異世界審査員106.復興その2

18.08.06

*この物語はフィクションです。登場する人物や団体は実在するものと一切関係ありません。
但し引用文献や書籍名はすべて実在のものです。民明書房からの引用はありません。

異世界審査員物語とは

1923年も年の暮だ。今年は関東大震災というとんでもない天災があった。
伊丹はその震災からの国家的事業である復興計画に参画している。伊丹の本音は、この大災害で過去からの機械設備は破壊されてしまったことを生かして、この国の機械工業を一新することである。
幸いなことに新宿区落合にあった砲兵工廠は、このあたりが震度4だったので被害はあまりなかった(注1)それで被害を受けた機械加工業者を砲兵工廠に連れて行き、見学とこれからの機械工業の方向性を説明した。 計測器 モーター直結の工作機械、精度の高い親ねじ、ガタのない送り台、超硬の刃物、形状のそろったバイト、聞いたこともないゲージブロック、聞いたことがあるだけのノギス、マイクロメーターといった計測器が各工作機械に置いてある。話には聞いていたが見たのは初めてという社長や管理者は多い。
伊丹がこの世界に来てノギスなどを伝え、砲兵工廠やその下請けでは当たり前に使われているが、一般の工場にはまだ広まってはいない。
史実ではノギスは1930年代末に普及したという。ミツトヨの創始者 沼田惠範がマイクロメーターの量産を開始したのも1930年代末、関東大震災より15年も後のことである。

高い加工精度、今まで見たこともないほどの高速かつ重切削、精度の高い測定器、そういうのを見た人たちは、こういう工場でなければ欧米に立ち向かえないと実感した。
あとは公的な資金援助とか融資制度を使って、近代的な工場を再建してほしい。それは伊丹の仕事ではない。もう藤原レベルの技能者はあまたいるから、そういう人を雇うなりして技能向上を図れば良い。
設備導入資金の手当てが付かないために廃業するというならそれもよかろう。今やめなくても何年か後に競争力がなく廃業するだろうから、止めるなら早い方が被害は少ない。いずれ時とともに集約されて規模の大きな会社しか残らないのだから。
そして今は砲兵工廠が最先端工場だけど、その先を行く企業が数多く現れるようになるだろう。第三次産業革命だなと伊丹は思う。


島村医師は年明けに南洋のコロールへの赴任の辞令をもらった。堅苦しいお役所務めはとは思ったが、毎月お金がもらえて食うに困らないこと、この世界で身元保証が得られたことはありがたい。
独身の島村はこの世界に来てから今まで、渋谷駅近くの下宿屋に住んでいた。荷物といっても聴診器や血圧計などの医療器と衣類程度で書籍などほとんどない。元々世界各地でボランティアをしてきた島村だから身軽なものだ。年末年始に下宿の解約やらこちらのしがらみを片づけて年明けに南洋に行く予定だ。
とはいえ船の切符の買い方も知らず、南洋で何を着るのか調べてもいない。途方に暮れて会ったこともない長官にどうすればいいのかと問い合わせると、政策研究所に相談しろという返事が来た。
ということで今日、島村医師は政策研究所にやって来た。

熊田助教授
島村医師熊田助教授
島村医師熊田助教授
「ああ、島村先生ですね。私は南洋の開発計画を担当しております熊田と申します。
先生のご高名はかねてより伺っております。天才外科医で、先だっての大震災では切っては捨て張っては捨て・・・じゃなかった次から次とくる怪我人を、切った縫った繋いだという話が新聞に載ってましたね」
島村医師
「アハハハ、新聞の話は大げさですよ。それよりも年明けにコロールに赴任しろと言われているのですが、向こうに明るい人がいないので相談に乗ってください」
熊田助教授
「島村先生は世界中を歩いて活躍されていたと聞きます。南の島にも行ったことがあるのでしょう。先生の方がお詳しいのではないですか。
正直私は行ったことがありません。ずっと満州におりまして、この仕事を始めて間がないのです」
島村医師
「熊田さんの話を聞くと、余計に心細くなりました」
熊田助教授
「アハハハ、なにごとも当たって砕けろです。年末にパラオに飛ぶ飛行機があるので一緒に行きましょう」
島村医師
「えっ、まさかそのまま住み着くとか?」
熊田助教授
「もちろんそのまま住み着きます。行けば何とかなるでしょう。身の回りのものを持ってきてください。向こうに着いたら私は南洋諸島をあちこち歩きますけど、島村さんはそのままコロールに留まればよろしい。船で行ったら、退屈な時間で苦しみますよ」


中野は帝太子に呼び出され、宮内省の執務室に出頭した。

帝太子
「おいおい、さくらを養子にしたんだって?」
中野部長
「戸籍などの手続きはまだですが・・」
帝太子
「お前の家に住んでいるわけ?」
中野部長
「ハイ、とはいえなにもかもメイドがしてしまうのですることがなく苦痛だというので、政策研究所でお手伝いしてもらっています。英語は堪能でドイツ語も読み書きできますから翻訳とか、研究所のメンバーが手におえない微分方程式を解くとか、会議に陪席したり、さくらのひらめきはすごいですね。
毎朝、私が剣術を教えてます。あんな見目麗しい賢い子を娘にできて、私は幸運です」
帝太子
「見目より心って知らんのか」
中野部長
「もちろん心も菩薩のようです、ハハハ」
帝太子
「それで、あのなあ〜」
中野部長
「だめです」
帝太子
「まだ何も言ってない」
中野部長
「殿下はさくらを養子によこせというのでしょう。分かってますって」
帝太子
「俺んところの娘になれば留学させてやる」
中野部長
「既に来年留学するアメリカの大学院は決まりました。
殿下はご多忙と存じますのでこれで失礼いたします」
帝太子
「あのよ、そのうち「料亭さちこ」でさくらを交えて飲もうよ、段どってくれ」
中野部長
「かしこまりました」


政策研究所に異世界担当のメンバー工藤、伊丹、ゆき、岩屋が集まる。

工藤社長
「前回打ち合わせから数回、伊丹さんとゆきが向こうの世界に行って情報収集をしてきた。
まずはその報告をしてもらう」
伊丹
「まず概要ですが地形はまったくこちらと同じ。時間的には日本と同じくここの100年後にあたります。
19世紀末からの世界史の概要ですが、やはり第一次世界大戦はありました。大戦中にロシア革命が起きソ連が成立したまでは同じです。その後、連盟国とドイツの停戦が成り立ち、日本の世界よりはだいぶドイツ有利に講和が成り立ちます。
しかし1930年には経済恐慌が起きブロック経済へと進み、結局第二次世界大戦になります」
岩屋
「秋津洲国は?」
伊丹
「話を戻しますと、第一次世界大戦後に秋津洲国は我が扶桑国と同様に中国大陸に食指を動かさず、国内産業育成と南洋経営に励み国内経済を発展させました。そしてアメリカが満州に進出して最終的に自治領とします」
岩屋
「それって、石原莞爾の小説と同じシナリオか?」
伊丹
「ずばりそうです。そして欧州の景気悪化、アメリカの大恐慌などがあります。秋津洲国はそれだけでなく気候不順が数年続き飢饉になります。稲の寒冷地用品種開発や食料の緊急輸入などで対応しますが、社会不安は高まりました。
そしてノモンハン事件はソ連とアメリカの間で起きて秋津洲国も戦争に巻き込まれ、それが遠く欧州でのドイツのポーランド侵攻、ノルウェー侵攻、そしてフランス侵攻と拡大していきます。ドイツとソ連は軍事同盟を維持して東西で第二次大戦が進みます」
岩屋
「そこも石原の小説と同じか」
伊丹
「いや石原さんの小説はその前で終わっていて、その後はいくつかのシナリオを示しているだけです。その中の一つのシナリオに近いですが・・
この戦争も決着がつかず1945年に停戦しますが平和条約は結ばれず、その後、冷たい戦争が四半世紀も続きます。
最終的にソ連は1970年代に崩壊しいくつもの国に分裂し、分裂したすべてが共産主義を放棄します。ドイツはそのまま残りますが、もう軍事的にも経済的にも東西対決とは言える状況ではありません。そのせいもあり同盟して敵に対抗するという状況でないために、欧州は東から西まで第一次世界大戦以前同様に国々はかなり細分されています。
秋津洲国はその後も東アジアの列島と南洋諸島に限定して国家経営に励み、国際的な地位を築いて21世紀を迎えます。
アジアとアフリカは21世紀になっても混乱が続き、政治的には独立を果たしても経済的に搾取される状況が続いています。もちろん搾取しているのは欧州の宗主国です。
21世紀の秋津洲の貿易依存度は20%を切り、食料自給率も70%を超えています(注2)
岩屋
「まさに理想的な弱点のない国だ。おっと、石油や石炭は?」
伊丹
「ブルネイの石油を確保したのはこの扶桑国と同じです。もちろんブルネイだけでは足りません。でも海底油田開発が1970年代から始まり、東アジアとマイクロネシアで採掘されています。エネルギー自給率は80%台ですが、採掘量が足りないのではなく長期的視点で温存している気配があります」
岩屋
「アメリカ並みだな。理想的じゃないか」
工藤社長
「となると秋津洲国には当面難問はなく前途洋々ということだ」
伊丹
「日本のような国防への嫌悪はありませんし、共産主義国家が崩壊したことからサヨク政党もあるにはありますが支持者も少なく国会に議席を持っていません。委任統治領は独立したところもありますが、日本に併合してほしいと言ところがほとんどです。まあゆるい国家群ともいえますね。
千島列島、竹島、尖閣などの領土問題もなく、安泰です。特に韓国とあつれきがありません。韓国はたかることはしますが、秋津洲国に原因があると言いがかりをつけるスキがありません」
工藤社長
「ゆきから何かあるかい?」
ゆき
「伊丹さんのおっしゃる通りですが、あまりにも他のアジアの国々に比べて秋津洲国が豊かで安全なために、中国、朝鮮、東南アジアなどからの移住希望が強く、不法入国者が増加しています。最初は南洋諸島に不法侵入して、そこを足掛かりにして本土に移りゆくゆく市民権を取ろうとする者が後を絶ちません。そして密入国者によって治安が悪化しているのも事実です」
工藤社長
「それはどうしようもないことなのかな?」
伊丹
「貧しさから逃れたいという意思は抑えられないでしょうね。違法であろうと人は豊かな方に移動します。
私の日本では朝鮮人が強制連行されて日本に来たなんて騒がれた時代もありましたが、貧しさから逃れるために日本に不法入国してきたことが判明してから、そう語る人はいなくなりました。将来においてそんな捏造をする国や民族もいるでしょうねえ。
それはともかく、そういう人の動きを抑えることは現実的に難しいでしょう」
岩屋
「それで向こうと交易することは可能なのか?」
伊丹
「現時点、向こうに異世界と行き来できる一族がいるという証拠が見つかりません。大震災直前に一時つながっていた敷島国の場合、向こうに行ったその日に出会ったことを考えると、向こうの世界にそういう能力を持つ一族はいない可能性もあります」
岩屋
「前回の打ち合わせ時には、もし向こうから調査に来ているのではないかとか侵略されたらとか懸念したが、そういう恐れはないということか?」
伊丹
「いや現時点、証拠が見つかっていないということです」
岩屋
「向こうに調査に行った伊丹さんとゆきさんだけでなく、こちらにいる工藤さんの一族は侵入者があったような情報はないのか?」
工藤社長
「今のところありません」
岩屋
「前回の打ち合わせ結果は中野さんに報告しているが、それ以降進展なしか?
話は戻るが交易はできないのか?」
ゆき
「交易といっても規模の大小があります。私がアクセサリーを向こうのリサイクルショップで売って書籍を買ってくるというのも、小規模ですが交易であるわけです。大規模だったり、品物が使用証明が必要となるようなものとか、輸出管理のように販売が規制されているものとなると難しいでしょうね(注3)
伊丹
「岩屋さん、100年先の社会があるからといって、そこから物品や情報を入手することもないでしょう。我々はもうそんなことをしなくても自分たちで新規開発を進めていける力があると思います」
岩屋
「うーん、あるべき論ではあるし理屈は分かるよ。しかし現実に開発研究で苦労するなら、既にある先進技術を手に入れることは効果的だ。それは卑怯じゃないよ」
伊丹
「岩屋さん、あなたのお立場も分かります。今までの意見をまとめて中野さんに報告してください。
それと岩屋さんへのお願いですが、あなたの職権で異世界からの侵入を監視していただきたい」
岩屋
「承知した」


銀座の半蔵時計店の店舗は焼失してしまった。しかし半蔵時計店の事業が輸入時計の販売だったのは明治の話。今では輸入時計の販売など微々たるもの。現在の半蔵グループは、時計生産だけでなく、ノギス、ダイヤルゲージを始めとする計測器の製造販売、砲弾の信管製造までのコングロマリットとなっている。
ここは半蔵時計店の稲毛工場である。どういうことか東京も安房も大地震であったが、稲毛から船橋までは震度4くらいであった。半蔵時計店の稲毛工場は無傷と言える状態で、本社機能を一時的にここに移している。信管工場は大宮でこれも地震の影響はほとんどなく、時計生産も計測器生産も同様である。
ドロシー宇佐美
ドロシー宇佐美

会議室で宇佐美事業部長とドロシーが顔を合わせて密談している。おっとこの二人が浮気する恐れはまったくない。二人の頭にはお金儲けしかない。

ドロシー
「もう大地震もなんとかクリアしたようですから、伊丹さんもお暇になったことでしょう。
それでもう一度第三者認証制度設立に協力をお願いしたいです」
宇佐美
「私もそう考えておりました。当社でも品質保証体制を確立しまして、その効果は十分に理解しました。標準的な品質保証規格を作って、それを指導し満たしているかどうかを判定する、そういう仕組みを考えております」
ドロシー
「まあ、私も同意見ですわ」
宇佐美
「しかしドロシーさん、私は当社の子会社数十社にこの仕組みを取り入れろということを指示していますが、扶桑国全体にこの仕組みは広まりますかね?
といいますのは、この認証ビジネスというのは認証を受けた会社から登録料をもらうことで成り立ちます。審査にかかる日数、人件費、審査料から必要な認証件数というのが計算できると思いますが、損益分岐点は何百社必要でしょうか?」
ドロシー
「費用もありますが、制度設計も大事ですね。私が心配しているのはやはり信用されるかどうかということでしょう。私たちが審査する会社を作ったとき、それが信用されるにはその会社を何らかの方法で審査してもらわなくちゃなりません」
宇佐美
「審査会社を審査? 屋上屋を架すような感じですが」
ドロシー
「私思うのですが、審査会社は複数必要だと思います」
宇佐美
「複数? 審査事業の売上がその数で分配されることになるわけですよ」
ドロシー
「それがいいのです。競争があるからこそ不正というか依怙贔屓もおきず、お互いに切磋琢磨して審査技術も向上すると思います」
宇佐美
「そんなものですかね」
ドロシー
「そうですよ、そしてそれだけでなく審査会社は官公庁とか砲兵工廠のようなところから審査を受けて、お墨付きがあった方がいいと思うの」
宇佐美
「でもそれは審査料金の一部を上納するということになりますね。やくざと同じ構造だな」
ドロシー
「審査員の資格も作らなければならないし、そのためにはそういう事務手続きとか審査のための基準も定めたければなりません。当然、認証機関の垣根を超えた登録や評価をする仕組みが必要になります」
宇佐美
「おお、ドロシーさんの言うことが見えてきました。品質保証の審査というからには、審査する側も品質保証の仕組みが必要というわけですな」
ドロシー
「そうそう、そういう仕組みがあって初めて対外的に信頼されると思うのよ」
宇佐美
「そういう仕組みをもっと具体的に考えないといけませんね。それから先ほど私が言いました認証制度の損益が出るような料金体系、ドロシーさんが言われたような二重構造であれば、上位組織の損益も考えなければなりませんね。うーむ、お互いにそのあたりを試算してみましょう。
それにしても二人だけではやはり力不足もあるし、対外的にも無名です。ここはどうしても伊丹さんとか、砲兵工廠の藤田中佐とかを引っ張り込むことが必要だな」

うそ800 本日の期待
おお、ついに第三者認証制度が出てまいりました。
ご存じとは思いますが、この物語で第一次世界大戦も関東大震災もすべて第三者認証制度の背景に過ぎません。扶桑国の産業が標準化され大量生産がされるようになり、その結果個々の企業において品質保証が重要となり、新規に取引を開始するにあたり相手に品質保証を要求するのは当たり前になります。品質保証の標準化とはそういう状況において必要となります。
しかし、その先に第三者認証制度が必須なのか、そこは私は分かりません。
さて、宇佐美さんとドロシーさんのこれからのお手並み拝見と・・・

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注1
実際の東京砲兵工廠は文京区小石川にあって、関東大震災で甚大な被害を受けた。陸軍は再建することを諦めて、東京砲兵工廠を廃止してその機能を小倉兵器製造所に集約した。
なお、関東大震災の地震は隅田川沿いから江東区など下町がひどく、渋谷や新宿から西は地盤の構造が違うのか震度が1から2小さかった。

注2
貿易依存度とは国内総生産(GDP)に対する輸出入額の比率(輸出依存度、輸入依存度)をいう。輸出入に依存していないなら貿易依存度は0%となる。日本の貿易依存度は24%ほどで、先進国・低開発国を含めて、国際的に非常に低い国である。ということは資源も消費も国内にあるということになるのだが、あまり実感はない。ちなみに韓国は65%、中国は30%である。
世界の貿易依存度 国別ランキング

注3
(1)
輸出管理とは昔はココムと呼ばれたものである。高度な機械とかソフトウェアなどが敵対国などに流れないようにするために、輸出に当たりそれが禁止物に当たるか否かを評価し、該当する場合には正規な許可を受けた証明を残すなどが必要となる。外国人が国内の工場見学するとか、海外旅行に高性能のパソコンを持ち出すことなども該当する。
(2)
ここでいう使用証明とは、企業が退職者に発行する勤続期間や職種などを記した書類ではない。
自動小銃 武器や弾薬などの売買において、購入者(ほとんどは国家)が販売者に提出する、それがテロ組織などに流れないことを証明するものをいう。


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