異世界審査員57.船団護衛その4

18.02.08

*この物語はフィクションです。登場する人物や団体は実在するものと一切関係ありません。
但し引用文献や書籍名はすべて実在のものです。民明書房からの引用はありません。

異世界審査員物語とは
第一次大戦時のUボートはアメリカ・イギリス間の航路で通商破壊をしたと思われているが、それは1917年以降であり、1914年から1916年まではイギリスの植民地からの輸送船への攻撃が主である。と言ってもUボートが南大西洋やインド洋まで進出したのではなく、主たる戦場はイギリスの周辺海域と地中海であった(注1)
史実はそうではあるがこの物語ではアメリカ・イギリスの航路について書く。理由は参考資料を探したが、英国植民地からの航路での潜水艦戦を書いたものが見つからないから。
さて大西洋のイメージとはどのようなものだろう? 三大大洋というくらいだから、ものすごく広いんだろうと思いますよね。でも地球儀で見ればわかりますが、太平洋の半分もありません。日本からハワイまでより、ニューヨークからロンドンの方が近い。ニューヨークからロンドンまでの距離は5,500キロ、宗谷岬から与那国島までの倍もありません。潜水艦攻撃を避けるためにジグザグに進路を変えたとしてもせいぜい10日だ。その10日間に輸送船の1割がUボートに沈められたのだからなんともすごいことだ。

B17爆撃機 毎度、話がそれます。第二次大戦での連合軍のドイツ爆撃では、ものすごい未帰還機を出したように思われています。
「メンフィスベル」なんて映画もありました。アメリカ陸軍航空隊(後に空軍となる)では、25回ドイツ爆撃に出撃すれば戦場から故郷に帰れるというルールだったそうです。映画では毎回の出撃で未帰還機が1割出たとされ、25回出撃して帰って来れたのは非常に少ないとしていました。毎回未帰還率が1割なら、25回出撃して無事に帰れたのは7%になります。確かにこれは大変です。まさに飛行機乗りの墓場。(正確に言えば未帰還機乗員全員が戦死したのではない。半分くらいはパラシュートで脱出し捕虜になった)
でも映画と違い、実際には出撃毎の未帰還率は1.4%だったそうです。それなら帰還率98.6%を25乗しても7割になり、かなりの飛行機乗りは無事に帰れたことになる。

ちなみに日本を空襲したB29の出撃毎の未帰還率は偶然にも1.4%で、ドイツ爆撃と差はない。日本の防空部隊はドイツ同様に頑張ったのです。
下からB29を見上げていた人たちは、空襲に来るB29は気楽だと思ったでしょうけど、乗員にとってはドイツ爆撃同様にとんでもなく辛い飛行だったそうです(注2)
しかし未帰還率は同じでも日本爆撃はドイツと違い短期間だったので、ドイツ軍に撃墜されたB17とB24の合計が7,400機以上だったのに対して日本が撃墜したB29は351機と少なかった。(注:被撃墜450機という書籍もあり)
B29爆撃機 「日本が空襲された期間が短いはずがない」と異議があるかもしれません。実は私も母から子供の時、空襲のことを聞かせられていました。それでドイツ爆撃の映画などを見ると、日本はもっとひどかったと思っていました。
しかし数字を調べてみればとんでもない、現実は日本の都市よりもドイツの都市は、はるかに長期間にわたり空襲を受けました。日本が空襲を受けた期間はドーリットル爆撃を除けば、1944年6月から1945年8月までの14カ月です。一方ドイツは1942年5月から1945年5月まで、36カ月間です。日本が受けた空襲よりも、何倍もの密度で3倍もの長きに渡り空襲を受けていたんですね。ひどいもんです。

毎回の航海で1割の輸送船がUボートに撃沈されたということは、輸送船が、月一回往復したとして、1年後に沈んでない船は90%の12乗で28%になり7割は海の藻屑になった計算です。
メッサーシュミット
文章を書いて頭が飽和する
とこんな絵を描いてます。
ということは、メッサーシュミットのお出迎えを受け高射砲が弾幕を張る中を飛ぶ爆撃機以上に、リスクが大きかったのです。
おっと、昔の船乗りの危険は桁違い。コロンブスやマゼランのとき帰ってくる船はほんのわずか。少し時代が下った大航海時代でも帰って来た船は2割だったとか。更に下ったロビンソン・クルーソーの時代でも天寿を全うできた船乗りはいなかったのではなかろうか? そういう連中なら帰還率9割の航海でも怖がることはなかったのでしょうね。

新開発の対潜兵器を装備した軽巡と駆逐艦による対潜戦の試験兼訓練が開始された。竹内司令官と益子参謀長にとっては初めてだが、電子機器の取り扱いをする兵・下士官は数か月前から政策研究所で訓練を受けていた。
そして海軍工廠や政策研究所の技術者が乗り組み新兵器の各種試験を行う。また横須賀基地の潜水艦艦長や駆逐艦艦長は見学のため交代で乗船する予定だ。

まず電波探知機のすごさは初日に明らかになった。出港する前から東京湾内を航行する船舶が画面に表示されているのを見た全員が、まさに新兵器だと納得した。もちろん潜望鏡を見つけることができるのかどうかはこれからだ。

潜水艦隊司令部からの通知では、潜水艦数隻が既に前日出港しており、九十九里沖で護衛艦隊を攻撃する予定だという。潜水艦を見つけられるのか、竹内司令官や中野中佐をはじめ関係者は、期待と不安で敵役潜水艦との邂逅を待つ。

残念ながら幸子は乗船できなかった。この時代、船の守り神は女神だから女が乗ると嫉妬すると言われていて、軍艦に限らず漁船にも乗れなかった。
「艦これ」で軍艦がみな女性なのはそういうわけだ
でもなぜ客船には女性も乗れるのだろう?不思議!
コーヒー 同僚がみな試験航海に行って2週間は帰ってこない。話が聞けるのはそれ以降になる。幸子は一人政策研究所で、コーヒーを飲み時間をつぶしている。少し悔しい。

試験航海初回は潜水艦の索敵、攻撃の演習というか実験である。艦隊全部がそろうのはまだ数か月先で、今回は旗艦である3000トンの軽巡「四万十」と駆逐艦3隻だけだ。
旗艦になった軽巡は元々何種もの砲煩ほうこう兵器(注3)機関砲、魚雷発射管、爆雷投射機、機雷投下機などが甲板に隙間なく配置されていたが、今回の対潜戦旗艦への改造にあたり、12センチ単装砲を1門と連装機関砲2基だけ残して、魚雷発射管も爆雷投下も機雷投下もはずした。代わりに対潜水艦用として迫撃爆雷砲を4基設置した。そして音波探知機、電波探知機、情報処理装置と、それ用に電子機器用の発電機と蓄電池を装備した。
電子戦要員が増えたが砲煩兵器や魚雷が減り主砲が半自動化されたことにより、乗組員は300名から230名と大幅に減った。ちなみに昔は3,000トンの軍艦なら乗員が300人というのは普通だが、自動化が進んだ21世紀では200名を切る。
だいぶ居住に余裕がでたように思えるが、電子機器が場所を食うためにそんなに良くなったとは思えない。長期の航海は乗組員にとって狭くて辛いだろう。

横須賀を出て6時間、今九十九里沖40キロの海上にいる。
旗艦の左右に約4キロ離れて駆逐艦が同航しているほか、右後方に5キロ離れてもう一隻の駆逐艦がいる。4隻しかないが一応船団護衛の配置に合わせている。
天候は曇り、海面で風速7ノットなので、右後方の船は気球を上げている。

ここは船体中央に新たに設けた30畳ほどの部屋で、CIC(戦闘指揮所)である。各種機器を操作する10名ほどの他に、竹内司令官、益子参謀長を始めとする数名の参謀、中野中佐他政策研究所のメンバーと海軍の見学者たち、合わせて30名近くいる。立錐の余地とまではいかないが相当混みあっている。
モニター この船では艦長は艦橋にいるが、そこは操艦の機能しかなく、戦闘指揮はすべてここCICで行う。アメリカでもCICの考えが始まった1940年代は、参謀がCIC、艦長は艦橋にいてCICからの情報を基に操艦と戦闘を指揮していた。このへんは実戦を経ていろいろと変わっていくのだろう。
兼安少佐は下士官数名が音波探知機と電波探知機の監視をしているのを見て、ときどき何事かを指示している。吉沢中佐は駆逐艦から送られてくる情報を統合する装置の指導をしている。他の技術者たちはそれらの設備に怪しげな計測器類をつなぎ、計測器が表示する数字を記録したり本体の調整つまみをいじったりしている。
参謀と見学者は興味津々でその様子を見ている。

突然、表示器を見ていた下士官が大きめの声を出した。
下士官
「音波探知機が潜水艦を捕らえました。左舷駆逐艦の左35度、距離約3,100、反航しています。
あっ、今、潜望鏡をあげたのを電波探知機が捕らえました」
兼安少佐
「みなさん、ご覧になりたければこの陰極線管に表示されてます」

室内の10人以上がわッと表示板に集まる。

益子参謀
「おお、この光点だな。左舷駆逐艦の外側ということは、この船ではなく駆逐艦の音波探知機が検知したということか?」
兼安少佐
「そうです。光点の脇に不明という文字と進路と速度が併記されています。ええと進路は1-4-7、速度は5ノットとあります」
益子参謀
「なんと、そこまでわかるのか!」
竹内司令官
「それでこれからどうするのか?」
兼安少佐
「正直言ってこちらから攻撃する手段はありません」
竹内司令官
「なんだって! 見ているだけなのか?」
兼安少佐
「先日申し上げたように、この距離では攻撃する手がありません。攻撃するなら、こちらから近づかないとなりません」
下士官
「少佐殿、光点が分れました」
兼安少佐
「ああ、魚雷発射したようです」
竹内司令官
「オイオイ、まさか実弾じゃないだろうな」
男
「私は潜水艦隊から派遣されてきた者だ。潜水艦は攻撃可能ならば模擬弾を発射するといっていた」
竹内司令官
「兼安少佐、まさかやられっぱなしということはないのだろう?」
兼安少佐
「ただいま左舷の駆逐艦から距離2,800、潜水艦が魚雷攻撃するには手ごろの距離ですが、こちらから反撃するにはちょっと遠いですね。駆逐艦は回避するでしょう。というより私が指示します」

兼安は電話をとる。

兼安少佐
「こちらCIC、敵潜水艦が魚雷発射した。ああ、そちらも気が付いていましたか。それじゃ回避してください」
益子参謀
「おい、今電話したのはあの駆逐艦か? 電話が通じるのか?」
兼安少佐
「電信を打つより手軽でしょう。伝声管というわけにもいきませんし」

益子参謀長は唖然としている。

兼安少佐
「まだ距離がありますから駆逐艦は十分安全に回避できます。画面を見ると潜水艦は面舵を取りましたから、もう少しこちらに近づいた後、遠ざかります。あまり最初から手の内を見せたくないのですが、このままじゃ評価を下げてしまいます。中野中佐、反撃してよろしいでしょうか?」
中野中佐
「兼安少佐、やってくれ。
ここにいる方は、これから見ることは絶対口外しては困ります」
兼安少佐

「魚雷発射用意、目標現在地、左80度、距離3,700、」

兼安少佐は口で言いながら装置のボタンをバチバチと叩くというか押していく。

兼安少佐
「おっとこれから何が起きるか知りたい方は、大至急甲板に出てください。但し煙突より後ろにはいかないでください。それと耳を押さえてくださいね。1分後発射します」

竹内司令官と益子参謀長を先頭に、ほとんどが部屋を飛び出していった。

中野中佐
「静かになったか。じゃあひとつ撃ってくれ」

CICの中にもドーンという音が聞こえた。その瞬間陰極線管の表示板に急速で動く光点が現れた。

下士官
「最終的に距離3,500でしたが、どれくらい時間がかかりますか?」
兼安少佐
「90秒というところかな」
下士官
「あっ、画面から光点が消えました。着水しました。潜水艦からの距離約200」
兼安少佐
「まあまあってところか。これから追いかけるのに40秒か」

しばし後・・・・

下士官
「電波探知機に反応が現れました。潜水艦が浮上したようです」
兼安少佐
「衝突音でびっくりしたんだろう。被害がなければよいけど」
下士官
「空砲とはいえ実射は初めてでしたから緊張しました」
兼安少佐
「他に潜水艦や水上艦はいないか?」
下士官
「周囲20キロ内にはいません」
中野中佐
「そいじゃみんな職場放棄して甲板で新鮮な空気を吸おう」

計器にしがみついている若干名を残して、10名ほどが立ち上がりCICから外に出た。曇天は相変わらずだ。はるか遠くに浮上した潜水艦が小さく見える。
空海浮上した潜水艦海
竹内司令官
「兼安少佐、今のは一体なんだ?」
兼安少佐
「魚雷です。もちろん弾薬は抜いてあります。先日の説明会では説明するのを忘れてました」
益子参謀
「臭い芝居だな」
兼安少佐
「魚雷で潜水艦を狙ってもたどり着くまで時間がかかります。それで最初は魚雷を砲煩兵器で打ち出そうと考えました。でも魚雷のような大きなものを打てる砲はありませんし、また砲弾と同じように急激に加速しては魚雷が壊れます。
それで魚雷をロケットでゆっくりと加速し、着水時には落下傘で減速する方法にたどり着きました。それにしても魚雷の一般的な直径53センチでは大きすぎますから、25センチの小型のものを開発しました。当然、爆薬も少なく走行距離も短いんです(注4)
益子参謀
「ロケットはどれくらい飛ぶのだ? それから着水してからの射程距離は?」
兼安少佐
「ロケットは80ノットで射程5キロ、魚雷は20ノット走行距離約1キロというところです。着水後は敵潜水艦の音を聞いて追跡します。速さが20ノットですから潜水艦の速さを8ノットとして速度差12ノットで追いかけます。200メートル以内に着水すれば40秒で追いつきます。うまく行けばですが。というのは、着水地点が目標から遠かったり、潜水艦が音を出さなければ追いつけません」
益子参謀
「水上艦と違い、目標が潜水艦の場合は深さ方向も舵がきかないとならないが」
兼安少佐
「その辺は大変でした」
益子参謀
「迫撃爆雷との使い分けはどうなのか?」
兼安少佐
「迫撃爆雷は火薬で撃ちだすのに対して、こちらはロケットです。そもそも魚雷は高価ですし、更にこの魚雷は自動追尾しますので値段が張ります。ということで2キロ以上離れている場合ですね。安い兵器で間に合うなら、高いのを使うことはありません。実を言ってこのロケット魚雷はまだ各艦数発しかないのです」
益子参謀
「だが潜水艦が近づく前にこれで処理すれば迫撃爆雷はいらない」
兼安少佐
「でも遠近すべての範囲をカバーできないといけません。撃ち漏らしたり発見が遅れて近くまで来られたときの対策は必要です。ロケット魚雷は短距離では撃てません」
益子参謀
「そのときは直接魚雷発射管を使えばいいじゃないか」
兼安少佐
「先ほど言いましたが何事も費用対効果です。迫撃爆雷で済むのに魚雷を使うこともありません」
益子参謀
「これは敵潜水艦が発射した魚雷に対しては使えないのか?」
兼安少佐
「潜水艦と違い魚雷は速いです。ドイツ軍のものは35ノットといいます。ですから追い付けません。単純にスピードを上げても魚雷自身の水切り音で追尾できないのです(注5)同じ理由で船舶に使うなら低速の目標にしか使えません」
竹内司令官
「うーん、いろいろと制約があるのだなあ〜。ゆくゆく魚雷にも使えるよう改良してほしい(注6)
兼安少佐
「承りました」
益子参謀
「潜航していても敵潜水艦の所在が分かるなら、大砲を撃てばよいではないか。戦艦の砲弾は直撃しなくても至近弾の衝撃でも船の鋲は緩まる(注7)
兼安少佐
「戦艦の巨砲ならそれもあるでしょうけど、10センチ砲で5発や6発撃ったところで効果はありません。それに海面に浮いているのではなく潜航していますしね」
益子参謀
「そうなのか。それじゃ爆雷を撃てば?」
兼安少佐
「突き詰めれば砲弾も爆雷も魚雷も、大きさと移動手段が違うだけ本質は同じです。簡単に言えば大きなものを送り出すには大きなエネルギーが必要になり、小さな爆発物では直撃しないと効果がないのです。
それはともかく、あの潜水艦は無事だったのでしょうね?」

下士官が走ってきた。

下士官
「潜水艦から無線が入りました。「本艦に魚雷が命中したと思われる。被害はなし。本艦は命令を完了したので横須賀に帰港する」とあります」
竹内司令官
「任務ごくろうと応えておいてくれ」

そこに水兵がまた走ってくる。

水兵
「新たな潜水艦を発見しました。作戦継続願います」
竹内司令官
「おお、面白くなってきたな」

結局、その後も潜水艦2隻が現れそれぞれから魚雷攻撃を受けたがそれらを交わし、こちらから例の飛翔魚雷を各1発発射し、1隻を撃沈、1隻は逃がした。そこでその日は終わった。

竹内司令官
「本日の訓練予定は終了した。明日は別の潜水艦が派遣され再度攻撃する予定とのこと。
本艦隊は三宅島方面まで行ってUターンして翌朝九十九里沖に戻る。ご苦労だった、では解散」

甲板に最後まで中野中佐と兼安少佐が残っていた。

中野中佐
「夜間、潜水艦に攻撃されるかもしれないね、敵さんは予定外のことをするようだ」
兼安少佐
「どうでしょう、こちらは夜でも見えますが、向こうは探知する能力がないと思います」
中野中佐
「潜水艦同士連絡を取り合っているだろうから、我々の位置は把握しているはずだ。潜水艦も浮上したら18ノット以上出る。この艦隊は今12ノットくらいだ。十分に追いつける」
兼安少佐
「分かりました。夜間も監視体制を継続します」

真夜中1時過ぎ、中野中佐は起こされた。兼安少佐がニヤニヤしている。

兼安少佐
「中野中佐、潜水艦が後方から接近しています。ほぼ真後ろ、距離3,500」
中野中佐
「どうして潜水艦だと分かるんだ?」
兼安少佐
「音波探知機でとらえたスクリュー音が昼間の潜水艦に似ています。同形艦でしょう」
中野中佐
「ほう、流石だね。それでどうするんだ?」
兼安少佐
「どうしましょう、とりあえず司令官と益子参謀長に伝えます」
中野中佐
「そうしてくれ、俺は先にCICに行ってるわ」

数分後、兼安少佐が司令官、参謀長を案内してきた。

益子参謀
「訓練としても、こちらを攻撃する意思があるのかどうかにかかっていると思います」
竹内司令官
「この状況下では模擬戦闘中と判断してよいだろう。兼安少佐、この距離なら例のロケット魚雷だろう、直ちに攻撃せよ」
兼安少佐
「まだ名前がありませんでしたが、もうそれが制式名ですね。浮上している潜水艦にはもったいない気もしますが。
方位140度、距離3,100、砲撃も可能な距離です」
益子参謀
「お前なあ〜、後ろの艦砲は撤去して艦橋前に一門しかないんだ。後ろには撃てんだろう」
兼安少佐

「了解しました」

兼安少佐は計器盤のいくつかのボタンを押してから赤いボタンを押す。

兼安少佐
「発射しました。あとは数十秒待つだけです」
竹内司令官
「発射音がせんが」
兼安少佐

「この船からではなく敵潜に近い右後方の駆逐艦から攻撃しました」

益子参謀
「なんと、ここで別の艦の兵器を操作できるのか?」
兼安少佐
「説明会で伊丹室長がお話しましたが、各艦の監視装置も兵器もここで操作することができます」
竹内司令官
「イヤハヤ、ひとつの船でも射撃を集中管制しているのは主砲くらいだ。それをこの装置は艦隊のすべての兵器を管制するのか」
兼安少佐
「戦いは団体競技なんですよ。優れた人が一人いるよりも、並みの人が力を合わせて戦う方が勝つ確率が高まります。それと兵器というと攻撃するものに注目しますが、敵を探すとか狙いを付けるための計算機あるいは電話などの連絡手段も重要な脇役です(注8)それらも集中管理しないと」

そのとき電話が鳴った。兼安少佐が受話器を取る。

兼安少佐
「艦橋からです。潜水艦から魚雷が命中したと報告があったそうです」
竹内司令官
「協力に感謝すると返してくれ。しかし連中も休みもなく大変だな」
中野中佐
「欧州の戦いが、いつこちらまで及んでくるかもしれませんから、彼らも実戦と思っているのでしょう」

うそ800 本日の言い訳
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注1
出典:アメリカのウイキペディア U-boat Campaign (World War I)

注2
出典:「B-29日本爆撃30回の実録」、チェスター・マーシャル、ネコパブリッシング、2001、ISBN9784873662350

注3
砲熕兵器とは大砲のたぐいをいう。大砲と書けば誰でもわかるけど、なぜか専門書とか軍オタは砲熕という。咆哮するからか?
なお、「熕」でなく「煩」と書いているものもあるが、それは誤字である。

注4
これはアスロックの真似です。本家アスロックはこの40年後の1961年です。
ロケットもロケット弾も昔からありました。ですからロケットで爆雷を遠くまで飛ばすことは可能でした。でも潜水艦を見つけることができなければ意味がありません。
アスロックが登場したのは、ソナーの進歩によって探知距離が数キロ以上に広がったからだそうです。潜水艦を遠くから発見できるようになれば、わざわざ近くまで行って船から爆雷を転がして落とすとか射程数百メートルのヘッジホッグを撃つというのではなく、潜水艦のそばまでロケットで爆雷や魚雷を送り込むという発想が生まれた。当初のアスロックはソナーの能力に合わせて射程1.5〜5キロでした。しかしそこまで到達する間にも潜水艦が移動するので、爆雷でなくホーミング魚雷が必要となったということです。

注5
世界初にホーミング魚雷を作ったのは第二次大戦のドイツ。当時のものは自身が発生させる水の音の影響を受けてしまうので20ノット以下だった。現在のMk50や97式魚雷では50ノット以上になる。

注6
現在でも魚雷を攻撃できる魚雷は実用化されていないようだ。ロシアは魚雷ではなくRBU12000という魚雷迎撃ミサイルを保有しているが、その有効性は不明です。

注7
当時の船は溶接構造でなく、鋲(リベット)を加熱して叩いて組み立てた。そのあとコーキングと言って、板の重なり部とリベットの頭の周囲をタガネで叩き、水漏れしないように密着させる。昔の造船所はものすごい騒音がしたが、それはリベットを叩く音とコーキングの音です。
大きな砲弾は直撃しなくても水中で爆発すると、近くの船はその衝撃でコーキングが緩み、浸水の原因となった。至近弾で浸水被害を受けた事例(空母 龍驤・駆逐艦 磯風など)は多々ある。
リベットから溶接に代わったのは、日本でも外国でも第二次大戦の中頃で、当初溶接は信頼性に問題があったが、採用が広がったのは資材節約、短納期などの時代の要請があったからだ。「鳶色の襟章」(堀 元美)に当時の状況が書いてある。

注8
太平洋戦争で特攻機が米艦の対空砲火で墜とされ、それに対して日本の軍艦が米軍の航空機攻撃に対応できなかった差は、射撃管制の仕組みが未熟だったからという書籍が多々ある。


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