*この物語はフィクションです。登場する人物や団体は実在するものと一切関係ありません。
但し引用文献や書籍名はすべて実在のものです。民明書房からの引用はありません。
政策研究所の一室である。後藤新平貴族院議員と中野中佐、幸子、米山中佐がいる。 |
「帝太子殿下から話は聞いた。東京が数年後に大震災に襲われるという。信じられん」
| 顔を似せた つもりだけど | |
「後藤閣下、私も始めは信じられませんでした。我々は異世界と呼んでいますが、この世界と非常によく似た別の世界があるのです。その世界はこちらよりほぼ100年時間が進んでいて、向こうの事件や出来事を知ることができます。向こうから来た人もいます」
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「ほう・・・二の句が付けんな」
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「向こうの世界ではもちろん大震災が来ると予知できませんでしたから、10万以上の犠牲者が出ました。我々は大震災が起きるのを知ることができましたから、事前に対策し被害を最小限にとどめたいのです」
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「信じられないが、予想できるなら事前に対策すのは当然だ。 しかしなぜこの年寄りにそんな大役が回ってきたのか?」 このとき後藤新平は62歳、高橋是清が65歳。大正初期では十分に高齢である。現代ならこの10歳上という感覚だろう。 | ||
「向こうの世界で震災復興の指揮を執ったのが、後藤新平という方でしたと言えば、なぜ殿下がこのお役目に後藤閣下を指名されたかお分かりでしょう」
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「分かり申した。喜んでやらせてもらおう」
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「ありがとうございます。閣下のお仕事は防災計画の立案です。実行はもちろん政府であり各省庁です。 閣下の直属の部下はこちらの伊丹さんと米山中佐です。この二人は博士の頭脳と小隊長の実行力を持っています。なお伊丹さんは向こうの世界から来られた人です。今後仕事が進めば必要な人員を確保します」 | ||
「よし、では伊丹さん、向こうの震災の被害の詳細と、私と同じ名前の人間が作った復興計画を用意してください。 米山中佐、現在の東京府の地図を用意してほしい。住民の分布、軍や官公庁の配置、道路、水路、橋梁などの記入があること」 | ||
「おっしゃる資料は既に用意してございます」
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「それじゃ一読させてもらう。 そうだな、1週間後に初回打ち合わせをしよう。解散」 | ||
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翌週である。● 政策研究所の一室。後藤議員と幸子、米山中佐がいる。 | ||
「伊丹さんと米山中佐、お二人から頂いた資料を拝読した。まず大震災の被害が甚大なことに驚いた。そして皆さんから帝都についてお話を聞いていたが、横浜、川崎もとんでもないことになっている。更に三浦半島の津波被害などなど驚くことは多々あったが、驚いてばかりいてもしょうがない。 さて本日から仕事を開始と行きたいが、実を言って悩むところが多々あるのだ」 | ||
「閣下、なんでございましょう」
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「ご存じのように私はみちのく出の医者に過ぎない。この仕事を進めるにはかなり無茶をせねばならないが、あいにくワシは長州・薩摩の門閥とは縁がなく皇大の学閥つながりもない。お借りした資料を読むと、異世界の後藤新平は藩閥や実業界からものすごい抵抗にあい、やりたいことの半分もできず、大風呂敷と揶揄されたそうだ | ||
「まさか閣下、始める前から尻尾を巻いて・・」
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「いやいや、その気はない、その気はないのだが、ワシは根回しとか接待が不得手なので途方に暮れている」
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「それじゃとりあえず、このプロジェクトが順調に行くよう幕明けの元気付けに一席設けましょう。閣下はご存じないでしょうけど私は飲むのが大好きなのです」
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「それじゃ伊丹さんは男に生まれてこなかったのが残念だね」
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「あら、私は21世紀の女性ですから飲むのも打つのもしっかりやってますよ。買った経験はありませんけど」
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「伊丹さん、河岸は「料亭さちこ」でしょう。私も期待してよろしいですか?」
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「ほう、伊丹さんと同じ名前の料亭があるのか、それはぜひ紹介してほしい」
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「アハハハハ」
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数日後、「料亭さちこ」である。● ● 後藤新平がやって来たのは予定時間少し前で、既にほかのメンバーはそろっていた。 幸子に案内されて部屋に入ってきた後藤新平は座っている顔ぶれを見て驚いた。 | ||
「これはこれは、高橋閣下、それに渋沢栄一様ではありませんか。いったいどうしてここに」
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「今日は関東大震災対策プロジェクトの発足会ではないか、後藤閣下に期待しております。抵抗勢力を説得するのはワシに任せなさい。 いやね、ワシも向こうの世界の記録を読んでいささか反省しておるんだわ」 | ||
「わたしのような老人は、もう世に貢献できるとは思っていなかった。数日前、帝太子殿下から後藤閣下を手伝えと言われ、まだ期待されているのだと思うと涙がこぼれました。この老いぼれ後藤閣下のお役に立ちたいと馳せ参じました」 *このとき渋沢栄一は79歳で、現代なら80代後半だろう。 | ||
「小沢と申します。恥ずかしながら医師として後藤閣下の後塵を拝しております。緊急医療体制などにご協力させてください」
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他に中野中佐、米山中佐、幸子が座っている。 後藤が平伏してお礼を述べるのを、高橋大臣は力ずくで起こして座らせる。あっというまに和やかな酒盛りになる。さくらがお酌をして回る。 | ||
「「料亭さちこ」にはこんな別嬪な芸者までいるのか。おっと一本前の半玉か | ||
「後藤閣下、そのお嬢さんは帝太子殿下の | ||
「なんと、それはまことか?」
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「あっ冗談ですよ、小沢博士のお嬢さんで、帝太子殿下は娘にしたくてたまらんそうです」
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「一瞬、ワシも驚いたぞ、ワシもさくらを孫にしたくてたまらんよ」
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「だめです。さくらは我が家の娘です」
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「料亭さちこ」の女将がなぜ政策研究所で働いているのか? 一介の女将が大蔵大臣を呼ぶほどの力があるのか? 渋沢翁はこの料亭のご贔屓なのだろうか? 庶民の娘が帝太子のお気に入りとは? 後藤新平は訳が分からず | ||
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とりあえず今年のインフルエンザの流行は過ぎたが、その後も小沢医師はちょくちょくやって来て内務省衛生局のメンバーと会合を持っている。今、扶桑国で一番問題な疾病は結核である。老人だけでなく若者も罹患し死亡者も多い。 結核という病気はエジプト時代の遺体からも発見されていて、日本でも縄文時代の人骨に結核性変化がみられるものがあるという。そういう昔からあった病気であるが、平安とか戦国時代に結核が大問題という話は聞かない。それは人口密度が希薄で病気が広がらなかったからという。 結核が日本で広まったのは江戸時代からで、特に明治以降の産業革命と都市化によって人から人へと感染が増えた とはいえ、21世紀の今も毎年2000人程度が死亡している。先進国では罹患率が10万人当たり10人を切っているが、日本は14.4人と上回っていて先進国では最下位である。これは湿潤な気候の影響と言われている。 レントゲンがX線を発見したのは、1895年、X線撮影はすぐに医療、特に戦争で銃弾を受けた人の診察に使われた。日本には1906年頃からレントゲン装置が輸入され、1909年島津製作所で国産1号が作られた。1918年には大きな病院にはほとんど備えられているようになった そして学校や職場、軍隊などでの集団検診の実施、療養所の見直し、BCG接種などを推進した 21世紀時点で使われている結核治療薬の多くが戦後発見開発されたもので、古い方でストレプトマイシンが1943年、エタンブトールが1944年である。1918年時点では治療薬はほとんどない。 そこで小沢は裏技というか禁じ手を使った。要するに日本から結核治療薬を大量に持ち込んだのだ。小沢は伊丹や工藤から、向こうの世界からの持ち込み禁止について説明を受けていなかった。 話を聞いた伊丹は工藤と共に小沢医師を連れて、中野中佐の下に駆け付けた。ことの是非、処置を伺った。今は中野中佐が異世界交流関係の最高責任者となっている。もっともそれは非公式であったが。 報告を聞いた中野中佐は、それをいっちゃ向こうから持ち込んだ自動車や飛行機と同じじゃないかという。違いは事前に協議したか否かでしかない。だからその取扱いと判断基準を定めて運用しよう。そして小沢医師に扶桑国で治療薬を製造できないかを考えてほしいという。 もちろん小沢医師に対しては、今後善意であろうと事前に中野中佐に確認することを求めた。異世界に関する情報管理を誤れば、悪くすると扶桑国崩壊を引き起こすかもしれない。病気治療も重要だが、何事においても目的は手段を正当化しないのだ。 |
1月18日からパリで第一次大戦の連合国と中央同盟国の会議が始まった。会議そのものはパリで行われたためにパリ講和会議といい、対独平和条約が6月28日にパリ郊外のヴェルサイユ宮殿で調印されたのでヴェルサイユ条約と呼ばれる。 連合国側もアメリカの考え、イギリスの考え、フランスの考えがそれぞれ異なった。しかし最終的にはドイツが共産化することを恐れてウイルソン大統領の意向でまとまった。 史実では日本は山東半島を獲得したが、その結果欧米に警戒され敵視されることになる。日本が欧州の国だったならまた違ったのだろう。なにせまだ黄色人種は植民地が当たり前の時代だ。世の中を生きていくには、空気を読み、周りに合わせて生きていくことは大人の知恵である。 全権派遣団は伊丹邸での帝太子からの警告を受けて、ドイツが中国にもっていた膠州湾租借地と、それに関連する権益はイギリスに譲渡することを提案し、中国・朝鮮に食指を動かさなかった。イギリスはこれを受けて、ブルネイの統治権をブルネイの了解を得るという前提で扶桑国に譲渡することを提案した。 またドイツ領ニューギニア マリアナ諸島、カロリン諸島、パラオ、マーシャル諸島は史実同様に扶桑国が受任したのである。 牧野はじめ全権派遣団は、他の戦勝国から「扶桑国は参戦国中最小のコストで最大の利益を得た」と見られていることを実感した。酒席で伊丹に言われた通りである。 |
国名 | 戦死者数(市民除く) | |
ドイツ | ||
ロシア | ||
フランス | ||
オーストリア | ||
イギリス | ||
オスマントルコ | ||
イタリア | ||
ルーマニア | ||
アメリカ | ||
扶桑国 |
牧野はなぜ伊丹がその考えに至ったのかと思ったが、戦死者数を見ただけでわかることだ。扶桑国が他の参戦国に比べて極端に戦死者も市民の犠牲者も少ないのだから、逆恨みされないというか余計な摩擦を避けるには声高に要求してはいけないことに納得した。
それにしても青島だけであれば300名弱の戦死者だった。誤解を招くかもしれないが、ブルネイで2000名が犠牲になってくれたのがありがたい。ブルネイ攻略に参加せず戦死者が300名だけで終わっていたら今以上白い目で見られただろう。とはいえ要請に応じて欧州に派兵していたら、ロシアとの戦争以上の戦死者が出ただろうし、それはまた国内で大変なことになるところだった。 もし扶桑国に帰ってから議会や国民から取り分が少ないぞと言われたら、ロシアとの戦争で9万人が戦死したが何も得られず、今回は3000人の犠牲で南洋諸島が手に入ったと言えば文句はないだろう。 政策研究所の連中はそういった諸事情を鑑みて、誰からもイチャモンが付かない落としどころを決めたのか、それともたまたまのことなのか、彼らは天才なのか、まぐれ当たりなのか・・・ 牧野は腕組みをして考え込んだ。 そして頭に浮かんだのは、高橋大臣に頼んでまた「料亭さちこ」に行こうということだった。 ●
外務省からベルサイユ条約の報告を受けて、中野中佐と米山中佐、石原大尉、幸子は意見交換をする。● ● | |||
「我々が望んだ最善の回答と言えるでしょうね」
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「当初、全権派遣団は中国に利権を確保すると豪語していたので、不安でした。どういう風の吹き回しで考えが変わったのでしょうか。それともパリの会議では彼らの意見が通らなかったのでしょうか」
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「いきさつはわかりませんが、とにかくよかったですね」
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「今後の課題は南洋経営だね」
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「お任せください。外務省と関係機関を集めて、政策研究所の検討結果を周知して、認識を統一しております」
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「目立たないようにやってくれよ。我々は成果を出せばいいのであって、評価されることではない。君たちの評価は私がちゃんとしてやる」
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幸子はさくらが来たことが気に入らなかったが、テツとスイはお姫様扱いをしてさくらを甘やかしている。 更には知佳とカナハもときどき遊びに来て、三人で人力車に乗り歌舞伎とか寄席に行く。それも幸子にはいささか気に入らない。そしてさくらが着物を一人で着られるのも気に入らない。もっともテツもスイもさくらが着るのを手伝いたくて仕方がないようだ。 さくらが中野中佐に会いたいというので政策研究所に連れてきた。さくらは中野中佐に、以前、お酒の席でさくらを皇国大学に入学させてくれると言ったのは本気かと聞く。 | |||||||
「本気だよ、だけど皇国大学はさくらさんが行く大学ではないと思う」
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「どうしてですか?」
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「皇国大学はさくらさんの世界の大学とは違う。海軍兵学校は海軍士官を養成する学校で、陸軍士官学校は陸軍の士官を養成する学校だ。そして皇国大学は官僚を養成する学校だ。要するに研究機関ではなく、露骨に言えば職業訓練校なんだ」
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「それじゃ私の世界の大学のような・・・」
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「そういう学校はちょっとないな。残念だがこの国は後進国だ。この国の大学の目的は、先進国の学問や技術を取り入れる人を養成することだ。英語、ドイツ語、フランス語が読めて、外国の情報をこの国に展開できる人」
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「えぇっー、それって悲しい」
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「将来この国の学問や技術レベルも高くなれば、最先端の研究をしたり、それを外国に発信したりするだろう。しかし今はそうじゃない」
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「それじゃ、そもそも皇国大学に行こうとしたのが勘違いだったのですね」
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「とは言うものの、帝太子から皇国大学に入学させろと話が行ってさ、大学は拒否できるわけがない。せめてもの抵抗として試験を受けて一定点数を取れば入学を認めるとなった。それで特別に入学試験をすると連絡が来た。これがその書類だ。ええと来週の月曜日、科目は英語、ドイツ語、国語、数学、理科の5教科だ」
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「ええー、数日後じゃないですか。それに私ドイツ語なんて知らないわ」
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「まあ習っていないということで、いいんじゃないか。せっかく帝太子が手配してくれたんだから試験を受けなさい。辞退しちゃ帝太子に失礼だ。 大学側としては帝太子の要請を断れないけど、点数が足りないから入れませんと言いたいだろう。がんばってね」 | |||||||
ということでさくらは皇国大学の受験をすることになった。さくらは着ていくものを幸子に相談した。着物で歩くのは苦手と言うので、セーラー服とローファーを提案した。さくらの学校ではブレザーに変わる前はセーラー服でまだとってあるという。 実は幸子はセーラー服は昔から女学校の制服だと思い込んでいた。実際は1921年からだそうで、このお話より1年半後のことだ。 さて行くときになって一人では心細いというので、幸子がお供することにした。話を聞いた石原大尉も息抜きに行ってみようと同行した。それに護衛の憲兵下士官が1名ついていく。 試験会場に着くと、さくらひとりのテストだから、試験官の教員が二人いるだけだ。 さくらがドイツ語は習ったことがないというと、受けなくて良いという。帝太子のお声がかりだから、やむを得ず試験をしてやるというのが見え見えだ。可愛い顔をしているけど頭はノータリンと思っているのだろう。 一方、さくらは皇国大学の過去問など知らないから緊張のしまくりだ。 教室の一番前にさくらが座り、前に試験官が二人、教室後方に幸子と石原大尉と護衛の憲兵が座る。 試験問題が何部か余分にあるのを見て、幸子が受験したいという。 | |||||||
「ただ待つのもなんですし、余分に問題用紙があるようですから私にも受験させてくださいな」
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「それなら自分にも受験させてください。待っているだけでは退屈です」
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二人は前に行って座る。教員はヤレヤレという顔で二人に試験問題を配る。 憲兵にも試験問題が必要かと聞くが、憲兵は笑って首を振った。 最初は英語だった。A4サイズで1ページの英文を和訳する。幸子はざっと斜め読みしてから頭に戻り、さっさと和文を書いていく。10分もかからず終わる。顔を上げると石原も同時に終わった。さくらはそのすこし後に終わる。 さくらが終わった意思を示すと試験官は驚いたように3人から回答を回収し、次の数学の問題を配る。文章問題で二元二次の連立方程式を立てて解くものとか、少し複雑な図形の問題だった。 その他の科目もすべて30分程度で終えて3人は立ち上がる。ドイツ語は幸子と石原大尉だけが受けた。 | |||||||
「あのう、入学する気はありませんが、点数を教えていただけませんか」
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「私も知りたいですね」
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「すこし待っていただけるなら採点しましょう」
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二人の試験官はニヤニヤしながら採点を始めるが、すぐに真剣になる。 | |||||||
「うーん、伊丹さん、すごい点数です。石原さんもこれまた・・・」
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「あれえ、合計では伊丹さんに負けちゃいましたか。自分は結構自信があったのですが」
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「アハハハハ、ドイツ語は石原大尉にかないませんわ。ドイツ語なんてもう20年も使ったことがありません」
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「ふたりとも、ひどいですよ。今日は私の試験ですよ。それなのに私以上の点数なんて」
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さくらは最下位だったが、それでも一般試験の上位レベルである。三人の会話を聞いて試験官二人は、この三人はとんでもない秀才なのだと理解した。こういう連中には来てもらわない方がよさそうだ。 二日後、政策研究所に遊びに来たさくらを捕まえて中野中佐が言う。 | |||||||
「さくらさん、帝太子が受験結果を聞いて、入学することもないだろうと言っていた。その代わり聴講生としてときどき遊びに行ったらと言っていた」
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「中野様、そうさせていただきます」
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「それからさ、さくらさんに言うのはどうかと思うのだが、」
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「なんでしょう?」
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「帝太子がさくらさんにいたくご執心でさ、養女にしたいって」
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「へええー!」
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「彼はゆくゆく皇帝だから、そうするとさくらさんは内親王か」
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「ご冗談を、そんなこと国民も華族も帝室も黙ってないでしょう」
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「もちろん通りいっぺんではできない。帝太子はまず私の養子にして、我が家から養女にすると言ってる。宮家の娘なら世間もイチャモンを付けないだろうって」
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「それほど面倒くさいことしても、私はすぐにお嫁に行っちゃいますよ」
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「それこそさくらさんを手駒に使えるじゃないか。降嫁先に影響力を持てる。歴史的に見れば、武家に降嫁した女性のほとんどは貴族からの養女だよ。 さくらさんの場合、嫁ぎ先はひょっとして外国かもしれない」 | |||||||
「中野様、真面目な話なら怖くてこちらの世界にいられません。向こうの世界に帰ります」
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「まるで、かぐや姫だね。心配ない、帝太子と言えど無法ができるわけがない。少し帝太子と遊んであげたらいいよ。彼は息子が二人いるが、娘も欲しいってことだろう」
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政策研究所のある会議室で中野一派が懇談している。
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「ブルネイは獲得しましたが、これからの統治はどうするのでしょう?」
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「我々の仕事は最善手を検討して提案することだ。それは既に果たした。実務は政策研究所の範疇外だ。今、外務省がメインとなってブルネイ王族と交渉中だ」
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「そういえば王族は今どこに?」
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「パリ講和会議が終わってから、扶桑国とイギリスの交渉がありイギリスの権利が扶桑国に譲渡されたのが7月。それから一旦ブルネイに帰国した。それからまた国王と数人の幹部がこちらにきて外務省と協議中だ」
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「どのような方向なのでしょうか?」
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「イギリスと同様なら、外交と防衛を扶桑国が後見するのだろう。しかし聞くところによると、外交・防衛に限らず国内の行政もすべて扶桑にお任せしたいらしい。何をするにも先立つものは金だが、あの国は金がない。 実を言って、帰国して扶桑軍統治下での道路、電気、上水道の整備、それに王宮の復旧工事などを見て感動したらしい。 今は産物と言ってもゴムとか果物しかないから、これから産業育成をしていかなくてはならない。ある程度豊かになれば、ブルネイが独自にやっていけるだろう。それは独立につながることで、こちらにとってもありがたい」 | ||
「それは良かったです。石油の話はまだでていないのでしょう?」
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「それは10年後だね。当分はその存在は忘れることにしよう。 ところで石原大尉、南洋経営の計画はどうですか?」 | ||
「それぞれ島によって状況が違いますので一律ではないのですが、基本、熱帯の果物、砂糖生産、食塩生産、漁業基地、海軍の補給基地などを柱にそれぞれの特徴を反映して立案しております」
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「そのうち世界的な観光地になるわよ」
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「中国・満州の状況はどうですか?」
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「イギリスは山東半島を得て東洋艦隊の補給基地として計画中です。香港では南すぎますが、山東半島なら朝鮮半島や満州への進出の足掛かりに最適ですな。ついでに言えば扶桑国を侵略するにも最適ですね」
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「イギリスは中国に出る気はあるのだろうね?」
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「もちろんです。気になるのは満州の鉄道をアメリカが取りましたが、イギリスがそれにイチャモンを付けています」
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「あの二国が争うとまずいのではないかな?」
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「いや、米英共、引くに引けないでしょうから、そこにソビエトロシアが南下して来れば米英が協力して戦うと思いますよ。もし一国だけになれば、ソビエトロシアが出てきたとき残った国は戦わず引いてしまう恐れがあります」
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「どうなることかな?」
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「アメリカは既に国内で満州開拓を宣伝して、西部開拓に出遅れた人たちを移住させようとしています。開拓者を募集したら既に20万人が応募したそうです」
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「日本の満州開拓団が27万といいます。アメリカは馬も機械も持ち込むでしょうから20万人とはすごい規模ですね。彼らは銃も日用品扱いですから、馬賊やソビエトロシアの浸透には力で対抗するでしょう。ネイティブアメリカンとの戦いも決着しましたから、彼らにとっては第二の西部開拓でしょうね。これは面白くなりますよ | ||
「我が国まで火の粉が飛んでくるようになっては、面白いなんて言ってられんぞ」
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「既に陸軍の諜報機関は、満州にかなりの数の諜報員を送り込んでいます。状況は手に取るようにわかりますよ。 将来、アメリカが我々の代わりにノモンハン事件を戦ってくれるとありがたいですね。向こうの世界では、私も無関係ではありませんでしたが、こちらでは客観的に見られます。 アメリカの物量ならソビエトロシアを追い返せるでしょう」 | ||
「アメリカからでは、距離的に補給が大変だろうなあ〜」
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「そのときは我が国も連合国として参戦するのが良くないですか。 対空戦における電波探知機の活用を実戦で試したいですね」 | ||
「高射機関砲や対戦車砲の実験場ですね。胸が熱くなりますよ」
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「我が国が満州や中国に関わるのは嫌な予感がする」
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「ともかく共産主義の南下を止めることです。アメリカが意図しようとしまいと、その役目を果たしてくれればありがたい」
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「もちろん共産分子が扶桑国にも浸透してきて悪さをするでしょうけど。そこは防諜機関に期待したい」
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「しかしもう完全に日本の歴史からはずれてきましたね。これからはこの国が試行錯誤していくほかありません」
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「それが歴史の必然なんだろうねえ」
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久しぶりに小沢医師が来所してインフルエンザ対策会議である。 関係部門が参集して、一年前の流行と対策状況の反省とこの冬の対応策の確認を行う。 今回は手順や危険性を知らないものはなく、粛々と進む。 小沢はこの1年で防疫体制だけでなく医療知識、国民衛生に関する意識が高まったものだと思う。 日本では二度目の流行で死者が13万と言われているが、なんとか2・3万にとどめたいものだ。 |
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注1 |
風呂敷を知らない人はいないだろうが、単なる四角い布でいろいろなもの、書類でも野菜でも一升瓶でも包むのに使った。今ならバッグである。 「大風呂敷」または「大風呂敷を広げる」あるいは「大風呂敷を叩く」とは、大げさなことを言う、ハッタリをかます、ホラを吹く、大言壮語という意味に使われた。 | |
注2 |
半玉も一本も私は芸者とは縁がない。昔々60年くらい前のこと、私の住む田舎町で小金持ちの息子が半玉と良い仲になり、家族から総スカンを食って心中したという事件があった。10歳くらいだった私は、母に半玉とはなにかと聞いたことを覚えている。 | |
注3 | ||
注4 | ||
注5 |
BCGは1921年から使われたワクチンである。ジェンナーが種痘接種を行ったのは1796年で、日本でも幕末から接種が行われていた。 Cf.「百姓の江戸時代」田中圭一、筑摩書房、2000 | |
注6 |
アメリカでネイティブアメリカン(インディアン)との争い(侵略戦争)が終結したのは第一次大戦中の1917年である。国内で異民族と戦争していては、欧州の第一次大戦に関わるどころではなかったのだろう。 ところで、アメリカ西部劇映画の黄金期は1940年頃から1970年頃。その衰退原因はネイティブアメリカンの地位向上や公民権運動など言われているが、西部開拓が遠い過去になったからではないのだろうか。 日本で時代劇が衰退したのもそんな気がする。誰だって爺さんの時代までは思い入れもあるが、それより昔には親近感は持てない。 |