異世界審査員88.大陸調査その1

18.06.07

* この物語はフィクションです。登場する人物や団体は実在するものと一切関係ありません。
但し引用文献や書籍名はすべて実在のものです。民明書房からの引用はありません。

異世界審査員物語とは
「シベリア出兵」なんて中学校の歴史教科書では1行あっただけと記憶していますが(注1)何事にも起承転結はあり、それなりに複雑な因果があるわけです。
さて図書館で「シベリア出兵」をキーワードにして検索すると30〜40冊ありましたが、借りた数冊以外も書架ですべてを手に取り、序と目次と中身を斜め読みしました。いや、逆ですね。斜め読みしないと借りるべきか借りざるべきか判断がつきません。すると9割というかほとんどが、日本の蛮行とか野心と片づけています。
笑ってしまったのは、司馬遼太郎のシベリア出兵に関する見解を基に書いたという本もあって、いったいそれってなんでしょうね?(注2)
またいわゆる自虐史観というのか、ソビエトは常に正しく、日本は常に悪いという見解もあって、呆れてしまいました。
あっ、私は日本が絶対正しいという気はさらさらありません。それほどバカではないつもりです。
でも旧ソ連/ロシアが不凍港を求めて南進(南侵?)することは悪いことではなく、ロシアが日露戦争に負けたから日本に対して武力侵攻しようとするのは当然で、日本が第二次大戦の最後にソ連に攻められたからといってソ連/ロシアを警戒することは悪だ、という見解にはついていけません。
話は変わりますが、督戦隊(とくせんたい)というのをご存じでしょうか。戦争のとき味方の後方にいて、退却する味方の兵隊を撃ち殺す簡単なお仕事です。一般の国ではそういう役割を一時的に担った部隊はありましたが、専門の部隊は存在しません。もちろん敵前逃亡は死刑というのは旧約聖書の時代からの鉄則です。ローマ時代は敵前逃亡する人を見逃した兵士も死刑という規則でした。土方歳三が函館の戦いで、退却する兵士を「戻れ戦え」と叫んで切り捨てたそうですが、それも督戦隊とは言いますまい。

ソ連のBT-7戦車

ノモンハン事件のときの
ソ連の主力戦車BT-7
しかしソ連では督戦隊専門の部隊がありました。それどころかシベリア出兵より20年後のノモンハン事件では、ソ連戦車の乗員は鎖でシートに縛りつけられ戦車から降りることができず、日本軍と戦わされたというのはソ連の本にも書いてある事実です。日本の某氏が書いた本には「戦死したソ連の戦車兵が鎖で縛られていたというのは間違いで、本当はそれはシートベルトだった」とあります。今ならそんなバレバレの嘘は書けないでしょう。
戦車兵だけでなく、狙撃兵も木々に縛り付けられて逃げようも隠れようもなくひたすら戦ったそうです。まさに兵士を動物扱いではありませんか。
まただいぶ前ですがNHKのドキュメンタリーでは、今もたくさん残るソ連の戦車の残骸を、日本軍の戦車の残骸と説明していました。嘘を100回語ると真実になるというのは、中国や朝鮮の伝統芸です。日本のマスコミにはそれを真似する人は多い。浜の真砂は尽きるとも世に自虐の種は尽きまじとでもいうのでしょうか。
なぜ嘘かって? ソ連の本に、ソ連の戦車の被害は400台、日本軍戦車を30台破壊したと書いてあるのです。普通、戦果は大きく、被害は小さく書くものでしょう。参考までにソ連の本に書かれた撃墜した飛行機は日本の646機とあります。しかし投入された日本軍機は400機ですから、400機以上のはずはありません。草原に今も残る多数の戦車の残骸はどうも日本の戦車ではないようです。

話は違いますが、中国の覇権を望みアメリカ覇権を憎む人も多いです。それはアメリカの覇権だからなのか、覇権はあってはならないのか、運用の現実がまずいからなのか、どうなのでしょう。パクスアメリカーナを憎み、パクスチャイナを望む人の頭の中を調べたい。
沖縄では米軍基地をなくして中国軍を駐留させようという人たちがいます。こういう人の頭は腐っていると思います。
もちろん私は今現在中国がしていること、つまり野放図な軍拡、ハニートラップと呼ばれるセクスピオネージ(注3)更には合法・非合法で中国人を送り込み中国の支配地域拡大をしていることを許しません。許すって人がいたらそれは現実を見ていないか、中国のスパイでしょう(注4)

1922年6月 政策研究所の一室である。中野部長、兼安教授、石原助教授の三人がコーヒーを飲んでいる。 饅頭 今まで研究所では緑茶を飲む人が多かったが、最近は幸子の影響でコーヒー派が増えてきた。緑茶も美味いが、コーヒーは眠気を吹き飛ばす効果が大きいように思える。
ところで緑茶ならあては饅頭で、コーヒーならケーキかタルトという組み合わせにするのが一般的だろう。ところがここではコーヒーでも饅頭である。でも不思議とこれが合う。

兼安教授
「アメリカとイギリスはまだウラジオストクを占拠していますが、我が国はシベリア出兵を引き上げると決定しましたね」
中野部長
「だいぶ長引いていたが、大きな損害を出す前に引き上げると決定したのでホットしたよ。我が国はお付き合いで出兵したものの、深入りしないかと心配していた。アメリカとイギリスは利権がらみだから我々とは意気込みが違うからね。
とはいえ我が国だけでなくアメリカ・イギリスも引き上げるようになると、ソビエトロシアの南下が気になるね。満州への南下だけでなく樺太から北海道への侵入もあるだろうし、秋田、新潟、能登半島など西海岸への潜入もあるだろうね。それが今後の課題だ」
兼安教授
「おさらいをしますと・・・
欧州大戦が始まりました。当初はアメリカもイギリスもロシアも扶桑国も同じ連合国側でした。

* 欧州大戦とは第一次大戦のこと。第二次大戦が始まる前は第一次が付くわけはなく、また欧州の戦いだったので欧州大戦と呼ばれました。

さて膠着していた西部戦線と違い、東部戦線ではドイツ・オーストラリア軍はロシアをドンドン押していきロシア国内は恐慌状態となり、経済も混乱して食糧難となり、困窮した人々によって反政府デモやストライキが起きた。
そんなこんなで帝政を倒して臨時政府が立ったものの、すぐにドイツの支援を受けたレーニンやトロッキー達が共産主義勢力が権力を握る。そして紆余曲折はあるけど、共産党政府(ボリシェヴィキ)はドイツと講和を結び停戦する。実際は講和というよりも領土割譲、賠償金支払いということでした。
ところで連合国だったロシアに対して、イギリスやアメリカはそれまで武器弾薬を大量に支援していた。陸揚げしたばかりというものも多数ある。共産党政府はこれをドイツ軍に引き渡すという噂も流れてきた。噂と聞き流すわけにはいかない。連合国側としてはドイツ側に渡っては大変だ。倒産企業から自社資産を引き上げるようなものです。もちろんそればかりではなく、ソビエトロシアがドイツと組んで東アジアに侵攻するという懸念もされた。
もうひとつの問題はドイツに蹂躙されドイツ軍として戦っていてロシアの捕虜となったチェコスロバキアの兵士たちは、ロシア軍に所属してドイツと戦っていたが、ロシアの後ろ盾というか国際法上の地位を失ってしまった。彼らはロシアとたもとを分かちドイツと戦い続けたいと願った。
それと欧州の東部戦線で捕虜になったドイツ・オーストリアの兵士25万人がシベリアに抑留されていました。もしこれが解放され武器をもって日本に攻めてくればとんでもないことになる。我が陸軍の総兵力は26万です。実戦体験のある兵士25万がソビエトロシアの支援でこちらに来れば我が国はどうなることか。
更に向こうの世界では日本は日本の事情がありました。10年前のロシアとの戦争に勝ったときに満州におけるロシアの権利を引き継いだことと、朝鮮を併合したこと、そんなわけで満州と朝鮮にだいぶ投資してきた。それで共産主義が浸透することを恐れた。
それと日本は朝鮮を併合しましたが、反日朝鮮人たちはウラジオストク周辺に逃れ、そこから反日活動を行っていました。手を伸ばせば届く距離ですが、ロシア領だから手を出せない。機会があればここの反日朝鮮人を叩きたいのは当然です。でも単独では行動しがたい。
連合国諸国はみなそれぞれ本音と建前があり紆余曲折はありましたが、1918年に英米中日が出兵します。これをシベリア出兵といいます」
石原莞爾
「それに対して、こちらの世界では日本と違い我が国はロシアと引分け、実質は負けてしまったので満州にも朝鮮にも権益がなく、大陸には関わってきません。そして中国大陸を欲しいとは考えていませんでした、というか我々がそう企画したわけですが・・」
中野部長
「朝鮮に関わったためにいろいろと面倒なことがあったわけだ。この世界で朝鮮にも満州にも関わらないということはありがたい」

この物語の1922年の東アジアの地図

この時代の地図

石原莞爾
「こちらの世界でもロシアに支給した武器弾薬の問題は向こうの世界と同じですし、チェコ軍団も同じ、更にはドイツとソビエトロシアが共闘する懸念もある。
それを防ぐために連合国が出兵するので我が国もお付き合いで7,000人出兵しました。向こうの世界で日本が派兵したのは37,000人でしたがこちらでは大幅に少なくなりました。その代わり満州に権利を持っていたイギリスとアメリカが多くの兵士を派遣して、合わせて兵力60万と向こうの世界よりも大規模な作戦を行います」
兼安教授
「そもそも向こうの世界で日本が7000人というのは、アメリカがフィリピンから回せる兵士が7000人しかおらず、日本に主導権をとられないために日本兵を同じ数に抑えたといういきさつだった。欧州列強も手を汚すのは日本にしてほしいけど、上前をはねられるのは困るという、もうお互い呉越同舟、同床異夢で疑心暗鬼、足の引っ張り合いだね。
どう考えても上手くいくはずがない」
石原莞爾
「1918年に欧州戦争が終結してからは出兵する建前がなくなりました。もちろんどの国も本音では共産主義勢力の浸透を懸念していましたけど。
まあそんなわけで、連合軍は内陸部から撤退したものの、戦後4年経つ今もウラジオストク周辺地域を占拠しています。その他、満州とソビエトロシアの国境沿いにアメリカの駐屯地というか砦というか、大隊規模の駐屯地を10か所ほど設けていて、そこでソビエトロシアとアメリカは睨み合っています。もちろん向こうの日本の代わりにアメリカは満州に入植地をもっているから、当然と言えば当然です。
そんな中、我が国はお先に撤退を始めるということです」
中野部長
「これからどうなるのかな?」
石原莞爾
「今のところソビエトロシアは国内が不安定で、すぐに外部に武力侵攻することはないと思います。いずれにしろ我が国は中国大陸への発言権がますます小さくなりますね。見方によってはもう列強ではないということですか」
兼安教授
「ご存じのスーパーコンピューターにいろいろな情報を放り込み、関係国の過去の政治的選択性向や国家の行動原則でシミュレートしました」
中野部長
「ほう、その結果は?」
兼安教授
「我が国以外はシベリア出兵を撤退しない。そしてアメリカはむしろ満州の支配を強め多くの人を植民し、やがてソビエトロシアと小競り合いを起こすと出ました。
ただシベリア出兵にも満州にもイギリスが大きく関わっていますし、ウラジオストクは連合国が統治していますので、アメリカだけで動くのかイギリスも参戦するのか、あるいはイギリスとアメリカで主導権争いが起きるのか、その辺はわかりません」
中野部長
「向こうの世界では石原君が満州を支配するのだが、こちらの石原君はなにか意見があるかね?」
石原莞爾
「向こうの石原莞爾が満州事変を起こす背景として、日本経済の低迷、国民の困窮、国内的と国際的な閉塞感というものがありました。
現状ではそもそも満州を必要としておらず、そういう行動は国民に支持されないでしょう。
もちろんこれからの10年で扶桑国の経済がどうなるかですが」
中野部長
「アメリカはどうかね?」
石原莞爾
「今時点では戦争はしないと思います。 まず欧州大戦で多くの若者が死にました。そりゃドイツやフランスに比べれば少ないですが10数万も戦死したら、もう戦争したくないと思うでしょう(注5)
それとアメリカの景気が悪くありません。いつの時代でも、景気が悪く国民が困窮すると戦争を始めます。ただ欧州戦争と違うことがあります」
中野部長
「それはなんだ?」
石原莞爾
「欧州戦争では勝っても領土はとれません。しかし満州の戦争では領土が取れることです。
それともうひとつ、アメリカの国民性があります。彼らは我々と違い腰が軽くメリットがあると思えば移住とか転職のハードルが低い。そもそもアメリカに来たのも欧州で食い詰めたとか、もっと面白いことがないかと住み着いたわけですし・・
もしここで例えば満州で砂金でも見つかれば20世紀のフォーティーナイナーが大勢駆けつけるでしょう(注6)
そういうことがなくても、アメリカ経済が苦しくなる5・6年後には、戦争を始める可能性は大です。今でも満州をニューフロンティアと言って失業者を開拓に送り込んでいます。移民がロシア兵と小競り合いを起こして、それが戦争になるように思います」
兼安教授
「気候も風景も中西部と同じ、そこにゴールドラッシュが起きればまさに西部開拓ですね」
中野部長
「満州の統治をアメリカに頑張ってもらおうか」
石原莞爾
「平穏に統治ができればいいですが、そこからまた世界戦争が始まる懸念もあります。そうなると戦場に近い我が国は間違いなく巻き込まれます」
西部の絵
兼安教授
「今までの話はすべて諜報員からの情報を基にしています。それで私と石原君で満州とウラジオストク周辺を現地調査したいと考えています」
中野部長
「なるほど、今は6月か・・・ふた月もあれば十分かな」
兼安教授
「まずはウラジオストク近辺の状況、そしてアメリカとイギリスはそこを放棄する気か確保する気なのか、周辺の軍備や兵の配備などを見たいと思います。
それから満州に入りアメリカの砦の状況とイギリスの状況把握ですね。主たる手段は、向こうに潜入している我が国の諜報員の聞き取りと彼らの支援を受けて視察を行います」
中野部長
「ノモンハンの方まで行けるか?」
兼安教授
「ぜひとも。満州を押さえる国が違ってもノモンハンの戦いは起きるでしょう」
石原莞爾
「でもノモンハンは1939年、17年も先です」
中野部長
「いやアメリカは日本と違い機械化農業だから、開発は早く進むだろう。もしアメリカが本腰を入れて満州植民を進めれば、すぐにもノモンハン事件の頃の状況になるだろう」
石原莞爾
「しかしソビエトロシアはまだ革命後の国をしっかり掌握していません。数年内に戦争できるとは思えません」
中野部長
「まあその辺を良く調べてください。頼みますが、生きて帰ってきてください。
ええと文明の利器、パソコンや通信機器は持っていかないように」
兼安教授
「了解しました。詳細スケジュールが決まりましたら報告します」
中野部長
「いや、私は知らない方がいい。本日以降会わないことにしよう。調査を終了して安全なところに帰還したとき無事戻った旨の連絡を頼む」


兼安と石原はすぐにウラジオストクを訪れ、数年前から諜報員として潜入している熊田中尉に会った。完全に現地人になりきっていて、
熊田中尉
熊田中尉

写真を見ていなかったら同胞とは思えない姿格好である。
三人はウラジオストク周辺を2週間かけて調査した。
そこから様々な交通機関を使い、今は約1000キロの西のやがてノモンハン事件が起きるはずの原野を馬でさすらっている。地平線まで見渡しても三人しかいない風景は寂しく感じる。

兼安教授
「熊田さん、馬賊の話をよく聞きますが襲われたりしないのですか?」
熊田中尉
「可能性はゼロではありません。それに馬賊でなく一般遊牧民に襲われる恐れもあります。とはいえ今時分は天候不順もなく食うに困っていませんから、大丈夫でしょう。
それにご覧の通り、この世界で他人と出会うなんてめったにありません。もし地平線に人の姿を見つけても、わざわざ会いにいくこともしないでしょう。
なによりもここ数年、連合国のシベリア出兵によってロシア軍だけでなく、このへんの馬賊というか地方領主の軍勢も追い払われましたから、このところ旅行者が襲われたという話は聞きません」
兼安教授
「そんなものですか」
熊田中尉
「それと土地に対する感覚が我が国と違います」
兼安教授
「土地への執着が強いとか?」
熊田中尉
「逆です。放浪というか移り住むのが当たり前という人生です。彼らにとって財産とは血縁と家畜だけでしょう。それを守るために移動したり戦うわけで」
石原莞爾
「土地を守るという意識はあまりないということですか?」
熊田中尉
「乱暴な言い方をすれば、我が国の国民はみな農民です。それも米作農家でしょう。そういう人たちにとって一所懸命という言葉があるほど、土地は最優先の財産です。
しかし遊牧民にとって土地は、空気と同じく所有するものでなく利用するもので、誰のものでもあり誰のものでもない」
兼安教授
「なるほどなあ〜、ということはここで定住して米作りをするのはトラブルの元になる」
石原莞爾
「ここで米作りができるのですか?」
熊田中尉
「ご冗談を、ここは北海道より北です(注7)夏のいっときは暑いですが、無霜期間は百日もなく冬の寒さはとてつもない(注8)
意外かもしれないが雪はそんなに降りません。そもそも雨も雪も、元をたどれば海の水です。地球の自転の影響で風は西から吹く。暖流から海水は蒸発しその水分を西風が東に運び、我が国の山脈で上昇して凝縮し寒ければ雪、暖かければ雨になる。ここでは西風が吹いても湿気がないから寒いだけで、雨も雪もめったに降りません」
石原莞爾
「なるほど、それで針葉樹林にならないのですね」
熊田中尉
「この緯度では西へ行っても砂漠ですから。もっと北に行くとタイガになります」
石原莞爾
「一言で言って、この地はどういう利用方法があるのでしょう?」
熊田中尉
「地下資源は別として、まず牧畜でしょうね。実は私は農学部出なのですよ。何年も前に軍が秘密機関員の募集をしましてね、牛もちろん秘密でね。そのとき指導教授が強く勧めたのでこの仕事に就きました。
それはともかく、農業という第一次産業は、植物を使って太陽のエネルギーを大地の物質を食べ物に変えることです。そのエネルギー変換効率はとんでもなく低く、お天道様の与えてくれたエネルギーの1%くらいの有機物を生み出すと言われています。その有機物も全部食料になるわけではなく、人間が食べられるのは植物の生物量(バイオマス)のせいぜい1割でしょう」
石原莞爾
「農作物の1割の目方しか食べないってことはないでしょう」
熊田中尉
「いやいや、お米だって米粒は、藁とか根を含めた稲全体の重さから見れば微々たるものです。一つの穂から100粒はとれないでしょう。精米すれば一粒0.02グラムってとこかな。となると一つの穂からとれるのは2グラム弱、稲藁1本の重さはハカマ(葉)やカン(幹)それに根を含めて100グラムとすると、食料になるのは2パーセント弱です。穀物だけでなく野菜だって似たようなものでしょう。そうすると1%かける2%で太陽エネルギー五千分の1。
別の見かたをすると、稲一株が実るまでに水20キログラム必要という研究があります。一株だいたい稲穂25本ですから、先ほどの2グラムかける25で50グラムの籾です。と言えばお分かりですか。降水量のコンマ数パーセントの作物しか得られないのです」
石原莞爾
「このあたりの年間降水量は250ミリ、ええと日本で一番降水量の多いのが高知県で3600ミリ、少ないのが長野県で1000ミリ程度でしたね」
熊田中尉
「おお石原さんは物知りですね。日照も少ない養分もない水もない、アハハハ」
兼安教授
「ええっと、熊田さん、分かりやすく言うと、この土地を確保しても農業はできないということですか?」
熊田中尉
「まあ米作は不可能です。米作だけでなく我が国のイメージの農業はできませんね。できることは牧草を生やして牛を飼う・・つまり現状です。
どの民族だってバカではない。何千年という時間と命をかけた試行錯誤の結果、その土地に見合った最善の方法に落ち着いているのです。なぜ遊牧なのかというと一か所で牛を飼うと、そこの草が食べつくされ砂漠化する。だからそうなる前に別の場所に移るのです」
石原莞爾
「なるほど、ここの自然環境が厳しいのは分かりました。我が国は気候に恵まれているから農業が継続できるのですね」
熊田中尉
「石原さん、ご冗談を。農業が同じ場所で継続できると証明されたことはありません。農業はひっとところでは何年も継続できません」
石原莞爾
「えっ! だって平安時代、いや奈良時代から続いている畑だって田んぼだってあるでしょう」
熊田中尉
「私たちが食べている作物は、水と土地に含まれている物質を太陽エネルギーで栄養に変換したものです。ですから農業を続ければ栄養になる物質は土中からなくなってしまう」
石原莞爾
「でも肥しをほどこしますよね、そうすれば永続します」
熊田中尉
「そうです。肥しを外部から補充する、それだけでなく害になる不要物質を外部に捨てなければ、農業は継続できないのです」
兼安教授
「ちょっと熊田先生待ってください。エジプトのナイル川流域では何千年も同じ場所で肥料も与えずに農業をしていたではありませんか」
熊田中尉
「ナイル川は上流から栄養分を含んだ土を運んできて、毎年洪水を起こして栄養を農地に置いていってくれる。更に洪水は農地に蓄積していく塩分を洗い流して塩害を防いでくれる。まさに偶然というか神の恵みです。
もし洪水がなければ、塩害が発生し土地が痩せて農業は終わります(注9)世界には塩害で崩壊した文明は多数あります」
石原莞爾
「ともかく理屈からこういう乾燥地では放牧しかできないということですか」
熊田中尉
「そうです。こういった草地を無理やり農地化すれば、最初の数年間は収穫できるでしょうけど、時間と共に収穫は減少し最後には草も生えない荒れ地が残るだけです(注10)一旦砂漠化すれば植生が復活しません。同じ気象なら同じ極相になるわけではないのです。初期値によって行きつく極相は異なります」
石原莞爾
「満州も同じですか?」
熊田中尉
「気候も雨量も気温も、土地・土地によって異なります。ただ昔から行われている農業が最適であることは間違いありません」
兼安教授
「アメリカに行ったとき見たのは、やはりこのような草原で降水量も少なく土地は痩せていました。でも井戸から風車で水をくみ上げて小麦を作っていました。文明があればそういった制約から逃れるわけでしょう」
熊田中尉
「いやいやいや、地下水を使うことには問題がいくつもあります。
ひとつは地下水は長い年月、人間が誕生する前から長い時間をかけて蓄えられたものです。それを短期間で消費してしまいます。つまり永続性がない。
それから地下水の灌漑は必ず塩害が起きます。
更に肥料をどうするのか、化学肥料に頼ろうとしても元素であるリンは作れません。すぐにも枯渇するでしょう」
兼安教授
「熊田さんのお話を聞くと八方塞がりで打つ手がないようですね」
熊田中尉
「そういう印象を持たれたらいささか残念です。私はネガティブではないつもりです。言いたいことは先人の知恵はバカにできません。過去から行われていることを良く調べて、持続可能性を維持しながら効率を考えるべきです。米作に適さないところで稲を作ろうという発想はまずダメですね。
ここに植民するなら、ここに合わせた暮らしをするしかありません。遊牧民の生活はできないというならここには住めないということです」

三人は毎晩、小さなテントを張り、焚火の周りに座って話を続けた。
兼安と石原は、知識が豊富な熊田と会ったことに感謝した。現地調査もさることながら、この男の話は勉強になる。

うそ800 本日のお詫び
私は自分の考えを言いたいために文章を書いています。
アンチサヨク臭、あるいは環境問題臭が強くて拒否反応が出たならすみません。

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注1
Cf.「新しい歴史教科書」自由社、2015
上記教科書でシベリア出兵についての記述は下記のわずか64文字である。
「1918年、日本はロシア領内で孤立したチェコスロバキア部隊の救出と、満州の権益を守るため、アメリカなどとともに、シベリアに共同出兵した」

注2
司馬遼太郎を神か天才かとあがめる人は多い。あがめるだけならまだしも、彼の歴史観を事実というか真実と考えている人たちがいる。
「日露戦争と「菊と刀」―歴史を見る新しい視点」という本があるが、それはなんと司馬遼太郎の「坂の上の雲」を読んで「菊と刀」を解釈しようという。司馬遼太郎の史観を研究するのではなく、ルース・ベネディクトを研究するのではなく、司馬遼太郎の史観を正しいものとしてルース・ベネディクトを読み解くわけだ。ユニークな発想ではある。著者森 貞彦はドクターではあるが、研究者ではないようなので許されるのか?
麻田雅文の「シベリア出兵」も司馬遼太郎のシベリア出兵の見解を参考(基?)にしている。こちらはれっきとした研究者だからいささか心配だ。
私はそういうスタンスというかアプローチが理解できない。山岡荘八の「徳川家康」を読んで「文学における家康の性格」を研究するのはまともだが、「歴史上の人物である家康の性格」を研究するのは異常である。しかし現実には吉川英治の「宮本武蔵」で江戸時代初期を理解しようとする人はいないが、司馬遼太郎の「坂の上の雲」で明治を理解しようとする人は多い。不思議なことだ。
もっとも司馬史観を検証しようとする「司馬遼太郎の意外な歴史眼」とか「司馬史観と太平洋戦争」という本もある。サヨクの立場からも司馬史観を批判する「近現代史をどう見るか−司馬史観を問う」というものもある。
*批判とは反対ではなく「良い所、悪い所をはっきり評価・判定すること」
司馬史観は、歴史ではなく小説に過ぎないと認識されるようになることを期待する。
なおこの文では背景などについては「初期シベリア出兵の研究」井竿富雄、九州大学出版会、2003を基にした。内容が包括的で偏っていないと判断したから。

注3
セクスピオネージ(sexpionage)とはエスピオネージ(espionage)スパイ活動をもじった言葉で、ハニートラップと言われる性行為や恋愛などを利用したスパイ活動をいう。もじったと書いたが、21世紀時点では中学生用の辞書にも載っている一般的な英単語だ。
Cf.「ビーコン英和辞典」宮井 捷二、三省堂、2015
1980年頃だったと思うがそういうタイトルのスパイ活動を調べたドキュメンタリーの翻訳が出版された記憶がある。今、アマゾンでもグーグルでも出てこない。なぜだろう? 原書はアメリカのアマゾンでもグーグルでも出てくるのだが?
ちなみにアメリカではsexpionageと題するテレビドラマがアメリカで1990年代に放映されたようだが、前記書籍と関係あるのかわかりません。

注4
スパイとは敵国の情報を収集するだけではない。その役目は、非合法な情報収集、破壊工作、扇動(騒乱)の三つである。合法な活動はスパイ活動とは言わない。マスコミの捏造や偏向報道はスパイ活動と言うことは語義的に正しい。

注5
アメリカ軍の戦死者は、南北戦争では30万以上の戦死者を出したが、外国の戦争では欧州大戦(第一次世界大戦)がこの時点では最大だった。

戦争(発生年)戦死者数(千人)
2第一次大戦(1917-1918)青色117
2第二次大戦(1939-1945)青色青色オレンジ欧州183、太平洋1082
2朝鮮戦争(1950-1953)青色34
2ベトナム戦争(1965-1975)2青色46
2湾岸戦争(1990-1991)青色0.2
2イラク戦争(2003-2011)青色4.5

注6
1848年カリフォルニアで金が見つかりそれが報道されると、翌1949年にアメリカ中から移住者が押し寄せた。 砂金 その数は30万人と言われる。当時のアメリカ人口は3000万くらいだから、今なら300万人くらいが移動した感じだ。それがゴールドラッシュであり、金探しに駆け付けた人たちはフォーティーナイナー(49年人)と呼ばれた。フォーティーナイナーを描いた小説や歌はたくさんある。「雪山賛歌」の元歌は「愛しのクレメンタイン」であり、フォーティーナイナーの父親とその娘クレメンタインを描いたものである。

注7
稲作の北限は定かではないが、バイカル湖のイルクーツクやハバロフスクでも過去に稲作が行われていた。これらの緯度は樺太と同じである。

注8
無霜期間とは文字通り霜が降りない日数をいう。
北海道で120〜140日、関東地方で200〜220日、鹿児島で290日くらい。ハバロフスクで80日程度である。

注9
アスワンダム(1901)とアスワンハイダム(1970)の建設によって、ナイルのデルタ地帯に塩害の発生と土地が痩せるという問題が起きた。もちろんダムには貯水と洪水防止の効果はあるわけで、彼方立てれば此方が立たぬ、世の中すべてトレードオフである。

注10
20世紀後半から中国共産党は、従来放牧がおこなわれていた乾燥地・半乾燥地から放牧民を追いだし中国人を入植させて農業化を図っている。
入植後の数年間は大きな収穫を上げるが、すぐに土壌は痩せて使えなくなる。新規開墾した土地での農業の持続不可能は中国では今現在重大な問題になっている。施肥するにも農産物が土地から持ち出すものを正確に把握し、減少に見合って補充しなければならない。根本的な対策は、無理な農地化を止めることだろう。


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