異世界審査員117.第三者認証その1

18.09.18

*この物語はフィクションです。登場する人物や団体は実在するものと一切関係ありません。
但し引用文献や書籍名はすべて実在のものです。民明書房からの引用はありません。

異世界審査員物語とは
ISO規格に基づく第三者認証とはいつ始まったのか? 欧州は知らないが、日本でははっきりしていて、1992年だった。ISO9001は数年前の1987年制定なのに、なぜそのとき始まったかと言うと、ちゃんと理由がある。
1993年にEUが統合される、そしてEU内の国境を超える貿易にはISO認証が要求される、域外からの輸入品にもISO認証が要求される、だから輸出企業は一刻も早く認証しなければという悲鳴が上がったのが1992年だ。そして輸出していた企業はISO規格とは何ぞやという勉強から始まった。

ヨーロッパ統合の歴史を簡単にまとめると次のようになる。
名称発足年初期の加盟国目的
EEC
欧州経済共同体
1958年 西ドイツ、ベルギー、フランス、イタリア、ルクセンブルグ、オランダの6ヵ国 アメリカ、ソ連に対抗できる経済圏の確立をめざして関税の統一、資本・労働力移動の自由化、農業政策の共通化などを目指した
EC
欧州共同体
1967年 西ドイツ、ベルギー、フランス、イタリア、ルクセンブルグ、オランダ、英国、アイルランド、デンマーク、ギリシャ、スペイン、ポルトガルの12ヵ国 国境のない単一市場をつくることを目的とし、商品取引の自由化のほか労働力取引の自由化を図った。
EU
欧州連合
1993年 ECに同じ。但し西ドイツから統一ドイツに変わった。 マーストリヒト条約発効。国境のない単一市場をつくることを目的とし、商品取引の自由化だけでなく労働力取引の自由化を図った。
 
通貨統合
1999年 イギリス、デンマーク、 スウェーデンなどを除く 通貨の統一を図った。
ということは国家の主権を取り上げたということね
 そして 2019年
EU旗
イギリスが離脱
矢印
ユニオンジャック
ユーロ危機、移民増加、選挙で選ばれたわけではないEU政府など欧州本来のアイデンティティからの逸脱、グローバリゼーションの暴走への反発か?

それは多くの企業にとって災難だったろうし、その結果 EUにも日本にもご利益(ごりやく)はなかったのだが、一つだけ良いことがあった。それは社内失業者だった私が再び表舞台に復帰できるチャンスになったことだ。それには心から感謝している。

この物語で官公庁・自治体・軍が調達する品目について、内務省制定の品質保証の認証が必須となった規制が公布されたのは、1924年10月で、

叫び

翌年の4月1925年度から適用するとされた。それは扶桑国中で悲鳴とも歓声ともつかない反響をもたらした。
製造量も建設業も流通業者も、官公庁と取引している会社は、一刻も早く内務省の品質保証を得るために何をしたらよいのか泡を食って右往左往した。いや審査を受ける側だけでなく、審査をする側もテンヤワンヤである。
実際問題として、法律を定め制度の手順基準を決めても、審査員の資格者もまだおらず、審査員登録機関もなく、審査会社を評価する機関もない。審議会は解散したが、メンバーだった者たちはそれぞれの立場で認証制度に対応する準備で忙しい。



山梨工業の山梨社長は、現在新潟にある工場を千葉県の津田沼町に移転することにした。東京に近く、そして震災の被害をあまり受けていないことからそこを選んだ。ここからなら砲兵工廠へは総武・中央線で、横須賀の海軍工廠には船橋港から船で運ぶこともできそうだ。

ちなみに: 津田沼町が習志野市となるのは、この30年後の1954年である。
津田沼とは由緒ある地名ではなく、1889年に谷津、久々田(くぐた)、鷺沼、藤崎、大久保新田の5つの村が合併したとき、大きな三つの村の一文字を取ったにすぎない。
また習志野も1873年に行われた陸軍の演習を天覧した明治天皇が命名したと言われ、長い歴史があるわけではない。元々この一帯は幕府の軍馬を放牧するところで人間が住んでいなかった地である。更に正確に言えば習志野と名付けられた場所は船橋市内であり、習志野市ではない。習志野は船橋から名を盗んだとは言わないが、あやかったのである。もっとも船橋市はそんなことに気を悪くすることはないだろう。なにしろ船橋は古事記に出てくるお話に由来する(注1)私は千葉県人なのでそんなことに少し拘る。

それで今、山梨社長は借りた建物の改造の打ち合わせ、機械を輸送する手配、また今まで働いていた従業員に千葉まで付いてきて欲しいと説得したり、 ドロシー 津田沼で新人の募集をしたり大変である。
ドロシーも家庭内の引越しの手配とか荷造りで多忙である。子供はまだ2歳になったばかりだが、外観も中身もアメリカ人であるドロシーは、千葉に行ったらベビーシッター(子守)を頼んで自分はバリバリ働く気である。
過去1年間 宇佐美といろいろと相談してきて、審査会社を興すよりコンサルをした方が、時間も体も楽でお金になると考えた。ともかくまずは審査員の資格を得なければならない。審査員を誰が教育するのかと探ったら、内務省主催で研修会を行うと公告があった。すぐにドロシーはその第一回研修会に参加申し込みをした。



宇佐美は初めは半蔵時計店に品質保証を審査をする新しい事業部を作ろうと考えた。それで会社の上司や法務部と話をしたが、半蔵時計店の定款を見直して審査業務をするのは経営上小回りが利かないし、 宇佐美 そういう新規ビジネスはとんでもない伏兵が忍んでいるかもしれない。万が一、審査業務で問題が起きると本体に傷がつく恐れがある。それなら資本だけ出して別会社にしたほうが良いという結論になった。
宇佐美も将来審査事業が大化けしたときには、そのほうが良さそうな気がする。
それで将来を見据えて、稲毛工場の計測器校正部門と新しい審査事業を合わせて別会社とすることにした。計器校正部門の約50名を敷地外の貸し工場に移した。 計測器
そこでは半蔵時計店の計測器校正の仕事は引き続き行い、その他に近隣の工場の計測器(当初はノギスやマイクロメーターなど機械系に限定された)の校正も引き受けることにした。
この頃は普通の工場はトレーサビリティの確保された校正などなく、官公庁の入札のために校正にトレーサビリティが必要となったために、お客さんは砂糖に群がるアリのようであり、宇佐美はウハウハである。
メインの審査業務であるが、審査員教育も自分でできると思っていたし、そのつもりであったが、内務省の規定では内務省の研修を受けなければならないことになっていた。これは予想外で、急遽自分とほか数名が内務省の研修を受けることにした。



審査員研修の講師は自分が担当するだろうと伊丹は思っていた。この世界では、監査をしたりされたりということは、砲兵工廠と半蔵時計店を除けばまだない。そして彼らに品質保証や品質監査を教えてきたのは伊丹であり、当然 伊丹に講師の依頼が来るだろうと考えていた。
伊丹 とはいえ新世界技術事務所は審査会社をするつもりもなく、また審査員研修機関をするつもりもない。審査員研修機関を開く者は伊丹に講師を依頼してくるだろう。
伊丹は半蔵時計店の宇佐美を想定していたが、宇佐美からも誰からも講師依頼の話は来なかった。伊丹は仕事に困っていないし、俺が俺がとでしゃばりする性格でもない。ただ、どこが審査員研修機関を開設するのか、誰がそこで講師をするのか疑問に思ってはいた。

法律が公布されて半月ほどして、内務省の海老沢が審査員を養成しなければなりませんね、どうしたものでしょうと伊丹に声をかけてきた。
当初の案では民間が審査員研修機関を開設することにしていたので、伊丹は誰も審査員研修機関を開設に立候補しないのだろうと思っていたが、実はそうではなかった。

海老沢
「認証制度の骨組みは伊丹さんに作っていただきましたが、細かいところで海軍省や陸軍省から注文がありまして考えなければならないことがでてきました。それでご相談に伺いました」
伊丹
「私にわかることでしたら」
海老沢
「内務省の提案に対して他の省庁から、審査会社を民間が行うのはよいとして、それを審査し認定するのは、内務省またはその外郭団体が行うべきという声がありました。
ええと、実はですね欧州大戦終結に伴い、イギリス、フランス、アメリカが大幅軍縮を行うと公表をしています。当然、我が国も歩調を合わせることになるわけです。ということで陸軍省と海軍省から退役する士官や下士官、また工廠から解雇される人を使ってほしいという要望がありまして」
伊丹
「なるほど、それも尤もでしょうね。それに最初は信頼性を上げるために、民間ではなく官がするのも肯けます。となるとそれだけでなく審査員の研修や登録もとなりますか」
海老沢
「おっしゃる通りです。当初の案ではそれらをすべて民営としていましたが、そういった事情で私どもで担当しなければならなくなりました。
そこでですよ、そういった仕事をどうするか、組織体制とか人員それも経験者などご存じでしたらご教示いただきたいのです」
伊丹
「お話はよく分かりました。そういうことならお力になれると思います。ただ何十人も雇うほどの仕事はないでしょう。審査員研修機関で20名程度、審査会社の認定機関でも20名程度じゃないでしょうか。組織体制の案はすぐ作りましょう。
人のことですが、管理者だけが士官クラスと思います。登録とか種々身分証の発行などは単純な事務作業ですから下士官クラスを当てたいですね。我が国での品質保証発祥は砲兵工廠ですし、今では横須賀の海軍工廠もしっかりやっていますから、そこの士官とか下士官が適任でしょう。
ただ審査員研修の講師、審査員の審査登録、審査会社の審査登録、及びそれらの継続的な評価についてはそれなりの見識と経験のある者でなければなりません」
海老沢
「伊丹さんの頭には候補者が見えているわけですね」
伊丹
「講師の候補者はやはり過去から品質監査をしてきた砲兵工廠の担当者が即戦力です。審査員登録についてはそういう講師による協議になるかと思います。
審査会社の評価と認定となりますと、審査会社の経営的な安定とか保有する審査員などを評価することになりますから、内務省の中級管理職の方が長となり、審査会社の士官クラスと社外の弁護士や会計士による協議として客観性を担保したらいかがでしょう(注2)
海老沢
「経営とおっしゃいますが、そういうことが何か関係ありますか?」
伊丹
「やはりよそ様の会社に立ち入って調査するわけですから、外国のスパイはもちろん産業スパイの恐れがないこと、あるいは客からの合格にするような圧力にも負けないこともあるでしょう。経営状態が悪ければそういう圧力に脆弱になりますから」
海老沢
「なるほど、」
伊丹
「それじゃすこし時間をいただけますか、案を作りましょう」



砲兵工廠の藤田少佐である。彼にとって品質保証の第三者認証は、重要なことではなかった。内務省の規定では、今後、官公庁は品質保証の認証を受けたところからしか買ってはならないとあるが、但し書きで審査会社の認証と軍の行う品質監査を同等とすると定めている。 藤田少佐 要するに過去から工廠の品質管理部がしている監査を、これから始まる審査会社の認証と同じにみなすというだけだ。工廠にすればどうでもいいことだ。本音を言えば、新参の審査会社による認証よりも、藤田が教え育てた部下が行う品質監査を信用するのは当然である。
そして欧州大戦も終わり、国際的な軍縮の流れにある現状では、工廠の人員削減もやむを得ず、むしろこの第三者審査が工廠の退職者の受け皿にならないかと考えている。
そればかりではない、藤田少佐も来年は36、いろいろと成果を出しているから中佐になるだろう。そして順調に行けば大佐までなるとは思うが、将官になることはあるまい。そろそろ引退後を考えておかねばならない。南武将軍のように自分で会社を作るというのもある。あるいは、密かな希望であるが皇国大学の教授の椅子は無理だろうか?
最悪の場合は、この第三者認証制度関連の団体の理事といった役職に就きたいのだが、どうだろう。そういえば内務省の海老沢と伊丹から依頼が来ていた。

そんなことを考えていると黒田准尉がやってきた。彼ももう40、来年は定年である(注3)
黒田准尉は厚さ10センチほどの書類を藤田の机上のインボックスに放り込んで話しかけてきた。

黒田准尉
「少佐殿、以前少佐殿の代わりに出席したことがある内務省の品質保証制度ですが、いよいよ法制化され来年度から動き始めるようですね。
聞くところによると半蔵時計店の宇佐美さんは審査会社を作って審査を始めるそうです」
藤田少佐
「うん、聞いた聞いた。彼は山師的なところがあるからね。これを当てて、まずは子会社の社長になり、最終的には本体の社長を狙っているのだろう。あの会社も一族経営を止めて株式を一般公開すると言ってるから」
黒田准尉
「品質監査といえば一番歴史があるのはここ砲兵工廠ですよ。我々の経験と力をなんとか役に立てたいものですね」
藤田少佐
「ここは官公庁だから、営利事業はできない。とはいえ無償とか低廉な料金で審査をすれば審査会社から営業妨害と言われるだろう」
黒田准尉
「少佐殿、私も来年定年になります。しかし農家の三男坊ですから国に帰っても耕す畑もありません。こんなことを言っては何ですが、工廠で審査会社を作って、そこで審査員として働くことはできませんか?」
藤田少佐
「申し訳ないがそれは制度上無理だと思う。ただ軍とか工廠と無関係に、ここのOBが集まって審査会社を作るのはありだろうね。そのとき軍や官公庁の後輩に話を付けて仕事を回してもらうことはできるだろう」
黒田准尉
「審査会社を作るのには、どれくらい金がかかるものでしょうか?」
藤田少佐
「俺もよく分からないな。基本的に人だけだからそんなにはいらないだろう。でも内務省は供託金のようなものを要求するらしい。人質ならぬ証拠金かな?
一番手っ取り早いのは半蔵時計店の宇佐美さんとか、新世界技術事務所の伊丹さんに、彼らが作るだろう審査会社で雇ってもらうことだろう。会社を設立して経営するのは大変だからね」
黒田准尉
「伊丹さんに聞きましたが、新世界技術事務所は第三者審査をしないと言ってましたね」
藤田少佐
「ああ、思い出した。伊丹さんはそんなことを言っていたな。伊丹さんは現在している能率技師(経営コンサルタントのこと)のほうが審査よりはるかにお金になると言っていた」
黒田准尉
「そう言える伊丹さんがうらやましい」
藤田少佐
「黒田准尉は審査員ではない仕事をする気はないか?」
黒田准尉
「なにかいい仕事口がありますか?」
藤田少佐
「実は伊丹さんから准尉が欲しいと話が来ている。准尉の今までの経験と技術を生かせる仕事だと思う」



審査員研修をどうするか、このところ伊丹はそればかり考えている。元の世界の研修は初めはISO10011で決められていて詳細はガイド62で決めていた。その後ISO19011やISO17021になってと思いめぐらしていたが、全くの別世界なのだからそういうことに囚われず真に価値がある審査/監査ができるようにする教育をしなければと考えるに至った。
まずは内務省の品質保証規格の正しい理解、いや理解と言うのもおかしい、文章を正しく読むことを教えなければならないだろう。次に公正無私を厳守して、金品のタカリをしないこと、また審査において自分に利がある示唆をしないよう倫理の徹底が必要だ。もちろん守秘義務もある。
伊丹は自分が企業にいたとき、審査していて大声で怒鳴ったり、灰皿を投げつけたりする審査員を何度か見たことを思い出した。少なくても俺が教育した審査員からはそういう輩を出してはいけない。制度の信頼性を考えれば、技術上、倫理上、性格上問題があることが分かった受講生は、審査員研修を修了させてはいけない。向こうの世界でLMJという品質監査の創始者が「どの様に訓練しても20%の監査員に向かない人がいる」とのたまわったそうだ。その2割を見つけ取り除かなければならない。

しかしながら: じゃあLMJご本人が主宰していた審査員研修機関である(株)LMJでは、受講者の2割をリジェクトしていたのかとなると、そんなことはなかった。実を言って20年も前に私もそこで受講したのだが、無事終了証をいただいた。その後一緒に研修を受けた何人かの人と連絡を取り合ったが、私だけでなく20人全員が無事合格したようだった。

こんなことってある?

〇〇〇〇〇●●〇〇〇●〇〇〇〇〇
●〇〇〇●〇〇〇〇〇〇〇●〇〇〇
〇●〇〇〇〇〇〇〇●〇〇〇〇●〇
〇〇〇〇●〇〇〇〇〇〇●〇〇〇●
〇●〇●〇〇〇〇〇●●〇〇〇〇〇
矢印
〇〇〇〇〇
〇〇〇〇〇 〇〇〇〇〇 〇〇〇〇〇
不良品が20%の母集団から20個抜き取ったら
全部良品でした

2割がNGの母集団からランダムに抜き取ったサンプル20個がすべてOKとなる割合は、0.8^20=0.012(1.2%)となり稀有なことだ。
もし監査員に向かない人は一人もLMJで受講しなかったというなら、それもありえない話だろう。

伊丹は「○○をしていますか?」とか「○○という語句はどこに書いてありますか?」なんてバカバカしい質問しかできないダメ審査員ではなく、まっとうな審査ができる審査員を養成したいという思いで一杯だ。
そしてまっとうな審査員を育てれば、ここの第三者認証制度は劣化せずに信頼性を確立できるのではないかと思うのだった。

うそ800 本日の思い
私はEMSの審査員研修は1回だが、QMSの審査員研修は2回受講した。なんで2回も受講したのかと言われると、正直言って、研修機関によって講義内容が違うかどうか知りたかった。1990年代は受講料が30万くらいだったから、大金だった。豊かではない我が家だったが家内は許してくれた。25年後の今でも感謝している。
二つ受講した甲斐があったかと言えば、あったと思う。審査員研修機関の比較論を語るなら、やはりそれぞれのテキスト比較とか、研修内容の比較ができなければならないだろう。ISO14001審査員研修も2か所受ければよかったと思っている。
私のようなアホはいるだろうか?

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注1
船橋の地名の由来は諸説あるが、有力なのは日本武尊(ヤマトタケルノミコト)が東征したとき、軍勢が海老川を渡るために付近の住民が船を並べてその上に板を渡して橋を作ったという伝承に発する。なお、今の海老川は幅10mほどだが、江戸時代までは川幅100mあったという。
チーバ君
チーバ君を知らな
い人は調べること

日本武尊は伝説上の人物であるが、4世紀から7世紀とされていて、明治の津田沼や習志野とは歴史の古さは桁違いである。
なお、千葉県には日本武尊にちなむ地名は多い。袖ヶ浦という地名は袖ヶ浦市だけでなく習志野市にもある。日本武尊が三浦半島から房総半島に渡るとき嵐になり、海に身を投げ犠牲になった音橘姫の着物の袖が流れ着いたという伝説から二個所ある。
その他、木更津も無事 房総半島に渡りついた日本武尊が音橘姫を思い「君さらず袖しが浦に立つ波のその面影をみるぞ悲しき」と詠んだことから木更津になったという。
4世紀頃、既に大和朝廷の権威が千葉まで届いていたことに驚くと同時に、我が故郷福島は未開地であったのかと残念である。

注2
ツッコミを受ける前に
日本において弁護士法ができたのは1893年でこの物語のときは既に存在していた。一方、公認会計士の制度ができたのは1948年で、前身の計理士法ができたのもこの物語より遅い1927年であった。
でも突っ込んじゃいけません。

注3
旧軍も現在の自衛隊も階級によって定年が決まっている。当然階級が上ほど定年が伸びる。
下士官最上位の准尉の定年は、陸軍では40歳、海軍は48歳、自衛隊では54歳である。


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