異世界審査員65.品質保証その5

18.03.08

*この物語はフィクションです。登場する人物や団体は実在するものと一切関係ありません。
但し引用文献や書籍名はすべて実在のものです。民明書房からの引用はありません。

異世界審査員物語とは
なぜ今回のお話が「品質保証」なのか、品質保証とは関係ないぞと言われる前に予防処置として予め説明させていただく。 前回も冒頭に書いたように、私は品質保証とは日常の是正処置や予防処置による継続的改善、継続的改善とは「パフォーマンスを向上するために繰り返し行われる活動(注1)であることを思い出してほしい。そしてそれを行うための手法やツールを集めたものが、すなわち品質保証の要素(要求事項)であるというのが持論である。
それは品質保証の定義と意味が違うという異議を予想する。確かに定義とは違うが、どれがどうだというのだ?
男 品質を高めて、会社の製品やサービスを、自信をもって薦めることができるなら、それはすなわち内部品質保証の実現であり、顧客がそれを聞いて安心して購入していただけるなら外部品質保証の達成である。
マネジメントシステムを構築することによって内部品質保証や外部品質保証が成されるというのが通説であるが、それはまったくの勘違いだと私は思う。いや勘違いではなく、数学で言う逆ではなかろうか。内部品質保証や外部品質保証を確立することが「マネジメントシステムの構築」ではないのか。間違ってもコンサルの言う通りあるいは審査員からイチャモンが付かないように社内文書を作ることが、「マネジメントシステムの構築」ではない。
コンサルの言う通り「マネジメントシステムの構築」しました、審査員が適合を確認しました、でも品質も上がらず内部品質保証も外部品質保証も実現できないのが現実ではないのか?
それって変だよね。
品質を上げようと、汗を流し涙を流し血を流して頑張りました。その結果、品質が上がりトラブルが減りました。それが風化しないように文書化しました。それがあるべき「マネジメントシステムの構築」じゃないか。というのが今回のお話が品質保証であるという説明です。

宇佐美 政策研究所から時限信管改善の依頼を受けた半蔵時計店の宇佐美は、その日のうちに技術者3人を連れて宇都宮に宿を取り、翌朝から宇都宮の工廠に通った。
まずは時限信管とはいかなるものかを学ぶ。時限信管とは早い話、時計のテンプ部分であって、計時を開始して設定時間になると起爆薬を叩くばねを止めていた部品がはずれるというだけだ(注2)
しかし時計と違うこともある。まず稼働すべき時間が非常に短い。時計なら永遠はともかく何年も動くことが期待される。信管の場合は発射から設定時間までの10数秒動けばよい。もうひとつは当時の砲弾でも音速かそれをわずかに超えるから、爆発地点を目標から10メートル以内に抑えようとすれば、爆破までの設定時間の誤差は0.03秒以下でないと実用にならない(注3)そのためには時計機構は1回だけ十数秒動けばよいが、その設定時間の精度と動作する信頼性は高くないと困る。
そういうことを知って宇佐美は腕組みして考える。
大砲から出る時の衝撃はとんでもないだろうなあ。静置状態で正常に動くだけでなく砲撃の衝撃に耐えなければならない。砲撃の衝撃を与えて動作を確認することはできないだろうか(注4)
もちろんタイマーが正確か否かは発射してから爆発するまでの時間を計測すればいい。とはいえ爆発までの時間を細かく設定して、それぞれ何発も撃てば費用は大変だ。何か代用特性はないだろうかと考えるのだった。


黒田曹長 伊丹からの指示を受けて、砲兵工廠の黒田曹長は信管のねじの限界ゲージを作った。元々は伊丹の思い付きだった。ねじがきついと聞いたので、オスメスのねじがあっていないのではないかと考えるのは当然だ。もしねじ山があっていなければねじ込むときに信管が変形して内部の時計機構の動きが悪くなるだろう。
黒田曹長はそれを九州と宇都宮の工廠に送り、九州では藤田大尉が、宇都宮では宇佐美がチェックさせた。
実際にゲージに合わせて検査すると、とんでもないことが分かった。九州で切っているめねじと宇都宮で切っているおねじは別物だった。九州のほうはイギリスから受領した現物に合わせてねじを切っていた。第一次大戦当時イギリスはウィットねじを使っていて、ねじ山は55度で先端は尖りである(注5)他方、宇都宮では現代日本のねじを基本に製作していたが、これはユニファイねじで角度は60度で山の頂点は面取りされている。要するに砲弾に切ってあるねじと、信管に切ってあるねじが違うのだ。ただねじ山の間隔(ピッチ)が同じなので無理やりねじ込めば噛み合うのは噛み合う。もちろんねじの噛み合い長さが長ければ入るはずがないが、現実にはたかだか数山だから無理やりねじ込めたのだろう。結果として相当無理な力がかかり真鍮製の信管は変形し、中の時計機構も歪んでいたのではなかろうか。
問題を確認した黒田曹長はニヤニヤしながら、それを政策研究所にいる伊丹に伝えた。それを聞いた伊丹はアチャーと額に手を当てた。とはいえ原因は分かれば対策は簡単だ。


中野中佐が会議を開いてから、ひと月が経過した。
九州の工廠から来た砲弾が組み立て工程に上がったとき、上野たち3人は付きっきりで作業手順を監視した。最初ここに来たとき上野達が見た製造ラインでは、組み立ての際に叩いたり力を込めて押したり引いたりという動作ばかりでおかしいとしか思えなかった。藤田大尉たちが指導に行ってから変わっただろうか?
砲弾に火薬を込め組み立てるのを見ていると、叩く、押すという作業が皆無になった。

職工の一人が上野に言う。

職工
「今まで組み立てようとしても部品は入らずねじは回らなかったからね。だからどうしても叩いたり力を入れたり大変だったよ。今回は普通に組み上がるね」

上野達はがっくりしてしまった。要するに問題の半分は元々加工指示が間違っていて組み立てに苦労していたのだ。 ではこれからは真の作業改善ができるはずだと上野は思いなおした。


宇佐美は信管の試験方法を考えていた。
大砲で撃たなくても時限装置が衝撃を受けても正確に動作するか検査できないか。弾丸が飛び出すときの衝撃を与えるにはどうしたらいいだろうか?
そんなところに、上野の部下の和田がやって来た。

和田
「半蔵時計店の宇佐美さんですね。私、新世界技術事務所の和田と申します。非破壊で時限信管の検査方法を考えているのですが、アドバイスいただけませんか」
宇佐美
「えっ、実は俺もそれを考えていたところだ。砲弾だけでなく時限信管も破壊検査しかないのだから参ってしまうよ。和田君こそアイデアがないかね。一番の難問は、砲弾が飛び出すときの加速度と同じ衝撃をどうやって与えるかだね」
和田
「いちばん簡単なのは高いところから落とすことですね」
宇佐美
「落したくらいで砲弾を打ち出したときと同じ衝撃を与えられるかい?」
和田
「固い石とか鉄の上に落とせばどうでしょうか」
宇佐美
「砲弾を打ち出したときの衝撃と同じと言えるかい?」
和田
「もちろん最初に大砲を撃ったときの加速度を調べなければなりません」
宇佐美
「それができれば苦労はないよ」
和田
「ロウの上に重りを置けば沈みますか?」
宇佐美
「ろうそくのロウか? うーん、普通は沈まないな。そりゃ重けりゃ沈むだろうけど」
和田
「砲弾の中にロウの塊を置き、その上に重りを置いて大砲を撃てばロウに重りが沈む。その沈んだ深さを測る。そしたら砲弾を高いところから落として、その衝撃で重りが沈む高さを調べたらどうですか」
宇佐美
「その高さが分かったら、その高さから砲弾を落として時限信管が動作するかどうか検査するわけか。
話を聞けばなるほどと思うが、うまくいくかね。衝撃的な荷重では重りが沈むよりロウが割れるかもしれないな。それにロウに重りが沈む深さは衝撃と比例するのかね。その前にロウのバラツキで凹みの深さは違うんじゃないか」
和田
「確かに凹むのでなく割れてしまいそうです。それと比例するかどうか・・
そうそう、力と比例というと、フックの法則です(注6)ばねの上に重りを置いてばねの縮みを調べたらどうでしょう」
宇佐美
「ロウの凹みは戻らないけど、ばねは衝撃でたわんでも元に戻ってしまうよ」
和田
「重りに鉛筆でもつけておいて脇に紙を置いておいて、重りの動きを紙に書きつけるというのはいかがですか」
宇佐美
「やってみる価値はある。その重りの仕掛けを砲弾に組み込み、大砲で何遍か撃ってもらい、どれくらいたわむかを把握するところからだ」

Gメーター
こんな絵を描いていると時間ばかり・・

和田と宇佐美がGメーターもどきを作り上げたのは四日後だった。

注:こんな簡単な仕掛けでは、ばねがチャタリングを起こしてきれいに記録するとは思えない。ダンパーとばねが傾かないように、いろいろ考えなければならない。オハナシ・オハナシ。
捨て針を簡単に作れるとは思えないからこうしました。

和田
「これを信管の中に組み込み、それを付けた砲弾を海面めがけて撃ってもらう。水に落ちたときの衝撃は発射時よりははるかに少ない。沈んだ砲弾は漁師を雇って回収します。そして分解して重りのたわみ具合を測ります。それからはそれからです」
宇佐美
「よし、じゃあ俺が砲弾試験の部署に依頼しよう」


宇佐美が交渉した結果、一つの砲弾を何度も撃つことはできないということで、衝撃測定用の砲弾を20個ほど製作した。弾頭の火薬の代わりに詰め物をして重量は実物と同じにする。1個1個ばね定数は異なるので、事前に調べておく。

1週間後、三浦半島の海岸で遠浅の海に試射してもらう。それを漁師に引き上げてもらった。当初の計画では網で引き上げようとしたのだが、なかなかうまくいかず結局漁師が海に潜り砲弾に縄を巻き付けて引き上げた。時たま雪もちらつき、漁師も寒かっただろうが、見物人も寒かった。
宇佐美も和田も、正直上手くいくとは思わなかったが結果は成功だった。大砲発射時の加速度はおおよそ1000Gということが分かった(注7)次は高いところから落下させて、同等の衝撃を与える試験機を作ることだ。

砲兵工廠から来た、体格ががっしりした下士官が立ち会っていた。宇佐美はこの下士官と親しいようだ。

宇佐美
「黒田曹長、例の試験塔ですが作れますか?」
黒田軍曹
「とんでもない高さになるでしょうね」
宇佐美
「それは無理という意味ですか?」
黒田軍曹
「いえいえ、ちゃんと試験用鉄塔を立てますよ。ただ落下の衝撃を1000Gにもするには一体高さがどれほどになるのだろう」
和田
「20メートルから落下したものを0.2秒で停止させれば1000G、30メートルなら1500G、そう難しくないような気がします」
黒田軍曹
「えっ、その程度で済むのかい! よし君が設計した通り、俺がちゃんと作ってやるよ」


半月後、試験塔が完成した。話を聞いて上野も、いや政策研究所から米山中佐と石原大尉、そして吉沢中佐もやって来た。

上野
「時限信管の設定時間はものすごく短いですが、どのようにして測定するのですか?」
宇佐美
「へへへ、政策研究所のこちらの吉沢中佐にお願いして、陰極線管で見られるようにしたのですよ」
米山中佐
「私も説明を聞いたが、難しいことを言っていたな」
和田
「物は試し、やってみましょう」

砲弾に取り付けられた信管に時間をセットし、滑車で試験塔の20メートルの印まで引き上げた。信管からは電線が何本か出ていて、それは落下する分のたるみをもたせて塔の脇の小屋に届いている。

和田
「落下を始めたときからではなく、下にぶつかったとき信管のスイッチがオンします。そして設定された一定時間経つと信管のスイッチが切れます。陰極線管でその電流を表示するので、電流が流れた時間を測ります。それが時限信管の動作時間ですね」
米山中佐
「すごい、よく考えたもんだ」
宇佐美
「いやいや、やってみなければ期待通り動くかどうか分かりません」
モニター画面
皆は試験室に入り陰極線管を見つめる。
試験塔から砲弾が落ち、陰極線管の横一直線の光の線が一瞬だけ高くなる。

どういう仕掛けか光の線は消えずにずっと表示されている。
吉沢中佐
「この高くなったところの幅を測って時間に換算するのです(注8)
石原大尉
「すごいものですね。さすが電波探知機を作った吉沢中佐だ」
吉沢中佐
「実は伊丹の旦那のアイデアです。困ったら伊丹の旦那ってのは真理だね」
和田
「喜ぶのはまだ早いですよ。砲弾が受けた衝撃を測るのと、時限信管が動作した時間が設定通りだったか確認しなければ」

宇佐美の部下がバタバタと外に出ていき、砲弾から信管を取り外して衝撃を調べる。宇佐美は陰極線管に物差しを当てて寸法を測り、吉沢中佐からもらった長さと時間の換算表を見比べる。

和田
「鉛筆のなぞった長さから計算して1080G、砲撃の8%増しです。これなら実用範囲内でしょう。
宇佐美さん、時限信管の時間はいかがでしたか?」
宇佐美
「信管は0.2秒に設定したが、陰極線管からは0.24秒後に作動している。測定のばらつきもあるだろうし、少し試験データを蓄積しないと何とも言えんな」
米山中佐
「いや〜結構だ。宇佐美さん、和田さん、これから信管の動作試験を重ねて行ってください。こういう実験データを積み重ねれば時限信管の信頼性も上がるだろう。そしてイギリス側と話をするときの裏付けになる」

米山たち政策研究所から来たメンバーは、宇佐美たちのじゃまになるだろうと早々に引き上げた。
帰りの汽車の中で、イギリスから砲弾を請け負った時に、こういった基礎的な試験を積み重ねていればよかったものをと語り合う。そして今後開発していく兵器は絶対に理屈と実験で裏付けていかねばと思うのであった。



3月末、横浜港から砲弾を積んだ輸送船が出港しようとしている。2月から少しずつ改善や工夫をして出荷していたが、今回はすべての対策を行った砲弾である。
砲弾の不発状況確認のために、米山中佐と石原大尉が現地に行くことになった。輸送船の保管状況も確認するために輸送船に同乗していく。
二人とも乗りかかった舟と諦めた。祖国のために戦って戦死ならまだしも、観戦武官でもなく供給した砲弾の不発率調査に欧州まで来て、流れ弾に当たったら死んでも死にきれない。
パナマ運河経由してポーツマスで積み替えプリマスまで24,000キロ、途中の停泊を含めて長い船旅で着いたのは5月末である。生きて戻れるとしても、また二月の航海かと二人は顔を見合わせた。
ちなみに第一次大戦はこの1年半後に停戦するが、この時点ではドイツ軍は優勢で、戦線はすべてドイツ国外にあり敗色など微塵もない。

プリマスに上陸すると駐英大使館の一等書記官が会いに来た。
彼の話では、4月にロシアで共産革命が起きたとかで、これからロシアの同盟関係がどうなるのか連合国側も混乱しているようだ。以前、観戦武官として下村少佐が来ていたが昨年5月に乗船していた戦艦クイーンメリーが撃沈されて戦死、それ以降は観戦武官はいないという。一等書記官は二人の職務遂行を祈ると言って帰って行った。
それから二人はイギリス軍の調達部門に行って、不発弾の状況調査と今回の砲弾の射撃に立ち会いを依頼しに行く。たらい回しにされ時間はかかったが、なんとか立ち会えることになった。こちらもロシア革命で東部戦線のロシア軍が崩壊したので、ドイツ軍が西部戦線に総力を向けるのか、ロシア側に攻め込むのか分からないようだ。

1917年はドイツのUボートの活動が最盛期で、アメリカとイギリス間だけでなく、イギリス海峡でもUボートに沈められる輸送船の被害は甚大である。
扶桑国から来た船団護衛の戦隊のひとつはドーバーを母港にしてイギリス海峡を巡回している。扶桑艦隊の護衛がつけば間違いなく渡仏できると言われているが、それは反面、扶桑艦隊がいなければ非常に危ないという意味だ。
砲弾と共に二人はフランスの港に上陸し、トラックの荷台に乗って4時間、アラスの最前線にたどり着いた。トラックのコンボイは扶桑から来た砲弾を降ろしてまた港に戻る。数十台のトラックが港と大砲を24時間往復しているらしい。もし砲弾工場と戦場がトラックで結ばれるならまさに流れ作業になるだろう。とんでもない戦争だ。
石原が観測所に、米山が砲手のところに居座った。実を言って二人は21世紀の日本製の144Mのトランシーバーを持ってきていた。 QF18ポンド砲 いつから砲弾のロットが切り替わったか、不発状況はどうかをお互いに交信し伝えあう。情報は二人が共有し一人が戦死してもデータを持ち帰れるように図った。
石原は観測所になっている敵前の塹壕の中から、後方のイギリス軍が打ち出す砲弾を眺める。
持ってきた砲弾はひとつの大隊に限定して使用することになっている。QF18ポンド砲は大体毎分4発くらいで撃っている。米山中佐の話ではまだ別ロットの砲弾を撃っているという。
石原は向きを変えて、敵陣上空で爆発する砲弾を数える。
敵陣の頭上で爆発するのは7割くらいだ。爆発しないのもあり爆発しても早すぎ遅すぎもある。確かにこれじゃ砲兵もやりがいがないと石原は思う。現行の砲弾がどこで作られたものか分からないが、どうでもいい。今回持ってきた砲弾の不発率が1割以下なら任務完了だ。
144Mトランシーバー だいぶ経ってから米山中佐から今から切り替わるという連絡が入る。少し時間が経ってから数えればロット切り替わりの混ざりは防げるだろう。
石原は期待を込めて観測所から1キロほど前方の敵陣上空を眺める。数十発見ていると違いは分かった。不発と過早、遅滞を合わせて1割以下になったのは間違いない。
10分くらい数えていたが、比率は変わらない。前のロットより確実に良くなった。しかしそれでも適正時間に爆発しない砲弾が1割あることに驚く。戦争は兵士だけでなく工場労働者も等しく戦っているのだ。まともなものを作ってほしいといいたくもなろう。ともかくもう扶桑からはるばるここまで来た役目は果たした。

それから五日間で扶桑国からの弾は打ち尽くした。二人はどうするか相談した。砲弾の不発率は良くなりましただけでは済まない。国から観戦武官が来ていないなら、自分たちが情報収集しなければならない。まず戦車と飛行機と毒ガスがどんな状況なのか知らねばならない。
米山中佐
「向こうの歴史を見るとドイツ軍のリヒトホーフェンという飛行機乗りがすごいらしいが、その飛行を見られるだろうか」
第一次大戦の飛行機
石原大尉
「リヒトホーヘンは今まさに脂の乗り切った時期のようですね。でも記録によると150キロも離れたパリ近郊を基地にして戦っているはずです」
米山中佐
「そうかあ、そう言えばこの戦場では飛行機は見かけないね」
石原大尉
「あれ気が付きませんか。弾着確認らしい飛行機がときどき飛んでいますよ。もう観測所は飛行機が担う時代なんでしょうかね」
米山中佐
「ロシアとの戦争では気球を使ったと聞くけど、10年間で気球から飛行機に代わったか。でも地上の砲兵に連絡する方法をどうするのだろう」
石原大尉
「私たちは片手で持てる無線電話がありますが、無線電話がなければ紙に書いて落すのでしょうか。それでは意味がありませんね。
ところで戦車は昨年の秋にソンムの戦いに投入されたけど故障多発で、改良されたものが今年(1917)から投入といいますが、どこで見られますかね?」
米山中佐
「それはぜひ見ていこう。手ぶらでは帰れないだろう」
戦車
出発してから半年後の9月に米山中佐と石原大尉は横浜に上陸した。それより早くイギリス大使館から外務省に砲弾の品質が極めて良くなったこと、感謝する旨の文書が届いていた。
埠頭のコンクリートを踏みしめて、今回のプロジェクトは完了したと二人はほっとした。



帰りはのんびりと、
休みが取れただろう
次の仕事はこれだ

中野中佐
帰って来た米山中佐と石原大尉を待っていたのは、中野中佐の「報告書は帰りの船でまとめてあるね。戦車、飛行機、毒ガスも見て来ただろう。忘れずに盛り込んであるよね。
すぐにインフルエンザ予防プロジェクトを立ち上げろ。流行開始の1918年3月まであと7か月だぞ」であった。
二人は顔を見合わせた。そして同時に「困ったら伊丹の旦那だ」と声に出した。

うそ800 本日のダメ押し
ご異議があろうがなかろうが、私は品質保証とはこういうことの積み重ねであり、それを定着するためにルール化とか文書化があると考えております。なにしろ我が愛しきISO9001では「品質マネジメントシステム要求事項は、製品及びサービスに関する要求事項を補完するもの(ISO9001:2015序文 0.1)」と語っていますから。

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注1
ISO14001:2015 定義3.4.5そのものである。

注2
注3
第一次大戦末期のドイツの時限信管は百分の1秒程度の精度だったらしい。

注4
アメリカ軍が第二次大戦のときに使った対空用のVT信管(近接信管)には真空管が使われていた。当然その真空管は特別なもので2万Gに耐えられるものだったそうだ。2万Gといっても真空管の中の部品はグリッドやフィラメントだからせいぜいコンマグラム単位、かかる力は数キロ程度で大したことはない。とはいえ大変なことは大変だ。

ウィットねじ(ホイットワースねじ)はホイットワースが1841年に考案し、長らくインチねじの標準として使われた。
ユニファイねじは第二次大戦後、ヤードポンド法のアメリカ,イギリス,カナダ3国が軍需品の共用化のために制定した。寸法はインチだが、ねじ山の形状はメートルねじに合わせた。

注6
フックの法則の発見は17世紀だ。だから昔だって学校で教えていたと思う、多分

注7
大砲の口径に比べて砲身長が長くなれば、当然、射程が長くなる、ということは初速が大きくなり、ということは加速度が大きくなる。砲身長を口径で割った比を「口径長」(通常「口径」と略す)という。戦艦大和の主砲は46センチ45口径長で加速度が1500G、副砲は15.5センチ60口径長で4600Gくらいとあった。小銃の場合70〜100口径長になるから2万〜3万Gになるらしい。
この物語のQF18ポンド砲は84ミリ28口径長だから、900〜1000Gだろうと想像する。
ちなみにウェブに載っていたいくつかのデータの加速度と口径長を片対数グラフにプロットすると、この関係はほぼ一直線で近似式は下記の通り。
(加速度)=217e^0.05×(口径長)・・・私が作ったから当てにはならない

注8
衝撃もGメーターの起電力で測るという発想があるだろう。この場合、スプリングのGメーターにコイルを巻き起電圧を測ればいいわけだ。
しかしその方法では、砲弾を撃ったときも同様の方法で加速度を測定しなければならない。残念ながらこの物語時点の技術を前提として、大砲で砲弾を発射したときの起電圧の測定方法を、私の頭では考え付かなかった。もしテレメーターとかデータをメモリーにセーブできる技術があるなら、そもそも不発弾など作らないでしょう。
電圧計に捨て針をつけることも考えましたが、可動鉄片形計器では機械的強度がもたないんじゃないかな?


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