異世界審査員58.船団護衛その5

18.02.12

*この物語はフィクションです。登場する人物や団体は実在するものと一切関係ありません。
但し引用文献や書籍名はすべて実在のものです。民明書房からの引用はありません。

異世界審査員物語とは
私は大学に行けなかったので、しかたなくというかせめてもというか、社会人となってから産能短大の通信教育を受講した。1960年代当時はオペレーションズリサーチの経営へ応用が流行していて、ORは産能短大の教科の一つだった(注1)
ORの細かい手法など忘れたというか覚えもしなかった。なにしろ今から50年前、パソコンどころか電卓もなく、線形計画法のシンプレックスタブローなんてソロバンと計算尺でやった。今はエクセルで簡単に解が求められる。ともかくそんな状況だからOR科目と言えど問題を数こなしたわけではなく、いろいろな手法の説明を聞いただけで終わった。

でも今そのときの教科書に載っていた事例をふたつ覚えている。
Uボート ひとつは、第二次大戦での大西洋の船団護衛で、アメリカからイギリスへの輸送船は小規模の船団で密かに行った方がいいのか、100隻以上まとめて護衛艦もたくさんつけて行った方がいいのかというイシューである。
小船団で護衛も少なければ心細いだろうが、それゆえ見つかりにくく、小回りもききUボートを振り切れそうに思える。一方大船団で行けば護衛艦も多くなるから安全と思えるが、輸送船の性能のばらつきも大きくなり船団のスピードは遅くなるし、Uボートに見つかる可能性も大きくなる。更にUボートは大きな獲物を発見すると即攻撃せず仲間に知らせるので多数のUボートが集まってくるから危険が増す。じゃあどうするかとなると、そこでオペレーションズリサーチですよ。回答というか結論はネットで調べてください。

もうひとつは日本の特攻機に対する対空砲火である。特攻機に限らず飛行機に襲われたとき、軍艦は攻撃を避けようとジグザグに回避運動するが、そうすると軍艦からの対空砲火の狙いがつけにくくなる。他方、軍艦が直進していれば対空砲火は命中しやすくなるが空からの攻撃を受ける危険が増す。どちらがベターか考えても分からないから、実戦で実験をしたそうだ。
実験計画法ではなく実戦計画法かな?
結果、駆逐艦など小艦艇は回避行動をせずに対空射撃に専念し、空母など大型艦は対空射撃よりも回避行動に専念するのが被害を減らすという結果だった。

第一次大戦の飛行機
ランチェスターの法則
は空中戦から導かれた
ORは第二次大戦の輸送船団護衛検討が始まりと言われているが、第一次大戦時にも船団護衛方法が検討されたそうだし、ランチェスターの法則(注2)もORのはしりだ。なにしろ作戦研究(オペレーションズリサーチ)だから。
当然、相手方も研究する。もちろん一方だけが得する解はない。お互いに利益を最大化するか損失を最小化する方法を選べば落ち着くところに落ち着くというのが数学上の解だが、実際にはそれでは満足できない。国家の命運を懸けた戦争なのだから勝たねばならない。
ではどうするかとなれば、技術開発は選択肢を増す、戦線の範囲を広げたり狭めたりして彼我の勢力比を有利にする、情報戦をしかけるなど工夫する。あるいは短時間で戦いのパターンを変えていくという策もある。だが結局イタチゴッコとなる。
より根源的に低レベルの戦いをきっぱりと止めようとするなら、より上位の戦略レベルで目的を変えるしかない。それは作戦研究よりレベルが上位となるstrategy research(戦略研究)というものになる。そしてブルーオーシャンを目指すのだ。といっても今度はそのステージでコンペティターと戦うのは逃れようがない運命ではある。

竹内司令官率いる20隻の護衛艦隊はパナマ運河を通り(注3)アメリカ東海岸に到着した。そしてバージニア州のノーフォーク軍港の一番隅っこに停泊させられた。
まだアメリカは参戦していないがイギリスの同盟国であり、参戦前からイギリスを支援していた。そういう関係で扶桑艦隊の停泊地と燃料などを提供したわけだ。とはいえ猫の手も借りたいイギリスならともかく、アメリカにとっては東洋の後進国である扶桑国など眼中にない。そのせいで対応もけんもほろろで埠頭も最悪の場所なのだろうが、結果として人目に付かなくて良かったのではある。
アメリカからイギリスまでの輸送船を護衛するといっても、何隻の船団なのか、何隻の護衛艦で守るのか、航路はどうか、船団に加わる輸送船のばらつきはどうなのか、などによって船団護衛の方法は変わる。
幸子は政策研究所で武器や船団護衛の方法を検討する前に、イギリス側とそこは打ち合わせていた。もちろん実行に当たって方法が変わるとか、船団規模は都度代わるのは当然だろうし、そうなると使うべき兵器や戦術が変わってしまう。

さて、現地に来てみればどうなるのか?
到着するとすぐに随行してきた補給艦から各艦への弾薬の移送とか、アメリカから提供を受けた食料の積み込みなどをする。竹内司令官は益子参謀長と共に、基地内のイギリス海軍のオフィスに出向く。
イギリスの将官ひとりと士官が数人、竹内司令官らに状況説明と実施事項の打ち合わせをする。

イギリス大佐
大佐
「現在アメリカからの輸送船だけで、毎日30隻くらい出港していく計算になる。もちろん一つの港からじゃない。今までは数隻の輸送船に護衛の駆逐艦とかフリゲートをつけて航海していたが、今年1916年に入って損害は1割を超えている」
竹内司令官
「1割ですか・・・大変な被害ですね」
イギリス中佐
中佐
「そこで今回テストケースとして150隻の船団にまとめていく。その船団護衛を扶桑艦隊に頼みたい。我が方からも駆逐艦2隻をだす」
益子参謀
「我々も船団護衛方法を検討してきました。最善を尽くします」
イギリス大佐
大佐
「輸送船はここからも出港するが、あちこちの港から出た船がこの沖合50キロの地点で終結することになっている」

ということで今扶桑艦隊は幸子の計画した通り、前面の露払いと左右の護衛そして後方の殿軍で箱を作って、その中に輸送船を囲い込む形作りをしている。
イギリスは監視の意味もあるのだろうが、旗艦「四万十」に二人の士官を派遣してきた。そして最後尾にイギリス駆逐艦が2隻ついてくることになった。

輸送船が集まるのに二日かかり、いま船団は10ノットほどで大西洋を東に向かっている。四万十の艦橋には艦長がいるが、竹内司令官はいない。イギリス士官はなぜ司令官がいないのか不思議そうだ。

船団の絵
注:
Uボートの本(注4)を読むと水平線の彼方に山火事のように煙が見えて、船団がいるのが分かったと書いてある。
それじゃソナーもレーダーもいらないじゃないか。

先頭の旗艦から後方を見ると、水平線一杯に船団が広がりたくさんの煙突からは黒い煙が数十条立ち上がっている。これだけ煙が上がっているのだから、潜水艦の視点が低いとはいえ、数十キロかなたからでも見えるはずだと艦長は思う。
艦長
巡洋艦長
九十九里沖での対戦訓練に参加し対潜戦術について研修を受けているが、大丈夫なのかいささか心配だ。
艦長は対潜戦どころか実戦経験がない。ロシアとの戦争のときは横須賀鎮守府にいて小型の砲艦で湾内の警備にあたっていた。対馬沖海戦で東郷平八郎提督以下、将官から士官から海兵に至るまで大量の戦死者が出たために昇進が早くなり、いつの間にか軽巡の艦長になっていたというのが彼の経歴である。
もちろん九十九里沖での訓練では、こちらは無傷で潜水艦を何度も撃沈しているが、ドイツのUボートは手ごわいだろうからそんなにうまくいくとは思えない。そもそも艦長たる自分が操艦だけで良いのかそれも不安だ。
そして同乗しているイギリス士官二人は、あからさまに扶桑艦隊の力を見下している表情だ。とはいえ船団護衛の対潜艦隊が足りないから扶桑国に支援を依頼してきたのだろうけど
イギリス大佐
大佐
「艦長、周囲に駆逐艦がいるが、しっかり見張っているのだろうね?」
艦長
「もちろんです。我が扶桑海軍は精鋭ぞろいです」
イギリス中佐
中佐
「精鋭であることを期待するよ。ドイツのUボートは優秀な猟犬だからね。この船団と同時にニューヨークからも100隻くらいの船団がイギリスに向かっている。向こうが無事についてこちらが打撃を受けたなんてことになると・・」
艦長
「さようなことはないと思います」
イギリス大佐
大佐
「そう期待したい」

電話が鳴った。

艦長
「エッ、正体不明の潜水艦ですか。まだノーフォーク沖ですよ。Uボートはいないと思いますが。
・・・
承知しました。確認を取ります。
大佐殿、この船団の右側20キロほどのところに潜望鏡を見つけたそうです。イギリス海軍の潜水艦でなければ直ちに攻撃します」
イギリス大佐
大佐
「えっ、もう見つかちゃったの?」
イギリス中佐
中佐
「ああ、それはイギリス海軍の潜水艦だ。護衛のために同航する予定だ」
艦長
「司令官、イギリス海軍の潜水艦だそうです
司令官より、イギリス海軍の潜水艦は何隻かという問い合わせです」
イギリス大佐
大佐
「1隻だ」
艦長
「その潜水艦の後方2000にもう一隻いるそうです」
イギリス大佐
大佐
「なんだって? するとどちらか1隻はUボートか」
艦長
「イギリス海軍の潜水艦を見分ける方法はありませんか?」
イギリス大佐
大佐
「ない。確認のために浮上させよう。浮上しない方がドイツのUボートだ」
艦長
「アメリカ軍の潜水艦ということはありませんか?」
イギリス大佐
大佐
「それはない。アメリカの潜水艦の所在はつかんでいる」
イギリス中佐
中佐
「後方の駆逐艦に無線を打ちたい。イギリス艦からの無線なら信頼して浮上するだろう」

しばしやり取りがあった後、最初に見つかった潜水艦が浮上した。後方の潜水艦は潜航したままだ。

艦長
「竹内司令官より、浮上しない潜水艦を攻撃するという連絡です」

20キロも先に潜航している潜水艦が見えるわけはないが、二人のイギリス士官は艦橋の窓から遠く水平線を眺めた。

イギリス大佐
大佐
「どのように攻撃するのか? ここからどれくらい離れているのだろう」
艦長
「4時の方向、13カイリというところでしょうか」
イギリス大佐
大佐
「そんな遠くどうして見つけたものやら」
艦長
「この船が見つけたわけではありませんよ。右側後方にいる駆逐艦です」
イギリス中佐
中佐
「攻撃もその駆逐艦からか?」

ドーン

ドーン

艦長
「そうです。ここからは見えないでしょう」
数分後、電話が鳴った。
艦長
「ハイ、撃沈ですか、了解伝えます。
司令官からです。敵潜水艦を撃沈したそうです」
イギリス中佐
中佐
「そんなに簡単にいくものか!」
イギリス大佐
大佐
「ほんとうか? 一体どうやって?」
艦長
「この艦隊は貴国と違って、私は操艦のみ行っており、索敵と攻撃は竹内司令官が直々に担当しています」
イギリス中佐
中佐
「どこで?」
艦長
「艦内の戦闘指揮所です」
イギリス大佐
大佐
「それじゃそこに行かなくてはいけないね」
艦長
「申し訳ありませんが、関係者以外、私も含めて立ち入り禁止です」
イギリス大佐
大佐
「しかし我々は船団護衛の状況を知らなければならない。どのような方法で索敵しどのように攻撃したのかを知らないと信用できない」
艦長
「イギリスに無事着けば信用されるでしょう」

数分後、竹内司令官が艦橋に登ってきた。

竹内司令官
「この船団はUボートに取り囲まれているようだ。先ほどの潜水艦の他に左舷側に1隻、後方にも1隻追跡しているのを確認している。後方の潜水艦は堂々と浮上して付いてきている」
イギリス大佐
大佐
「たぶん他のUボートにも伝えたでしょうから更に集まってくるでしょう」
竹内司令官
「そのようだね。イギリスの潜水艦は輸送船の列に入ってもらったらどうかね」
イギリス大佐
大佐
「えっ、我が潜水艦はUボート攻撃用に配置しているのですよ。守ってもらう立場ではありません」
竹内司令官
「しかし敵潜水艦に気が付かないようじゃしょうがない」
イギリス中佐
中佐
「扶桑国はどのような方法で索敵、攻撃をしているのか?」
竹内司令官
「それは説明できない。ただどこに潜水艦がいるかは教えられる。実際に貴国の駆逐艦には常時情報を伝えている。先ほど、ここから無線で知らせたようだがそれは必要ない」
イギリス大佐
大佐
「しかし貴方の方法が適切か否か知らねば我々は任務を果たせない」

そのとき電話が鳴った。艦長が受話器を取るがすぐに竹内司令官に渡す。

竹内司令官
「また来たか、今度はどちらだ? 左舷外側駆逐艦の更に外3000、近づいていると・・分かった。(注4)
イギリス大佐
大佐
「貴方の戦闘指揮所というところを見学したい」
竹内司令官
「うーん、考えるからちょっと時間をくれ。それはさておき、こちらを片づけなければ・・・
CIC、敵潜が魚雷を撃つと面倒だから早いところ片付けろ。ワシもすぐにそちらに行くが、ワシを待たずに攻撃開始すること」

竹内司令官はすぐに艦橋を去り、手持ち無沙汰のイギリス士官二人は、今度は左側の窓から海面を眺める。とはいえ隣を進む左側の駆逐艦がはるかかなたに小さく見えるが、今迫っているUボートがそれよる更に10カイリは離れている。見えるはずはない。
電話が鳴り、また潜水艦撃沈の報告がある。

30分ほどしてCICからイギリス士官へ電話が入る。
CIC見学を許すという。艦長は水兵に二人の案内を頼んだ。これで静かに操艦できる。しかし索敵にも攻撃にも関わらない艦長など輸送船の船長と変わらないと自嘲する。

CICの入り口には銃を持った水兵が二人立哨している。立哨兵はドアを開けた。
竹内司令官が待っていて中に案内する。狭い部屋にブラウン管らしきものがいくつか並んでいる(注5)そしてそれらの機器を操作している下士官が数名と、竹内司令官そして参謀が数人いた
イギリス大佐
大佐
「このブラウン管の光点は艦艇の位置情報を表示しているのか?」
兼安大佐
「私は兼安と申します。護衛艦各艦や輸送船から潜水艦や怪しい船を見たという情報があればすべてインプットします。それらはまとめてこの表示器に表されます。そして護衛艦が個々に確認し問題ない場合はその旨表示し未確認のものは継続監視します」
イギリス大佐
大佐
「潜水艦を簡単に見つけることができるのか?」
兼安大佐
「貴国にはハイドロフォンという潜水艦の音を聞く装置があると聞きます。我が国にも類似の装置があるのです(注6)
イギリス中佐
中佐
「ハイドロフォンだって、あれは実戦配備されてまだ間もないぞ。どうしてそんな機密を知っているんだ!」
兼安大佐
「同じ人間ですから似たようなものを考えるのは当然ですよ。とりあえずご覧のようにこの船団は右1隻、左3隻、後方1隻のUボートに囲まれているようです。これからますます増えるでしょう」
イギリス大佐
大佐
「兼安大佐はだいぶ落ち着いておりますな」
兼安大佐
「慌てることはないでしょう。全周を護衛艦が囲んでおりますし、護衛艦列から輸送船までは5カイリは離れています。我々の聞いているところではドイツ潜水艦の魚雷は射程6000ですから、護衛艦の外側から発射しても届きません」
イギリス中佐
中佐
「護衛艦の隙間を縫って入り込むかもしれない」
兼安大佐
「どうでしょうか。御覧なさい」

兼安はブラウン管を指さした。敵潜水艦と思われる光点に護衛艦が向かっている。
イギリス大佐
大佐
「爆雷攻撃か?」
爆雷

見ているうちに光点は近づいた。下士官がレンジを切り替えると狭い範囲が拡大されて光点はまた二つに分かれた。
イギリス大佐
大佐
「この二隻はどれくらい離れているのか?」
兼安大佐
「今の尺度はブラウン管の直径で5000です」
イギリス中佐
中佐
「ということは350くらいか」

そのとき潜水艦とおぼしき光点の周囲に光点がいくつも表示された。そしてそれが消えたとき潜水艦の光点も消えた。

イギリス大佐
大佐
「これは?」
兼安大佐
「護衛艦が爆雷攻撃をして潜水艦が破壊されたようです。光点が消えたのは潜水艦が音を出さなくなったからです」
イギリス中佐
中佐
「エンジンを止めて静かにしているかもしれんぞ」
兼安大佐
「そうですね、護衛艦からの報告を待ちましょう」

下士官が黙って兼安大佐に受話器を差し出す。

兼安大佐
「おお、撃沈か? 証拠は? 海面に船体の破片と油が大量に浮いてきた・・了解、ご苦労。
おっと、もう二番手が君の左2000に近づいてきたぞ、まあ君のことだ、気が付いているだろうけど」
イギリス大佐
大佐
「その・・・電話で護衛艦と話していたのか? 電信でなく電話で?」
兼安大佐
「はっ、貴国では無線電話が一般的ではないのですか」

Uボートを3隻撃沈したとき、まだ周囲には数隻のUボートがいたが、みるみるうちに船団から離れていって検知範囲から消えた。

竹内司令官
「今日はもう終わりだろう。もちろん体勢を立て直してまたくるだろうけど」
兼安大佐
「今夜来ますかね」
竹内司令官
「どうかな、こちらはいつでも構わんが」

竹内司令官はイギリス士官を連れて艦橋に戻った。そうしないといつまでも機械に触ったり質問したりが止まらないようだった。

その夜は平穏に過ぎ、翌日も平穏に過ぎた。
翌々日の朝、扶桑艦隊が護衛している船団の北約100キロをニューヨークから出た船団が航海しているのだが、それがUボートの集団に襲われて130隻中なんと30数隻が撃沈されたと連絡が入った。あげくに撃沈したUボートはゼロとのことだ。

「四万十」艦橋である。
兼安大佐
「今時点はどうなのでしょう。攻撃は終わったのでしょうか?」
イギリス大佐
大佐
「一旦攻撃はやんだようだ。魚雷を使い切ったのかもしれない。攻撃に当たったUボートが10隻として、Uボートの形式はいくつかあるが搭載魚雷を平均8本とすれば80本、全弾発射して半数が命中したとして30数隻被害というのは十分納得できる数字だ」
竹内司令官
「我々を襲ったUボートの群れがみな向こうに行ったようだね」
益子参謀
「向こうに大損害を出したなら、今度は全力でこちらに向かってくるだろう」
イギリス中佐
中佐
「いやこちらの守りが固いと知って向こうの船団を壊滅させることになるのではないかな」
イギリス大佐
大佐
「いずれにしても魚雷や燃料を補充しなければならんだろう」
兼安大佐
「魚雷などは洋上で補給できるのですか?」
イギリス大佐
大佐
「できなくはない。ドイツは補給艦を配置している。しかし海上での作業は困難だろうな。港に帰ってしたいだろう(注4-1)
益子参謀
「ということは一旦港に戻って出直してくる前に我々はイギリスに着いてますよ」
イギリス大佐
大佐
「益子参謀長、そんな甘くはない。Uボートは大西洋中にたくさんいるのです。既に大きな船団がいると連絡を受けて、Uボートの10隻や20隻が我々に向かって集まってきていますよ」
兼安大佐
「ということは向こうの船団を狙うか、こちらの船団を狙うかのいずれかということですかね。
艦長、向こうの船団までどれくらいだ?」
艦長
「70カイリというところでしょう。向こうとこちらが会いよれば3時間ですかね」
兼安大佐
「向こうの船団護衛は何隻ですか?」
イギリス中佐
中佐
「駆逐艦6隻、コルベット3隻だったが・・・・駆逐艦1隻が沈められた」
竹内司令官
「兼安大佐、船団を一つにして護送するのか?」
兼安大佐
「輸送船の数がこちらが100隻、向こうが60隻なら、今の陣容で十分囲めるでしょう。面積が6割増しでも辺の長さは2割5分増しですから。若干護衛艦の間隔が広がりますが問題ありません。
向こうの船団と連絡してもらえませんか。大西洋の真ん中ですから逃げるとか戻るという選択はありません」

午後遅く二つの船団はひとつになり東進した。
その夜である。護送船団は20数隻のUボートに囲まれたようだ。
イギリスの士官に一旦見せたからには、電波探知機と計算機そしてロケット魚雷を見せないことにしてCICに入れることにした。

益子参謀
「右舷にUボート5隻、左舷に8隻、後方5隻、前方を除いて両側面と後方を囲まれたようだな」
兼安大佐
「囲まれたなんて弱気ではいけません。餌に食いついたといいましょう。
さて、どう料理しましょうか。とはいえ船団を守るという目的からは戦って勝つよりも、追い払った方が良いのですが」
益子参謀
「左右のUボートを片づけることはできるか?」
兼安大佐
「左舷は外側駆逐艦から距離3カイリ、右舷も外側駆逐艦から3カイリ、まだちょっと遠いですね。あと半カイリ近づいてほしいところです。
左右とも我々と同じ距離ということは同時に攻撃するつもりですかね」
下士官
「右前方、東南からUボート2隻が接近中、本艦より距離20カイリ」
イギリス大佐
大佐
「20カイリだって、そんな遠くの潜水艦が見えるのか、それとも音が聞こえるのか」
下士官
「左からUボート3隻が接近中、距離19カイリ」
益子参謀
「数が増えるとまずいな、兼安大佐、すまないが近づいてくる左右の潜水艦を片づけてほしい。敵が勢いづく前にダメージを与えたい」
兼安大佐
「了解しました。今護衛駆逐艦から2.5カイリ、射程に入りました。左右の潜水艦を魚雷攻撃します。後方のイギリスの駆逐艦と我が艦隊の護衛艦は反転して後方のUボートに爆雷攻撃をしてください。」

兼安大佐は操作卓に座ってパタパタと入力し、無造作に攻撃ボタンを押した。

兼安大佐
「同時に左右5隻に対して攻撃しました。目標まで100秒」
イギリス大佐
大佐
「このように彼我の状況がビジブルなら海戦も楽だなあ〜」

皆が壁にかかっている大きな時計を見つめる。分針が二回りする前に駆逐艦から電話が入る。

兼安大佐
「右舷の潜水艦2隻撃沈、左舷1隻撃沈、左舷の2隻は撃ち漏らしたようです。左舷の護衛艦2隻が向かっています」

ブラウン管には船団を横切って輸送船に近づいている潜水艦の光点が二つ見える。とはいえまだ輸送船までは10キロは離れている。
護衛艦の光点は潜水艦の光点に向かって近づいている。

益子参謀
「兼安君、魚雷はダメか?」
兼安大佐
「もう今となっては潜水艦に近づきすぎて爆雷攻撃しかありません」

電話が鳴り、益子参謀長がとる。

益子参謀
「ああ、了解、ありがとう。
みなさん、後方のUボートだが、イギリスと我が軍の護衛艦で1隻撃沈と報告があった」

そのときブラウン管から左側の潜水艦の光点がふたつ消えた。

益子参謀
「フー、とりあえず当面の敵は撃破か、右方のUボートはどうだ?」
下士官
「面舵を取って大きく旋回して船団から離れていきます」
益子参謀
「左舷と後方のUボートはどうか?」
下士官
「すべて画面から消えて以降現れていません。最低17カイリは離れました」
益子参謀
「じゃあ戦闘態勢解除、監視は続行」

それから二日後の夜、再び10隻近くのUボートからの攻撃を受けた。
だんだんと益子参謀長が要領を得てきて、兼安大佐は身を引くようにしている。今回も最接近した数隻のUボートを撃沈したら、他のUボートはさっと消えていった。無駄に損害を増やさない、損切りが徹底しているようだ。
それからはイギリスの港に入るまでUボートの接近は皆無だった。
手手
唯一発生したトラブルは、カーテンで隠した電波探知機を見ようと近づいたイギリスの中佐を、そばにいた下士官がわざとその士官にぶつかり尻もちをつかせたことくらいだ。
士官が立ち上がると、その下士官は「わしはこの艦隊の相撲大会で優勝したんじゃあ」と訳の分からないことを言いながら、突っ張りでその士官を甲板に押し出してしまった。空気を読んだ下士官のボランティア活動であった。
苦笑いしてそれを見ていた益子参謀長は、すぐに機関長を呼び、電波探知機部分を鋼板で仕切りドアには施錠した。
それからはイギリス側も無理に覗こうとせず、外交交渉で新兵器の情報をもらおうと決めたようだ。

最初の航海は無事任務完了である。扶桑艦隊の損害は皆無である。
扶桑艦隊はその後、大西洋横断護衛を月一回のペースで従事した。それ以降も何度かUボートの攻撃を受けたが、三度目の航海からは扶桑艦隊を襲うUボートはなくなった。いや扶桑艦隊に限らず、輸送船団を襲うUボートが激減した。
結局予定の1年を待たずに仕事がなくなったという理由で早めに帰国することになった。10か月間で扶桑艦隊にUボートによる被害はなく、イギリス入港時にドイツ潜水艦が設置した機雷に蝕雷して、手の施しようがなくなった駆逐艦一隻を自沈処理したのみである。電子機器類を爆破処理したのは言うまでもない。

扶桑帰国に当たり最後にポーツマス港を出る時はブラスバンド演奏もなく特段の感謝の式典もなかった。Uボートの攻撃がないのだから、護衛も不要で感謝することもないということなのだろう。
伊丹のいた世界では1916年の1年間で2百万トン以上・約600隻の輸送船が沈められたが、こちらでは扶桑艦隊の功績なのかどうか、80万トン約250隻の被害で終わった。

扶桑艦隊が帰国の途につきパナマ運河まで来たとき、横須賀から電信が入った。
読むと、扶桑艦隊が去った後、Uボートの活動が活発になり過去10日間で70隻が撃沈されたとある。早急にUターンしてノーフォークに戻れとある。
竹内司令官は苦笑いして益子参謀長に手渡した。
益子参謀
「もうロケット魚雷は打ち尽くしましたし、迫撃爆雷もわずかです。なにはともあれ一旦帰国して乗組員の休養と船を整備してからでしょう」
竹内司令官
「それしかないな。そう回答しよう」

うそ800 本日の悩み
こんな駄文を書くにも参考図書を読みます。潜水艦関係はもう20冊は読みました。本をどこで読むかということが問題です。テレビのある部屋は家内がテレビを観ているので私は気になって本を読めない。パソコン椅子では本を読む雰囲気ではない。
ベッドの上で腹ばいになって読むのも・・なかなか大変なのです。

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注1
当時聞くところではアメリカには「OR修士」という学位があったとか。日本ではOR専攻しても授与されるのは経営学修士か工学修士らしい。日本のgoogleで「OR+修士」で検索すると「博士 or 修士」というものしかヒットしなかった。
そこで思ったのが、もし履歴書にOR Masterなんて書いたらBachelor or Masterなんてからかわれる・・なんてことはないのだろうか。
USAのgoogleでググったら、現在MITなどでORの修士課程がある。もっともそこで授与される学位名がmaster of operations researchなのか、そうではなくMaster of ScienceあるいはMaster of managementなどかは分からなかった。

注2
ランチェスターの法則はいろいろと複雑だが、簡単に言えば「双方が同じ兵器であれば両軍の勢力比は兵力の2乗となる」ということだ。1機と2機の飛行機が戦えば、その戦力の比は1対2ではなく1対4になる。1機の方はほぼ負けるということだ。
それは戦争に限らない。コンビニの店舗数、車ディーラーのセールスマン数、化粧品のCM回数、誹謗中傷、数は力だ、それは否定できない事実である。

注3
パナマ運河は第一大戦開戦直後の1914年8月15日に開通した。

注4
下記書籍を参考にしました。
  1. 「Uボート戦士列伝」メラニー・ウィギンズ、早川書房、2007、 9784152088178
    ハッキリ言って、思い込みとか創作とかあるように思える。でも著名な人の話よりも生々しい。下記の「鉄の棺」よりも面白い。
    Uボートは日本海軍の潜水艦と違い小型・短距離用で、洋上で補給艦の支援を受けた。しかし第二次大戦時でも、補給船から魚雷を移送するのに、1本2時間、4本も補給すると1日かかりとあった。(p.65)
  2. 「鉄の棺 Uボート死闘の記録」ヘルベルト・ヴェルナー、中央公論社、2001、412003108
    最後まで生き残った数少ないUボート艦長の自伝。ただ訳者は注記で史実と齟齬あるところを指摘しており、脚色というか創作もあるようだ。
    それはともかくUボート乗りは辛いというのがよく分かる。訓練中とか事故で死傷や沈没が多発する。一方上官は死ぬ危険もなく、女をはべらし飲み食いしているとか、戦争末期になるとUボートに特攻命令がでたとか、どこの国も苦労するのは現場だなあと悲しくなる。
    なお齋藤 寛他、同名の「鉄の棺」という書籍がいくつかあるので注意。
  3. 「潜水艦攻撃」木俣滋郎、光人社、2016、9784769829492
    日本海軍だってアメリカにやられっぱなしってことはなかった。日本海軍が沈めたアメリカ潜水艦についての戦術考察

注5
オシロスコープ
こんな絵を描いて時間をつ
ぶしていてはしょうがない
ブラウン管は1897年にドイツのブラウンが発明した。そしてすぐに1899年にオシロスコープが発明された。
第一次大戦前からテレビの研究が盛んにおこなわれていた。だから科学技術に興味のある人はブラウン管なるものを見知っていた。
 出典:ブラウン管開発110年の歴史

注6
ハイドロフォンとは元々は水中通信機として開発されたものの受信機部分である。通信機としては成功しなかったが、水中の音を受信する機能を使って潜水艦の索敵に使われた。開発は1914年、実戦配備は1916年である。パッシブソナーの元祖である。
 出典:Sound in the Sea(World War I: 1914-1918)
ソナーのないとき、潜水艦に攻撃されたら逃げるだけしかなかったのかと思ったが、よく考えると潜水艦もソナーがないのだから、どっちもどっちで同じことなのだろうか?

なおアクティブソナーの草分けはASDIC(1920年)である。第二次大戦のUボートのお話には「アズデックに追い詰められた」というフレーズが多々出てくる。潜水艦を探す船のアズデックが出す音は14kから20kHzの可聴範囲で大出力であったので、船体を通して潜水艦の乗員に聞こえ恐怖を煽ったという。
音は何種類もあり、下記URLで実際の音を聞くことができる。
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外資社員様からお便りを頂きました(2018.02.13)
おばQさま
ついに船団護衛で無双な状況ですね。 技術・戦術格差を考えれば当然でしょうか。
無線音声での指揮、CICなどは、太平洋戦争で実現できなかった夢ですね。
こういう事ができれば、勝ちはしなくても、もう少し被害が少なかったでしょうね。

>OR
さすが、お勉強されていたのですね。 合理性があるお話に納得です。
私の通った大学で、80年くらいに教養学部の大学院に戦略研究科ができて、ここでORを中心にした研究が始まりました。
左がかった学生と、市民?団体が来て、戦争の準備だと騒いでおりました。
授業ではゲーム理論などもあって、ゲームの勉強をしていると騒いでいる笑止な人もおりました。
なぜか、日本では、こういう研究を嫌う変な人たちがおります。
ORは戦争だけでなく、企業経営にも役に立つ学問なのです。
当時学生だった私は、数学で戦略や戦術最適化がどのように表現されるか判って眼から鱗でした。
流通経路の最適化(複数の荷物を複数の配達先へ送る)などは典型で、このアルゴリズムだけで高給をとれます。(企業にとっては、配送コストの大軽減ですから)
自動運転などでも当然に同じなのです。
裏返せば、こういう分野の研究遅れが、今の先端分野で勝てない一因だと思います。

外資社員様 毎度ありがとうございます。
ORはやはり考えるだけではダメで、実際に計算なり実験することが必要です。1970年頃にパソコンがあったらもっと楽しく勉強できただろうと思います。
無線電話は旧軍はロクなものがなかったらしいですね。
それよりもうちのオヤジはなんとかいう重巡が伝声管でなく電話が付いていたと驚いたとか言っていました。親父が海軍工廠にいた頃ですから昭和16年頃だろうと思いますが、そんな話を聞くとガックリ来てしまいます。
Uボートの戦いはこの半月そうとう本を読みました。私の住んでいる市図書館の蔵書で「Uボート」をキーワードにして引っ掛かった本は小説以外全部読みました。
Uボートも対潜部隊も大変だったろうと思いますが、最終的には小野田寛郎の「戦闘は錯誤の連続なり、錯誤を速やかに発見し、修正したものが勝利を得る」通りというか、そのもので、攻守とも教科書通りどころか失敗に失敗を重ねてそれでも失敗の少ない方が勝つという感じですね。
第二次大戦末期、Uボート艦長に魚雷を撃ち尽くしたら敵艦にぶつかれという命令が出ていたと初めて知りました。特攻は日本の専売特許ではなかったのですね。そして日本同様に命令を出した上官は終戦になると素早く知らんと逃げてしまう。
そしてUボート艦長は戦勝国に殺人罪で起訴されるとか、まあ踏んだり蹴ったりです。もっとも終戦時に生き残ったUボート艦長は数十人しかいなかったようです。ひどいもんです。

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