*この物語はフィクションです。登場する人物や団体は実在するものと一切関係ありません。
但し引用文献や書籍名はすべて実在のものです。民明書房からの引用はありません。
おっと、そういうと「環境マネジメントシステム」とはシステムでないのだからネーミングがおかしいという意見もあるかもしれません。 でもそれを言っちゃ、「環境側面」だって環境の側面ではない。組織の活動や製品又はサービスが、環境と関わる要素なのです。 |
part | 1.a piece or feature of something such as an object, area, event, or period of time 2.one of the separate pieces that something such as a machine or piece of equipment is made of |
||
element | 1.one part or feature of a whole system, plan, piece of work etc, especially one that is basic or important 2.the part of a piece of electrical equipment that produces heat |
砲弾の不発問題は、伊丹が参加してからなんとはなしというか、問題でさえなかったように解決してしまった。伊丹が采配を振るったようには見えなかったし、創意工夫をしたわけでもない。ないのではあるが、伊丹がいなかったなら解決しなかったのは間違いない。まさに「面倒は伊丹の旦那」であり、伊丹はなんでも屋であり便利屋である。 もちろん政策研究所の面々は皆、伊丹が単なる便利屋ではなく、ものすごく能力があること、無欲であること、そして何よりも人格者であることを知っている。伊丹が中野中佐や高橋閣下に示す敬意は偽りではなく、それ以外の人に対しても誠実であり嘘は言わない。 1917年も秋となり、欧州では今も激しい戦闘が続いているが、扶桑国では新世界技術事務所も砲兵工廠も半蔵時計店も、平穏な日々が過ぎている。
半蔵時計店も個人商店から株式会社になって、自分もいくばくかの株を持つようになった。もしかしたらだが、社長も夢ではないと思っている。 しかし今、宇佐美が考えているのはそのことではなく、品質保証のことだ。 だいぶ前、宇佐美は不具合が出ない仕組みはできないものかと、伊丹に相談した。宇佐美は組織や生産体制を完璧にすれば、問題が起きないのではないかと考えていた。 しかし相談を受けた伊丹は、それは無理だという。彼は完全無欠な組織などそもそもありえない。問題が起きても適切に対処できる体制があるべき姿で、それを作るべきだという。 確かに今回の時限信管の問題からは伊丹が正しいように思える。半蔵時計店で全く新しい製品を作ることになったとき、事業を始める前からどんな問題が起きるかを予想しそれを出さない生産体制にするなどまず無理だ。しかし生産に当たって、どのようなことを検討するとか試作するとか、生産準備とはどうあるべきということは一般化できるように思う。そういう体制は本当にできないのか、そこがどうもわからない。 そして伊丹は現状を改善していけば品質保証体制が確立するというが、その辺の考えもよく分からないというか納得できない。 伊丹のところに聞きに行くのもちょっと癪に障る。宇佐美は石原大尉を思い出した。そういえば最近欧州から帰国したと聞く。ご尊顔を拝しに挨拶に行くのも良かろう。 宇佐美は石原大尉にアポイントを取ると政策研究所を訪ねた。 | |||
「ご無沙汰しております。欧州から戻られたと聞きました。挨拶が遅れて申し訳ありません」
| |||
「いえいえ、お互いに忙しい身、元気であればなによりです。それにまだ帰国してひと月も経っておりません」
| |||
「欧州の戦場は大変だったのでしょうね」
| |||
「なんというか、一言で言えば大量生産大量消費という感じですね。我が国から毎月送っている10万発の砲弾など1週間かからずに撃ち尽くします」 | |||
「へぇ、想像つきませんねえ〜 ところで、もしよろしければ相談があるのですが」 | |||
「おお喜んで、いろんな人と話をすると、そのたびに新しいことを教えていただきます」
| |||
「いえ、今回は私が教えていただくわけで、 石原さんが欧州に行く前に、新世界技術事務所で伊丹さんと私が品質保証の話をしていたのを覚えていらっしゃいますか?」 | |||
「ああ、覚えています。不良を出さない仕組みとかそんなことでしたね」
| |||
「そうそう、石原大尉は品質保証にお詳しいのでしょうか?」
| |||
「正直言って携わったことはありません。ただあの話を聞いてから興味をもち関連する本を何冊か読みました」
| |||
「その本をお借りできませんか」
| |||
「うーん、貸して良いかどうか、伊丹さんと相談しなければならないですね」
| |||
「軍機ですか?」
| |||
「いや、そういうことではないのですが、」
| |||
「無理強いするつもりはありません。話してよい範囲で品質保証というものを教えていただけないですか」
| |||
「品質保証の興りはイギリスだそうです。やはり不発弾が多くて大変困っていた。不良対策をしようにも、検査するにも破壊検査しかなく、破壊してしまえば解析ができない」
| |||
「まさに今回の砲弾の不発問題と同じですね」
| |||
「それでまず、各工程をしっかり管理するようにしたという。製造は図面通り作っているか、職工は一定レベルの仕事ができる人しか携わらせない、保管や輸送のときの環境条件、温度とか湿度とかですね。もちろん検査する人は決められた人、検査に使う測定機器は定期的に異常がないことを確認するなど」
| |||
「お話を聞くと、当たり前のことに聞こえますが」
| |||
「もちろんやることはどこでも同じでしょう。しかしそこでは実施する方法や基準をすべて文書化、つまり規則などにしてそれを教え、実施させ、点検し、更に監査と称して実施状況や管理状況を文書通りしていたかを定期的に点検したそうです」
| |||
「ほう、それが品質保証ですか。なにか力仕事のようで、洗練されたようには思えませんね」
| |||
「そうかもしれません。実際に紙の量はすごく多くなったようです。規則も作るし細かい要領書も作る。そして実施したことを記録に取る。まあ大変な量になるでしょう」
| |||
「それは効果があったのでしょうか? つまり問題が減ったのですか?」
| |||
「問題と言っても多様です。元々設計的な問題は、製造工程でなくすことはできません。しかし製造や輸送、保管の問題ははっきりするし対策できる。 そして設計の問題と分かったものは、改めて設計検証することにより対策できたという」 | |||
「設計問題とはどんなことでしょう?」
| |||
「書物に例がありました。新型の水雷艇になったら、今までの水雷艇より戦死者が増えたそうです。それで旧型との違いは何か、それを調べた」
| |||
「ほう、なんだったのでしょうか。見当もつきませんね」
| |||
「調べた結果、脱出する出口が新型は従来より数センチ狭かったという。緊急時にはその数センチがまさに命取りになった | |||
「ほう!品質保証は、そういうことも解決できるのですか?」
| |||
「いや、品質保証という手法が解決したわけではありません。我々が問題解決を考える時、過去のデータ、つまり加工条件とか作業者とか材料の変化などを知らなければなりません。砲弾のときも、今まではどうだったか調べることから始まりました。 品質保証体制が確立していれば、手順や加工条件を文書にしているし、その結果も記録に残っている。そして手順通りしていたかの記録もある。更にはそういった仕組みが回っているかどうかの監査記録もある。だから異常が起きればすぐになにが今までと違うかが分かり、対策はすみやかに実施できたでしょう。 そして対策は要領書や規則を改定することで、定着つまり風化しないようにすることができる」 | |||
「おお、似たような話ですが、医者も病気になったときに来られるのでなく、普段から元気な姿を見ていると異常がすぐ分かるといいます なるほど、なるほど、その品質保証でやるべきことの一覧表などありましたら見せてもらえませんかね」 | |||
「うーん、それは勘弁してもらえますか。管理手法といえど重要な財産です。宇佐美さんが管理手法で特許を取りたいといったと伊丹さんから聞きましたよ。品質保証でもひと稼ぎとお考えではないのですか」
| |||
「ああ、そういうことですか。それでさっき軍機ではないけど秘密だとおっしゃったわけですね」
| |||
「まあ、それはそれとして、これから御社に仕事を頼むときには、製品の仕様や品質基準だけでなく、作り方とか管理方法、そして実施記録作成などを要求するようになるかもしれません」
| |||
「その趣旨はわかります。私どもも外に仕事を出すとき、製品の寸法だけでなく加工方法とか一定資格を持っている職工だけにさせることなどを要求しているものがあります」
| |||
「複雑なものになるとそういうことになるでしょうね」
| |||
「複雑でなくても、完成してからは検査できないものなどはそうですね。焼き入れ条件とか加工順序によって強度が違ってしまうことなどありますね」
| |||
「宇佐美さんと敵対関係にあるわけではありません。今度、伊丹さんと相談しますよ。伊丹さんが了承すれば関係する図書をお見せできると思います」
| |||
「気になっているのですが、石原さんや伊丹さんは、どこからか先進技術を入手しているのですか?」
| |||
「そんな質問には答えられません」
| |||
「なるほど、回答を拒否とは肯定でしょうね」
| |||
●
インフルエンザ対策プロジェクトの会議である。● 政策研究所はちょっと変わった組織で、認められた人はプロジェクトの責任者になることができる。というか責任者に指名されることがあり、責任者になる資格のない人は、その都度いろいろなプロジェクトのメンバーに指名される。だからAというプロジェクトでは甲さんが責任者で乙さんがメンバーとなり、Bプロジェクトでは乙さんが責任者で甲さんがメンバーということもある。 過去、ブルネイ作戦では幸子が責任者で米山中佐と石原大尉がメンバーであり、護送船団実行計画では幸子が責任者で兼安少佐と吉沢中佐がメンバーに、不発弾対策では米山中佐が責任者で石原大尉や伊丹の旦那がメンバーとなった。もっとも実質的には伊丹の旦那が仕切っていたけど。 残念なことに石原大尉は、まだプロジェクト責任者になったことがない。今までの様子を見ると、概ね中佐以上でないと責任者になれないようだ。というと伊丹の奥方は中佐待遇なのだろう。もちろんそれだけの能力はあると石原は認める。 今回のインフルエンザ対策のリーダーは米山中佐で、メンバーは伊丹の奥方と石原である。 | |||
「このプロジェクトがスタートして早や半月になる。一応インフルエンザとはなにか、向こうの世界ではスペイン風邪と呼ばれたそうだが、どんな病気なのか、被害状況などを一通り勉強した。 これから対策、対策と言っても、扶桑国で発病させないなど無理なのは分かっている。せめて発症者や死亡者を半減したいということかな」 | |||
「今まで日本から取り寄せた書籍を読み、予防策、発生時の対応策などを見てきましたが、やはり情報不足は否めません。向こうからインフルエンザの専門医を招聘し講演を依頼したいと思います」
| |||
「安易にも思えるが、できればそうしたいね。伊丹さんどうでしょうか?」
| |||
「実施することに賛成です。私個人はインフルの専門医は存じませんが、交渉することは可能と思います。ただこちらの世界の秘密を守ってもらえるのか、謝礼がいかほどかは予想できません。口止め料としてボッタくられると困りますね」
| |||
「今まで勉強したことから考えると、大学の先生とか研究者というよりも、実際に診療にあたった町医者のほうが実践的で参考になると思います」
| |||
「ああ、そのほうがお願いするのが楽そうですね。まず対象者が多いですから、より取り見取りでしょう。いずれにしても私たちが直接探すのも大変だから、まずは東京事務所に当たってもらいましょう。一両日中に何名か探してもらい、これはという人に私が交渉することでいかがでしょう」
| |||
「ではそうしてください。ええと講演となると我々だけが聞いてもしょうがない。医者を100人くらい集めて聞いてもらった方がいい」
| |||
「研究者とか軍医とか町医者とか、対象がいろいろ考えられますがどうしますかね」
| |||
「それは石原君の方で検討してくれないか。せっかくだから指導力、影響力の大きなところを捕まえないとだめだな」
| |||
「承知しました。場所は伊丹さんの方で日時が決まったら確保します」
| |||
「それから国民への啓蒙活動だが、今は10月初めか・・・ええと、ものの本によると発生は1918年3月というから来年の春先ということになる」
| |||
「米山中佐、向こうの歴史通りになるとは限りませんよ」
| |||
「その通りだがある程度スケジュールの設定は必要だ。今日時点、外国でも伝染病の流行が報じられていないから、向こうの歴史より早いことはない。我が国では来年の夏以降に流行という前提で考えよう。国民への一般教育、医者への治療方法の通知などは春までに徹底しておかないといけないな」
| |||
「流行の経過をおさらいしておきましょう。 1918年3月アメリカで流行したのが始まりで、それをアメリカ兵が欧州に持ち込み5月から欧州で大流行となった」 | |||
「アメリカで患者発生は1918年1月らしいです。となると二月後」
| |||
「スペイン風邪というとスペインで被害が甚大だったのか?」
| |||
「そうではありません。欧州は第一次大戦の真っ盛りで情報統制が厳しくインフルエンザ流行も報道されなかった。しかしスペインは中立国であったため、伝染病の流行が報道されたことから名がついたと言われています」
| |||
「なるほど、それから」
| |||
「欧州で流行したスペイン風邪は夏になって一度収まりましたが、来年1918年の秋に更に悪性となった第2波が世界中に広まりました。このために第一次大戦が終結したとも言われています。(第一次大戦終結は1918.11.11) 更に再来年1919年の春、今からほぼ1年半後ですが第3波の流行があり、日本ではこのときに感染者が一番多く、40万人も亡くなりました。日本は欧州から遠く人の移動も少ないから、病原菌が入ってくるのがそれだけ遅くなったのでしょうね」 | |||
「とすると我々には1年の猶予があるわけか」
| |||
「先ほども申しましたが、向こうの歴史通りなると限りませんよ」
| |||
「できれば死亡者を数万以下に抑えたいですね」
| |||
「数万なんていうと、ゼロにしろとどやされそうだ」
| |||
「建前論と精神論ではどうにもなりません。実現可能な目標を立て実行するしかありません。もっとも数万という数字の根拠もありませんが」
| |||
●
幸子が知佳ちゃんに依頼した日の夕方には、早くもめぼしい医師数名の名前の報告があった。講演をしてもらうにはやはり話もうまくなければならない。また学問的なことばかりで現場の医師の参考にならない話でも困る。そんなことを知佳は考えてくれたようだ。● ● 第一候補は小沢という千葉県の某市立病院勤務の内科医師だった。個人の医院だとこちらに来る休みが取れないだろうし、有名な先生だと動向からこちらの世界が漏れたりするとまずいだろうという発想である。 小沢医師は40代半ばで内科医の経験は長く、数年前インフルエンザが流行ったときは県の何とか委員会で活躍したという。 幸子は変な策を使わず、真正面から行くことにした。 その場ですぐに小沢医師の働く病院に電話した。自分はコンサル会社 新世界技術事務所の者であること、さまざまなコンサルタント業をしていること、今回は医療の遅れている地域でインフルエンザ予防のための講演をお願いしたいこと、できれば継続的に具体的な予防や治療について指導をいただきたいと伝えた。 その夜に会うという約束が取れたので、知佳に千葉市内でちょっとした懐石のレストランを予約してもらう。個室がいいと伝える。 それから小沢医師の勤務が終わった6時前に病院の前にハイヤーで迎えにいく。レストランはそうグレードは高くないが、都内までは行けないので仕方がない。 レストランでまずは名刺交換の後、食事をしながら話をする。 なかなか誠実そうに見える。向こうからは私がどう見えるのかなと幸子は想像を楽しむ。 断っておくが、幸子は伊丹にぞっこんだから、浮気する気持ちなど毫もない。 | |||
「場所は具体的には言えないのですが、まあ遅れた地域と考えてください。インフルエンザが流行する兆しがあるのですが、なにせ医療だけでなく全体的に遅れている地域でして、どうしたらいいのか分からないのです。そこで先生に予防や治療についての講演をお願いしたいのです。対象者は現地の医師約100名です」
| |||
「あのう、場所が言えないとおっしゃいますが日本なのでしょう?」
|
「日本ではありません。でも日本語は通じます」
| ||
「面白い表現ですね。そして医療水準が遅れている。まさかタイムマシンで昔に行って治療してほしいということですか、アハハハハ、 いや、失礼、高校生の娘が異世界ものの小説に凝ってましてね、私に読め読め言ってくるのですよ。もしかしてドラゴンとかゴブリンとかいたりしますか?」 |
「残念ながらドラゴンもエルフもいません。でも朱鷺は飛んでますよ | |
「なるほど、それじゃ間違いなく異世界ですね。朱鷺はロシアと朝鮮では絶滅。中国では毎年数百羽、雛が孵っていますが、日本語は通じません」
| |
「お詳しいですね。あのう、場所については突っ込まないでほしいのですよ。信じてほしいのですが、非合法ではありません。純粋に見知らぬ途上国支援と考えていただければうれしいです。謝礼については日本と同じ程度と考えております。ハッキリ申しまして口止め料的な上積みはできません」
| |
「伊丹さんはこちらの人ですか? それとも向こうの人でしょうか?」
| |
「私はこちらの人間です。おっと向こうもこちらも人の姿に違いはありません。ドワーフとか猫耳とか尻尾のある人はいません」
| |
「講演はこちらですか、向こうですか?」
| |
「向こうです。もちろん身の安全は保障します。もし不安でしたら先生がお帰りになるまで私がこちらで人質になります」
| |
「ちょっと考えさせてください。何日くらいかかりますか?」
| |
「講演そのものは半日と考えています。移動は片道1時間、行き帰り2時間と考えていただければ」
| |
「ああ、そんな近くなのですか。移動に何日もかかるのかと思いました。 日本から向こうに行っている人はたくさんいるのですか?」 | |
「多くはありません。私たち夫婦の他に数人です。それが何か?」
| |
「いや聞いてみただけです。明日中に決断して連絡しましょう。伊丹さんの電話は090でしたね。向こうにいても通じますか?」
| |
「大丈夫です。私の心配は先生が今の話を誰かに漏らすことです。それを止めることはできません。話をしないでほしいとお願いするだけです」
| |
「万が一に備えて家内だけには話しておかないとならない」
| |
「でも半日くらいのお出かけなら、奥様にも連絡しないこともあるでしょう?」
| |
「まあ商売が商売ですから、常に所在を明確にしておかないとなりません。病院には言わなくても家内から連絡がつくようにしておかないと」
| |
「なるほど、そういうときは奥様から先生のスマホに電話は通じます」
| |
「それじゃ明後日までにはご連絡しましょう」
|
<<前の話 | 次の話>> | 目次 |
この話は「宇宙をかき乱すべきか」フリーマン・ダイソン著、鎮目恭夫訳、ダイヤモンド社、1982年、の中の話を脚色した。 原典では爆撃機の脱出口についてだが、第一次大戦時ではもちろんそのような爆撃機はなかったので、ここでは水雷艇の話にした。 | ||
私が子供時代、町医者が近所の家族を見知っているのは当然だった。だから具合が悪くなって行くと、顔色を見ただけで薬が出てきた。 でも学校の健康診断で歯医者が私の顔を見て、お前は見る必要なしと言われたのは恥ずかしかった。それは日頃から歯医者にかかっているということだから。 | ||
江戸時代には江戸でも朱鷺が飛んでいるのが見られた。明治維新以降少なくなり、1920年代に絶滅したと思われたが1930年代に再び生存が確認された。1980年代に野生の朱鷺は絶滅寸前で全数捕獲され飼育されるようになる。 このお話は今1917年で、野生の朱鷺はまだ空を飛んでいたはず。 |