*この物語はフィクションです。登場する人物や団体は実在するものと一切関係ありません。
但し引用文献や書籍名はすべて実在のものです。民明書房からの引用はありません。
1916年暮である。今日の午後、伊丹邸に中野中佐と高橋閣下が遊びに来るのだ。接待なら料亭の方が面倒はないが、幸子がお世話になっているからぜひ21世紀の料理と酒を味合わってもらいたいと自宅に招待した。
もっとも伊丹邸に訪問するのは簡単ではない。いやしくも帝族につながっているお方と現職の大蔵大臣閣下である、同僚宅に遊びに行くようなわけにはいかない。事前に警察官が10名ほど来て伊丹邸と近隣の調査、警備体制の検討などしていった。当日は護衛も付いて来るそうだ ![]() 幸子は朝から二人の女中にあれこれ指示して張り切っている。伊丹は掃除でもしようかと言うと、そんなことは既に手配済みで、その辺に行って時間をつぶしてこいと言われてしまった。 約束の少し前に、中野中佐はいつもの通り歩いて、高橋閣下は人力車でやって来た。護衛はそれぞれ2名程度だが、実際には私服があちこちにいるのだろう。 幸子は大喜びで二人の外套を脱がせて部屋に案内する。部屋だけは広く二人に床の間を背にして座ってもらう。 ![]() 幸子も座って乾杯の後は食べて飲む。幸子が力を入れていただけに、珍しいもの美味しいものてんこ盛りだ。大臣閣下も中野中佐も普段と違い、くったくがない表情をしている。 しかし一通り食べて飲むと、やはりいつもの話題となる。 | |||||
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「第一次大戦はどういう塩梅かな?」
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「伊丹さんの世界と違い、ドイツの一方的な戦いにはなっていません。一番はイギリスへの海上輸送が壊滅状態にならなかったのが大きいです。いずれの時代でも金と物があれば戦いに負けることはありません」
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「そういえば、我が国が派遣した船団護衛は成果を出したようだな。艦隊は帰国したのか?」
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「今現在、帰国の途中で太平洋を航海中です。船団護衛派遣と砲弾供給で扶桑国に対する参戦諸国の妬みも少しは減ったことでしょう。 面白いことに、我が艦隊が帰国したとたんに、Uボートの活動が活発になってだいぶ被害が出ているようです」 | ||||
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「ほう、ありがたみが分かって良かったのではないか。 それにしてもオーストラリアの我が国嫌いはあいも変わらんな。いったい何が不満なのか」 | ||||
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「この世は西洋人が支配すべきなのに我々は有色人種なのに植民地にならない唯一の独立国、しかもオーストラリアを超える工業国だからではないのですか。まして南洋諸島で拮抗していますから」
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「向こうの世界でもオーストラリアの反日はひどいものです」
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「ともかく欧州の戦いは、無闇に拡大せずなんとか小康状態を保っています」
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「毒ガスなど新兵器への対応も素早かったからなあ〜。それも伊丹さんご夫妻のご協力のおかげだ」
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「それにしても大戦争ですね。既に開戦から2年半、いつになったら講和になるのか」
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「向こうの世界で第一次大戦は、戦いではなくインフルエンザの大流行で収まりました。実を言って戦争以上の死者がでたのです。こちらでも疫病とか天災で大きな被害とか社会混乱が起きないと終わらないのかもしれません」
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「そいじゃ積極的にインフルエンザを流行らせるという手もあるのでしょうか」
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「単純にインフルエンザに罹った人を街に放っても流行はしません。戦争で食料がなく人々が栄養失調になり体力が衰えていたから大流行したのです。ましてや寒くジメジメした塹壕は兵士にとって劣悪な環境でした」
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「ちょっと待てよ、インフルエンザは欧州だけでなく世界中で流行したのか?」
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「さようです」
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「この国でも大流行するのかな?」
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「さすが大臣閣下、目の付け所が違いますね。おっしゃる通りです。 当時日本の人口は5,500万でしたが、1918年のインフルエンザで48万人の死者が出たと言われています | ||||
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「48万!人口の1%近い数だ」
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「平年の死亡者の5割増しです」
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「うーん、この国もそうなる恐れがあるのだな」
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「正直申しましてそうなるでしょう。あと2年後に」
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「いやはや、酒なんて飲んでいる気分じゃないな」
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「死者の中には著名人とか皇族もいたのですか?」
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「皇族では竹田の宮様がお亡くなりになりました。それから私の記憶にあるのは西郷隆盛のご子息で、今、津田沼のドイツ人捕虜収容所長をされている西郷大佐が・・発病して一日二日だったそうです。 この病気は身分も貧富も無関係ですから、亡くなった方は貴族や政治家にもたくさんいらっしゃると思います」 | ||||
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「そうですか・・・竹田の宮様はもちろん西郷大佐にも二三度お会いしたことがあります。この世界では無事であれば良いのですが」
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「個人名は絶対に口外してはならんぞ」
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![]() しばしの沈黙 ![]() | |||||
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「伊丹さん、予防はできないのか?」
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「100年後の21世紀になっても、インフルエンザを予防したり流行を止めたりできるまで科学は進んでいません」
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「でも、うがいとか手洗いとかマスク、体調管理、発病した人の隔離とか、できることはあるわよ」
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「伊丹室長、その対策委員会を立ち上げましょう。もちろん医師会にも参加を求めます」
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「私が変なことを申し上げて気を悪くさせてしまいました」
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「いや知らないよりはるかに良い。ええと、これから起こるであろう危機はどんなものがあるのかな?」
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「今申し上げたインフルエンザの大流行の次は、第一次大戦後の不況、これは1920年に始まります。それから1923年の関東大震災、1929年の昭和恐慌、1933年の冷害と凶作、そんなところですか」
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「10年先はともかく、インフルエンザ、戦後恐慌、震災対策までは考えておかねばならんな」
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「大臣閣下、その前に戦後処理があります」
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「戦後処理というと?」
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「この戦いは連合国側の勝利に終わります。その後が問題です。 山東半島、青島を租借地に取れという貴族院議員と衆議院議員がうるさく、無視もできません。更に欲の深い連中は満州に足掛かりを確保しろと言いだしています。 我々としては、そんな火薬庫に関わるより、南洋のドイツ領だった諸島と、例のブルネイを取りたいところです。10年後に石油が見つかりますから」 |
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「第一次大戦が終結したら、ソビエトロシアが満州に南下してくるのは目に見えます。私の世界と違い、日本軍が中国大陸にいませんからロシアを止めるものは何もありません」
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「君たちの話を聞いていると酒がまずくなるよ」
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「大臣閣下が言えとおっしゃったのではありませんか」
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「高橋大臣、悩み事がなくなってしまったら大臣のやりがいもなくなってしまいますよ。悩みがあってこそやりがいがあるというもの」
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「いやはや、どうも奥様の手のひらの上の孫悟空のようだ。 中野さん、政策研究所ではそういったことについてどのような解を出しているのだろう?」 | |
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「まず中国大陸における利権には、朝鮮も含めて手を出さないのが一番と考えています。そしてロシアが南下する前にアメリカに中国進出させるべきという見解です」
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「日本が満州で苦労した代わりをアメリカにさせるわけですか? でも日本の実業家たちは満州にアメリカが進出するのを黙ってみているとは思えませんね」
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「伊丹さんの世界で日本とアメリカが争う原因は、満州の利権争いもありました。アメリカが満州が欲しいなら差し上げましょう。 彼らも西部開拓の延長と考えればおかしくない。西に向かって進んだら太平洋に突き当たったけど、そこで立ち止まらず太平洋を越えて中国大陸で西部開拓をしてもらえばいい。満州で金が見つかったなんて噂を流せば20世紀のフォーティナイナーがどっと来ますよ。開拓者相手のビジネスができるかもしれない」 | |
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「ま、中野中佐も策士ね」
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「アメリカが中国に利権を持つとして、ゆくゆくは扶桑国とアメリカの葛藤が起きるのではないか」
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「共産主義国家と接するよりは安全ではないでしょうか。伊丹さんの世界では中国大陸で共産ロシアと国境を接しまして、結果として不可侵条約を反故にされたり、国際法無視で暴行や抑留をしているのですから、そのような国とは関わらないのが正解です。 それに朝鮮半島とも関わらないようにしたいですね」 | |
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「日本が朝鮮に出ていったのは、そもそも朝鮮がしっかりせず、ロシアが朝鮮を占領して日本とロシアが直接接するのを嫌ったからにすぎません。それが日露戦争の原因です」
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「朝鮮のために、我々が火中の栗を拾うこともありません。後見人はアメリカにやってもらいましょう」
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「中国の利権を諦めて、大陸の資源に頼らず我が国が成り立てばいいのだが」
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「それどころか向こうの世界では、大陸に関わったために日本が崩壊してしまいました」
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「植民地なんてものが必要なのは国内市場が小さいからです。この国の規模が小さいわけではありません。実際、イギリス、ドイツ、フランスなど人口は我が国より少ないのですから。産業を発展させれば大国たりえます」
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「幸子、そういった国々は国内では経済が回らないから植民地を求めたわけだよ」
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「要するにこの国の国民を食べさせていければ良いのか」
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「遡ればエネルギーですね」
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「問題は常にそこに戻るのだな」
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「それがこの国の地勢的なアキレス腱です」
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「まだ手にしてはいませんがブルネイに片手をかけました。伊丹さんたちのおかげでなんとかその枷を脱することができそうです」
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「そう願いたいね」
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「あまり深刻なお話ばかりでなく、みなさんがこの国が50年後、100年後どうなってほしいとお考えなのか、聞かせてほしいです」
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「そんな夢みたいなことを考えたことはなかったね。100年後なんて想像もつかん、50年後でも・・」
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「非常に俗物的ですが、私はすべての国民にアメリカ並みの暮らしをさせたいですね」
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「アメリカ並みと言ってもさまざまだが・・・わしはアメリカが良いとは思わんが | |
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「もちろん奴隷制度とか人種差別はいけませんが、衣食住の水準をあのくらいにしたいです。アメリカでは自動車の普及はすごいです」
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「自動車は生産そのものが産業になりますが、同時に自動車の効果で流通や人の移動、そして航空機や機械全般の技術や産業の発展を促します。とはいえそれも石油あってのことですが」
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「アメリカ並みの生活水準かあ〜、彼らだって王侯貴族のような暮らしをしているわけじゃない | |
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「現状に不満を持つことは悪いことではありません。それこそが発展の原動力です。 今の日本では若者が上昇志向をなくしてしまったようです。普通に勉強をしていれば食うに困らない。わざわざ人の上に立って苦労することはない、人並みで良い、その結果、おとなしいというかやる気がないというか」 | |
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「それは現状に満足しているからだろうね」
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「食うには困らないが不満があって努力するという状態がいいですね。常に向上心を持たせるということはできないものでしょうか?」
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「そんな都合の良い状態を、いっときはともかく継続的に維持するなんて可能とは思えませんねえ〜。結局は飽和してしまうのではないでしょうか。 私が生まれた頃は、食うには困らないし、各家庭にテレビも洗濯機ありました。でも次はカラーテレビや自動車が欲しいという目標がありました。しかし現在はカラーテレビもある、エアコンもある、下水道も完備したとなると、次がありません」 | |
文化とは文学、音楽、スポーツ、宗教その他多様なものがある。しかし我々が文化的だと実感するのはやはり物質的・即物的な電化製品や自動車だろう。 自動車を保有しているか、家電品を保有しているかは経済力だけでなく文化というかその国の発展レベルの指標である。 耐久消費財の普及状況を見ると、日本はアメリカを十数年遅れで付いてきている。アメリカより遅い限り文字通り「後進国」であることは明白だ。いつの日かアメリカの先を行く「先進国」になれるものだろうか? |
上図を見ると、アメリカ人の欲望は1960年で飽和、日本人の欲望は1980年で飽和してしまったように見える。 もう一度高度成長期を迎えるには、画期的な生活改革か文明が崩壊して貧しくなるしかありません。 | ||
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「欲しいものがない、お金を使う物がないとなると経済も回りません。二宮金次郎の教え通り貯蓄に励んでは、合成の誤謬そのものです。ある程度ドロドロした欲望を持って無駄金を使ってくれないと困ります」
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「アハハハハ、奥さんは経済学者ですな。しかし私には伊丹さんと奥さんが語る満ち足りた社会を想像もできない。この国も50年経てばそういうレベルになれるのだろうか」
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「国民一人の立場で考えればそういうビジョンで良いのかもしれませんが、国家として真に独立し主権を主張できる立ち位置でなければいけません。残念ながら2000年の日本はそういう国ではない。
言い換えると、扶桑国は主権を失わない、誇りを失わない、勇気を失わないことが必要です。国民すべてが自己犠牲の精神を持つ、国家はそれに応える、そういう国でなければならない。そういう国を創りましょう」 | |
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「なんか精神的なことになっちゃいましたね、私はそういう観点じゃなくて、20年後には国中に鉄道線路、30年後には舗装道路を張り巡らすとか、40年後には上下水道を整備する、50年後には教育制度を改革し義務教育だけでなく向学心ある人は無償で大学までいけるとか、そういうビジョンを明確にしたいと思います」
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「そうだねえ〜、明治維新前には長州藩、薩摩藩に限らず佐幕藩でも学校を作り、武士だけでなく向学心のあるものを受け入れた。我々も大学もたくさん作って教育レベルを上げることが国力増強になるのだろう」
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「今は何事でも学ぶとなると留学するしかありません。高橋閣下もそうだったわけで」
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「それが、ひょんなことになってしまったが、アハハハハ」
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「ドイツ語や英語を使わず、高等教育がこの国の言葉で学べるようにしたいですね」
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「それだけでなく、欧州や米国からこの国に留学生が来るようしたい」
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「想像もできないな、そんな時代が来るものだろうか?」
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「そのときには政治も欧州をしのぐほどに成熟していなければならんな」
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「政治って政策を主張することではなく、より良い政策を極めることでしょう。でもほとんどの政治家は自分が望むことを主張し説得しようとするだけです。そうではなく自分の考えだけでなく、反対派の政策を理解し、更に良い案を求めるようになってほしいですね。不倫を暴露したり献金が不正とか相手の足を引っ張るだけの政治家が多すぎます」
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「正反合、ヘーゲルですか。おっしゃるとおりですな。 野党は批判しかしない。やらせてみれば、なにもできないだろうね。批判だけでも一定の議席は取れるが、それでは政治家ではなく評論家だ」 | |
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「人々の政治意識というか、国に対する認識もしっかりさせないといけませんね」
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「だいぶ前に中野さんに教育が必要だけど、それは修身のようなものでなく、論理的に考えるとか科学する心を持たせるという話をしたことがありますね」
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「覚えております」
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「未来を考えるといっても、こうなるのだろうという単純未来と、こういう社会を作ろうという意志未来があると思います」
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「なんだか英語の勉強のようですね。いやいや、茶々ではありません。奥様のお考えは良くわかります」
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「幸子さん、政策研究所に置くのはもったいない。政治家になりませんか」
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「高橋大臣、何をおっしゃいますの、この国には婦人参政権さえないじゃありませんか」
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「いやいや、成人男性であっても誰もが選挙権を持っているわけではない。一定金額以上納税する人だけですよ。欧米に先んじて女性参政権を実現したいと考えているのですよ」
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「参政権とは国に対する責任ですよね。昔のように戦争に関わるのが王侯貴族だけだったら、王様だけで戦争するかしないか決めても、それはそれでまっとうなのでしょう。でもこの度の戦争のように国民すべてに関わることなら、すべての国民が参政権を持たないと矛盾しますね」
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「すみません、ちょっと理解が・・・」
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「代表なくして納税なしという言葉があります」
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「No Taxation Without Representation、アメリカ独立戦争のスローガンだな」
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「そうです。アメリカ独立戦争のときアメリカに住む人がイギリス国王に税金を納めるなら、イギリスの政治に発言権がなければならないと主張した。 江戸時代、町民は税を納める義務がなかった。参政権がないから妥当でしょうね」 | |
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「百姓は年貢を納めていましたよ」
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「確かに、だけど欧州でも農民は税を取られて政治に参画できなかった。時代の制約を考えれば、それもしょうがないでしょう。 それに江戸時代の百姓も欧州の農民も、従軍する義務はありませんでしたから」 | |
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「おっとその続きはワシに話させてくれ。フランス革命から一般国民も戦いに参加したというか参加を求められたわけだ。血税 | |
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「閣下、正確に言えば国民も戦いに参加したのではなく、戦いに参加したから国民になったのだと思います。国民という概念は人と国が一体化しなければ意味がありません」
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「確かに国民国家とはそういうものだ」
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「国民国家というのはNation-stateの訳語ですが、Nationを国民と訳したのはおかしいですね。本来は「文化、言語、宗教や歴史を共有する人」であり民族という概念に近い。Nationalismを国家主義とするのは間違いで民族主義としなければなりません」
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「確かに、となると我が国でNationalismを国家主義と訳しているということは、明治維新から50年経った今でもまだ生まれた土地に帰属する気持ちはあっても民族という意識はないのかもしれん。民族と違い国家は見えるからな」
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「ええと、お二人の話についていけなのですが、徴兵制があるなら、徴兵対象者は参政権を持つということでよろしいでしょうか? しかし子供のとき租庸調なんてことを習いましたが、庸は役務のことで、その中に兵役もあったと思います。つまり参政権がなくても従軍する義務は2000年も昔からあったわけです」 | |
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「ううむ、となると「代表なくして納税なし」というのは誤りだったのか?」
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「いや、誤りではありません。その論理が通らない時代もあったということです。壬申の乱の時代は政治に参加どころか人権も認められていなかった一般人も、支配者に命じられたら戦いに参加しなければならない。しかしフランス革命頃から、戦争に参加するなら政治にも参加させろと発言できるようになったということでしょう」
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「アメリカで奴隷解放は修正13条 |
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「なるほど、なるほど。「代表なくして納税なし」は真理ではあるが、俗世間の規範にするには血を流さなければならなかったということか。 しかしそういうこととして、参政権の境界はどこにあるのだろうか? つまり参政権を持つのは、徴兵された人だけなのか、徴兵のされる可能性のある人なのか?」 |
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「今この国では男子だけ、それも体躯とか抽選で兵士になる・ならないがある。兵士にならないなら参政権がないというのは変だと思えるし、妥当だとも思えるし、どうなのでしょうか」
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「でもその観点だけなら、女性が参政権を持てるのかという議論になります」
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「女性は戦争に行きませんよね?」
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「向こうの世界の第一次大戦ではまだどの国でも女性が兵士として戦いに参加していなかったと思います。戦争に関わったのは看護婦だけでしょう。しかし第二次大戦では各国とも、女性も兵士になりました。もちろん第一線に出た国と、出なかった国がありますが」
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「うーん、国会で参戦の決議をするなら、戦争に行く可能性のある人だけがその決定に関わる、つまり議員になったり議員を選ぶべきなのだろうか?」
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「あるいは兵役に就いたもののみ参政権があるという考えもあります。更に現役であれば己の命惜しさから国益に反する決定をする可能性もあるから、退役した人のみ参政権を持つという考えもあるかもしれません | |
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「なるほど、総力戦においては国民すべてが戦争に参加しているわけだ。よって国民すべてに参政権があるというのが結論になるのか」
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「いえ、制限はあります。国家と運命を共にすることを宣誓した人に限るべきでしょうね。反戦主義や敵国の支援を行う人には論理的に参政権はありません。 敵が攻めてきたら逃げるという人にも人権はあるでしょうけど、国家の運命決定に参画することは論理的におかしいです | |
![]() | ![]() 戊辰戦争のとき会津若松では松平容保が抵抗してすごい戦いになったが、百姓は帰趨に無関心で戦(いくさ)を見ていたと聞く。体制に帰属していない人なら国が亡ぼうが無関係なのだろう。 ちょっと待てよ、赤穂藩が取りつぶしになったとき、家臣が300名以上いた。討ち入りに参加したのは47人、じゃあ藩と運命を共にしなかった藩士は藩への帰属意識がなかったのか」 | |
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「赤穂藩がお取りつぶしになった時点で既に藩はないのです。討ち入りした人たちだって、帰属意識や忠義ではなく、我が身のためにお家を再興しようとしたわけで」
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「なるほど。覆水盆に返らず、起きてしまったらどうしようもないか。 ともかく国家レベルで考えると、自分が国に帰属するという認識があって初めて国民と呼ばれるのだな | |
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「しかしながらそういう考えが通用しない時代になりました」
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「はあ? おぬしの語ることはつかみどころがない」
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「戊辰戦争までの戦はすべてこの扶桑国内でした。もちろん元寇はありましたし秀吉の朝鮮出兵はありました。その一部例外を除いて、皆同じ文化を共有し、同じ価値観、同じ伝統を持っていた人たちの間の戦いだった。ですから戦争も共有されたルールで行われたわけです。 しかし幕末になって外国が開国を迫ってきて初めて異文化との交流が大々的に始まった。そういう文化も価値観も宗教も異なる国家と戦うと、農民だ奴隷だと言っても命の保証はありません。否応なく戦いに巻き込まれ負ければ皆殺しの目にあいます。アフリカの王国にヨーロッパ人が来て奴隷狩りを始めれば、王様が破れれば下々の人はヨーロッパ人の奴隷になるわけです。 昔の話じゃありません。21世紀の今もチベットや西域では中国に侵略され、反抗する者は虐殺されています。中東でも賛同するなら一緒に戦え、賛同しなければ殺すという逃げ道のないことが強行されています」 | |
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「となると国家に帰属するとか国家と運命を共にしたくないという、選択そのものがありえない」
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「そういう国際社会を生きていかなければならないということ、そのためには政治に参画しこの国を強く良くしていくしかないと認識しなければならない」
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「そういうことです」
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「そういう基本的なことを教えるには、現在行われている修身とか教育勅語では不足していると思います」
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「では、どのようにすれば・・・」
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「国民の義務とか道徳だけでなく、世界の現実、秋霜烈日なジャングルの掟を教えることでしょう。 扶桑国はフランスのような革命もなく、アメリカのように独立戦争も経験しませんでした。ここ扶桑国を真の国民国家にすることが必要です。そのためにはシンボルも必要ですし」 | |
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「シンボルとは?」
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「つまり国旗とか国歌だな、国旗に対して敬意を表する、国歌を歌う、それは同時に外国の国旗、国歌に敬意を表することでもある」
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「シンボルには皇帝陛下も入ります。皇帝陛下に敬意を表することは、陛下個人に隷属することではなく国家に貢献することの表明です。 簡単じゃありませんか、一人はみんなのために みんなは一人のためにって」 | |
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「なるほど、結局物事は単純なのですね」
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「単純ではあるが、忘れやすい。ワシがアメリカ ![]() | |
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「アメリカに限らずほとんどの国が日々国歌を歌い国旗を揚げます。例えばタイ ![]() | |
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「まあ家庭でのしつけが基本ですよね。自分を大事にできない人は、他人も大事にできません」
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![]() 去り際の高橋閣下の言葉は「伊丹さんの家のトイレは実にいい」であった。 |
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汚れ、瓦礫の中にあろうとも 青空に翻る日の丸と同じくすがすがしい 日本人に生まれてよかったと思う。 |
上に比べてこちらはどうでしょう? いや〜、汚らわしい人たちですね。 同じ空気を吸うこともいやです。 | ![]() |
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![]() | 日の丸アレルギーのある方はこちらで治療してください
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注1 |
「百年前の二十世紀―明治・大正の未来予測」横田順弥、筑摩書房、1994 読めば読むほど味が出るというか、考えさせられます。一読の価値あり。どこの図書館にもありそうです。 ![]() | |
注2 |
現職時代、私が関係のあった会社に、皇太子殿下が行啓(ぎょうけい)されたことがあった。 その後、私がお邪魔したとき、そこの幹部が言うには、事前に警察が大勢来て建物や室内をチェックされダメ出しをされたという。そしてトイレの改修とか壁の塗りなおし植栽の手入れなど指示されて大変だったと聞かされた。とはいえ話す方も一生に一度の記念になったようで楽しそうだった。 ![]() | |
注3 |
1918年のインフルエンザはスペイン風邪と呼ばれ、統計が取られるようになってからの最大のパンデミックである。世界全体の患者数は当時の世界人口12億の25%で3億人、死亡者数は3.5%の4000万〜5000万と推定されている。第一次大戦の死者の3倍にものぼった。 日本の死者数は45万〜48万と言われる。(当時の内務省発表では39万人) ![]() | 注4 |
高橋是清は1867年に勝海舟の息子と留学するのだが、アメリカでホームステイ先で騙されて奴隷に売られる(正しくは奴隷契約にサインさせられたらしい)。その後、日本人に助けられ1868年に帰国して英語教師となり、1889年ペルーで鉱山を始めるが失敗して帰国、1892年日銀に入る。そして1911年日銀総裁、1913年大蔵大臣、1921年総理大臣となるが1936年2月26日226事件で暗殺される。 まさに波乱万丈。NHK大河ドラマにするにはロケに金がかかるから無理だろう。 ![]() |
![]() 当時のアメリカの暮らしもその程度だったのだが、もちろん日本よりはるかに豊かであった。 ![]() |
注6 |
明治5年(1872)の太政官告諭の「西人之を称して血税という。その生血を以て国に報ずるの謂なり」と兵役の義務を血税と称した。 「西人之を称して」とあるが、英英辞典などで「Blood tax」をみると「徴兵を侮蔑的に表現したもの」と言うのが見つかったが、一般的ではないようだ。フランス革命でそういう表現があったのかどうか分からない。 ![]() |
注7 |
修正第13条 第1節 奴隷制もしくは自発的でない隷属は、アメリカ合衆国内およびその法が及ぶ如何なる場所でも、存在してはならない。ただし犯罪者であって関連する者が正当と認めた場合の罰とするときを除く。 第2節 議会はこの修正条項を適切な法律によって実行させる権限を有する。 ![]() | |
注8 |
「宇宙の戦士」(ロバート・A・ハインライン)では「兵役に就いて退役した人のみが参政権を持つべきである」という考えで書かれている。極論かもしれないが、論理は通っている。 ![]() | |
注9 |
「総力戦」とは1935年にエーリヒ・ルーデンドルフによって唱えられた概念である。第一次大戦において、戦場の将兵だけでなく国民全体が戦争に参画したことを論理だて、近代の戦争のフレームワークを示した。 日本語では国家総力戦という言い方もあるが、英語では総力戦も国家総力戦も同じくTotal Warである。 おっと、この物語は今1916年だから、まだ「総力戦」という言葉があるはずがない。 ![]() | 注10 |
ギリシア時代、あるいは戦国時代の戦いでは負けたほうの市民や武士階級が殺されるとか奴隷になるだけで、元々奴隷や農奴だった人は領主や所有者が変わるだけで処罰されたり殺されたりするわけではない。 戦争は王様のものであり、王様が変わっても農民や奴隷には関りのないことなのだ。 ![]() |
注11 |
日本に敵対する国に明確な対応策を示さず「攻めてきたら逃げる」と語った辻元清美議員の論理は支離滅裂である。日本に敵対する国に対する安全保障を考えてはいけないというなら「攻めてきたら殺されます」と言わねば論理が合わない。 小西ひろゆき議員の「自分の主張が通らなければ亡命する」とは、そもそも民主主義を理解していない単なる駄々こねだ。彼と反対の主張をする人が「小西ひろゆき議員の主張が通れば亡命する」と言ったなら、なんと応えるのだろうか? ![]() | 注12 |
参考文献 「想像の共同体」、ベネディクト・アンダーソン、NTT出版、1997 「痛快!憲法学」、小室直樹、集英社、2001 「国民の教養」、高橋貴明、扶桑社、2011 ![]() |
おばQさま 議論するなら掛かって来いというお誘いを受けたのでご遠慮なく。 とは言っても、大筋は賛成なので、参考意見です。 >教育の在り方 権利と義務が表裏の関係である基本は、非常に重要ですね。 私たちの世代の学校教育では、敗戦の反動なのか、「自由」という言葉に酔って秩序や規制は不要のような教師を、散見しました。 半面教師として、それについて自分で考えることが出来たのは良かったと思っています。 学園紛争なるものがあって、校則の象徴である生徒手帳や制服の廃止をするのがとても良いことのような不思議な風潮がありました。(一部教師も支援) なぜか、それが達成されて、制服は標準服と名を変え、生徒手帳も、全て任意となったのですが強制がないのに使っている生徒が大半なのも面白かったです。 生徒手帳は学校生活の補助に便利だったし、制服の方が着るものを毎朝考えないで済むのです。 自由が大事と言っても、その程度のものだったのです。 その程度の「自由」ならば、「権利と義務」をしっかりと教えるほうが重要だと感じました。 >国家、国旗を大事にする これは国際プロトコルとして必要ですね。 実は、同じことが戦前(昭和ヒトケタ時代)でも言われておりました。 今は死語ですが、戦前では「鹵簿」があって、近隣の生徒は沿道に動員され日の丸を振らされました。 この旗は大量配布するので、紙と籤で作られた安っぽいもので、事後は道路に捨てられ、大量の路上ゴミとなり、生徒達は、それを踏んで学校に帰りました。 それを見た某米国人が、日本人は何と国旗を大事にしないと日本の新聞に投書して、さすがに問題になったようです。 この一事でも、当時でも国旗の扱いは、教えられていなかったと判ります。 その後 軍人の失業対策で配属将校が各学校に来て軍事教練開始、同時期に奉安殿が作られると、突如として過剰な扱いになります。 (行き過ぎた皇国教育は、昭和10−20年までのたった10年なので、この方が例外な時期) なぜ過剰な扱いになったかと言えば、もともと身についていなかったからではと疑っております。 要するに、戦前でも(一時の過剰な時期と兵役経験者を除けば)日本人は、それほど日の丸や君が代には特別な思いも扱いもなくて、国際プロトコル(海外での国旗の扱い)を理解していなかったのだと思います。 戦中のような必要以上の扱いも不要ですが、国際プロトコルとしても、国家の象徴としての国旗・国歌への敬意は、他国のものも含み身に着けるべきと思います。 という事で、反論とも言えない感想でした。 |
外資社員様 毎度ありがとうございます。 何事も中庸に保つことは難しく、極端から極端に振れることが多いようです。 軍国主義反対〜と叫ぶ団体が、指導部に反対する人を弾圧するってのは、全体主義そのままで民主主義の対極にあるのではないかとか、自民党の法案は絶対に拒否、坊主憎けりゃ袈裟までというのが革新政党のデフォなのですから困ります。 それと韓国の洗脳状態はなんとかならんものですかね。中国が日本を貶めようと中国人民はわりあいと冷めて利害をみてますけど、韓国の場合は思い込んだら反日の道を行くがウリたちの生きる道のようで・・・困ります、 |