異世界審査員138.視察団その1

18.12.17

*この物語はフィクションです。登場する人物や団体は実在するものと一切関係ありません。
但し引用文献や書籍名はすべて実在のものです。民明書房からの引用はありません。

異世界審査員物語とは

日本とアメリカをつなぐ旅客機が飛ぶようになったのはいつからだろう?
太平洋横断航空路が開設されたのは1935年だそうだ(注1)もっともこの航空路は日本とアメリカをつなぐのではなく、サンフランシスコとマニラ間であった(注2)当時パラオその他南洋諸島は日本の委任統治領であり、日本からパラオやサイパンへは97式飛行艇の旅客機版で定期航路が開設されていたが、このふたつの航空路は乗り継ぎできるようにはなっていなかった。
日米を直接結ぶ路線ができたのは1947年である。このときも無着陸ではなく、アラスカ アンカレッジ経由だった。
だからそれ以前に日本からアメリカに行くのは客船しかない。船は時間がかかる。1950年代でも氷川丸は片道2週間くらいであった(注3)
私が中学の時の英語の教科書には、アメリカに留学する人がお金がないから船で渡るというお話が載っていた。今では想像もつかない話である。

アメリカからの第三者認証制度視察団が横浜港に着いたのは、1927年8月の初めであった。初日は出迎えと東京までの移動、ホテルに入っておしまいである。
翌日、歓迎レセプションを設けて、そこには第三者認証制度の審議会のメンバーと、扶桑側にはこれからアテンドを予定している伊丹夫妻なども参加した。
視察団のメンバーは事務局その他合わせて10名ほどだが、中心人物は5名である。

視察団 主要メンバー
ジョーンズ教授ジョーンズ教授視察団の団長
工学部教授
ウィルソン教授ウィルソン教授数学科教授
アンダーソン技師アンダーソン技師能率技師 プロフェッショナルエンジニア
(Industrial and Systems)
ホワイト技師ホワイト技師計測器会社勤務 プロフェッショナルエンジニア
クラーク社長クラーク社長機械工場 経営者
名前はアメリカ・ファミリーネーム・ランキングの上位から適当に選びました。

ワイン 単なる挨拶や食べる飲むだけでなく、先方はかなり積極的に扶桑国の技術や技術者を話題にしてくる。
団長であるジョーンズ教授が、ホスト側の最上位者である中野に挨拶してくる。
中野は英語を話す。明治以降、扶桑国は(もちろん史実の日本も)欧米から文化や技術を導入するというのが学者や役人(公務員)の役目であり、ほとんどが英語、フランス語、ドイツ語のいずれかを話した。軍人も留学や派遣されることが多く、官僚の外国語のスキルは21世紀の日本より高かった。

ジョーンズ教授
「私は品質保証とか第三者認証制度というのはよく理解してないのですよ」
中野
「まあこれから2週間もご一緒すればご理解いただけます」
ジョーンズ教授
「いや私はむしろ貴国の工場を眺めるのを楽しみにしているのです」
中野
「参考になりますかどうか、貴国の機械工業に比べたら児戯に等しいですよ。例えば自動車の生産台数にしても三桁も違います(注4)(史実では4桁違った)」
ジョーンズ教授
「ほう、とすれば我が国から技術援助する余地はあるのだな。この視察団の最終目的は我が国の景気回復であり、別に第三者認証でなくてもよい。我が国から完成品でも技術輸出でもできるなら願ったりだ。お宅が購入したいパテントなど教えてもらえればうれしいのだが」
中野
「工場をご覧頂いてからぜひともお話し合いを持ちたいですね」

二人はニコニコして別れた。もっとも二人の考えは正反対であったが。

アンダーソン技師は伊丹と話していた。

アンダーソン技師
「先ほど能率技師(技術コンサルタント)とご紹介されましたね。私もコンサルタントをしております。産業とシステムを専門分野とするプロフェッショナルエンジニアです(注5)
伊丹
「おお、私はコンサルタントと言ってもプロフェッショナルエンジニアとは技術レベルが違います。この国には技術者の資格制度はありません。貴国では技術に従事する人が高く評価されているのがうらやましい」
アンダーソン技師
「まあ、2週間もご一緒いただければ相互理解は進むでしょう。
ところでフジタチャートを考えたドクター・藤田をご存じでしょうか。ぜひとも彼に会いたいと思います。どなたか仲介してくれる方をご存じないですか?」
伊丹
「藤田中佐は私の友人です。今は偉くなっていますから、多忙でしょう。すぐに会うのは難しいかもしれません」
アンダーソン技師
「伊丹さんは藤田さんのご友人ですか。もしかして彼の指導を受けたとか」
伊丹
「10年ほど前、彼と一緒に仕事をしてました」
アンダーソン技師
「じゃあ藤田中佐に会えるようにコーディネイトしていただけませんか」
伊丹
「調整しましょう。少し時間をください」

アンダーソンと伊丹もにこやかに分かれたが、二人の心中は正反対であった。
アンダーソンは伊丹が藤田の教え子だと思ったのだ。伊丹は藤田が変なこと言わないで欲しいと思った。変なこととは、伊丹を持ち上げるようなことである。

こちらではウィルソンと幸子が語り合っている。

ウィルソン教授
「サチコ、政策研究所の教授と仰いましたが専門は何でございましょう」
幸子
「教授といっても大学で学生を教えているわけではないのです。研究所の役職と思ってください。
専門といいますか仕事はいろいろしてきましたが、今は開発とか兵站のスケジュールや工数の最適化を数式化するとかそんなことですね」
ウィルソン教授
「シミュレーションですか? それじゃドクター石原をご存じですか?」
幸子
「石原さんなら存じてますよ。彼は私が暴漢に襲われたとき助けてくれたのです。命の恩人ですよ」
ウィルソン教授
「えっ、ほんとう! まるでドラマのようね」
幸子
「自分でもそう思います。彼は私の教え子になりますね。彼は優秀でしたが軍人の教育しか受けていませんでした。それで研究のアプローチとか論文の指導をしました。それから物事の因果関係を数式化するという方法論を教えました。シミュレーションの基本ですね。
国際政治のシミュレーションは彼が切り開きました」
ウィルソン教授
「まあ!ほんとですの? 今アメリカではドクター石原が国際政治を数式化して話題になっています。サチコがドクター石原の先生だったのですか?」
幸子
「彼は国に帰らず、貴国の官庁に就職したと聞いてます。向こうで大成してくれればうれしいです」
ウィルソン教授
「ただ現状では数式化しても、実際にはそれシミュレーションする具体的手法がありません」
幸子
「そうですね、シミュレーションする技術が遅れていますからね。まあ代数で解く方法がないなら図表にして解くとか工夫するしかありません」
ウィルソン教授
「サチコはそういう手法を開発しているのですか?」
幸子
「変数が4つ以上では無理ですが、三次元まで簡易化して木で枠を組みそこに多数の糸を張り巡らし、近似値を求めるとかカットアンドトライをしました」
ウィルソン教授
「おー!時間があればそれを見せてほしいです」
幸子
「最終的には多数の計算を高速にできる計算機が必要ですね。我が国ではその開発も進めています」
ウィルソン教授
「計算機ですか。微分解析機はいろいろ研究されていますが(注6)
幸子
「現在の微分解析機はアナログですよね、理屈は私の糸を張り巡らすのと同じようなものです。最終的にはデジタル計算機を作らないとだめでしょうね。それも機械式ではなく電子回路、真空管を使ったようなものでないと。高速な計算ができれば4次元以上であっても薄切をして曲面を計算出来て、接線なり交点なりを計算できるようになるでしょう」
ウィルソン教授
「ほう、そういうものを研究しているのですか。興味がありますね。今後機会あればその辺のお話をしたいわ」

ホワイトが宇佐美と話している。

宇佐美
「品質保証の前段階として統計的品質管理の考えが必要です。そのためには測定が必要です。測定器がなければなにもできません」
ホワイト技師
「統計的品質管理とはなんですか?」
宇佐美
「測定器で測ってOK/NGを判定するだけではしょうがありません。統計的処理で測定値の変化やバラツキを把握して不具合発生を予防することです」
ホワイト技師
「この国では測定器というのはどんなものが普及しているのか?」
宇佐美
「製造現場ではバーニャキャリパス(ノギス)とマイクロメーターがメインですね。当社ではその他ダイヤルゲージやてこ式ダイヤルゲージを製造しています」
ホワイト技師
「てこ式ダイヤルゲージとは聞いたことがないな」
宇佐美
「私の会社が開発しました。それを開発するときは伊丹さんにマーケティングの指導を受けました」
ホワイト技師
「ほう伊丹さんはマーケティングのコンサルなのか」
宇佐美
「ともかく測定がはじめにありきで、次に統計的処理が重要です」
ホワイト技師
「ほう、それをぜひともお聞きしたいですね」
宇佐美
「私は測定器が本職で、統計的な考え方は伊丹さんが詳しいです」
ホワイト技師
「伊丹さんはマーケティングの専門家のようなお話でしたが、数学が専門なのですか?」
宇佐美
「彼はすべての専門家じゃないですか」

クラーク社長はドロシーと話している。

クラーク社長
「ドロシーさんはアメリカの工場をご存じだろう。この国の工作技術は我が国に比べて遅れているだろうね」
ドロシー
「そんなことありませんわ。6年前にこちらに来たときでも、アメリカと変わらないと感じましたが、今はアメリカを凌ぐでしょう。この国の技術はとんでもない速さで進んでいます」
クラーク社長
「それは我が国とかイギリスやドイツの技術を導入しているからだね。この国が全く新しい技術を開発できるわけがない」
ドロシー
「そんなことありませんわ。すべてがアメリカより進んでいると言っていいでしょう。刃物も計測器も軸受けも工作機械も」
クラーク社長
「まさか! 黄色人種にそんなことができるとは思えんね」
ドロシー
「あら、私の夫も黄色人種です。夫はアメリカに技術を学びに来ましたが、数年後には型鍛造ではアメリカでも権威と言われてましたよ」
クラーク社長
「現実を見なければ何とも言えんな。それは明日以降のお楽しみだ」
ドロシー
「固有技術だけでなく、管理技術、つまり工程管理とか品質管理、それに今回皆さんが調査に来た品質保証など、管理技術の研究と実践はアメリカよりはるかに進んでいますよ(注7)
クラーク社長
「信じられん」
ドロシー
「この国では過去から「すべての仕事は仏教修行」という考えが根付いていて、日々の仕事において精進することが仏教の修行、人格形成だという考えがあります。ですから一般人、職人も商人も農民も、仕事への意気込みが違います。仕事は人生そのものですから」
クラーク社長
「まるでプロテスタントだな」
ドロシー
「そうです。それは心構えだけでなく、仕事場を清める、道具は大切に、体も仕事着もきれいでなければならない、仕事場には神棚を置いてお酒を捧げ仕事始めにはお祈りするという行動に現れます」
神棚
クラーク社長
「仕事場にお酒を捧げるだって?」
ドロシー
「この国には牛や羊の生き物を殺して犠牲にする発想はなくて、神様には食べ物やお酒を捧げるのよ」

*どこでも建物を建てるときは地鎮祭をする。私が現場管理者だった時はそれだけでなく、新設備の運転開始とか新製品生産開始のときには、四方にお酒を撒いて神棚に上げてから仕事を始めた。年配者はそれにいたく感動して、真剣に仕事に取り掛かってくれた。今の時代では違うかもしれない。1980年頃のことだ。

クラーク社長
「そういう心構えが行動になっているのか?」
ドロシー
「俗に整理・整頓・清掃なんていいます。こちらの言葉ですべてSから始まるので3Sとも言います(注8)
クラーク社長
「ええと、その3Sにはどんなご利益りやくがあるのかな?」
ドロシー
「3Sを実践すれば、良い品物が速く安く作れると信じられているのです」
クラーク社長
「オイオイ、そんな精神主義・・・まともじゃないよ。考えてごらん。私は機械工場の社長だ。従業員に不要なものを整理しろ(捨てろ)、品物や工具などを置くべき場所に置け、きれいに掃除をしろと言えば、良い品物が速く安く作れると思うなら精神異常だよ」
ドロシー
「あらあら、クラークさんは社長かもしれませんけど、私も工場の取締役なのよ。従業員に整理・整頓・清掃をするように言ってますし、その結果 良い品物を速く安く作っているわ。私は信じてますよ」
クラーク社長
「ワシは信じないね」
ドロシー
「ではお聞きしますが、クラークさんがお宅の従業員に不要なものを整理しろ、品物や工具などを置くべき場所に置け、きれいに掃除をしろと言えば、皆がそれに従ってくれるの?」
クラーク社長
「うーん、多分従ってはくれないね。そもそも、そうすれば品質が良くなるとか早く作れると信じてくれないよ。ドロシーもアメリカ人だ。アメリカ人が論理的なのは分かるね」
ドロシー
「それは3S以前にリーダーシップがないことではないかしら?
ともかく人を動かしてやってみなければ真実か否か分からないでしょう」
クラーク社長
「そういう宗教というか非論理的なことをドロシーは是としているのか?」
ドロシー
「あそこにいる伊丹さんの指導を受けたの。私は信じなかったけど、やってみた。そしてそれは事実だったというわけ。結果を見れば信じるわ」
クラーク社長
「イタミというのは何者だね?」
ドロシー
「ものづくりの伝道師でしょうか。いや、預言者かもしれません」

クラークは伊丹のところに歩む。
ドロシーは別の人と話すらしくクラークと別れた。

クラーク社長
「伊丹さんでしたね。クラークと申します」
伊丹
「工場の社長さんでしたね。私は技術コンサルタントをしています」
クラーク社長
「ドロシーさんから聞きましたが、3Sを勧めているそうですが。どうも私には効果があると信じられませんな」
伊丹
「確かに貴国とは国民性の違いもあるし、働く人の意識も違いますし」
クラーク社長
「そうですね、貴国は仏教徒、我が国はプロテスタントと宗教が違います。「仕事は仏教修行」とは考えていませんよ」
伊丹
「パウロだって「正しく生きれば神の国に行ける」と語ったではないですか。週に一度のお祈りよりも、毎日の労働で神の教えを実践すべきですよ」
クラーク社長
「整理整頓が品質や能率に効果があるとは思えんね」
伊丹
「クラークさんはホーソン実験をご存じでしょうか?」
クラーク社長
「ホーソン実験? 知らんな」
伊丹
「あっ、論文が出るのはこれからなのかもしれない」
クラーク社長
「それはどういうことかね?」
伊丹
「ハーバードのメイヨーという心理学の教授がウェスタン・エレクトリック社のホーソン工場で、作業環境の条件を変えて生産性を研究したのです(注9)
クラーク社長
「それで」
伊丹
「もう数年やってますが、まだ実験中ですね。私は途中経過を聞いただけですが、照明などの作業環境の良し悪しよりも、人間関係が良好な方が生産性が上がると聞きました」
クラーク社長
「ほう・・帰ったら聞いてみよう。ハーバードには知っている先生がいる」
伊丹
「私は技術者であって科学者ではありません。理論より実践が優先ということはあります。ですからクラークさんに3Sの効果を理論的には説明できません」
クラーク社長
「伊丹さんは今までの仕事でどんな成果を出したのかね?」
伊丹
「小銃の生産性向上とか互換性向上、品質管理の教育、職工の訓練課程の標準化、現在は品質保証とかマーケティングの指導ですね」
クラーク社長
「互換性向上とは?」
伊丹
三面等価 「組み立て不具合が起きないように、いかに寸法公差を大きく設定するかですね。測定と公差と加工精度は三面等価ですからね、簡単ではありません。
将来的に、形状公差とかボーナス公差などの導入を指導したいと思っていますが、測定器がそこまで追い付きません。生まれたのが50年早すぎたようです」
クラーク社長
「形状公差とはなんだね?」
伊丹
公差範囲
縦横にプラスマイナスの公差を付けると、許容される範囲はピンクの四角形となる。
このとき斜め方向を見れば縦横方向の公差の1.4倍(ルート2)であることに気づく。ならば黄色い円内が許容範囲であるという発想もできる。
「20年くらい前から図面に寸法公差を記入するようになりました(注10)しかし現状では長さの許容差だけです。
実際には面の平さとか、真円かどうかとか、平行度とかも重要です。そういうことについても公差を指定すべきでしょう。それを形状許容差と言います。
その他、寸法公差の指定方法は、基準からの距離を指定しています。その結果、公差の範囲は四角形になります。しかし組み立てを考えると、真の位置からのずれの許容範囲は四角形でなく真の位置を中心とする円になるのではないでしょうか」

*今では当たり前のことだが、日本でこういう議論がされるようになったのは1975年以降だったと思う。概念はあっても、三次元測定器がないときは実用にならなかったのだろう。

クラーク社長
「そうかもしれんな」
伊丹
「ならば公差は図面指定の点を中心にした半径で示されませんか」
クラーク社長
「なるほど。もちろん組み合わせによっていろいろあるだろうけど」
伊丹
「仮に四角形で許容範囲を指定しているとすると、最大のずれは対角線の半分ですから縦横の図面公差の二乗の和の平方根、縦横等しいとすると許容範囲はπ/2で一挙に5割増しになる。公差を最大に利用して加工すれば費用がその分下がります」
クラーク社長
「バラツキが費用と比例するならばだが」
伊丹
「もちろんです。まあ、そんなことを考えると面白いでしょう」
クラーク社長
「今の話は素晴らしいアイデアだが、図面で指定はできても、位置を測定できるのか?」
伊丹
「その通り、そのためには測定器を開発しなければなりません。改善をするためには理論だけでなく、測定器、計算機、図面記入方法、工作機械の精度など、総合的に底上げをしていかなければならないのです」
クラーク社長
「伊丹さんはそういうことをしているのか?」
伊丹
「そうでなくちゃ、やりがいがないでしょう、アハハハ」

レセプションがお開きになってから使節団のメンバーは打ち合わせをする。

ジョーンズ教授
「今夜のパーティでも情報収集したと思う。重要なことがあれば共有しておきたい。気が付いたことを言ってほしい」
クラーク社長
「伊丹、夫の方ですが、彼はすごい技術者のように思いました。できれば連れて帰りたい」
アンダーソン技師
「私も伊丹がキーマンのように思えます。彼以外と話をしても彼の指導を受けたとか、彼のアイデアだという話がちょくちょく出てきましたね」
ウィルソン教授
「夫の方もですが、奥さんの方も只者じゃありませんね。勧誘するなら夫婦がセットです」
ジョーンズ教授
「ウィルソン先生はなぜ伊丹夫人が気になりましたか?」
ウィルソン教授
「彼女はなんと今話題のドクター石原を教えたそうです」
ジョーンズ教授
「ほう! それがほんとなら夫婦を連れて帰りたいね」
ホワイト技師
「我々の目的である品質保証も第三者認証制度も、彼のアイデアだそうです。彼一人で私たちの調査は間に合ってしまうようです」

ジョーンズ教授は、伊丹という人間は今回の調査のキーマンということは理解した。彼を連れて帰り、彼の知識と知恵を搾り取ればとんでもない成果になるだろう。

ヘルメット うそ800 本日は前振りです
次回は品質保証の講義、次々回は工場見学を予定しております。
工場見学の回は、安全靴・作業服・ヘルメット着用でご参加ください。

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注1
注2
航空路線 昭和15年(1940)
もちろんサンフランシスコとマニラ間は無着陸でなく、ハワイ、ミッドウェー、ウェーク、グアムと飛び石つたいに飛んでいた。
なお日本からハワイまで6,430キロ、カリフォルニアからハワイまで3,990キロです。

注3
注4
史実ではこの物語の1927年のアメリカの自動車生産台数は乗用車だけで264万台、他方、日本では1925年で230台であった。1万倍だ。
参考:
 U.S. Automobile Production Figures
 「戦前期日本自動車産業の確立と海外展開」

注5
プロフェッショナルエンジニア(PE)とは日本の名称独占資格である技術士と違い、技術分野においての検証や証明などの業務独占資格である。
アメリカでは1920年頃から様々な技術分野においてPEの制度が整備されてきた。
技術分野には化学、土木、機械などたくさんあるが「産業とシステム」という分野がある。

注6
私が子供の頃(1960年頃)観ていたアメリカのSF映画では何ごとかあると「微分解析機」というのが現れた。映画が作られたのはそれより数年前だったのだろうから、当時は最新鋭の機械だったはず。映画では大きな紙にグラフというか曲線を描いて、主人公たちがそれを見てああだこうだと議論するのがお決まりだった。
微分解析機とは歯車や摩擦車などを使った機械式積分機だったらしい。機械式の微分解析機は1930年代に実用化され第二次大戦まで弾道計算などに使われた。
その後、真空管を使った微分解析機が現れ、それが真空管を使ったデジタルコンピュータに代わった。「最初のコンピュータ」と呼ばれるENIACの登場は1946年だった。
この物語の1927年には微分解析機の理論は完成していたが、実用的な装置はまだなかった。

注7
品質管理という概念がいつ発祥したのか分からなかった。Wikiやネットをググっても、品質管理イコール統計的品質管理という解説がほとんどだ。だけど統計を使わない品質管理の時代というのもあったはずだ。その解説や書籍が見つからない。
統計的品質管理は1920年代にシューハートが研究し1930年頃論文や実践に移したのが嚆矢となっている。

注8
整理整頓は大正時代(1910年代)から使われていた。5Sという言い方は昭和30年以降である。私が管理者だった1980年代は6S・7Sなんてアホみたいな言い方も流行した。ありゃ単に奇をてらっただけだろう。私は5Sとかそれ以上のSもすべては3Sに含まれると思う。

注9
ホーソン工場でのメイヨー教授の実験は1924年から1932年にかけて行われた。
この物語は、今1927年である。

注10
昔から互換性を保つという発想はあったが、その手段はゲージによるものがほとんどだった。寸法公差を図面に記入するのは19世紀末から始まり、20世紀初めから主要寸法には記載されるようになった。
だが寸法公差が広く使われるには、測定器が製造現場に普及することが必要で、1945年以降である。


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