異世界審査員120.製品認証その1

18.10.01

*この物語はフィクションです。登場する人物や団体は実在するものと一切関係ありません。
但し引用文献や書籍名はすべて実在のものです。民明書房からの引用はありません。

異世界審査員物語とは

早いもので1925年1月となった。1月といってもお正月とか冬という気分ではない。ここは南洋だ。海では泳げるし、ハイビスカスは年中咲いているし、冬服を着るわけでもない。島村は南の島で、9割はゴロゴロ、1割が診察という、相も変らぬ暮らしを楽しんでいる。

ハイビスカス南の島ハイビスカスハイビスカス

太陽熱発電を付けて三カ月が経つ。水道と電気は住民に好評だ(注1)みな水も電気も大事に使っているが、ここ最近は大幅に使用量が増えている。それにはわけがある。

島村の住んでいる島で水道と電気が使えるようになったという話は、アッという間に南洋群島全域に広まった。電話も公共交通機関もないこの地域で、数千キロも噂が広まるとは信じられない。しかし漁船の乗組員、行商人、酋長の会議などを通して本当にアッという間に知られることになった。そしてそれらの島々から、実態を知ろうと調査()にやってくる人がものすごい。

今までは島村の住む島から数キロ離れた少し大きな島まで、コロールから週4便の定期船があったが、訪問者が多くなったために毎日1便に増えた。更にそこからこの島までの定期船はなく、必要がある人が自分の手漕ぎ舟とか帆船で行き来していたのが、小さくはあるが焼玉エンジンの船が毎日往復するようになった。そしてその船に乗って、毎日十人から二十人が見学にやって来る。

見知らぬ人たちとはいえ遠くから水道と電気を見に来てくれたとなれば、水道を使わせたり電気を点けてみせるのも人情というもの。ということで水も電気も使用量はうなぎのぼりである。もちろんタンクの水は限りがあるから、夜になると停電、炊事のときに水不足という笑えない事態になっている。

もっとも村人たちも転んでもただでは起きず、ヤシの実ジュースやヤシの葉で作ったウチワを売ったり、水道設備の前で記念写真を撮影したり、レストランや民宿経営など現金収入でウハウハである。中には太陽熱見学と島村診療所で診てもらう合わせ技で島を訪れる人もいて、最近はコロール並みの混雑となってきた。

島村が浜辺でごろごろしていると、太陽熱発電の管理をしている現地人がやってきた。
男
「島村先生、最近太陽熱発電の設備を見学に来る人が多くなりました。ちょっとそのことで相談したいのです」
島村医師
「なんでしょう?」
男
「見学に来て、観察したりいろいろと質問するのは良いのですが、触ってはいけないと言われているところに触れたり、立ち入り禁止のところに入り込んだりする人もいるのです」
島村医師
「そりゃいけないねえ〜、怪我とかされたら困るし、壊されても困る」
男
「先週は同じ人が毎日来ていろいろ調べていました。配管を叩いたり寸法を測ったりしていました。機械をばらそうとしたので慌てて止めましたが、あれはなんでしょうかねえ〜」
島村医師
「まさか、これを真似して作ろうとしてるんじゃないだろうなあ」
男
「ともかくこのままでは危険ですし壊されたりすると困ります。設備の周囲にフェンスを設けるように南洋庁に依頼していただけないですか」
島村医師
「わかりました。すぐに連絡しましょう」

島村は手紙を書いて平井に南洋庁の担当者に渡してきて欲しいと頼んだ。
それを聞いてナミも一緒に行くという。コロールは本土なら田舎町レベルなのだが、それでもこの島に比べれば都会だ。孤島で生まれ育ったナミはコロールが好きで、時々銀ブラならぬコロールブラに行くのである。
一方、島村は人混みが嫌いで、必要がなければ行く気がしない。今回のように用があっても平井に頼むことが多い。
南洋庁は島村の要望を受けて、危険な箇所にはフェンスを設けて施錠と立ち入り禁止の表示をした。



それから三月が経った。水道電気の見学者はいまだに減らず、また島村が医院を開いたことが周囲の島々に知られ、今では毎日患者が10人くらい来る。島村の本音を言えば患者など来てもらわなくても良いのだが。それでも都会に比べれば、まだまだのんびりな暮らしを楽しんでいる。
そんなある日、南洋庁の役人と太陽熱発電の技術者が島村を訪ねてきた。

南洋庁職員
「島村さん、大変です。太陽熱装置で事故が起きました」
島村医師
「エッ、怪我人ですか? すぐに診察に行きます」

島村はすぐに立ち上がり診察カバンを持って外に行こうとする。
二人は慌てて島村をおさえる。

南洋庁職員
「エッ、いや怪我人はいません。太陽熱発電設備で爆発事故が起きたのです」
島村医師
「ほう!気が付きませんでした。どこが爆発したんだろう?」

島村は部屋を出てドアのところで裏山の太陽熱発電装置を眺める。
また二人とも立ち上がって島村を部屋に引き戻す。

技術者
「ここの設備が事故を起こしたのではないのです。なぜか分かりませんが、ここから100キロほど離れた島に、これと同じ太陽熱発電と水道の設備がありまして、そこで事故が起きたのです」
島村医師
「ほう、じゃあ政策研究所ではここだけでなく、いくつかの島にこの設備を設置したのですね」
技術者
「そうじゃないんです、ああ、話が合いませんねえ〜
私たちが知らないうちに、誰かがこの装置を真似して設置したのです」
南洋庁職員
「それもその島の酋長に話を持ちかけて高い金をとったというのです。あげくに設置してすぐに壊れてしまった。その酋長から南洋庁に損害を賠償しろと言われて困っているのです」
技術者
「爆発というと大事ですが、実際には熱で配管が膨張し接続部がはずれて蒸気が漏れたのです」
南洋庁職員
「十分大事ですよ。周りに人がいたらヤケドとか飛んできた部品で死傷者が出るところでした」
島村医師
「ええと話をまとめると、誰かがこれを真似した設備を作り、他の島に売りつけた、それが事故を起こした・・・ということですか?」
南洋庁職員
「そうです、そうです。こちらの技術者がそういういきさつは知らないというので、それなら島村さんがご存じかと思い話を聞きに伺いました」
島村医師
「いえいえ、全く存じません。誰かがこれを見て同じものを作って金儲けをしようとしたのでしょうね。そういえば心当たりはありますよ」

島村は以前、管理を頼んでいる現地人が何日も設備を調べていた人がいたと語ったことを話す。蒸気機関とポンプは難しいかもしれないが、あとは配管だけだから専門家ならすぐに作れるのかもしれない。

島村医師
「まず皆さんが知りたいことの、第一番目である私が関わったのかについては、私ではありません。第二に、その島に施工された装置が悪かったのか、それともこの設備も危険があるのかどうか突き止めなければなりませんね。第三に犯人というか、その業者を見つけなければなりません。
ともかく素人が考えてもしょうがありません。政策研究所の吉沢教授に来てもらったらいかがですか」



ということで本土から吉沢教授に来てもらうことになった。数日後に吉沢と熊田がやって来たものだから、皆が驚く。確かに定期飛行艇は飛んでいるけど、それから降りたふうはないし?
吉沢は熊田と技術者を連れて事故が起きた島に行く。船で行くのかと思いきや、南洋庁の飛行艇で飛ぶ。それだけおおごとだということだろう。

吉沢が現場で見ると事故原因は一目瞭然であった。仕組みは同じに作っているが、接合部とか構造は形を真似しただけで、材質もねじの噛み合っている長さも違い強度が全然だめだ。
なによりも高圧蒸気の配管も水道管と同じく鉛管で作られている(注2)蒸気圧があがってから破裂したら、今回のようにパイプが抜けた程度でなく、大変なことになるところだった。今回は早めに破損して良かったと吉沢は思う。
それからふたりは池神警部の所に行って、島村のところの装置を調べに来た人間、まがいものを設置した人間を調べてくれと頼む。

池神警部
池神警部
警部と部下の巡警たちが人相を聞き取りして飛行艇乗客名簿とか乗船名簿を調べると、すぐに犯人は分かった。太陽熱発電の話を聞いて本土から来た鉄工所のオヤジであった。こちらで装置の仕組みを調べて寸法取りをして本土に帰って作ったらしい。それから部下の営業マンがいくつか島を回って設置を持ちかけたということだ。

だが池神警部は該当する罪状がないという。島村のところでの調査は、管理人が嫌がっていたとしても、明確に立ち入り禁止表示があったわけでもなく管理人が制止したわけでもない。また酋長との契約でも詳細の仕様は詰めていないし、爆発などが起きないよう安全についても保証もしていない。要するにあいまいなところが多く詐欺など刑事事件にはできないという。せいぜい不法行為か瑕疵担保責任で民事で訴えるだけだという。役人も熊田も手をこまねいて頭をひねるだけだ。



数日して吉沢と熊田が本土に帰る前に、島村のところに飲みに来た。診察料代わりの名も知らぬ魚をナミと平井が料理する。
刺身 最近、平井は焼酎にバナナを漬け込んだバナナ酒というものに凝っている。やっと飲めるものができたとそれを出す。
バナナ酒を飲み、刺身をつつきながら話が始まる。

吉沢教授
「模倣した犯人は分かったのだけど、罰する法律がないというんだ。
今回も大問題だがこれからも、我々以外に似たようなものを製造する業者が現れたときどうするかが問題だ」
島村医師
「まず真似されるのを防止するために、特許を取っておかないとダメですよ。特許を取っておきなさい」
吉沢教授
「でももう設置して誰もが見ているから、公知の事実になってだめなんじゃないかな?」
島村医師
「確かに設置して半年過ぎました。でもこの設備は広報発表とか論文を出したわけではなく、ここで実地試験をしているだけです。そこに侵入して秘密を盗んだわけでしょう、ですから大丈夫ですよ。ポンプとかボイラーは昔からありますけど、吉沢さんが工夫したことで特許をとればいいんです。
ましてやその鉄工所のオヤジはそういう細かな工夫を知らずに事故を起こしたわけで、そういう要点の特許を取っておけば真似されるのを防げます」
吉沢教授
「なるほど、要点とは回転数から消費電力を検知して流量をコントロールする仕組みとかだな」
島村医師
「そうそう、あとボイラーの形状とか工夫されたことは多々あるでしょう。加熱配管、揚水ポンプ、配管の接合部の構造、反射板の形状、蒸気機関、次亜塩素酸の注入装置などで、それぞれの大事な部分の特許を取っておけば真似できなくなります」
吉沢教授
「島村先生は医者だけでなく特許にも明るいのですね。特許料はどうします?」
島村医師
「吉沢さんが勝手にやってくださいよ。ここで暮らすのにお金はいらないから、アハハハ」
ナミ
「その代わりここに来るとき流行の洋服を持ってきてくれると嬉しいなあ」
吉沢教授
「お安い御用で」
熊田助教授
「しかしその鉄工所のオヤジを罰することができないのは悔しいなあ」
平井
「そのオヤジが他にも太陽熱装置を設置していないかどうか調べないといけませんよ」
熊田助教授
「本土に戻ったらそのオヤジを締めて吐かせますよ。これは岩屋さんの出番だな」
吉沢教授
「帰ってから弁護士に相談しよう。今回は怪我人がいないからよかったが、もし怪我とか死人が出たらただでは済まなかった」
熊田助教授
「私はこれを全島に広めたいと思っていますが、各地域で自主的に自前で設置をするならその方がありがたいですね。
そうなると政策研究所で製造するというのは無理ですよ。一般の工場で製造販売するなら、そのほうが手間暇かからず良いのも事実です。吉沢さんが生産する業者が現れると困るとは、具体的にはどういう問題でしょう?」
吉沢教授
「民間でするならそれでも良い。しかしそのときでも安全や衛生のために、我々の設計通りにしてほしい。変なものを設置されては今回のような爆発とか水道水の滅菌の問題もある。配管が不適切だと地下水浸透の恐れもある(注3)
ちょっと待て、そうなると特許料は取れなくなるのか? それは困る」
島村医師
「特許を使うのは認めるけど使用料を取るのですよ。1台製作するといくらというふうに」
吉沢教授
「なるほど、そうすればお金は取れるか。しかしそうしても設計通りのものを造るとは限らないよ」
島村医師
「それを防ぐには設計通りのものを造るという契約にしたらどうですか」
吉沢教授
「でも契約だけでは危ないものを作るかもしれない。基本的なところは変えなくても、こまかいところで安いものを使うとか手を抜くとか」
島村医師
「型式認証という考えがあります。安全などが重要な製品では、国が構造や仕組みを決め、完成したときの性能や安全基準を決める。それらを満たした工場を認証してそこで同じものしか作ってはいけないという仕組みです(注4)そしてその工場の製造工程を定期的に点検し、また製品も定期的に検査して性能を確認するのです。もしNGなら型式認証を取り消します」
吉沢教授
「ほう、そういう方法もあるのか。おっと、製造はまともでも施行がちゃんとしていないとダメだな。工事するのも許可制にしないといかんな(注5)



吉沢と熊田は本土に戻ると、一連の出来事を中野に報告した。

中野部長
「まずその鉄工所のオヤジについては民事で訴えるのだな?」
吉沢教授
「既に研究所の顧問弁護士に相談して取り掛かっております」
中野部長
「分かった。あまり賠償金をとろうとすると夜逃げするとか潰れてしまって元も子もないから、そこはうまくやってくれよ。
ええと、特許はどうするのか?」
吉沢教授
「島村先生は権利を主張しないというので、研究所でこれに関わったメンバーで山分けしたいと思います」
中野部長
「過去の研究などで軍事や特に外国に知られると困るものは、特許申請していないものは多々ある。それらは特許料は入らないから、考案者にはその重要性と実際に貢献した成果に比例して報奨金を毎年支給している。これもそれを踏襲して、特許は申請するがその権利者は政策研究所としよう。報奨金も同じ扱いだ。
それと島村先生だが、なにもなしというわけにもいかんだろうなあ」
熊田助教授
「それなら赴任1年以内の自己都合退職の渡航費負担を免除したらいかがですか。島村先生はそれがチャラになるなら特許を放棄すると言ってましたが」
中野部長
「なんだそれは? 島村先生にはこんなことだけでなく、インフルのときも震災のときも国としてたいそうお世話になっているんだ。
いったい誰が渡航費を払えなんて言い出したんだ。まずいぞ、まずい」
熊田助教授
「えっ、それは・・・吉沢さんじゃないですか」
吉沢教授
「いや・・・そもそも彼が現地人と結婚して役人でいられないからと辞職したとき、旅費を請求すると言い出したのは岩屋さんだったかな? 私はそれを聞いたから彼を動かすとき、その言い方を何度か使っていますが」
中野部長
「少なくとも私が言いだしたことじゃない。そもそも彼を南洋の病院長にしたのは大震災での貢献に報いるためだ。島村先生が気を悪くされたら大変だ。
岩屋さんはそんなことは百も承知だから冗談で言ったのかもしれん」
熊田助教授
「島村先生は気がいい人ですから、前渡金を返せと言われても文句を言いませんでしたけど」
中野部長
「そういうことじゃない。ご本人が気を悪くしなくても帝太子の耳に入ったら大変なことになる。先生には後で正式に謝罪しておく。
吉沢さん、二度とその言い方はしないでください、熊田君もだよ」
吉沢教授
「かしこまりました」
中野部長
「ええと、三つ目だが、その粗悪品を作られないことの予防だが、島村先生のおっしゃった型式認証という仕組みを調べてくれ。そうだ、伊丹さんに相談してほしい。ええと、二人とも忙しいだろうから兼安君がいいだろう。吉沢教授は兼安君と一緒に伊丹さんに相談して、その制度化は兼安君に進めさせてほしい。
四つ目だが、熊田君は水道と電気設置による効果と費用についてまとめること。とりあえず設置から現在までの状況、これはすぐに欲しいな。それから1年後に病気低減効果とか産業の発展なども含めた包括的な報告が欲しい。
そのためには状況をまとめるだけでなく、電気を使って事業を起こすことを指導することも含めてだ。例えば冷凍庫を利用した水産業とか、豊かな水を使ったリゾート開発とか検討してほしい」
熊田助教授
「今回の太陽熱発電と水道設備の普及策も含めてですね」
中野部長
「もちろんだ。断っておくがこれから普及させるときに、全額国庫負担なんてのはない。だから設置した島で電気や水道を使って産業を興して、それによって投資を回収する方法を考えてほしい。
もちろん島によっていろいろ条件が違うから同じ手法では展開できない。島の特性によってどういう産業を興すのか、考えると楽しいだろう」
熊田助教授
「楽しいどころかアイデアが出てきません」
中野部長
「それこそ島村先生がいるじゃないか。彼は伊丹さんと同じくアイデア豊富だしそれで金儲けしようなんて考えもない。
今回の太陽熱発電だけで既に赴任時の飛行機賃は回収しているだろう。金を返せなんていうのではなく、彼のアイデアをいただいた方が有益だ」
熊田助教授
「早速そのように」
中野部長
「そうだ、先ほどの話だが、その鉄工所のオヤジというのも好奇心が強いだけで悪人じゃないだろう。そこに指導して太陽熱の設備を作らせたらいいだろう。
そして儲けさせてそこからその爆発事故が起きた島に賠償させるんだ。豚は太らせてから殺せというだろう」

うそ800 本日の思い出
私が子供のころ住んでいた長屋は、水の便の悪いところで田んぼにも畑にも不適なところで松林だった。戦争が終わって松林を切り開いて引揚者住宅が作られた。
蛇口 田舎だったけど井戸水の出ないところだから水道がひかれた。もちろん家々にではなく、30戸くらいある長屋の2か所に水場が作られ蛇口がいくつか設置された。主婦たちはそこに行って炊事・洗濯をした。私は幼児のとき母親が洗濯する脇で遊んでいたのを覚えている。水場には屋根はあったが、雨が降ったり冬になれば外での水仕事は大変だ。私が小学校に入る頃、各家庭に水道を引くことになった。
家に水道が来たときはうれしかった。それまでは桶に汲んできた水を飲んでいたが、蛇口をひねれば水が出る。それはものすごい感動だった。もっともしょっちゅう断水もしたし停電もあった。
それから何年かしてラジオを買い、高校に入る頃テレビを買い、暮らしが豊かになったと感じた。1955年から1965年頃のお話である。

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注1
勘違いはないと思うけれど、1925年に水道と電気が使えたということは、とんでもなく進んでいたことになる。
1925年頃、日本で電気や水道が使えたのは特定の地域だけだった。東京は日本で一番早く1886年に電気事業は始まり、一般家庭で照明に電気が使われるようになったのは1890年頃。しかし全国的に見れば家庭の照明はほとんどランプでした。
私の母は大正3年(1914)生まれですが、尋常小学のときランプの"すす"を洗うのが日課だったといいます。電気が来たのは家を出て働くようになってからといいますから、多分1930年以降でしょう。
私の父の実家は1961年に伯父一家が山奥の田畑を捨てて東京に出ていくときまで、電気も水道もありませんでした。
おっと私の家内の家はかなり山間部でして、さすがに家内が産まれたときに電気はありましたが、水道が来たのは1988年だった。

注2
水道管の材質はいろいろと変遷がある。
年代イベント材質
1887〜横浜で水道設置純鉛管
1897〜鉛合金管
1926〜銅管、鋳鉄管も使われる
1941〜戦争激しくなる材料不足で陶器、プラスチックなど
1947〜GHQ指示で塩素濃度上げる銅管など
1956〜プラスチック、ステンレス製など
1989〜新設・更新の際の鉛管禁止

猛毒 昔、水道水からの鉛が危ないという市民運動があったそうだ。だが日本において水道水の鉛被害記録は1件もない。どうも都市伝説らしい。
鉛管を使うより使わない方が安全だろうけど、有意差はなさそうだ。

参考
 ・給水管、管種、管材、給水管の変遷
 ・給水管材料の変遷
 ・鉛製給水管布設替えに関する手引き
 ・水道水中で鉛中毒?

水道水は管の外より圧を高くしている。もし外部に対して負圧になると、地下水が水道管のすき間から浸透してきて汚水を吸い込みばい菌の混入につながる。
日本の場合はめったにないが、東南アジアなどでは配管の老朽化のため圧力を上げると漏水が増えるので圧をあげられず、そのため水の出が悪くなり、受ける方がポンプで水道水を引き込み負圧になることが珍しくなく、配管のすき間から地下水を吸い込み、細菌の混入などの事故がある。

注4
初めは昔の電気用品取締法の方法しか頭になかったのですが、この文を書くのにいろいろ読むと、型式認証といっても多様な形式があることがわかりました。
SGマークは製品安全協会が定めた基準に適合すれば協会が認証、自動車は新製品を申請し審査合格すると型式指定を受ける。JIS認定は指定した仕様に適合していればよしと、こういった制度に基本形はないようです。

注5
給水装置工事主任技術者などの水道工事資格は昭和30年代に整備されたようで、戦前は国家規模のものはなかったようだ。


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