異世界審査員111.南洋開発その2

18.08.27

*この物語はフィクションです。登場する人物や団体は実在するものと一切関係ありません。
但し引用文献や書籍名はすべて実在のものです。民明書房からの引用はありません。

異世界審査員物語とは

この物語での南洋群島開発は、史実よりはるかにスローペースである。そうしたにはわけがある。
史実で日本が南洋群島を手に入れたのは、第一次大戦開戦直後の1914年であった。そしてすぐに軍政を敷き、治安維持のために警官を派遣し、1915年には医療改善に診療所を設置し、商社員まで動員して小学校教育を始めた。
誤解ないように申し上げておくが、南洋諸島を委任統治領とした過去の日本が、圧政を敷いたとか神道を強制したわけではない。「原住民の財産、宗教、慣習、人権を保証する」と宣言したし、実際に不法な徴発などしていない(注1)それは崇高な理念からでもあったろうし、将来とも日本がこの諸島の統治を継続できるように、それまでのドイツの過酷な植民地統治に比べて善政しているのを原住民にも諸外国にも示そうという思惑もあったようだ。
ともかく原住民に対して教育や健康診断など福祉にも配慮した穏やかな行政を行ってきた。植民地にそんなことをした宗主国はない。
しかしながら日本が植民地でわざわざ学校を作ったからこそ、過去の文化を破壊されたとか、天皇崇拝をさせられたとか非難されることになった。もっともそう言っているのは半島にある一国だけか。

アホウドリ やがてだんだんと日本人や朝鮮人が南洋群島に移り住んできた。最初はカツオ、マグロの漁師、真珠取りの潜水夫、リン鉱石の採掘者であり、次に彼らの懐を狙った、飲み屋、売春宿などがやってきた。
なお、この頃にはアホウドリもべっ甲もとうにピークを過ぎていた。やがて農業開拓者も移り住み、その相手をする日用品や食品の商店などが移ってきた。

そして第一次大戦後の不況、更に関東大震災などで、日本経済は停滞が続き困窮した人たちは増加した(注2)また閉塞した内地を出て新天地を望む人も多く、国が海外移住を勧めたこともあり、ハワイ、満州、北米、南米などに出ていった。それが後に行った先の国で日本人排斥につながるのだが、それはさておき、そんなわけで南洋群島にも日本人や当時統治下にあった朝鮮人が出稼ぎや移住してくるようになった。
海外移住者がいかほどかとなると、戦前の総数が65万という。ただそれは日本が統治していたところへの移住を除いた数字で、その他、満州27万、朝鮮75万、合わせてその他に100万人くらいいた(注3)この物語の1920年代は朝鮮が30万、満州は満州事変前までは数万もいなかったようだ。1920年代の日本人口は6,000万をわずかに超えたくらいだから、1920年代の10年間に満州や朝鮮を含めて国外に移住した人は約50万で総人口の1%弱となる。この数は年率1%程度の経済成長があれば十分国内に吸収できるレベルだ。不景気や飢饉がなければ南洋群島に限らず外地への移住は大きく減ったと思われる。

それに対してこの物語では欧州大戦後終結による輸出の減少はあったものの、扶桑国の技術向上による産業の発展、機械製品など高度な製品の輸出拡大、それによる内需拡大により、失業・倒産・成金たちの破産など大騒ぎするようなことは起きなかったことにしている。
だからハワイやアメリカ大陸、そして南洋群島に移住する扶桑国人は少なかった。またこの物語では朝鮮は併合していないから朝鮮人が日本の領土に来ることはない。その結果、南洋や台湾の開発は鈍化した。ゆえに、この物語では南洋群島が委任統治領になって5年経っても開発はあまり進んでいない。
参考に日本の史実とこの物語の推移比較を図に示す。

南洋の年表

南洋庁の本庁があるパラオ島の中心街コロールのホテルで三人の男が飲んでいる。熊田、島村、そしてサイパンの農場主 松江である。

松江社長
「南洋諸島は法的には植民地ではなく、委任統治領だ。とはいえここの住民のために我々が存在するわけではない。過去の外国の統治と言えば、前の宗主国であったドイツやスペインは本国の利益のために原住民の人権を無視し資源や産物を搾取し原住民を虐げてきたという事実がある。
何百年も昔ならともかく、植民地や委任統治領を力で支配しても反乱がおきて長続きしないだろうし、現代では非人道的な施政には諸外国から横やりが入る」
熊田助教授
「おっしゃる通りです」
松江社長
「我が国は悪どいことはしていない。原住民の人権をはじめ諸権利を認め、島の土地はすべて原住民の財産であり、政府も入植者もちゃんと借地契約して地代を払っている。漁業権も認めていて沿岸漁業は原住民しかできない。
とはいえだ、馬鹿正直にここに投資して育て上げて独立国にしても見返りがなくては困る。要するにお互いに共存を図り、我々も損のないようにしたい。それが本音だね」
熊田助教授
「それもおっしゃる通りです」
松江社長
「そうは言ってもそうする策はなかなかない。まずここは絶対的貧困だ。島々にいけば腰ミノというところが多い。もちろん魚やバナナを食べて生きていくだけはできるが、彼らだってそれを好んでいるわけではなく、お金があったらうまいものを食べたいし服を着たいのは本音。
産業と言えるものはなく国際競争力のある輸出品といえばグアノくらい、それもここには大量にはない。熊田さんの前任者 石原さんは漁業とか農産物などで島おこしを考えていたようですが、もっと根本的というか戦略がないといけない。
熊田さんはどんなことをお考えですか?」
熊田助教授
「松江さんのおっしゃる通り、この国を食い物にしてはいけないし、他方我国が慈善事業をしているわけでもありません。なんとか発展させてその見返りを原住民と我が国で得られるようにしなければなりません。
まずは価値観を共有しなければなりませんが、一方的に我々の宗教や価値観を押し付けても反感を持たれるだけです。
松江さんは異世界のことをご存じですか?」
松江社長
「聞いたことはある。詳しくはない」
熊田助教授
「ご存じならぶっちゃけて言いますけど、異世界の日本はあまりにも植民地政策がうぶだったのですね。原住民に八紘一宇とか教育勅語とか教えてもね、目的が立派でも反発食います。せいぜい国旗・国歌まででしょう」
松江社長
「では熊田案はどんなものですか?」
熊田助教授
「男と女の関係と同じです。好意を押し付けるのではなく、向こうが好きになればいいのですよ。扶桑国はすばらしい、扶桑人になりたいと思われるようにするのです。もちろん計画的にですね」
松江社長
「具体的には?」
熊田助教授
「こちらに学校を作ってもう10年近くなりますね。カリキュラムを見ましたが、扶桑語教育とか算数とか地理とかありますが、あまり熱心に教育することないでしょう。特に扶桑語はやらなくてもいいんじゃないかと」
松江社長
「どうして? 私の農場や工場で働くにも、特に監督になるには扶桑語の会話だけでなく読み書きができないと困るけど」
熊田助教授
「扶桑語が使えればお金がたくさんもらえるという状況を作ればいいじゃないですか。こちらがわざわざ教えることはありません」
松江社長
「そんな方法がうまくいくものかな?」
熊田助教授
お酒 「もちろん勉強したい人にはその環境を与える。但し絶対に強制しないし、強制してない証拠も残す。現地人を同化するのでなく、現地人が同化したくなるようにする。
もちろんそのバックグラウンドとして差別をなくす。それも雇用や結婚というオフィシャルなことだけでなく、付き合いとか商店や乗り物での差別を絶対しないという環境を作る。
扶桑語ができる人は高給、できなければ仕事がないというのは差別ではありません。実際に無線機とか自動車など扱うには、取扱説明書が読めないとどうにもなりません」
松江社長
「なかなか良く聞こえるが具体的にはどうするの?」
熊田助教授
「教育はそういう方法ですがその他、孤島に急病人が出れば飛行機で医者を派遣するとか、差別があれば摘発し処罰する、その前に扶桑人に差別しないという教育をするということが重要ですね」
松江社長
「現地人であっても有能なら官僚に取り立てるということも必要だ。私のところでは工場長は扶桑人だが、その下の大監督と監督は8割方現地人になってきた」
熊田助教授
「おっしゃる通り、そこが大事です」
島村医師
「熊田さんは南洋庁の本庁にいるからわかるでしょうけど、ここに来ている官僚、とくに南洋庁長官とか課長クラスなんてひどいもんですよ。ものすごい選良意識・差別意識があります。その他、彼らは8時出勤でお昼になると仕事は終わりです。昼飯を食べに外に出ると午後は職場に戻らずそのままビリヤードとかマージャン(注4)とても尊敬できません。ああいった人たちの教育が必要ですね」
松江社長
「その話、知ってます。しかし彼らも出世できずに島流しされた身で可哀そうなんでしょう」
熊田助教授
「冗談じゃありません。皇国大学を出た若い官僚の俸給は本土では月2両ですが、南洋では4両もらいます(注5)ですからお金が欲しい官僚は南洋勤務を志願します。ここに来るための競争率はとても高い。おっと私は官僚というよりも研究者でして、その例には入りません」
松江社長
「えっ、本土より高給なのですか・・それじゃなんとかしないとまずいですね」
島村医師
「松江さんはサイパンが主たるお住まいでしょうからあまりご存じないかもしれませんが、ここコロールは扶桑人が多くその子供も多い。現行制度では扶桑人子弟も現地人子弟も同じ小学校に通いますが、勢力構図は分かりますか」
松江社長
「当然『現地人の子供』対『扶桑人の子供』の対抗になるのでしょう」
島村医師
「いえいえ『高級官僚の子供』対『現地人と一般扶桑人の子供』の戦いですよ」
松江社長
「言われてみればそうなる気もしますね」
熊田助教授
「島村さんはよくご存じですね?」
島村医師
「こちらに来てまだ三月ですが、扶桑人と現地人の患者や部下から、いろいろ耳に入りますからね。病気ばかりでなく暮らしとかお金の相談も受けます。中には高級官僚に無理難題を言われたとか」
松江社長
「それは私も日常経験しています。タカリの構図ですね。今までは遠島になった人だから可哀そうと思っていましたが、今のお話のように高給でエリートと聞くと無茶な要求を飲みたくありませんね。とはいえ拒否もできないでしょうけど」
熊田助教授
「本土から来ている官僚もどんどん増えて今では600人くらいいますから、ピンキリなんでしょうね」
松江社長
「でも現地人と日頃一緒に仕事している警官には変な人はいませんね。
いずれにしても一部が悪事を働くと扶桑人皆が悪く言われるようになります。私たちも扶桑人だからと憎まれる恐れもあります」
熊田助教授
「ならばこそ一刻も早く悪徳官僚を排除しなければなりません」
島村医師
「それはともかく、熊田さんの話の続きですが、私は医療それも救急診療体制を整備したいですね。南洋群島といっても東西4000キロもあるわけです。コロールに総合病院ができて大きな手術もできるようになりましたが、マーシャル諸島で重病人が出たといわれても今では何もできません。なにしろ北海道から九州の倍の距離ですからね」
松江社長
「サイパンからコロールだって1500キロもあります。船なら3日、怪我人なら助かりません」
島村医師
「飛行機でも・・・6時間か、それも大型飛行艇でないと飛べませんね」
松江社長
「孤島に怪我人が出たり、難破したときにすぐに飛行艇を出してくれたらいいのですが」
島村医師
「島嶼間の連絡は取れるのですか?」
松江社長
「今では各島の警察にはコロール島と連絡が取れるように無線機が置いてある。昼は電波の飛びが悪い時があるそうですが、夜は支障ないそうです」
島村医師
「孤島で怪我人とか急病人が出ることがあるのですか?」
松江社長
「ありますとも、サイパンでもときどきある。だけどどうしようもないね。大怪我は手に負えない。最悪のときはモルヒネを出しておわりだ。せめて苦しまないようにと」
島村医師
「医者だって緊急事態と知っても簡単に行けません」
松江社長
「俺だってここはみな知り合いだから辛い。それでもスペインやドイツ領のときより大変良くなったと言ってくれるよ。彼らは原住民を動物扱いしてたらしい。もちろん救急医療などない」
熊田助教授
「問題は分かりました。すぐにはできませんが、おいおいと改善していきましょう」
松江社長
「期待してますよ」


松江と酒を飲んでひと月ほど経った。島村はいつものように病院で診察していた。肩書は院長であるが、事務処理とか定型の決裁は元からいる40くらいの判任官がすべて仕切っており、島村も考えはあるがあまり急激な改革をせず角をたてないようにしている。
 注:判任官とは下級官僚で現在なら初級公務員相当。

昼飯を食って1時間ほどしたとき、突然電話が鳴った。受話器を取ると無線室からだった。
院長あてに無線が入っているという。無線室に行ってレシーバーを耳にあてる。

警察
「私はサイパン駐在の警部長をしております大木です。島で怪我人が出ました。足の骨を折り骨が皮膚を破って出ています。こちらでは手に負えません。南洋興発の松江社長から、島村さんに頼んでみろとアドバイスをもらいましたので無線しました。なんとかならんでしょうか?」
島村医師
「意識はありますか、出血具合は?」
警察
「意識はあります。止血しましたが、そのままにしておくと壊疽を起こすのが心配です」
島村医師
「約束はできませんが、内部で調整して30分後連絡します」

島村は南洋庁長官室に行くがもちろん不在だ。どうせビリヤードか雀荘だろう。
島村はそのまま外に出て、歩いて数分のビリヤード屋に入る。




いない。
そこを出て更に1分ほど行った雀荘に入ると、高級幹部たちが卓を囲んでいる。既にお酒も入っていて楽しそうである。

島村医師
「長官、すみませんがサイパンで怪我人が出ました。救助のために飛行艇を出してもらえないでしょうか」
南洋庁長官

「怪我人? 扶桑人か現地人か?」

牌をつもりながら島村に聞く。
島村医師
「現地人です」

卓を囲んでいる官僚たちがドッと笑う。長官も笑いながら

南洋庁長官
「島村院長、困るぞ。飛行艇をサイパンまで飛ばせば10両かかる。お前はそんなことを考えずに病院に来た患者を治療してればいい」
島村医師
「確認します。サイパンの怪我人は断ってよろしいのですね」
南洋庁長官
「そうだ、そんな細かいことをここまで聞きに来るな」
島村医師
「失礼しました」

周りの官僚はまたドッと笑う。

島村は本庁に戻ると東京の誰に頼もうかと思い迷う。自分をここに派遣した後藤新平は今年1月に山本権兵衛首相と共に辞職した。南洋庁長官も島村が採用されたときと変わっている。
島村が面識ある高官などいない。長距離電話はないからわずかに付き合いがあった伊丹に相談することもできない。熊田ならだれか知らないだろうか。
本庁に戻ると熊田を探す。大部屋の片隅に座っている。外に連れ出していきさつを話し、誰か飛行機を出せと命令できるくらいの地位にいる人を知らないかと聞く。
熊田は中野さんなら大丈夫だろうという。彼は熊田のいる政策研究所の偉い人らしい。島村も中野には震災のとき救急病院で二三度会ったことがある。
熊田と無線室に行って政策研究所につないでくれと言うと、できないとか言われたが拝み倒す。
中野に話すと、すぐに南洋庁長官宛てに通知を出すことを約束してくれた。

島村は外科手術用の道具を揃えると、島村と同時期にここに着任した看護兵を連れて港に来た(注6)数十メートル沖合に定期便の飛行艇と、それとまったく同じ形の南洋庁の飛行艇が浮かんでいる。本来は南洋庁の業務用のはずだが、実際には長官が扶桑国との行き来と群島内を査察する時しか使われていない。
そういえば長官は自分が諸島に出向くことを冗談で行幸と言うだけでなく、島々への通知などにそう記述している。皇帝に聞こえたら不敬罪で処罰されるんじゃないかと陰でヒソヒソされている。自分が皇帝の代理者として出向くからそういうのだろうか。だがそれなら首相とか大使とかみな皇帝の代理者であるが、そんな表現が許されるわけはない。

注:行幸(ぎょうこう)とは天皇や皇帝がお出ましすること。皇后や皇太子のお出ましを行啓(ぎょうけい)という。

機長は海軍から派遣というか出向している若い中尉で島村の知り合いだ。機長にサイパンまでの飛行を頼んでいると、本庁の方から看護婦が走ってきた。この暑いのに何で走るのかと変なことが頭に浮かんだ。

看護婦
「院長先生、先生宛に電報が入りました。総理大臣からです。重大と思いましたからお持ちしました」

息切れでゼーゼーハーハーしている。
島村医師
え、総理大臣だって! 一体なんだか見当もつかないねえ〜」

島村が封筒から一枚の紙を取り出すのを、機長と衛生兵そして看護婦が興味を持って見ている。

島村医師
「なになに、
『南洋庁長官宛て、内閣総理大臣 清浦圭吾より以下の通り指示する
南洋諸島内において急病人、怪我人が発生したときの対応の件
総合病院院長の判断により南洋庁の飛行機、舟艇などを活用し、最大限救急治療に当たること。この活動は総合病院設立の趣旨であることを念のため伝える。以上(注7)
するてっことは合法的に飛行艇を飛ばせるわけだ」
機長
「了解しました。既にエンジンを起動し温めております」
島村医師
「おっと、この電報は私宛じゃない、長官宛てだ。看護婦さん、南洋庁長官は今マージャンをしているから、そこにもっていってください」
看護婦
「いえ、私は院長先生に同行します(キリッ」
機長
「電報を届けるの? オーイ、お茶ボーイのアツシ君、頼むよ(注8)雀荘にいる長官宛てだ」

機長は給仕を呼ぶと島村の持っている電報と籠に盛ってあった饅頭を数個渡した。アツシ君はニコニコ顔で飛び出していった。
副操縦士が飛行機から小舟で戻ってきて、飛行艇の準備完了という。
操縦士ふたりと、島村、看護兵、看護婦の5人が乗ると同時に飛行艇は発進した。

離水すると機長は副操縦士に任せて客席に来て雑談をする。乗客が20数人乗れる飛行機だから広い。

看護婦
「操縦士さん、乗せていただいてありがとうございます。私飛行機に乗るの初めてです」
機長
「あの電報にあるように飛行艇を救急治療に使うなら、これから毎週乗れますよ」
島村医師
「看護婦さん、どうして一緒に行く気になったの?」
看護婦
「だって院長先生は神業と呼ばれている外科医ですから、その技を見たいと思いまして。残念ながら今まで病院に大きな怪我人が来ませんでしたから」
島村医師
「それは残念じゃなくて幸いだと思うけど。今回は骨折して皮膚から骨が飛び出しているというから、女性には不向きかなと思って男性に頼んだわけだけど」
看護婦
「血を見て倒れるようなことはありません」
看護兵
「自分は関東大震災のとき皇居外苑で、島村先生がものすごい数の怪我人を治療していくのを見ました。まさに神業ですよ」
機長
「先生の腕がいくら良くても、この飛行機が着くのに5時間半かかります。それまで怪我人が持つかどうか心配です」
島村医師
「今まで医者を飛行機で派遣することはなかったのですか?」
看護婦
「ありません。この飛行艇が配備されてまだ半年です。半年の間に怪我や遭難など10回以上ありましたが、飛行艇を使ってよいと言われたことはありません」
島村医師
「この飛行機を使って救助活動をすれば、扶桑国の国威は高まると思うけど」
機長
「ハハハ、残念ながら南洋庁の幹部にそういう考えはないようです。彼らは自分の命は大事にするけど、現地人だけでなく移住してきた扶桑人や我々軍人の命も大事にしません。
人命救助には使いませんが、長官はどこに行くにもこの飛行艇を使います。長官専用機と思ってんじゃないですか」

今では各島々に電波灯台と呼ぶものを設置してあるので、飛行機でも船でも迷子になることはない。原住民の漁船にも無線機やビーコンを備えようと熊田は考えている。しかし何事も先立つものが必要で進んでいない。
飛行艇は離水してから5時間半後にサイパン島のラグーンに着水した。岸から何隻ものカヌーが漕ぎ出してきた。
ナミ
機長には状況を見て帰るか待つかを決めて指示すると言って、島村、看護兵、看護婦の三人で道具を分担してカヌーに乗り込む。
砂浜に上陸すると少女が駆け寄ってきた。

女の子の案内で砂浜から数十メートル歩くと、柱と屋根だけの掘っ立て小屋の中に、血だらけのシャツを着た若い男が寝ている。既に血は乾いている。
看護兵と看護婦は、すぐに患者の周囲と天井とベッドを、透明なビニールシートで囲い、その内部をアルコール消毒する。それから手術道具を広げそれも消毒する。自分たちの手や腕を消毒してマスク手袋をして怪我人のシャツや下着をハサミでジョキジョキ切って取り除いている。
側にいた老人が島村に話しかけてきた。
酋長
「ワシはこの島のチーフ(酋長)だ。息子が海に落ちて船と船に挟まれた。何とか助けてくれ」
島村医師
「最善を尽くします」

島村は看護婦に手伝ってもらい消毒しマスクと手袋を付ける。
右足の腿の部分が骨折し一部が皮膚を破って飛び出していたそうだ。今は骨を元に戻して板を当てて縛っている。動脈を切ってはいない。今までの救急処置は良い。顔色を見るとかなり出血したようだ。その他頭も怪我していて出血している。これはレントゲンで見ないと分からない(注9)
とりあえず血管とか神経を確認して骨の位置を合わせて縫い合わせ、当て木をあてるしかない。当面処置の後、病院に連れていきレントゲンで確認するしかない。不具合があればもう一度開いて手術しよう。

島村医師
「痛いですか?」
ケンジ
「痛いねえ〜、アハハハ」
島村医師
「それだけ元気があるから大丈夫だ、それじゃ始めよう。看護婦さんバイタル見ててよ」

脚はとりあえず整復して外傷を繕って、頭の怪我も腕の怪我も外傷だけ縫い、ちぎれかけた耳は縫い付けた。
頭と脚はレントゲンを撮って再確認するしかない。
到着までだいぶ時間がかかったが、救急処置が良かったのと若く体力があったので何とか持ったようだ。一応の処置が終わると安定している。
たばこ
終わると島村と看護兵そして看護婦は砂の上に座り込んだ。隣に座った看護兵がタバコを島村の口にくわえさせてくれた。タバコを吸わない島村だがありがたくいただいて火をつけてもらった。
ふーっと煙を噴出した。
タバコを吸わない島村は特段美味いとは思わなかったが、喫煙者が疲れたときに吸いたくなる気分は分かるような気がする。
老人がやって来た。

酋長
「娘から聞いたが終わったそうだな」
島村医師
「報告が遅くれてすみません。ちょっと疲れてしまいました」
酋長
「それでどうかね?」
島村医師
「今のところ落ち着いています。でも一度病院に連れて行かなくちゃなりません。向こうなら設備がそろっているからいろいろ調べることができます。ひと月くらい連れて行っていいですか」
酋長
「否応はない」
島村医師
「誰か付き添いできますか?」
看護兵が立ち上がり、砂浜の方に走っていく。機長に連絡してくれるのだろう。とはいえもう日も暮れているから飛ぶのは明日の朝かな?

酋長
「娘を行かせよう」
島村医師
「毎日、娘さんから無線で状況を報告してもらいます。とりあえず怪我人と娘さんの着るもの身の回りの物を用意してください。」

看護兵と機長が戻ってきた。

機長
「今飛ぶと向こうに着くのが真夜中になりますので、明日早朝に飛ぶことにします」
島村医師
「了解した。それじゃ機長たちは機内で寝てください。
看護兵と看護婦さんと私は今夜は交代で看ることにしましょう。
ええと酋長さん、娘さんには明日朝に飛行機が飛ぶから、それに間に合うように支度するよう伝えてください」

島村は自分の当直になると怪我人の側に座って星空を眺めた。南十字星が南洋の星空のシンボルらしいが、島村にはどれがどれだかわからない。
名のも考えずに星空を眺めていると、肩を叩かれた。振り向くと、最初に会った少女が椰子の実を割ったのを渡してくる。麦わらのストローが差し込んである。島村はお礼と言ってジュースを飲む。実に美味い。体はそれを幸せに感じる
少女は眠っている兄である怪我人の呼吸が安定しているのを見てにっこりする。
明日帰還したら、長官が怒っているだろうけど、今は考えないことにする。


ヤシの木 うそ800 本日の思い出
エルビスプレスリーの映画にはハワイとか椰子の木陰の恋ってのがいくつもありましたね。もう60年も前ですけど、
当時、少年だったおばQには、プレスリーのどこがカッコいいのか分かりませんでした。でも今ならわかる気がします。
あれはプレスリーがカッコいいんじゃないんですね。当時のアメリカの若者が椰子の木陰とかサンゴ礁で恋をしたいという願いの代役をしてくれたから憧れたんですね。

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注1
「日本を愛した植民地」荒井利子、新潮社、2015

注2
第一次大戦の間は5%から9%という高度成長をした日本経済だが、戦争が終わるとマイナスとなり、関東大震災の1923年は最悪となる。その後も低迷が続く。
20世紀末のバブル崩壊後も経済成長率は2%弱くらいで推移していたわけでマイナスが何年も続くとはひどい状況であった。1920年代が1%程度の安定した成長であれば、当時の人口増加率は1.5%であるから、海外移住しなくても十分国民が暮らしていけたはず。
なお1924年にはアメリカで排日移民法が制定され、日本人の移民が全面禁止となる。
社会実情データ図録「経済成長率の推移」
「明治以降の日本の人口の変化」

注3
注4
「日本を愛した植民地」荒井利子、新潮社、2015

注5
大正時代の帝大卒新人官僚の月給は内地では35円から40円、南洋勤務では月75円だったという。大正末期の物価から当時の1円は570円相当なので、月給20万、この物語では貨幣単位を1両=10〜12万としている。
「日本を愛した植民地」荒井利子、新潮社、2015

注6
衛生兵とはなにかとは国際法で決まっていて、医師、歯科医師、薬剤師、看護師(看護婦、看護兵)、その他軍の病院の職員や運転士を含めた、軍人だけでなく軍属も対象とするとのこと
ここでは看護兵のことにしましょう。

注7
南洋庁の所管省は何度か変遷があるが、設立時からこの頃までは総理大臣直轄であった。
「省庁組織変遷図」

注8
「お茶ボーイ」とは給仕とか小間使いに雇われた主に少年少女。男女ともお茶ボーイと呼ばれた。
「日本を愛した植民地」荒井利子、新潮社、2015

注9
X線は1895年レントゲンによって発見された。レントゲン装置はすぐに実用化され、第一次大戦頃には日本でも大きな病院には備えられていた。

注10
その他参考にした図書・ウェブサイト
「アホウドリを追った日本人」平岡昭利、岩波新書、2015
「勝手に僻地散歩」
「南洋探検実記」鈴木 経勲、平凡社、1980
「忘れられた島々「南洋群島」の現代史」井上亮、平凡社、2015



外資社員様からお便りを頂きました(2018.08.27)
おばQさま まだまだ残暑が続いておりますが、お元気でお過ごしでしょうか?
日本の海外統治、圧制もしないが、かと言って双方の役にもたっていなかったですよね。
そして、最後に割りを食ったのは、そこに出かけて行った民間人達でした。
スペインのインカに対する如くは人道上はトンデモありませんが、植民地からの富を得るという点では成果は出ています(相手から見れば収奪)
一方、イギリスのインド統治などは、本当に上手いもので、社会の上層を抑えて味方にして間接統治。 富はしっかりと吸い上げる仕組みが出て来おりました。
フィリピン戦の状況は様々に書かれていますが、どれにも共通して書かれているのが現地の日本の統治機構のやるきの無さです。植民地経験がないので毒にも薬にもならなかったようです。
昭和19年9月と言えば、日本では比島決戦で大騒ぎで準備をしていた頃で翌月末には米軍が上陸した時期なのに、マニラの繁華街には、退廃的な空気が流れ、連夜 日本軍高級将校と高級官僚達が遊び歩いておりました。
すでに日本の都市には物がないのに、物があふれていて、あまりにも違う世界に驚いたと書かれています。
このお話しにも、麻雀して、統治をやる気のない官僚が出て来ますが、まさに同じような雰囲気ですね。
口では宣撫だの、地元との融和などと言いながら、具体的には何をするでも無くて、現地で高給を食んでいた人が多かったようです。
海外にこそ、良い人材ややる気のある若手を充てるべきと思うのですが、そういう所に、使えない高位の人を島流しにするのは、日本の組織の悪弊なのでしょうか?

外資社員様 毎度ありがとうございます。
どこかで見かけたフィットネスクラブかヨガ教室の宣伝に、「きれいになると、きれいに見せるは違う」というコピーがありました。このフレーズの本意は分かりませんが、なにごとも実質とそれを受け取った印象が一致することはめったにないと思います。そして一般的には実質ではなく印象が独り歩きし、それが真実になるということです。
その意味で、中国や朝鮮が「うそを100辺言えば本当になる」というのは経験則として十分正しいでしょう。
もちろん自然科学とか数学ではそうはならないでしょうけど。国家がいくら後押ししてもルイセンコの学説は否定されちゃいましたよね。

過去、植民地経営をした国は多々ありますが、植民地にごめんなさいをした国はあまりないようです。独立戦争に負けて追い出された宗主国は「チクショウ」と言っておしまい。フランス領インドシナ、アルジェリア、エジプト、インド、みーんなそんなものでしょう。フィリピンだってにたようなもの。
日本が植民地を経営したことがないという未熟さゆえに、過去の責任を問われて狼狽えているだけと思います。肉体的に弱い人、気力のない人にたかるのはなにごとでも同じ。慰安婦なるものを発想し、南京虐殺を発明し、北朝鮮が我々はまだ賠償をもらっていないと騙るのは、まさに盗人猛々しいとしか言いようがありません。しかしそれが現実世界です。

ではどうしたらよいのかとなります。
一番良いのは堂々として謝罪とか賠償と言われても「ふざけるな」と言えばいいのです。最近、韓国がラオスに建設したダム崩壊によって、数百人が死亡し、数千人が家を失って避難しているといわれますが、韓国政府も建設した企業も謝罪も倍賞も口にしません。朝鮮が語るのは工事関連の道路の一部が円借款で建設されたから日本の責任とのたまわっております! それを聞いて怒り狂うのでなく、素晴らしい発想だと受け止めなければなりません。それくらい厚顔で狡くなければ中国、朝鮮と付き合っていけません。
植民地経営に携わる人は、私利私欲でも馬鹿でも困りますが、冷酷に圧政をできることでしょう。
おまえは何を言っているんだ 自称慰安婦が高齢化して生きているうちに謝罪と賠償と言われたら「ソレガドーシタ」とプーチンのように言えば良く、「南京虐殺ガー」と言われたら「ナモノナカッタ」と言えば良いのです。
可哀そうとかひどいと言われたら、「ウソコクンジャネー」と言えば良い。二次大戦以降に中国軍が廃棄した毒ガス兵器を、今も日本のお金で処理しているというバカげたことを止めないとダメです。
そういう強い心と実行力がなければ植民地と関わっては行けません。問題解決がそのときの政治家とか担当者で済むわけでなく、50年100年と後を引きます。
そのためには政治のトップやマスコミから左翼思想を排除すること、これですね。河野傭兵、村山富市、「人命は地球より重い」と述べた福田赳夫のお尻を拭いているのが現実です。ましてや福島瑞穂とか枝野など、もっともっと日本を自虐史観に染めようというメンメンがいるのですからお先真っ暗。安倍さんにほんとうにここで第二次大戦のボトムライン(決算)を引いてもらいたいですね。

ところで、パラオが二次大戦後にアメリカ統治になって、アメリカがどうしたかというと、いわゆるティピカルな土人の暮らしをさせた、それがパラオの正しい姿だと考えたそうです。それで戦争で破壊された水道や道路などインフラ整備しなかったと多くの本に書かれています。日本の統治になる前からいわゆる土人の暮らしでなかったこと、日本の統治下では学校、警察、医療、インフラ整備という社会サービスがあり、そういう生活をしていたパラオの人たちは呆れ失望したといいます。それを知ってちょっとホットしました。
でも現代のパラオは中国人の観光客増加で観光資源の質が低下し、それにより日本や西欧からの観光客が減って困ったといっていたら、今度はパラオと台湾の友好関係を止めるために中国人がパラオ観光に行くのを禁止したとか、周りの国々に振り回されるのを見れば、とにかく国力(武力)がないとだめですね。世の中心配事ばかりです。

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