異世界審査員75.品質監査その1

18.04.12

*この物語はフィクションです。登場する人物や団体は実在するものと一切関係ありません。
但し引用文献や書籍名はすべて実在のものです。民明書房からの引用はありません。

異世界審査員物語とは
何事にも始まりがあり初めがある。品質監査はLMJが始祖だというけれど、その真偽はわからない。いや私は大いに疑っている。
そもそも私は品質監査というものが存在するとは考えていない。監査という仕事の一部が会計監査だろうし、一部が品質に関わることだろうし、一部が環境に関わることだと考えている。そして全部合わせると会社の業務すべてと等しくなるはずだ。
第三者審査はともかく実際に内部監査してみれば、ひとつの項目に限定しますなんてことができるわけがない。
例えば環境監査をしていて契約書の決裁者が会社規則で決める職階者でないときどうするのか、契約書に印紙税法で決める印紙が貼ってなければどうするのか、マニフェストを見たら過積載していて道路交通法違反ならどうするのか、まあそんなことが現実である。そして無権限者の決裁や、印紙金額の不足や、過積載に気が付かないなら、そもそも監査をする資格がないじゃないか。私は環境監査しかしませんとかできませんというのはまったく意味がない。

門松
1920年の年明けである。昨年1919年はいろいろあったが、今年もまたいろいろあるのだろう。
既にインフルエンザは昨年末からまた流行しているが、国民も医療機関も行政も昨年の経験もあり、大騒ぎすることなく粛々と対処している。昨年ほどひどい流行にはならないだろう。
今、伊丹は年始の挨拶に砲兵工廠に出向いたところだ。
藤田少佐
「伊丹さん、今年もよろしくお願いします。
今年は例の品質保証をしっかり定着させ拡大していくのが目標です」
伊丹
「例の品質保証要求は実際に取り交わしてみましたか?」
黒田准尉
「ハイ、不具合の多かった会社3社に対して試行しました」
伊丹
「どんな反響がありましたか?」
黒田准尉
「初めはそんな手間のかかることをしなくても大丈夫だと反論されました。こちらとしてもあまり自信がなく、とりあえず試行したいとお願いしました。それが12月初めでした」
伊丹
「それじゃもうひと月は経ったわけですね、なにか変わりはありましたか?」
黒田准尉
「実は大ありです」
伊丹
「ほう、お聞きしたいですね」
黒田准尉
「まず向こうの良品・不良品と検査前・検査済の混入はなくなりました。契約をしただけでも、気を遣うようになったのかもしれません。
保管とか輸送に付いても、保管場所や梱包の見直しなどをしたようです。
抜取検査については、従来より抜取数がかなり多くなったので苦情がありました。ただ結果として、受入検査で不合格になったというものは、今までのところありません。ということは向こうの出荷検査の精度向上かと思います」
伊丹
「それは良かった。じゃあ十分効果はありましたね」
黒田准尉
「効果があったというのは事実ですが、自分にはそれだけで効果がでたという理屈が分かりません」
伊丹
「とりあえず仕組みが風化しないために、適宜、製造会社を訪問して要求事項を守っているかどうかの点検、私は監査と呼んでいますが、それをすることが必要でしょう」
藤田少佐
「そうそう、要求事項の中に監査とありましたが、不思議に思っていたのですよ。あれって会計監査のことかですか?」
伊丹
「監査とは業務が決められた通りしているかの点検を言います。お金のことなら会計監査でしょうし、品質なら品質監査と呼んでもいいですし、工程を見るなら工程監査でもいいです」
藤田少佐
「要求事項を守っているかどうか点検すると言われてもピンときません。これは一度伊丹さんにお手本を見せていただきたいですね」
伊丹
「喜んで。監査するには、向こうの立ち会いも必要ですから、日程を調整してください。オタクは藤田少佐と黒田准尉が行かれるのでしょう」
黒田准尉
「もちろんです。」


1920年1月、ここは政策研究所である。米山中佐と幸子が30代の若いと言っていい男性と話している。

米山中佐
「中島社長、中島飛行機会社設立おめでとうございます」
中島社長
「おめでたいのかおめでたくないのか、まだ陸軍からも海軍からも仕事をもらえていません。軍を除くと飛行機の開発・生産の仕事は今のところありません。開店休業です」
中島知久平
私が中島飛行機(株)の創業者中島知久平である。
社名は富士重工から(株)スバルと変わったが、車だけでなくボーイング旅客機の翼などを作っている。

スバル360
米山中佐
「それは私どもにとっては好都合です。実を申しまして飛行機開発をお願いしたいのです」
中島社長
「それはありがたいです、軍以外の官公庁でも飛行機を必要とする部署がありましたか。
で具体的にはどのような?」
米山中佐
「私どもの希望はですね、8トンの荷物を積んで航続距離500キロ、時速200キロ、乗員は3名、10機ほど作りたい」
中島社長
「それはまたずいぶん重い荷物ですね。今までで最大じゃないかな。そして時速200キロとはこれまた随分と遅い。いまどきそんな鈍足の仕様を聞いたことがありません」
米山中佐
「実を言って遅くてもいいというか、もっと遅いほうがいいのです。それに運動性を求めません。安全に飛びあがり降りるなら文句ありません」
幸子
「丸ごと開発となると大変です。それで私どもがエンジンを供給します。空冷星型1500馬力、それと水冷V型1500馬力、二種類供与します。どちらを使われてもいい」
中島社長
「ほう!ものすごいエンジンですな。翼がなくても飛びそうです」
幸子
「ただ完成納期が絶対でして、1922年秋には全機そろう必要があります」
中島社長
「2年半ですか、十分でしょう。機体の大きさなど条件はありますか?
重量がありますから、滑走距離は長くなりますね」
米山中佐
「下方視界が重要なので高翼にしてほしい。飛行場はこれから作るのですが、滑走路は2000メートルを予定しています」
中島社長
「2000メートル!そりゃ豪勢ですな(注1)それだけあれば8トンの荷物を積んでも十分でしょう。ところで用途は何ですかな?」
米山中佐
「火事の時、消火に水を撒きたいのです」
星型エンジン
中島社長
「なるほど、消防飛行機とはものすごい発想ですね。
大量の水を積む代わりに速度も航続距離もいらないと」
幸子
「端的にお聞きしますが、中島さん実現できますか?」
中島社長
「エンジンが頂けるなら仕事は速いと思いますよ。しかしそれほど大きなエンジンは聞いたことがありません。どこから輸入するのでしょうか。信頼性は大丈夫ですか。エンジンのトラブルがなければ、2年どころか1年でできるでしょう」


さくらは皇国大学入学を止めて、日本の大学の理学部を狙うことにした。とはいえどうせ合格するだろうとまじめに勉強する気もなく、 さくら 3日連休があるとカナハか知佳と一緒に伊丹邸に来るのである。そして21世紀の日本には毎月1回は3日連休があるのだ。
幸子ももう諦めて好きにさせている。どうせ面倒を見るのは女中のテツとスイだ。食費とかお小遣いなどたかが知れている。幸子はさくらたちが来たとき挨拶を受けるだけだ。さすがにさくらは、来たときと帰るときには正座して手をついて挨拶する。それだけは感心する。

今回は大相撲初場所を見に来たのだ。相撲好きで千葉県民であるさくらは、郷土の誇り大関千葉ヶ崎俊治の相撲を見たいという(注2)幸子はテツに枡席を確保してもらう。カナハは一緒に来たものの相撲に興味がないと一人銀ブラに行ってしまった。それで幸子はテツにお供を頼む。まさか一人で歩かせるわけにはいかない。ちなみに伊丹邸には憲兵が駐在しているが、あくまでも伊丹夫婦の護衛であって、特に頼まれなければ客人の護衛はしない。

相撲取り 伊丹邸から渋谷駅まで人力車で行き、山手線から総武線に乗り継げば両国はすぐだ。
さくらは千葉ヶ崎関の取り組みを手に汗握って観戦したのち、支度部屋まで追いかけて行って向こうから持ってきたお酒とお菓子を渡した。大関は喜んで受け取り、さくらに手形を押した色紙をくれた。

そこまでは良かったのだが、その後がよくなかった。
さくらとテツが国技館を出ると、お金持ちのボンボンらしき若い男が付きまとう。さくらを料亭に誘う。さくらを半玉と思っているようだ。
*半玉とは玉代が半額の芸者の卵
テツはさくらを引っ張って国技館の事務所のようなところに飛び込む。男は中まで入らないが、表で取り巻き数人とさくらが出てくるのを待っている。
テツがそこにいた相撲関係者になんとかしてとお願いするが、そのボンボンが谷町とかで強く言えないらしい。困ったテツは幸子にヘルプコールする。

30分もしないうちにT型フォードがやって来た。中野が事務所に来て大声でさくらを呼ぶ。さくらが飛び出して中野中佐に飛びついて発した言葉が
さくら「おとーさん、怖かったよう〜」
中野がさくらを連れて外に出ると、例の男が待っている。さくらにちょっかいを出そうとするのを、憲兵が数人駆け寄って捕まえた。ボンボンはさくらと憲兵を見比べてアワアワしていたが、中野中佐とさくらはそれを無視して車に乗る。

さくら
「中野様、ありがとうございました。怖かったです〜」
中野中佐
「どういたしまして。それより私をおとうさんと呼んだのは、養子になってくれるということかな」
さくら
「えぇえぇ、それも怖いで〜す」

とりあえず、さくらと中野中佐の距離は少し近くなったようだ。


政策研究所である。石原大尉と兼安中佐が話し合っている。

兼安中佐
「戦争が終わって1年になるが、戦後不況はまだ起きていないようだ」
石原莞爾
「向こうの世界でも、欧州大戦が終結した翌1919年は大戦を上回る好景気だったそうです。欧州が落ち着いて復興が始まるまで時間がかかりますからね。終戦して1年と少し過ぎた1920年の3月に過剰生産と輸出不振でガタっと」
兼安中佐
「するとあとひと月ふた月ということか」
石原莞爾
「ただ向こうとは条件がだいぶ違います。それで自分は極端な不況にはならないという気がするのです」
兼安中佐
「向こうと条件が違うというと?」
石原莞爾
「まず我が国の工業力が上がってきました。欧州に比べて遜色ないとは言いませんが、向こうの世界よりははるかに技術力がアップしています。向こうでは戦後欧州の産業が回復してくると、すぐに稚拙な日本製品は駆逐されてしまいましたが、そのようなことにはならないと思います」
兼安中佐
「なるほど」
石原莞爾
「その他あと二つあります。
二つ目は欧州大戦中、あまり事業拡大をしすぎないように政府も銀行も手綱を締めていました。ですから向こうほど野放図な過剰投資もなく景気はオーバーヒートしていません」
兼安中佐
「三番目は?」
石原莞爾
「向こうではこれまで朝鮮に多額の投資をしています。そしてこれからは朝鮮だけでなく満州にも大金を投じることになります。 お金 日本は朝鮮と満州を植民地というより自国と見て、インフラに投資しました。上手くいけば投資した何倍も見返りがあったのでしょうけど、実際には見返りがないうちに終わってしまいました。向こうに作った社会資本、つまり鉄道、道路、橋、工場、発電所、学校などは皆置いてくることになり日本は丸損です。
こちらの世界では扶桑国は朝鮮にも満州にも関わりがなく、底なし沼に無駄金をつぎ込んでいません。その代わり国内に投資しています。それは確実に資産として残ります。
それと南洋が手に入りました。それは向こうも同じですが、活用の仕方がはるかに上です。そりゃそうですよね、どこにどんな資源があるか分かってやってますから」
兼安中佐
「なるほど、それじゃ戦後不況は来ないのか」
石原莞爾
「いや、影響が皆無とはいきません。戦後不況は欧州復興の影響だけではありません。異常気象で凶作になるのは我々の手には負えません。でも人間は食べさえすれば生きていけます。生きていけるならなんとかなるでしょう」

第一次大戦後の主たる出来事

1914

1918
欧州大戦(第一次大戦)
1919好況が続く
1920戦後不況
1923関東大震災
1926大正天皇崩御
1929大恐慌
1930昭和恐慌、満州事変(下記注)
1931東北・北海道冷害による凶作→1932まで続く
1932515事件
1933昭和三陸津波
不況が続く
1936226事件
注:日本の歴史では石原莞爾が企画実行した。
兼安中佐
「なるほど、そうすると石原君はこれから10年くらいの経済政策をどう考えているのかね?」
石原莞爾
「今持っているもので豊かな社会を作るために知恵を絞ることでしょうね」
兼安中佐
「今持っているものって?」
石原莞爾
「扶桑国の資源と人ですよ。それは決して欧州に負けないと思うのです」


砲兵工廠である。今日は初めて調達先に品質監査に行くところだ。
藤田少佐と黒田准尉、そして伊丹が歩いて30分ほどの取引先にいく。
相手は社長と工場の工場長の二人だ。

伊丹
「本日は品質監査をさせてもらいます。私は能率技師をしております伊丹と申します」
社長
「品質監査とは何ですか?」
伊丹
「御社と砲兵工廠では取引の契約で製造管理の要求ということを取り交わしています」
工場長
「ああ、昨年暮れに工場でこういったことをしてくれと言われたことですな」
伊丹
「そうです。本日はその実行状況の確認をさせていただきます」
社長
「いやいや、言われた通りちゃんとしてますから、改めて実施状況の点検などするまでありません」
伊丹
「御社との契約で砲兵工廠は品質監査ができることになっています。
基本的に私が質問しますので、それにお応えしていただければ結構です」
社長
「なんかめんどくさそうだね」
伊丹
「まず出荷検査の状況ですが、昨日は小銃の部品を1000個砲兵工廠に納入しています。その検査結果を見せていただけますか」
社長
「おい工場長、昨日の出荷分の検査結果はあるのか?」
工場長
「はい、ええと納入は1000個でしたが、一昨日と昨日の二日にかけて製造したのでロットは一昨日の500個と昨日の500個の二つに分けて検査しました」
伊丹
「ロットを分ける意味があるのですか?」
工場長
「日によって人も変わりますし、天候も違うので、ウチでは1日1ロットにしています」
伊丹
「なるほど、ロットが500個といいますと何個抜き取りしましたか?」
工場長
「工廠さんから頂いた抜取表で数を調べます。これですな。ロット500個で並みですからH、AQL0.4%なので50個サンプルを取ってゼロイチ判定となります(注3)
伊丹
「おお、もうすっかり自家薬籠とされていますね」
社長
「当然だよ、伊丹さん」
工場長
「それで500個の中から50個を抜き取って寸法を測りました。外観は目視で確認しました」
伊丹
「なるほど、結構ですな。
ところで抜取りはどのようにしたのでしょうか?」
工場長
「部品は縦横10個の仕切りのある箱に100個ずつ入っているので、各箱の一番端の列から10個ずつ取りました」
伊丹
「抜取は無作為に、つまりデタラメに抜取しないといけません」
工場長
「そんなこと言われても・・・実を言いまして箱の中央から取ろうとすると手間が大変なのです。箱を重ねていますので、少しずらすと端の列は取り出せるのですが、中央は箱を積み替えないと取れないんですよ」
伊丹
「抜取は無作為にしないといけません。そういった手抜きは困ります」
工場長
「どうすればいいのですか」
伊丹
サイコロ 「1から10までの数字があるサイコロがありますし、乱数表というのもあります。そういったものを使って抜き取ってください(注4)
社長
「なんでそんなめんどくさいことをするの。そんなことをしなくても問題ない」
伊丹
「偏った抜取をしますと正確なデータとはなりません。なによりも無作為に抜き取る契約になっています。そのとおり実施していただけないと不適合、つまり監査結果が不合格ということになります」
社長
「おいおい、藤田少佐殿、これはいささか横暴じゃないのか」
藤田少佐
「いや抜取が無作為でないということは、良さそうなところを抜いたりするかもしれません。あるいはまた加工品がばらついているとき、偏って抜き取られることもあるでしょう。そういうことのないように無作為にしていただきます」
社長
「うーん、まあ、後で協議しましょう。伊丹さん次に行ってください」
伊丹
「昨日生産分の検査結果を見ると50個抜き取って、50個良品となっています。この50個の寸法は記録していなかったのでしょうか?」
工場長
「検査結果の良・不良を記録しています。寸法までは記録していません」
伊丹
「ええとこの品質保証協定書では測定した寸法を記録しておくこととあります。良否だけでは全部の寸法を測ったという証拠になりません」
社長
「わかった。それも後で協議しよう」
伊丹
「それじゃ出荷検査している現場を拝見できますか」

工場長の後をゾロゾロと歩いていく。
縦横50センチくらいの板の上に部品が20個くらいずつ載っている。

伊丹
「ええとここにある部品ですが、検査したものなのか、これから検査するのか分かりますか?」
工場長
「ええと、どこからかな、オーイ、検査したのとしてないのどこでわかるんだ?」
作業者
「検査済と検査前の仕切りにノギスを置いています。ノギスが置いてある板はまだ検査していません」
伊丹
「それはなにかルールを決めているのですか?」
作業者
「いや、私が検査するので自分で決めているだけです。他の人は関係ないですから」
伊丹
「もし誰かがノギスを動かしたらどうなりますか?」
作業者
「そんなことをする人はいませんよ」

そこにもう一人の作業者がやって来てノギスを掴んだ。そして持ってきた部品の寸法を測って首を横に振って、ノギスを板の上に置いて行ってしまった。ノギスを置いた板はノギスが置いてあった隣の板だった。
社長と工場長は恨めし気にその作業者の後姿を見送った。

伊丹
「これでは検査前、検査後は分かりませんね。品質保証協定書には識別という項目がありまして、そこでは・・・ええと「検査前と検査後を示す方法を定めて、それを表示する。また関係者に周知する」とありますね。これが実施されていないということでよろしいですか」

社長は苦虫を噛み潰したような顔をしている。

伊丹

「ところでそのノギス、クチバシが曲がっていますね」

*クチバシとは内径を測る部分で、鳥のクチバシに似ているのでそう呼ぶ。

矢印

ノギス

工場長
「ああ、ちょっと曲がってますね。落したのかもしれないな」
伊丹
「それじゃ寸法が正しく測れないような気がします。ええと品質保証協定書には、「計測器は使用前に異常がないことを確認する。異常があるときは直ちに修理あるいは正常なものとの交換をする。そして異常のあった計測器で検査をしたものは、再度検査を行う。この記録を残すこととありますね」
工場長
「もー、わかりました。問題があったと書いておいてください」
伊丹
「ええとそれから品質保証協定書によると、この検査では指定されたノギスを使うことになっていますね。ええとその番号は「ハ-25」という登録番号のノギスとなっています。ちょっとそのノギスを見せていただけますか・・
ハ-31
これは「ハ-31」という番号札が付いています。となると指定されたノギスを使っていないという問題ですね」

社長と工場長は表情のない顔で伊丹を見つめている。

黒田准尉
「なるほど、品質監査とはこういう風にすればいいんですね」
伊丹
「品質保証協定書に書いてあることをその通りしているかどうかを確認、つまり質問したり自分の目で見て記録するのです。
こちらの方々は面白くないようですから、次回はこちらの方に工廠の品質監査をやってもらったらいいと思いますよ。お互い様ですから」
社長
「おお、ぜひともワシにやらせてくれ」

藤田少佐と黒田准尉は顔を見合わせた。

うそ800 本日、思い出したこと
私が最初に外注の品質監査をしたのは1980年代のこと。もちろんISO9001が制定される前だ。私が品質監査に行くと、いつもこんな調子だった。監査を受ける方は、そんな細かいことを言うなとか、無理だよとか、ふざけるなーなんてリアクションが普通だった。
そんな状況で、私は意を尽くして説得したものです。
それに比べてISO審査員は、ワシは神だ、絶対者だというご認識、いや誤認識で審査あそばされたようで、ほんとに遊んでいたんじゃないですかね? まあいつかこいつらに天罰が下るだろうと思っておりました。天罰が落ちたかどうか定かではありませんが、認証制度そのものが制度疲労してしまったようでございますね。
残念でなりません。いや違った、残念ではありません

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注1
陸軍最初の航空隊は1911年所沢に置かれたが、この滑走路は長さ400mだった。今は所沢航空発祥記念館であるが、飛行場だったとは思えないほど狭い。
海軍は1912年に横須賀追浜に水上機基地を作り、1916年に埋め立てて飛行場を作った。30年後の終戦の時でも滑走路は1200mが1本、800mが1本だった。当時の大型機である一式陸攻でも離陸距離は600mだった。1931年に開港した東京飛行場(羽田飛行場)も滑走路は300m。
1920年当時の飛行機は60km/h程度になると浮き上がった。 ゼロ戦 だから数十メートルも滑走すれば間に合った。なお一般に離陸距離とは飛行機が高度15mまで上がる地点をいう。それを考慮しても300〜400mあれば十分だったのだろう。この時代から10数年下ったゼロ戦でも100q/hで浮いた。
ちなみに現代の普通車は静止状態から10秒も加速すれば100q/hになる。そのときの距離は約130mである。
第二次大戦時の日本の軍用飛行場の滑走路は長さ1000m内外で非舗装だったから、簡単にたくさん作ることができたのだろう。

注2
千葉ヶ崎俊治とは千葉県富里市出身で1893年生まれ、1919年に大関になる。糖尿病で1924年引退、1933年没。

注3
JISZ9015-1より

注4
大変なことがわかりました。
ランダムナンバーを求める「乱数表(Random number table)」というものは1955年に発行されたものが最初らしい。それ以前は乱数表とは暗号の解読表を意味した。
考えてみれば抜取検査が始まってから乱数表が必要になったのだろう。統計的な抜取検査が一般企業で用いられたのはアメリカでも第二次大戦以降だろうから、そんなものか。
ともかくこのお話では1920年に乱数表があったことにしよう。


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