*この物語はフィクションです。登場する人物や団体は実在するものと一切関係ありません。
但し引用文献や書籍名はすべて実在のものです。民明書房からの引用はありません。
1927年8月 アメリカ ワシントン ![]() 石原は博士号を得て大学院を修了した。恐慌にもかかわらず石原を採用するという大学はいくつかあったが、石原はアメリカ戦争省の東アジア情報官になった。研究者として東アジア情勢に関われることはうれしいし、祖国とアメリカの大恐慌からの脱出に少しは貢献できるかという気持ちもある。 ![]() ![]() 石原は作戦の骨組みは既に何年も前から温めていた。異世界の存在、そして異世界にも石原莞爾がいたことを知ったときから、彼がどんな生き方をしたきたのかずっと調べていた。 石原は異世界のそういったものも手当たり次第に読んだ。伊丹夫婦が扶桑国に役に立つと思った本を取りそろえたと聞くが、品ぞろえを見るとあの夫婦は天才だと石原は思っている。単に知識があるというだけではない。 幸か不幸か、この世界では満州のみならず朝鮮にも中国大陸にも侵出していない。しかしもし自分が関東軍の参謀だったら、異世界の石原莞爾よりもうまくやりたいと考えるのは当然だ。だから石原は異世界の満州事変の計画も実際の推移も、問題点も偶発事項も調べ尽くしていた。 今回はそれを具体的に展開するだけだ。満州の重要拠点は異世界と同じだ。ただ異世界日本の関東軍の配備や装備と、アメリカ軍のそれはまったく異なっている。そこは十二分に留意せねばならない。 異世界の石原莞爾よりも手際よく、味方だけでなく敵の損害も少なく成功裏に終わらせなければ、異世界の石原莞爾より劣るということだ。そうはなりたくない。 ![]() 読んだ本の中には司馬遼太郎もあった。司馬遼太郎は日露戦争の203高地攻略を自分が指揮したらうまくやったと書いていた。この司馬遼太郎の傲慢さには呆れた。 たかが小説家として名を成しても、何千人もの命と国家の命運を預かる指揮官が務まるものか。乃木が16000人も戦死者を出したと非難しているが、後知恵で語ることは歴史を貶めるもの。歴史とは薄っぺらなものじゃない、多くの人の苦しみと努力と過誤の集積だ。 そういえば司馬遼太郎は1923年生まれ、この世界でももう三つになる。もし10年後とか20年後に石原が会うことがあれば、絞めてやろうと思う。 満州制圧の要点は重要拠点と新聞を抑えることだ。そして中国軍よりも少数の兵力で短期間にそして双方の被害を少なくするには、速力が第一と考えている。石原の頭にあるのは、異世界のドイツが1939年に行ったポーランド侵攻である。基本はトラックと戦車による機動力、空軍の直接協力(直協)、奇襲、集中である。史実ではドイツ軍陸空の連携の不備や霧の発生などにより計画とのずれが生じたが、それを含めても後に電撃戦と呼ばれた。 作戦の概要をホッブス大佐とグリーン少佐に説明している。職制上、石原の提言はホッブス大佐の意見として大統領に奉じられることになる。 ![]() | ||||||||||
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「歩兵部隊移動のためトラック、動ける火力として戦車というのは分かる。しかし石原さん、この作戦前の準備のリストは必要なのか?」
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「少数の兵力を有効に使いたい。そのために必要なのは機動力です。駐屯地から主要都市までの道路を整備する。鉄道はもちろん使いますが、鉄道は破壊工作を受けやすい」
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「飛行場というのは?」
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「飛行機による兵員輸送もしたい」
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「オイオイ、飛行機でひとりふたり兵士を運んだところでどうにもなるまい | |||||||||
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「ふたつあります。ひとつは欧州大戦でドイツ軍もイギリス軍も、数名の決死隊を前線の奥深くにパラシュート降下させて重要施設の破壊をしたことが数回あります。 もうひとつは、大隊規模でパラシュート降下ができれば作戦の自由度が倍増します | |||||||||
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「飛行機で1個大隊を運ぶなんて無理だよ」
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「扶桑国が大地震のとき消防飛行機というものを作りました。それは水10トンを積んで放水しました。今は旅客機に使っていると思います。積載量10トンといえば完全武装の兵士70人は乗れるでしょう。10機あれば1個大隊です」
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「でもそれだけの兵士を、パラシュート降下できるよう訓練できるのかね?」
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![]() | ![]() トラック部隊で移動するにしても、今は平均時速40キロくらいでしょう。道を整備すれば60キロから70キロだせるようになる。そうすればアメリカ軍の駐屯地から満州のどこへでも10時間で行けます」 | |||||||||
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「おいおい、フォードは最大速度70キロ出るか出ないかだ。ましてや草原をそんなスピードで走れるわけがない」
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「ホッブス大佐、できないことを考えるのではなくできるようにするのです。今から道路を整備し、高速を出せる兵員輸送車を作らせれば良い。 兵力は動かなければ人数分の威力しかありませんが、短時間で移動できればその分だけ戦力が増えるわけです」 | |||||||||
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「理屈は分かるが、実際にはねえ〜」
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「満州を抑えるということは全土を抑えることじゃありません。行政上重要な場所と大都市、奉天、長春、営口などを抑えればいいんです。主要都市で一番離れている長春市と営口市の距離が440キロ、大したことありません。とはいえここを11時間かけるか、6時間で行けるかは大きな差でしょう。 ホッブス大佐、以前からの固定観念じゃだめです。映画だって小説だって、今までにないストーリーを考えるでしょう。我々も今までにない作戦を考える、そしてそれを技術とアイデアで実現するのです」 | |||||||||
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「いやはや、本当のことを言って石原さんを引き込んだことを後悔しているよ。我々が期待していた以上のことを言いだされて」
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「過去いかなる戦争も改革してきたのは新しい技術とアイデアです。一人の人が全軍を指揮する方法から、師団ごとに司令部を置くことによってナポレオンを破った方法、戦力は小出しにせず集中して使うというのは古代からの鉄則。戦車を考えたイギリス人、次は我々が自動車や飛行機そして戦車を使った電撃戦を行うのです。 この国の国技と言えるフットボールは、力じゃなくてスピードじゃないですか」 | |||||||||
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「なるほど、フットボールか、フットボールタクティクス」
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「フットボールオペレーションのほうが響きがいいですよ」
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「よし、フットボールオペレーションと名付けよう。知っているか、俺は士官学校でクォーターバックだったんだ。これで成功間違いなしだ」
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「ネーミングで勝つわけはない・・」
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1927年8月 政策研究所● ● ● ![]() 川西は海軍から開発を依頼されている長距離飛行艇の進捗打ち合わせのために、東京の政策研究所を訪ねた。軍から開発依頼された場合、陸海軍の航空機すべてを開発している航空廠が管理しておりそこで打ち合わせるのが普通なのだが、この飛行艇はなぜか毎回政策研究所で打ち合わせをしている。そして政策研究所の人が参加している。
会議が終わって昼飯は毎度のことだが食堂でごちそうになる。いやこの所員の普通の昼飯なのでごちそうというとおかしいが、どれも珍しくおいしいものばかりで、川西はここで食べるのが楽しみだ。 トレーを持って座ろうとすると見かけた顔がある。中島知久平だ。もう何年も前になるが奴と一緒に航空機事業を立ち上げたものの、経営方針で争い喧嘩別れした。まあ、しょうがなかったと川西は思う。ともかく気が付いたからには知らんふりもできない。中島に挨拶して向かい合って座る。 ![]() | ||||||||||
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「実は川西さんにお聞きしたいことがあったのです」
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![]() ![]() 食べ終わってから、中島が意外なことを言いだした。 川西は立ち上がり、コーヒーを二つもらってくる。 川西はミルクピッチャーから自分のカップにミルクを注ぐ。 ![]() | ||||||||||
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「前回会ったのは2年くらい前かな」
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「確か関東大地震の後の消防における飛行機運用の反省会が最後ですね」
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「振り返ると大地震対策は大変だったが、得たものは大きかった。ものすごいエンジンが手に入ったし、等速プロペラの技術も得て、一挙に進歩した。 今はあのとき作った飛行艇の後継機開発を頼まれている」 | |||||||||
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「あの飛行艇はお宅のドル箱ですね」
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「南洋開発は我が国の重要政策だ。おかげさまで累計150機くらい作ったよ。もちろん今も注文があり継続して製造している。輸送機、旅客機、哨戒機といろいろ形式がある」
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「年30数機、毎月3機ですか。あのような大型機では想像もできない数ですね。更にその後継機ですか。うらやましい」
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「ところでお話とは?」
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「今、陸軍から新型戦闘機を頼まれています。もう新型はすべて低翼単葉全金属製となりました。ものすごく速く進歩していますね。2年後に納入しろという要請です」
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「陸上小型機とくればお宅の得意分野じゃないか」
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「作ることはなんとかなりそうですが、最近は軍が品質保証とかいうものをしっかりやれと煩いのです。実を言って品質保証なんて、なんのことか全然分からない。川西さんのところでは品質保証を導入して不良低減したと聞いています。お顔を見たのでそれを教えてもらおうと、」
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「アハハハ、実はさ、俺も全然知らず、というかそんなこと全くやる気がなかった。ところが今年の春、ワシがやらないのに業を煮やして元軍人で今は政策研究所で働いている鬼軍曹、階級は准尉だと聞いたが、そいつがウチに常駐して、あれをやれ、これをやれと言われて大変だったよ」
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「具体的にはどんなことをしたのですか?」
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「仕事の方法や基準をしっかり決める、それを基に仕事をするということに尽きるな」
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「はあ! そんなことなら以前からしてますよ」
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「ワシもそう思ってたよ、実際はそうじゃないんだな」
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![]() 川西は小一時間、自分の経験を語った。中島は初めは目をパチクリして聞いていたが、そのうちノートを取り出していろいろとメモする。そして時々質問する。 話が済んでも、中島は口をへの字に曲げて黙りこくっているので川西は一方的に挨拶して別れた。 ●
1927年9月 ワシントン● ● ● ![]() 恐慌が始まって8カ月が過ぎた。アメリカの雇用は時と共にひどくなり、社会不安も増大している。そして既に恐慌はアメリカから世界中に広まっている。経済不況によりどこでも生活不安、治安の悪化が起きている。ブラジルで暴動発生、欧州で倒産相次ぐ、ボリビアがデフォルトなど、外国からのニュースも暗いものばかりだ。そしてどの国も画期的な対策は打ちだせていない。嵐なら隠れていればいつか過ぎ去るだろうが、経済不況は誰かが何かをしなければいつまでも過ぎ去らない。 ![]() アメリカ政府は自国の生産物の販売不振をカバーするために、保護貿易に舵を切ることを決めた。異世界の歴史を読んでいる石原には、これが外国の恐慌を更に悪化させるのが目に見える。とはいえ、アメリカ政府にほかの手はなさそうだ。 フーバーダム建設などは1931年、このときより4年も後のことだ。結局、アメリカの恐慌を止めたのは第二次大戦であり、曙光がみえたのは1939年だ。 イギリスもフランスもアメリカの政策と同じく、保護貿易・ブロック経済に進むことになる。 この世界では恐慌が速く始まったから、第二次大戦もその分早く始まってくれないと国も社会も国民も耐え切れないだろう。そう石原は予想する。 いやいや、逆だろう。恐慌が異世界より早く始まったから世界の国々が苦しくなるのも早く、第二次大戦も早く始まるのだ。 ![]() | ||||||||||
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「大統領から内々に通知された。満州制圧作戦は来年9月実行する」
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「ちょうど1年後ですか」
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「現状を打破するには早急に手を打つ必要がある。それも具体的成果が国民に見えるものであることが必要だ。 とはいえ、今すぐに始めることはできない。検討した結果が1年後だ」 | |||||||||
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「飛行機開発とか道路整備はどうなりますか?」
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「やってくれ」
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「やってくれと言われても予算も人もなければできませんよ」
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「飛行機だが、扶桑国に10トン運べる輸送機があるのだな。それを購入したい」
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「それは陸上機ではありません。水上機です | |||||||||
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「うーん、それじゃ満州の作戦には使えんじゃないか」
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「私はそれが使えるとは言ってませんよ。扶桑国でさえ地震対策で飛行機を開発したのだから先進国アメリカなら開発して間に合うだろうと言ったのです。 但し、河川とか湖沼からの離着陸は可能です。滑走距離が500mくらいですから、満州には離着水できる湖や川はあるんじゃないですか。この国で新たに開発するのが間に合わなければ扶桑国から買うという選択肢もあります。 飛行機はなくても最低限、兵員輸送のトラックの準備が必要です。道路は来年雪解け以降整備しましょう」 | |||||||||
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「わかった。とりあえずその飛行艇を購入できるかどうかあたってくれ。 グリーン少佐、その飛行艇が使える河川と湖沼を調べてくれ。 それから道路整備というと、どんなことをするんだ?」 |
![]() | 「舗装までは無理ですから、路面をブルドーザーで平らにして、ロードローラーで固めるだけでもしたいですね」
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「ブルドーザーってなんですか?」
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「えっ、数年前に開発された土木機械ですよ | |
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「グリーン少佐、すぐにブルドーザーというものを調べてくれ。主要都市間の道路の整備は必須だ。 それからトラックに兵士を乗せて運ぶことを検討しないと。数百キロも兵士を運ぶにはシートや食料それに休憩などの検討が必要だ。満州の9月が寒いなら暖房も必要だ」 | |
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1927年9月 皇帝崩御● ● ● ![]() 皇帝が崩御された。大きな出来事であったが、伊丹がこの世界に来て二度目である。こちらの政府や国民にとってもほんの少し前にもあったことで、その後の式次第は慣れたものである。ひと月の喪に服した後はまたいつもの生活に戻った。 皇帝は崩御当日に皇帝に即位して、諸外国に対して非常事態及び帝位継承への対応は完全であると見せつけた。中野は特段明記された職位ではないが、皇帝の秘書的な仕事に就き、政策研究所の所長は名目だけで、実務は官僚上がりの人間が引き継いだ。 とはいえ、なにか中野がしたいことがあれば政策研究所を動かすのだろう。まあ、そのために存在するのだろうから誰も文句はない。 1927年9月 皇居 皇帝執務室 ![]() 皇帝と中野が話をしている。 | ||
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「島村先生が仰った通り、オヤジは今年いっぱいもたなかったか。 彼にはお世話になった。お礼に皇国大学の医学部の教授にしたがどうしているか?」 | |
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「陛下、本人はあまりうれしくなかったようです。こちらで数か月教えると島に数か月帰るという暮らしをしています。向こうに行くとき、見込みのありそうな医学生を数人連れて行き、現地で診察させているそうです。本人曰く、コロール留学だそうです。ところが、向こうで3月も実習してくると、ものすごく伸びる、一皮むけるといわれていて、希望者殺到だそうです」
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「おいおい、そのうち南洋分校を作るようになってしまう。そのへんの運用はうまくしてくれよ」
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「かしこまりました。 石原からの報告はお聞きになりましたよね? アメリカからは内密に作戦行動の黙認と補給基地として協力を要請されました。それと現行の飛行艇を10機ほど購入したいとのことです」 | |
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「内閣の見解は、アメリカが画いた図を、我が国は問題ないというのだな? 代わりに何か得るのか?」
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「利権とかは言いません。とりあえずアメリカが来年法律で定める輸入規制つまり保護貿易の対象から外してもらうことです。 作戦成功の暁にはアメリカが満州に領地を持ち、ソ連、中国を睨みつけてくれればありがたい」 | |
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「だが、満州を抑えた次は、我が国を狙うことは明白だぞ」
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「簡単に侵略できないよう軍事も経済も力を付ける、現実には我々は他に取るべき道はありません」
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「己が軍事大国になるか、中国かソ連の下につくしかないか」
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「単独で世界に乗り出す軍事力を整備するのは大金がかかりますが、アメリカ対応の防衛力だけならそれより安く済むという判断です」
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「辛い渡世だな」
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1927年9月 政策研究所● ● ● ![]() 今日は中野がやってきて幸子のチームを集めた。幸子、伊丹、清田、伊関、堀川である。 中野は石原からの報告をメンバーに知らせる。 ![]() | ||
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「以上が、石原君からの報告だ。石原君の提言通りにアメリカが動くかどうかは分からない。だがその可能性は高いだろう。そこで我々はどうするかを君たちが考える」
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「我が国はアメリカの作戦行動を黙認するのですか?」
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「内閣の結論はそうだ。新しい皇帝陛下にも報告し、納得いただいている。それにアメリカの行動に反対したところで止めようはない。 もちろんメリット・デメリットがある。ソ連の南進を阻止するのは我が国にとってありがたいことである。半面、アメリカが東アジアに領土を持つということは、いつかは我が国を侵略することが予想される。 結局、ソ連と戦うのを取るか、アメリカと戦うのを取るかの二択しかないんだ」 | |
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「今後、継続的に満州のアメリカ軍を監視したいですね」
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「こちらが高空を飛んで偵察しても、攻撃する手段はないのでしょう」
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「そうは言っても他国の空を飛んでいれば国際問題、下手すると戦争だよ。 宇宙から監視できる時代になれば良いが、飛行機ではいくら高く飛んでも領空侵犯だからねえ〜 | |
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「作戦中は偵察を支援するという理由で、上空を飛行する了解を取りたいですね」
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「それは提案してもよさそうだな。 そういえば川西の新しい飛行艇はどうなんだ?」 | |
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「開発を指示してからちょうど1年です。実物大模型はできあがりいろいろ試験中です。飛行実験は半年後にはできるかと思います。ただ、元々対ソ戦と考えて1930年と想定していましたので、来年頃起きるであろう満州事変に使うことは考えておりませんでした」
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「石原君の報告にアメリカが飛行艇を買いたいというのがあったが、現行品をアメリカに売るのは問題ないのか?」
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「まだ第一線機で生産も継続中ですが、今申し上げたように新型を開発中ですから、売れるものなら売れば良いのではないでしょうか。 秘密と言えばエンジンが高性能ですが、これなしでは飛べませんし・・」 | |
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「秘密保持のために、売るのではなく操縦士込みで貸出すのはいかがでしょう」
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「なるほど、それがいいね。向こうも操縦士を訓練する手間が省ける」
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「中国軍がこの飛行機を攻撃する手段はないのでしょうか? もし被害を受けたら、我が国が参戦していることがばれてしまいます」 | |
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「高空を飛行中は大丈夫と思いますが、離着陸時は危ないですね」
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「それを貸し出すなら絶対に失敗しないようにバックアップしたい」
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「バックアップといえば、戦闘に入れば哨戒機タイプで偵察や写真撮影など支援はできます」
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「そこは運用で注意しなければなりませんね」
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「わかった。 そうそう、満州の兵棋演習ができるようなのを作ってくれ。我々もいろいろ検討しなければならない」 |
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従軍慰安婦はあったと叫ぶ人は「私の戦争犯罪-朝鮮人強制連行-」を読んだことがあるのだろうか? 私は戦後生まれだが、この本を読んで矛盾が多々あることから、とても書かれたことを信用する気にはなれなかった。 おっと、これ以外にも多々証拠があるのだろう。ぜひ拝見したい。 ![]() | ||||||||||||||||
パラシュートによる空挺作戦は、ライト兄弟の飛行機が飛んで10年もたたない第一次世界大戦において考えられ、1916年ドイツ軍が2名で破壊活動を行ったのが嚆矢とされている。その後、双方で数度の作戦が行われたが大規模な作戦が行われないうちに終戦となった。大規模な空挺作戦は第二次大戦からである。 ![]() パレンバンに降下した挺進連隊は4個中隊773名であった。 ![]() | ||||||||||||||||
注3 | ![]()
国や時代によっては、旅団がなく連隊の上が師団とか、大隊がなくて中隊の上は連隊ということもある。 注2で述べたように、パレンバンでのパラシュート降下部隊は1個連隊が4個中隊からなり、大隊ではなく連隊を称した。更に1個中隊が167名で、本部を含めて773名であった。 なお飛行機や戦車の場合、1個小隊は2ないし4機、1個中隊は2個小隊から3個小隊などいろいろだ。 ![]() | |||||||||||||||
注4 |
この時代は大型機は水上機が多かった。というのは当時は長い滑走路が少なかった。長い滑走が必要なものは水上機にするしかなかった。 ![]() | |||||||||||||||
注5 | ||||||||||||||||
第一次大戦(この時代は「欧州大戦」と呼ばれた)の前には、高度がある程度(3000とか4000ほど)以上は領空ではないという発想があったらしい。だがいくら高くても爆弾は落せるし偵察もできるし、故障すれば墜落するわけで、その考えは霧散したようだ。 ![]() |