくただ涙を流す。
    いわゆる平和ボケの方々はここに入るのでは?
    あるいはボケていて何が起きたのか分からないかも?
  3. 自分の考えではなく、その時代の主流にすりよっていただけなので、占領されてからは新しい権力者にすりよる。
    バカ丸出しを語っている芸能人などはこの口でしょうか? akunin.gif
  4. 実は侵略国のスパイで今まで扇動活動をしていたのです。当然占領軍の幹部になる。あるいは今までのいきさつから日本にいると暗殺されるかもしれないので、祖国に凱旋する。
    有名なニュースのキャスターや外国人の大学教授はこれに該当するのかしら?
いかがでしょうか?
まだ、アイデアがプアでしょうか?

あらま様からお便りを頂きました(08.01.19)
佐為さま あらまです
『軍事費削って国民生活を豊かに・・・』っていう標語。
よく、街角に不法に貼ってある共産党のポスターに記されています。
ところで、自分の隣を一緒に歩いていた「友人」とか「家族」が、突然、暴漢に襲われた時、「あなたを守っていいですか ?」なんて、断って同意を得てから行動を起すものなんでしょうか。
後日、被害にあつた人は「何であの時、すぐに助けてくれなかったのか ! ? 」って言うのではないでしょうか。
どうも、こうした類の人たちの考え方が理解できません。

あらま様 いつもご指導ありがとうございます。
お互いに言葉の意味が違っていてはいけません。
ホルモン焼きとはホルモンがつく焼肉じゃなくて、大阪では捨てることを「ほる」「ほかす」というらしく、以前は捨てていたものを活用したという意味らしいです。
国民生活が豊かという場合、豊かというのがどういう意味なのかがまず話し合って確認しなければなりません。
アメリカ軍政下にあった沖縄が豊かだったのか?といえば、人間は食べることだけではない、豊さはお金だけではないということがわかります。
人間に最低限必要なのは尊厳です。
そういう意味では『国民の尊厳を保つ暮らしを維持するためには軍事費を』という標語もありそうです。
ところで大変なことに気がつきました。
共産党の目的とする共産主義国家があります。言わずと知れた中国、中華人民共和国です。
共産党の方々はぜひ中国で『軍事費削って国民生活を豊かに・・・』って叫びませんか?
理想は日本国内だけでなく、世界中で実現しなければなりません。
そういえば世界同時革命なんて言っていた時代もありますね・・・・遠い目

対反日ミサイル様からお便りを頂きました(08.02.20)
はじめまして。わたくし「鷹派級対反日ミサイル」、略して対反日ミサイルやミサイルという者です。(年齢は十代ですね!)
私は日本を憂える一国民ですが、憲法九条こそが現代日本人を腐らせたのではないかと考えております。
この条文のおかげでわけの分らない売国政党が雨後の竹の如く生まれ、日本国民はむちゃくちゃな平和主義に惑わされた。戦争が起きても逃げればいい、殺されればいいなどと平気で言うようになった。日本国民は確固たる精神も持たなくなるようになりました。
九条に限らず日本国憲法も同じとも思います。特に前文はありもしない「諸国民の公正と信義」なぞをでっち上げた。中なんとか国で反日デモが起ころうとも、韓なんとか国の飲む大統領閣下が親日派を事後法で裁こうとも、キムさん王国がミサイルを発射しようとも日本国民は諸国民のなんかを信じ続けました。幻想を撒き散らし、さも害悪がないように語る日本国憲法は佐為様もおっしゃるとおり改正すべきだと思います。(厳密に言えば新しい憲法を作り直すべきですが。)
私は単なる一国民であり、バカ学生です。しかしこれ以上日本が地獄にはまるのを黙っては居られません。なれなれしいかも知れませんが、一緒に日本再建に向けて頑張って行きましょう。

対反日ミサイル様 お便りありがとうございます。
平和憲法(というのも意味不明なのですが)が日本を悪くしたというのは議論の余地がありませんね。
ただ、なにごとも総論賛成、各論いろいろでありまして、どうしていくべきかが定まりません。
ともかく日本人の目を覚まさせないと、中国かぶれとか反日、反米勢力が増えてしまいますので、まあ、私もこんなウェブサイトを作っております。
一点コメントを
平和主義ってのもありませんからご注意を!
あるのは他人におすがりする、奴隷根性主義、自立心なしという病気だけです。

木下様からお便りを頂きました(08.05.23)
思想と人間性
私の大学の教授に筋金入りの9条支持者がいるんです。講義で配るレジュメも朝日のコピーなど現在の憲法を讃えているものや、先の大戦における政府の動きを非難するものばかりです。でもこの方は決して「9条馬鹿」ではない。
なんでもこの間ベアテ・シロタ・ゴードン女史の講演会があったので行ってきたそうです。そしたら「新しい憲法を作る会」とか書いてある幟が上がっていたので、驚かれたそうです。どうやら同じ会場で午前は改憲派、午後は護憲派が集会を開いていたようです。
教授はこれで良いと思ったそうです。憲法問題は日本国民全てが考えるべき問題であり、なんらかの意見を強制されるものではありません。様々な意見が提唱される。素晴らしいことではありませんか。
これは私の感想ですが、どうもこの頃の護憲派は改憲派にレッテルを貼るだけの存在に堕ちてしまったような感じがしてなりません。この教授のような、まずは相手を認めて議論に入る護憲派が増えて欲しいものです。

木下様 毎度ありがとうございます。
その先生、まあバランス感覚はまだあるようですね。
ただ、そういった先生が自己の主義を明示し教えているということは、その教えを受ける人はその傾向になることは見えていますね。
学校で良い成績を取るには学問ができるだけではだめです。
先生の期待する成果を示すことが良い成績を得る条件です。
まあ、そういった意味で、危ういなあと感じます。
もちろん、その先生は、学生がものすごい論を展開すれば虚心坦懐、己を超えていく弟子をうれしく思う度量があるのかもしれませんが・・・

ぼびー様からお便りを頂きました(2013.06.12)
憲法評価について
9条1項はパリ平和条約の文言そのものとほぼ同じなので(=自衛権の保持が解釈として定着している)、残してもよいと思います。
むしろ2項について、
陸海空軍については
 ア.内閣総理大臣が最高指揮権を有し、その出動は法律・議会の承認に基づく。
 イ.規模・編成、及び統括・規律に関しては、法律によりこれを定める。
とすればよいと思います。なお、最近、自衛隊を「国防軍」に改称する動きがありますが、なんだかドイツ第三帝国みたいですね。ですので、(日本)陸海空軍と表記しました。

15条4項は、民主主義の根幹を示していますので、変えるべきではないと思います。「選挙人はその結果について責任を負わない」ことこそ民主主義の本質です。
「こんな政治家を選んだのは、我々にも責任があります」というよく耳にするフレーズは憲法違反です。いい加減で気まぐれ、不謹慎で不機嫌、いつもイベントに飢えているような我々大衆が主権という無制限の権力(日本人はこの主権というものを殆ど理解していない)を保有・行使し、その責任は問われない というのが民主主義の本質です。このことを理解していれば、左巻きの馬鹿どものように、いとも簡単に「我々は主権者だ!!」などとは言えないはずなのですが…。
デモクラシーとはデモス(民衆・大衆)による支配という意味にすぎません。そこに何か高尚な価値のようなものがあるわけではないということを理解すべきと思います。

ぼびー様 お便りありがとうございます。
ご指摘いただいたページは、もう何年も前に書いたもので私も忘れておりました。お便りをいただきまして読み直したところです。
私はもう60代半ばですが、私が生きているうちに憲法改正の機運が高まるとは思ってもおりませんでした。永久にサヨク、おっとそう言っちゃいけない、戦後民主主義者とか平和主義者の圧力によって日本の憲法はあいまいなまま、解釈改憲でその場しのぎを続けていくのではないかとあきらめておりました。
まあ、それはともかく
9条1項の文章は日本においては 自衛権の保持が解釈として定着している  とは言えないと考えております。
今でも共産党の党綱領には「国民の合意での憲法第九条の完全実施(自衛隊の解消)に向かっての前進をはかる。」とあります。
また社民党の理念では「明らかに違憲状態にある自衛隊は縮小を図り、国境警備・災害救助・国際協力などの任務別組織に改編・解消して非武装の日本を目指します。」とあります。
そしてかの偉大(?)な9条の会については言うまでもないことです。
つまり残念ながら現在の日本には定着していません。ということで文言を変えないとだめではないかと考えております。

第2項については私は書く前に飽きてしまったので、いやもとい、書く時間が取れずに早や10年・・ウソっぽいですね・・
私が思うに現実の緊急時に議会の承認に基づくことはありえないというか、対応できるはずがありません。
名称についてはどっちみち国内向けですからあえてという気もしますね・・

15条4項についてですが、今の日本の投票率の低さ、政治的無関心を変えるには投票しなければ罰則を与えるというようなギリシア、エジプト、シンガポールのような政策をとるのも一方法かと思います。もっともそういった国が日本以上に政治的に成熟しているとも思えませんが・・
いずれにせよ、無関心、考えなしの人によって、まじめに考えている人も日本崩壊の際は一蓮托生なのですから、これは何とかしてほしいと願うところです。
デモクラシーが高尚か高尚でないかは論点ではなく、この日本でまじめに投票する人が不真面目な人のおかげでわりを食うのを直すことが必要と思います。

ぼびー様からお便りを頂きました(2013.06.13)
おばQさま。
ご返事ありがとうございます。ぼびーです。
なるほど、立場・見方の違いかもしれませんね。
下名の考えは、現在の世界を構成している西欧近代のフォーマットに照らしてどう見えるかで判断しています。そうしますと下名のような見解になろうかと。
日本人の視点・日本国内でどう見えるかでは、永遠に議論が続くだけでは?と思いまして。
そもそも日本人は「主権」という概念を理解していないのでは?というのが長年の疑問です。
聖書を読まれ、「ヨブ記」に関することをお書きならわかっていただけると思いますが、日本人の文化・気質にそもそも馴染まないのではと。
憲法を主権(の行使)を制約する法だと考えますと、「交戦権を認めない」のは主権そのものを認めないのではと思います。
主体者たる日本人が主権を理解せず、またそのものを認めていないようでしたら、現在の「日本国憲法」と称するものは、憲法ではなく”占領地管理基本法”のようなものだと思います。もともと主権を理解していないなら、憲法なぞ不要では?という極論もありえますかね(あくまで極論ですが)。
議会の承認云々については、軍法・交戦規程などを整備することとあわせてゆけばなんとかなるかもしれません。このままでは自衛官の人々がかわいそうです。この辺はなんとかしたいものです。統合幕僚長は認証官に、また軍人としての叙勲等も望みます(細かいですが、儀仗兵を集めた近衛兵団の結成も)
以上のような観点からまとめるとちょっと長いですが以下のようになります。
先週送ったつもりでしたが、もし届いていないようでしたら駄文ご一読ください。
(若干手直ししています)

憲法9条及びそれを取り巻く事項(変える?/変えない?、変えたら徴兵制になる?、
変えたら戦争する国になるからよくないetc.)については、以下のように思うのですがいかがでしょうか?
@憲法とは国家主権(とその行使)を縛る法です。主権とは、西欧近代のフォーマット下における概念であり、無制限の権力のことで、それは一神教の絶対的創造主の権力に等しいものであり、その行使に関しては、基本的に道徳的・倫理的な批判・評価の余地がない類のものです。このような主権を有する国家同士が無差別に存在し、各々の国益を争うというのが、西欧近代の規範に基づく現在の主権国家体制による世界の姿です。
従って、いかなる理由にせよ、他の主権国家から武力行使をうけた場合は、武力で対抗する準備を持つことが主権国家の存立要件の基本となります。日本人で、この主権という概念を理解している人は殆どいないと思います。文化的基盤が異なることが一番の理由と思います。そもそも我々には馴染みません。しかし、この概念により世界が構成されているのは厳然たる事実です。よって、憲法9条第2項に関して言えば、これを変えるということに全く議論の余地はありません。交戦権を否定し、武力不保持を謳うということが、先ほど述べた主権国家の存立要件に反するからです。間違っており、ルール違反なので変えなければならないのです。
改めていいますが、議論の余地は全くありません。そもそも自衛隊という立派な軍事組織の処遇が自衛隊法という一般法規で定められているということの異常さに気付くべきです。まともな文明国であれば、主権の行使を縛る最高法規たる憲法に軍の処遇を謳うのが当たり前なのです。
第2項は以下のように変えさえすれば済むと思います。
⇒陸海空軍については、
 ア.内閣総理大臣が最高指揮権を有し、議会の承認・法律に基づき出動する。
 イ.組織の編成・武装及び統括・規律に関する規則は、議会が法律によりこれを定める。
なお、軍である以上軍法の制定・施行が課題になりますが、軍事司法の最終判断は最高裁が保有するとすれば、現行憲法でも処置可能と思います。
Aもし憲法が変わって自衛隊が軍(個人的には日本陸海空軍と称するべきと思います。
国防軍ではドイツ第三帝国みたいだ)になっても徴兵制にはならないと思います。複雑高度化した現代戦においては、志願兵による軍のほうが効率等でまさっているからです。
現在の自衛隊はまさに志願兵により構成され、その装備・練度は世界最高クラスです。
この自衛隊を軍としてキチンと規定・処遇することが、志願兵たる彼らに動機づけを与え(もともと意識の高い人々ですが)、その他の国民が徴兵されずに済むということになるのです。
元来、主権国家が成立発展する過程で、兵は王の私兵から、国家の公兵へと変わっていきました。国家権力の伸長に伴い、徴兵制が発展しましたが、やや遅れて、普通選挙制度が発展しました。つまり、普通選挙制度は徴兵制の政治的帰結といえるのです。
現在、徴兵されずに選挙権を行使できる我々は幸せです。
B現在の世界の仕組みは、西欧近代フォーマットの主権国家体制ですので、それを曲げることはできません。自衛のための軍を持つことは必須条件です。それを使うも使わぬも、その国、ひいては国民が政治を通じて決めることです。目的を達しない戦争は結果的に誤った戦争になるので、十分注意が必要です。最も戦争を嫌がるのは軍人です。真剣に現場に出ていくことはかなりの確率で死を意味しますから。
従って、戦争がいやなら、戦争せずに国益を伸長させる政治を行うべきなのです。
ほっとくと戦争になるから憲法に軍の規定を載せないという論法は、西欧人に対して絶対に言ってはならないことです。それは、自らのありようを信用できないということであり、アイデンティティーを否定することになるからです。大航海時代〜帝国主義時代までは、キリスト教徒であることが西欧人にとっての人間のアイデンティティーであり、それを有しない者は人でなしとして殺戮してもよいというのが基本でした。現在は、主権国家の国民であることが人間のアイデンティティーです。無制限の権力を国民が保有し、政治を通じてそれを国内外に行使する。その根幹の存立要件を、自らに自信がないので否定することは、自らを人間でないと宣言することになるのです。やはり日本人にはなじみませんが。

ぼびー様 ご返事ありがとうございます。
まず、先週送られたとありますが、ボビー様からメールをいただいてはいないようです。
おっしゃることに基本的に同意です。ただ正直言いまして私は法律なんて学んだことはなく、自分が考えたことを書いているだけです。私が師と仰いでいる人は複数いらっしゃいますが、憲法や法律については同志KABU先生が私の師です。よろしかったらご訪問してみてください。
また人によってスタンスもキャラクターも異なりますので、私は憲法を論じているのではなく、憲法をダシにして、サヨクさんを揶揄するのが目的です。ヨブ記を論じているのではなく、ヨブ記を借用してISO関係者を揶揄しているのです。
まあそんなわけで、ボビー様からガチガチの憲法論を語られると私には対等に議論する力はありません。
そこん所はよろしくお願いします。
ガチの議論ならKABU先生の胸を借りてください。ご期待に応えてくれるでしょう。

ぼびー様からお便りを頂きました(2013.06.13)
おばQ様。
ぼびーです。
私も憲法・法律を学んだわけではありません。
おばQ様の憲法をダシに左巻きさんを揶揄するスタンスはとてもGOOD!ですよ!。
言いたかったのは憲法をダシにするなら、日本でどう見るかでは打開点が見いだせないのでは?ということです。
この視点ですと、こまっしゃくれた漫才師の「変わっているっていいよね」という見方が支持を受けてしまうのではということです。
世界標準からして間違いであり、ルール違反なので議論の余地なしとしないと話が進まないと思うのです。

左巻きの馬鹿どもの精神構造でどうしてもわからないのは、憲法・安全保障でいうと
@自衛隊という立派な軍事組織が自衛隊法という通常法規で規定されていることの異常さに何故耐えられるのか?
A千年に一度の地震ですら想定外ではないので、原発反対!と言っているのに建国以来60年一貫して侵略行為・人権蹂躙を続ける核保有共産主義者や、核を持った基地外独裁者が核のボタンを押すことは絶対にない=想定外として日本国の先制攻撃論に反対している事実です。

南朝鮮も数年前、巡航ミサイルを開発した(本当に使えるかは別の話として)際、我々はジョッパリに対して核を持ったのと同じニダ!!!(福井の原発銀座を撃てるらしい)と国内三大紙がこぞって大騒ぎしていました。
こんな、オカシナ連中に取り囲まれているのだからマトモになるには、左巻きの呪縛を解き放つ必要がありますので、がんばってくださいね。
もうひとつの心配は、左巻きの呪縛を解いても、日本人が主権をはじめとする西欧近代のフォーマット・規範を理解できていないという点がありますが、これは気長に発信するしかありませんね。

ぼびー様 毎度ありがとうございます。
憲法に関する議論ではなく、憲法に関する議論についての議論ができるとはうれしい限りです。
ちょっと一言言わせてください。
私の目的は国際標準も関係ないし、打開点を見出すことでもないのです。
世の中の一般人は、憲法とは何ぞやとか国際的にはどうとか、パリ平和条約なんて知りません。私が知らないんだから間違いありません。
そして漫才師が自衛隊はおかしいぞとか憲法9条を世界遺産にしようなんて言い出すと、多くの人が大賛成なんて言うのが現実です。
ウソだと思うなら、「憲法9条を世界遺産に」でググってください。上位100位まででそれに賛同するものは95%以上というのが現実です。そして当時は大田光を総理大臣にしようなんて言ってた人がたくさんいたのです。
そういうとき、憲法とはなんぞやとか、国際法はどうたらと言ったところで一般国民の賛同が得られるとお思いですか?
私はまず見向きもされないと思いますよ。
そしてサヨクの低レベルの学者以外、左右両方ともまっとうな法律家は「憲法9条を世界遺産に」なんて眼中にないわけです。わが師KABU先生も大田光は論ずる価値がないと無視するだけです。そこが問題というか、ビジネスで言えばニッチのわけです。
だから私は大田光と同じレベル、あなたのいうこまっしゃくれた漫才師のレベルでその間違いを指摘しているのです。
といっても私の戦術が唯一とか最高なんてことではありません。理論的なことは正論派の理論派がサヨクを論破してほしいのです。低レベルサヨクの「憲法9条を世界遺産に」は低レベルの私が反論すればよいのです。そして残念ながら私以外、大田光と真正面から反論している人はいないようです。
日本を愛する人々は、それぞれ自分の持っている能力とキャラクターで、それぞれの方法でサヨクを叩くべきです。将棋で金は金の使い道があり、桂馬は桂馬の使い道があります。なにも桂馬を金に成らせて使うのが最善ではありません。
なにしろ私のモットーは笑いながらサヨクを叩きのめすことですから。
ぼびー様から見れば私などどうしようもないぼけ老人かもしれませんが、10年も前は毎晩、サヨクの掲示板で論戦していたものです。残渣はここにあります
ぼびー様はぼびー様のキャラクターでサヨク撲滅にご協力ください。

ぼびー様からお便りを頂きました(2013.06.15)
おばQさま。
ぼびーです。
ユーモアを湛えつつも率直にして真摯なご返信のなかに、これまでのご苦労がしのばれますね(もっともおばQさまは、こういわれても笑い飛ばすでしょうが)。
以下長くなりますが。
おっしゃるとおり、「憲法9条を世界遺産に」をとりまく状況が多くを物語っていると思います。

結局は教育なんですよね。
日本人は主権という概念を理解していないと思い至って(無論下名の理解も、専門的に学んだわけではなく、聖書通読・西洋政治史/歴史/哲学史等を齧って、日本においてどのように受容されているかをざっと見して得た個人的な見解ですが)、かれこれ20年以上、4月28日の主権回復記念日になると周りの人々に「今日は何の日か知ってる?」と問い続けましたが、一人も正確に答えられた人はいませんでした。一人もですよ。そのたびに正解を伝えてきましたが、いったいどれだけの人の心に届いたかはわかりません。
しかし、今年、ついに安倍首相のもと「主権回復記念式典」が実施されました(これすらも左巻きの馬鹿どもの批判にさらされていますが…)。
このように、ほんの少しづつですが、状況は変わりつつあります。
おばQさまがいみじくもおっしゃった、「生きている間に憲法改正にたちあえるかも」ということにもつながってきます。

世間一般の人々のレベルは思っておられる通りかも知れませんが、中には順を追って説明すれば理解してくれる人もいるようです。
テレビのニュースや討論番組に向かって「この点が間違い・この点の根本理解ができてない」と叫ぶ下名に対して「だったら、それを世間に広めれば?」とクールに言い放った嫁に報いるべく、とあるサイトにてこのような話題でブログを書いていたひとに似たような内容を(先方の誤解・誤りの指摘含め)コメントしたところ、食いついてくれ、理解してもらえました。
それなりの意識をもっている人であれば、理解してもらえるチャンスはあるみたいなので、その線でやってみます。時間はあまりないですが、楽しみながらできればよいですね。

下名の通っていた中学・高校は今思えば極左学校でして、中学3年のときの正副担任は民青の人でしたし、副担任の地学の授業は「原発反対」でした。高校2年のときの副担任は革マルの元活動家で安田講堂事件で名を馳せ、内ゲバにもあっています(これくらいの目にあっているなら、思想信条はともかく、生き方自体は中々否定できません。4列目の男や弁当手配係レベルは認めませんが…)。この人の世界史の授業はマルクス史観バリバリのものでしたし、他の先生の倫理社会の授業はなぜか天皇制反対という内容でした。
おかげさまで原発の仕組みが理解でき、これは社会に出てから役立ちました。天皇制については、これほど熱意をもって反対する対象になるほど偉大で尊いものなのだという理解を深めましたし、なによりも高校の間にマルクス主義を克服できたのもその後の人生にとって良いことでした。総じて左巻きの方々は、精神的に小児病的であり(ルサンチマンが 土台にあるので当然ですが)、近視眼的なところがあります。そこのところを笑い飛ばしていただければと思います。

最後になりますが、下名が思っている日本をめぐる諸問題とその原因等についてまとめてみました。これにより殆どの社会・人文学的問題は理解・解説できると思っています。
1.西欧近代の規範について
:今の世界はこれを基本フォーマットに構成されているが、日本人はこれが理解できていない。
理由は、西欧人にとって「当たり前で最も重要・基本的なことだから」。そして、これらのことは、「文字にはならない」。
日本人は150年間、翻訳学問で文字になっているものを一所懸命お勉強し、とりいれてきた。
その中でいい点を取った人が偉くなっていった。
しかし、その本質である西欧近代の規範自体を理解することがなかった。この規範は日本人にとって、そもそも相容れない、馴染まないものであった。
@宗教が「不条理に折り合いをつけるシステムの座」からおりてしまった。
A宗教(=一神教における絶対的創造主たる”神”)にかわり、主権国家が世界を構築することとなった。主権とは、神の権力、すなわち無制限の権力である。
B宗教が役割を終え、以下の点が規範となった。
●「真実・真理が何であるか」が重要なのではなく「事実としてどう認定されたか」が重要である。
  →真実・真理の体現者たる神は去った。我々は神ではない。ということ。
●物事を数量化・標準化し、異質なものを排除する。
●ルールは変えられるし、変えるべきである。その場合は、公正妥当な手続きを持って行う。
C科学技術の発達により複雑・巨大な社会システムが登場。同時に根無し草の大衆が主役となったこととあわせ、巨大・複雑なな物事を達成するには、関与する者の責任を相当程度免除しないとやれなくなった。民主主義(普通選挙制度)しかり。高度工業化社会(株式会社)しかり。
Dこの元で、以下の定義が成り立つ。
●政治とは
「シンボリックなものの操作を通じて行われる、利害の調整過程のこと」 ●国際政治とは
「大義名分の操作と、既成事実の積み重ねによって行われる、主権国家の国益達成過程のこと」
●言うまでもないが、これらの規範は唯一絶対で他のものはなく、これらを生み出した西欧近代の規範は普遍である。手続きの公平妥当性を判断するのも西欧である。

2.日本について
@日本国のかたちは、西欧近代が成立する(17世紀半ば)より遙か前、1000年以上前から変わっていない。
 →権力と権威が世俗において併存し、支配者・権力者ではない、司祭王たる君主が、正統をもって皇統を継承し続けている。世界で最も歴史がある国であり、最も権威のある王家をいただく世界最大の君主国。日本国の国号は、天皇が男系にて継承されるという正統性をもって担保されている。男系継承が途絶えた瞬間に天皇は「日王」となり、日本国でなくなる。
※そもそも天皇=須らく男系なので、「女系天皇」というのは言語・論理矛盾です。「男の女神」の逆バージョンと思えばわかる。更に面白いのは、「天皇制をぶっ潰せ!」といっている人々が集う政党が”日本”共産党と名乗っていることです。”日本”が皇室により担保されているのに、自らの名称の起源をぶっ潰せとは…。憲法第一条を廃止したい人々を護憲派と呼ぶのは大変失礼なことなのですが、この件に関しては、礼を失する・失しない以前の問題です。ホント、左巻きの人々の精神構造はファンシーです。
A@のもと、「イエ」というフィクションの組織・規範にロイヤルティをもち、「世間」という反証可能性に自らを晒す形で極めて高度な社会倫理性を育んだ。絶対的創造主たる神という「どぎついMAXスタンダード」とは対極のやりかたで社会倫理性を確立できた。プロテスタントの倫理と対極的な文化圏に資本主義の精神に似たものが育った。一方で、絶対的創造主を措定していなかったが故に、未だに日本人はどこかに真理がある、おてんと様は見ている、何か理想的なものがあってそれが与えられる と思いがち。そこがまた、「理想の制度・組織は神のみぞ知る」よって、神ならぬ人間は試行錯誤してやっていくしかない というブレークスルーに至った西欧近代と相容れない(ご専門であったISOなどはまさにそうだと思います)。
B以上のような背景、高度な町人文化、高い教育水準故に、植民地化されずに済んだ。もちろん地政学的な背景もあるが、無粋で野蛮、残虐で強欲な帝国主義に伍するべく、しかたなく無粋な富国強兵策を取り入れ、近代化した。近代化の手法はそれなりに普遍的ではあったが、その根幹・本質たる文化・思想は普遍ではなかった。それを日本が証明した。
C@〜Bのことを自覚しない、あるいは占領政策にて否定されたことを鵜呑みにしたため、自らと西欧近代に埋めようのない溝があることを無自覚のまま今日に至っている。
特によくないのが、高度な社会倫理性の土台となった、「イエ」と「世間」をたかが一回戦争に負けたくらいで全面否定したことである。
D以上より、日本人は本質的に西欧近代を相対化できる文化的背景、権利・資格を持っているにも関わらず、そのことに無自覚なゆえ、孤立しつつある。
E日本人は、以上を自覚し、内・外でのチャンネルを使い分けてやっていくのが最良の方策である。
「一領域、一国家、一民族、一文化、一言語」という極めて特殊な事実(これも左巻きの連中は声を高らかに否定したがるのでしょうが)を肝に銘じつつ、やっていかねばならない。
相当な覚悟がいりますが。
以上

ぼびー様 毎度ありがとうございます。
気を悪くしないでほしいのですが、ぼびー様のお話を聞いていると疲れるなあと感じます。
共産党、サヨク、護憲派、媚中派、中国共産党の宣伝放送、そういったものを見て私は感心することが多い。どんなところに感心するのかといえば、セールスがうまいのです。オスプレイは危険だということひとつとらえても、墜落した映像を繰り返し引用する、沖縄の集会は10万人と言ってましたが実際は1万人だったそうですが、その映像は10万人に見えるように映している。憲法改正反対、なぜなら日本が戦争に巻き込まれると語り、中国の侵略については口を閉ざす。
そういうアジテーション、キャンペーンがとてもうまい。それは保守派、正論派が学ばなければならないことです。
小林よしのりにしてもアッピールする手法がイマイチです。樹村みのり、やくみつる、妹尾河童らサヨクマンガに比べて、小林よりのりのマンガは一般人が受け入れるかどうかという観点では劣っている。ただ新しい歴史教科書を作るということよりも、小林よしのりの戦争論シリーズの方が一般人に正論派の思い、主張を伝えた功績は大きいと思う。
何を言いたいのかというと、我々はセールスマンなのです。
お客様つまり一般国民が買ってくれるように正しい考え方、正しい歴史、中国の悪、サヨクのうそを伝えなければなりません。あなたの語ることは十二分に理解しています。それだけではなんのこともありません。それを踏まえて、それを一般の人に分りやすく理解してもらえるように語ることに価値があるのです。良い商品が売れるのではありません。良い宣伝がベストセラーを作るのです。それはおかしいなんて言ったところで意味がありません。
あなたの思いと伝え広めるには、あなたの思いをそのままギラギラさせたまま伝えるのではなく、マイルドに砂糖をまぶして飲んでいただく、そういうアプローチをしてほしいと思います。
サヨクのいうのはウソだ! 中国は侵略国家だ、9条を守る会はマッカッカといっても誰も耳を貸しません。彼らの手法を学び工夫が必要です。じゃあどうするのか? となりましょうが、その手法を学ぶにはサヨクのポスター、ウェブサイト、キャッチフレーズそういうものを徹底的に調査して、それを借用すればよいのです。
もちろんぼびー様は今までの思いをここに吐いているのだと思います。それは分ります。だけど私はお話を聞いているだけで疲れてしまう。もっと洒脱にサヨクの嘘を白日の下にさらすということをしましょうよ。それはあなたがこまっしゃくれた漫才師と言っているのと同じ方法かもしれません。でもそのほうが世に受けることは間違いない。
繰り返しになりますが、私たちは真理を追究しているのではありません。一般の人に共感を持ってもらい、行動してもらうことが目的なのです。
また世の中への情報発信は口コミ、ウェブ、ブログ、だけではありません。政党や行政機関への意見メール、報道機関へのメール、電話、デモの参加や主催など多様です。私は会社勤めの時はデモなど参加したことはありませんでしたが、浪人となった今は毎月のように、反中、反サヨク、反TPPデモに参加しています。まあ、これも楽しみです。

ぼびー様からお便りを頂きました(2013.06.16)
おばQさま。
ぼびーです。
気を悪くはしておりません。おっしゃることはわかるんですよね。
「よい製品が売れるのではない。売れた商品が良い製品なのだ。」
(自分の説が良い製品だと買い被っているのではないのですが…)
これは日々仕事上周りに言っていることです。
「真理・真実が何か」が重要なのではなく、「事実としてどう認定されるか」が重要なのだ。
メールにも書いた通りですし、部下にも折に触れ言っていることです。

おっしゃる通り、世間一般の人々にどうアピールするかが重要です。
しかし、一方でどうしてもここを抑えないと先に進めない事項もありまして、そこのところを気づいてほしいというのが下名の立ち位置になっている(それが、いささか疲れる言説になっている)ということだと思います。

おばQさまが疲れるとおっしゃるのは無理からぬことかも知れません。
ただ、食いついてもらい、もう少し時間をかけてて説明すれば、中には理解してくれる人もいるという感じです。
ミリタリー寄りな部分もあり、その辺も余計に「疲れる」要素かと。
実際、類似の内容を、とある機会をえて、自衛隊の将補であった方に見ていただいて(その方は自衛隊の教育機関で教育課長をされていたようです)、今まで考えていた内容と照らし合わせて、よく腑に落ちる といっていただきました。
かなり特殊仕様の領域の方でも、それまで意識されていなかった部分があったようで、いわんや一般の方には、というのは自覚してはおります。
そこをどう表現するか、ご指摘のとおり、課題と思っております。
ただ、ご理解頂きたいのは、最低限押さえておかないと、議論すら成立しないものがありますよ ということです。
そして、それは特に我々日本人にあてはまることだとも。
海外で周りに日本人が一人もいない状況で日本を弁護しようと思えば誰でも気づきそうな事なのですが…。

ぼびー様 毎度ありがとうございます。
基本的に考える方向にはお互いの一致を見たと思います。そしてアプローチについてはそれぞれに思いを持っているということでしょうね。
私の目的はサヨクとの論争において相手が間違っていると周りの人に認識させることであり、そのスタンスは笑いながら日本再生を考えるというアプローチであり、それは私のキャラクターであるとともに、それこそが正論派の弱いところだから、オチャラケ漫才師を叩くためにそのニッチで頑張らねばならないと考えたということです。
今までにも朝日新聞の左寄り社説を批判したものもあり、天声人語を叩いたものがあり、声を叩いたものもあります。みなすばらしいものですし、その著作にはものすごい労苦がにじんでいます。
私はそれほどの努力をしていませんが、サヨク暴走を止めるためにがんばります。
ぼびー様もあなたのアプローチ方法で頑張ってください。

ぼびー様からお便りを頂きました(2013.06.17)
おばQさま。
ぼびーです。
疲れる言説にお付き合いいただきありがとうございます
(皮肉じゃないですよ。率直なご意見・ご指摘ありがたいです)。
持ち場・持ち場で、ということで。
一番よくないのは、基本的には同じ志の者が、仲たがいすることでしょうね。
アピール・宣伝戦術・スパイ行為…、目的のためには手段を選ばぬ左巻きの最も得意とするところには、敵の分断戦術も含まれます。
それに乗せられないよう、やっていきたいですね。

今後も貴ブログ楽しませていただきます。
厄介な奴がいたなぁ とは思わず、流してください。
では。

ぼびー様 毎度ありがとうございます。
もう10年以上前になりますが、ネットで知り合いオフラインでも飲んだりした仲間がたくさんいました。(今もいますけど)あるとき団体戦でネットの掲示板での論戦や、大勢であるテーマについてキャンペーンをしようとか考えがありました。
でもスタートから乗らない人が多かったですね。
みんなアンチサヨクであることは間違いないですが、まず関心が違います。ある人は靖国問題(実は私はこれです)、ある人は北朝鮮拉致問題、ある人は竹島、ある人は朝日叩きなどなど
それぞれの関心が違うのですから、団体行動になりません。結局それはポシャったのですが、それは当たり前だと思います。特にデモなどになると、時間的制約も多くまとまることは難しいです。
言い換えるとインターネットの時代なのだから、リアルよりも自由に大胆な活動が可能になると思います。
私もぼびー様と特定のテーマに対して共同歩調をとるというのも難しいと思います。
お互いに日本の明日を良くするためにそれぞれができることを行動しましょう。


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