異世界審査員115.審議会その4

18.09.10

*この物語はフィクションです。登場する人物や団体は実在するものと一切関係ありません。
但し引用文献や書籍名はすべて実在のものです。民明書房からの引用はありません。

異世界審査員物語とは

品質管理とか品質保証とは品質を維持・向上する手法である。しかしそれは独立して存在できるものではなく、工業あるいは産業が一定レベルまで成長しないと発生と言うか存在しえない。例えば標準偏差は、ピアソンが研究発表したのは1894年だった。わずか120年前だ。そのとき標準偏差とは学問的に意味はあっても、製造現場においてあまり意味はなかっただろう。正確な測定ができなければ、測定値を分析しても意味がない。

現場でノギスが多用されるようになったのはアメリカで1920年代、日本で1940年頃(注1)標準偏差を算出できるデータが得られなければ、統計的品質管理が発生するわけがない。
もちろん測定器も独立して存在するわけではない。測定器は加工精度が向上したから必要となり、それによって寸法公差を指定することが可能になり、寸法公差を守るために工作機械や加工方法が進歩し加工精度が上がる。このサイクルの循環によって進歩してきた。
精度と測定器の関係図 永い間 寸法測定は長さに限定されていたが、三次元測定機の出現で相互の位置関係の測定もできるようになり、三次元測定機が普及すると幾何公差が指定されボーナス公差ももらえたりするようになった。
そういった計測器、寸法公差指定、加工精度の改善の繰り返しで、品質管理や品質保証が当たり前に使える手法となった(注2)
品質保証には、三次元測定機もいらないし電卓も使わないとおっしゃるかもしれない。しかし紙が自由に使えない状況、手軽に使える筆記具がないとき、コピー機がないとき、品質保証が成り立つとは思えない。いやその前に、品質管理(狭義)がある程度使いこなされなければ品質保証が必要と認識されないだろう。
この物語でも工作機械の進歩、計測器の普及、科学や数学の教育の普及により、やっと品質保証が成り立つ状況に至った。今までお話の舞台を作ってきたが、ここからは物語を自由に進められるようになる。

公共調達において品質保証を要求する制度の審議会が始まって8カ月、会合ももう10回以上を数える。最終的に、ひとつの品質保証基準を定めて入札者は事前に専門の審査会社から認証を受けて入札することと決まった。もちろん認証は製品・サービスの種類ごとに受けるものとして、建設業とか機械加工など20業種ほどに分けた。誰が考えても要求事項の項目とか認証制度の構造とか手順は似たようなものになる。
もちろん認証制度は骨組みを決めただけで完成するわけはない。審査員の資格基準を例にとれば、学歴や業歴その他専門技術の種類とレベルその評価基準など、仕組みだけでなく手順や基準を決めなければならない。そういうことは数限りない。認定方法、審査する機関、登録や更新などの手続き、審査の仕方などなど決めるべき手順や基準は多岐にわたる。
実を言って伊丹は前の世界でそういうことは経験があった。審査員になる前、いやISOが現れる前から技術管理課長として社内規則の制定・改定・登録などしてきた経験がある。品質保証についても、ISO規格制定以前から顧客の要求を分析し対応するのは日常業務だった。
まあ、そんなことからそういう仕事は誰が言うともなく伊丹が一切合切担当した。そしてそれは伊丹にとってはたいした仕事ではなかった。

最終的な報告書をまとめ終わったのは9月末である。内務省の海老沢さんは委員をねぎらうために一席設けた。そこでの話である。

海老沢
海老沢さん
内務省役人 大久保教授
大久保教授
皇国大学教授
学識経験者
藤田少佐
藤田少佐
砲兵工廠勤務
官側品質保証実践者
宇佐美さん
宇佐美さん
半蔵時計店事業部長
民間企業品質保証実践者
ドロシー
ドロシー
山梨工業専務
民間企業品質保証実践者
橋本部長
橋本部長
四井建設部長
民間企業代表
新世界技術事務所社長
工藤社長
新世界技術事務所社長
品質保証専門家
伊丹
伊丹
新世界技術事務所
品質保証専門家

大久保教授
「伊丹さんは初めの頃は、認証制度は有効ではないとおっしゃってましたが、このところ異議を唱えませんね。この認証制度の価値を認識したわけですか?」
伊丹
「いや、逆です。いくら説明しても皆さん納得されないので諦めたのですよ」
大久保教授
「以前、伊丹さんはこの方式は形骸化すると言った。でも認証の用途というか効力を公共入札だけに限定しておけば、決しておかしなことにならないでしょう」
宇佐美
「そうですよ。伊丹さんはこの制度で認証を得たなら、それを官公庁だけでなく一般の企業に対しても品質が良いからと売り込むようになるとおっしゃった。この認証は官公庁以外には効力を持ちませんと言い切れば、そのような拡大解釈が起きるわけはない」
伊丹
「そうでしょうか。この認証を得た会社が官公庁以外にも、当社は内務省の品質保証認証を受けているから品質がいいですよと言い出すのは制度が動き出せばすぐでしょう。
お酒 だって考えてごらんなさい。いろいろ準備をして審査を受けて認証を得たとしたら、それを最大に活用するのは当然です。ましてや入札した結果、仕事が得られなかったなら、その費用はすべて無駄金・死に金です。そのままにはできません。なんとかそれを活用し費用を回収しなければならない。ですから認証に関係ないお客様に「当社は内務省の認証を受けてます」と宣伝するのは当然です。
そもそもこの制度では仕事を得られる会社の数倍いや10倍もの会社が認証を受けることになる。多くの場合、落札するのは1社ですから、その他大勢は投資した費用を無駄にするわけにはいきません」
大久保教授
「となるとどうなりますか?」
伊丹
「今言った通りですよ。認証は入札のためでなく、品質ピーアールに使われるでしょう。そして人々の認知が高まれば、今度は官公庁の仕事をする意思がまったくなくても宣伝効果を期待して認証を受ける企業は多く出てくるでしょう」
大久保教授
「すみません。我々はそれを意図していませんが、仮にそうなったときなにか不具合でもありますか?」
伊丹
「マネーゲームなんて言葉をご存じでしょうか?
株式投資とは元々資本が足りない起業家を支援し、またその事業に価値を見出した人が将来の成長への投資でした。先物取引とは本来はリスクを減らすための保険として始まりました。
金勘定は楽しいなあ しかしいつしかそういうものは最初の目的とは離れて、単にお金を増やす手法になりました。株を買うのはその会社が伸びると思ったからではなく、新製品とか競合会社の情報を基に、近日中に値上がりするだろう、値下がりするだろうという予想によって行われる。いやそういう情報があれば、手元に株がなくても空売りするし信用買いもする、そういうマネーゲームが大流行です。
認証も今皆さんは足が地についた仕組みとお考えでしょうけど、アッというまに実態とは無縁な免状が価値を持つバーチャルなものになるでしょう。経済学では実際の価値でなく期待だけで値がつくのをバブルといいます」
大久保教授
「官公庁向けの品質保証の認証を受けたことを、一般企業が価値あるとみなすでしょうか?」
宇佐美
「みなしてくれないと困りますよ。元々一定品質のものを提供する仕組みが品質保証であり、認証とはその裏書ですから、その規格を内務省が作ったものだとしても一般社会も有効とみなしてほしい、いやみなすべきだという考えはおかしくない」
ドロシー
「伊丹さんは物事を否定的、ネガティブにとらえすぎですよ。この認証制度は新しいビジネスを起こし経済界を活性化するでしょう」
橋本
「ほう、興味がありますね。どのようなビジネスが期待できるのですか?」
ドロシー
「あまり言ってしまうと新興ビジネスをここにいる人たちで分け合うようになってしまいそうですが・・」
橋本
「まさかドロシーさんがひとり占めですか? ケチケチしなさんな」
ドロシー
「そうですよね、私が思いつくようなことですから、皆さんも既に準備を進めているかもしれません。
この委員会で作ったのは認証制度です。この制度を動かしていくにはいくつもの機関、要員、関連する事業が関わります」
大久保教授
「どんな事業が関わるのでしょうか?」
ドロシー
「まず認証をする機関が必要です。この認証制度は官公庁や自治体や軍が調達する物に適用するわけですが、その認証は官公庁や工廠がするのではありません。審査会社つまり一般の営利企業が行います。
官公庁や自治体と取引する企業は何社になりますか、想像もできませんが、まあ全国では数十万社になるでしょう。数十万社を審査する、これは全く新しいビジネスの創出になるでしょう」
橋本
「なるほど、ということは私は建設会社ですが、定款を書き直して認証のお仕事をすることも考えなければなりませんね」
ドロシー
「橋本さん、残念ながら審査をする会社は独立性を確保しなければなりませんので、そこは厳密にしませんと。御社の場合、別会社にして経営的に独立しないと、公平性・客観性が担保できません。工藤社長さんのようなコンサル会社なら問題ないかもしれませんが」
大久保教授
「なるほど、それでそのビジネスの規模はどれくらいになりますかね?」
ドロシー
「審査する会社や業種によって審査時間を決めることは覚えてらっしゃるでしょう、規模や事業の複雑さによって変動しますが、100人規模なら一人で二日から三日になるでしょう。そうすると審査料金は3両から6両(36万から72万程度)。間をとって1社5両として、それにかける20万社で都合100万両(1200億)です」
大久保教授
「100万両!そりゃビッグビジネスだ」
ドロシー
「もちろんそれは業界規模であって、1社の売上ではありません。誰でも一定要件を満たせば審査会社を始めることができますから、そうですねすぐに雨後の筍のように数十社は審査を開始するでしょう」
橋本
「仮に100社現れたとすると1万両(12億)・・・うーん、1社あたりでは大きな売り上げではないな」

ちなみに: 日本のISO認証ビジネスの規模は、JAB認定分だけで2018年現在約480億である。認証機関は40社であるから平均12億となる。もちろん上位4社で半数を占めるから、最頻値は6億程度だろう。ビッグビジネスとは言えない。

工藤社長
「そう儲かるとは思えませんよ。審査日数は規則で決まっているが、審査料金は自分が決められる。でもあまり高値にすればお客さんがつかない。ですから審査料金は人件費に本社費用を加えた程度に抑えられる」
橋本
「なるほど、大学を出た人を使うとすると月2両から3料払わなければならんな。それに審査が1日としても、事前の検討と事後の報告を考えると3日や4日は拘束される。移動にかかる時間などを考えると一人月に4社か5社がいいところか、すると審査料金が決まり売り上げも決まる」
工藤社長
「おっしゃる通り、決して儲からないビジネスではありませんが、濡れ手に粟のわけがありません。それにやはり規模の効率はありますから、上位数社は儲けるとしても、審査する数が少ない審査会社は経営が難しいでしょうね」
伊丹
「もっと根源的な問題があります」
ドロシー
「ぜひとも伊丹先生のご高説を賜りたいですわ」
伊丹
「私はコンサルタントです。私と同じことができる人はこの国に何名もいないでしょう。私は社内で解決できない問題解決を頼まれる。そのとき値付けはお客様との交渉ですが難しい問題なら高値で受注できます。解決する前提ですが、
しかし審査ビジネスは通常の事務仕事や肉体労働ではありませんが、定型的であり創意工夫の余地はない。つまり基本的に我々のコンサル業ほど高度ではなく高い値付けはできない」
工藤社長
「なるほど、だから伊丹さんは以前から審査に進出するなと言っていたのか。売り上げは付加価値に比例するということだ」
藤田少佐
「それは言えますね。砲兵工廠ではもう何年も前から品質保証要求と品質監査をしてきました。監査員は徴兵された兵士から気が利いた者を選抜して教育しますが、階級で言うと兵長かせいぜい下級下士官の仕事です。要するに高度な仕事じゃありません」
大久保教授
「すみません、監査とおっしゃいましたが審査とは違うのですか?」
ドロシー
「大久保教授、我々が決めた制度については熟読願います。言葉の定義で会社の仕組みが品質保証要求を満たしているかを社内の人が点検するのを監査、社外の人が点検するのを審査と決めました」
大久保教授
「おお、申し訳ない。そうか、そうか、さきほど大学出という話があったが、審査をするのは高等小学校でもよいのか(注3)
橋本
「義務教育で良いとなると、人件費は半分くらいになるから、先ほどの計算より利益率が上がる」
藤田少佐
「橋本君、寝ぼけちゃいけないよ。人件費が減るのだから利益が増えるのではなく売り上げが下がることになる」
橋本
「ああ、そうか、それじゃますますビジネスとして魅力がないね」
ドロシー
「まっ、皆さん夢がないというか想像力がありませんね。認証制度によってその周辺のビジネスも活性化します」
海老沢
「周辺といいますと?」
ドロシー
ノギス 「要求事項を思い浮かべれば、その会社の中だけでは満たすことができないこともいろいろあります。例えば計測器を定期校正しなければなりません。ノギスを買ってもそれが正しい寸法なのかどうか誰がどうやって検証するのでしょう?」
海老沢
「おお、そうか、計測器校正という仕事が増えますね。
今まで計測器の校正をしているところなんてあるんだろうか?」
ドロシー
「それだけじゃありません。審査に合格して認証を得るための指導をするコンサルタントが出現するでしょう。いや、実際にこの制度の認証を受けようとすると専門家の指導を受けないと合格しないと思います」
藤田少佐
「それは言えますね。私どもでは取引先に品質保証を求めています。そのとき独力で監査に合格した会社はありません。我々の場合、前提としてこの会社を使いたいということが多いですから、レベルが低いところには長期間担当者を派遣して指導します」
大久保教授
「レベルの低い会社と取引したいとは、どういうことなのでしょう?」
藤田少佐
「品質保証には文書管理とか計測器管理とか、まあ、いろいろ要求事項があります。それとは別に特別な技術とか技能あるいは特許を持っていると光るものがあるわけです。そういう技術が欲しいときは、その会社の弱いところ、今の例でいうと文書管理とか計測器管理について指導するということです」
大久保教授
「なるほど、固有技術があっても管理技術がないところがあるのか・・」
藤田少佐
「そうなんです。だいぶ前、伊丹さんが何度も語っていましたが、品質保証を徹底してもこの国の技術力が向上することはないでしょうね。ポカミスが減るのは間違いないけど」
海老沢
「この国の総合的な技術力を向上させるには何をすべきなのでしょうか?」
大久保教授
「それこそ総合的な対策をしなければならないと思うよ。まずは学校教育のレベル向上、誰でも四則演算ができるだけでなく、それを実際に使いこなせるようにとか、あるいは職業人としての心構え、職業倫理といったものを教えるとか」
ドロシー
「その他にも認証制度によって興る新しいビジネスはたくさんあります。各審査会社が雇う審査員の教育機関とか登録機関とか、一般企業への認証教育を行う仕事、まあこれは認証コンサルタントの仕事の範疇かもしれませんけど」
宇佐美
「実際に品質保証をすると、いろいろな文書や記録を作成し保管することが増えてくる。だから清書とか複写と言う仕事も増えます」
藤田少佐
「そうなんですよ、品質保証をすると、さまざまな記録用紙とか帳票が増えます。すると印刷屋、製紙業なども忙しくなるでしょう」
海老沢
「なんだか産業活性化というには少しショボいですね」
伊丹
「だって品質保証をすれば、鉄鋼生産が増えたり自動車の需要が高まるわけはありませんよ。元々がものすごく狭い世界、ニッチなことなんです」
大久保教授
「この認証制度は今後どれくらい伸びていくのだろう?」
宇佐美
「認証制度が独り歩きするようになれば、認証件数は20万ではなくこの国の企業の過半は認証を受けるようになるでしょう。仮に60万社になれば審査の総売り上げは300万両、まさにビッグビジネスとなります」
工藤社長
「それに見合って産業は成長するのかね?」
宇佐美
「それは品質がいかほど上がるのかという意味ですか?」
ドロシー
「やってみなければ分かりませんね」
伊丹
「どうですかな、我々はパンドラの箱を開けてしまった。希望が残っていればいいけど」

うそ800 本日の希望
なんとかこの世界の第三者認証は形骸化しないように考えましょう。

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注1
注2
関数電卓が現れるまで、私たちは標準偏差を求めるのも計算尺とソロバンを使い手間も暇も大変だった。得られた数字も3桁で度重なる計算によって精度はプラマイ数パーセントだったろう。1970年代半ば関数電卓を個人で使えるようになると、標準偏差を求めるにはデータをどんどんと打ち込んで最後にσというファンクションキーを押せば済むようになった。今ではデータを打ち込むこともなくエクセルで関数を選んでデータの範囲を選べば数秒だ。

注3
日本の学制の変遷は何度もあったが、大まかに言えば明治33年(1900)から昭和16年(1941)まで現在の小学1年から6年までは尋常小学校、現在の中学1年から2年を高等小学校と言った。
なお、ISO審査員の必要学歴は中等教育修了(高卒)であって、高い技術とか知識を要求されているわけではない。イギリスではISO審査員とは高卒の仕事と思われていると聞いたことがある。イギリスは大学進学率が低いこともあるだろうけど、
参考:「環境マネジメントシステム審査員の資格基準」AE1100


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